第10話 KISSのお味は?




     彼女が風呂から出た後、首輪の拘束からやっと解放された俺は、半月ぶりの風呂に感激してしまった。

     しかも俺が住んでいたマンションとは比べモノにならねーゴージャスな浴室。サスガは大企業のお嬢様が住んでいるマンションだ。

     クリームホワイトの大理石を基調とした四畳半近くある広々とした浴室には、棺桶の倍くらいの幅があるデカイ浴槽があり、すぐ上にある出窓タイプの窓を開ければ、眼下に市内の夜景が綺麗に見えて、ちょっとした露天風呂気分に浸れてしまう。

     まるで会社の事業案内パンフに掲載されていた、海外のリゾートホテルにそのまんま遣って来たような気分だった。

     ……ま、ココでの俺は召使みたいな待遇だけどよ。


    「う〜〜〜っ! 気持ち良イ〜〜〜!」

     掛け湯をして、身長百八十弱の俺がゆったりと身体を伸ばせられる広い浴槽に入ると、たっぷりと浴槽に張られていた湯が勢いよく溢れ出た。

     実家でンなコト遣れば、スグに母さんや妹がすっ飛んで来て『勿体無いコトをするな!』つってブン殴られるってゆーお約束になるんだが、どうやらココじゃそんな酷い眼には遭わされやしないらしい。

     いやー、サスガは大企業のお嬢様が住んでいるマンションだぜ。俺は自分の今までのセコイ生活とココでの違った価値観を比べて羨ましく思いながら、まだ完治し切れていなくてギブスで固められている両脚を開き、浴槽の左右の縁に足先を乗せると、『相棒』を湯の中でふよふよと漂わせた。

     く〜〜〜っ☆ 堪んねー! この解放感っつ!

     俺は頭を浴槽の縁に預けて天井を仰ぎ、身体を湯に預けて浮かばせると大きく息を吐いた。大量の湯気から来るマイナスイオンに包まれて、心と身体がどんどんリラックスしているのが感じ取れる。風呂がこんなに気持ちのイイモノだとは、今の今まで思わなかったコトだ。

     浴槽に浸かったまんま正面の壁を見れば、14インチの液晶テレビがあり、テレビは勿論だが、切り替えさえすればマンションのセキュリティカメラも映し出せる。

     なんちゅ〜贅沢してるんだよと言いたいよ。

     彼女の恵まれた環境を羨ましく思ったが、彼女には彼女なりに辛いコトもあったらしい。


     聞けば彼女は三姉妹の末っ子なのだそうだが、彼女は二人の姉とは腹違いの姉妹で、年も下の姉とは七歳、上の姉に至っては十二歳も離れているせいか、あまり『姉妹』を意識したコトが無いらしい。彼女は父親の木村社長と今の婦人との娘だが、歳を取ってからの愛娘を社長は溺愛したものだから、嫉妬された彼女は、二人の姉から結構冷たくされていたそうだ。

     それまでは彼女も『木村』の姓を名乗っていたんだが、父親が代表取締役社長に就任した三年前、親族間でのイザコザに巻き込まれて散々嫌な目に遭った彼女は『木村』を飛び出して母方の姓である『白石』を名乗るようになり、彼女は『木村』の相続権を放棄してしまったらしい。

     だけど、木村社長の娘で有るコトには違いない。彼女が木村の身内だと知って言い寄って来るザコは未だに後を絶たないそうだ。

     ま、金持ちには付き物のよくあるイザコザだし、言い寄られてメイワクってのも贅沢な悩みなんじゃねーのかな? もっともそんなコタァ俺にはカンケーねーけどよ。



     風呂から上がった俺は、ザッと身体を拭いてそのまんま素肌にバスタオルを腰に巻き着けると、キッチンへ向かった。

     冷蔵庫から、開封済みの一リットルの牛乳パックを取り出すと、横に振って残量を確認する。軽〜い振れから察すると、一気飲み出来そうな分量だ。

     俺は牛乳パックを直飲みした。

     冷たい牛乳が喉を通って火照った身体に気持ちイイ。

    「く〜、美味ぁ〜」

    「何してるのよぉ!!!」

    「へっつ?」

     彼女の怒鳴り声とほぼ同時に、左の頬から鋭い痛みと破裂音がした。

    「あだだ……んな、ナニすんだよっつ!」

    「『ナニするんだ』って? それはあたしが言いたいわッツ! 牛乳、もうそれしか残っていなかったのよ! どうして直飲みなんかするのよッ! もう飲めないじゃないのよ!」

    「ンなコト言ったって……」

     俺だって飲みたかったし。こんなモン、早いもの勝ちなんじゃね?

    「何よ?」

    「飲みたかったら先に飲んでおけばいいじゃないっスか。俺が風呂に入っている間にサッサと飲めば良かったでしょ? なにも殴るコト無いじゃないですか」

    「髪を乾かしていて時間が掛ったのよ! 司が直飲みなんかするからじゃない! もうそれ残っても飲めやしないわ」

    「このくらい大丈夫ですよ。直飲みくらいしませんか?」

    「そんなの遣ったりなんか、しないわよッツ!」

     彼女は興奮し、真っ赤になって反論した。まるで汚いモノでも見てしまったって様子だ。

     野郎同士で廻し飲みくらい平気で遣っていた俺は、彼女の潔癖さを垣間見てウンザリしてしまった。

    「そんなに嫌がらなくっても良いじゃないっスか。潔癖過ぎるのもどうかと思いますよ?」

    「潔癖ですって? そんなコト無いわ。司が汚い事をするからでしょ?」

    「俺って……俺ってそんなに『汚い』ですか?」

     興奮してる女ほど厄介なモノはねーよ。俺も彼女に釣られて興奮しそうになったが、敢えて静かにそう言った。

    「そ……そんな……コト……」

     俺の言葉にハッとした彼女が言葉を濁した。

     ったく、口数の多いお嬢さんだ。

     冷静になり掛けた彼女と交代するように、徐々に腹立たしくなって来た俺は、持っていた牛乳パックをキッチンテーブルに叩き付けるように乱暴に置くと、ずいっ☆ と彼女に近寄った。

    「な……なによ? 怒ったの?」

    「ええ。謝るのなら今のうちですよ?」

     彼女が一歩引いて後退り、一瞬だけ小さく怯えた。だけど、すぐに元の気の強いお嬢様になったかと思うと、今度は獰猛な猫科肉食獣みたいな眼力で以って俺を睨み返して来やがった。

     普通の男だったらココで退き下がるんだろうが……可愛い顔して……この俺を舐めンなよな?

    「どうしてあたしが謝らなきゃいけないのよ……っあう?」

     俺は返事の代わりに、彼女の二の腕を強めに掴んで引き寄せた。

    「ホンっと小憎らしいコトを言う口だな。そんな生意気なコトを言う口は……」

    「なんですって? は、放してよ! はな……ン!」

     俺は言い掛けた彼女の口を自分の口で塞いだ。

     身構えていた彼女が、更に身体を固くして身構える。俺はお構いなしに、両腕を掴まれて抵抗出来なくなった彼女の柔らかい唇を貪るように奪い取った。

    「あんたがイケないんだよ。そんな目で俺を見るから」

    「んふっ……ん〜! ん〜!」

     腕を掴まれても何とか俺から逃げ出そうともがく彼女に、俺は逃げ出せないように壁際に追い遣って、身体をぴたりと押し着けた。

     俺は上半身素肌で彼女はパジャマのこの状態。抵抗されると何だかソソラレてしまうから逆効果だよなと思ったが、おとなしくされてもやっぱりソソラレてしまうんだよなぁー。

     う〜ん、俺の相棒も元気に反応してるし。どうしてくれよう……

    「ふんっ……」

    「?」

     急に彼女の身体が崩れるように脱力した。

     俺は慌てて重ねていた唇を放し、彼女の顔を覗き込む。

    「どうし……れっ?」

     彼女はすっかり上気してトロンと蕩けた表情を浮かべていた。俺とのキスがそんなに良かったのか? ……って思ったが、実はそうじゃなかったみたいだ。

     彼女はどうやらキスの間中ずっと息を止めていたらしく、呼吸困難に陥って肩で浅く息を吐いている状態だった。

    「だ、大丈夫?」

    「う、げほ、けほ……な、ワケこほ、こほ……ないでしょ!」

     意識を取り戻した彼女が思いっ切り噎せて咳き込んだ。

    「イキナリなんて……ズルイわ!」

    「イデッツ!」

     涙目になった彼女から、もう一度手痛い平手を喰らった。

     二度目のキスでも馴染めないのか? 俺はそんな彼女の頭上に『えっち初心者』の若葉マークが浮かんで見えたような気がしたし。

     オイオイ、俺よりも年上だろ? 幾らなんでもソレは無いんでねーのかよと思ったのだが……彼女は生粋の『お嬢様』。なら、若葉マークも無理ないのじゃねーかと勝手に納得してしまった。で、『体験』がまだの彼女が『知識』面でドコまで純粋培養仕様なのかを確かめずには居られなくなったんだ。

    「『牛乳』が欲しかったら、『俺の』要ります?」

    「え?」

     サラッと言った下ネタだったが、彼女には意味が全く通じなかったらしい。キョトンとして小首を傾げ、不思議そうに俺の顔を見上げて来た。

    「な? ……なんて?」

    「アレ、知らないンっすか?」

    「し、知って……いるわよ……? ぎゅ、『ぎゅうにゅう』くらい……???」

     ヤバッツ☆ ……彼女の返事に、俺は爆笑しそうになって顔が緩んだ。

     耳朶まで真っ赤になっちゃって必死で『知ったかぶり』を装う、何ぁ〜んにも知らないこのお嬢様が、俺には何とも言えず新鮮で魅力的に思えた。だから今は『俺の』がナニであるのかは教えてやんない。

    「知っているのなら良いじゃん」

    「ん? ……う、うん……???」

     俺はニカッ☆ と笑ってスルーした。

     彼女は結局それが何であるのか判らず終い。俺には裏を掻かれまいと思ってか、無理矢理な納得表情を見せてくれたのが、妙に可愛かった。



      *  *



    「お前の配属部署は判っているな?」

    「はい」

     買えば一戸建てが建つくらいの値段がする黒塗りのレクサスLS600hlの助手席に乗せられて、俺はやや緊張気味に畏まって答えた。こんな高級車に乗るのも初めてなら、他人に運転して貰って乗っているのも初めてだ。

     ハンドルを握っているのは、この前マンションの隣に引っ越して来たばかりの任侠野郎の水守(みかみ)。

     勿論、この前会った着流し姿じゃなくって、今は質の良さそうな黒っぽいスーツを着ているし、助手席に居る俺からは見えないが、右顎に残る刃物傷も今日は判らないようにメイクで覆い隠している。

    「第三設計課は本館の三階だ。本来なら三階へは階段を使用するのが当然だが、今のお前には酷だろうから、特別にエレベーターの使用を許可して遣る」

    「はぁ、それはどうも……」

     つか、怪我人に階段を使えとはフツー言わねーだろうよ。しかも木村工業の社員でもないクセして偉そうに。

     俺は上から目線の水守の言い様がどうにも気に入らなかった。

    「どうした? 何か不服か?」

     俺の反応に気付いた水守は、チラリと視線を遣す。

    「豪く上から命令ですけど、水守さんは俺の上司になるんスか?」

     俺の質問には答えずに、水守はハンドルを握って正面を向いたまんま、肩を震わせてクスクスと笑った。

    「あぁ……日高の直属にはならないが」

    「え? ってコトは、水守さんも社員?」

     しかもヒラじゃなくって管理職?

    「まあな?」

     うっひゃ〜〜〜マジかよ?

     アッサリと肯定した水守の返事に、俺は薄ら寒さを覚えてドン退きしてしまった。

     それで暫くの間、俺のお抱え専属運転手としての役目を買って出てくれたってワケなのかっ?

     世界規模で展開している業界最大手医療機器販売メーカーに、任侠ヤクザが社員だとぉおおおっつ??? しかも、管理職だって……一体、この会社はどーなっているンだよっつ???



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