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| ジュマの歴史(2) |
和平協定はジュマ民族の権利を認めているか?
20年以上に渡ってCHTに吹き荒れていたジュマ民族への弾圧や抑圧は、97年の和平協定締結によって改善されたのであろうか? 残念ながら手放しでは喜べない現実があるようだ。
締結された和平協定では、地域評議会(Regional Council)という、先住民族を中心とする新しい自治組織が作られることになり、先住民族の一定の自治権が認められたほか、先住民族を大臣とするCHT省という新しい省庁が作られた。
最大の土地問題についても、ベンガル人入植者による先住民族の土地収奪問題の解決を図るために土地委員会が設けられ、CHTに点在する治安軍の一時的なキャンプがCHT内の六つの兵営に段階的に撤収されることにもなった。
しかし、当初からJSSが要求していた立法府を有する州としての自治権、国境保安軍以外の全ての治安軍及びベンガル人入植者の撤退、ジュマ民族の権利に関する憲法上の規定などは認められなかった。何より、和平協定で定められた範囲内の治安軍の段階的撤収も一向に行われておらず、ジュマ民族への土地の返還なども行われていない。
こうした状況下、CHTでは丘陵人民会議、丘陵学生会議、丘陵女性連盟が統一民主人民戦線(UPDF)を結成して、より実効性ある自治権の獲得を目指して運動を継続しているが、バングラデシュ政府や軍による彼らに対する弾圧は日常的に行われている。
経済的に困窮しているバングラデシュにおいて、その困窮からの脱却を目指して丘陵地帯への入植を進めようとするベンガル人と、自らの文化的・民族的アイデンティを守り、先住民族としての権利を主張するジュマ民族との対立は、一朝一夕に解決できるものではないのかも知れない。とりわけ、土地問題という経済的利害対立が根底にある以上、バングラデシュという国そのものが抱える貧困問題が解決されない限り、両者にとって満足のいくような解決はそう簡単ではないだろう。
CHT問題の解決が非常に大きな困難を伴う道だとしても、軍事的な対立のエスカレート、ジェノサイドとも呼ぶべき少数民族への弾圧などを再び激化させてはならないことは確かだ。そのためには当事者の粘り強い話し合いに期待するしかないが、そのプロセスを保障するためにも、国際世論の厳しい監視が不可欠だ。
とりわけ、既に述べたように日本はバングラデシュへの最大の援助国だが、1992年に起きたロガンの大虐殺の時にも日本政府はほとんど問題にしようともしなかった。軍事政権や人権抑圧を行っている国にはODA援助を行わないなどというのはただのお題目にしかすぎなくなっている。
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