第7話 まさかっ…?
「上がってく?」
「いや、この後ヤボ用があってね。また今度……あ? そうだ。ポチは元気か?」
彼女の嬉しそうに弾んだ声を遮り、早々に退散する素振りを見せた様子だが、ソイツはふと歩を停めると、部屋の中の住人を窺っているような言い方をした。
『元気か?』……って俺のコトか? しかも『ポチ』ってなんてぇ呼び名だよっつ???
いきなり見ず知らずの野郎からケンカを売られた気分になった俺は、ムッとなって玄関方向を睨んだまま、手探りで松葉杖を引き寄せた。そして痛みに顔を引き攣らせながら、遣って来た『お隣さん』がどんな野郎なのかを拝むべく、声のする方へと肩を怒らせてずんずんと向う。
ドコの誰かは知らねーが、俺にケンカを吹っ掛けて来やがるだなんていい度胸だ。今は怪我して動けねーが、治った日にゃフルボッコでボロ雑巾にして遣らァ!
走り屋だからって、ハンドルだけを握って勝負の決着がスンナリと着くなんてコトは在り得ねー。大半が難癖を付けられて、乱闘で勝敗の行方が決まるし、寧ろそっちの方が多いんだ。
「よぉ」
その声の主を見て、俺は一瞬自分の眼を疑った。
腹を立てて玄関に遣って来た俺を迎えてくれたのは、親しげに彼女と雑談をしていた俺よりもガタイの立派な刃物傷の男――水守(みかみ)だった。
水守は紺色の渋い着流しを粋に着崩し、足元は素足に雪駄。懐からは白いサラシが見え隠れしている。これで片手に短刀(ドス)か番傘を手にしていたら、まるっきり任侠映画じゃねーかよ。
余りの嵌りっぷりに唖然とする俺。確かまだヤボ用があるとか何とかって言っていたよな? で、その嵌り過ぎた格好はなんなんだっ? まさかその格好で『デイリ』でもすんのかよ?
「あ、ど、ども……」
在るハズの無い俺の『シッポ』が急速にだらりと垂れ下がって、内股に巻き込まれる。……『ボロ雑巾』は撤回だ。こんなのを相手にだなんて、それこそ俺が『ボロ雑巾』にされちまわァ。
だけどなんで? なんでコイツが『お隣さん』になるんだよっつ???
俺が怯んだのを覚ったのか、水守は一度肩を聳(そび)やかすと、上から目線を遣してフンと鼻で笑いやがった。
「元気そうだな?」
「な、なんとかね」
い、いかん。コイツの只者じゃない威圧感に負けちまってる。
確かに俺よりも年上なんだが、見た目そんなにオヤジっぽくねーし、だからと言って俺と歳が近いワケでも無さそうだ。着流し任侠スタイルに圧倒されてしまっているのか、それともコイツ自身が持つ『風格』が威圧感を俺にもたらしたのかは定かじゃ無い。
ただ一つ言えるコトは、俺はコイツを騙せねー。コイツには嘘が通じねーだろうってコトだ。けど、そんなコトでこの俺が黙ってスッ込んでなんか居られるかよ。
出来ねーと思ったら、がぜんファイトが漲(みなぎ)って来るってゆー、捻くれたこの俺だ。この性分のお陰で俺は地元峠で走り屋としての名を轟かせ、警察にマークされまくり、女ドモからはチェックされまくってたんだ……走り屋を辞めた今となっちゃあ、あんまし威張れる性分じゃ……ねーけどよ。
「もうすぐ出社出来そうだと聞いていたから、一応は生きてはいるなと判っていたが、気になってな」
「あー、それどう言う意味よぉ? 酷ぉーい」
彼女がムッとなって水守に突っ掛かる。
へー、サスガ。よく判ってンじゃん。
「と、隣に引っ越したの、アンタかよ?」
俺は気圧されながらも負けずにタメグチを利いてやった。
「ああ。恵理の爺様からの指図でね。まあ、ヨロシク頼む」
水守はそう言って、手にしていた紙の袋を彼女に差し出した。
「やーん、※)ショコラティエのチョコ〜? ありがとー、みもりん!」
紙袋を覗き込んだ彼女は思いっきり感激しちまったのか、それを受け取るなりいきなり水守の首に抱きついた。
「っあ?」
……は? 『みも……』??? って?
馴れ馴れしく……つか、無防備に彼女から抱きつかれた水守が羨まし……い、いや、それよりもさっき彼女はコイツの事を、なんかヘンな呼び方をしていたし。
「……恵理、だから『ソレ』は言うなって言っただろう?」
水守は若干困った表情を浮べて、彼女の頭を撫でた。
「えへへ……」
彼女はイタズラっぽく笑うと、ペロッと舌を出す。
なんなんだよ? 俺だけ置いてきぼりを喰らわせておいて、二人だけでいいカンジのイチャイチャムードになりやがって。
仲睦まじい二人を見せ付けられた気がして、俺は胸の奥でモヤモヤした何かが蟠(わだかま)り、湧き上がって来るのを感じてしまった。コレって嫉妬……なんだろうか?
「おい、ポチ」
「☆ んな、なんスか? 『ポチ』って俺のコト?」
「他に誰がいる? いいか? よく聞いておけ」
「あだだだっ☆」
いきなり水守は片手で俺の胸倉を乱暴に掴むと、力任せに引っ張った。バランスを崩されて思わず一歩片足を大きく踏み出してしまい、予想だにしなかった激痛が全身に奔る。
「恵理にもしもの事があれば、タダでは済まさん」
「はぁあ?」
尋常じゃないその眼光は、俺の心の奥深くまで覗き込んでいるようだった。着流しスタイルでこの脅迫は違反だろ? つか、この俺に脅迫紛いの行為を遣ったコト自体、アンタはミスったコトになるんだよ。
「聞えなかったのか?」
「心配しないでくださいよ。俺、シュミじゃないですから」
なーんて早速嘘を吐き、俺は心の中でぺろりと舌を出した。プレッシャー掛けられて素直にへーこら聞き容れる俺かってーの! 俺を敵に廻したコトを後々後悔させて遣るぜ。こうなりゃアンタの大事な女を掻っ攫って遣るからなっつ!
俺の返事を聞いた水守は、またしても鼻で笑った。
「ほぉ……言い切ったな?」
「あ、当たり前ッしょ?」
意味深な苦笑いを浮べる水守の表情に、俺はヤツから冷笑を浴びせられた気分になった。
やべぇ……もしかして、早速裏読みされちまったのかな……? でもって、一瞬俺の背後からも殺気が感じられたんだが……? 気のせいか???
「水守さん、そろそろお時間宜しいですか?」
「ああ、今行く」
水守を追って来た男が、水守の背中越しに深々と頭を下げた。
コイツはTシャツに下がジャージ姿の、モロ引越し作業中の格好だ。自分ン家の引越しなんだから、水守もそんなカッコして気取らずに、Tシャツにジャージ姿で良いんでネ?
そう思っていたら、水守が俺の視線を読んだみたいだった。
「着物がそんなに珍しいか?」
「いや、引越しするのにそのカッコじゃ……」
つか、コスプレ紛いのその格好で、ドコに行くってンだよ?
「水守さんはこれから客人とお会いなさるんだ。暇人のテメェが口を挟むこっちゃねーんだよ!」
「宮部」
「は、はぃ……出過ぎたマネしてすみません」
水守はソイツの名前を静かに呼んだだけだ。なのにソイツと来たらこの絶対服従かよ。どんだけ尊敬されてンだ? チクショー、水守の『漢(おとこ)』に嫉妬しちまうぜ。やっぱ、水守は気に入らねーや。
「じゃあね、みもりん。落ち着いたらいつでも遊びに来てよね?」
「ああ、そうしよう」
俺のやや後ろに立っていた彼女が引き際を察してそう言った。
水守も彼女の言葉に促されるようにして背を向け、追って来た男は彼女に向かって丁寧に一礼をすると、水守の後に続いた。
俺はまるで映画のワンシーンを観ているみたいな気になって、水守達の後ろ姿が見えなくなる少しばかりの間、放心してしまった。
……カッケーじゃねーかよコノヤロー……
「司クン? 帰るわよ?」
「え? あ、ああ……」
水守の後姿を見送っていた俺は、若干イラついてトゲを持った彼女の声で現実に引き戻されてしまった。
ばたん☆
ばんっ!
「ぅあぁあ?」
玄関のドアが完全に締まった途端、俺の前を行っていた彼女がいきなりクルリと振り返ると、両手で俺の肩口をドアに強く押し付けて、そのまんまシャツの両襟元を鷲掴みにして抑え込んで来た。
「イデデデ……んな、なにすんだよ?」
急に動かすと痛いんだって。
「『ナニすんだぁあ』? それはあたしが訊きたいわっつ!!!」
「はぁああ?」
ドアが締まったら堰を切ったように怒涛の怒りって……ワケ判ンねーよっつ!
「よくもみもりんの前であたしに恥を掻かせてくれたわねっつ!」
「はあっ???」
彼女からイキナリ乱暴された理由が判らずに、俺の脳内で疑問符が乱舞してる。俺、何か彼女の気に障るコトを言ったのか???
彼女が怒っている理由が俺には全く判んねーのだと知った彼女は、余程悔しかったのか、今度はポカスカ殴って来たし。
「馬鹿ぁ!」
「テテテ……お、おち、落ち着いてくださいよ!」
堪らなくなって、俺は已むを得ず彼女の両手首を捕まえ、後ろ手に廻すと俺の右手で身動き出来ないよう拘束した。そしたら、今度は突然ポロポロ泣き出したんだ。
「は、放せぇえええ〜〜〜!」
「イヤです」
「うーうー!」
「だから、急にどうしたんですか?」
真っ赤になり、乱暴に身体を捩(よ)じらせて俺から必死に逃げ出そうとする彼女。見た目華奢だが結構力が強い。なんか俺が彼女をレイプしているみたいだ。
けど実際にこんなシーンを何度も体験しているから、見てるとなんだかヘンな気が……このまんま襲っちゃいそーになってんですけど……遣っちゃってもイイかなぁ?
「……て言った」
「は?」
「『シュミじゃ無い』って言った!」
「あ、アレは……」
単に言葉のアヤで、売り言葉に買い言葉っつーか……そのう、言われた勢いで言っちまった大嘘だよ。
「そんなにイヤならサッサと出て行けばいいでしょう? もう歩けるし、いつまでも此処に居なくってもいいじゃない」
細い柳眉を寄せて、彼女は投遣りにそう言った。
泣いた顔もナカナカセクシーだよ。この俺が思いっ切りソソラレてンだから、間違いなくアンタは俺の直球ストレートのド真ん中なんだよ。けど、ここで素直に謝ればコトは丸く収まるんだろうが……生憎、そんな素直さを俺は持ち合わせちゃいねーンだって。
俺は黙ったまんま、暴れて泣きじゃくる彼女の身体を、空いた左腕でぎゅーっと力強く抱き締めた。したら案の定、彼女は呼吸を乱されて、ぐったりとしておとなしくなってしまったんだ。
目の前で、浅い呼吸で喘いでいる女の、旨そうなピンク色の唇が薄っすらと開いている。艶やかで程よい肉付きをした容のイイ唇が、瑞々しい果物みたいに見えて、思わず俺はゴクリと喉を鳴らした。
「ふぅんっ、くぅ……」
俺は卑怯を承知で抵抗出来なくなった彼女の唇を強引に奪った。気持ち好い弾力とキメの細かい皮膚の造り、体温で熱くなった唇が堪らなく甘く感じる。
「ふふっ……ごちそーさん。ご心配無く。俺、イヤになったらいつでも出て行きますから」
失神寸前になっていた彼女の耳元で微笑し、俺はそう囁いて拘束していた腕を放した。
パン☆
途端に彼女から、強烈な平手の一撃を左頬に喰らった。
「ば……馬鹿ッツ!」
「ぁ痛って―――っ」
息を乱し、肩で呼吸を整えながら、耳朶まで真っ赤になって怒り出した彼女を見た時、俺はしまった! と後悔した。
イマドキのイケテル系のこの彼女……もしかしなくっても、今のがファースト・キス……だったりして?
※)ショコラティエ : 菓子夢(カシム)Le Chocolatier C 愛媛県松山市に実在しています。菓子工房『菓子夢』のチョコレート専門店。
http://www.cashimu.com/
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