「樋田さん、もう少ししたら列車が来ますよ!」
 勇一は中古の一眼デジカメをカメラバックから取り出しながら樋田に言う。
「お昼ご飯食べないの?」
 もう中年になる樋田は、まだ中学生の勇一の元気に押されっぱなしである。
「せっかくよねでん線まで来たんだから、一杯写真撮りたいんでしょうね。我々が住んでいる神奈川からはちょっと遠いですし」
 樋田とほとんど年の変わらない勇一の父、市ノ瀬透が勇一の頭に手を置き、頭をクシャクシャにする。
「もう、お父さんも。僕も今じゃもう大人料金なんだから」
「まだ子供だよ。ところで樋田さん、この小倉嵐山駅前にスパゲッティの美味しい喫茶店があるんです。鉄道マニア仲間でよねでん線を撮るときの昼食はここって決めてるんですけど」
「いいですね。行きましょう」
「でももうすぐレアな譲渡車が来るんですよ」
「よし勇一、それ撮ったらお昼ご飯だ」
「うん!」
 電車がやってきた。
 古めかしい茶色とクリーム色の電車がごろごろと併用軌道に出てくる。



 屋根上のPS13パンタグラフ、床下のイコライザ付きの古めかしい台車、そして運転士と、その隣で『前展望』を楽しむ乗客の子供と、その親らしき大人の明るい顔。
 鉄道マニアの北急電鉄鉄道員・市ノ瀬透とその子供の撮り鐵の勇一、そして鉄道マニアになったばかりのの北急電鉄社長・樋田は、併用軌道を通過する電車にシャッターを切った。
 電車は去っていった。
 通過待ちをしていた車や郵便屋さんが動き出す。
「よおし、昼ご飯だ!」



 食後、一駅だけよねでん線に乗ろうと言う話になった。
 コーヒーで一服し、表に出る。
「あれ?」
 樋田が踏切の向こうの和服の女性に気づいた。
「知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、小倉嵐山の観光開発のパーティーでご一緒したよねでんホールディングスの社長夫人だよ」
 女性が気づいた。
「あら、樋田さん!」
 そのとき、踏切を電車が通りかかった。



 電車が過ぎた後、遮断機が上がり、奥さんがやってきた。
「樋田さんも電車の撮影ですか? そうね、じゃあせっかくお越しなんだから、電車区でも見学なさったら?」
「いいんですか?」
「今は輸送機関の安全確保って国交省がやかましいけれど、でも樋田さんたちなら問題はないでしょう。さあ、参りましょう」



 電車区に行くと、休憩中の女性車掌さんが冷蔵庫からアイスクリームを持って来て、市ノ瀬の息子、勇一に食べさせてくれた。
「今日は暑いですね」
「ええ。漁港のほうはご覧になりました?」
「はい。でも、この小倉嵐山に救難飛行艇があるんですね」
「ええ。映画の撮影に必要とか何とかだったんですけど、結局みんなで維持してますね。朝いらっしゃれば漁港も人がいるんですけど、今はみんな寝てますよ。漁港は朝が早いですから」
「あ、そうだ、旅館に今朝入ったお魚があるはずね。みなさん今日のご予定は?」
「いや、息子は夏休みですし、私も明けできて明日は公休ですし」
「樋田さんは?」
「そうですね、今夜の乗り入れ特急で帰るつもりだったんですけど、せっかくだし、秘書課に連絡して時間あけますよ。明日の朝帰っても問題ないはずです。仕事はこれに持って来てますし」
 と樋田はノートPCを見せた。
「お仕事熱心ですのね」
「この鉄道趣味も、仕事の一環と思ってますから」
「じゃあ、今日の帰りの乗り入れ特急の特急券キャンセルしなくちゃいけないですね」
 よねでん線は淡急線とつながっていて、小倉志井まで特急電車が乗り入れてくる。
 急カーブの多いよねでん線にあわせ、いつも淡急の連接方式の特急が入って来るのだ。
「勇一君、キャンセルしていい?」
 樋田は聞いてみるように聞いてきた。
「特急ってアレでしょ」
「ところが、僕もちょっと調べてビックリしてね。この切符見て、気づかない?」
「あれ、11号車まである切符だ」
「なんだと思う? 僕も気づいてびっくりしたけど」


 入ってきた列車を見て、勇一はビックリしていた。
「HiSE!」
「そう。PCで乗り入れ特急の切符を予約するとき、VSEだったら10両なのに、なぜか11両になってたんで調べたんだ。HiSEはもうすぐ引退だけど、時々運用の都合でVSEの代走をすることがあるらしいんだ。このHiSEの前展望の切符、君の分も買ってたんだけど、どうする? キャンセルするかい?」
 勇一は考え込んだ。
 
 そのとき、小さな女の子連れの一家が、やってきたHiSEをのぞき込んでいた。
「今度また来たとき、これに乗りたいね」
「この前の席に乗ったら面白いだろうね」
 勇一の表情に、樋田も察した。
 そして、その一家に声をかけた。
「あの、この切符キャンセルするんですけど、都合で乗れなくなったので、よろしかったらお譲りしますよ、前展望4席分」
 
 小倉志井の駅で、HiSEがミュージックホーンを鳴らした。
 発車するのだ。
 女の子は浮き立つ気持ちが押さえきれないようだった。
 アテンダントさんから買ったお菓子を食べるのにも気がいかないように、展望席から見える小倉志井の風景に目を見張っている。
 勇一はそれを見て、カメラを向け、一枚撮ると、はにかみながら手を振る。
 女の子がぶんぶんと大きく手を振り返す。
 そして、ご婦人がそれを踏切から見送っている。
 
 出発信号が青になった。
 HiSEは、リズミカルな連接車のジョイント音を残して、走り去っていった。







 小倉嵐山の駅裏に、温泉旅館がある。
 みなで先にお風呂に入った。
「夏のお風呂は気持ちいいですね」
「そうですね」
 樋田と市ノ瀬、そしてその子である勇一は、風呂を浴びた。
「お父さん、お湯が熱いよ。お水入れていい?」
「だめだよ、これからお風呂に入る人がぬるくなっちゃうでしょ。ちょっと我慢しなきゃ。大人なんだろ。な?」
「うん!」
「じゃあ、50数えてあがろうか」

 部屋に運ばれてきた料理は絶品だった。
「板さんがんばってくれちゃって」
 奥さんと一緒に食べる。
 お造りも天ぷらも、活きの良い魚としゃきしゃきした野菜で新鮮だった。
「おいしいね」
「勇一君はもっとご飯盛ってもらったら?」
「うん!」

 そし、仲居さんが食事を片づけ、お布団を敷いてくれた。
「勇一、先に寝てなさい」
「うん」

 市ノ瀬と樋田が、窓際の椅子で話をしている。
 株の上場廃止、経営改善、リストラ。
 銀行とファンドグループによる資金回収。
 勇一は眠ったフリをしながら、分からない単語が飛び出す二人の話に聞き入っていた。


 北急線の経営危機の話だ、と勇一は分かっていた。
 樋田さんがその経営危機の解決、さらには鉄道の大リストラ、究極的には廃止まで考えていること。
 そして、お父さんの市ノ瀬が、運転士ながら労働組合の幹部として対立していること。
 
 ぼく、運転士になりたい。
 でも、だめなのかな。
 お父さんの運転する北急を運転したい。
 その北急に、お金がないって言ってた。
 北急が、危機だという。
 だめなのかな。
 
 そのときだった。
 金色の光がはじけた。
 あ!
 この座っている椅子は、オレンジ色のモケット。
 目の前には速度計と空気圧計、多機能モニタを備えたコンソール。
 手にしているのは、マスターコントローラー。

 電車の運転席!


 運転できるの?
 手を握ってみる。
 握れる。
 マスコンを握ってみる。
 おぼつかない感覚だが、握っている感触がかすかにある。
 マスコンを動かす。
 空気圧計が動く。
 すごい! 僕、運転席に乗ってる!
 目の前を見た。
 遙か彼方へのびる、霧の煙る線路。
 その線路の向こうに、金色の斜光線が差している。
 これは……もしかすると、未来?
 未来の僕から、何かが伝わってきているの?
 頭の中で、考えが浮かんでは消える。
 隣、助手席にお父さんがいる。
 ホームに、樋田さんがいる。
 本当のことなの?
 教えて! 未来の僕!
 未来……。



「勇一君、寝てるのに笑ってますね」
 樋田が微笑んだ。
「いい夢見ているんでしょう」
 市ノ瀬も笑う。
「こんな時代が、誰にもあったんですよね」
 樋田は切なくなったようだ。
「経営の現場に立つと、いつも思うんです。
 この数字一つに、すべて夢があって、生活があったんだと。
 経営なんていやなものです。
 昔のように、ただ夢だけ見ていたかった」
「そうでもないですよ」
 市ノ瀬の言葉に、樋田は目を向けた。
「経営にもいっぱいあるじゃないですか。
 客単価だの株価時価総額だのばっかりの経営もあれば、血の通った経営もある。
 樋田さん、そうですよね」
 樋田は頷いた。
「経営者がこんなことで、と思うんですけど、時々、とてつもなく深く気が弱る」
「人間だからですよ」
 と市ノ瀬は言った。
「嬉しいですよ。いつも樋田さんは冷静そうだから、違う人種とばかり思ってました」
「同じですよ。私も所詮、まだ30代の男です。認識できる世界もまだまだ狭いし、既成のイメージに囚われてしまう。まだまだです」




 朝がやってきた。
「お父さん……」
「勇一、朝市行ってお魚買ってきた。今夜晩ご飯にお母さんに焼いてもらおう。美味しそうだぞ」
「お父さん、電車の夢を見たんだ」
 市ノ瀬は微笑んだ。
「世界はつながっている。過去とも、未来ともつながっている、生きているものなんだ。
 夢は、そのつながった未来と過去が現れるものなんだ」
 樋田は、片づけながら感心しているようだった。
「夢は、いつか、かなう」
 樋田も頷いた。
 勇一も、寝ぼけながら、頷いた。




 宿をチェックアウトし、帰宅することにした。
「朝市の漁師のかたのお話、面白かったですよ」
 樋田は小倉嵐山で電車を待つあいだ、話した。
「確かにこの小倉嵐山漁港で売らずに、鮮魚車で東京築地に持っていったほうが、この海の良い魚だからカネになる。築地でさばけば、料亭が何万という値段で売れる会席料理にしてくれる。
 でも、食べ物は、金で買えばいいってものじゃない。
 食べ物は、命だ。
 つないでいく命だ。
 『金は、万能じゃない』って」
「そうですか」
 市ノ瀬は微笑んだ。
「私の目標とする、『命を預かる経営』のヒントになった気がします」
 頭端式ホームには、次発の電車が、交換の電車を待っている。
「まもなく電車が参ります」
 アナウンスが鳴った。
「あら、樋田さんと市ノ瀬さん、今からお帰りですか?」
 あの車掌さんだった。
「ええ。楽しい1泊2日のショートトリップでした」
 樋田が微笑む。
「お稲荷さんもあるし、漁港の隣は砂浜ですよ。ご覧になられました?」
「いえ、まだ」
「またいらしてください。志井運転区の車掌・石田で連絡くだされば、私が車を出してご案内しますよ」
 そういいながら彼女は車掌台の設定を確認している。
 運行番号表示、方向幕表示を手早く確認し、ブザーを押す。
「今度はそうしますよ」
「ええ」
 運転台からの応答ブザーを確認し、彼女は微笑んだ。
「また今度」



 小さな旅は、終わった。
 こんな小さな私鉄の旅でも、勇一にとっては大きな経験だったようだ。

 北急電鉄の改革は、もうすぐ結果を示さねばならない。
 我々は結果を生きているのではない。
 我々は、終わりのない『途中』を生きているのだ。
 でも、世の中は結果結果と無責任に要求する。



 樋田は、写真を見ながら思った。

 いつの日か、本当に優しい世界を、作りたい。
 この地上には無理なのかも知れないが。

>end



■あとがき

 いやあ、死ぬかと思いました。
 まずレイアウトが部屋の大きさに対して中途半端に大きいのでカメラを持って入っていけないアングルが一杯。
 しかもカメラが接写にものすごく弱い。泣きたくなる。模型マニアなのに接写の弱いカメラなんて最悪。
 その上ライティングも、壁が白いのは良いけど結局デススター(大型電球)1つとと蛍光灯ランプ一つと最悪。
 ストーリーは何とかなったものの、写真はまったく満足できませんでした。

 で、唐突に北急線の社長と運転士とその息子のショートトリップという話ですが、北急線というのはオンラインで販売している鉄道経営建て直しもの小説の舞台なんです。
 つまり、その長編小説の外伝になっているのです。
 というわけで、ご興味のある方、本編のほうも、ちょっとごらんいただければ幸いです。
 クレジットカード払い・手数料税込み(ダウンロード販売のために送料無し)で300円で購入もできますので、よろしく。

 ぱぱのでんしゃ
 [http://princess072.web.infoseek.co.jp/papaden.htm]

 では。

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