第58話 トラブルメーカー?
「こんらとこれもろへない〜〜〜(こんなトコで戻せ無い〜〜〜)」
路地裏の側溝に向かって座り込んだ主任は眼に一杯涙を溜め、俺に何とかして欲しいわと言わんばかりに瞳をウルウルさせて、近い距離から俺を見上げて来る。
そのキレイな眼に射抜かれたみたいに俺の胸がドキンと鳴って、思わすフリーズしてしまった。
まるで仔犬か仔猫の『お願いモード』だ。こんな眼で見詰められたら、逃げ出せないじゃないか。
「そ、そんなこと言ったって……」
「うー、うー」
「うわ、うわ……ち、ちょっと……」
ああっつ、思わず擦っていた手を止めたからか、主任はまたしても吐き気をもよおす。
アタフタしながら主任の背中を撫で擦り、俺は眼の前にある、幅五十センチほどの汚い側溝に視線を落とした。
雨水を流す目的で造られた側溝には、濁った汚水が流れを失って停滞している。暗いから詳細は判らないが、溝の深さは六十程度。水深も大した深さでは無さそうだ。お世辞にも綺麗だとは言い難い側溝は、流れが無いせいかなんだか臭っているような気がする。
そして、俺はだんだん主任が可哀想に思えて来た。
幾ら自分が飲み過ぎて気分が悪くなったって、人目のある路地裏だ。年頃の主任に、こんな汚い所で戻せと言われてもイヤだろうし、むしろ吐き気度マックスになっても楽になれない悪循環を強要しているような気がして来た。
まるで拷問じゃないかと思ってしまう。
「うー、土岐ひゃん……」
「なんです?」
「……う……」
「はいぃ?」
俺は主任が指さしているその視線の先を眼で追った。
そこには、ネオンも煌びやかなラブホのビルが眼の前に……って、それは俺に『連れて行け』の指示なのかな?
主任のピンチなのに、ラブホの指示で俺は一瞬退いてしまったのだが、これは主任がどうにもならなくなった況を善処しようとして、敢えての提案をしたんだなと俺的に納得した。
とにかく、今の主任は他人の眼から逃れたくて必死なんだろう。この際、身体を少しでも休めて調子を整える事が出来るのなら、臨機応変。目的の為には手段を選ばず……たとえそれがラブホでも……ってコトなんだろうなと解釈した。
「ね?」
「あ? ……はい。判りました。ここからだと近いですからね」
俺の承諾の言葉を合図に、主任の様子が少しだけ良くなったように見えたのは錯覚なのだろうか……? シラフなら、主任の計略だろうと疑ってしまうけど、今は緊急事態だし。かと言って、酔っていての『演技』だなんてまさかだと思う。それこそあり得ないだろうと、自分の安易な考えを否定した。
もしかしたら、もう少しで休めると安心してちょっとだけ元気になっただけなの……かも。
但し、俺にとってソコでの長居は厳禁だ。
俺はこの界隈で働く連中と何人かの面識を持っている。中にはさっきの海棠みたいに好意的に接してくれるヤツも居るが、相手にはしたくない真逆の連中だって居る。下手に目撃されれば面倒だ。
だから、少しでも早く酔いを醒まして貰おうと、ポケットから海棠に貰った『酔い醒まし』の薬を手に取り、主任の顔の前に出した。
「でもその前に、先にコレを飲んでくれませんか?」
「んにゃ?」
「酔い醒ましのクスリです。水ならさっき買ったのがココにありますから」
主任は俺の言葉に素直に従って、エヅキモードに苦労しつつ、なんとか錠剤をイオン水と一緒に飲み下してくれた。
「立てますか?」
「ん〜、マダ(気持ち)悪〜」
「しっかりしてくださいよ〜、明日も仕事でしょう? 報告書にも記録残していますが、明日は未払い会社三社の検討会議がありますよ。十時十五分から、第二会議室ですよ? 判ってますか?」
「んにゃ〜、土岐ひゃん仕事にょ鬼らぁ〜」
「僕は今日の報告会に参加しましたから、主任に伝えておかないといけないんですよ。『必ず主席するように』って、上からそう念を押されているんです。明日、会議をキャンセルしたら、僕、怒りますからねっつ?」
「ふみぃ〜〜〜ん……」
「泣いたフリしたってダメですから」
こらこら、泣き落としなんか効かないからな。主任こそシラフの時は俺よりも仕事の鬼だってコトぐらい判ってるんだし。
立ち上がろうとして主任は何度もふらついてしまったが、その度に俺は主任をしっかりと支えて抱き締めた。俺と余り身長が変わらないのに、思ったよりも着痩せして見えるのか、猫を抱いているみたいにぐにゃぐにゃしていて柔らかい。それは脂肪なんかじゃなくって、身体の基本構造が女と男とでは違うってコトなんだろうけど……主任、胸おっきい……つか、なんかジャマ。
主任はへなへなと路上にへたり込んでしまった。
「しっかりしてくださぁ〜い」
頼むから。
どうやら膝に力が入らなくなっちゃっているみたい。ヤレヤレ、おんぶして行った方が危険も少ないしラクかな……そう思って主任に背を向けて向屈み込む。
「さ、おんぶしてあげま……!」
言い掛けて、俺は咄嗟に前方から『殺気』を察知して身構えようとした。
「あッツ?」
屈み込んで後ろを振り返るよう上体を捻った姿勢を取っていた時に、右の肩口に強い衝撃が来て、その部分が爆発的に熱くなる。
俺は十分な防御の体勢を取れないまま、肩口に連中の一人から強烈な蹴りを入れられて、そのまま為す術もなく側溝の底に突き落とされた。
「ようよう、見せ付けてくれんじゃねーかよガキ」
「お嬢さん? 俺等が手厚く介抱してやっからよ?」
「あ〜んなガキじゃ不満だろ? せいぜい楽しませてやっから」
「あ? あによぉ! 触んにゃいで!」
パチンと破裂音がして、男の情けない悲鳴が聞こえた。連中の誰かが主任に手を出そうとして、引っ叩かれたようだ。
「こンのアマ……」
「ナニすんのよ? 放せぇえええ〜〜〜!」
数人の足音が入り乱れて、主任が力づくで引き倒されて押さえ付けられてしまった。
「主任ッツ!」
「おお〜っと、動くなよ? お前が動いたらこの女の身体に傷が付く事になるぞ?」
「く……」
品の無い喋り口調で現れた連中は三人。
その誰もがTシャツにオープンシャツでジーンズ姿と言う、似たような安っぽい古着を着崩している。奴等がこの辺りの『元締め連中』とは違い、単なるゴロツキだと言う事が即判ったから、遠慮なんか必要無い。
俺は憮然として、側溝から這い出し立ち上がると、自分の眼鏡をスッと外した――
この展開、確か似たようなコトがあったよな?
あれは数日前、絡まれた女の子が偶然美弥だと知らずに、乱闘騒ぎを遣らかしたのだったっけ? あの時は眼鏡を飛ばされて記憶も飛んじゃっていた。
似た様な場面に直面して、俺は若干退いた。
今度は美弥じゃなくって、主任の榊さん? どっちも美人で可愛いけれど……と、そこまで考えて思い当たるフシがあった。
もしかして、二人に共通してンの俺だけじゃん? まさかとは思うが、トラブルメーカーって……ひょっとして『俺』っつ???
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