中国もの22曲ほか 高知観世九皐会

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鎌倉能舞台40周年改修工事終了 橋掛かり延長・ワキ正面側を広く定員30〜40増し約200名、舞台2階に稽古場、能面や装束常設展示「能楽博物館」として機能、能面・扇などの製作過程展示、2009年5月6日40周年記念能・翁 観世 喜之 師、鶴亀 中森 寛太 師、



屋根の修理 [2015年04月28日(Tue)] Facebook

築45年の鎌倉能舞台。毎年どこかしら修繕しながら建物を維持していますが、ずーーーっと「そろそろ屋根を貼り直さないとダメですよーー」と工務店の人に助言されていたのですが
というわけで、屋根の修理 ビフォーアフターの写真をアップします!!かなり衝撃的な「直さなくちゃなー」と言われたのがよーくわかるビフォアです〜 45年前に、銅板(・・のような新素材)で葺いたのですが、かなりボロボロ・・・ 烏が落としていったコンビーフの缶がうら悲しさを増長させます(×_×) で、修理の終わった今の姿が
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普通に綺麗になりました


能楽博物館 ・・・また、団体でのご来場等の場合、事前に一報すれば説明を頂けることも可能・・。◇ 「鎌倉能舞台こどもワークショップ」参加校募集・・・鎌倉に遠足・修学旅行で来られた学生さん向けの、狂言・囃子等のワークショップの予約可。日本財団助成公演なので、実施校数に限りがあるゆえに、詳しい内容・お問い合わせは事前に。、
http://www.nohbutai.com/  webmaster@nohbutai.com




Introduction of Noh and Kyougen editted by Kamakura Noh-Butai

http://www.nohbutai.com/ 平成21年5月6日(水)11時始 能  観世喜之師 能 鶴亀 中森寛太師
県民のための能を知る会 鎌倉別会 〜鎌倉能舞台設立四十周年 平成21年6月14日・8月28日・10月26日・11月4日・11月28日・平成22年1月9日  東京公演別会 平成21年6月21日(日)国立能楽堂  東京公演 平成21年10月21日(水)国立能楽堂  横浜公演 平成21年9月3日(水) 平成22年3月10日(水) 横浜能楽堂
申し込み п彦ax.0467−22−5557 E-mail で





☆番外「能の名言」☆☆

ー花は美しく、人にもてはやされる。単に美しいからではなく、花は散るからそれを惜しむ人の心が美しいと感じさせるのだ。ー

ここでは、中森晶三著「能の知恵ー花伝書を現代にー」より、名言をランダムに選んで世阿弥の魅力について、探っていきたいと思います。

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高知観世九皐会

平成19年9月16日 11時開場〜 
高知県立美術館能楽堂 岡本眞雄師13回忌 真砂会創立60周年記念大会

番外仕舞 玉の段 観世喜正師  雨の段 弘田裕一師  藤戸 観世喜之師

 

  

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真砂会主は、もと高知県音楽教育研究会長岡本眞雄先生。須崎から土佐久礼・高知市で第4小学校日本間や、宝町、万々、円行寺口での本部付き稽古(たとえば、宝町組とか口にのぼせた)などで80人ほどのお仲間であった。発表会は地方公務員共済宿泊所土佐寮。本部つきは年に一度は岡崎牧場の放牧牛が20mほどに見える山上のお宅でご馳走になった。稽古場の板の間の隅にはピアノ、必ず先生の伴奏で小学校唱歌を御手作りの歌詞プリント(ガリ版)を渡されて大声を嬉しく張り上げた。必ず先生のご家族もご一緒で楽しかった。ふもとから、だれそれが「花咲かば・・」を謡いながら上がってきたお話やら先代喜之師のお人柄やら打ち上げでの得月楼での師弟団欒などのお話をお伺いできた。
以下、40年ほど以前のことも含め記憶だけのメモである。2011年8月24
西川晴海先生・依光賢一郎先生が自転車で山の端の拙宅においでて、うちの軽自動車で山上の稽古場に参上した。盆暮れには現金でなく必ず・物品を用意した。岡本師に師事前は、松本楽翁師(芦屋からだったか御帰高なさった男性で、確か自動車の免許証は110番((今で言えば、宇宙飛行士なみの先達)に前期2名のほかに安芸次郎吉先生と、私はは10冊ほどお手ほどきいただいた。

平成22年4月(18年2月)現在 観世流 10団体204(225人) 高知今井瓢月会、林涛会、伊野松門会、観遥会、、高知九皐会、皐遥会、松風会、鳳翠会、眞砂会、と発表されているが、(現在の眞砂会はご息女の岡本紀久子師が受け継ぎ主宰している)。
昭和45年ごろか50年代か、当時、矢来観世は、高知には眞砂会・観遥会(示野昇師・県立学校教員・県立図書館長など就任。ご逝去後しばらくして、今の会主野村容嗣師に引き継がれて来た)、鳳翠会(野中鳳翠師、ご逝去後は奥方が、かなりのちに高橋ながこ師(良子と漢字だったのかもしれない、70年前頃には高知地方連絡部にご勤務でグライダーの高松からの陸送でお世話いただいた60年程前には防衛大1期生で・中高校同級の久保1尉が赴任してみえナガ子さんとも再会した思い出を今思い出す。のち、杏聲園の純子師の御計らいで土佐寮で当代喜之師の年1回のお稽古で時々お目にかかる運びになる。今の会主は白木精子師)、鳳翠会主を奥方が宰領しておいでの時代には、眞雄師が「応援」に「山を降りた」、眞如寺へ奥方の盛大な御葬儀の折には私どももなぜか参列していた。平成元年、3日間考えた後・眞砂師は小生を高知九皐会に入門するように紹介状をしたため移籍させ、現在にいたるのである。。

記憶のみの書き込み 続 く

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扇子の始まりは古く平安時代、宮中で誕生した檜の薄板を絹糸で結んだ桧扇(ひおうぎ)とされる〜その後貴族の身分を示すシンボルとなりその薄板の数が多いほど高い地位を表す〜この時代、別に蝙蝠扇(かわほりおうぎ)という扇も登場。木や竹の骨の片面だけに紙を張ったもので、桧扇を冬扇と呼ぶのに対し、蝙蝠扇を夏扇と呼んだ。〜13世紀に入り、蝙蝠扇は遣唐使や僧侶いよって中国に渡り骨の細かい繊細な形に改良され、画面に紙を張ったものが名前を「扇子」変えて逆輸入され、再びわが国の文化を彩ることになる〜そして、室町文化の発展とともに、能・狂言や歌舞伎・演劇・茶道・香道にも取り入れられていく〜その後、中国からインドを経由して、ヨーrッパへも伝えられルイ王朝では大層好まれ〜1862年のロンドン万博を契機にヨーロッパに沸き起こった”ジャポニズム【日本趣味】”は着物抜きには語れないが、同時にもてはやされた装飾品のひとつに扇子があった。〜2001.yondenトピックスより引用〜

言霊の芸能史 笠井賢一(能楽プロデューサー・高知市出身)天地創造の物語--イザナミの「見るな」の禁忌を破り妻の姿を見てしまう--生と死の世界がキッパリと分かれ--。イザナギは身を清め、そのおりに天照大神・月読命・須mこと佐之男命を産む。やがてスサノオは母の居る根の国を求め乱暴狼藉をはたらく。アマテラスは天の岩戸に籠もってしまう。天宇受売命あめにうずめのみことが呼び出される。岩戸の前で、桶を伏せて舞台とし・笹の葉を手に、桶踏み鳴らし--裳の紐を陰部まで押し垂らして、神がかりしてみ踊った。--鏡をかざし、それに写ったわが姿をさらに見ようと--タジカラオの命が手をとって外に引き出し、世界は再び照り輝いた。このとき、神々の顔が白く輝いたのが面白いという言葉の始まりであり、あめのうずめの舞が神楽の始めであるという。天の岩戸隠れの神話である。--農耕民族に共有の神話で、太陽神が隠れると例外をもたらす、答辞に向かい日照時間が短縮すると・太陽が衰弱する。太陽の力の蘇りを願う儀礼--。舞台として桶を逆さにして踏みとどろかす行為は、太一を音をたて踏むことで、地霊を覚ませる--五穀豊穣の祈りとしての田楽、翁、三番叟に引き継がれ、笹を手に神懸りして舞踊るということは、能の狂女ものに引き継がれてゆく。芸能は対置に働きかける神聖な祈りである。--。

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◇ちょっと宣伝。その中でも「日本財団」の ご協力により、学生さん向け鑑賞会の開催に力を入れております。
修学旅行や遠足で鎌倉にいらっしゃるならば、ぜひ鎌倉能舞台も鎌倉巡りのコー
スにいれてくださいませ! こちらのページもご参照ください。
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毎月1日発行のメルマガの他、”かんた先生のお仕事ブログ”、鎌倉能舞台の スタッフブログの”お能を見せますぞえ”なども更新しておりますのでよろし ければそちらにもお立ち寄りくださいませ。
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2009.3.1配信より ・・◆◇修羅物の小書 ◆◇能公演情報 ◆◇編集後記
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◆◇修羅物の小書〜「屋島」弓流(ゆみながし)〜
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今月は勝修羅三番(屋島(やしま)・田村(たむら)・箙(えびら))から、源義経をシテとする「屋島」を取り上げたいと思います。

能の中で二番目修羅物と言われる曲は数多くありますが、上記の三番は「勝修羅物(かちしゅらもの)」と呼ばれ、他の曲は「負修羅物(まけしゅらもの)
」と言われます。

負修羅物とは、武将の幽霊が旅僧の前で自らが討ち死にした有様を見せることからその名前があり、勝修羅物は自らが陣頭指揮を執って大勝した様子を見せることからの呼び名となります。


メルマガ「鎌倉能舞台」2003.12.1より一部分無断抜粋  平成19年1月1日
鐘が落ちると私の師匠家では主後見が鐘の後ろに来て床をコツコツと叩きます 。シテが無事ならばシテも床を叩いて無事を知らせますが、もしも合図がなけ れば鐘は最後まで上がることなく後見が後シテを舞う事になります。私は見た 事はありませんが鐘を傾けてシテを助け出すんでしょうね・・・
2007.8.2 鬘桶
今回は舞台上で演者が座る「鬘桶(かつらおけ)」について書いていきまし
ょう。
鬘桶は「床机(しょうぎ)」とも呼ばれていますが、囃子方が舞台上で掛け
る椅子も床机と言いますのでちょっと紛らわしいですね。本来はその名の通り、鬘を入れて運ぶケースだったことから鬘桶と言うそう です。普段舞台で何気なく使っていますが、細かい決まりがあります。
楽屋内ではシテだけが鬘桶に座ることができます。ツレやトモは、鬘を結う 場合でも下に座って結って貰いますし、出番までどんなに長い時間あっても、一度装束をつけたら立ったままで待っています。
シテだけは、鬘を結うときも能面を掛けるときもこの鬘桶に座ることができ ます。幕の裏側には「鏡の間」があり、シテはそこで鬘桶に掛けて最後の精神統一をするわけです。

舞台上では、ツレも重い役の時には鬘桶に掛けますし、ワキでも使う場合が しばしばあります。一見すると下に片膝を立てて座っているよりも楽そうに見えますが、これが意外に辛いのです。
鬘桶は下が三本足になっており、座るときには足の一本を踵に向けて座るように決められています。そのために重心を後ろに掛けてどっかりと座ると仰向けにひっくり返ります!またちょっと横に傾いても鬘桶ごと横倒しになりますので、両足でしっかり踏ん張って浅く腰掛けるようになります。

ところが上は丸みを帯びており、浅く座って何度か向きを変えていると、装束が滑るために段々身体が前にずれていって「空気イス」状態になってしまいます。ですからお客様にわからないように腰を浮かせてバランスを保つので、足に物凄く負担がかかりますので、長時間になると両足が痺れてきて全く感覚が無くなってきたりします!

これは怖いです・・・立った瞬間に自分の足が無くなったような感覚で一歩も歩けません。ちょっと経てば感覚が戻りますが、当人にとっては物凄く長 い時間に感じます。(←経験談)

この鬘桶、真っ黒なものが一般的ですが、素晴らしい蒔絵が施されている物 も数多くあります。特別な曲にしか使わない場合が多いのですが、家紋が入っていたり亀甲や秋草模様の物もございます。
サイズは、一段中を抜くことが出来てある程度は調整が出来ますが、子方用の小さい物や、少しずつ高さの違うものを2〜3個用意している舞台が多いようです。国立能楽堂にはいろいろサイズの鬘桶ががズラッと並んでいて圧巻です。

狂言ですと上に立って演技をしたりもします、がシテ方やワキ方は座るだけです。例外として「屋島(やしま)」の「弓流し」の小書(特殊演出)の時に、小鼓が鬘桶に座り、シテが囃子方用の床机に掛けます。これは、昔この小書 の時に、後見が鬘桶を持って出るのを忘れ、小鼓が機転を利かして自分の床机を後見に渡したので、後見が後から鬘桶を小鼓に渡したことがあるため・・・・
と言う説があります。現代では、シテ用に立派な蒔絵入りの床机を用意して、専用品を作るシテ方も多いようです。

普段は、鬘桶は後見が持って出て、シテが座ると後見は後見座に帰ってしまいます。が、「熊坂」や「頼政」のように座ったまま激しい動きをする場合は、後見が後ろで鬘桶を押さえています。この後見も結構怖いのです!長刀の柄や太刀の鞘が左右から襲いかかってくるので片時も気が抜けません。私も 二、三回頭を叩かれたことがあります。

今度舞台でご覧になったら「楽してる」とは思わないで、暖かい目で見てく ださいね。格好良く座っているのはかなりな重労働なのです。 (文責 中森貫太)


メルマガ「鎌倉能舞台」2003.12.1より一部分無断抜粋  下の青線まで

◇「能を知る会 東京公演」 日時:平成18年10月11日(水)午後六時始め 場所:国立能楽堂
−番組−
講演 物狂と風流 馬場あき子、 狂言 茶子塩梅(ちゃさんばい) 野村萬斎、  能 百萬(ひゃくまん) 中森貫太

「百萬」は、足利義満に能が寵愛を受けるきっかけとなった曲を世阿弥が改作
したと言われる、能の中でも特に「面白い」作品です。


◇「能を知る会 横浜公演」 日時:平成18年11月19日(日)午後二時始め 場所:横浜能楽堂
−番組−解説 能の音楽 中森晶三  狂言 二千石(じせんせき)山本泰太郎 、能 海士(あま)懐中之舞 中森貫太

我が子を大臣の位につけることを条件に竜宮に単身飛び入り、昔夫が龍神に奪 われた宝珠を取り返したが、自らも命を落とした母親。その子が房前の大臣と なり、供養のために訪れた志度浦で、龍女となった母親の幽霊と再会し、経巻
を渡される。
命を捨てて珠を奪還する母の母性愛を主題とした曲で、「玉の段」「早舞」な ど見どころ・聞き所の多い大曲です。

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ー花は美しく、人にもてはやされる。単に美しいからではなく、花は散るからそれを惜しむ人の心が美しいと感じさせるのだ。ー世阿弥の名著「花伝書」は、一.年来稽古条々 二.物学条々 三.問答条々四.神儀 五.奥義 六.花修 七.別紙口伝 の七編より成り立っています。ここでは、中森晶三著「能の知恵ー花伝書を現代にー」より、名言をランダムに選んで世阿弥の魅力について、探っていきたいと思います。
> --------------------------------------------------------------------
『別紙口伝』では、芸の魅力・舞台効果の本質についての考察を説いています。−因果は珍しさ− [本文現代語訳]
一 一体に因果と言って善いい時・悪い時があるのも、よくよく考察してみると、ただ珍しい・珍しくないの二つの場合があるだけだ。同じ上手の同じ能を二回続けてみたら、前に面白かったことが、今はちっとも面白くないことがあるのは、昨日面白かったという心からの期待があるのに、今日は珍しくないからもうつまらないと見えてしまう。その後、程経てみてまた良いと感じるのは、前に悪かったという記憶が、また珍しさをまねいて面白くなるのだ。
> [コメント]
私は初舞台を踏むお弟子さんに、「うんと恥をかいていらっしゃい。そうすれば、次はうんと褒められますよ」と励まします。始めが悪ければ次は良い。そういったものです。写実表現の極限のテレビや映画が、ついに演劇の勝利者たり得ないのも、最初に見た珍しさが、寸分違わぬ再現によって、どんな感動的名場面もどんどん感銘が薄れてしまうからです。[本文現代語訳]
だからこの道をきわめ尽くしてみれば、別に「花」という具体的なことが別にあるわけでは無い。奥義をきわめて、すべて珍しさだということを悟らなけれ
ば花はない。経文にも「善悪不二、邪正一如」とある。だいたい、善悪は何できまるか。要するに、その時に役立つものが善、役立たずが悪なのだ。
この、能の表現法のいろいろも、現在の人々・場所場所によって、ケース・バイ・ケースの全体の好みに応じて演じてみせる演技、これが役立つ花(善)のだ。
ここではこの風体、あっちでは別の風体が喜ばれる。要するに人それぞれに思 う「花」なのだ。どれが本当の花ということはない。その時にぴったりして ばる物が「花」だと理解しなさい。
[コメント]
山の奥をきわめてきわめて、行きつく先は同じ人里。悩み苦しみ探求し抜いた結論は、「花とて別には無きものなり」の一句。これに千鈞の重みを感じます。
あらゆる道を踏破し抜いて世界を一周して元の出発点「初心」に帰った「色即是空」の境地、これこそ名僧の悟りに似たものでしょう。
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◇◇ 能楽入門[知っておきたい能の話]◇◇◇2004 弥生 【Vol.042】 (マガジンID:0000049577)
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日本の伝統芸能「能」について、基本的な解説と雑学を交えて気楽に学んでいただく入門編です。
(中森晶三著「能のすすめ」玉川選書 「能の物語再発見」たちばな出版 他)
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◇「能の地謡」
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地謡はシテ方が勤めます。見所から向かって右側の地謡座に、6人〜10人が2列に並んで座ります。(会場によって例外=別の場所に座る、人数の増減等
あります)
最初に前列、次に後列の順番に切戸口から出て来ます。観世流の場合、前列は見所側から鏡板に向かって上下関係となり、後列は通常の8人地ならば見所側から2人目が「地頭(じがしら)」といってコンサートマスターのような役の人が座り、その右隣が副地頭、一番見所側を「上(かみ)」、鏡板側を「下(しも)」
という順番になります。

ご覧になっているお客様は気にもなさらないでしょうが、地謡は出入りの際にも細かい作法があります。
囃子方が幕の横から出て、先頭の笛方がシテ柱の横を通り過ぎる頃に、切戸口を開けて地謡の先頭が出ます。そして太鼓(大小物では大鼓)が座るまでにな
るべく地謡全員が着席し、扇を腰から抜いて自分の横に置くようにします。

ここからは曲によってタイミングが違いますが、囃子方が床机に掛ける時に扇を前に出し、両手を袴の中に入れて「休め」の姿勢になります。

(この袴の中に手を入れるというのは、一説によるとそう古い習慣ではなく、ある名人が寒稽古の際に寒さを凌ぐために袴の中に手を入れたら温かくて楽で、しかも袴が手汗で汚れるのも防げるということで始めたのだ、と言われています。)
謡い出す前に両手を膝の上に置き(大体謡出す2〜3行前、)改めて両手で扇を持ち上げ右に回して180°回転させ(1〜2行前)、最後に右手で膝の前
に立てて持ちます(5文字前)。
このタイミングは、私の一門では前列の左端の人が責任者で、周りの人はその動きに合わせて扇を上げ下ろしする事になっています。(本来は地頭に合わせ
るのですが、どうしても前後でズレが生じることが多いので。)

謡い終わると、扇を膝に戻し、両手で下に置き、手を袴の中に戻します。これを繰り返していくわけですが、次の地謡までの間が中途半端な時には「先上げ」
と言って、扇を膝の上で持つ場合もあります。

細かいことですが、中入りの時にはシテが幕にはいるまで扇は構えたままです。曲の終わりは、シテが横板にはいると(舞台から出ると)、囃子方が床机か
ら降りるのと同時に扇を下に置きます。(附祝言がある時は例外)

地謡そのものは地頭を責任者として一曲を作り上げています。地頭は周りの人に伝わるように息を吸い、ホンの半呼吸先に声を出すことによって全体の調子やテンポをまとめ上げます。その為には囃子の手組やシテの型を熟知し、ある程度の声量とパワーが無ければ勤まりません。

能の中で一番謡が多いのが地謡です。どんなにシテが頑張っても曲の後半は殆どが地謡に占められるので、地頭とシテの息が合っていないとバランスの良い
一曲は作り上げられないのです。
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  花傳書(かでんしょ) <  風姿花傳、 略称 花傳 >     

世阿弥の父観阿弥の庭訓を録したもの。明治41年に発見され、42年に「世阿弥十六部集」のなかに収めて、単行本として出版されて、世上に知られたもの(前掲 芸能辞典)
『風姿花伝』執筆600年記念特集 月刊観世H12年11月号 檜書店 ¥840

☆番外「能の名言」☆☆<鎌倉能舞台メルマガ2003.6.1引用
ー花は美しく、人にもてはやされる。単に美しいからではなく、花は散るからそれを惜しむ人の心が美しいと感じさせるのだ。ー

世阿弥の名著「花伝書」は、一.年来稽古条々 二.物学条々 三.問答条々四.神儀 五.奥義 六.花修 七.別紙口伝 の七編より成り立っています。

ここでは、中森晶三著「能の知恵ー花伝書を現代にー」より、名言をランダムに選んで世阿弥の魅力について、探っていきたいと思います。
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『風姿花伝』の三編目「問答条々」では実際起きがちな問題を問答形式で具体的に指導しています。その中から抜粋してみましょう。

ーしおれ(枯れ)ー
[本文現代語訳]

問 よく「しおれた」との評があるが、これはどういうことなのでしょう。
しようのないものだ。しかしまさしく「しおれ・枯れ」というムードはあるものだ。これも「花」に関したムードなのだ。

[コメント]
兼好法師が徒然草に「花は盛り、月は隈なきをのみ見るのみかは」として、しぼめる花の色無くて匂い残れる風情や、降り籠められて座敷に居ながらに心の
中に思う月の方が、より美しいとしています。

これこそ日本人独特の「寂・侘・しおれ・枯れ」の感覚で、世阿弥のころはこの美についての感性の成長期と言っても良かったのではないでしょうか。「九
位」という伝書にも、この美をきわめて重要視しています。

[本文現代語訳]
どう考えても、稽古や振る舞いで表現できるものでは無い。「花」というものが本当にわかったら理解できることだ。

だから、全ての役柄については出来上がっていなくても、ある役について本当に出来ている人ならこの「しおれ」ということが理解できるかも知れない。

この「しおれ」は「花」よりもっと高度なものとも言える。花が無ければしおれもしない。それは「しめり」だろう。花のしおれたのが風情があるので、花
咲かぬ草木のしおれた様は面白いわけが無い。

花を究めるのが大変なのに、それ以上のものと言うのだから「しおれ」がどんなに大変な事かわかるだろう。形容のしようも無い。

古歌に、
「薄霧のまがきの花の朝じめり、秋は夕べと誰か言いけん」
「色見えで移ろふものは世の中の、人の心の花にぞありける」

こんなムードであろうか。よくよく考えて推し測りなさい。
[コメント]
今日で言う「枯れた芸」と、世阿弥の「しおれ」とは、ほぼ同一であろうと思います。若い演者が必死に全力投球しても出ない味を老大家が楽々やって出
してしまう。それならばと楽にやってみると、鵜の真似をする鳥で惨敗してしまう。どこがどう違うのかよく判らないままに、確かに違いがあることだけは
認めざるを得ません。

花があってしおれがあるという言葉も重大です。若い時分に満開の華やかさ・あでやかさがあってこそ、年齢的に衰えの見えた頃に別な魅力が加わってく可能性もある。花の咲いたことの無い人には、しめり・しおたれることしか期待できません。人為的に無理にしおれようとしても、これは世阿弥の指摘通り技巧で出来ることでは無いので、失敗に終わる確率が高いのです。(続く)

「能の知恵−花伝書を現代に−」中森晶三著(玉川選書)より抜粋※一部、メールマガジン用に改めたところがあります。

暮しの手帳社 『ようこそ能の世界へ

世阿弥57才の時の名著『至花道(はなにいたるみち)』も最重要伝書のひとつです。花伝書の延長的な論が多いので、要点をつまんでみましょう。

二曲三体のこと−[本文現代語訳]
一.斬道の修行の入口は二曲(舞・歌)、三体(老体・女体・軍体)を越えてはならぬ。10歳過ぎの少年時代は舞・歌だけで、三体も教えてはならない。
何をやってもそのままの姿で良いのだ。これが後々まで未来の成長の余地を残す根本だ。

元服・成人し、面をつけての表現すべき役柄は多いが、本当に最高の芸位に上るための基本は、老・女・軍の三体だけだ。これを徹底的に学習し、舞歌の二
曲を各役柄に応じて加えて演ずるほかに修行の方法は無い。

他の役柄はみなこの二曲三体の応用である。神舞の閑雅・端正さは老体の、幽玄・優雅・なまめかしさは女体の、激しい動き・迫力は軍体の、それぞれの応
用で、演者の心に描く演技が自然に姿に現れるものだ。力不足で応用は出来なくても、二曲三体さえきわめておけば上々の名手と言える。

現代の稽古はみな本道(二曲三体)はそっちのけで、あらゆる物真似やケレンばかりやっているから無主の風体になって、弱くみっともない芸で、評判になるほどの者がさっぱり出ない。基本を無視しての物真似は枝葉末節のやり方だ。
[コメント]
基礎づくりの大切さを説いています。現代演劇の、外見から写実に入るのと違って、あくまで能のフォームを確立した上で、その上に写実性をプラスしてゆくという考え方について、『遊楽習道風見』にも次のように書いてあります。
「梟は雛の時美しく、次第にみっともなくなる鳥だ。幼くてあまり完成された芸の持ち主は大人になると駄目になる。子どもには未熟な風体こそふさわしい。
どもの物真似達者は可愛らしさと立つ声でカバーされているだけで、それが大人になると二つともなくなり、小さく固まった物真似は大人の芸としては寸足らず・芸不足で役立たない。」

たとえ出来ても子どもには物真似は教えるな。舞歌の基礎訓練に徹せよということは、小学・中学では基礎学課を徹底的に叩き込めということです。例えば中学校の教科書に「直角三角形の二夾辺の二乗の和が斜辺の二乗の和とどういう関係にあるのか 考えてみよう」と書いてあるのにはびっくりします。天才ピタゴラスが、ギリシャ哲理を背景に発見したこの法則を、そんじょそこらの中学生が考えただけで発見できれば苦労はありません。
考えるより先に習うという姿勢が無ければならぬ筈です。教育=稽古とは古を稽る(かんがえる)、古くから正しいと信じられていることを、そのまま教え込むのが教育です。

「たとえ出来てもやらせるな」。この自信に満ちた教育方針は、能楽界では今日でもかなり守られているように思います。
「能の知恵−花伝書を現代に−」中森晶三著(玉川選書)より抜粋※一部、メールマガジン用に改めたところがあります。

◆◇「能の小道具〜竿〜」

能の持ち物〜竿

先月の「杖」に続いて今回は「竿」についてお話しましょう。竿には「水竿(みずざお)」と「釣竿(つりざお)」があり、竹の棒に糸(白い紐)が付いているのが釣竿でただの棒が水竿です。舞台上で水竿を持つというのは舟に乗っているという事になり、釣竿を持っているのは当然漁師ということになります。

水竿はシテだけでなくツレやワキ、間狂言も持つことがあり、一本の竿を数人が使い回すこともあります。「兼平(かねひら)」の時はシテが持っていた竿を後見が引いてそのまま後見座に置いて中入で楽屋に戻ります。これを勘違いして楽屋に持って帰ってしまうと間狂言が舟に乗れなくて話が進まなくなってしまいます。
シテ方の場合は右手に持つ場合と左手に持つ場合がありますし、幕から持って出る時と後見が後から渡すこともあります。これは曲の中で舟を岸に寄せたり、人を乗せたりするときには竿を左手に持って右手を竿に添えて舟を押さえる型がありますから左手に持ちますが、いつの間にか舟から下りてワキの前に座る「浮舟」や「玉鬘」は右手に持っています。殆どの曲では竿は幕の中から持って出ますが、作物の舟が出るとシテは手ぶら
で出て舟に乗ってから後見がシテに持たせます。これは常座に舟を置いてそこにシテが乗るときに竿が囃子方に当たるのを防ぐ
ためです。
竿は先を上げて後ろを舞台ギリギリに持つのですが、面を掛けていると竿の具合がわからず大変苦労します。油断すると水平近くまで後ろが上がっていたり
しますから・・・釣竿はただ肩に担いで持って出る飾りの場合が殆どですが、「阿漕(あこぎ)」や「白楽天(はくらくてん)」では糸を使った型があります。糸を竿に巻き付けたり、釣り糸を舞台の外に垂らしたりするのですが格好良くやるにはコツが必要で、初役の時にはみんな随分稽古をしています。
竿の長さは使う役者に会わせますが、最近では背の高い人が増えてきたので竿も長くなる傾向があります。でも舞台が広くなるわけではないのであまり極端
に長いと見栄えも悪く、どこかにぶつかったりして具合が悪い物です。竿を捨てるときには後見が後ろ端を持って水平近くまで下げてから引いて帰りますが、このタイミングが結構難しいんです。あまり早く持ってしまうと邪魔になりますし、大きな音を出して落としてしまっては興醒め・・・後見も気を使います

最近では移動用に繋ぎになっている竿も作っていますが、先月の杖同様に途中で抜けたりする事故もあるので曲によっては注意が必要です。

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−舞は謡を根本とする(舞者為根声)−[本文現代語訳]

舞は謡が無ければ心を打つものではない。一声から舞にうつるあたりに言うに言われぬ妙味がある。舞納めて謡いに移るところにも、うつりの良さというも
のがある。そもそも舞歌とは根本は宇宙の心理から出たものだ。また、時の調子とは、天人の舞歌が時節によって変わるのを人間が感じ取ったもの。天の動きは一定しているので、時の調子もその時々で一定しているのだ。
だから駿河舞は天女が天下って舞歌の曲を人間界に残したといういわれから秘曲となっている。ただ舞は、音声・謡の助けが足りないものは感銘も薄いと承知すべきだ。まず曲舞節などで舞うのは舞いやすい。また、笛・鼓が無ければ舞えるものではない。これも音楽の力で舞うのではないか。
舞には五つの手法がある。
一.手智(しゅち) 体の動き、ことに手の動き・序破急の舞方の手法を習得するもの。
二.舞智(ぶち) 姿・風情を中心に、なんとも言えないムードをかもし出す手法。
三.相曲智 手智の序・破・急の中に舞智を加味したもの。手は目に見える変
化・面白さ。舞はムード。両者を兼ね備え和合する、それだけで見て面白いと言える境地。
四.手体風智 相曲智の有無和合の状態の中で、手智の芸風を体、舞智風を用(ゆう)にしたもの。
五.舞体風智 舞智風を体に、手智風を用にした、何とも言いあらわしようの無い姿。
これを老女軍の三体にあてはめてみると、老・軍の男姿には手体風智がふさわしいか。女体には舞体風智が良いと思われる。よく役柄を考えてやるべきだ。
[コメント]
舞は謡曲・音楽がなければ成立しないのはもちろん、その舞の心根の区別を五種にワケ、しかも男体は手振り・動きを主とした演技、女体は立姿・風情を主
とした手法としています。曲舞によって大発展を遂げた能としては大切な注意であり、男体は動きを主に、自ら表れるムードを主に、動きをそれに付け加えよという考え方は面白いと思います。
「能の知恵−花伝書を現代に−」中森晶三著(玉川選書)より抜粋
※一部、メールマガジン用に改めたところがあります。
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◆◇能公演情報:鎌倉能舞台(0467-22-5557) http://www.nohbutai.com/
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■「能を知る会 鎌倉公演」

日時:平成16年7月7日(水)午前十時始め/午後二時始め
場所:鎌倉能舞台
−番組−
解説 能面        中森晶三
狂言 鎌腹(かまはら) 善竹十郎
能  芦刈(あしかり)(朝)中森貫太、(昼)奥川恒治
貧しさのあまり、3年後に再会を誓い協議離婚した夫婦。再会時、妻は都に上り出世して戻って来るが、夫はしがない芦売りだった・・再会を拒む夫だが、妻の読む和歌の功徳により和解し、再会を喜ぶ舞を舞う。有名な「笠の段」を見せ場とする、男物狂の代表的な曲です。
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◆◇「能の小道具〜刀〜」;今回は舞台で良く使われる小道具の一つ「刀」を取り上げてみましょう。(2004.8.1配信受信)
太刀には修羅物などで使われる「太刀(たち)」の他に、山伏やトモの下人などが腰に差す「小刀(ちいさがたな)」、烏帽子折用の「大太刀(おおだち)」、主に殿上人の役に使う「真之太刀(しんのたち)」等があります。太刀は「太刀紐」と呼ばれる平打ちの組紐を使って腰に下げる場合と、トモやワキツレが手に持って出る「持ち太刀」という使い方があります。本来は本物の太刀を使ったのでしょうが、現在では刃を木や竹に替えて銀箔を貼り、鍔も木に変えて使うことが多いようです。修羅物では途中で太刀を捨てる型が多いので金属だと舞台に酷い傷が付いてしまうというのが理由です。本身の刀では片手で振り回すのも無理でしょうし・・・太刀の長さは使う人の好みで注文しますからそれほど厳密に決まっているわけではありませんが、「巴」用に女太刀として短めの物を一振りは用意しています。柄巻(つかまき)の色も特に決まってはいませんが「清経 恋之音取」は紫、「屋島 弓流」は白と聞いています。太刀は「正尊」や「夜討曽我」などの人数物にも使われますので「翔入(かけりいり)」や「十番斬(じゅうばんぎり)」の小書が附く時には十五振り以上の太刀が必要となります。
また良く折れたりも(・・折ったり)するので絶えずチェックして早めに補充もしなければなりません。(これが結構高価いのです!)小刀は舞台上で抜くことは稀で(抜くのは望月くらいでしょうか)、殆どの曲で腰に差してあるだけですので装束を用意するときに忘れることがたまにあます。山伏の役ですと篠懸を附けるのに無くてはならないので大丈夫なのですが、「素袍男(すおうおとこ)」の時が気をつけないと危ないのです。大太刀は烏帽子折専用なので持っている家の方が少ないのではないでしょうか。本文中に「五尺三寸の大太刀を」と書いてありますが、実際に刃渡り五尺三寸もあったら舞台では振れませんので少々短めになっています。真之太刀は衛俯太刀(えふだち)とも言われ、在原業平などの殿上人(武官)の役の時に腰に下げます。杜若に小書が附いたときもこの太刀を使うので、これも大小二種類の長さの物が必要です。この他にも「昆念刀(こんねんとう)」と言う懐刀などがありますが、最近,物は刃が真っ直ぐに近い物が多く、反りの強い形の良い物が作れなくなっているのが残念です。古い物では鞘に素晴らしい蒔絵の入っている物や、凝った造りの物も有りますが、近年では「道具」としてしか作れないのも寂しい限りです。
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高知観世九皐会10周年記念大会 平成4年2月23日 高知県民文化ホール



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依光賢一郎先生 ご撮影 県立能楽堂
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あま 海女 海士  古書には潜水作業をカズキ、潜女をカズキメと訓む

2005.6.28高新「海の博物館」(三重県鳥羽市);伊勢志摩地方の海女は現在約1,200人、50年前には約6千人---ウエットスーツ・磯眼鏡が使われるようになり資源激減---稚貝放流や漁の解禁日設けている魚協多い(年間5〜60日)1日1時間半出漁、ベテランの海女だと1日7〜8万円の水揚げ---嫁いできて、子育てが一段落するなど自分の時間が出来た女性が多いらしく、子どものころから海で遊んできた経験から気軽な小遣い稼ぎとして潜る---貝のほかナマコ、ウニ、海草など---

もぐり作業によって海藻・貝類を採取する。太平洋岸の岩手・千葉・静岡・三重・徳島および日本海岸の長崎・福井・石川・新潟の諸県に最も多かった。夫婦舟が多かったようで、操船・生命綱を他人に頼んだときは三ツワケで採った鮑の三分の一を与えたという。昭和で四分六(海女が六)という。
昭和54年版民俗資料辞典の分布図によれば、四国の海女の分布には徳島県海部郡阿部・三岐田の志和、高知県甲浦・佐喜濱・室戸岬とあり、讃州志度はなし。

2000.10.13高新 済州島の風 女性の潜水漁で一家の生計を立てるのは、日本と韓国にしかないという。両国の海女達が海峡を行き交わった歴史は長い。済州島に海女達は戦前、三重や房総半島,伊豆諸島などへの出稼ぎで知られている。済州市の民俗自然史博物館に日本語の説明板がある。「済州女性の強靭性と勤勉性の象徴は海女である。と---。2000.10.3高新。潜るとご飯が美味しい。済州島の南岸・西帰浦市「天地淵瀑布」という滝に近い港に、食堂「海女の家」貝・タコ・ホヤの刺身、飯はないがソジュ(焼酎)がある。
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