第20話 噂話?




    そして、課長は尚も続けた。

    「ココだけの話だがな、主任と部長は一時付き合っていたらしいんだ」

    「はぁ……確か、社内恋愛は……」

    「そ、禁止だ。それが原因で今回の異動になったのじゃないのかって、専らの噂だよ。まあ、自分で確認したのじゃないから、滅多な事は言えないがな」

    社内総則……とまでは行かないが、本社のK工業では社内恋愛がオープンなのにも関らず、子会社であるウチの社は、社内恋愛が禁止されている。そして俺が秘密で遣っているアルバイトも禁止事項だ。

    アルバイトを禁止している会社は多いけれど、社内恋愛まで規制する事は無いのになと思ってしまった。プライベートと仕事の線引きをする為なのだそう。俺が入社する前までは、本社と同様にココも社内恋愛が認められていたらしい。事情があっての事だが、そんなの関係無い後から入社して来た俺達にまで押し付けて欲しくは無いんだけどね。

    「会社を出れば一個人でしょ? 社内恋愛をしているかどうかだなんて、そんな事判らないじゃないですか」

    「火の無い所に煙は立たないよ。じゃあ部長の件、宜しく頼む」

    課長は手短にそう言って、淹れたコーヒーを一口啜り込むと、足早にお茶室を出て行った。

    「……」

    困ったな……

    一方的に畳み掛けられて、拒否権さえ行使出来なかった。でも、これが『お付合い』なんだろうなと無理に自分で納得させるしか他に方法は無さそうだ。

    ああ……週末は『ミイリ』ゼロ……かよ。がっくりと項垂れる俺。

    でも、あの榊主任が……ねぇ。

    そもそも時間厳守、仕事至上主義みたいなトコロがあるあの榊主任が、自分の欲望の為ならばと、会社で禁止されている事をヘイキで遣ちゃうものだろうか? 俺から見て、規則や決まり事に関しては、必要以上に口煩いと感じていたほどの主任が、自分の事をタナに上げて?

    俺はどうにも課長の言った言葉が腑に落ちない。って言うか、そんな事を他の社員から主任が囁かれていた事すら疑問に思えた。

    口では『言えない』だなんて言いながら、平気で噂話をして来た課長に少なからず不快感を覚えたけれど、俺からは『そんな憶測は止しましょう』だなんて言える立場でも無ければ、いい子ぶる心算も無い。

    異動する部長は妻帯者。課長の言った事が本当なら、これって立派に『不倫』じゃないか。

    事実かどうかは有耶無耶だったが、正直、社内スキャンダルっぽくって興味をそそられた。主任には悪いけれど、今後の社内付き合いの、参考くらいにはなるのかなって腹黒く思ってしまう。



    「え? 榊主任? 知ってるけど?」

    直接部内のメンバーに聞けばよかったのかも知れないが、一応隣の部品課に居る狩野先輩に、俺は仕事の合間を見て声を掛けてみた。

    先輩は俺よりも五つ年上で、大学のOB。いつもニヤニヤした笑顔を浮べている人だが、本人は愛想よく、にこやかな笑顔で居る心算なのだそうだ。

    身長は百七十七。痩せてヒョロリとした体型。無精髭だか顎鬚だか区別が付きにくい『ケ』を生やし、髪はすぐ伸びてモサモサになってしまう天然クセ毛。色黒でヘラヘラした笑顔から、見た目大雑把でダラシナサそうな印象を受けるが、時折見せる鋭い目付きは本物で、本来、仕事がデキル人。業務面では文句無く、ちゃんと仕事をこなしている人だ。

    但し、プライベートの面では女性に対して『見た目まんまのいい加減なトコロがある人だ』とも言われている。

    「そういや、昨日も合コンで知り合った男とバコバコ遣ったって?」

    狩野先輩は喫煙室に俺を呼び込むと、取り出し易いように箱から一本飛び出した煙草を俺に勧め、自分も一本を咥えた。

    容赦の無い表現に、俺は少しばかり不快に思って顔を顰める。

    「主任がそう言っていたんですか?」

    俺はそう言いながら、片手を軽く上げて『要らない』と意思表示した。

    元々気管支が弱くて、子供の頃は喘息の発作に悩まされていた俺だ。今はもう発作も起こらないけれど、煙草の煙自体が未だに苦手だ。主任のコトを教えて貰おうと思って付いて来たが、そうでなけりゃあ喫煙室なんか誰が来るもんか。

    「いいや? 部品課(ウチ)の女の子達が言ってた。足腰立たないくらいヨロシク遣ってンじゃね? だから今日休みなんだろ?」

    「はぁ……そうなんですか」

    ――まただ……

    そう思った。

    俺の中にあった榊主任のイメージとは全く違っている。

    ――節操の無い女。

    課長も、狩野先輩と似たようなコトを言ってるって事は……やっぱり『そう』なんだろうか……?

    「お前、なに勘繰ってんだ? 止めとけよあんな凶暴な肉食獣。物静かな草食のお前にゃ似合わねーぞ?」

    「ちっつ、違いますよ。つか、なんでそうなるんです?」

    俺って『草食系』……なの?

    戸惑いを隠せない俺の様子を見て、狩野先輩はフフンと鼻で笑った。

    「それとももう美弥子の餌食になっちまったのか?」

    「はぁああっ?」

    思いも依らない先輩の言葉に、俺は思わず声を荒らげてしまう。

    ったくもお!

    課長からは『事務員さん』にされているわ、先輩からは『草食系』にされるわ……そう思われても仕方ないのかも知れないけれど、余りいい気はしない。

    「いや、業務以外で俺に尋ね事だなんて珍しいなと思ったからさ。しかも『あの美弥子』の事を聞いて来るから、てっきりそうだと思っちまったんだよ」

    「『美弥子』? 主任の名前、美弥子って言うんですか?」

    あれ? 何処かで聞いた事があったような……???

    「お前、ソロソロ女の名前くらい知っとけ。少なくとも部内の女の名前くらいはな。幾らお前が草食ですつっても、ちったぁ興味持てよ。頭に浮かんだ名前のリストが、野郎の名前しか無いってのは寒過ぎるぞ? ソッチ系かと思われても仕方ねーな」

    狩野先輩はウンザリとした表情を俺に遣した。

    「ぼ、僕は至って正常です」

    「バーカ、異常なヤツ程そう言い張るんだよ」

    「僕の何を知っているんです?」

    「……」

    剥きになって言い返したら、先輩は少しだけ考えていたみたいだったが、すぐに元のニヤケた笑顔に戻って『さあな?』と言って肩を聳やかした。

    「お前の私事まで立ち入る心算は無いし、お前だって立ち寄って欲しくは無いだろ? だったら俺から観たお前のアウトラインしか見えないんぢゃね? そう思われても仕方ねーだろ?」

    「はぁ……そりゃあ、まあ……」

    「誤解されたまんまが厭だったら、付き合って見るのも在りだろよ?」

    そう言って、狩野先輩は俺を値踏みするように見詰めると、にんまりと口端を吊り上げた。

    「って、ぼっつ、僕はあ、あのっつ、そ、そういう趣味じゃ無いですからねっつ」

    俺は先輩の薄ら笑いに何かしらの身の危険を感じて、先手を打つ。

    「ったりめーだ。このぶぁーっか! 俺だっておホモダチなんかじゃねーぞ? お前をダシに美弥子嬢を頂いちゃおうっかなーって考えてたんだよ」

    「しゅ、主任をですか?」

    「気に入った相手なら平気で媚売る女だぜ? そもそもアイツは去年までは営業職だったんだ。業績も上位のな」

    「主任が? 先輩、主任の事をよくご存知ですね?」

    先輩は二本目の煙草に火を点けた。

    「ま……な? 榊は俺と同期だから」

    「えーっつ?」

    どちらかと言えば、狩野先輩の容貌は年相応では無い。イワユル『老け顔』のタイプだ。入社して業務上言葉を交わす必要性があったから、その遣り取りで俺の大学の先輩だったのだと知った。けれど『とても主任と同じ年には見えません』だなんて冗談を言える雰囲気じゃなかった。



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