第41話 お嬢…様っ?
美弥のマンションを出ると、その先正面を横切る狭い道路に、一台の黒塗りリムジンが窮屈そうに停車していた。ドアミラーの近くにある、五百円玉大のエンブレムは桐をデザインした山路家の紋章だ。
ケントは常盤財閥のほぼ半分を掌握したと言って息巻いていたが、正直ケントには悪いが、俺には常盤が元通りに復活しそうには思えなかった。旧常盤の半分の財力を以ってしても、山路よりも上の筈。まあ、財源は戻っても、すぐに流用可能な運用資金がソコを着いているからなのだろうが……
結局、山路に負ぶさり世話になるって事実には違いないじゃないか。
「こちらでございます」
ケントはうやうやしく腰を折り、山路家リムジンのドアを開いて俺を促した。
俺は促されるまま、リムジンの後部シートに滑り込む。
VIPシートには、絶滅危惧種に指定されている毛足の長いユキヒョウの毛皮が、まるでディスプレイされているようにシートに打ち掛けられていた。
――悪趣味。
自己の財力を誇示されているように思えた俺は、思わず眉を顰めた。
以前から、山路コンツェルンの風評は耳にしている。
この不景気真っ只中のご時勢に、まるで取り残されでもしたようなウソみたいな急速成長。そして、この急速成長の裏には、犯罪絡みのニオイさえしているのではと噂されている疑惑だらけの山路。
今の山路会長一代で築き上げたらしいが、成り上がり財閥だの、成金だのとその筋からの陰口を散々聞いて退いていただけに、まさかの縁でこの俺がその山路の世話になるだなんて、考えてもみなかった事だよ。
「宜しいでしょうか?」
ケントが俺に一言声を掛けて片手を軽く上げると、会話の一切が漏れ聞えないようガラス越しに仕切られた、その向こうに控えている、盛装した運転手が小さくコクリと頷いた。
俺達を乗せたリムジンは路面を静かに滑り出すように走り始める。
「少し遣り方が強引じゃないのか?」
「は。一刻も早く参られるようにとのお嬢様のご所望でございますれば、ご無礼の程を仕(つかまつ)り、申し訳ございません」
俺は膨れっ面でソッポを向き、街灯に照らされ流れて行く何の面白味も無い外の夜景を眺めながら言い放つ。だけど幾らケントに謝られても、気に入らないものは気に入らないんだよ。
「今の仕事……俺、辞めないから」
「と、申されますのは、Wグローバル社の事ですかな? それとも……」
「バイトも含めた全部に決まっているだろう!?」
言い表しようの無い不快感で胸が一杯だった。
ケントは口当たりが良いように都合良く俺に説明していたが、それは表向きの話。結局、俺は旧常盤財閥という血統の肩書きを背負わされて、抵当に身売りされてしまっただけじゃないかよ。
「斯様なお申し入れは、幾ら正宗様だとてお聞き受け致し兼ねまする。今の正宗様のご予定でありますれば、明日香お嬢様の御傍にいらっしゃるお時間すらございますまい?」
「……」
俺の目論見なんかトックにお見通しだと言わんばかりの物言いに、俺はケントとの間に埋めることが難しいくらいの深い溝が出来ていたのだと覚り、俄かに気分まで悪くなった。
「そうご不快に思われなさいますな。正宗様はお働き過ぎかと。これを機に、お体をご慈愛されては如何でしょう?」
「大きなお世話だ!」
結局、俺は今まで遣っていたバイトを放棄させられて、本職の会社のみ勤めるよう許される事になった。
……ああ……面倒臭ぇええ〜〜〜。ケントはどこまで山路側に就いているのやら……
「ささ、お嬢様の御許へ参られよ……」
「ちょっ、チョッと待てよ? もう夜中だろ? コドモが起きてなんかいやしないって」
山路家の豪邸に到着した早々、ケントは俺を追い立てた。
深夜もイイトコロなのに、こんな時間帯にマジで小学生が起きて居られるかよっつ。
俺は大声を出したかったが、屋敷内がシン……と静まり返っているのに俺独りだけが騒ぐのは憚られる。なので、声を潜めたヒソヒソ話だ。
「いいえ、まだ起きていらっしゃいますぞ? 正宗様がお越しになられるのを、心待ちに待っておられましたゆえ。ですがこちらの言い分をお伝えしておきましたので、本日はお目通りだけと言う事になっておりまする。正宗様には日々、お嬢様のお勉強と話のお相手をとのご所望にあらせられます」
大理石で出来た滑る床に、足を取られながら無駄な抵抗をする俺だったが、ケントは踏ん張れなくなった俺を、コレ幸いとばかりぐいぐいと腕を引っ張って行く。
元々がガッチリマッチョのケントだ。吹けば飛ぶような小柄な俺の身体なんか、今にも片手で小脇にひょいと抱えて、走り出しそうな気配さえしている。
「ああ、明日……いや、今日の朝でも良いじゃないか?」
「ほんの御挨拶だけでございますから」
全面に繊細な彫刻を施された、左右観音開きになる大きなドアの前に到着し、俺はそのドアの前に立たされた。
なんだか雰囲気が違ってないか? まるで豪華な式場か披露宴会場みたいなドアなんだけど?
「それでは、私は之にて失礼させて頂きます。正宗様、どうかご無……いえ、ご容赦を……」
「えっ? ケントはどうするんだよ?」
俺と並んで立っていたケントは、二、三歩後退って俺から離れた。
「私が御一緒ですと、何かと……あ、いや、そうではなく……暫らくお暇(いとま)を頂き、私は常盤復興の行脚に出掛けとう存じます」
「……???」
急に声の張りが無くなってしまった、意味深なケントの言い直しに、俺は何か引っ掛りを覚えて首を傾げる。
ナニが『ご容赦』……なんだ?
「あの……」
「正宗様、御免!」
「ちょ、チョッと……ま……」
……って?
ケントはそう言い残して気配を消した。
慌てて後ろを振り向いたが、さっきまで俺の少し後ろに付いていたケントの姿は、もう何処にも見当たらなかった。
俺はケントの言葉に引っ掛りを残したまま、目の前に立ちはだかっているゴツイドアをノックした。
「お嬢さん? 僕です。正宗です」
そう声を掛けると、ドアの向こうで『どうぞ』と返事が返って来た。ドアの裏側すぐ傍から聞えて来たから、多分お付のメイドが返事をしたのだろう。
それにしても……ケントが言っていた事が本当なら、お嬢様は小学二年生。こんな真夜中まで起きて俺を待っていてくれたのだろうか? そう思うと、マッタク以って非常識なお嬢様だな? これじゃあ学校に遅刻してしまうぞ?
「もう晩(おそ)いですから、今日は挨拶だけと言う事でしたので、そうさせて頂きますね?」
そう言ってドアを押し開いた瞬間、何かヒモみたいなモノが俺の正面に向って勢い良く飛んで来た。
俺はワケが判らないまま、無意識に体を捌(さば)いてヒョイとヒモをかわすと、途端にヒモが空を斬って床を叩き、パシーン! と大きな破裂音を広い部屋に響かせた。
「……って?」
なにこれ?
ヒモは放たれた方向へとすぐ引き戻されて、再び俺を襲った。
俺は何度も繰り出される容赦の無い『歓迎』を、最小限の動作でもって、ヒョイヒョイと難なくかわして見せた。
ヒモはかわされる度に派手な音を立て、生き物の様にうねって何度も俺を襲う。
コレって……ムチじゃないか。幾ら小学生だって言っても、イタズラするにも程があるよ。当たったら『痛い』だけじゃ済まないし。
ムチの元を視線で辿ると、そこには着丈が短い真紅のガウンを羽織った身長百十くらいの女の子が、ニコニコしながら操っている。きっと、この子がケントが言っていた『明日香』お嬢様なのだと直感的に判る。
「一体、どういうお心算ですか? おフザケが過ぎますよ?」
遂に俺は腹に据え兼ねて、一撃をかわした直後に手を伸ばしてムチの端っこを絡め取り、瞬間的に強く引いた。
「っあ?」
手にしていたムチの端を俺に引っ張られてつんのめったお嬢様は、その勢いで前方へ転びそうになった。
モチロン、そんな事は予測済み。俺はムチを引くと同時に、彼女に向かってダッシュして、スライディングしながら小さな身体を受け止めた。
「怪我はない?」
「ぶ、無礼者ッツ!」
ぱしっ☆
咄嗟に頬を平手で殴られた。
って、この場合、ドッチが『無礼者』なんだよっつ???
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