最終話 淫 獣




    蛇口全開でお湯が水飛沫をあげながら溜まって行く。

    修司は自宅マンションの浴槽の縁に腰を降ろし、立ち昇る湯気の中でぼんやりとその天井を見上げていた。


    人身売買組織幹部の一人である榛名明彦と、その部下の日下部(くさかべ)史也の死亡が確認された。史也と同じく部下の中野翔は辛うじて一命を取り留めたものの、重度の意識障害者と成り果てていた。

    鑑識の結果、榛名と史也は共に極度に消耗しての死亡……詰まりは腹上死であると判断された。

    修司の所属している警視庁公安部が現場に急行した時点で、上層クラスのこの三人の所在が不明だった為、公安部は意図も簡単に事務所ビル内を占拠・制圧。その後、不明だった榛名達三人が地下室で発見されたが、既に彼等は手遅れの状態であった。

    彼等の相手をしていた者……恐らくは女性であると推定される者が、何者なのか? 単独なのか複数なのか? それさえ謎のままであるにも関わらず、警視庁公安部は核心を有耶無耶にしながらもこの件に関しての捜査は打ち切り、一応の幕を閉じた……

    修司こと、神名(かみな)修司(しゅうじ)とその直属の上司以外に、その真相を知る者は居ない――


    (それが……居るんだよね。此処に……)
    修司は徐に視線を自分の開いた股間に落した。

    正座をして自分の股間に割って入り、顔を埋めている女性が修司の目の前に居た。

    一見、修司に対しての奉仕とも思える行為だったが、その実は全くの逆である。修司が彼女に奉仕させられているのだ。

    彼女も修司と同様に全裸である。その白い肌には幾つもの醜い蚯蚓腫(みみずば)れが奔り、両肩と二の腕には擦り傷が痛々しく刻まれていた。他にもキスマークや痣までもが身体の隅々にまで及んでいた。

    「うっ……あの後なのにアヤ姉ってば全然平気なん……だな?」

    (まだ俺とヤルだなんて……化け物だ)

    修司は彩香に感じさせられながらも必死で自分をセーブする。

    「あむぅ?」

    彩香が修司を含んだままで顔を上げた。その表情からは、数時間前迄の戦闘モードも漸(ようや)く鳴りを潜めたかの様に見えるが……?

    「全く……うっ……よく……やるよ」

    息を乱しながらも修司は呆れた。


    あの後、修司は彩香からの連絡を受けて、車両のエンジンを掛けて待機していた。

    ところが、彩香は中々ビルから出て来ない。

    何かマズイ事態になったのかと拳銃を構えて踏み込もうとしていると、彩香がやっと出て来たのだ。

    (腹上死……ねぇ……)

    殴られて意識を失っていた榛名までもが彩香の獲物にされていた。

    今思えば、彩香から連絡があった後に、修司が待たされていた数十分の空白の時間、榛名は彩香の餌食になっていたと考えて間違いない。

    榛名達の為に被害に遭った何十人もの女性が酷い目に遭い、廃人になった。幸運にも助けられた者も極僅かに居たが、その全員が自らの命を断ってしまった。

    その彼女達と同じ女性である彩香から引導を渡されたのだ。それこそ本望と言うものだろうと修司は思った。


    彩香は修司から、艶やかなコーラルピンクの唇を離した。

    「だあってぇ。アイツ等みい〜んな激マズなんだもの」

    そう言って、ほんの少し不機嫌になる。

    「……激マズ……って」

    彩香の言い様に修司は退いた。

    普段の楚々とした……(少なくとも修司以外の目線から)彩香からは想像も出来ない様な言葉が平然と吐き出された。

    「俺よりもずっとマシだと思うけど?」

    人身売買を生業としていた輩だ。女性の身体の扱いに懸けては三人ともプロである筈だが?

    「ううん。修司のでいいの」

    彩香の答えは実に呆気なかった。

    「孔明(こうめい)さんは?」

    少しだけ意地悪そうに修司は彩香の夫の名前を口にした。

    「あ? う……ん、孔明さんが一番かしらね?」

    今居る自分の状況を恥じらい、一瞬だけ彩香は妻の顔に戻った。

    彼は建築設計技師である。見た目は男性としても中性的で、端正な顔立ちは少女マンガにでも出て来そうだ。性格も至って穏やか。理数系タイプが服を着ている様な人だ。

    到底体力漲るタイプ……には見えないが……?

    (見掛けによらずソッチの方はスゴイのか?)

    彩香を目の前にして、妙に勘繰ってしまう。

    「ちぇ、俺はセカンドキープかよ?」

    夫の名前が「さん」付けで、二番目である修司が呼び捨てと言う彩香の拘(こだわ)りに首を傾げたくなる。

    (逆だろ? 普通ー)

    修司の釈然としない表情を見破って、彩香はくすっと笑った。

    「何か物凄い勘違いしているみたいだけど……孔明さんは、修司が思っている様な人じゃないわよ?」

    「じゃあどんな?」

    「普通の人よ。修司よりもずっと……ね」

    「はああ?」

    彩香はそう言ってクスクスと笑って肩を揺らした。彼女の豊かな白い胸も揺れるが、その胸にさえ細い鞭の痕が刻まれている。

    彩香の痛々しい傷に、修司の表情が曇った。

    「傷……」

    「え?」

    「痛くないか?」

    そう言って彩香の傷付いた肩に覆い被さる様にして顔を近付けた。

    はっとして彩香は我に返る。

    「……馬鹿」

    吐息の様な微かな声で諭すと、修司の顔を片手で押さえ付けた。

    仄かに彩香の身体から、甘いムスクの香りが立ち昇っている。

    「駄目よ……」

    しっとりと潤んだ瞳が妖しく修司を見上げた。

    実は、まだ完璧には戦闘モードの余韻が抜け切ってはいなかった様だ。

    修司は彩香の艶めかしい視線に射抜かれてゾクリと来る。


    彩香との契約は三つ……秘密はお互いに厳守。報酬は修司自身。そして、事後の彩香に修司から触れてはいけない(彩香を挑発してはいけない)――

    前述の二項目は別として(それだけでも十分問題はあるが)、後の一項目は修司にとって、彼を護る上での絶対に必要な条件……らしい。

    しかし、彩香から何度もこの状況下に置かれていた修司は、それまでの経験から、今の冷静な彩香に手を出しても大丈夫ではないかと言う結論を導き出していた。


    滑らかな白い肌は温水で温められて色付いている。その肌を穢す様に無数に奔る鞭の痕や痣……随分と酷い目に扱われた様だが、それらの痕さえ今の彩香には彼女の身体を卑猥に魅せるオマケの飾りになっていた。

    自分の目の前でシャワーを使っている無防備な彩香に修司は欲情した。

    (目の前のご馳走に、お預けを喰らわすのはヒドイよな?)

    「アヤ姉」

    「うん?」

    彩香はシャワーの蛇口を止めた。

    艶やかな黒髪から雫がぽたぽたと滴り、ほんのりと桜色に上気した肌の表面を、身体のラインに沿って舐める様に流れ落ちる。

    「鋼材に吊られたままでイッたって?」

    「う……うん……」

    修司の言葉に、その時の事を思い出して恥ずかしくなったのか、彩香は耳朶まで真っ赤にして自分の両腕を抱き締めた。豊かな胸が寄せ上げられて深い谷間が出来る。

    落ち着きを取り戻そうとしているのか、俯いて頬に張り付いた横髪を頻りに撫で付ける。

    恥じらいの仕草に修司の理性が掻き乱された。

    ごくりと修司の喉が鳴る。

    「どんな感じ?」

    自然と修司の身体が熱くなって来る。

    修司は、彩香がいつも全身に使用しているムスクの香りが媚薬なのではないかと、凡その目星を付けていた。

    彩香がボディーソープを使ってシャワーを浴びたので、今なら彼女の身体を包んでいたウォータープルーフ(耐水性)のムスクの芳香(=媚薬)は洗い流されて消えている――筈だ。

    契約違反ではあるが、少し悪戯したくなった。

    「えっ? ど、どんな……って」

    彩香の視線がトロンとして彷徨った。

    修司はいきなり彩香の背後から両腕を捕って、自分の膝に据わらせた。

    「きゃ? はあぁ、あっ……くっ……」

    彩香のふっくらとした唇から切ない溜め息が漏れた。

    右の後股に片手を添えると、一気に彩香の中に押入った。彩香がシャワーを浴びていたせいかも知れないが、抵抗こそあれ、案外すんなりと侵入出来る。

    彩香の顎が仰け反り、身体が撓(しな)った。

    軽く唇を噛み、柳眉を寄せて涙眼になった彩香の瞳が意地悪しないでと訴えている。

    「こんな?」

    彩香の耳元で囁くと、そのまま彩香の腰を固定する様に押さえて立ち上がる。

    「ちょ、ちょ……と、修司? うっ……いっ、厭ぁあ〜ん」

    修司との身長差で彩香の脚が床から離れた。

    彩香の指先が浴室内にある細くて頼り無いタオルハンガーに絡まった。

    白い両脚が足懸りを捜してバタつく。

    彩香の締め付けも凄かったが、彩香の暴れる刺激が更に修司を興奮させる――



    ベッドが軋み、切ない吐息が溶け合う――

    彩香との契約は修司の頭の中から消えていた。

    修司は夢中になって彩香を求める……


    彩香の細い指先が修司の背中を這い、潤んだ視線がいつもより艶を増して彼を見上げ、ほんの僅かに微笑んだ。

    甘やかな唇をピンクの舌がゆっくりと這う様に舐めた。

    「修……司……」

    修司の耳元で甘い吐息の様に囁いた。

    「……死に……たいの?」


    ―淫 獣(完)―


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