第5話 滑った…☆
「ん……?」
「? どうしたのよ?」
馬鹿女と言い合っている最中、俺は急に尿意を催して押し黙り、モジモジしてしまった。
困ったなぁ……俺は今、両脚骨折治療中だ。病院だったら所定の回収容器(敢えて名前は出さない)があるから、勝手に取っておきゃ里佳子ちゃん達ナースがそのうち処理してくれる。だが、ココはどうやらこの馬鹿女のマンションで、様子からして独り暮らしみたいだ。自分の親が経営する会社の社員だからって言う理由からの、安易な俺への自宅拉致には呆れてしまうが、俺を『飼う』のにはそれなりの準備ってーモノが必要なんだぜ?
「チョイ手ぇ貸してくんない?」
「どうして? ちょ、ちょっとあんたその怪我で立つツモリなの? ま、待ちなさいよ!」
馬鹿女の慌てる声を無視して、俺は掛け布団を剥ぎ除ける。そして顔を顰めながら、痛む両足を一旦身体に引き付けて、尻を軸にしてベッドの上でクルリと方向転換すると、覚悟を決めて床にそっと足を着いた。
「んっ、くうっ―――ああっつ!!!」
途端に脳天まで激痛が駆け上がり、足を上げた状態でベッドに背中から引っ繰り返って転がってしまう俺。なんか、殺虫剤で殺られたムシみたいで、ブザマだ。
「ん、もう。ナニがしたいのよ?」
馬鹿女に醜態を晒してしまい、恥ズくなって居心地が悪くなった俺は、ベッドに横に寝そべったまま背中を向けてしまった。
『手ェ貸して』って言ったのに……この女、無視すんだもん。
「あうぅ……トイレ……」
「え? ナニ?」
「トイレだっつーの!」
「え? ああトイレに行きたくなったの? ああそう。なら早く言えば良かったのに」
馬鹿女は気軽にそう言うと一旦部屋から出て行った。
アレ? もしかして俺のトイレを考慮してくれていたのかぁ? 気持ち気分が上向きになった。だけど、再び戻って来た馬鹿女の手に持っていたモノを見るなり、一遍に泣きたくなってしまったんだ。
「ハイ、これ。間に合わせだけど」
「……」
「どうしたのよ? 遣えばいいわ」
俺は馬鹿女が手にしたモノを直視出来ずに顔を背ける。だって、持って来たのは市販の五百用ペットボトル。小学生じゃあるまいし、誰がそんなサイズだよと言いたい。つか、入ンねーし、遣えるかってーの。
「……? コレじゃ厭なの?」
「い、厭ったって……」
いや、そーゆーワケでもあるけれど、この場合這ってでも洗面所に行くしか無さそうだ。
俺は泣く々ベッドから再び這い出そうと決心した。
「あ、危ないでしょ? ホラ」
馬鹿女は俺の鼻っ面に手を差し伸べた。
「い、いいですよ。あんたに頼って凭れ掛かったりしたら、今度はあんたが怪我するから」
「大丈夫よ。こう見えてもあんたより大柄な男を投げ飛ばした事あるんだから」
「あのなぁ……大のオトコを支えるのと、瞬時に投げ飛ばすのとじゃ状況が違ってンでしょーが。いいからもう放っておいてくださいよ」
最初に手を貸してって頼んだ時はムシした癖に〜。
急に優しくなった馬鹿女に戸惑ってしまい、素直になれねー俺は、思わずぷいとソッポを向いてしまった。
骨折したと言ったって、二本ずつある膝下の骨が双方とも折れているワケじゃ無い。ちと左足の方が酷かったらしいが、痛みさえガマンすりゃ歩けないワケじゃねーんだ。そもそも骨自体が痛いのじゃなくって、その周りの筋肉が痛みを訴えてるだけなんだし、こんなモンはキアイさえあれば歩けるんだって!
まるで俺、野生動物になっちまったような気分だ。サバンナで立ち上がれなかったら死ぬってか?
痛みにフルフルと身体を震わせながら、それでも俺は何とか自力で立ち上がった。
「ハイ、松葉杖」
俺は馬鹿女が差し出した松葉杖を受け取ろうとした瞬間、俺の重心が大きくズレた。片足を一歩大きく出して踏み止まれたら良かったんだが、今の俺には『踏ん張る』って高等な技術は到底不可能なコトだ。
俺はまるで糸の切れた操り人形みたいに、正面に突っ立っている馬鹿女に向って倒れこんでしまったんだ。
「う、うわぁ……」
「きゃっ!?」
馬鹿女は、一旦俺を正面でガシッと受け止めてくれたんだが……完全に俺のウェイトに押されてしまい、俺を抱きかかえたまんま堪え切れなくなって、後方に向って押し倒されてしまった。
「だ、だいじょう……」
「ナニすんのよっつ!」
ぱし☆
「っだぁあ―――っつ!」
言うが早いが馬鹿女は、俺の左頬に手痛い平手を喰らわした。
「イキナリなにすんだ! 俺は押し倒したくて押し倒したんじゃねーって……ば……?」
馬鹿女に噛み付いた俺のセリフが、歯切れの悪いモノになる。そりゃそーだろ。目の前でオイシそうなデカイバストを拝まされちゃあ、言葉数も少なくなるってーモンだろよ?
「ど、退いてよ!」
馬鹿女もそのコトに気付いてしまったみたいだ。俺の下敷きになって、逃げ出すコトも身動きするコトさえも出来ずに、耳朶まで真っ赤になっていやがんの。
結構純情じゃん?
「へぇー、上げ底か詰め物でもしてるのかと思ったら……モノホンだったんだ」
「んな、何のコトよ?」
「『ミ』詰まってンだな? あんたのおっぱい」
「!」
俺はエロオヤジみたいに、ニヘラ〜っと薄ら笑いを浮べて遣った。したら、途端に馬鹿女が血相を変えて、俺の下で暴れる暴れる。
「いやぁ! エッチィ! 痴漢! 変態ィイ―――ッ!!!」
「った、たんまっつ! ち、チョッと待てって! イテテ……」
「きゃ―――ッ! 退いてよ馬鹿ぁあ!」
「エッチもタッチもしませんから、おち、落ち着い……痛―――ッツ!」
必死で説得する俺の言葉には耳を貸さず、馬鹿女は尚も暴れた。
ったく、なんつー気性の荒い猫なんだ? 長く伸ばしている自前の爪だか着け爪だか知らねーが、キレイに絵が描かれている爪で、何度も俺は引っ掻かれる。
* *
「イテテ……なにも噛み付くコト無いでしょう?」
「……」
「痛てーな。ホレ、こんなに腫れあがっちゃったじゃないですか」
俺は引っ掻かれてミミズ腫れになっている右の頬を鏡に映して顔を顰めた。
「……」
あれから俺は、必死の思いで馬鹿女の上から退いて、脱出するコトに成功していた。取り敢えず、トイレはまだガマンすることにして、只今傷口を治療中。っても、傷口を消毒して、単にリバテープを貼り付けるだけのシンプルな治療法だ。
自分の誤解だと気付いた彼女は、自室から救急箱を持って来ると、ベッドの端っこに座ってクスリを塗っている俺に向かい、済まなそうに俯いてしまった。
ナンだか急にしおらしくなっちゃってぇー……コッチまで調子が狂っちまうじゃねーかよ。まあ、この程度の引っ掻き傷くらい大したコトじゃねーから、俺としては平気なんだけど、彼女、相当ショックだったみたいだし。
ココは一つ、ジョークでも飛ばして厭な空気を吹飛ばしてあげちゃおうっかなぁー? なんてね?
「ねね、ほらほら、これっ……」
「え?」
俺の呼び掛けに反応した彼女が、無防備に顔を上げた。何せベッドの床に正座して俯いていた彼女の目線は、丁度俺の腰のやや上部。
「ホラね? 腫れちゃってンでしょ?」
「〜〜〜!?」
俺は元気にテントを張っているパジャマの股間を指差した。ツイデに下半身の腹筋を駆使して、テントをひょこっ☆ と動かして遣る。
お決まりのシモネタジョークで、彼女を笑わせようと思ったんだ。コレは他の女にも何度か遣っていて、ウケた実績アリだったから、彼女にも通用するものだと思っていたんだが……
彼女は俺のテントに驚いて、大きく眼を見張ると両手で口を押さえて、赤面していた顔色が、サァーっと潮が引くみたいに蒼白くなって固まってしまった。
しかも動きまで付け加えちゃったよー……
「……」
イ、イカン……か、完全に……滑った……☆
俺は彼女がそんじょそこらの女とは、生まれも育ちも全く違うってコトを、スッカリ忘れていたんだ。彼女は業界のトップシェアを誇る大企業、木村工業株式会社のご令嬢。いわゆるセレブなお嬢様だってコトを。
それにしても、顔を背けるなり、怒り出すなり、何らかのリアクションがあったって良さげなモノなんだが……彼女は凍り付いた人形みたいに俺のテント一点を、ぢぃいいい〜〜〜☆ っと見詰めてしまっている。まるで自分の脳裏に焼き付けでもしてンのか? って聞きたいくらいに。つか、そんなに本気でマジ見されちまうと、ソレはソレで遣ったコッチの方が恥ズいじゃねーかよ?
「あの……」
俺の呼び掛けに反応しない彼女の目の前で、ヒラヒラと片手を振って見せた。
「んぇえ? なに?」
俺の片手ヒラヒラにヤットコサ気付いた彼女は、ハッとした表情を浮べると、気まずそうに浅く俯いて、顔を背けた。
「松葉杖……は?」
「あ? ああココよ?」
彼女は俺から視線を逸らせたまま、すぐ傍のクローゼットに立て掛けていた松葉杖を、差し出してくれる。だが、彼女は俺と視線を合わせられなくなってしまったのか、それともワザと俺を観ないようにしているのか……?
あの滑ったギャグの後でのシカトは、俺としては辛いんだけど……な。
俺は渡された松葉杖を左右に持つと、慎重に立ち上がる。
「あの……さ、トイレって、ドコ?」
「あ? ああ、ドアを出たら左側廊下の突き当たりよ」
「どーも」
俺は松葉杖を着いて歩き出した。その背後で、納得したような馬鹿女の声がする。
「なんだぁー、おっきい方だったのぉー」
「ち、違わいっつ☆ !!!」
今度は俺が真っ赤になる番だった。
ったく、デリカシーもクソもねー女だな。あんなのが大企業木村工業のお嬢様だなんて、俺にはとても考えられねーし。
今まで何度も松葉杖の世話になっていた俺は、自分で思っていた以上に回復が早くて『徘徊する怪我人』になっていた。馬鹿女の所有するマンション内はおろか、マンションの外まで出歩いてコンビニやスーパーの位置確認まで、数日以内に成し遂げていたんだ。
モチロン、馬鹿女のプライベートルームなんか、鍵が無いからトックに探検済みだった。
だがしかし、見た目は小奇麗な女なのに、自室の片付けはまるでダメ。初めてワクワクしながら忍び込んだ俺は、俺よりも先に泥棒が入ったのかと疑うくらい、衣類が見事に散らかっていた部屋を眼にして愕然としてしまった。
ブランドらしい仕立ての良いスーツがベッドの上に放り投げられ、スカートなんか、脱いだまんまの輪っか状にすとんと床に落とされている。ストッキングや靴下なんか裏返しになっていて……
こ……コレが女の秘密の花園……なのか?
今まで何人もの女の部屋に行ったコトがあったが、この部屋が一番酷くてダメダメだし。
しかも下着がなってない。今時なんてシンプルなハイウェストのパンツなんだ? 腹冷え対策なのか? イケテル見た目と中身が、全く以って噛みあってねーぞ?
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