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1 「華、玉子焼きちょうだい」 言うが早いか、右から箸が伸びてくる。 私は寸でのところで、その藍色の箸をフォークで突き刺した。 「・・・」 「・・・」 箸が素早く抜かれ、今度はフェイントを交えながら玉子焼きへと向かって来る。 それを再び突き刺し、進度を断つ。 「・・・」 「・・・」 無言の攻防戦。今のところ0勝5敗。私は5日間、可愛い弟が私のために焼いてく れた愛情いっぱいの玉子焼きを食べ損ねている。今日こそは死守したい。 「華、はしたないよ」 「人のテリトリーにあがってくるからです」 会話をしながらも、力は弛まない。そんなに玉子焼きを食べたいのなら、どうし て自分の弁当の中に入れておかないのだ!フライパンとコンロと玉子と砂糖があ ったらできるだろう。どんだけ面倒くさがりなんだ!せっかくのいい顔してんの に、たとえ将来めっちゃ可愛い奥さんができたとしても、亭主関白なんて昭和み たいなことやってると100年の恋も冷めるぞ。今の時代、玉子焼きを作れない男は 仕事をしない生徒会長ぐらいいらない。 「いただきっ」 「!?」 そうやって悶々としてしまったがために生まれた若干の隙を、いっくんは見逃さ なかった。 いつもより三割増しな素早さで、私の弁当箱から玉子焼きを奪い去っていった。 「…っ!」 「うま」 美味しそうに頬張るいっくんを見て、私は言いようのない敗北感と、果に対する 罪悪感にさいなまれた。 『今日の弁当どうだった?』 夕飯の後、決まって果はそうやって尋ねてくる。 『まーくんの愛がたっぷり詰まったお弁当は、ほっぺたが落ちそうなくらい最高 だよ。パパは幸せ者だ』 うっとりと喋る父に対しては若干冷たく、 『ほっぺたついてんじゃん』 と、鼻の先であしらい、 『美味しかった』 と、私が言うと、バックに花が飛びそうなくらいの笑顔になる。果に好意を寄せ る女子が見たならば、そこら一帯が鼻血で染まるだろう。それぐらい威力がでか い。 そんな可愛い可愛い弟に、私は嘘をつかなければならないのだ。良心が咎められ るどころの問題ではない。思わず切腹して詫びたくなる。 そんな切腹したくなるような5日間のせいで、私の精神は追いつめられていた。 ただ単に好物の玉子焼きを食いっぱぐれて苛々していただけなのかもしれないが 。 今日こそは、と意気込んできたのに、私はまんまとしてやられてしまった。家で 死ぬほど練習したフォークでの突き刺し練習は、あまり役に立つこともなく終了 した。なんということだ。 「なんてことをっ・・・!」 私が顔面蒼白にして叫ぶと、 「コーヒー(ブラック 無糖)飲んでもいいよ」 「コーヒー(ブラック 無糖)なんて不味いやつ飲めるかっ!」 腹が立った私は、いっくんの本日のデザートであるプリンを奪おうとした。瞬間 、 「ちょっと、華」 いっくんが私の手を掴み、眉間にシワを寄せて言った。 「人のモノ勝手にとっちゃ駄目なんだよ?」 お前が言うなぁぁぁ!!! ◇◆◇◆◇◆◇◆ いっくんとのドキドキ夜の校舎で親睦会から、早くも1ヶ月が経過した。 あの事件から、私の周辺で変化したことが、いくつかある。 先ず、クラスメートと距離を感じるようになった。 いや、最初から距離はあった。あったんだ。常に2メートルぐらいの感覚は開い ていた。認めよう。しかし、だ。今はそんなの比じゃないぐらいの、例えるなら ば、そう、犯罪者と警察官との心の距離のように、大きな大きな隔たりがある。 原因は分かっている。 いっくんだ。 あの事件の翌日のことだ。私は非常にハラハラしながら学校に行った。 電車の中では考えすぎて胃が痛くなり、学校が見えだすと吐き気をもよおした。 教室の扉の前では本気で帰りたいと思ったほどだ。 何に怯えていたのかって? 答えは至って簡単 彼がいつ私の名を呼ぶのか、にだ。 top novel top next |