第56話 疑惑のクスリ?




    まさか海棠との今の会話を聞かれてしまったのじゃないのかと思って、俯いている主任の顔を慌てて覗き込んだけれど……

    「……?」

    静かだなぁー……と思ったら、微かに『くぅー……』とかって可愛らしい寝息が聞こえて来たし。

    主任にナニが起こって、あんなにハイペースで飲んでいたのかは知らないけれど……少なくとも、俺と一緒に居て主任が美味い酒を飲んでくれていたコトには違いないみたいだ。普段、顔を突き合わせればいつも怒った顔をしていたから、てっきり俺は個人的に嫌われていたのだと思っていたのに、案外それって俺の思い過ごしだったんだと判って、気持ちが随分と軽くなった。

    まぁ、怒られる原因は居眠りしてる俺の方にあるんだけど。

    つーか、立ったまんまで寝ないでクダサイ。正直、人混みの中で肩を組んで移動しているこの状況は、俺的に恥ずかしいんだけどな。


    「おーい、チビ!」

    「え?」

    雑踏に紛れて消えた筈の海棠が、軽快な足取りでにやにやしながら戻って来た。

    「アレ? 彼女達は?」

    「先に行かせた。チビにコレを渡そうと思ってよ。戻って来たんだ」

    蓮っ葉な口調でそう言うと、海棠は俺の眼の前に自分の右手拳を上げて見せた。思わせぶりな動作から、何かを握っているようだと判る。

    「なに?」

    「ほらよ、酔い醒まし。彼女に飲ませて遣れ」

    海棠は俺の右手を取ると、掌に黄色い錠剤を一錠乗せて握らせる。

    酔い醒まし? 錠剤の色から判断して、ウコン系のものなのだろうか?

    「あ、ありがと」

    「良いってコトよ。じゃあな? 今度こそ元気でな?」

    「う……うん」

    海棠が器用にウィンクを遣したと思ったら……先に行かせた彼女達を追って、瞬く間に人混みの中へと掻き消えてしまった。

    主任の状態を診て、海棠が気転を利かせてくれたのだろうか……? 

    俺はこの業界から居なくなったって言うのに、相変わらずなアニキ肌で居てくれた海棠の態度がやけに嬉しかった。

    だけど……それにしたって、あの妙なニヤニヤ笑顔が引っ掛かる。なんかこう……悪戯っぽい腹黒さが滲み出ていたような気がした笑顔だったんだけどな?

    まあ……いいっか。ここはひとつ、海棠の好意だと捉えて素直に貰っておこう。


    俺は海棠の消えて行った方向へと視線を遣しながら、項垂れている主任をひょいと抱え直した。

    「ん?」

    急に身体をシャクルように抱え直されて、それまで意識が飛んでいたらしい主任が僅かに反応した。

    「気が付きました? 起きてくださぁ〜い?」

    俺は主任の耳元で囁いた。イロケも何も無いが、早く主任には酔いを醒まして貰わないと、このままじゃあ俺としては帰れないし、困るんだ。

    主任は伏せていた顔を擡げると、急にくすくすと笑い出した。

    「土岐ひゃん、ごえんえー?(ごめんね〜?) くふふっ……あらひ、酔っちっちみらい(あたし、酔っちゃったみたい)……」

    「言わなくったって、判ります」

    この状況だし。

    俺は少しばかり不機嫌になって口を尖らせた。飲みに付き合うのは構わないが、酔った主任のお世話まで付き合ってくれとまでは頼まれちゃいないし、俺だって承知しちゃいないぞ?

    主任は確か、酒には強いって部内からのウワサだったけれど、アレって全くのガセ……なのじゃないのかな?

    「んふふっつ、土岐ひゃんにらいひぇっきーん♪(大接近)」

    「はいはい」

    うわっ? ち、ちょっと……

    店のすぐ前には片側二車線の通りがあり、車の往来も激しいが、通行人も大勢居る。なのに、主任は呂律の回らない喋り方でふざけたかと思うと、いきなり俺の首に両腕を絡めて縋り付いて来た。

    俺は微妙なセクハラを覚えてしまい、内心では物凄く焦りまくっているのだが、表面では自然を装い、上機嫌の酔っ払い主任へ適当に相槌を打つと、片手で主任の背中を宥めるようにぽんぽんと叩いて遣った。

    「あン、あらし、ころもやにゃいにょよ?(子供じゃないのよ?)」

    「……そうですね?」

    俺の態度に不満を感じたのか、舌っ足らずの酔っ払い主任が抗議する。

    幾らお世話係が居るからって、安心し過ぎだよ。少しは自重して欲しい。

    主任の自宅を知らない俺は、これからどうしようかと迷ってしまった。

    車の運転が出来ないワケじゃ無い。免許は勿論習得している。実用でないからペーパードライバーになってしまうが、※)スーパーライセンスや競技審判員のオフィシャルライセンスも持っているし、勿論国際A級ライセンスまで習得している。でも、普段が自転車通勤の俺だから、そもそも免許証なんて必要じゃないし、免許証は本名だから常時携帯していないんだ。

    代行呼んで、会社の駐車場まで戻ったって、その間に主任の酔いが醒めそうもないし、下手をすれば車内での心地好い揺れが手伝って、このまま主任から爆睡されてしまいそうな嫌ぁ〜な予感さえする。

    ……となると、海棠から貰ったこの錠剤に頼った方がいいのかな?

    俺は何となく妖しげな海棠のクスリを右手で摘まんで暫く眺めると、俺の左肩に顔をスリスリして猫みたいにゴロゴロしている主任へと視線を落とした。

    「主任〜、アルコール強いって言われていたじゃないですかぁ。どうしちゃったんですか? しっかりして下さいよぉ〜」

    「んあー? 土岐ひゃん怒ってうー?」

    ダレが『土岐ひゃん』だよっつ? 

    しかも、そんな大袈裟に泣き出しそうな顔をしないで欲しい。

    「怒ってやしませんよ」

    「うしょらぁ〜(嘘だぁ〜)」

    「嘘じゃないです」

    困ってるだけだし。

    しかも、酔っ払い特有の表情で眼が据わってる。主任は美人に分類されてるんだから、そんな顔しちゃコワイし、ある意味ハマり過ぎだから駄目だよ。



    ※)スーパーライセンス : ご存じ、F-1パイロット(F-1の場合はドライバーとは言わない場合が多い)の免許。
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