第49話 白いハンカチ(彼女サイト)
トッキーは少し困ったように眉を寄せて苦笑した。
もう二度と逢えないと思っていたせいか、それともトッキーへの想いが募り過ぎていたのかは判らなかったけれど、今ほどトッキーが男らしく見えた事なんてなかったし。
だけど、なんで?
もしかしたら、あたしが『美弥』だと気付いたのかしら? でなきゃ、こんなに短時間で素敵に変身するだなんて、常識的に在り得ないっしょ?
そう思っていたのに……
「主任?」
「はい?」
トッキーの甘い囁きに背筋がゾクゾクする。やっぱあたしの眼に狂いは無いのよ。
「主任って、バニラの甘い匂いがする。それ、香水ですか?」
「う? ……うん」
ああ、ソレはお香……って言いたかったけれど『香水』の華やかな響きに惑わされて、思わず大きく頷いてしまった。やっぱ同等の良い匂いでも『お香』と『香水』の認識って違うでしょ? あたしでそう思ってしまうのだったら、男の人なら尚更だわ。
そして、あたしの返事を聞いたトッキーは、少しばかり肩を落とすと、傍に居ても判らないくらいの小さなタメ息を吐いた。
「そうですか……僕の知っている女の人と同じバニラ系の香りだったから、もしかしてと思ったのですが……そうですよね? ああ、僕、今『香水』と『お香』を言い間違えちゃいましたね。そうですか……すみません。人違いでした」
トッキーはそう言いながらあたしの手の具合を念入りに確認すると、ポケットから今時珍しい真っ白なハンカチをサッと拡げ、慣れた手付きであたしの左手を包帯代わりに包んでくれると、気を取り直して満面の笑みを湛えてあたしを見詰めた。
「もう大丈夫みたいですよ? でも、まだ少しでも違和感があったらソク冷やしてくださいね?」
「あ、あの……さっきの……」
あたしの言い掛けた言葉は耳に届かなかったのか、トッキーはあたしを独り残して、何事も無かった素振りでお茶室を出て行った。
「……」
なに今の? ひょっとして、トッキーはさり気無くあたしに探りを入れていたってコトなのぉお?
「〜〜〜!!!」
ち、違ぁう〜〜〜!!! そーじゃないのよぉおおお〜〜〜お捜しの『美弥』はあたしっつ! 『香水』なんて洒落たモノなんか付けちゃいないわ! 『お香』の『美弥』はあたしなんだってばぁあああ〜〜〜!!!
うみ〜〜〜ん!
あたしは涙眼になって、トッキーが出て行った後の開け放たれたままのお茶室入り口を、ジト〜ッと睨んだ。
『香水』だなんて見栄を張って、ウソなんか吐いたりするのじゃなかったわ。今のがトッキーと『美弥』がめぐり逢える瞬間だったかも知れなかったのに。
……でも、まぁ……良いか……
あたしは左手を真っ直ぐに伸ばして、丁度自分の目線に持ち上げた。そして、器用に結んで貰った左手の真っ白なハンカチをじっと見る。
まるで婚約指輪を眺めているみたいで、誰も居ないお茶室であたしはちょっと照れてしまった。純白のハンカチが眩しいわ。
「……えへへ……」
トッキーに介抱して貰っちゃった……
『美弥』だと判っては貰えなかったのは残念だったけれど……徐々に嬉しさが込み上げて来て、あたしの口元が自然と緩んで来るのが判る。
トッキーとの余韻に浸って独りでニヤケていると、聖羅がお茶室に遣って来て、バッチシあたしと視線が絡み合ってしまった。
あ〜〜〜、ヤなヤツに遭っちゃったわよー。
心の中で、苦虫を噛み潰すあたし。聖羅もそんなあたしに気付いたのか、ムッとして口を尖らせる。
「なに独りで笑ってンのよ? キモイわね。こんな所でいつまでも時間潰してるんじゃないわよ」
聖羅はあたしを見るなり開口一番に眉を顰めて言い棄て、言われたあたしはゲンナリして視線を大きく聖羅から逸らせた。
「つ、潰してなんかいないわ。サーバーでチョッと火傷を……」
「はいはい、言い訳は結構よー? このサーバーで火傷だなんて、何処をどうすれば器用に怪我出来るのか、教えて貰いたいくらいだわ。さっき、部署の女の子が、あんたに電話だって捜していたわよ?」
「え? ……今何分?」
嫌な予感が過って、あたしは咄嗟に腕時計を一瞥した。
聖羅がサーバーのボタンを押した。用意したカップに注がれる水音が聞え、紅茶の上品な香りが辺りにふんわりと漂う。
「二十七分。休憩時間ならトックに終ってるわよ」
「っあ? 仕様報告会!」
予定だった定例会議が変更になって、繰上げになった会議が十五分から入っていたのを忘れてたっ! 午後の休憩は三時からの約十分間。あたしはその休憩の間にお茶室に来ていたのだけれど、まさかそんなに時間が過ぎていただなんて……
あたしの慌てた素振りを知り、聖羅が両手を腰に当てて呆れたように肩で息を吐いた。
「まぁーったく、資材課もあんたが主任だなんて苦労するわね?」
「よ、余計なお世話だわ」
大袈裟なリアクションは止めて欲しいわ。
歳も、性別も、役職までもがあたしと同等だからこそ言えたセリフでしょうけど、それでも節度ってモノがあるのじゃなくって? 言い過ぎよ。
トッキーのハンカチに暫く癒されていたのに、あんたのお陰で台無しよ。
あたしは聖羅にムカつきながら、肩で風を切るようにして急いでお茶室を出て行こうとした。
「今朝のカレシ……あの子、なんて名前?」
「あの子って?」
背後から追い討ちを掛けられたような気分になって、あたしは咄嗟に立ち止まる。振り返ったあたしの視界には、聖羅のだらしなく緩んだ顔が映っていた。
なによ? その嬉しそうな顔は? さっきはあたしの事をキモイって言ってた癖に、今のアンタの方がよっぽどだわ。
「え? 送別会の会場の事であたしと話してたカレよ?」
「土岐さんのコト?」
「そう、そのカレが代理で行ったみたいよ? さっき、慌てて事務所出て行ったから。でも、話を聞くだけなら良いでしょうけど、新人のカレに業務代理が務まるとは思えないから、あんたもサッサと行きなさいよ?」
丁度外回りで男性社員はみんな不在。部署に残っていたのは数人の事務員さんと、事務のシステム研修で居たトッキーと中途採用の汀さんだけだった。
あたしのピンチに突然何の前触れも無く現れたと思ったのは、会議呼び出しの連絡を受けて、あたしを捜していたからだったの? お茶室であたしを見付けたトッキーは、あたしの災難を知って何も言わずに介抱してくれて、その上代理まで買ってくれちゃったんだ……
そうだと判って、あたしは顔から火が出そうなくらい熱くなって、恥ずかしくなった。
こんな時に限って……あたしってば、何しくじっちゃっているんだろ?
駄目だわ。もっと落ち着かなくっちゃ……
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