2006年連載『3つのティーカップ』は、赤裸々ながら、それでいて心をそれぞれに傷ついた人々が互いを認め合い、そして紡いでいく信頼のストーリーです。
 中堅となりながら満足する仕事ができない加寿、それを支える志保、そしてそこにころがりこんだコンパニオン真弥。真弥を支える弁護士の丑丸、加寿と互いを信頼しあっている大学教授舛田。
 みな傷ついている。仕事、感情、希望、未来。それでもみんな生きている。
 米田淳一初挑戦の文芸ドラマがはじまります。




 帆浦加寿は小説家だった。といっているが、いまでも本当に小説家なのだ。
 が、当人は苦しんでいた。
 最後に名前を冠した小説を発表してから、もう小説家としての空白が二年目に入るからである。
 お金がないわけではなかった。妻がパートに出て、加寿の創作活動を支えていたし、加寿も名前がでないだけで、文章の仕事で稼いでいた。
 むしろ、どう売れるか分からない小説を書くことよりも、厳しい分刻みの締切で決まった量を書けば良い仕事のほうが金になるのだが、それが加寿のプライドをひどく傷つけていた。
 それが分かるからこそ、妻の志保は加寿を応援し、なだめ、なぐさめ、期待しているのだった。
 神奈川県県央部の住宅地のマンションに住んでいる夫婦である、帆浦家には、加寿が小説家という以外にもう一つ変わった点があった。
 それは、この家に、もう一人の娘でも兄弟でもない、いうなればもう一人の妻の役目をする女性がいることである。
 その名は高橋真綾。二十歳のナレーターコンパニオンである。

第1話 クリスマスのおかいもの




3人で過ごすクリスマス。
しかし、帆浦の家にはさらに人々が集まる。
暖かな聖夜、時間が静かにすぎていく。

第2話 春のシークレット

 確定申告の季節、帆浦家でも申告書作業が行われていた。
 そこで露見したとある数字。
 そして負けっ放しの加寿と志保により、麻綾に命が下る。
...浅い春
 小説家・帆浦加寿はまだ次の本を出せなかった。

 残念だが、仕方がない。
 彼は小説を書きたくて小説を書いたのではない。
 書きたい人々、書きたいアイディアを書きたくて、そのメディアとして小説を選んだのだった。
 今は書籍不況である。

 たしかに加寿も何度か、出版社との打ち合わせで、『ああ、これでは売れる本は作れないな』と思ったことがあった。
 単純に言えば、『メカが出てきて、萌えキャラが出てきて、そこそこ世界を広げずにきっちり終わらせて、読者の受けを待って次の本を出しましょうよ』と編集者に提案されたのだ。
 萌えは難しい。なにしろ萌えというものが何であるかを誰も定義していないからだ。
 加寿の知り合いの舛田教授の下で、学生が『萌えとは何か』で博士論文を書こうとしているぐらい難しい言葉なのだ。
 ところが、加寿にはその萌えとは、これなんだと思えるものがある。

「だよね」
「ええ」
 思わず妻の志保と納得してしまう。
 ここは加寿と志保の居宅の中古分譲マンションの一室である。
 その中で、夫婦とともに暮らすルームメイト、高橋麻綾が競泳水着でポーズを取っている。
「この水着でお尻のふくらみが四分割されるところとか、肋骨の裏側の曲線とか、良いね」
「ホント。眼福だわ」
 志保も感心している。
 ちょっとふっくらとしてきた志保だが、相も変わらずなんとも愛嬌のある居住まいで麻綾を眺めている。
 麻綾はイベントコンパニオンである。今日も新しい競泳水着の撮影があって、それを持ち帰ってきたのだ。
「良いね」
「そうね」
 夫婦二人は感心したあと、息を吐いた。
「さて、じゃあ麻綾ちゃん、先にお風呂入って」
「え、加寿さんと志保さんは」
「後で入るよ。まず、消えたデータを回復しないと」
 隣の仕事部屋はやや散らかっている。
 その散らかっている原因が、置かれた引き出し一杯の領収書の山である。
「まいったよ。やっぱりMacってシャッキントッシュだね」
「ごめんね、加寿君」
 夫婦はちらとリビングのiMacを見た。
「Mac標準添付のAppleWorksって今時500行までしか使えない表計算で、しかも作ったデータがいきなり消えるんだもんなあ。クラリスワークスの遺伝子を引き継ぐって言うけど、泥を塗るって感じだよね」
「そうね。加寿君が一山当てたらWindowsのパソコンにしたいわね。もうMacはこりごり」
 そして、その加寿の視線が税務署から送られてきた確定申告の申告書に向かう。
「今年も損失申告か」
 加寿がため息をついた。
「でも一昨年は黒字だったんだもの」
 志保がとりなす。
「あの、私も手伝いましょうか」
 麻綾が申し出る。
「いいの? 今日、ずっと立ちっぱなしだったんじゃない?]
「いえ、それは仕事で慣れてますから」
 加寿と志保は目を合わせた。
「いいですよ」

...領収書
「12月9日、ポストホビー、1580円」
 加寿が読み上げ、志保と麻綾がPCの表計算に入力する。
「さて、これでそろそろあがりだね。集計してみよう」
 仕分けは表計算で行う。印税暮らしは計算が単純なのだ。
「げげっ!」
 3人は数字にビックリした。
「ポストホビーにずいぶん貢いだなあ」
「そうね。加寿君の鉄道模型、私のピンキー、そして麻綾ちゃん用のグッズがこんなに」
「それも、ほとんどトミーテック製品だね」
 3人は目を合わせた。
 二〇〇五年末から二〇〇六年まで、トミーテックという会社が『街並みコレクション』『鉄道コレクション』と『鉄道むすめ』という模型を売り出した。
 これがツボだったのだ。街並みコレクションはNゲージサイズの建物で、鉄道コレクションはNゲージ用の小さな電車、そして鉄道むすめは鉄道会社の女性職員のフィギュアなのだ。
 それぞれ三〇〇円から四〇〇円のものなのだが、ブラインド販売と言って売っている箱の中身が分からないように売られているのだ。
「去年末のロマンスカー模型化乱発にもびっくりしたけど、やっぱり僕らの財布って狙われてるなあ」
 加寿が慨嘆するそのとき、麻綾が自分のトートバッグからなにやら紙を取り出した。
「あの、これ、やってみようと思うんですけど」
 その紙には、トミーテックのマークが入っていた。
「トミーテックの鉄道むすめシリーズ発売のイベントコンパニオンの募集」
 志保が読む。
「いや、まだ応募しようかどうか迷ってて。応募要項書いてFAXして、明日オーディションなんですけど」
 加寿と志保が、声を揃えた。
「麻綾ちゃん、トミーテックからお金を取り返してきて!」

 麻綾は競泳水着からパジャマ姿になった。
「さあ、オーディションの特訓だ!」
「特訓って、なんか少年マンガみたい」
 麻綾は笑う。
「いいの! まずNゲージの縮尺は?」
 加寿が出題する。
「えーと、1/150」
「じゃあ、新幹線は?」
「え、それは」
「新幹線は普通の電車よりレールの幅が広くて大きいから1/160」
 そういうオーディションなのかどうか分からないのだが、3人ともちょっと戯れに出題して遊ぶ。
「オーディションは明日なんだね。僕らは確定申告書出しに税務署行くんだ」
「じゃあ、朝送ってください」
「本厚木駅だね。いいよ」
 3人の手は領収書の整理に動いている。
「いやー、トミーテックにはいいように貢いだからねー。取り返さないと」
「でも、もしおちたらごめんなさい」
「ゆるさん」
 志保が即答する。
「えー」
 麻綾が眉を寄せて困った顔になる。
「冗談よ」
 志保は笑った。

「まず、よく眠って。睡眠不足は美容に悪い」
「はい」
 麻綾は志保と一緒に眠った。
 加寿が、例によって深夜まで原稿打ちを続けた。

...失意の帰宅
 先週のことだった。
 またしても原稿の売り込みが失敗した。
 毎回のことなのだが、町田の喫茶店の帰りの車の中はまるでお通夜だった。






第3話 夏、まぶしい季節


 夏、加寿は仕事に追われながら過ごす。
 それを麻綾が富士スピードウェイでのレースに誘う。
 はじめてのサーキットでの麻綾。
 だが、それはピットの控え室で起こった。



..収録
 東京・芝公園のスタジオでテレビの収録が行われていた。
 その番組のために、軽自動車サイズの電気自動車エリルとそのパワートレーン、そしてベテランカージャーナリストの福地、放送作家の帆浦、そしてキャパシタ開発に関わった女性の目白と、そのかつての同僚で主捨装置を開発した市川助教授がいる。

 帆浦は、週に何回か、こうやって収録に立ち会う。
 家が神奈川県厚木市の郊外なので、東京のスタジオに出るのはラクではない。
 日を決めて日帰り出張のように背広を用意し、同居するレースクイーンの麻綾とともに出かける。
 妻の志保が海老名まで送ってくれる。だいたい志保のパートのシフト休にあわせて東京での仕事を決めて出かけるのだ。
 帰りは電話で志保を呼び、海老名まで迎えに来てもらう。
 海老名からバスもあるのだが、バスは独特の疲れがある。
 軽自動車とはいえ自家用車を買っておいて良かったと思う。
 印税がどっさり入る時に現金で買った軽乗用車は、今ではローンのない自分のモノとして、志保と麻綾で出かけるときの楽しい仲間になってくれている。

 ディレクターが進行する。
「ではリハーサルの続きです。
 このキャパシタですが、1カメさんがここでインバータのアップの絵を撮って、2カメで市川先生のお顔にフェードでかぶせます。
 先生のお話は、まずキャパシタを使った電気自動車エリルのエンジンカーに対する優位性をお話しいただきます」
「今やるの?」
 市川はとまどった。
「まあ、キャパシタの特性はコントローラブルで、プログラム制御により集中的に出力を出す時には既存のエンジンカーにはないエネルギー効率を発揮します。
 その加速能力はポルシェやフェラーリの比ではありません。
 0−400メートルでは、数字としてもハイパワーマシンを遙かに凌駕する性能をこの軽自動車サイズのエリルは発揮します。
 エンジンカーと違い、スタートからトラクションは一杯にかけられるので、アクティブサスはスタートモードで一番柔らかい状態に変化し、その後に剛性を働かせ硬くなって走りを安定させます。
 重量はインホイールモーターとインバータによるエネルギー配分装置、そして主捨装置とキャパシタ程度で、他に重たいモノはありません。
 レース参加についても問題はないでしょう。
 いずれエンジンカーを駆逐してしまうかも知れません。
 そのレースの上で不安なのは、それが唯一どうしても重たいドライバーで」
 スタジオに笑いが起きる。
「ちょっとまった、こんな話先にやられたら勿体無いよ。この次行こうよ、次。こんな先にやられたらツライよ」
 司会の福地が笑いながら苛立つ。
 ディレクターは進行を続ける。
「ではキャパシタ開発のときの主捨装置の重要性について、とくに回生失効時のブレーキ失効の恐怖について、実際失効が発生したときにエアブレーキが案外有効であることをお話しして」
「ちょっと君」
 司会の福地がディレクターを止めた。
「さっきから聞いているけどさ、先生のお話を何で君がかってにやっちゃうの。面白い話は先生がなさる。それに生放送じゃないんだから、そんなのあとで編集でいくらでもできるでしょう、ねえ、帆浦君」
「おっしゃるとおりです。結局情報番組は旬が命でしょ。こういうところで大切なお話しをダシガラにするから、いつもリカバリ原稿でやることになるでしょ」
 加寿も続く。
「すいません」
 ディレクターは不満げながら頭を下げた。
「で、そこでリハーサルの続きですが、目白さん、キャパシタ用のインバータ制御プログラムで必要だった制御理論のベクトル理論についての解説をお願いします。
 ベクトル理論の解説は難しいとは承知しておりますが、過渡ベクトル理論とセンサレスモーター制御についての解説ですが」
「君!」
 福地がとがめた。
「皆その道のプロなんだし、第一この番組は収録じゃないか。そこまで段取り決めなくても面白い話はいくらでも出るよ。それにあとから編集も出来るしインサートもできるだろう」
「でも音声とカメラのチェックが」
「それは君たちスタッフの間で柔軟にできるように前もって何度も練習すれば良いんであって、このゲストさんたちをつきあわせる必要はない。
 君たちだけで満足するまでやりなさい。
 はいリハーサル終わり!」
 言われたディレクターは不満そうなのを隠した愛想笑いだったが、直後にそれが引きつっていたのを加寿は見逃さなかった。



第4話 秋の4人鍋








 秋、柏ナオキを加えての4人鍋を囲む帆浦一家。
 しかし、運命はすこしずつ、この暖かみにひびを入れ始める。
 北急鉄道展、東京モーターショー、麻綾は連戦を続ける。
 そして、加寿も戦っていた。


...夏の終わり、秋の朝
 加寿は朝、麻綾と志保を見送り、原稿打ちを始めた。
 
 実は、加寿には野望があった。
 小説を巡って出版社と喧嘩したが、それで出版社の編集にはずいぶん苛立たされた。
 
 デビュー作の編集さんはよかった。
 でも、そのあとのあと、つきあった編集には今でもはらわたが煮えくりかえる。
 その編集の会社には、内容証明を送った。
 それも野望の一環だった。
 
 一応業界の端くれだった。
 しかし、放送業界で便利テキスト屋として働きながら、小説という業界の異質性を感じていた。
 そのことはさておき、結局現状の出版業界には見切りとを付けても良いと思った。
 それでも、再上陸をしようという野望は残り火のようにある。
 
 印税と出版再販制、委託販売のことは今、クローズアップされている。
 10%の印税を出版部数*定価の総額からもらうのが出版界である。
 しかし、残りの90%のうち、また10%しか書店に入らない。
 残りの80%の中から、編集と出版社と印刷・製本業界、そして流通コストに消える。
 
 いつのまにか、そこにPOSシステムが入るようになった。
 チャンスを失った作家は、どうやっても挽回が出来なくなった。
 まるでそれはサラ金のブラックリストシステムのようなものだ。
 結局、多くの作家はそうするのだろう。
 腕を上げている最中にデビューする時代は終わった。
 世の中は完成品を求めている。
 
 その点で、加寿は自分が自分のデビューできた幸運を、そう受け止めながら、限界だと思った。
 加寿の小説の好みは、以前は推理小説だった。
 しかし、その前はSF小説だった。
『宇宙船の密航者』のようなSF設定にであったのは小学校のころだった。
 以来、SFが自分の書くべき世界のある領域だと思っていた。
 そして、デビューした。
 なかなかないアイディアだったが、それが加寿の人生を決めてしまった。
 そのアイディアを使い続ける限り、帆浦加寿は逃げようのない帆浦加寿という作家になった。
 
 加寿は、毎回落ち込むとわかっていながら、ウェブの検索エンジンに自分の名前を入れて検索する。
 毎回ひどく落ち込む。
 誹謗中傷、そして嫉妬の嵐だ。
 
 しかし、気づいた。
 賞の選考結果のページだった。

 選考通過者の中に、加寿の名前があった。
 でも、その賞はすでに大賞が決まっていた。

 そんなページがいくつもあった。
 
 初めての編集さんとの出会いを思い出した。
 
 まさに幸運だった。
 
 それは、良かったと思う。

 でも、物事には光と影がある。
 その幸運に嫉妬した人々が退去して押し寄せた。
 
 ちょうど、アニメの新世紀エヴァンゲリオンがはやったころだった。
 
 はじめ、加寿は自分の求める世界かと思い、正直驚き、正直嫉妬し、そして気が付けば毎回見ていた。
 人類補完計画の名が出た瞬間、思った。
 自分を補完できるのは、自分だけだ。
 
 当時の加寿はそう思った。
 どう考えてもそうだった。
 でも、上手く説明できなかった。
 
 今の加寿ならできる。
 命は、すべて欠けた存在なのだ。
 欠けたところを埋めようと、必死に生き、必死に増殖し、自分を駆動する。
 それは遺伝子的アルゴリズム(GA)と考えるとわかりやすい。
 そうやって必死になる命だからこそ、ここまで続いてきたのだ。

 全てが補完されるとき、命は何も出来なくなる。
 しかし、その途中で、脳内物質セロトニンの働きだろうか、幸せを感じることは出来る。
 
 欠失、わからないことや理解できないことを追求して、科学も経済もここまで発展した。
 
 そして、加寿もそう思う。

 生きることは、つらい。
 恥の多い人生でしたという自殺者の遺書もある。
 生きる限り、恥をかき続ける。
 でも、それを越えるためには、現状に安住してはいけない。
 
 そのときにエヴァンゲリオンを見た。
 TVのエヴァンゲリオンで、最後主人公は満たされる。
 それでいいのだ。
 人類全てを補完することなんて、出来ない。
 そう思った。
 
 その通りだと思う。
 生きる苦しみと幸せが奪われれば、それはもう命ではない。
 だから、最後に皆消滅するのだ。
 
 加寿はエヴァンゲリオンを全て見た。
 TV版の、和むようなエンディングには、底までのつらい展開が癒されるようで、加寿は一番好きだった。
 映画も、残虐さがありながら、作者の意図を考えれば、理解できるものだった。
 
 そもそも他人に、それもアニメで補完してもらおうなんてのがおかしいのだ。
 
 事実、志保と結婚してからも、そう思う。
 志保は加寿の足りないところを補ってくれる。
 よきパートナーである。
 だが、加寿はそれでも満たされない。
 生活のこともあるけど、デビュー作で書いた夢を実現したかった。



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