第ニ話 責め



    「う……」

    朦朧としていた意識が戻って来た。

    彩香は彼等の事務所だと言われたビルの入り口で、突然後ろから羽交い絞めにされた。そしてクロロフォルムの染み込んだハンカチを嗅がされて意識を失っていたのだ。


    「気が付いたか?」

    ぼんやりとしていた彩香の視界に、先程の白髪交じりの男が立っていた。

    「は? あう?……」

    全身が悲鳴を上げていた。

    彩香は仰天して、理不尽に軋む身体を見回した。

    彩香の身体は天井から鎖で吊り下げられていた。単に両手を揃えてではなく、工業用に使用されるI型鋼に両腕を拡げて固定され、鎖で肩口から雁字搦めに縛られている。

    丁度十字架に掛けられて、そのI型鋼を天井から吊り下げられている状態だった。両足はその爪先が軽く床に着く事が出来たので、両腕以外、ある程度までは自由に出来る。

    ……いや、自由にされているの間違いか。

    辺りを見廻す。薄暗い室内で、窓は何処にも見当たらない。肌にじっとりと絡み付く様な湿った冷気は地下室独特のものだった。人が出入りした形跡があまり見られない処を考慮すれば、倉庫代わりに使用しているのだろう。

    (何の為の倉庫?)

    答えは自ずと知れていた。


    「少し、調べさせて貰ったよ。如月彩香。公安の雌犬が!」

    男は吐き棄てる様に言い放った。

    彩香の眼がスッと細くなる。

    「何の事です? 公安? 私が?」

    しっとりとした長い睫を瞬(まばた)かせ、その奥の澄んだ瞳が男を映した。

    「囮捜査で上手くワシに接触出来た心算だろうが、残念だったな?」

    一方的に畳み掛けられて彩香は顔を背け、男に判らない様にうんざりとした表情をする。

    (修司のヤツ、いい加減なIDデータを書き込んだわねっ? これで私が殺されたら如何するのよ?)

    惚けるにしても不自然になる。彩香は諦めて修司のシナリオに従った。

    「ふんっ! ソッチこそ既に面は割れているのよ? 人買いの榛名!」

    彩香はなけなしの虚勢を張って榛名を見上げ、コーラルピンクの口元を綻ばせた。

    彼女の眼鏡の奥に潜む何かが蠢く。それは正気と狂気との間の微笑みにも見えた。

    追詰めたと思っていた彩香に、逆に余裕で見据えられた。

    彼女の妖艶な表情に、榛名の背筋がぞくりと来る。

    「……一人、欠員が出来たのでね。君にその役を遣って貰おうかと思っている処だよ」

    「えっ?」

    「お前には、私の車を何とかして貰わなくてはな。まあ、その埋め合わせだと考えてくれ」

    そう言って、上着を脱ぎ、ネクタイを解いて襟元を緩めた。

    「し、失礼ねっ! 私と 車を一緒にしないで!」

    「乗るモノには大差無いと思うが?」

    「……」

    (最ッ低ー。こンのエロぢぢい!)

    彩香は思わずカッとなり、無言で榛名を睨み付けた。

    頬が紅潮し、切れ長の眼が榛名を射抜く。

    「好いねぇ、その表情。無条件で振るい付きたくなる。此方としても、実に痛ぶり……いや、遣り甲斐があるってものだ」

    榛名は競馬の騎手が持つ短い鞭を手にしていた。それを逆に持ち、柄の部分で彩香の豊かな左胸を下から強く突き上げる。

    「痛っ! や……厭ッ!」

    痛みに思わず首を横に振り、自然と脚が爪先立って後退った。

    榛名の振り上げた鞭が空を切り、服の上から何度も容赦無く打ちのめされる。



    彩香は自分の左肩に顔を埋めて、悲鳴を押し殺す他に逃れる術は無かった。

    呼吸が乱れ、大きく隆起した胸が波打つ。

    打たれる度に何度も身体が撓(しな)り、顎が仰け反った。

    「はっ?」

    榛名はいきなり彩香の胸倉を乱暴に掴み、力任せに引き千切った。シャツのボタンが弾け、そこから豪華なシルクの刺繍とレースで縁取られた淡いベージュのランジェリーが恥ずかしそうに見え隠れする。

    「な、何をするのよッ!」

    彩香は鼻白んで身体を捩った。胸元を隠そうと努力したのだが、儚い努力だった。

    榛名はテーブルから一本の太い蝋燭を取り出し、ダンヒルのライターで火を灯す。

    薄暗い室内で、それは穢れの無い無垢な光を灯していた。

    「そうら……許しを請うのなら今のうちだぞ? 私は公安の狗ですと認めろ。そして諦めて言いなりになれ。楽になるぞ?」

    蝋燭をゆっくりと左右に揺らしながら、薄ら笑いを浮べて榛名は彩香に近寄った。

    「……」

    彩香の怯えた瞳に、榛名の持つ蝋燭の炎が揺らめく――

    (駄目。こういうのって範疇外だわ……)

    ごくりと彩香の喉が鳴った。

    けれど、身体は明らかに拒絶しているのに、彼女の深層意識が何かを期待している。

    彩香はその不思議な感覚が何で在るのかを興味本位で知りたくなった。

    炎は彩香の顔に近付き、彩香が嫌がって顎を仰け反らせたすぐ上で停まった。

    榛名の淫靡な薄ら笑いが耳に残る。

    ゆっくりと蝋燭の炎が傾けられた。

    「つ! ……はぁああッ!」

    炎から滴った蝋は、言い様の無い熱さと苦痛を伴って、彩香の薄い皮膚で覆われた鎖骨を通って胸元に流れた。

    苦痛から逃れようとして身体を撓(しな)らせ、大きく喘ぐ様に呼吸を整える。

    「厭あッ! この変態!」

    彩香の蹴りが榛名の膨張しかけた前面にヒットした。彼女のすぐ傍で苦痛に喘ぐ彩香の表情を愉しんでいた榛名は堪らない。

    蝋燭を放り投げ、悲鳴を上げて蹲った。

    (アラ、本当に蹴っちゃった)

    暫らくは起き上がれなかった榛名も、やがて「自分」を庇いながらも立ち上がった。

    凄まじく、サデスティックな形相で。

    「この……」

    榛名が大きく鞭を振り上げた。

    彩香のタイトスカート越しに両膝を重点的に痛め付ける――

    「くっ……」

    焼け付く様な鋭い痛みが何度も彩香を襲い苛んだが、それでも彩香は歯を喰いしばって耐え続ける。

    (やっぱり駄目。コッチは身体が付いて行かない……)

    自分の中で、新しい何かしらの境地が発掘されそうな兆候があったが、結局寸での処で諦めた。

    それでも、もどかしい期待と焦燥感が拭い切れない。



    反応が鈍った彩香にバケツの水が容赦無く掛けられる。

    水を掛けられた事で、彩香のシャツは透けて彼女の身体に纏い付いた。

    「強情だな……素直にもう許して下さいと言えば良かろうものを……」

    彩香と榛名は呼吸を乱し、それぞれが肩で大きな息をしていた。

    「そんな見え透いた嘘を……」

    (絶対に言って遣んないもの!)

    榛名の言う通りにした処で、振るわれる鞭を止めて貰えはしないだろう。寧ろ、言葉に出して自分を追詰め、榛名を無駄に喜ばすだけだと彩香は既に覚っていた。

    それでも打ち下ろされる鞭の痛みは、徐々に彩香の精神を侵食して行く――


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