それは、純白の特急ロマンスカーVSEだった。
「新宿から小倉志井まで乗り入れているんですよ」
「あれ、でもよねでん線の終点は小倉嵐山ですよね」

「いや、小倉嵐山は2両編成用の頭端式の駅で、10両編成のVSEは入りきらないから、その一つ前の小倉志井でお客さんを下ろすんですよ」
「そうなんですか」
「それに、小倉志井と小倉嵐山って、歩けばすぐですし」
「ええっ!」
本当だった。
さっきの駅前は、小倉志井の裏だけど、小倉嵐山の表玄関なのだ。

本当にそうだった。
小倉嵐山はすぐだった。
ご婦人が是非にと言うので、名刺を渡した。
「あら、システム開発の会社なんですか? 息子と同じ業界ですね」
「え、本当ですか」
「ええ。大変なお仕事だと聞いてます。あの子、まともに家に帰ってきていないんじゃないかしら。だから一人暮らしはやめなさいって言っているのに」
ご婦人と別れて、小倉嵐山駅から電車に乗ることにした。

小倉嵐山は、春の穏やかな海風の入る駅だった。
駅から灯台が見える。

電車区は、本当に小さな電車区だった。
洗浄機のそば、洗浄台では、小さな電車が清掃を待っていた。

ディーゼル機関車はこの電車区ではできない改装のためにJR線経由で大手工場に行った電車を牽引してきたという。

古い電車がひなたぼっこをしていた。
春とはいえ、すこし雲が懸かれば冷え込む。
小倉嵐山駅で、切符を買ったが、駅員がすぐには出発しませんよと言うので、街をちょっと歩いた。

併用軌道区間があった。黄色のRX−7FDが、慣れた様子で一時停止して走っていく。
それを郵便配達のバイクが追いかけていく。

その先には、VSEが小倉志井を出るための作業中だった。
アテンダントさんが座席の方向を変え、運転士さんが2階運転席に上ろうとしている。
小倉嵐山駅では、先発列車のベルニナを交換に来たきららと入れ違いに出発しようとしていた。

ベルニナのMGの音だろうか。なにか機械音が響いている。
向こうの高架は、小倉嵐山の海岸線を回っていく本線らしい。
この駅のすぐそばに漁協があり、小倉嵐山漁港がある。

ホームの奥では荷物を駅員さんたちが整理していた。
よねでん線では荷電の扱いがあるのだ。

日が傾いてきた。
併用軌道区間から、さっきの小倉嵐山の駅が見えた。
乗車する先発列車は、きららだと聞いていた。
運転士さんが駅員とのんびりと話をしている。
未だ出発まで時間があるらしい。

鄙びた線路。
いろいろな思いが、この上を通っていった。
その思いが踏み固めた銀色の線路に、私は感じ入っていた。
こんな草が生えた線路も、維持するのにはものすごい労力が掛かる。
それでも、みな、誰かの幸せを通すため、頑張っている。
僕の仕事は、エンジニアだ。
業界の端くれの僕でも、僕の書くコードを待っている人々がいる。
無責任な上司でもない。うるさい客先でもない。
本当に、自分の仕事の先に、お客さんがいる。
戻らなくては。

乗り入れ特急のVSEが、室内灯を煌めかせながら去っていく。

着物のあのご婦人が、手を振っている。
嵐山海岸からの帰りの行楽客を乗せたVSE。
両脇のお父さんお母さんらしい男女のあいだになりながら、子供が、VSEの前展望席から手を振り返している。

VSEの連接車特有の、タタ、タタというジョイント音が去っていく。

蔵作りの造り酒屋が駅前にあった。
小倉嵐山の駅舎の隣は、造り酒屋の醸造蔵らしい。
その隣が小倉稲荷というお稲荷さんだという。
ちょっと時間があるので、手を合わせた。

緑の鉄骨の煙突がこの街を防火倉庫の望楼と共に見下ろしている。
煙突は酒米を蒸すためのボイラーの煙突らしい。
私はあまりお酒を呑まないが、そのうち実家の父と飲もうと生酒のハーフサイズを買った。
店番の女性は、蔵元の次女といって、とても美しい人だった。
その通り、この酒屋ではお酒の成分で作ったという化粧品まで売っていた。

「お待たせしました。小倉中央行き電車、間もなく発車します。ご乗車になってお待ちください」
その声に、私は上りきららの椅子に座った。

テールランプの光を引いて、きららが上り線路を行く。
実は、会社の仕事で行き詰まっていたのだった。
でも、私は、この上り電車の中で考えていた。
上ろう。
どんな仕事も、上を目指さなければ、現状維持だってできない。
苦しいけど、それが好きで、エンジニアを始めたのだから。
車内改札に来た車掌さんは、昼間電車区にいた人だった。
「うちの会社から御礼だそうですよ。預かってきました」
と彼は封筒を渡した。
中には、旅行会社『よねでん旅行』の旅行券が何枚も入っていた。
「奥様は小倉志井のあの踏切で、いつも列車で通るお客様に手をお振りになっているんです」
車掌さんのその言葉に、ちょっと感心してしまった。
「うちの会社は、本当に会長も社長も鉄道が好きなんです」
彼は、我が事のように自分の鉄道の経営者の話に声を弾ませている。
「またいらしてください。社員一同、お待ちもうしあげてますよ」
暖かい鉄道一家の息吹を感じた私は、答えた。
「そうですね。またいずれ」
車掌さんは精算端末片手に微笑んで、答えた。
「いつでもお待ち申し上げております」
<よねでん線ショートストーリー 了>