第1話 来客




    「翔……この仇はきっと俺が……」

    半開きの瞳は既に生気を失い、口端からは絶えず涎を垂れ流している男が、生命維持装置の機器に囲まれてベッドに横たわっていた。

    廃人同然になってしまった彼の姿に、溢れる涙を拭いもせずにぐっと唇を噛締めて見下ろしていた男が居た。

    「憶えていろよ……公安の雌犬……」

    (如月……彩香!)

     男はそう独り言を呟くと、翔の居る病室を後にした。




    「……はい。了解しました。明日の十三時ですね? ……いえ、此方こそ宜しくお願いします」

     修司がオフィスの電話を切ると、事務処理をしていた片山悠里が気難しい表情ですぐ傍に遣って来た。

     彼女は今年此方に配属されて来た新卒の婦警だ。

     色白の肌に、亜麻色をした長い髪が緩やかに波打っている。

     腰まである髪は、細い絹糸の様にしなやかで柔らかそうだ。光の加減に依ってはダーティ・ブロンドにも見える。彼女は先天的に色素が薄いのだろう。

     整った顔立ちにパッチリとした瞳を持った悠里には、まだ少女の様なあどけなさが残っている。

     だが、その童顔とは逆に、身体はメリハリの効いた中々のプロポーションの持ち主だ。

     彼女が男性陣の間で最も人気が高かったのは言うまでも無い。


    「何? 片山クン」

     彼女の気配に気付き、振り返って見上げた修司の目の前に、悠里の迫力ある大きな胸がドン! と迫っていた。

    「うあ?」

     慌てて椅子から腰を浮かし、『安全者間距離』を置く。

     どきどきと心臓が高鳴った。

    「先輩にお客様ですよ?」

     悠里はにっこりと愛想笑いを浮べてそう言った。

    「? ……俺に? 誰それ」

     悠里が修司から眼を逸らせ、背後の入り口を振り向いて、修司の視線を導いた。

     為すがまま、修司は彼女の視線を辿る――

    「うぐっ……」

     その人物を見るなり、喉から変な声が出た。

     慌てて口許を押さえて、悠里に視線を奔らせるが、彼女は別に気にしては居ない様だった。

     それよりも、入り口に現れた、客の女性が随分と気になるらしい。

     結婚式の帰りなのか、彼女は艶やかな黒髪をアップにして生花を散らし、レースをたっぷりとあしらったペール・ブルーの華やかなブランドスーツを着こなしていた。

     その立ち姿は人目を惹いた。ましてや美人となると猶の事だ。

    (誰なのよう?)

     悠里の視線が修司を問い詰める。

     小鳥の様に口を窄めると、軽く修司を睨み付けた。

     どうやら彼女は修司に気が在るらしいのだが、肝心の修司はその事に全く気付いては居ない。

     そして、悠里は修司を訪ねて来た美人を、何処かの売れっ子ホステスで、危険な雰囲気を持つ女なのだと勘違いしてしまったらしい。

    「ははは……し、失礼。ああ、片山クンありがとう。持ち場に戻ってくれ」

     乾いた不自然な笑い声だ。

     修司はそそくさと席を離れ、現れた女性に擦り寄った。

    「ち、チョッと? ……何よ?」

     修司にいきなり腕を掴まれて、通路に引き戻された女性が不満を漏らす。

    「『チョッと……』じゃ、ないよ。一体どうしたんだよ? アヤ姉から此処に来るだなんて」



      *  *



     二人は署内の喫煙室に居た。

     喫煙室は四方が総ガラス張りだ。

     此処なら流石に彩香でも、イキナリ自分を襲って来る事は無いだろうと修司は読んでいた。。

     彩香も修司の思惑に勘付いたらしく、少し不機嫌になる。

    「私がこんな処にまで、修司を襲いに来る筈無いでしょう?」

     切れ長の眼で修司を睨む。

     一瞬、後頭部を殴られた様な電撃が修司を襲った。妖しい視線に射抜かれたのだ。

     彩香のひと睨みは、先程の悠里のソレよりも数千倍も強烈だ。

    (……どうだか)

     修司の眼が笑った。



    「で?」

     修司はキツイ煙草の残り香に顔を顰め、顔の前で片手をヒラヒラさせて扇いだ。換気扇がフル活動しているが、消臭フィルタが駄目になっている様で効果が無い。

     視線を遣し、彩香に話を切り出すよう促した。

    「今朝、ポストにこのメモリが入っていたの」

     彩香は細い左指で、クリーム色のシャネルのセカンドバッグからピンクのメモリを取り出した。

     その薬指には、ティファニーのマリッジリングが輝いている。

     普段のラフな格好も良いと思っていたが、御呼ばれで盛装している彩香も素敵だと思った。内心、この服を脱がせたい……との邪な想いが俄かに湧き上がって来る。

     普段着けていない薬指の指輪が、修司の存在を拒絶している様に思えてほんの少し嫉妬した。そして逆に征服欲に駆られて来る。


     ――彼女には夫が居るのだ。


    「直接入れてあったから、郵送されたものじゃないわ」

    「内容は確認したのか?」

     修司はメモリを受け取ると、委細を調べる――

     何の変哲も無い一般に使用されているメモリだが……?

    「それ、私に宛てた脅迫なの」

     修司の手が止まった。


    ―『憶えていろ如月彩香! 俺は絶対お前に復讐してやる!』

     メモリに入っていたのは、たったそれだけであった。

    「うーん……」

     流石にコレだけでは何とも判断し兼ねる処だ。

    「声に聞き覚えは無いの」

     彩香はそう言ったが、修司にはどうしても合成音声にしか聞えない。

    「でも、全く心当たりが無いってワケじゃ無いからなァ……」

     お互いに心当たりが有り過ぎて、反対に絞り込めない。

    「携帯で修司に連絡って言う手もあったのだけど、丁度御呼ばれがこの近くだったから。思い切って寄っちゃった」

     彩香は肩を竦めてぺろっとピンク色の舌を出す。

     修司は暢気な彩香の様子に、一抹の不安を抱いた。

    「まさかとは思うけど、このメモリの内容に気付いたのはいつ?」

    「今朝よ?」

    「……」

     彩香はそれがどうかしたの? と修司に問い掛ける。

     修司は呆れた。

    「自分が狙われているって解っているのに、ずっと外出していたのか? 一日中?」

     腕時計に視線を遣った。既に午後七時過ぎだ。

    「だって、今日は恵利子の結婚式だったんだもの」

    「……」

     まあ、彩香の事情も解からないでもない。

     親友の結婚式と、イタズラかも知れないメモリで自宅待機。どちらを選ぶかと訊ねられれば、彩香の事だ。後者よりも前者を優先するだろう。

     彩香は形の良い柳眉を寄せ、大袈裟に肩を竦めて見せる。

     潤んだ瞳に涙を一杯溜め、軽く開きかけた艶やかなコーラルピンクの唇が修司にアプローチを掛けて誘っているようだ。

    (頼むから、署内(ここ)で挑発しないでくれー)

     修司の心臓がドキリと鳴って、身体が徐々に熱くなる。

    「い……家まで送るよ」

     隙だらけの彩香だ。このまま一人で帰宅させれば簡単に攫われ兼ねない。



      *  *



     彩香を自宅に送り届ける途中、交差点で信号待ちをしていた修司の携帯が鳴った。

     婦警の片山悠里が行方不明になったとの署からの連絡だった。

     署を離れた直後、何者かに攫われたとの目撃通報があったのだ。


     その直後、悠里を攫ったと言う犯人からの直接連絡が修司の携帯に入って来た。


    ―『そこに居るんだろう? 如月彩香が』

     合成した音声だが、トーンは彩香が持って来たメモリの声とよく似ていた。

    (! 付けられた……)

     ハンドルを片手で握り、修司は空いたもう一方の手で携帯を操作して暗号通信を上司に送りながら、用心深く車外の四方へ、視線を素早く奔らせる。

     丁度帰宅時間帯で道路は渋滞気味だ。この混雑から、目視による特定人物を割り出すのは不可能に思えた。

    ―『これから指定する場所へ行け。勿論その女……如月彩香を連れてだ。下手な小細工で婦警なんか遣すなよ? 俺はその女を知っているんだからな?』

     そして、声の主が不気味にへへへと笑った。

    「……マズイ」

     彩香の面が割れている。

     そして修司がサポートしている事も――

     此方は相手が誰なのか判らない。しかし、相手は彩香の事を知っている。この不利な条件に、修司は得体の知れない焦りを覚えた。





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