第59話 見覚えのある…?




    「つ……」

    眼鏡を外したせいで、俺は強烈な眩暈に襲われた。この前とは違って俺が自分から意識的に眼鏡を外したから、正気で居られる時点から意識が吹っ飛ぶまでの三分間で、何とかカタを付けないと。

    側溝に落とされたお陰で、尻がドロドロになって滅茶苦茶気持ち悪い。

    だが、こうなったのはこいつらのせいだ。

    俺はキッとなってそいつ等を睨んだ。

    「おんやぁ? こりゃまた失敬。ガキかと思ったら、こっちも中々の上玉嬢ちゃんじゃねーの?」

    だから、俺はオトコだって。そりゃあ、よく間違えられたりするけれども……

    こんな時に、挫けそうになるようなNGワードを口にするな。一気に萎えてしまうだろうがっつ!

    「おーおー、殺気ビンビンに尖らせてンぜ? 面白れぇ、こいつぁ俺が先に頂いて……」

    大根みたいな太い腕が、左の二の腕を掴もうと襲い掛かって来た。

    俺は予備動作無しで軽く右足を踏み込んで、懐深くに飛び込む。素早くそいつの後頭部に右手を添えると、相手の勢いを活かしたまま残していた左足を『弧』を描くように引き付け、そいつの身体を斜め下後方へと押し遣った。

    バランスを崩されて、そいつは俺が落ちた側溝へと、悲鳴を上げて頭から突っ込む。

    てっきり俺が瞬殺されると思っていたのか、残ったもう一人は仲間に取り押さえられていた主任の傍に近付いていた所だった。

    身長差も体格も、奴とでは全く話になる筈の無いこの俺にあっさりと交わされてしまったのが信じられなかったのか、残った二人が一瞬息を詰まらせる。

    「なッツ? ……テメェ……遣りやがったな?」

    瞬間湯沸かし器になって真っ赤な顔をした男が、カーゴパンツの尻ポケットからジャック・ナイフを取り出した。暗がりに光る蒼白い刃を自分の目線まで持って来ると、刃先を上に向け、俺に向かって『どうだ?』と言わんばかりにニヤリと笑う。

    ああ……手慣れているとでも俺に言いたいのだろうか……獲物(ナイフ)を手にしたからって、安心するのはまだ早いんだけどな。

    俺は自己陶酔モードに入ったそいつにゲンナリしてしまう。

    頼むから、さっさと来い!

    「死ねやぁ!」

    ナイフを大きく左右に振り回して斬り込んで来るけれど、大振りし過ぎて、次の攻撃に入る間が隙だらけだ。

    俺は上体を揺らして二、三度刃先を交わし、四度目に真上から斬り付けようとした右手首を内側から捕まえると、相手の肘を壊さないよう深く折り曲げさせながら手首を捩じり込んだ。

    さっきと同じく相手の体勢を崩すよう、円弧を描きながら引き倒すと、腕を軸にしてそいつの身体が面白いくらいに一回転して路上にべしゃりと落ちる。

    受け身すらまともに出来ずに路上へと叩き付けられてしまったそいつは、自分の胸を圧迫してしまい、激しく咳き込んだ。

    握っていたナイフが解けて、アスファルトの路上に涼しげな音を立てて転がる。

    残るは主任を押さえているこいつだけだ!

    「……や、野郎……合気道か」

    惜しい☆ 合気道じゃないんだけど……な?

    ナイフを持ってしても動じなかった俺に怯んだのか、そいつは主任の手を緩めて逃げの体勢になっていた。

    「っつ……」

    ズキン! と頭の奥が鈍く疼いた。

    こっちはもう理性を抑えていられる時間がもう無いんだ。無駄口を叩いている暇があるのなら、さっさと掛って来い!

    俺の異変に気付いたのか、仲間をあっけなく倒されてビビっていたそいつが、顔を引き攣らせながらニタリと笑う。

    「な、なんだよ。驚かせやがって……お、お前、どっか怪我してンだろ?」

    「別に……」

    ああ、口を開くのも億劫になって来た……つか、うぜー。

    怪我じゃなくて、時間が無いだけだって。このまま時間延滞したら、特別病院送りのサービス付きタイムになるのに……いいの?

    事後処理の事を考えれば、出来ればそんな事はしたくないし、第一主任にも、見境が付かなくなってしまった俺からの危険に曝される。

    「けっ、怪我してるって言えよ。み、みみ、見逃して遣るからよ……」

    「はぁ?」

    なに舞い上がってンだよ? 日本語間違ってるぞ? 『見逃してくれ』の間違いじゃないの?

    「な、なに固まってんだよ? お前、あ、謝ったらゆ、赦してやってもいいぞ」

    はぁ、顔引き攣らせて何言ってンだか……

    KYな空元気もここまで来るとおめでたいと言うか、何と言うか……俺は馬鹿々しくなって、自分の眼鏡を取りに行こうと、そいつにくるりと背中を向ける。

    「って、おい! 聞けよコラァ!」

    「うっさいわねっ!」

    「げっ!」

    主任の鋭い声が飛び……眼鏡を拾って掛けた俺の視界には……左頬へ主任からの右ストレートをモロに喰らって空中に投げ出されている、そいつの情けない姿が映っていた。


    「しゅ、主任……お見事」

    「あら、いやぁ〜ん、土岐さんったらぁ……でも、みんなにはナ・イ・ショよ?」

    小首を傾げると、主任は人差し指を軽く窄めた唇に押し当てて、器用にウインクを俺に遣した。

    「は、はぁ……」

    主任から、見なかった事にしてくれと頼まれちゃった……って言うか、今の決まった右ストレート……どこかで見た様な……???

    「さ、さあ……行きましょう? こんな所にいつまでも居れば面倒に巻き込まれてしまうわ」

    「???」

    主任は慌てて俺を急かした。

    って、もうとっくにその『面倒』にはご対面済みなんだけど?




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