1. 急減圧はなかった    急減圧は事故調によって創作されたもの



 事故調は JA 8119 号機の事故原因を、後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統
に損壊が生じたため、と「圧力隔壁主犯説」を採っている。
 しかし、この「圧力隔壁主犯説」は事故調のオリジナル・シナリオではなく、この事故を圧力隔壁の修理ミス
による特異な事例として処理することを狙ったアメリカの原案によるものであった。 その辺の事情について、
日本経済新聞は、事故発生 1 年後の 86 年 8 月 25 日の朝刊で「後部圧力隔壁の破壊に続いて起きた垂直尾翼な
どの空中分解の全容が 24 日、明らかになった。 米側がコンピューター解析をもとにまとめ、
事故調に提出し
たものである」と伝えている。      (2 章 の当然の帰結に戻る)     (8 章に戻る)
事故調は この「圧力隔壁主犯説」を採用した為に、必然的に起きる急減圧をデッチアゲなければならなくなった。

 本章では 報告書がいうように圧力隔壁が損壊し、急減圧が発生した場合、当然、操縦室と客室において起こる
現象と、相模湾の上で事故が発生した時、実際に 事故機の機内で起こっていたことがらを比較し、本当に JA 81
19 号機に急減圧が発生していたのか、否かを、事故調査報告書をはじめ、公表された資料をもとに検証する。



1-1. 圧力隔壁 と尾部の破壊 (事実の概要)



 報告書は、修理ミス部を起点として圧力隔壁が損壊したことがこの事故の発端であるとしている。 しかし、
それは事実と異る。 この事故は圧力隔壁が損壊したために発生したものではない。 確かに後部圧力隔壁には修
理ミス による欠陥があった、しかし、その状況は 4-2 -A で述べる通りであり、後部圧力隔壁の疲労亀裂がリベ
ットとリベットの間に拡がり、隔壁の一部が開口し、そこから大量の客室の空気が漏れ出していた。 漏れ出した
空気は密閉された後部胴体と垂直尾翼の内部に留まっていた。 このような状態では後部圧力隔壁に最大客室予圧
の 8.66 psi が懸る筈がない、かかっていたのは、客室予圧(8.66 psi)から 後部胴体と垂直尾翼の内部に留まっ
ていた空気の圧力(4.8〜5.4 PSI)を差し引いた 3.26〜3.86 psi である。 従って、事故調が 4.1.6.1 でいう
「後部圧力隔壁が、飛行中の客室与圧に耐えきれなくなって破断した」というのは偽りである。

 尾部の破壊は Fig 4-5 に見るように、 A の垂直尾翼の破壊、B の後部胴体の破壊、C の圧力隔壁の破壊 と
いう 3ッ の部分からなり、破壊の順序も
A → B → C であり、 事故の発端であるとされる C の破壊(圧力隔壁の
破壊)は 4 章で述べるように
A B が破壊した結果、最後にもたらされたものであり、事故の発端ではない。

C の 圧力隔壁が破壊し、噴出した空気によって垂直尾翼と尾部が破壊したとするこの「圧力隔壁主犯説」は、
JA 8119 号機の事故を修理ミスによる特異な事例として 処理し B-747 型機のフェール・セーフ が問われる
ことを避けたアメリカ 主導のシナリオであり、急減圧は その プロローグ なのである。

上に述べたように後部圧力隔壁から漏れ出した空気が垂直尾翼内に溜り、その圧力によって垂直尾翼の内部のリベ
ットが破壊し、垂直尾翼の外板が開口し剥離破壊;ピール破壊A の垂直尾翼の「一次破壊 」発生した。
(つまり B 747 型機の垂直尾翼はフエール・セーフではなかったのである) 
B尾部胴体の脱落 は上記 A の破壊によって落下した方向舵が胴体頂上に衝突して発生した 「二次破壊」である。
C後部圧力隔壁の破壊B 尾部胴体の脱落によってに発生した後部胴体内の急激な減圧が、圧力隔壁に対して
衝撃荷重として作用したために生じた
「三次破壊」である。

この隔壁の破壊は、修理ミス部(長さ 97.7 cm) だけの小規模なものであり、客室の急減圧は発生しなかった。

これらのことは
4 章の 2-E, F, G 項に詳しく述べる通りであり、また 5 章の「圧力隔壁の破断と客室与圧低下
の真相」
によっても明らかなことである。





1-2. 事故調が主張する後部圧力隔壁の破壊


 報告書は後部圧力隔壁の破壊について報告書 125 頁の結論の部で
 異常事態の概要として以下のように述べている。


4.1.6 異常事態の概要

    事故機に発生した異常事態の状況は、以下のようなものであったと考えられる。

4.1.6.1 18 時 24 分 35 秒ごろ、同機が 24.000フィートまで上昇した際に、与圧されていた客室圧力と
    外気圧との差が 8.66 PSI となった。 後部圧力隔壁の L-18 接続部のベイ 2 の部分は疲労亀裂の
    進展により残留強度が著しく低下していたので、その差圧に耐えられず破断し、これを契機として
     L-18 接続部は一気に全面破断したものと推定される。  
この章の 1-1 に戻る
    
その後、破断は隔壁中央部においてはコレクタ・リングに沿って上向きに進み、さらに R-6
    スティフナー及び L-2 スティフナーに沿って上方に進行したものと考えられる。
    一方、隔壁外周部においては、破断は Y コードに沿って上方に進んだものと考えられる。

4.1.6.2 
このように破断が進行した結果、後部圧力隔壁の上半分のウエブの一部が客室与圧空気圧によって
     後方に吹き上げられ開口した。開口面積は 2〜3 平方メートル程度と推定される。

     この章の 1-3-B に戻る       5 章のまとめに戻る




 
1-3   急減圧が発生していなかった証拠
    (後部圧力隔壁が全面的に破断しなかった証拠)


A.  生存者の証言    「初めに」の文中 G 項に戻る

 事故調は普通、生存者や目撃者の証言を重視するものである。 しかし、今回の事故調は生存者の証言を採用
しなかった。 それどころか生存者の証言とはまったく逆の結論を出した。
 事故発生当時の客室内の状況と減圧について日航のアシスタント・パーサーで重傷を負われながらも生還し
た落合さんは次のように述べている。    
   
 「・・そろそろ水平飛行にうつるのかなというとき、「パーン」という、かなり大きな音がしました。テレ
ビ・ドラマなどで、ピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」(Bahn) ではなくて、高めの
「パーン」(Pahn) です。急減圧がなくとも、耳を押えたくなるような、すごく響く音、前ぶれのような異状は、
まったく何も感じませんでした。音は、私の席のちょっと後の天井のあたりからしたように感じましたが、そこ
だけではなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、震動はまったく感じ
ませんでした。機体も揺れなかった。お客様からは、「うわっ」という声がした。女の人だと、「きゃっ」とい
う、一瞬、喉に詰まったような声。 騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありませんでした。 
耳は、痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。
しかし、それも直ぐに直りました。」  (吉岡 忍 著「墜落の夏」新潮社 より)

 というように「パーン」(Pahn) という大きな音がしてエレベーターに乗ったときに感じる程度の軽い減圧が
あり、耳がツンと詰まったが、「それも直ぐに直りました」と証言している。  (この頁の下に戻る)
なを、ここでは詳しく触れないが、落合さんの証言した「パーン」という音が、報告書では「ドーンというよう
な音」となっている。

 報告書がいうように、圧力隔壁が一気に破断し 2〜3 平方メートル開口し、客室内の空気が 5 秒間で全部抜け
きってしまい、飛行中の 24000 フィート(7315 メートル) 上空の気圧と同じになったとしたら、その減圧は人体
に対して極めて深刻な状況をもたらし、とても落合さんが証言したような「耳は、痛くなるほどではなく、ツンと
詰まった感じ」などという悠長な状況ではあり得ない。 (1-3-B に戻る) 
高度 24000 フィート (7315 メートル) の上空では気圧が地上の 39 % 程度になり、このような急激な減圧を受
けた場合、人体には、耳だけではなく、鼻(副鼻空の空気の膨張による出血(鼻血)と激痛)、呼吸器系(息が詰
まる感じ 及び激しい咳)、消化器系(腸内のガスが膨張し、おならとなるが、場合によっては、激しい腹痛を感じ
る)、循環器系(血液中に解けている空気が気泡となり血栓を作る)、循環器系の異常に伴う中枢神経の異常(意
識障害 等)等の症状が起こる。 これらのことは医学の常識であり、私達の常識にも叶うものです。

 また、隔壁が 2〜3 平方メートル開口したとしたら、後方のトイレットが風圧によって圧力隔壁の後方に吹
き飛ばされ、与圧された空気が強い風となって機内を前から後に吹き抜け、客室内を仕切る化粧板が風圧によ
って倒壊し、あたりの物が宙に飛び散り、それらが突風を伴って前から後ろに吹き飛ばされ、客室内の温度が
マイナス 40 度に低下し、機内は騒然となり、パニック状態に陥ることが予想される。
 しかし、落合さんの証言によれば(前出のように)客室内の減圧の程度も「耳は、痛くなるほどではなく、
ツンと詰まった感じでした。 ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。 しかし、それも直ぐにな
おりました 。」 また、客室内の状況についても「騒がしくなるとか、悲鳴があがるということはありません
でした。」、
(後出のように)「マスクのつけ方は、となり同士教えあって、あんがいスムーズにつけてい
ました。」 「白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。」と云うように
 
 
急減圧があった場合、必ず発生する乗客に苦痛や嫌悪感をもたらす障害なども発生しておらず、突風も吹か
ず、物も飛散せず、客室内の温度が低下することもなく、機内は落ち着いた状況であったと推測出来る。
 また、遺書を残された方があったが、異常な飛行に対する恐怖を書いてはいるが、肉体的苦痛や客室内の混
乱が推測される記述はない。
 これらのことは JA 8119 号機においては急減圧など発生していなかったことを示している。

 日本航空123 便事故から約一年後の1986 年10 月 26 日、タイ航空のエアバス A300-600R 型機が高度
  33000 フィートで土佐湾上空を飛行中、同じように後部圧力隔壁が損壊し、急減圧(機圧高度計 (Cabin
Alt Ind) で 9 秒間に 5600 フィートから 20000 フィートまで減圧)が発生し、大阪空港に緊急着陸した。
 この時、
タイ航空機の機内で起こったことと JA 8119 号機の上記のような状況を対比してみると JA 8119
号機においては急減圧など発生していなかったことが明白である。
 タイ航空機の事故を体験した乗員と乗客達が着陸直後空港でインタビユーに応じ、その興奮覚めやらぬ模様
がテレビで放映された。 その時、タイ航空機の乗員、乗客達が答えた内容はおおよそ以下のようなものであ
った。 操縦室では、乗員が「ビッグ・ラウド・ノイズ」と「インジケーターズ」により急減圧の発生を確認
し、13000 フィートまで緊急降下を実施し、空港への緊急着陸を要請した。
 客室では、最後部のトイレットの化粧台が倒壊し、圧力隔壁の後方に吹き飛ばされ、与圧された客室内の空
気が強い風となって機内を前から後ろに吹き抜け、人が宙にまい上がり、物が飛び散った。客室内は一時パニ
ック状態に陥った。
 この急減圧によりほとんどの人が一時的に聴力を失い、多くの人が航空性中耳炎になった。

 この時のタイ航空機の客室予圧の減圧率は約 96000 フィート/分であり、123 便の減圧率は報告書によれ
ばタイ航空機の場合の約 3 倍の 280000 フィート/分である。  
(報告書 95 頁)
 タイ航空機の 3 倍の急減圧を受けながら123 便においてはタイ航空機に見られたような現象は何ひとつ発生
していないのである。
 つまり、123 便においては急減圧など発生していなかったのである。
 


B.  ボイス・レコーダーに減圧を示す記録がなにも無い


 事故調が上に示した報告書 4.1.6.1 と 2 に述べるように「後部圧力隔壁 L-18 接続部が一気に全面的に
破断し 2〜3 平方メートル開口した」場合、機内においては必然的に 1-3-A のように客室与圧の急減圧
発生する。 急減圧が発生した場合、操縦室の乗員は先ず、何をおいても「デイコンプレッション!」と大声
で叫び、酸素マスクをつける。 しかし、スクリプト(ボイス・レコーダーの音声記録を文字や記号にした
もの)に「デイコンプレッション」または、減圧を意味する記述が見あたらない。
 また、その後テレビ 等を通して明らかにされたコックッピト・ボイス・レコーダーにも急減圧が発生した
ことを推測出来るようなものはタイ航空の乗員がいう「ビッグ・ラウド・ノイズ」を含めてなにもない。
 (ノイズ とは、衝撃的、一時的な音ではなく、ゴオッーという空気の流れるような連続音である)
 つまり、123 便においては急減圧など発生していなかったのである。


C.  事故発生後、乗員達は酸素マスクを着用していなかった

 急減圧が発生したならば乗員は先ず何をおいても自分達が酸素不足に陥り失神するのを防ぐために酸素マス
クを着用する。(客室では酸素マスクが落下し、緊急アナウンスが開始する)
 そして、乗員達は十分な酸素を吸い冷静な判断力をもって乗客の安全を考え行動する。
 これは旅客機のパイロットが訓練によって培われた、自らの身を守るための本能的行動である。
 事故発生から 46 秒後の 6 時 25 分 21 秒 機長は「アー・トーキョー」ではじまる緊急事態の発生を知ら
せる最初の無線通信を東京管制部 (ACC) に送信した。 しかし、東京管制部の交信記録によればこのときの
機長の声は酸素マスクのマイクを通したものではなく、明らかに通常のマイクを通したものである。 また、
この声がコックピットボイスレコーダー (CVR) のエリアマイクに録音されていることからも乗員が酸素
マスクを着用していなかったことは明らかである。
 また、 スクリプト(ボイス・レコーダーの記録)によれば事故発生から 9 分 11 秒後の 6 時 33 分 46 秒
に「我々もマスクかけますか?」と言う航空機関士( F/E) の問いかけに対し、機長が「はい」と答え、副操
縦士が「かけたほうがいいです」と、ともどもに答えている。
 これらの事実は事故発生後、乗員達は全員が酸素マスクを着用していなかったことを示すものである。
 ところが事故調は、乗員が酸素マスクをつけていなかったことを認めたうえで、それを逆手にとって、「乗
務員の判断力及び操作能力は低酸素症によって低下していた」と、このことが事故と関連があるかのように乗員
を非難した。 それでは一体何故乗員が酸素マスクをつけなかったという疑問に対し、「その理由を明らかにす
ることは出来なかった」という一言で片付けている。   (報告書 115 頁)


 この、事故調も認めている乗員達が酸素マスクを着用していなかったという事実は、乗員達が操縦室におい
て感じた減圧の程度が、前の A 項における落合さんの証言のように「エレベーターに乗ったときのよう」なも
のであり、また、 E 項で述べるように客室高度警報音が鳴らなかったこともあり、乗員は全員、急減圧が発生
したという認識を持っていなかったのである。
 つまり、JA 8119 号機では急減圧など発生していなかったのである。


       (1987 年 8 月16 日 TBS 放映「ATC 交信記録」)(ATC・航空交通管制) 
              


D.  事故発生後、JA 8119 号機は13000 フィートまでの緊急降下をしなかった


 Fig 1-1. スクリプト(CVR の記録 を紙に書いたもの)( 報告書 312 頁)

(スクリプト)   元に戻る

 
 6 時 25 分 21 秒 機長は「アー・トーキョー」ではじまる緊急事態の
発生を知らせる最初の無線通信を東京管制部に送信した。 その際機長
は、急減圧が発生したことを報告せず、急減圧が発生した場合、乗客の
生命に係わる最重要な操作である13000 フィートまでの緊急降下も求
めず、単に、2000 フィートだけ降下して 22000 フィートの高度で
羽田空港に帰還することを求めている。
 このことは、JA 8119 号機の乗員達が前の C 項で述べたと同じ理由
で急減圧が発生したという認識を全乗員が持っていなかったことを示し
ている。








E. 事故発生後、鳴ったとされる客室高度警報音は実は鳴っていなかった


 事故発生 2 秒後の 6 時 24 分 37 秒に一度 1 秒間だけ客室高度警報音が鳴り、ひとりでに止まったという
のも不思議な話であるが、29 秒後の 6 時 25 分 04 秒に再び鳴りだし、高度が下がり、警報音が止まる 6 時
47 分 28 秒迄、22 分間以上にわたって鳴り響いていたとスクリプトに記録されている客室高度警報音が 6 時
25 分 21 秒 機長の「アー・トーキョー」ではじまる緊急事態の発生を知らせた第一声を受信した東京管制所
(ACC) の交信記録テープには録音れていない。 また その後何度か行われた交信においてもこの警報音は録音
されていない。 (1987 年 8 月16 日 TBS 放映「ATC 交信記録」)

 この客室高度警報音は離陸警報音と兼用されており、離陸時の大きな騒音にも負けづに乗員に緊急事態の発
生を知らせる為に、85〜95 デシベルの大音量で「ブオーッ・ブオーッ」と、操縦室中に鳴り響く間欠音であ
り、不快感を伴うように人工的につくられた倍音を含まない 200〜280 ヘルツの合成複合音である。
 冒頭の『はじめに』に示した 6 時 24 分 37 秒に一度 、1 秒間だけ鳴ったとされる時刻を含むスクリプト
を見ても乗員は誰一人としてこの客室高度警報音について発言していない。
 また上に示した、再び鳴り出したと記録されている 25 分 04 秒を含むスクリプトにおいても同様に誰もこ
の警報音について発言していない。
 しかし、それは不自然である。 操縦室の乗員達は事故が発生した直後から自機に何が起きたのかを知ろう
と懸命に行動しており
、さらに機長は 24 分 39 秒と59 秒の二回にわたり『なんか爆発したぞ』『なんか
爆発したよ』と云い、しかも、事故発生直後にスコーク 77 を発信し、自機に緊急事態が起きたことを宣言し
ている。 このような状況にある乗員達が、最も緊急度の高い 85〜95 デシベルで「ブオーッ・ブオーッ」と
鳴りだした強烈な客室高度警報音を無視するわけがない。 また、乗員達がこの警報音が鳴っているのをを
無視し、さらに鳴りつづけていたとすれば(スクリプトにはそのように記録されている)操縦室における乗員
達の会話は この 85〜95 デシベルの警報音にかき消されて成立しなかったであろう。

 この警報音は一度鳴りだしたら止まらない。それを止めるのには二つの方法がある。その一つは客室高度が
10000 フィート以下の高度に相当する圧力に客室内の圧力が上昇すること、もう一つは航空機関士パネル
(F/E パネル)にある『客室高度警報音停止スイッチ』を押し、強制的に止めることである。 その二つ以外
に手段は無い。 しかし、機長が緊急事態の発生を東京管制部に通報した 6 時 25 分 21 秒 頃、JA 8119 号
機は高度約 24000 フィートを飛行しており、客室高度が 警報音が止まる10000 フィート以下の高度に相当
する圧力に上昇することはあり得ない。
 また、客室高度警報音の作動を認識していなかった乗員が停止スイッチで警報音を切った筈もない。 

 にもかかわらず、東京管制部の交信記録テープにはこの客室高度警報音が録音されていない。
 ということは、JA 8119 号機においては急減圧など発生しておらず、客室高度警報など最初から作動して
いなかったのである。

 客室高度警報音は事故調が自分の都合のいいように急減圧を作り上げるためにスクリプトに書き加えたもの
 である。

 また、2000 年の 8 月に民放各局で公開された事故機の CVR (コックピット・ボイス・レコーダー)の中
で鳴っている客室高度警報音らしき ビイー ビイー という音は B 747 型機の「ブオーッ・ブオーッ」という
客室高度警報音とは似ても似つかない偽物である。 このことは、日常業務でこの警報音をよく知っている人、
例えば この警報装置の整備を行っている人、B 747 の パイロット、または、音響学の技術者などが解析すれ
ば直ちに明らかになることです。

 公開された CVR の客室高度警報音が偽物であるということは CVR には客室高度警報音など最初から録音さ
れていなかったということである。

 
また、 この CVR が公開されることを十分承知しながら、わざわざ(意識的に)専門家なら一見(聴)して
解る「モドキ」を挿入していることはこの事故(事件)の奥深い 謎の一面を見せている。 このやりかたは、
武田 委員長の 「これで全てが終わたのではなく、この報告書をもとに、さまざまな討論、検討を加えて、
航空機の安全と事故の再発防止に役立ていただきたい」という最後のコメントと同じ
「善意」を感じる

 
事故調がスクリプトを客室高度警報音が鳴ったかのように改竄した目的は、次の F 項で述べるように非常用
酸素系統が誤って作動し、酸素マスクが落下し、それに伴ってプリレコーデット・アナウンスが作動したにもか
かわらず、これとは全く別の系統である客室高度警報装置が同じく急減圧によって作動することに着目し、あた
かも急減圧が発生し、減圧警報が鳴ったかのようにスクリプト(CVR の記録)に客室高度警報音を書き加えるこ
とによって、「ドーン」という音とともに後部圧力隔壁 L-18 接続部が損壊し、2〜3 平方メートル開口し、
これが本事故のひきがねになったという、事故調の「圧力隔壁主犯説」を構築することを目的にしたものである。
  
(客室高度警報音は事故調が勝手に書き加えたもの に戻る)

 なを、事故調が客室高度警報音が作動したとしている根拠は、報告書に「CVR の記録による」と記されてい
 るだけであり、それが事実であることを裏付けるものは何もない。  
 

 
  
F.  酸素マスクの落下とプリレコーデット・アナウンスの作動


 落合さんの証言によれば『「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきました。
ジャンボの場合、席の数プラス、エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三
つありました。それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクが、わんわんわんとバウンドするような感
じでした。ひっぱると、酸素が流れだして、口もとの袋がふくらむ。酸素が出てこないのもあったけれど、足
りないということはありませんでした。
 ただちに録音してあるアナウンスでただいま緊急降下中 酸素マスクをつけてくださいと日本語と英語で流れ
ました。マスクのつけ方はとなり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。』・・・ 中略
  
 「やはり「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前のほうが、うっ
すらとしか見えないほどです。 その霧のようなものは、数秒で消えました。 酸素マスクをして、ぱっと見
たときには、もうありませんでした。 白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。 すっと消え
たという感じだったのです。」・・・ 以下略 (前の A に戻る) (吉岡 忍 著「墜落の夏」新潮社 より)

  Fig 1-2.  誤作動をおこしたアネロイド 式
        構造の 酸素系統制御器

 酸素マスクは事故発生直後に落下した。
 落合さんの証言によれば落下した時期は「パーン」という
 音とほとんど同時であったということから、酸素マスクが落
 下した原因は下方ラダ−が胴体尾部の外板に衝突した衝撃
 と振動、または、後部圧力隔壁 L-18 のベイ 2 とベイ 3
 が第二ストッラプを含めて破断したことにより発生した衝撃
 と減圧またはそれらが相乗して(両者の時間差は 0.12 秒)
 Fig 1-2. の酸素系統制御器のゴム製のアネロイドが伸び
 アクチュエーション・バルブが押下げられて酸素が供給され、
 酸素マスクが落下したものと推定される。 アネロイド機構
 はその構造上の特性として、衝撃や急激な圧力の変動に対し
 ては作動が極端に不安定になることから、




 
通常 客室与圧が 14000 フィートまで低下すると作動する酸素系統制御器のアネロイド機構が、前述のような
理由で誤作動を起こし、酸素が供給されて酸素マスクが落下し、供給された酸素の圧力を受感して作動するプ
リ・レコーデット・アナウンスの作動スイッチがオンとなって PRA が開始されたものと推定される。
 

 報告書は本文でプリレコーデット・アナウンスが開始した時刻を 6 時 24 分 44 秒としながら(報告書 91
頁)、スクリプトに全く同じ 6 時 24 分 44 秒からプリレコーデット・アナウンスに優先するパーサーによる
機内放送が開始されたことにしている。 (報告書 113 頁)
 プリ・レコーデット・アナウンスは緊急事態が発生したことと、その緊急事態の内容と対処の方法を乗客に
知らせる大変重要なものである。 従ってその性質上、落着いた、威厳のある中年の男性の声で、しかも、あ
らゆる雑音から解放された明澄な音色で放送されるものである。
 客室乗務員として長年の経験を積んでいるアシスタント・パーサーの落合さんが、これをパーサーの通常の
送話器による機内放送と聞き違えることはないと考えられることから、事故発生後、最初に行われた機内放送
は報告書とは異なり落合さんの証言の通り、プリ・レコーデット・アナウンスであったと推定出来る。

 プリ・レコーデット・アナウンスが開始した時刻も、落合さんの証言によれば「「パーン」という音(6 時
24 分 35 秒)とほとんど同時に酸素マスクが落下し、その後「ただちに録音してあるアナウンスでただいま
緊急降下中 酸素マスクをつけてくださいと日本語と英語で流れました。」とあることから、報告書でいう 6
時 24 分 44 秒よりも早かったものと推定される。

 事故調は実際には起っていなかった急減圧を立証するために機内放送を利用した。 しかし、当然のことで
はあるがコックピット・ボイス・レコーダー(CVR)に録音されていたのはプリ・レコーデット・アナウンス
(PRA) であり、その開始時刻も上記のように酸素系統制御器が誤って作動したために、事故調が計算で求めた
時刻 6 時 24 分 44 秒よりも早かった。 事故調は、この事実を隠すために、最初に行われた機内放送を、パ
ーサーよる機内放送であったと書き直し、開始した時刻を遅らせた。
 
 ここでも、 JA 8119 号機においては急減圧など起っていなかったこと、事故調が実際には起っていなか
った急減圧を立証するために、スクリプトを改竄したことが明白であ
る。



G.  白い霧の発生


 事故調は、数々の落合さんの証言をすべて無視しながら、この白い霧が発生したという部分を採りあげ、隔
壁が破壊し急減圧が発生したという自らの主張を築く土台にした。このようなやりかたを 山口 真弘 氏はその
著書「航空事故調査制度と運用 」によって「事故の原因、あるいは認定されるべき事実について、ある予断を
持ち、その予断の筋書に適合するするように、資料を収集し、利用し、事実を設定するようなことは絶対にあ
ってはならない。」と戒めているのである。

 以下、事故調がどのように落合さんの証言を利用したのかを示す。

    付録 4 後部圧力隔壁からの与圧空気の
        流出の数値計算による検討

1. 検討事項


   
後部圧力隔壁の一部が損壊、開口し、与圧空気がそこを通って尾部胴体内に流出した場合に
   起こる現象と下記の事実の関係を検討する。

  (1)客室内の霧の発生 (口述による)
  (2)減圧警報 (CVR の記録による)
  (3)プリ・レコーデット・アナウンスの開始と酸素マスクの落下 (CVR の記録及び口述による)
  (4)垂直尾翼の破壊と APU 防火壁破壊 (残骸調査による)


 と「客室内の霧の発生」を検討事項の第一に挙げ明確に(生存者)の口述によるとしている。

 この白い霧の発生については、日乗連(日本乗員組合連絡会)が作成したパンフレット「急減圧はなかっ
た」が正確に反証しており、その部分を引用させていただく。
 霧は気温がそのときの気圧の下で露点温度以下に低下したときに発生する。 従って、霧の発生は事故当時
の機内の湿度と、気温の低下が重要な要因となる。
 1991 年 9 月12 日に日本航空のボーイング 747-400 型機が、試験飛行中に与圧調整装置の異常から、ア
ウトフロー・バルブ(客室空気の排出口・この開閉により機内の圧力を調整している)が突然開き、減圧が発
生した。フライトレコーダーを解析した結果、9000 フィート/分 程の減圧が確認された。このときも機内に
白い霧が発生した。この事例は、試験飛行中の出来事であり、機内には塔乗者も少なく、湿度は低く、満席
で、真夏の積乱雲の多い気象条件の123 便に比べて、霧は発生しにくい条件であったと推定される。

 事故調は123 便の減圧の程度を280000 フィート/分と推定している。 (報告書 95 頁)
 しかし、霧はそれほど大きな減圧ではなく、9000 フィート/分 程度でも発生する。
 従って、123 便において発生した霧は、多少の減圧があった根拠にはなり得ても、事故調が推定したような
激しい 280000 フィート/分の急減圧があったことを確定する証拠にはなり得ない。


H.  キャビンプレッシャー・アウトフロー・コントロール・バルブ作動器の隠匿

  Fig 1-3.  Cabin Pressure Outflow
        Control Valve Actuator 

 事故発生当初に急減圧が発生していなかったとす
ると JA 8119 号機の客室与圧系統は通常どうり作
動し、墜落するまで客室は通常どうりに与圧されて
いたものと推定される。
 報告書は 27 点の部品についてそれらを分解し、
それぞれの作動状況を確認し、報告書に載せてる。
 しかし、なぜか墜落当時の客室与圧の状態を知る
上で最も重要な部品である左の図 Fig 1-3 の客室
与圧排出弁作動器(キャビンプレッシャ−・アウト
フロ−・コントロ−ル・バルブ・アクチュエータ
ー)についてはその存在すら触れられていない。
 
この作動器は胴体の後方下部に取り付けられてお
り、胴体の部分は現場で回収されており、左の図に
見るとうり鉄の塊であるこの作動器だけが、装備さ
れていた 2 個とも回収されなかったとは考えられな
い。
 この作動器と排出弁を連結しているレバー・アー
ムの位置を調べれば樹木と接触した時の客室与圧の
状態を正確に知ることが出来る。 もし与圧系統が通常どうり作動していたとしたら、第一接触地点(一本か
ら松)の標高は 5069 フィ−ト (1545 メ−トル)であり、この高度においては JA 8119 号機には最大客室
与圧の 28 % 、大気との差圧 2.4 PSI の客室与圧があった。 したがって作動機のアームの位置も 2 個とも
全閉位置 (Full Close) ではあり得ない。 (全閉 (Full Close) 位置は客室に与圧がない状態である)
 なお、航空機関士用計器盤(F/E パネル)の客室与圧排出弁作動器の位置を示す計器のうち一個は 25 % 開
の位置を指示していた。 (もう一方の計器については報告書にふれられていない)
この二つの計器のうち一個でも開の位置を指示していたということは、エンジンと空気加給器(Air Cycle
Machine)は健全に作動しており、それに見合う排出すべき圧力が客室内にあったということの証明である。

 つまり、JA 8119 号機には急減圧など発生しておらず、与圧系統は通常どうり作動していたのである。   
 事故調はこの事実を隠すため、その直接的証拠となるキャビンプレッシャー・アウトフロー・コントロー
 ル・バルブ・アクチュエーターを隠匿したのである。




I.  事故発生当時、相模湾付近で収集され物のなかに、圧力隔壁の破壊を示す
  物はなに一つ無い


 報告書は下に示す図と表を明らかにした、(報告書 156 頁)しかし、この表のなかに後部圧力隔壁の損壊
を示す証拠となる客室内の物はなに一つ無い。
 胴体の内側と圧力隔壁の内側には全面にわたってブランケット(幅 50 Cm 長さ 3〜4 メートルのグラス.
ウールを袋につめた断熱・防音材)が張りつめられている。

 後部圧力隔壁が損壊して 2〜3 平方メートル開口したとすれば、当然このブランケットが空気とともに大量
に放出された筈である、ブランケットは消防服のようなもので水にも浮く。 しかしこのブランケットが一枚
も収集されていない。 (海上からだけではなく、後部胴体内からさえ素材であるグラス.ウールはあるもの
のブランケットは無い)
 また最後部トイレットは後部圧力隔壁と接している、当然トイレットの化粧板などが吹き出された筈であ
る。(タイ航空機の場合は最後部のトイレットの化粧台が倒壊し隔壁の後方に飛び散った)これらについても
一片も収集されない。
 このほかにも隔壁の内側に取り付けられていた部品はなに一つ収集されていない。

 
以上のことがらは急減圧が発生したというのは事実ではなく、事故の発端となったとされる後部圧力隔壁
が損壊して 2〜3 平方メートル開口したというのもまた事故調の創作であることが明らかである。
 
(後部圧力隔壁の損壊については 5 章の 4 と 5 項 において詳述する)


   Fig 1-4. 相模湾で発見、収集された浮遊 残骸物



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