ようこそ イゼルローンへ!(お帰りはあちらです)(ロイエンタール編?)

 

 

 

 

 

 

 仕事を終えたヤンは寝室から続くバスルームでシャワーを浴びていた。

 同盟標準時間で日付を変えていた。シンデレラでさえも寝る準備をしている頃、ヤンは漸くフラットに戻った。

 残業よりも『幼馴染み』についての言及を躱すのに時間が掛かった。

 特に後輩はしつこく、思い出すと可愛くて笑える。いつもの酒量を超えていた彼はシャワーも浴びずに寝ているだ

 ろう。ユリアンも寝ている時間だ。

 頭のイタイ珍客は、どうだろうか。

 咽頭の奥から楽しげな忍び笑いが漏れる。

 はっきりいって、好みのタイプだ。ストライクゾーンをド真ん中ピンポイントだ。――現在時間のロイエンタールは。

 ヤンは面食いだった。特に『美丈夫』には弱い。精悍で逞しく、研ぎ澄まされ、そしてあの張り詰めた雰囲気がたまらな

 い。帝国軍の資料で、個人的に一番興味を引いたのはロイエンタールだった。容姿もそうだが、難解なところがいい。


 色の違うあの瞳でなにを見て、なにを隠しているのか。


 黒と青の色彩に思いを馳せれば心地良い深い眠りに堕ちていく事が出来た。ヤンに取って、それは息抜きだった。

 その彼が今、同じフラットにいる。まだ若く、現在時の彼に比べれば、容姿も雰囲気も多少丸いが。

 …でも――

 強引なところは、よかった。

 ヤンは指先で唇をなぞり、バスルームの隅に埋め込まれたデジタル時計に視線を移した。流石に寝ているだろう。

 …まぁ残念と言えば残念だけど――

 自分から追う程ではない。

 ヤンは淡白だ。思考することが性欲を凌駕し、どうしようもないほど淡白だ。



 バスルームから出るとヤンはガウンを身に纏った。どうせ一人だし、パジャマのボタンを留めるのが面倒くさくなったの

 だ。もう眠い。

 欠伸をしながら寝室のドアを開けると、ベッドにロイエンタールが座っていた。二色の瞳が露骨に不機嫌を表しているの

 が可笑しい。

 「ヘル・ロイエンタール、こんな時間にどうしたんです?」

 余裕な態度が癪に障るが、ロイエンタールはそれを不機嫌な表情に上乗せなかった。

 立ち上がり、ヤンの目の前に立つ。

 「行くと、言っただろうが」

 きちんと合わせていないガウンから覗く胸に手を伸ばす。

 「行く、とは聞いてないよ」

 その手を止める。

 「白々しい。アレはそういう意味だ」

 上体を傾けて鼻先を首筋に埋めると、昼間嗅いだ匂いがソープに隠されている。

 「嫌がらせじゃないって?」

 「教えてやる」

 もう片方の手はガウンの裾から侵入し、しっとりと濡れた太腿を弄り出した。

 「疲れてるから手短に言ってくれると、有り難いんですが」

 脚を動かし、掌から逃げる。

 「言っても、どうせお前には通じんのだろう」

 止められた手を押し進め、ガウンの中に忍ばせると丸みを帯びた肩からガウンが滑った。

 「酷い言われようだ」

 小さく笑いながらガウンを戻し、すり抜けた。

 ヤンは部屋の隅に積んだ本の山から小振りの酒瓶を取り出した。ユリアンに内緒で隠していたのだ。

 「呑むかい?」

 グラスはないけど。

 ロイエンタールは向けられた瓶を取り、既に開栓されているそれを勢い良く呷った。触れられる事に、そしてそれを躱す

 事に慣れているヤンに苛立つ。それが嫉妬である事をロイエンタールは自覚している。自分も漁色や不誠実などと言われ

 てきたので人の事は言えないが、ただ飲み込むには大き過ぎる嫉妬を酒で飲み下す。

 「あっ寝酒用だから強いよ、それ」

 勢いが良すぎる飲みっぷりにヤンは慌てた。

 …早く言えっ!

 目眩を覚える程強い酒精にロイエンタールは整った眉を顰めた。胃が焼き付く。口から瓶を離し、口元を拭う。噎せなか

 ったのは意地だが、よろめいてベッドに座り込んだのは情けない。

 「大丈夫かい?」

 「…お前、いつもこんな強いのを呑んでいるのか?」

 まだ咽頭から胃が熱く、声が擦れている。自分の声が遠い。微かに残る目眩にロイエンタールは俯いて額を押さえた。

 ヤンは苦笑しただけで答えず、ロイエンタールの手から瓶を取った。

 瓶の口に唇を付け、ゆっくり傾ける。口腔に含んだ途端、鼻梁まで強い酒精の芳香に犯される。飲み下すと、浸食する様

 に爛れていく感覚に瞬き程の短い間、陶酔する。

 ロイエンタールは視線を上げた。ヤンの喉仏が小さく動き、強い酒があの体の内側を犯していくのに胸の奥がチリついて

 いく。酒気を帯びた吐息を漏らす姿に、焼けた咽頭が余計に渇いた。

 ヤンの手から瓶を奪い、右手のサイドボードに置いた。同時にロイエンタールの左手はヤンの手首を掴み、強く引っ張っ

 た。

 「―――っぁ?!」

 その動作は素早く、ヤンは左前のめりに倒れそうになり、後から付いてくるヤンの右肩を押さえ、ロイエンタールは仰向

 きに押し倒した。

 無理のない、流れる様な一連の動きにヤンは半ば呆れた。経験がモノを言うとは良く言ったものだ。

 「ヘル・ロイエンタール、随分慣れているが、いつもこんな事を?」

 「まさか。女は勝手に服を脱ぎベッドに入るが、お前はこうでもしないとベッドに入らんだろう」

 押し寄せる焦燥感とは裏腹に、ロイエンタールの声は淡々としていた。

 「こんなことしなくても素直にベッドに入るよ」

 「――ど」

 「眠いから」

 「………」

 危うくぬか喜びするところだ。

 男に押し倒されているのにも関わらず、変わらず飄々としている。ロイエンタールの奥底から苦いものが込み上げる。自

 分の存在になんの影響力もないと云われているようだ。

 「すまないが本当に眠いんだ。退いてくれ」

 眠りに堕ちる様に眼を閉じる。心地良さは酒の所為だけではなかった。二色の瞳に自分が映るだけで、僅かな満足を得て

 いた。ヤンはそれで充分だった。あとは体が望む睡眠を満たすだけで良かった。

 その、ほんの些細な機微を読み取るのは今のロイエンタールには不可能だった。

 「…お前程残酷な奴は見たことがない」

 筋肉のない、軍人にはとても見えない柔らかな胸に項垂れロイエンタールは呟いた。

 その声色はとても弱い。

 資料の中のロイエンタールとは掛け離れていた。彼は闘争心があり、それに見合う実力を持っている。それでいて冷静で

 例え上位者のラインハルトが相手でも平等に冷淡な印象をヤンは持っていた。

 「……」

 薄らと瞼を上げ、胸の黒髪を映す。そしてヤンはまた目を閉じた。

 どれくらい、そうしていただろう。僅かな時間かもしれないが、長い時間かもしれない。

 「……ゆめ……」

 寝息の様な深い呼吸に紛れた声がロイエンタールの頭上から小さく漏れた。上体を起こし、ヤンを覗き込むが、ヤンは目

 を閉じていた。

 「…夢を…」

 感情が窺えない呟きは寝言のようだ。

 「夢を見たいんだ…」

 ゆっくりと上げられた瞼から広がる、深い黒い闇。

 ヤンは眠りの中で『夢』を見た事がなかった。眠りの先は、無味な暗闇か、記憶の再生だった。それは鮮明で、思い出せ

 ないほど些細な事もリアルに、そして忠実に再生された。過ぎた、どうにもならない過去を眺め、目覚めた時の虚脱感に

 いつも無気力になる。それも慣れてしまえば、どうでもいい事だったが、たまには夢を見たいと思う。

 

 見たい『夢』はもっと幻想的で、現実味のない、現実には意味のないもの。

 

 諦めの奥底には小さな憧憬が潜んでいる。

 ロイエンタールは息を飲んだ。

 幽遠に広がる闇の、最奥の小さな小さな灯火。

 ゆっくりと引き寄せられる引力はいっそ穏やかで、なのに抗う術をなに一つ許されない。

 黒曜の瞳が閉じる。夢見る事を諦め、それでも眠りに堕ちる。肉体維持の為に。

 ヤンの瞳が閉じた事で、ロイエンタールは現実に戻る事が出来た。脳内でヤンの言葉が自然と繰り返された。その言葉の

 真意を正確には掴みかねるが、夢を見たいというのなら――

 「見せてやる」

 微かに浮かぶ苦笑は消え入りそうに儚い。

 ロイエンタールはそっと唇を重ねた。

 初めての口付けだった。

 いや、キス自体は経験はあるが、単にその後の処理を円滑にする為に情欲を呷る目的のものだった。それも勝手に相手か

 らで、自分からすることは滅多にない。

 …こんな――

 触れるだけの、神聖な誓いの口付けを、彼はしたことがなった。

 触れた唇から温もりがゆっくりと広がる。キスは甘い、と誰の妄言か。

 満たす充足感の裏に寂寥感が漂う。

 それでも、攫み得ない存在に愚かでも誓うのだ。


 ただ重ねられた唇にヤンは自ら唇を開いた。夢を見せてくれるなら、見せて欲しかった。一人では見れない。

 ロイエンタールは乾ききっていない黒髪を両腕に抱え、ヤンの腕はロイエンタールの若く逞しい首に回った。

 

 

 

 

                                                  続く…

 

 


                                                                  09/04/24

 

次、801です。勿論ヤマなしオチなし意味なし、なので「5」に行かれても平気です^^