第54話 身バレ…しそう?




    「どうしたの?」

    主任は俺の挙動不審を察したのか、踏み出していた脚を交代させて俺に向かって身体を開いた。

    黒い七センチヒールが硬質フロアの床に当たり、乾いた音がシン……と静まり返ったオフィスのエントランスに響く。

    「えっ、あっ……い、いえ……な、なんでもないです」

    俺は主任の視線から逃げるように顔を逸らせて俯いてしまった。

    なんだか顔だけじゃなくって、身体まで暑い。きっと全身真っ赤になっているんじゃないのかな? 

    照れているのがバレちゃっているようで、恥ずかしいや。



    「榊さん今お帰りですか? お疲れさん」

    「ええ。関谷さんこそ、お疲れ様です」

    館内の戸締り最終チェックを巡回していた守衛さんが、俺と主任を見付けて笑顔を見せると、軽く片手を挙げて通り過ぎて行った。

    守衛さんの姿と靴音が、ゆっくりと小さくなって行く。

    「ふふっ、関谷さん、私達のことどう思ったかしらね?」

    「どっつ、どど、どう思ったかだなんて……」

    じょ、上司と部下のカンケイだろ?

    意味深な質問をされてしまい、下心を見透かされた気がして俺の心臓が跳ね上がる。

    若干取り乱した俺に一瞬だけ視線を遣した主任は、軽く含み笑いをしながら立ち去って行った守衛さんの背中を見送った。



    「行きましょうか?」

    「はい」

    俺は主任の言葉に促されて、本社ビルから外に出た。

    主任は車での通勤だし、自転車通勤の俺と同じ道を歩くのもそう長い間じゃない。

    そういや俺、人から飲みに誘われることはあっても、自分の方から誘うだなんて事は無いし、主任を誘ってOKを貰ったとしても、若い女性が喜ぶような気の利いた店なんか知らない……

    だけど、今のこのチャンスを逃したら、主任とのツーショットはもう無いかも知れない―― そう思ったら、余計に未練が残った。

    社内恋愛はご法度だけれど、ココは部下の残業に付き合った上司が、たまたま一緒に退社したってコトで……

    「あ、あの……」

    「ねぇ、土岐さん? 今度は私に付き合ってくれないかしら?」

    「☆ あぁ?」

    不覚だ……勇気を出して誘おうと思ったのに、モタモタしていたから俺の方が先に主任から誘われてしまった。

    「お酒、大丈夫だよね?」

    「は……い?」

    主任はパッチリとした黒目がちな眼で、キョトンとしている俺を見ると、悪戯っ子みたいにくすくすと笑った。

    「私とじゃ嫌?」

    「そ、そんなコトは無いです。ただ、僕に付き合って頂いたのに……」

    「? に……って?」

    「さ、榊主任の笑顔って……あまり見た事が無かったものですから」

    そう言って、俺はムリヤリな笑顔を浮かべた。

    うわ〜、調子に乗って言っちゃった。

    いつもの覇気が無い主任を前にして安心していたと言うか、油断してしまったと言うか……俺としたコトが……えーいこの際、笑ってゴマカセだ。

    「あー、いつもは怒ってるって言いたいの?」

    「はぁ」

    「だって土岐さん業務中にウトウト居眠りしているもの。上司として注意するのは当然でしょう?」

    「はは……」

    「笑っている場合じゃないです」

    「……はい……すみません」

    ぴしゃりと言い捨てられてしまったが、その言い方にはやっぱりいつもの気迫を感じるコトは無かった。

    「私の車を出していいかしら? 帰りは代行でここまで戻って来ますから」

    「あ? はい」

    頷いた俺に、主任は自分の車のキーを、白っぽい牛革メッシュのバッグから取り出すと、意外にも幼い……つか、主任には失礼かもだけど、妙に可愛いウサギのぬいぐるみキーホルダーを摘まんで、自分の目線まで持ち上げて見せた。



      *  *



    主任が選んだワンショットバーは、有名ホテルが軒を連ねる繁華街に在り、窓からの夜景がとても綺麗に見える。

    ワンショットバーだと言われていたので、騒がしい店内を想像していた俺は、ブルースの流れる落ち着いた店内の雰囲気に、少し拍子抜けしてしまった。

    俺もクラブに通っていたから判るが、ぐるっと店内を見回せば、店の雰囲気もだが客層もそれなりに上品。カップルは勿論だが、女性独りでも結構入り易いし、実際、独りで来ている女性客も目立っていた。何よりも、バーテンダーが女性だし。

    主任はこの店のお得意様らしく、顔パスで夜景が綺麗に見えるブースを予約無しで確保した。

    俺は軽い口当たりの※‐1)モスコミュールを。主任は※‐2)マティーニと言う、割とアルコール度が高くて辛口のカクテルをオーダーする。


    「でもね〜、ホント今日は助かったわ。提出してくれた議事録だけで会議の内容がよく判りました。私が会議に出席しなくても大丈夫なくらいよ。流石は資材部のエースくんね」

    「僕、そんな風に言われているんですか?」

    俺は愛想笑いを浮かべながら、主任の言葉に正直、顔色を変えてしまった。

    いつの間にか社員の間で突出していただなんて……気付かなかった。

    俺が普通の社員だったら手放しで素直に喜べたコトなのだろうが、生憎俺は身バレを恐れて偽名を使っている。目立つコトを避け、地味を心掛けていた心算だったのに……それこそ興味を持たれて身元を調べられでもしたら、タイヘンじゃないか。

    「気に障ったのならごめんなさいね? でも、嫌味じゃないわよ? 貴方の事務処理能力を既に入社当初から見抜いて、高く評価していた管理職は何人も居たわ。海外部門の一ノ崎部長や営業部の渡部長なんか、会議で私と会えばいまだに土岐さんを名指しして、遣して欲しいって言うくらいだもの」

    主任は嫌味の無い笑顔で俺を見た。そして、新卒社員で他部署の上司が名指しで人事を希望して来ること自体、前例が無くて珍しいのだと言い、そんな社員が自分の部署に居るのをとても誇りに思っているとも言われてしまった。

    「き……綺麗な夜景ですね?」

    「でしょう? 私のお気に入りなの。紹介したのは土岐さんが初めてなのよ?」

    「え? そうなんですか?」

    俺は慌てて話題を振ったが、主任は俺が焦っているのに全く気付いていないみたいだった。

    でも、それにしたって……嬉しい筈なのに喜べない〜〜〜。



    ※‐1)ロングカクテル(種別)。食前、食後を問わずに飲める、ウォッカベースのとてもスタンダードなカクテル。度数は10〜16.6度。透明な琥珀色で、ライムスライスを添える。

    ※‐2)ショートカクテル(種別)。レシピは時代とともに甘口から辛口へと移行する。度数は25度以上と強い。透明色で、オリーブをカクテルピンに刺して添える。


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