第47話 美弥子の憂鬱(彼女サイト)
あたしの持ち場である物流部資材二課の事務所は、入口一番奥に構える資材一課と、国際事業物流部に挟まれている、W・グローバル本社ビルの四階だ。
フロアには極力視野を遮る柱を省き、部署との境目を百五十くらいの高さがあるキャビネットで簡単な間仕切りをしただけのオープンスペースになっていて、自分のデスクから顔を上げれば、遥かフロアの端っこまで見渡せるような造りになっている。
会話も視線と同じく筒抜けだから、業務中での遣り取りは専らパソコンでのメール交換がメインになる。なので、キャビネットを挟んでの二人の遣り取りは、両部署側にとってもの凄く目立ってしまうし、ここにあたしが配属された当初から、同期の聖羅とあたしの仲が余り良くないのも両部署の周知の事だった。
『まぁーた始まったよ、あの二人』
『朝っぱらから勘弁しろよなー』
何処からとも無く聞こえて来るヒソヒソ声が耳について、たちまち居心地が悪くなる。かと言って、コッチから先に引き揚げるのは癪に障るわ。大体文句を言ってケンカを売って来たのは聖羅だし。あたしが逃げ出す理由なんて無い。それこそ先に引き揚げれば、負けを認めたと思われて、ナニを言われるのか堪ったものじゃないわ。
そう思っていたら、聖羅もどうやらあたしと同じコトを考えているみたいだった。引っ込みが着かなくなっているみたい。
『さっさと仕事に就けばいいのに』
っさいわね? それが出来ればトックに遣ってるわよ。
納まりが着かなくなるどころか、外野の陰口で余計に『火に油』状態だわ。
どうしようかと困っていたら、トッキーが助け舟を出してくれた。
「上原主任? 国際事業部からは何名の方が参加されますか?」
「え? ああ、部長には日頃いろいろと取り計らって戴いたから全員が参加……と言いたい処なのだけど、お声が掛かって返事する期間が短かったから、各自の都合が合わなくて、こちらからは女性4名と男性5名よ?」
トッキーの参入に、聖羅は怪訝そうな顔をした。
「場所と時間は確認されていますか?」
「え? ……ええ、一応……でもあの辺りは似たようなお店がたくさんあって……」
「ああ、あの辺りは似たようなビルが並んでいて、確かに迷いますよねー」
「え? 知っているの?」
「ええ『雅楽』のオーナーとは少し」
今回送別会の会場となった飲食店『雅楽』は、最近出来たばかりの和風創作料理店。ゴチャゴチャとお店が居並ぶ繁華街に足繁く通っているあたしや若い社員ならともかく、メンバーにはそう言ったお店にはとんと疎く、滅多に足を運ばない社員が半数以上を占めている。
モチロン、トッキーだって足を運ばない社員のうちの一人なのだとあたしは勝手に思っていたのに……トッキーは、その時間帯の待ち合わせ場所付近の交通事情や、繁華街の裏道最短コースまで知っていて、ポイントを抑えて要領良く、尚且つ細かく聖羅に説明してくれた。
うっそ―――っつ! しかも『オーナー』と面識があるだなんて……クラブや飲み屋系の事情を、このあたしよりも詳しいだなんて……どんだけ遊び人なのよ? 純真無垢なハズのトッキーが……なんでっつ???
そこまで来て、あたしはトッキーの二次変化にまたしても気が付いた。
「……?」
あれ? トッキーが聖羅とフツーに話して……る?
いつもの女性対面恐怖症が発症してないわ?
不思議だ……って言うか、それ以上に、お隣さんだとは言え、他部署の主任である聖羅と物怖じもせず対等に会話をしている新入社員のトッキーの姿があたしには凛々しく、そして頼もしく思えた。
「あ……ありがと。み、皆にそう伝えておくわ」
トッキーの説明が一通り終ると、聖羅はあたしとの険悪ムードをぶった切ってくれた、ウチの部署の隠れエースくんを不思議そうに見詰めた。
部署に配属されてから数ヶ月。その間、女性社員との挨拶の遣り取りすら疎かでマトモに出来なかったトッキーを、常日頃から聖羅はキモがって嫌っていたからだ。
だけど、今の聖羅のトッキーを見詰める視線は、今までのモノとは明らかに違っている。
女の勘として、あたしは聖羅の視線にピピッ☆ と来るモノがあった。
駄目っつ! トッキーはあたしのなのよ!
「なにか他にご質問でも?」
不思議そうな顔をして自分を見詰める聖羅に、トッキーは軽く笑って余裕を見せた。
なんなのっつ? この二人のアイコンタクトは? あのー、あたしを無視しないで欲しいんだけど?
「あ、あのっ……」
「榊主任、3番に部品課緑川さんからお電話です」
聖羅を牽制しておきたかったのだけれど、あたし宛の内線電話に呼び出されてしまい、あたしは已む無くその場から離れた。
後ろ髪を引かれる想いで受話器を握り、回線ボタンを押しながら振り返ったあたしの眼には、トッキーと愉しそうに会話を続けている聖羅の姿が映る。
〜〜〜ンのぉおおお〜〜〜っつ! それ以上あたしのトッキーに近付かないでよっつ!
アンタはトッキーのコトをキモがっていたじゃないのよ?
=「……課の緑川です。榊さん? あれ? 聞えていますか?」
胸の前で思わず握り締めた受話器から、緑川さんの怪訝そうな声が聞こえた。
「あ、あのぅ〜、主任?」
「あにっつ?」
「お、お電話……」
「わ、判っているわよっつ」
すぐ傍でオンラインの品目管理入力をしていた北畠さんが、あたしの異変を感じ取りドン退きしつつ、あたしに電話に出るよう促した。
急に女性恐怖症が完治するだなんてそんなご都合なコトは在り得ないわと思うのだけど、一体、どうしちゃったのかしら?
* *
「ふーっ……」
化粧室で手を洗いながら、あたしはじっと鏡に映った自分の顔を見詰めた。
トッキーのお陰で、その日は朝からなにも手に付かない状態だった。
エクセルでの表計算を入力すれば、キーの無駄な長押しで金額数値でケタ違いな入力をしてしまうし、営業担当者が連れて来た業者社長には、社長と間違えて営業社員に向って名刺を差し出してしまう不始末。
何が起こっても平気なあたしは一体何処に行ったのよー?
……なーんて、めい一杯強がってみた。
周囲からはナニを言われてもテンションを下げない鋼鉄女だなんて陰口叩かれたりしているのを知っているけれど、ホントーは……そんなコト無いもん。
だって、こうして独りで居れば思いっ切り泣きそうな顔が出来るもん。いつも自信一杯の生意気そうなあたしじゃなくったって、誰も見てないからいいもん。
エア・タオルのもの凄い風で手を乾かしたあたしは、化粧室のドアの外に人の気配がしていないかを窺いつつ、鏡を見ながらそっと長い髪に手を遣った。
ぱちん☆ とクリップが外れる小さな音がして、長い髪の『ヅラ』が取れ、毬栗みたいなベリー・ショートになったあたしの頭が現れる。
「……はぁ……」
地肌に心地良い外気を感じて、思わず溜息を吐いた。だけど……鏡に映った毬栗ちゃんの右横には、五百円玉くらいの大きなハゲが出来ていた。
くっすん……まだ生えて来ない。
何度夢だ、悪夢だと思い込もうとしたけれど、鏡に映ったあたしの姿は、笑えるくらい切なくなってしまう。
業者と遣り合って営業職からハズされてしまい、あれから一年近くも経っているのに、あたしの円形脱毛症が少しも治ってくれないわ……
親にだって内緒にしている、これはあたしだけの秘密事項。お医者さんからは、精神的なストレスが原因でしょうから、ストレスから解放されればスグに完治出来ますよと言われていた。ストレスの元凶になった業者とは、もう会う必要も無くなっているのに、どうして生えて来ないのよー?
このままずっと治らなかったら、どうしよう……?
不安に煽られて、自分の姿が堪らなく惨めに思えた。誰かになんとか助けて貰いたいけれど、これはあたしにとってはどうあっても他言出来ない内緒事。
だから、自分の姿を直視するのに耐え切れなくなったあたしは、コスプレって言う『変身』によって現実の美弥子から逃げ出す方法を見付けたのだ。
最初はとても真面目な理由から始めたのだけれど……やたら周囲から持て囃されて、加えてあたしも人目を惹いて注目されるコトに快感を覚えてしまい、これはこれとして満更でもないかなぁー? ……なんて思うようになってしまったの。
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