根暗金銀妖瞳。後味の悪さはピカイチ。ご注意くださいm(__;)m  

 

 

  白で統一された色の無い部屋。

  唯一の色は、黒。

 

 

   beautiful life

 

 

 

  微かな金具の音が、ぼんやりとした意識に割り込む。

  「…………」

  どこか霞掛かった黒い瞳が動く。認識する視界の映像が磨かれた黒い革靴を映すが、見ている本人には遠い世界の出来事のようだ。

  白い世界の唯一の色に色違いの双眼は愛おし気に細められ、いつも皮肉気な口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

  片方の頬を枕に押し付けて横たわり、もう片方の頬に張り付いた湿った癖のある黒髪を優しく梳いてやると、ぼんやりとした笑みが

  与えられた。

  「…お帰りなさい…」

  細く掠れた声だった。

  「熱はどうだ?」

  少しひんやりとした掌に頬を包まれ、心地良さそうな吐息が漏れる。

  「…まだ下がってないようだな」

  火照った頬にロイエンタールは眉を顰めた。

  「大した事ないですよ」

  「あまり当てにならんな」

  その台詞にヤンは困ったような苦笑を漏らした。

  「本当ですよ」

  ベットの端に腰を落としたロイエンタールは力なく放り出されたヤンの手に自分の手を重ね、暫くヤンを見つめた。

  その、感じる体温、肌の感触、伝わる熱にロイエンタールは自然と笑みを浮かべていた。こんなにも愛しい。それ故に、不安と焦燥

  が付き纏う。だから、確かめたくなる。

  「本当に平気なのか?」

  再度確認するロイエンタールにヤンは笑みを浮かべた。

  はんなりと透通る笑みだ。儚いようで稀薄なそれはロイエンタールを魅了する。攫みえないものがすぐ傍にいると教えるからだ。

  「そうか…」

  なら…。

  屈み込みながら呟かれた言葉に、ヤンはゆっくり瞼を閉じた。

  そっと重なる唇はしっとりと濡れていく。

  ヤンの唇は緩く開き、受け入れ誘う。熱い舌と息と流れ込む唾液がヤンの口腔を満たす。それだけで意思がある生き物のようなロイ

  エンタールの舌は狭い口腔を丹念に愛撫していく。二人の鼻梁から溜息に似た吐息が白い部屋に深々と積もっていく。

  静かで、深い口付け。

  飲み下せない唾液が口端から流れ、頬を伝いシーツに染みを作った。息苦しいそうな吐息は甘く熱い余韻を孕んでいた。

  口付けは貪るように、次第に荒々しくなっていった。激しく、苛烈なそれはヤンの意識を侵していく。息苦しさに意識も視界も霞ん

  だ。だからか、伸し掛かるロイエンタールの重さと熱さがよく伝わる。

  ロイエンタールはヤンの体を隠すシーツを剥いだ。僅かに肌寒さから震える素肌は、すぐに別の意味で震えだした。ヤンの肩をベッ

  ドに押しつけ、横向きから仰向きに変わるが二人の唇は重なったままだ。

  「…ん…っ…」

  体のラインを辿るロイエンタールの掌の感覚にざわざわと肌が泡立つ。そして、強く舌を搦め取られ吸い上げられる痛いほどの口付

  けにもゾクッと頭の芯が痺れる。

  ロイエンタールの唇は細い首筋から鎖骨へと下りる。そして、ヤンの胸にある、小さな傷跡を愛おし気に口付け、舌で撫でた。

  「…は…っ…」

  皮膚が薄く、過敏に反応してしまう。

  心臓の真上。 消えない小さな花は咲き誇り、ロイエンタールは恍惚と魅入る。その間にも愛撫の手を止めず、掌はヤンの下肢へと

  降りていた。太腿を撫で、脹脛の緩やかな丸みを堪能する。徐々にロイエンタールの頭も下がっていき、腹部から足の付け根へ。

  「…ぁ…っぅ…ふ…」

  舌と唇、時折肌を吸われ、じーんとした痺れは全身に広がり下肢へと凝縮された。ヤンは震えなが勃ち上がり、ロイエンタールの苦

  しいほど激しい愛撫を望んでいた。

  敏感な体に笑みを零し、ロイエンタールの掌は片方の太腿の内側を撫で上げた。上体を起こし、太腿から足首まで撫で上げながら持

  ち上げ、頬を擦り寄せる。ヤンの肌は隅から隅まで滑らかで心地良く、陶然とした息が零れた。ただ、足首から踝にかけて一文字の

  大きな切り傷の痕があり、その傷口は癒着に僅かながら凸凹していた。その感触を指先で堪能し、次には舌で味わう。

  「…ん…」

  胸の傷同様、薄い皮膚は殊更過敏でネッタリとした舌の感触をヤンによく伝えた。むず痒いような感じがするが背筋に伝わる頃には

  甘い痺れに変わっていく。

  ロイエンタールは胸の小さな傷と同じように執拗に舌を這わせ、唾液が脚を伝う。漸く足首から舌を離すとそっとベッドに下ろし、

  今度は反対側の、同じような足首の傷にも口付けては舌を這わせた。

  もどかしい愛撫だが、ヤンはぼんやりとロイエンタールを見つめた。まるでそれが儀式のように、必ず行われる。意味は分からない

  し、知りたいとも思ってなかった。

  そして、ヤンの脚をベッドに下ろすと、ロイエンタールは服を脱ぎ捨てた。

  鍛え上げた、均等の取れた完成された体躯にヤンはうっとりと見蕩れる。手を伸ばすと、胸を擦り合せるように伸し掛かる男の逞し

  い首に腕を巻き付かせて口付けを強請った。乾きかけた唇を舌で濡らし、早くと。

  淫らな仕草にどこか優しい酷薄の笑みを浮かべ、ロイエンタールは応える。

  舌の絡まる淫靡な水音と貪り合う口付けの合間の吐息が白い部屋に降り積もる。

  やがて燻る熱にヤンの腰が揺れ、それが合図のようにロイエンタールの掌により脚を大きく開かされた。

  「…は…っ…あ…」

  呼吸を奪う口付けにヤンの胸は大きく上下した。酸素不足にボーとする意識と視界には、枯渇し求める色違いの双眼が映し出された。

  その中に自分を認めるだけで、ヤンは下肢が蕩ける快楽を覚える。その証拠にヤンの先端からトロトロ…と先走りの液が滴っている。

  ロイエンタールの視線が下部に下がり、口元の笑みを深めた。

  「ぁっ…ゃぁ…」

  見られている事に気付いたヤンは緩く頭を振るが、隠すような事はしなかった。視線の愛撫に止めどなく溢れる快楽の雫は陰嚢まで

  伝い、ヒクつく蕾を濡らした。

  ロイエンタールはチラリと恥ずかしそうに頬を染めるヤンを見遣ると、上体を起こした。離れる温もりに快楽に濡れる黒曜の瞳が少

  し寂しそうで、気付いたロイエンタールはヤンの頬に口付けを落とした。すると、ヤンは嬉しそうに目を眇め、ロイエンタールも笑

  みを浮かべた。

  両の膝裏に手を掛け、白いシーツに付くまでヤンの体を折る。肺が縮こまり呼吸が苦しい事と、自身とこれから解かされる蕾がヤン

  の視界に否応なしに入る。僅かな羞恥と、それを上回る期待に逸り、腰は揺れて蕾は誘うように蠢く。

  「…持ってろ」

  言われるままに、ヤンは自分で膝を抱える。

  「いい子だ」

  優しく微笑まれ、その狂うほどの綺麗さにヤンも微笑んだ。

  精悍さを滲ます両の掌が双丘を割り、淫らな蕾を無防備に曝す。親指の腹で愛おし気に撫でたロイエンタールは蕾に唇を寄せた。伸

  びた舌から唾液が垂らされるのを濡れた黒い瞳が映し、齎される快楽に気が逸るヤンの呼吸は震えていた。ドクドクと心臓は早鐘を

  打ち、見える映像はスローモーションのようで焦れったい。

  「…ゃく…オスカー…ァ…」

  上擦る呼吸に紛れ、自然と漏れた声は熱く欲に濡れていた。どこか遠い場所を見るような恍惚としたヤンにロイエンタールの口角が

  愉悦に吊り上がる。

  たっぷりと濡らした舌で蕾の襞をそっと撫でると、息を飲む音が聞こえる。

  「…ぁあ…っ…はっんん…っぅ…ふぁ…あ…」

  舌と指で丁寧に解される蕾。ぐずぐずと燻る快楽にヤンの体は震え、喘いだ。解放に至らない熱は渦巻き、気が狂いそうになる。時

  たま、内部を弄ぶ指はポイントを掠め、甲高い声を上げさせた。

  卑猥な水音と、悶える体と擦れる布の音と、快楽に酔い痴れる喘ぎが耳に心地良く、ロイエンタールを愉しませた。もういいから、

  と懇願するがロイエンタールは止めず、狭い肉の狭間を奥まで解かしていく。

  内部が唾液で濡れて解かされていく水音に、喘ぎが噎び泣くようになった。

  ロイエンタールは漸く舌と指から解放する。欲しくて欲しくて堪らないのだろう、ヒクつく内部は蠢き、蕾から唾液を垂らした。女

  のように蜜を溢れさせているように見える。

  獣のように舌で口元を拭うロイエンタールと視線が合うと、ヤンは笑みを浮かべた。美しい獣にこれから喰われると思うだけで快楽

  が駆けて笑みを浮かばせていた。

  先端から零れる先走りの液で腹部を汚し笑みを浮かべる姿は煽情的で不思議と穢れない清楚でロイエンタールは魅入る。ヤンの統べ

  てが甘そうで、血肉全てを貪り喰らいたいと自然と喉が鳴った。

  ロイエンタールはヤンに伸し掛かると、汗で額に張り付いた前髪を梳き上げ、その額に唇をそっと落した。

  ヤンは腕をロイエンタールの逞しい背中に回し、しっかりとしがみつく。そして、濡れた先端が蕾に押し当てられると、長い吐息を

  漏らし、体の力を抜いた。

  「―――んっ!」

  呼吸と共に緩く蠢く蕾を先端に感じたロイエンタールは腰を進めた。慣れた体は、それでも一瞬痛みに緊張する。入り口が搾られ一

  旦ロイエンタールは動きを止め、ヤンの呼吸が落ち着くのを待った。

  「…大丈夫か?」

  心配げに覗き込む男にヤンは薄らと笑みを浮かべ、頷いた。微かに唇が震えているのを見て、ロイエンタールは親指の腹でその形を

  なぞった。唇の親指をヤンは舌で舐めるとロイエンタールは口端を吊り上げた。

  「大丈夫そうだな」

  言うなり、ロイエンタールは噛み付くような口付けでヤンの口腔を貪り、抑え切れない劣情のままに動き出した。

  「ああっ…ぅん…っ…は…ぁっ…!」

  激しく穿つ陰茎が齎す快楽に翻弄され、口付けに意識も奪われる。

  白いシーツは乱れ、頑丈なベッドは軋んだ。

  「ああ―――ッ、いぃッ…オスカッもっとっ…!!」

  浅く抉られ深く貫かれ、指先まで痺れる快楽にヤンは霰もない嬌声を漏らしロイエンタールを煽る。蕾は唾液とロイエンタールの先

  走りの液でトロトロに溶けて卑猥な水音を奏で、肌を打つ音が二人の快楽の強さを表した。

  「もっだめっィっちゃうっ!」

  感極まった甲高い悲鳴が耳を劈き、ロイエンタールの思考を痺れされた。細胞が快楽に震える。今この時を少しでも長引かせようと

  色違いに双眼は妖しく、そして危うい色を浮かべて光る。

  「まだ、早い」

  わざとポイントを外して責め立て、ロイエンタールは止めどなく蜜を溢れさせるヤンを握り締めた。

  「ああぁ――っ!!」

  身を焼き尽くす熱が逆流し、ヤンの背が発作のように跳ねた。

  「ぃやっ焦らさないでッ!イきたい!ォスカアッ!」

  「まだだめだ」

  穿ちながら、泣きじゃくるヤンの濡れた瞳に唇を落とし、ロイエンタールは己も昇り詰める為に更に激しく衝いていく。

  「ヒィッッ!!」

  奥の奥まで抉られ、咽頭に張り付く悲鳴を漏らし、焦点の合わない黒曜の瞳が見開く。

  「……ン…愛してる…ッ!」

  幽遠に広がる黒い宝石に自分が映し出され、ロイエンタールの脊髄は稲妻に打たれたように痺れた。陰茎を締め付ける内部は激しく

  収縮し、その細かな襞は雄に吸い付くように畝り蠢いた。頭の芯まで痺れる快楽に襲われたロイエンタールは限界を前にし、一層深

  く強く抉るとヤンと共に果てる。

  「……ぁ…ぁ…」

  突然の解放と熱い迸りを奥で感じ、恍惚としたヤンはビクビクと体を震わせた。熱い精液で体の奥が濡れる感覚に指先まで痺れてい

  る。

  ロイエンタールは一旦、自身を引き抜いた。粘度の高い白濁した精がドロリ…と零れ、色違いの双眼を愉しませた。内部を満たすロ

  イエンタールがなくなり、ぽっかり空いた蕾は名残惜しそうに蠢き、残溜を溢れさせた。

  その様子に笑みを浮かべながらロイエンタールは乱れた呼吸で上下するヤンの胸から腹部に掛かったヤン自身の精を舌で丹念に舐め

  とっていく。

  「…ん…オスカー…ぁ…」

  静まらない熱を孕んだ甘えた声に顔を上げると、泣き濡れた瞳が婉然と微笑み、物欲しそうな赤く熟れた唇はその奥の真っ赤な舌を

  覗かせた。

  ロイエンタールは軽く口付けをし、音と立てて唇を離した。そして、キスの合間に蕾から溢れた自身の精を絡めた指をその唇に含ま

  せた。ヤンは節のある指に舌を絡ませ、その精を貪る。なくなると、指を強く吸い、次を催促した。

  「もっとか…?」

  判っているのにワザと訊いてくるロイエンタールにヤンは少し拗ねたような瞳をし、それでも素直に小さく頷いた。

  ロイエンタールはヤンの体を俯せにし、腰を高く持ち上げた。白いシーツに顔を埋める事になり、ヤンは小さく呻いたが、次にはあ

  まやかな歓喜の吐息を漏らした。蕾にロイエンタールの唇を感じ、自然と揺れる腰。ロイエンタールはしっかりと両手で固定し、内

  部の精を吸い取る。

  「ふぁ…っ」

  奇妙な感覚でもあるが、それがロイエンタールからだと思うだけでヤンの下肢は熱く重く疼く。太腿がピリピリと震え、アキレス腱

  が切れた脚は思うように力を入れられず、ロイエンタールの支えがなくてはすぐに崩れてしまう。

  「…ぁあ…オスカー…ぁ…」

  甘えて強請る声はもう耐えられないと訴える。ロイエンタールは片腕をヤンの腰に回して支え、背中に伸し掛かり、もう片方の手で

  ヤンの顔を痛くない程度に自分に向けさせた。そして薄く開いた唾液で濡れた唇に口付け、自分の精を流し込む。

  「…ん…」

  流れ込む独特の匂いと痺れを齎すそれをヤンは舌の伸ばして貪欲に求め、同時にここにも欲しいと下肢が揺れて誘う。

  浅ましく淫らな妖艶としたヤンの媚態に当てられ、ロイエンタールの陰茎は隆々と勃ち上がり再びヤンの内部へゆっくり侵入してい

  く。

  「…は…ャ…ッ」

  言葉途中で飲み込み、歓喜に震える温かく湿った内部に包まれる歓びにロイエンタールは震えた。

  「ずっと…供に…」

  応えるように頷くヤンを愛おしそうに眺めるロイエンタールは誰も知らない優しく狂った笑みを浮かべた。

 

 

 

  そして白い世界は淫楽の世界へ―――

 

 

 

 

 

 

 

  目覚めたヤンは珍しい光景に驚き、そして愛おし気に笑みを浮かべた。

  「…おはよ…」

  「ああ…。よく眠れたか?」

  ヤンの前髪を梳き上げたロイエンタールは露になった額に口付けを落とした。その感覚が擽ったく、ヤンはクスクスと小さな笑みを

  漏らした。

  「ええ、よく眠れました。今日はお休みですか?」

  「ああ、休暇が取れたからな」

  ここ半年ほどは半日休暇とかが多く続いた。帰宅も遅く、同じ屋敷にいても顔を会わせられない日が圧倒的に多かった。それでもロ

  イエンタールは、どんなに遅い時間でもこの部屋を訪れ、眠るヤンに口付けた。ヤンの眠りは深く、目が覚めることは少なかったが、

  時折、朧げな黒い瞳を見ることが出来た。それは幽遠の闇のようで、心地良い浮遊感にロイエンタールは疲れた精神と肉体が癒され、

  そのまま眠ってしまう時がある。彼の朝は早いので、ヤンは知らなかったが。

  そんな中、漸く取れた休暇はそれでも3日間で首都部からは離れられないのが現在の帝国の現状だった。

  …いっそのこと辞めるか。

  軍部を。

  だが、逡巡したロイエンタールはそれが出来ない事に小さな溜息を漏らした。別に生活に困る事はないし未練もないが、軍に身を置

  く利点は情報が手に入り易い事だ。

  …今は――

  些細な情報でも彼にとっては貴重なものであり、その動向により今後が大きく左右される。

  …煩い虫もいるしな。

  独特なシニカルな灰褐色が過り忌々し気に眉を寄せた。胸の裡に巣食う不安を隠すようにヤンの体を強く抱き締めた。

  「…オスカー…」

  心地良さにうっとりと嬉しそうに目を細め、ヤンはロイエンタールの広い背中に腕を回した。

  ヤンの香りと温もりに包まれたロイエンタールは更に強くヤンにしがみつき、獰猛に底光りする双眼を見られないようにきつく瞑っ

  た。

  …誰にも――

  触れさせない。それが至尊の冠を掲げた者であろうと、やっと手に入れた幸福だ。誰にも奪われたくない。その為に誰を殺そうが躊

  躇いはない。身を滅ぼしても構わない。

  強い締め付けにヤンは少し苦しげに息を漏らした。

 

  『オスカー』

 

  頭の中はそれだけだ。だから、このまま骨を砕かれてもいいとぼんやりと思った。

  鍛えた腕の力が抜けたのは、控えめなノックの音だった。

  「失礼致します。朝食をお持ち致しました」

  執事の声に、ロイエンタールは名残惜しそうにヤンの体を撫でながら腕を解いた。

  その立ち上がる所作もガウンを身に着ける後ろ姿にもヤンは見蕩れていた。部屋の外には興味はなく、開いたドアの隙間から初老の

  男が視線を投げ掛けたが、何の意味があるのか疑問も沸かない。彼はこの世界の住人ではないので関係がないのだ。

  執事は儀礼的な一礼をして下がった。クスクス…と楽し気な笑い声の囁きが耳に張り付く。白い部屋は夢のように幸福なのだろう。

  泣き崩れそうな足を叱咤して彼は暗く冷たい廊下を歩く。

 

  白い世界の二人は睦み合い、体を重ね、笑い合った。下半身が上手く動かせないヤンを抱き抱え、バスに漬かり、そして二つの体を

  繋げ、また眠りに堕ちていく。

  ロイエンタールは幼い子供が母親の温もりを求めるようにヤンにしがみついて眠った。

  夢から覚めたのは、少し荒いノックに目醒めを余儀なくされたからだ。不機嫌に顔を顰めたロイエンタールはヤンを起こさないよう

  にそっとベッドから抜け出した。

  「なんだ?」

  ドアの隙間から顔を半分覗かせる主の様子にその不機嫌さが窺えたが、執事は職務上の一礼をした。

  「ミッターマイヤー様からお電話が入り、至急登庁されたし、との事でございます。移動中のご様子で、ほどなくお着きになるそう

   です」

  ロイエンタールは舌打ちし、部屋を出た。自室にてガウンからシャツに腕を通すとチャイムが鳴るのが聞こえてくる。早い到着にま

  た舌打ちした。

  元帥のケープを羽織ったミッターマイヤーは勝手知ったると云った感で主の私室に向かい執事は押し止めようとした。

  「すぐに参りますので、お待ちください」

  「事は急を要する。これは皇帝のご命令だ」

  「ですが」

  尚も押し止めようとする執事を体で押し退け、ミッターマイヤーは階段を昇りかけた。

  「なんだ、騒々しい。俺は休暇中だぞ」

  「ロイエンタール…」

  なにか苦味を潰したミッターマイヤーの目に、階段を下りるロイエンタールが映る。

  二人は階段半ばで向き合った。

  「陛下がお呼びだ。至急とのことだ」

  ミッターマイヤーは声を潜めた。

  「分かった。…ああ、上着を忘れた。取ってくるから先きに車に行ってくれ」

  踵を返すロイエンタールの肩をミッターマイヤーは掴んだ。

  「時間が惜しい。上着はいいから」

  焦りとするにはおかしい様子にロイエンタールは不審にミッターマイヤーを見遣り、ほんの一瞬、睨み合う形となる。

  「……分かった」

  肩を掴むその強さにロイエンタールはまた踵を返し、階段を降りた。後ろにミッターマイヤーの気配を感じながら、車に乗り込む。

  「いくら至急と云えど、卿がわざわざ迎えに来るとはな」

  後部座席に並んで座るとすぐにロイエンタールの苦笑が漏れ、ミッターマイヤーは僅かに気持ちが楽になったような気がした。そし

  て、同じように苦笑を漏らし、なんとなく視線が下がった。

  「指輪か。珍しいな」

  普段ロイエンタールは装飾品の類いを身に付けないので、すぐに目につく。

  「…形見だ」

  見た事のない家紋が彫り込まれた表面を撫でるロイエンタールから思いもしない言葉が出て、ミッターマイヤーは目を見張った。小

  さなそれは小指にしか嵌まらない。女物で形見としたら、浮かぶのは一つだった。

  「あ…だが」

  ロイエンタールの出自が口に出そうになりミッターマイヤーは口元を覆った。その様子にロイエンタールは酷薄な笑みを浮かべた。

  「アイツ等のではない」

  複数形なのは二人いるからだ。

  嘲るように吐き捨てる親友にそれ以上追求する事が出来ず、ミッターマイヤーは口を噤んだ。僅かに沈痛な色を浮かべる彼に対し、

  ロイエンタールは別の話を振った。

  「上着も取る時間もないほど緊急な呼び出しとはなんだ?」

  「あ、俺も詳しくは知らんのだ」

  話題が変わった事に幾らかの安堵を得たが、どこかまだ余所々々しさが残る。

  「なんせ、急なことだったからな」

  ミッターマイヤーは会話に無理があることを自覚しながら言葉を続けた。

  「ミッターマイヤー」

  長い付き合いでその声色が、なにを隠しているのか問い掛けているのが分かる。何故か、それが虚しく感じたミッターマイヤーは視

  線を僅かに逸らした。

  「…本当に、知らないんだ」

  「……………」

  訝し気に見つめるが、それっきりミッターマイヤーは口を閉ざし地上車は間もなく元帥府に辿り着こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

   □   □   □

 

 

 

 

  その日、宙港は厳戒態勢だった。帝国に於いて最も重要な賓客の訪れであった。

  にも関わらず、大規模な爆破事件が起こった。

  警備の強化としての人海戦術が仇となり、パニックの兵士達が犇めく。

  賓客は屈強な男の腕に守られながら状況を冷静に見ていた。離れた場所で皇帝陛下の安否を確認し、僅かな安堵を得る。

  一時はパニック状態になったが、訓練された兵士たちはすぐに己の任務に取りかかった。

  そのほんの僅か、その場が落ち着きを取り戻した時に2度目の爆破が起こった。

  「————ッッ??!」

  破片と爆風と熱が賓客に襲いかかる。

  一度目の、比較的人気の少ない場所ではなく被害は甚大だった。

  何よりショックなのは自分を抱き込んだまま、動かない男だった。

  瞬きも忘れ、目の前の光景を見つめる。頭の中が真っ白だった。遠い場所で、覆い被さる男から流れ出た温かい血が自分の服を重く

  湿らせていくのを感じた。

  誰かに腕を引かれ、男と引き離される。手を伸ばすが、届かない。

  人並みの隙間から、応急処置される男が見えた。容態が気になり、男の名の叫ぶが喧噪に紛れて声も届かない。

 

 

  ヤン・ウェンリーは行方不明となった。

 

 

 

 

  宙港爆破事件から実に4ケ月以上の時間が経つ。

  犯人は杳として知れず、元帥府には依然として張り詰めた空気が漂い、日を追うごとに疲労が出ていた。

  届いた調査報告書をデスクに投げ出し、カイザー・ラインハルトは苛立ちを隠さず舌打ちした。

  フェザーンも地球教も、なんの動きもない。あれだけの事件を起こしたにも関わらず、犯行声明も要求もなにもなく、捜査は困難を

  極めた。

  「ハイネセンは?」

  「レンネンカンプ高等弁務官からは調査中としか報告は有りません」

  淡々と答えるオーベルシュタインにも苛立つ。

  「範囲を広げろ」

  「恐れながら、これ以上は」

  オーディン、フェザーン、ハイネセンと調査は広範囲に渡っている。動かせる人員も限りが有り、あとは時間しかない。

  「虱潰しに調べろッッ!!」

  手詰まりなのは充分判っているが感情が伴わずラインハルトは声を荒げ、拳でデスクを叩いた。

  「…御意」

  なにを言っても無駄と、オーベルシュタインは一旦引いた。それでもラインハルトに従うのは、彼が皇帝として国内の政務をきちん

  とこなしているからだ。

  閉じた扉の音に静寂に包まれたラインハルトは気を落ち着かせる為に親指の爪を噛んだ。もう片方の手は胸のペンダントを無自覚に

  弄くっている。

  「…どこにいる…ヤン…」

  呟かれた声に答える者はいない。

  閉じた扉を一瞥し、オーベルシュタインの無機な表情が浮かんだ。ラインハルトはこの件でオーベルシュタインを疑った事がある。

  しかし、ヤンの死体が見つからない事がそれを否定している。誘拐などと廻り諄い手段は使わない男だ。

  ラインハルトは苦しげな溜息を漏らし、執務に取りかかる。足元が確固たるものでない今は最も気を引き締めなくてはならない時だ

  と理性は告げている。胸の裡にある、靄つく不安と焦燥と、そして憤りに総てに当たり散らしたくなるのを必死に抑えた。

  淡々と執務に取り組む皇帝の執務室にノックがなされ、キスリングが入室許可を求めた。

  「入れ」

  「失礼致します」

  敬礼しキスリングは大判の封筒を持参した来た。それをラインハルトに差し出す。

  「ワルター・フォン・シェーンコップからです」

  その名前にラインハルトは封筒を引ったくるように奪い、急いで開封した。中身は数枚の書類で、段々とラインハルトの顔付きが厳

  しいものになっていった。

  「彼奴は?」

  キスリングが黙って首を振るのを見て、逡巡するように蒼氷色の双眼が眇められた。

  「…ミッターマイヤーをこれへ」

  急げ、とラインハルトは付け足し、キスリングは命令通り急いだ。

  ミッターマイヤーに下された勅命は、休暇中のロイエンタールを出頭させろというものだった。理由も告げられないそれに但ならぬ

  雰囲気を察したミッターマイヤーは胸騒ぎがした。しかし勅命であれば臣下として従わねばならない。ロイエンタールから目を離す

  なと云う厳命が不安を煽った。

  …これではまるで犯罪者ではないか。

  ロイエンタール家に赴く地上車の中で、最近のロイエンタールの態度と宙港爆破事件が何故か交錯しミッターマイヤーは頭を振った。

  …違う。

  だが、何故ヤツは重大事件にも関わらず普段と変わりない態度だったのだろう。確かに、与えられた任務は全うしていた。だが、そ

  れだけだ。関心は持ってない。ヤン・ウェンリーの存在は帝国軍の中でも皇帝に次いで重いものだ。それぞれが、ミッターマイヤー

  自身も躍起になった。

  御しえない不安は焦燥を煽り、焦燥が不安を深めていきミッターマイヤーを包んだ。

 

 

 

  そして今、ロイエンタールと共に元帥府に到着した。

 

 

 

  すぐに謁見かと思われたが、二人は暫く控えの間で待たされた。

  中途半端な状態にミッターマイヤーは落ち着かず、室内を回り出した。顔には出ていないがロイエンタールの苛立ちは肘掛けを指先

  で叩く事で表している。

  時計の長針が間もなく一周しようとした時、廊下から猛々しい複数人の靴音が近付いてきた。元帥府の中で、特に皇帝の執務室間近

  では異常な騒ぎだ。ロイエンタールは立ち上がり、警戒心を露に音の赴く先を見極める。

  「なんなんだ…?」

  ミッターマイヤーの呟きは彼の心情を表し、戸惑いの方が強い。

  靴音は止まった。この部屋の前だ。ロイエンタールは自身の周辺を確認し、壁を背に少し離れは場所に立つ。

  ――同時に、ドアは蹴破られた。

  「な―――ッ??!」

  何事か問う間もなく、複数の強襲装備の兵士が襲いかかった。そこに自分の存在がないの事がミッターマイヤーを更に愕然とさせた。

  予測していたロイエンタールは一人を躱すが、次の多方向からの同時攻撃を躱すことが出来なかった。

  「――くッ!」

  腕で堅い銃を払うには三度が限界だ。距離を取ろうにも囲まれている。武器になるものがない以上、素手で応戦する覚悟はあったが

  予想以上に強い。

  …ローゼンリッターッ!!

  憎々し気に呟くが音にする余裕はない。

  勝負はすぐに決した。

  「————」

  それはものの一分も掛からなかった。その間、ミッターマイヤーは唖然と立ち尽くしたままだった。倒れる大きな音と潰れた呻き声

  に我に返るが、事態を飲み込む事が出来ない。見開いたミッターマイヤーの眼には、床に倒され4人掛かりで押え付けられた親友の

  姿だ。

  「押えました」

  一人が淡々とインカムで報告し、更に指示が下ったようだ。ロイエンタールの口に強引に布が押し込まれ、舌を噛むのを阻止する。

  目の前の出来事に唖然としていた思考は、徐々に冷静になり、ミッターマイヤーは兵士がロイエンタールを殺す意思が、まだない事

  に気付いた。それは気休めでしかないことにも。

  「これはどうゆうことだ…?」

  ミッターマイヤーはヒリつく咽頭からなんとか声を搾り出したが答えはなく、見慣れない兵士たちは一様に憎らし気にロイエンター

  ルに注視していた。激戦をくぐり抜けてきたのだろう、隙がない。

  「おいっ!!」

  近くの兵士の肩を掴むが、乱暴に払われた。次の言葉を発しようと、口を開くミッターマイヤーの耳に開け放たれたままのドアから

  鋭い靴音が届き、反射的に背後を振り返った。

  そこにはカイザー・ラインハルトが激しい怒りを表していた。

  「…皇帝…」

  怒りというよりも憎悪だ。その灼けるほど冷たい眼差しはロイエンタールに向けられており、ミッターマイヤーは茫然と呼びかける

  ことしか出来なかった。ロイエンタールを見下ろすラインハルトの様子も、ラインハルトを見上げるロイエンタールの様子も異常で

  彼の視線は二人を行き来した。

  先程の乱闘が嘘のように静かな部屋はミッターマイヤーの思考を圧迫していた。心臓が嫌な感じに重く響く。堪え難い不安に、もう

  一度ラインハルトに呼びかけた。

  ラインハルトは今度は応えた。

  「下がれ」

  冷たい視線と、感情を押し殺した低い声だ。ゾッと悪寒が走る。

  「しかし――

  「下がれッ!!」

  感情を露にした鋭い声に、ミッターマイヤーは引かざるえなくなった。理性では分かるが感情が追い付かず、ミッターマイヤーの足

  は重い。漸く踵を返す。肩越しに親友に視線を向けると、心臓が痛んだ。

  床に押えられながらも、ロイエンタールの色違いの双眼は勝ち誇ったかのように主君を見上げていたのだ。

  …ロイエンタールッ!!

  それこそが反逆の証のようで親友の名を叫ぶが、その声が届かないことも長い付き合いで分かってしまった。それが余計にミッター

  マイヤーを苦しめ、俯いたまま身動きも出来ずにいた。下がった拳は白くなるほ堅く握られ、やり切れなさに震えていた。その拳に

  何かが触れ、視線を上げると、記憶にある顔が擦れ違っていた。

  「……ワルター・フォン・シェーンコップ………」

  新たな登場人物に、ミッターマイヤーの視線が再び戻る。そしてシェーンコップと兵士が視線を交わし合うのを見、彼らがローゼン

  リッターと知った。

  …何故?

  爆破事件から一段と出入国の管理が厳しくなっているにも関わらず、彼らの入国の報告はない。報告が回って来なかったのか、それ

  は分からないが、今判断できることはロイエンタールがヤン・ウェンリーの行方不明と関連していることだ。でなければ彼らが動く

  筈もない。嫌な予感は偏頭痛にまでなり、頭の中で血管の脈動が大きく響く。

  シェーンコップの視線を受け、リンツはミッターマイヤーに近付いた。

  背中を押されていたが、ミッターマイヤーの頭痛は酷く、気付いたら廊下に出ていた。拒絶するように閉じられたドアの音に正気付

  く。だからといって部屋に入れず、再び開けられるのをただ待つしかなった。

  その時に友が生きていることを切に願った。

 

 

 

 

  シェーンコップは感情のない眼でロイエンタールを見下ろし、そして逸らした。深く息を吐く姿は、己を律するかのようだった。

  「―――――—ッ!!」

  だが抑えらず、勝手に足が動く。

  「————ぅッ!」

  堅く靴で横っ面を鋭く蹴られ、ロイエンタールから呻き声が漏れた。脳を激しく揺さぶられ、軽い脳震盪を起こすが、きつく目を閉

  じるだけでやり過ごす。

  そして、色違いの双眼で見上げた。

  身動きもできない状態でもロイエンタールは自身の優勢を確信している様で、それが更にシェーンコップの苛立ちを煽る。殺してや

  りたいが、殺すことが出来ない。

  そんなシェーンコップにラインハルトは冷たい視線を向けた。それは暴力に対する糾弾ではない。寧ろ、そうされても仕方ないこと

  をロイエンタールはやったのだと確信を得てしまった。先程渡された報告書ではロイエンタールの屋敷にヤンが隠されている可能性

  を示唆していたのだ。まさか、という思いは完全に否定され、心が冷えきっている。ロイエンタールに対する同情も憐憫も、なに一

  つ持つことが出来なかった。

  「…で?」

  ラインハルトは詳細を求めた。この状態で殺すことは簡単だが、生かしているには理由がある筈だ。

  「地下に通じるドアには生体認識とキーワードでロックされてた。やっかいなのは、トラップだ。…爆弾が仕掛けられてる」

  装置のカバーを外す際、不審な動線を発見した。細めのそれは通常よりも5本も多かった。持ち込んだ機材で動線の調べると、5本

  とも微弱な通電が見られた。シェーンコップはこれを爆弾の起爆と判断した。規模が分からない以上ヤンの安全の為に不用意に切断

  できないし、乏しい機材では解除もできない。勿論、ブラフの可能性も考えられた。屋敷を制圧する際に同行した部下が言い出し強

  行突破を求めたが、シェーンコップは頷けなかった。異常なまでの執着を示すロイエンタールだ。奪われるくらないなら総てを粉々

  にすると思われた。

  生体認証をクリアした執事を締め上げたが、キーワードを吐かせることが出来なかった。彼は忠実に主の愛する白い世界を守り抜い

  たのだ。

  現在はハッキングを行っている。元帥府に向かう途中で報告があり、生体認証は執事のダミープログラムでクリアできるがキーワー

  ドのプロテクトを外すのに時間が掛かるとのことだ。

  ラインハルトは傍に控えたキスリングに科学省から人員を派遣するよう命じた。

  声を潜めた会話ははっきりと聞き取ることは出来ないがロイエンタールは屋敷でなにが起きたのか、その張り詰めた雰囲気で察して

  いた。それは些細な問題に過ぎない。

  重要なのは、誰も踏み入れていない事実。

 

 

  あの、白い世界は自分だけのもの。

 

 

  ロイエンタールは初めてヤン・ウェンリーと出会った時のことを思い出した。

  ハイネセン制圧のあと、講和記念という題目が付いたパーティーの時だった。

  初めまして、そう手を伸ばすヤンにロイエンタールは応えた。

  触れた瞬間、総てを悟った。

 

  ――― 俺のだ ―――

 

  自分はこの為に生まれた。身の裡にある孤独はヤンの為のものだった。そして、ヤンの孤独は自分の為のものだ。

  真っ暗闇の凍てついた孤独の中で一人膝を抱えている。それは嘗て、似たような経験をした自分にしか分からないものだ。

  ならば、埋めるのは互いの存在だけ。歪な形は二人で一つの形となるだろう。なのに、誰も彼もがヤンに群がる。

  それは当然のことだった。ヤンは同盟一の知将と謳われているのだから。

  だが、そんなモノはヤン自身ではない。

  …何故だ?!

  孤独は憤りとなり、荒れ狂った。ヤンに自覚がない事も、その原因だった。

  …何故気付かない?!

  群がる人間に手を差し伸べる姿に苛立つ。そして唐突に思った。自覚がないのなら、自覚させればいい、と。不意に、屋敷の地下通

  路が頭に浮かぶ。それは万一の場合に備えた脱出路であり、地下シェルターも備えてある。

  啓示だ。

  捕らえて、閉じ込めるのだ。

  形を確かめ合えば、否が応でもヤンは気付くだろう。しかし今すぐは、時期でない。それは理解しているが、それでも気が逸る。く

  だらないパーティーなど抜けて、早くオーディンに帰りたいとさえ思った。どこか苛立ったロイエンタールの様子に、ミッターマイ

  ヤーはトリスタン強襲の件で機嫌が悪いのか思い、特に疑問を持たなかった。

 

  その時の苛立ちの原因が今、自分を見下ろしている。

  不意にロイエンタールは咽頭の奥で笑い出した。

  …愚かなことだ。

  彼らも孤独だ。だが、それはヤンの歪な孤独と一つになる形ではない。そんなことも理解せずにヤンを求めるのだ。滑稽としか言い

  様がない。

  笑い出したロイエンタールに誰もが眉を顰めた。笑える場面ではない。

  「立たせろ」

  シェーンコップの命令でブルームハルトらは肩まで揺らしているロイエンタールの体を立たせた。その際、両足を踏み付けて隙を与

  えない。

  「…面白そうだな。もっと面白くしてやろう」

  シェーンコップにしては感情のない平坦な声だった。一瞬後にはロイエンタールの太腿を細い光線が貫いていた。気付ば彼の手には

  ブラスターが握られていた。通常であれば人を撃つ時にはなんらかの感情が付随する。恐怖や躊躇い、憎悪などだ。ラインハルトや

  長年傍にいたリンツやブルームハルトまでもが息を飲んだのは、今のシェーンコップにそれら付随する感情が一切見られなかったか

  らだ。

  「キーワードはなんだ?」

  光線はまたロイエンタールの太腿を貫く。

  「言え」

  また。

  「キーワードだ」

  また。

  両太腿に3個もの穴が開き、流石にロイエンタールは自分で自分の体重を支えられなくなった。憎たらしいのは、重要な血管をきち

  んと外していることだ。痛みに寄る汗が全身に浮かぶ。鼻梁から漏れる呼吸も苦しげに荒い。

  呻きながら崩れる体をブルームハルトらは自動的に支えた。目の前のシェーンコップに恐怖を覚えて、体が強張っていた所為だ。

  「…ああ、そうか。喋れなかったな。すまんな」

  低い平坦な声は続き、次には肉と骨を打つ音。

  「――が…っ…!」

  顎に拳が叩き込まれた。

  「これで喋れるだろう」

  シェーンコップはロイエンタールの口腔を塞ぐ布を床に落とした。カツン、と小さな堅い音が鳴る。布に喰い込んでいた歯だった。

  項垂れたロイエンタールの顎先から落ちた血がタイル張りの床を汚していく。気絶していないのは、苦痛を抑える呼吸で分かる。

  「………Glü…c……」

  その、苦痛に塗れた呼吸音に混じり、小さな呟きが漏れた。シェーンコップは聞き逃さず、荒い手付きでロイエンタールの髪を鷲掴

  みに持ち上げた。

  色違いの眼は半ば伏せられ、虚ろに霞んでいる。苦痛は意識を蝕み、無意識に漏れた単語だ。

  「…隊長?」

  それまで、ある意味無表情だったシェーンコップの口端が吊り上がり、リンツは訝しげに問い掛けた。

  それに対し答えはなく、シェーンコップは携帯を取り出した。現場に残してきた部下に連絡を取る。

  「キーワードはGlückだ」

  それから少しの間があり、次にはシェーンコップの灰褐色の双眼が歓びに見開いた。

  「開いたかっ!よし、先行部隊は進め。油断するな」

  興奮を滲ませる強い口調に、リンツ達は驚きと歓びが入り交じった。

  「隊長っ!」

  「行くぞ」

  もう用はないとばかりにシェーンコップは踵を返した。

  拘束が解かれ、意識がはっきりしたロイエンタールは蹌踉けながら椅子に倒れ込んだ。2・3度頭を振り、僅かに残る靄を払う。

  「…貴様らにとっては、パンドラだ」

  出血に寄る青白い顔色のロイエンタールは咽頭の奥から愉快な茶番を見ているように笑った。

  シェーンコップは一瞥した。

  不吉な言葉に胸騒ぎがするが、今は押し殺す。なによりも、早く赴きたい。その感情のままにドアを乱暴に開け、駆け出した。

  部屋に残ったのはラインハルトとキスリングだった。

  なにかラインハルトが言ったが、それはロイエンタールには聞こえていない。今更、どうでもいい。

  話しを聞いていない様子にラインハルトは舌打ちした。ロイエンタールの処遇を決めるよりも今はヤンの安否が気掛かりでもあり、

  ラインハルトは踵を返した。

  開け放たれたドアには親友の姿に愕然と硬直したミッターマイヤーで、ラインハルトはやや俯き加減に足早に通り過ぎた。

  入れ違いにミッターマイヤーが部屋に入るがロイエンタールは気付かなかった。

  宙を見つめる色違いの双眼に映るのは、ヤンの穏やかな笑みだった。

  初めて、その笑みを向けられた時の感動は忘れることはない。

  白い世界の始まりだった。

  それまでは宙港でのことが相当ショックだった様で、暴れ回っていた。自分以外の男の名を叫び、逃げ出そうとしてばかりだった。

  力で捩じ伏せても意志の強い黒い瞳は拒絶した。焦れたロイエンタールは強引に犯した。それでもヤンは屈することはなかった。身

  の裡を埋め尽くし、溢れるほどの愛しさが、その時一瞬憎しみに変わった。細い脚のアキレス腱を切断し、苦痛に悶絶するヤンに過

  剰な麻酔を打ち込んだ。ほんの少し、麻薬も混ぜてあった。意識が朦朧としているヤンを優しく抱き、愛を囁いた。それは何度とな

  く行われ、ヤンの記憶を混濁させた。言動があやふやで記憶障害を起こしているのは明らかだった。

  そして、『ヤン・ウェンリー』という枷から解かれたヤンは微笑んだのだ。

  ロイエンタールは無意識にヤンの名前を呼ばなくなった。記憶が戻ることを恐れたのかもしれない。

  口付けすればヤンは応え、抱き締めれば、細い腕が背中に回る。抱けば、甘く茹だるような嬌声が漏れた。ヤンの内部は熱く畝り、

  ロイエンタールは更に愛しさを増していった。ヤンの笑みは安息であり、ヤンの温もりは癒しであり、囁きは安堵だった。

  

 

  ずっと、共に。

 

 

  その証を互いの心臓に埋め込んである。二人のパルスは離れていようとも繋がっている。

  ロイエンタールは咽頭の奥でこの茶番に笑った。

  自分にとっては白い部屋は『幸福』であるが、自分以外の者は開けてはいけない扉だ。

  「―――幕引きだ」

  …精々、後悔するがいい。

  ゆっくりと左手を持ち上げる。掌は握られていた。拳を心臓の真上に当てる。小指の指輪の堅い感触に、笑みが零れた。

 

  次の瞬間、細い光線がロイエンタールの背中から真っ直ぐ伸びた。

 

  しーんと、誰の呼吸もない部屋にミッターマイヤーはフラつく足でロイエンタールのそばに行く。

  「………この、馬鹿が」

  ロイエンタールは、今まで見た事のない穏やかで安らかな笑みを浮かべていた。

  どれだけ彼の安息を願っただろうか。

  誰に対しても冷笑と怜悧な皮肉気な口元が、いつか愛する者を見つけて穏やかな笑みを浮かべることを見てみたいと思っていた。

  その時には散々心配かけた分、思いっきり揶揄かってやろうと思っていた。

  その笑みは、今は温もりが失せようとしている。

  「この馬鹿が…」

  これでは泣くに泣けない。ただ苦しくって、ミッターマイヤーは膝を折った。

 

 

 

  広大な敷地を誇る屋敷に静寂を破る地上車の音。

  …ヤン提督ッ!!

  張り叫ぶ声を叫ぶ余裕もなく、シェーンコップは走る。間取りを完璧に覚えている脚は迷うことなく地下へと下りていく。

  ほんの少し前に先行部隊から連絡があり、目的地に辿り着いた報せがあった。途中にトラップがあるかもしれないので、慎重に脚を

  運んでいたので時間が掛かった。懸念したトラップはなかった。

  細く暗い通路には煌々と照明が付き、荒い靴音が反響して響く。

  「隊長!」

  ドアの前でシェーンコップを待っていた先行部隊は道を開けた。丁度ドアを調べ終わり、危険がない事を確認し終えた時だ。

  他にも部屋がないか、通路の先きを調べていた部隊も戻ってきた。

  部屋はここしかない。

  シェーンコップは一旦呼吸を整え、ノックした。返事はない。

  「ヤン提督」

  そっとドアを開けたシェーンコップは目を眇めた。

 

 

 

 

  目眩がするほど白で統一された部屋だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終   

 

 

2009/12/08