プロローグ 




    ドンヨリと濁った重そうな空と同じくらい重い空気が、俺の屋敷の中を取囲んでいた。

    俺は屋敷内の五階にある中央テラスから、今日で見納めになる子供の頃からの見慣れた風景を眺めていた。

    既に所有者が決まっている広大な庭の樹木は丁寧に刈り込まれて剪定され、新しく遣って来る主人の到着を待ちわびているみたいだ。


    「正宗坊ちゃま、先ほどお屋敷内の総ての者が出て行きました。このケント、正宗坊ちゃまと、お亡くなりになられました旦那様と奥様に執事としてお仕え致しまして数十年……まさか……まさか斯様(かよう)な事態になってしまうとは……面目もございません……」

    執事のケントが感極まって、潤んだ瞳で俺を見上げた。

    ケントは齢六十を過ぎても尚カクシャクとした、上品なおじいちゃん。俺のオヤジの代からの執事で、物心付いた頃からの、文武両道に秀でた俺の教育顧問だった。銀髪かと見紛うばかりの白髪に黒いタキシード姿がよく似合っている。

    だけどいよいよ今日でお別れだ。

    「いいんだ。ご苦労だったね、ケント……身体に気をつけて……」

    「正宗坊ちゃまこそ……くれぐれもその眼鏡を手放される事をなさいませんように……」

    その『坊ちゃま』は止めて欲しいと言ってるのに、コレばっかりは最後まで聞いてくれなかったんだよな。

    俺は長年仕えてくれたケントに最後のお別れを言った。

    「ありがとう」

    「坊ちゃま……そのお言葉、余りにも非力ゆえのケントに……も、勿体のうございますううう〜〜〜」

    ケントはアイロンのビシッと掛かった真っ白いハンカチを取り出すと、辺りに誰憚る事無く号泣した。


    俺の両親が事故で亡くなってからというもの、両親が経営していた事業から、取引先は次々と引き潮のように撤退して行った。お陰で相次ぐ不渡りの連発に経営困難を強いられた常盤(ときわ)財閥は、遂に破産宣告を受けてしまったんだ。

    大正初期に建てられたと言われているモダンな洋風のデカイ屋敷は、手広く着手してしまった公共施設との抱き合わせで、抵当に売却されてしまった。

    経営が傾いたとたん、俺は親族一同からアッと言う間に背を向けられてしまった。

    執事であるケントや顧問弁護士の並み々ならぬ尽力のお陰で、被害は最小限に食い止められたけれど、それでも負債総額は数千万単位。かなりの額に上っていた。

    そして明日から、俺は身寄りの無い貧乏学生になってしまう……



      *  *



    あれから三年後――

    当時大学生だった俺は、日々の修学を奨学金制度に頼り、バイトに明け暮れて必死の思いで卒業した。そして何とか地元の優良企業の子会社に就職していた。

    ……っても新卒の給料だけじゃ借金返済の道のりはまだ遠い。だから会社にはナイショにしておいて、コンビニやその他諸々のバイトは未だに継続中だ。会社は正規社員のアルバイトを禁止している。もし見付かれば、即クビなのを承知していながら、俺はこの日もコンビニのバイトに励んでいた。


    「ふわぁあああ……」

    アゴが外れそうなくらいの大欠伸をして、俺は店の裏にあるゴミステーションに、左右両手に振り分けた四十五リットル用ゴミ袋を持って行った。

    時刻はまだ明け方の四時半頃だけど、夏の日の出は早い。遠くに見える山脈の輪郭に沿って、もう東の空が薄っすらと明るくなりかけている。

    あーあ、今日も居眠りして、榊(さかき)主任を怒らせるのかぁ……

    俺は涙眼で憂鬱になりながら、ゴミを持った手で寝惚け眼を擦った。


    榊主任は俺の就職先、大手企業の子会社で浄水機器関連の会社であるW・グローバル株式会社、資材部二課の女性主任で、御歳二十六歳の才女だ。

    普段は眼鏡を掛けていて、眼鏡ナシの素顔を知らない俺だが、噂じゃパッチリお目々のクールビューティー。おまけに『巨乳のヤリマンちゃん』らしい。

    確かにキレイな顔立ちだとは思うけど、俺が榊主任と顔を合わせるのは必ず叱られている時ばかりなんだよな?

    だからマジ見も出来なければ、ナイスなプロポーションを拝むだなんて、俺には絶対無理っぽ。

    眼鏡チビで通っている童貞くんの俺だから、主任がヤリマンかどうかの真相は暴けなくても、そのうち機会があれば巨乳ちゃんかどうかくらいは確かめて遣ろうとは思うけど……あんまりガミガミうるさいから、興味、マジで無いんだけどさ。

    ああ、言って置くが二十一のこの俺が未だに童貞くんなのは、病気とか、EDとかの理由じゃないからな? ちゃんとした健康体だけど、毎日借金返済で仕事してりゃ、彼女つくってデートだとかいちゃついているヒマなんかありゃしないってーの。

    はぁ……でも、なんか親の借金返済の為だけに生きてるだなんて、虚し過ぎてあんまりだよぉー。



    ゴミステーションには、既にカラスの大群がタムロって、ゴミ出し時間外に出していた違反ゴミを漁っていた。

    「シッ! シッ! アッチに行け!」

    俺は手に持っていたゴミ袋をぶんぶん振り回して、カラスを追い払う。

    カラスは後から来た俺に、ゴミのエサを横取りするなと抗議しているみたいだった。ギャーギャーと喚き散らしながら次々と飛び立って行く。

    あーあー、こんなに袋を裂いちまって……ココの掃除は俺が遣るのに、仕事を増やしてくれるなってーの。

    先に棄てられていたゴミ袋をカラス共に引き裂かれ、中味をぶちまけられているのを見て、ブルーになった。

    ったくぅ……

    タダでさえ生ゴミが臭うのに、カンベンしてくれよな?

    俺は手にしていたゴミを回収ボックスに放り投げようとして、袋を大きく振り回した。

    そして次の動作に移る瞬間、俺の手がぴたりと停まる。

    「ん?」

    俺の視線はゴミステーションのある一点で固定され、動かせなくなってしまった。

    「……あ、ああ……」

    その場に立ち竦んだ俺の両手から、大きなゴミ袋がどさりと落ちる。

    俺はその状況を目の前にして、妄想で頭がおかしくなってしまったのかと、何度も眼を擦って頭を振った。

    積まれたゴミの山に埋もれるようにして、等身大の人形が横向きに丸くなって転がっていたんだ。




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