第3話 人攫い?
「このあたしに、よくもそんな口が利けるわね?」
馬鹿女は左手を腰に片手を宛がうと、右手の人差し指で俺をビシリと指差した。
「へーへ。お嬢様だか何様だか知らねーが、この病院に来て言うべきセリフじゃねーんじゃね?」
俺は馬鹿女を睨み返すと、この部屋に後から遣って来て、入り口に立ったまま俺達の会話を聴いていたもう一人の人物がいるぞとばかりに顎を杓って見せて遣る。
「? ナニよ?」
そう言って、背後の入り口に振り向いた馬鹿女が、はっと息を飲んだ。
俺の部屋の入り口には、検温時間に遣って来た、担当ナースの里佳子ちゃんが、ファイルを胸に抱き締めたまんま両肩をフルフルと震わせ、ムッとなって馬鹿女を睨んでいた。
『こんな病院――』
馬鹿女が言い放った言葉を、里佳子ちゃんは聞いてしまったんだ。そして俺達の遣り取りも。
里佳子ちゃんはこの馬鹿女よりも明らかに若い。何せ今年入った新人ナースだ。職業に賤職はねえと俺は思っている。里佳子ちゃんだって志を持ってこの病院に勤務しているんだし。
……そりゃ俺だって此処の病院の専門科にお世話になるのなら、里佳子ちゃんみたいな若い女の子に看て貰うってーのは、ちょっとエンリョするけどよ。
「TPOを弁えましょー」
自分の失言に気付き、呆然としてしまった馬鹿女に、俺は追い討ちを掛けて『知らねーぞ?』とばかり、サラリと言ってのけた。
「……」
馬鹿女は下唇をぐっと噛締めて、俺に『よくもやったわねッ?』的な、鋭い視線を送ってきたし。
いや、俺は里佳子ちゃんが居る事に気付いたのは、お前が言い放った後だったし、別に陥れようだなんて思っちゃいねーよ。
「イヤなら来なくても構わねーよ」
「っな、ナンですって?」
言い忘れていたが、俺も負けず嫌いなんだよ。
「アンタに嫌々思われながら来られても、迷惑だって」
「……よくも……」
里佳子ちゃんに失言を聞かれたしまった馬鹿女は、若干気後れして勢いが無くなったものの、それでも俺に噛み付こうとした。
一触即発の険悪な空気を、真っ先に破ったのは里佳子ちゃんだった。
「日高さん、検温のお時間ですよ?」
「ち、ちょっと……」
「ご気分はどーですかー?」
里佳子ちゃんは、馬鹿女の存在の一切を無視すると、笑顔を浮べてツカツカと俺の傍に歩み寄る。
「あー、今サイアク」
「ふーん、そうですかぁー」里佳子ちゃんは俺の返事に相槌を打つと、ニッコリと営業スマイルで馬鹿女の方を振り返る。「……だ、そうですよぉ?」
「!」
今度は馬鹿女が戦慄(わなな)く番だった。
初めて逢った時から、里佳子ちゃんと俺とは何か通じるモノがあるよな……とは思っていたんだ。尤も、病院の専門柄、今以上に厭な目に遭っているだろうからな。馬鹿女の失言程度じゃ『屁』とも堪わねーだろーよ。
「明日から点滴止めますねー? 」
「あ? メシが食えるんッスか?」
里佳子ちゃんは、ベッドの枕元に置いていた体温計を俺に差し出し、目減りした点滴パックを見上げながらそう言った。
「ええ。このまま順調なら、予定より早く退院出来そうですよ?」
「えー? 完治はいいけど、退院は里佳子ちゃんがいるからもっと先でいいですよー」
「まあ、そんな事言っちゃダメですよ? でも嬉しいわ」
俺達のイチャイチャモードを、俯いたまま黙って聞いていた馬鹿女。
そのまま黙って帰れよ。って思っていたのに……
どう出るかな〜? と思い、チラリと様子を盗み見た俺の眼は、馬鹿女を捉えた途端に極限まで真ん丸く見開いてしまった。
俺の慌てように気が付いて、里佳子ちゃんが俺の視線の先――馬鹿女へと振り返る。
「わぁあ―――! んな、なにすんだよっつ!」
「そんなに居座りたかったら、もっと重症にしてあげるわよッツ!!!」
「きゃぁあ―――っつ!」
取り乱した馬鹿女は、傍にあった折り畳みのパイプイスを両手で持ち、頭上に大きく振りかざしていた。
「恵理ッツ!!!」
里佳子ちゃんのカワイラシイ悲鳴を聞き付けた社長が、慌てて駆け戻って来たし。
* *
「そっち、しっかり持ってろよ?」
俺の点滴治療が終った次の日、個室には俺しか居ないはずなのに、数人の野郎の声が聞こえて来て、ウトウトしていた俺は何事かと眼を覚ました。
真昼間から居眠りかよと思われるかも知れないが、俺は例のごとく夜中にコンビニへ徘徊しまくる夜型人間を復活させていたんだ。一週間近くも病院に閉じ込められてちゃ息が詰まるし、何よりも詰まらねー。
「う……ん?」
「あ? 見ろ。起きちまっただろうが」
「あ、はい。すみません……」
声の主が、俺のコトを言っているんだと気が付き、加えて個室なのになんで大勢の人の気配がするんだよと慌てた俺は、おっかなびっくり跳ね起きた。
「あの……」
どちらさん?
目の前には、値段が張って高そうなグレー系スーツ姿のお兄さんが、腕組みをして俺のコトを見下ろしていた。お兄さんは俺よりも五・六歳くらい年上で、整った顔立ちはどこかの一流ホスト並み? だけど、お兄さんの右顎を見た俺は、途端に背中に冷たいものが奔ったのを感じた。
このイケメンのお兄さん、顔に似合わねー刃物傷が付いてる。しかもその傷痕は、頬から顎を通って首筋を通り、ワイシャツの襟の奥へと消えていた。その古傷が、当時は致命傷にもなり兼ねない重傷だったって事くらい、俺にだって判断出来る。
一目見たら忘れねーほど醜い傷が、他人を気安く寄せ付けようとはしない端整な顔(ツラ)が、更に凄味を増して、相手を一層近寄り難くさせている――そんな雰囲気を持った男だった。
だがな、ココは俺の病室だ。勝手に侵入してネムリを妨げられるんじゃあ困ンだよ。
「準備、出来ましたよ?」
「ああ、判った」
刃物傷の男へ作業の報告に来た男も、何故だかスーツ姿で決めてやがる。しかも、刃物傷のお兄さん以外、全員黒のサングラスって……?
やっぱ、何者?
「あう?」
急に胸の辺りが苦しくなって、慌てて自分の胸元に首を廻らせた。見れば、十ミリほどの太さの荒縄みたいなものが、ベッドごと俺の胸に廻されている。
つか、コレってし、縛られているのじゃ……???
身動きが出来なくて、慌てて辺りをキョロキョロする俺に、今度は目隠しが施された。
「んな? ち、チョッと……」
「暫らく大人しくして貰おうか?」
「へっつ???」
言い掛けた俺のセリフに被らせるように、刃物傷の男が声を張り上げた。
「怪我は打撲と骨折だろう? 放って置いても治る傷だ」
「え?」
なにその乱暴な治療法は? スッゲー傷を残したお前が言うなと言いたいトコロだったが、言えるような空気じゃなかったし。
「じっとしていれば危害は加えない。安心しろ」
『危害』って……ナンだよ? 静かに喋ったソイツのセリフが余りにも非日常的過ぎて、俺は必要以上に不安な気持ちを煽られてしまった。この状態だって、十分危害を加えているコトにはなんねーのかよ?
コレが『テメェ』口調で言い上げられたのなら、俺はゼンゼン平気だったんだ。罵られるのには慣れっコだったから。逆に静かにサラリと言われる方が、恐怖心を掻き立てられてドン退きするんだ。
コイツはそれを平気で遣れる、危ねーヤツなんだと直感的に思ったし。
俺はベッドに縛り付けられたままエレベーターに乗せられて、病院には必須のアイテムである地下の霊安室まで運び込まれたらしいんだ。目隠しはされていても、エレベーターで下っていく感覚は判るし、扉が開いても人の気配が全く無かったのがその証拠だと思った。
それに『霊気』って言うんだろうか? なんだか空気がミョーにヒンヤリとしてて、気持ち悪くて仕方ねぇよ。
チクショウ! 俺をどうする気だよっつ!!!
思いっきり恐怖心を煽られ、額にビッシリと汗を噴いた俺に向かって、刃物傷の男が話し掛けてきやがった。
「よお。お前、此処の看護婦と中々宜しく遣ってるんだってな?」
「べっつ、べべべ別にヨロシクだなんて、や、遣ってませんよ」
「ウソ吐け。お前のお陰でコッチはいい迷惑だ」
刃物傷の男は、凄味を利かせて俺に向かってそう言った。
「はぁあ?」
あのー、初対面のアンタに迷惑がられる筋合いなんかねーし。つか、ヤツアタリだったら勘弁だ。だけど、俺には少なからず心当たりがあったんだ。
* *
『あっ……』
『大丈夫? 眼、開けられる?』
その日、シップ薬の貼り替えに来ていた里佳子ちゃんは、ハードレンズ(コンタクトレンズ)にゴミが入ってしまい、急に顔の右片方だけ泣き出してしまったんだ。
俺はコンタクトレンズを使用するほど視力が悪いワケじゃないから、突然ポロポロと涙を溢す里佳子ちゃんに焦ってしまう。しかも、顔の片側だけで泣ける里佳子ちゃんを器用だなと思ったし。後で聞いたら、ハードレンズを使用したら、ゴミが眼に入ると角膜に傷が付かないように、涙が流れて自然浄化するんだと。
『あん、ヤダ……痛い……』
『手、除けて? まだ痛い?』
『ん……ぐすっ』
妙に甘える声を出す里佳子ちゃんに、俺は思わず『萌え』てしまった。いや、俺の『萌え』はよくあるコトなんだが……その……女には判ンねー現象に、下半身がスナオに反応しちまったんだなー。
『……日高さん……』
『はい?』
『コレ……なに?』
目の前のモッコリテントに、里佳子ちゃんが少しだけ嬉しそうに言ったのは、俺の気のせいじゃなかったし。
つか、打撲と骨折の治療してても、ソコは打撲も骨折もしてないから。いや、骨折は出来ねーよ。
『要る?』
俺は余裕をコイテ笑顔を作り、里佳子ちゃんを誘った。
里佳子ちゃんは、なんだか目付きがトロンとしてて、気持ちハナイキが荒くなって来た様な……?
『えー、いいのぉ?』
『モチロン』
チョッとだけソワソワして落ち着かなくなった里佳子ちゃんのウルウル視線に、俺はすぐさま良いよと答える。
『えへっ』
照れた里佳子ちゃんが『じゃあ……』って俺に接近して来た時だった。
『くぉらっ! なに二人でいちゃついてンのよっつ!!!』
鋭く水を差されてしまった。里佳子ちゃんは慌てて俺から身体を離し、何事も無かったように涼しげな顔を作って俺から顔を背けた。
こんな時におじゃま虫って、一体誰なんだよ? 人がせっかく里佳子ちゃんとイイカンジになっていたって言うのによ?
俺は迷惑そうに、個室入り口に居た気配の主に視線を送った。
その女は仕事帰りだったのか、紺色生地にミリ単位の水色水玉の模様が細かーく織り込まれている、薄手サマースーツのパンツスタイル。栗色髪をアップにして、小ざっぱりしたメイクの顔が、俺と里佳子ちゃんを見上げ、やや引き攣っていた。
エルメスだかの茶色のケリーバッグを腕に小粋に引っ掛けて、足元は七センチヒールのオープントゥパンプスの格好。そして、両手には抱えきれない程のデカイ花束を持っていた。
つか、その花束で『あたしは患者じゃなくってよ?』ってみんなに言いふらしているようなモンじゃねのか?
残念ながら、俺の知人にこんな高そうな格好をして、ましてや見舞いに多額の金を掛けて病院に遣って来るようなヤツは、たった一人しか知らねーし。
……ゲ。マジでコイツは馬鹿女だ……
『ほら、受け取りなさいよ』
馬鹿女は、俺と里佳子ちゃんの間に割って、俺のベッドにバサリと花束を叩き付けた。
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