ラブストーリは突然に!

 

 

  出会いは、最悪。

 

  「ミ〜ィ〜タ〜ァ〜マイヤ〜ァ〜…」

  おどろ恐ろしロイエンタールの低い声に、原因は自分ではないと首を振りそうになったが、ミッターマイヤーは部下の不始末は上司の不始末と素直に

  謝った。

  「その、スマン…コイツはおっちょこちょいで…」

  夏ならではのアイスな珈琲を顔面にぶっかけられた中将閣下はそんな言葉で気が済むわけがなかったが、素直に謝罪する親友の顔を立てそれ以上詰る

  のを堪えた。そして、けっ躓いて今だ倒れたままのおっちょこちょいな部下を指差した。

  「使いものにならんのならクビにしろっ!」

  ミッターマイヤー以外には寛容ではない性格なので、本人を目の前に容赦ない。

  「いたた…」

  その本人は漸く起き上がった。顔からダイブした様で赤くなった鼻を摩った。

  「あ、良かった、グラス割れてない」

  「……おい、ヤン」

  他に心配することがあるだろう、とミッターマイヤーは暢気な部下にガックリと肩を落とした。そこで漸くグラスの中身に気付くヤン・ウェンリーと

  いう人物は本当にマイペースなのだ。

  「あー…、その、申し訳ありませんでした…」

  憮然と見下ろしてくる、珍しい色違いの双眼にヤンは申し訳なさそうに髪を掻き回した。

  その余りの暢気さにロイエンタールは拍子抜けし、怒るのも馬鹿らしくなってきた。

  「もういい。それよりもなにか拭くものを持ってこい」

  「はい。あ、飲み物は?」

  暢気すぎて、今度はイラッとしてきた。

  「いらん!」

  苛立った声にヤンは慌てて部屋を出た。

  今度はけっ躓かずにタオルを持ってきたヤンを早々に退室させ、ミッターマイヤーは再度詫びた。

  「本当に悪いな」

  「悪いと思うなら、今夜付き合え」

  皮肉気な笑みにミッターマイヤーは困ったような、どこか照れたような苦笑を漏らした。

  「そうしたいのは山々だが、今日はエバァの誕生日なんだ」

  今宵一夜は愛する妻の為。

  そんな親友にロイエンタールは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

  「ふん、結婚すると変わると言うが、卿はその見本だな」

  呆れと皮肉の口調にミッターマイヤーは苦笑した。

  「卿にも分かる時が来るさ」

  愛し守る者を得た余裕か、グラスに口を付けるミッターマイヤーの顔は以前となにか違って見えた。それが羨ましいとも妬ましいとも思わない。ただ

  『女』という生き物を理解していないことに皮肉気に笑う。

  「あ、馬鹿にするなよ」

  酷薄な笑みにほんの少し眉を釣り上げ、ミッターマイヤーの惚気は続いた。

  「エバァはそこら辺の女とは違うんだ。大体、お前がそんなんだから、寄ってくる女共にはエバァのような女性がいないんだ」

  惚気は小言に変わり、ロイエンタールは肩を竦めた。

  「まぁいい。そんなことよりも、今度の編成を期にアイツを移動させたらどうだ?」

  足手まといだろう、と暗に告げ、俺のところ以外でな、とはっきり告げる。

  「アイツ?ああ、ヤンのことか。それは駄目だな」

  「なんだ?引き取り手がないのか?」

  あの愚鈍さなら仕方ないだろうとロイエンタールは咽頭の奥で笑った。

  「逆だ。引く手数多だ」

  「…………」

  心底驚いている珍しい親友に今度はミッターマイヤーが咽頭の奥で笑った。

  「ロイエンタール、卿はヤン・ウェンリーの名を本当に覚えていないのか?」

  含むような言い方にロイエンタールは腕を組んで記憶を掘り起こした。考え込んでいる様子にミッターマイヤーはヒントを与えた。

  「士官学校の時、卿がシュミレーションで苦戦した相手」

  「………あの…」

  そういった相手は数人いたが、その参謀役にヤン・ウェンリーの名前がエントリーされていたような気がする。ミッターマイヤーがヤンを覚えていた

  のは彼自身負けた対戦相手にヤンが参謀としてついていたからだ。参謀がヤンでなければ、それぞれ楽勝だった相手だ。現に再戦した時には参謀は変

  わっており、結果は呆気ない幕切れであった。

  ロイエンタールは単にまぐれかとすぐに興味をなくし、対戦相手の名前も覚えず、ついでにヤンの名前も忘れ去っていた。

  「階級はまだ大佐だが、これからどうなるか分からんぞ」

  陽の当たる場所に立てば一足飛びに階級を駆け上るかもしれない。

  「なんだって、そんなヤツが」

  「貴族の上官と折り合いが悪かったらしくてな、俺がヤンを見付けた時は資料室勤務だった。ミュラーもヤンのことを知っていたらしく、一歩遅けれ

  ばヤツに取られていたところだ」

  それにビッテンフェルトもヤンのことを覚えていたぞ、と付け加えると、突然ミッターマイヤーが笑い出したのでロイエンタールは怪訝に見つめた。

  「なんだ?」

  「いや、あの時のビッテンフェルトの剣幕を思い出してな。アイツはヤンとシュミレーションで直接対決したことがあってボロ負けしたんだそうだ」

  シュミレーションで再戦する為に幕僚にするとメチャクチャなことを喚いていたと、笑いながら言葉を続けた。

  「―――ふん、面白い」

  優美な手付きで顎を撫でたロイエンタールの色違いの双眼は楽し気に細められた。ミッターマイヤーは見逃さず、渋い顔で親友を指差した。

  「おい、俺の部下だ。妙なちょっかい出すなよ?」

  言っても無駄だろうが、一応釘を刺す。

  「妙な、とはなんだ?それこそ妙な言い掛かりだぞ」

  言葉尻を揶揄われ、ミッターマイヤーは刺した釘が無駄だったと肩を竦めた。

  ロイエンタールの行動は素早かった。

  書類を持って再入室してきたヤンの腕を取ったロイエンタールは不思議そうに見下ろしてくる、どこか濡れたような黒い瞳に意味ありげな笑みを浮か

  べた。そしてヤンから書類を奪い、ミッターマイヤーに渡して、一言。

  「借りるぞ」

  「は?」

  突然のことで驚いたのはヤンだけで、ミッターマイヤーは慣れているのか、困ったような低い笑いを漏らした。

  それを了承と取ったロイエンタールはヤンの腕ごと躰を引っ張っていく。

  「あの、ちょっと」

  ヤンはロイエンタールから視線を移し、ミッターマイヤーを見遣った。上司は軽く手を振っている。つまり、ヤン本人の了解なく、貸し出しされたと

  云う事だ。

  …私はレンタル品じゃないんだけど。

  別に怒るわけではなく、どちらかというと呆れていた。

 

 

 

  「―――なんでこうなるんですか?」

  元帥府の中には訓練施設があり、艦隊シュミレーションの機材が揃っている。対戦型のシュミレーションマシンを前にヤンは半ば脱力した声で楽しそ

  うに状況設定しているロイエンタールに問い掛けた。

  「時間は1時間だ。艦隊数は同数の5千隻を上限。そうだな、小惑星地帯にするか?いや、面倒だな」

  「…………」

  …面倒なのは今のこの状況なんですけど。

  勝手に進めていくロイエンタールにヤンは溜息を付いた。

  「おい、早くしろ」

  暇じゃないんだ、とばかりに尊大な態度だ。

  …でしょうね。

  中将閣下が暇なわけない。現にミッターマイヤーは連日残業だ。

  ものすっごく気乗りしないとありありな様子でヤンは椅子に座った。キーを叩き、5千の内訳をしていく。足は遅いが装甲が分厚く丈夫な重巡艦を主

  力に軽巡艦とワルキューレの数を指定していく。標準型の戦艦数が一番少なかった。

  布陣されたヤンの艦隊を色違いの双眼に映し、ロイエンタールは珍しく純粋に楽しんでいた。

  …さて、お手並み拝見とするか。

  1時間後には、そんな余裕は消え去っていた。

  「……………」

  勝者ヤン・ウェンリー、の画面にロイエンタールは豆鉄砲喰らった鳩のような顔をしていた。

  …なんなんだ、コイツは!?

  ヤンの作戦は非常に姑息で、且つ効率的で、そして非情だった。

  ヤン艦隊の最前列は重巡艦でその影から軽巡艦とワルキューレがロイエンタールの艦隊に襲いかかり、その機敏性を生かし一撃離脱。弾が当たればい

  いや攻撃に大破されることはなかったが、どんどん戦艦に被害が出ていた。密集体勢を解こうにも、重巡艦が突き進んでくるのでラインを不用意に広

  げられず、応戦していると標準型の戦艦が別働隊で側面攻撃。やはり、一撃離脱でバラバラに逃げていくから捕捉に手間取りロイエンタールの応戦は

  思ったより効果がでなかった。全面攻撃に転じようにも軽巡艦とワルキューレがちょこまか煩い。そして、弾薬が切れた重巡艦は後退するどころが更

  に突進してくる。体当たりと気付くが、装甲が分厚く大破するのに手間取った。

  結果、広範囲に渡る一撃離脱を繰り返されたロイエンタールの艦隊の方が全体的な被害指数が多かった。

  ロイエンタールは、あー肩凝った、みたいなヤンを睨み付けた。

  「…お前は、こんな作戦を立案するのか?」

  押し殺した低い声には明らかに侮蔑が込められていた。

  「?…あぁ、体当たりの事ですか?」

  何でもない事のようにいうヤンに、ロイエンタールはかつてない怒りを感じていた。敵を殺す為に味方も殺す作戦になんの躊躇いもない。玉砕覚悟も

  反吐が出るが、ヤンの場合は追い詰められたものではなく、あくまで作戦なのだ。無能で、自分さえ良ければいい貴族のボンクラのほうがまだ可愛気

  がある。なにより、こんなヤツをミッターマイヤーまでもが高く評価しているというのが業腹だった。

  軽蔑と怒りにぐつぐつと煮えたぎる鋭い色違いの双眼にヤンは困った。なにか勘違いされているようだ。

  「シュミレーションだからですよ」

  もういいですよね?と尋ねるが、返答を待たずにヤンはシュミレーション室を出て行った。

  ヤンの言う通り、仮想世界に人的被害もなにもない。要は制限された時間の中でコンピューターが判断するポイントを稼げばいいだけだ。その事を失

  念していたとロイエンタールは気付いたが、負けず嫌いなので納得するのは嫌だった。

 

 

  ミッターマイヤーの執務室前にはベルゲングリューンが張っていた。ロイエンタール捕獲の為である。

  廊下の向こうから現れたロイエンタールはかなりご立腹の様子で靴音が鋭い。ベルゲングリューンの胃は重くなった。しかし、ここで逃しては仕事が

  進まないのだ。

  「閣下」

  意を決したベルゲングリューンは立ちはだかった。

  「退け」

  「いいえ、退きません。一度お戻り下さい」

  じゃないと帰宅時間が日付を越えてしまう。

  「すぐに戻る」

  そう言って戻ってきたためしがない。しかし、この手の我が儘な手合いには妥協が必要であることを優秀な副官は十二分に分かっていた。

  「では、ここでお待ちしております」

  「……………」

  かなり嫌そうな顰めっ面が返って来たが、ベルゲングリューンだって引くわけにはいかない。

  「…判った」

  では、とベルゲングリューンは身を引いた。内心、胃がキリキリの冷や汗ものだった。

  執務室ではミッターマイヤーが書類と格闘中だったが一旦手を止め、憮然としたロイエンタールを見上げた。

  「アイツは?」

  「ヤンか?あっちだ」

  視線を隣接した大部屋に移した。

  「なんだ?なにをしてたんだ?」

  お茶ではないのは確かだろうが、ヤンからなにも聞いていないミッターマイヤーは尋ねた。

  「シュミレーションだ」

  「ほぉー、で、卿が負けたというワケか」

  態度で一目瞭然であった。

  ロイエンタールはドカッ!とソファに座った。その様子にミッターマイヤーは苦笑し、インターホンでお茶を持ってくるよう告げた。ヤンに運ばせる

  な、と付け加えるのも忘れない。

  ねちっこい文句や不満が出るかと思ったがロイエンタールは黙り込んだままで、ミッターマイヤーは書類整理を進めた。

  そうこうしている間に珈琲が運ばれたが、ロイエンタールは口を閉ざしたままだった。

  「おい、ロイエンタール」

  いい加減、外で張っているベルゲングリューンが気の毒になってきたミッターマイヤーは用件を促した。

  「…今日は定時上がりか?」

  「は?あぁ、まぁ出来ればな」

  突飛な質問だったが、ミッターマイヤーはうんざりした顔で机の書類を見回した。すると、なにを思ったかロイエンタールは立ち上がり、その書類の

  山から3分の1ほどを取り上げた。

  「ロイエンタール?」

  「手伝ってやろう。その代わり、アイツも定時上がりにしろ」

  「おい、ロイエンタール?!」

  いうだけ言って、さっさと出て行く親友にわけが分からないミッターマイヤーは椅子から立ち上がったが既にドアは閉められていた。

  「……なんなんだ?」

  ポツンと置き去りにされたミッターマイヤーの呟きの答えは、終業時間に知る事になる。

 

  元帥府に業務終了のチャイムが響き渡る。

 

  「う〜〜ん」×2

  場所は違うが、ミッターマイヤーとヤンは背中を伸ばした。ヤンは知らないが、ロイエンタールのおかげで本日の仕事が時間内に終わる事が出来た。

  ミッターマイヤーは心中で感謝しながら帰り支度を始めた。心は既に愛するエバァの元に飛んでいる。

  ミッターマイヤーは大部屋を覗き込んだ。

  「キリが付いた者から、帰っていいぞ」

  いの一番に立ち上がったのはヤンだ。いつもの如く。

  「じゃ、お先に」

  この瞬間のヤンの笑顔は本当に活き活きしている。上官がそうは言っても、すぐに帰宅する者などいない。周りの白眼視もなんのそののヤンは軽い足

  取りでドアノブに手を伸ばした。

  「―――ぁがッ?!」

  ドアは勝手に内側に勢い良く開き、運悪くヤンは強かに額をぶつけた。危ないじゃないか、と文句も言いたいが痛くてヤンは踞った。

  「そんなところでなにをしている?危ないだろうが」

  上から降ってきた低めの美声にヤンは恨めし気に見上げた。そう思うならノックくらいしてほしいものだ。

  「閣下こそなにをしていらっしゃるんですか?ミッターマイヤー提督なら、もう帰られましたよ」

  「ミッターマイヤー?別にアイツに用があってきたわけじゃない」

  あーそうですか、とヤンは興味の『き』の字もなく返して立ち上がった。その反応にロイエンタールはムッとした。じゃなんの用ですか?位の興味は

  人として持つべきだろう。

  ロイエンタールは通り過ぎようとするヤンの腕を掴んだ。

  「お前に用があってきた」

  「私ですか?」

  はて、なんだろう?とキョトンとした顔になんともいえない脱力感を覚えるロイエンタールであった。

  「あの?」

  腕は掴まれたままだし、なんか溜息つかれたしで、困惑したヤンは言葉少なに用件を促した。

  気を取り直したロイエンタールは単刀直入だった。

  「付き合え」

  「これからですか?私はもう帰るんですけど。明日じゃダメですか?」

  ヤンはシュミレーションだと思った。

  「ダメだ」

  「えっ?!ちょっと!!」

  そう言うなりロイエンタールはヤンを引き摺っていった。

  『付き合え』発言を言葉通りに受け取った大部屋は大変なコトになった。

  「おいおいおいおい!!どーゆーコトだよ?!」

  「そんなん知るわけねぇーだろ!!」

  「女に飽きたから男か?!しかもヤンかよッ?!」

  「「「「どーなってんだよ〜〜〜〜ッッ!!?」」」」

  大部屋に響き渡る叫び。

 

  部下達の混沌の叫びが聞こえないミッターマイヤーは帰宅前にロイエンタールの執務室を訪れた。一言礼を言っておこうと思ったのだが、ドアを開け

  て吃驚。

  「………べ…ベルゲングリューン…?」

  書類の山に囲まれているのは、短時間で窶れてシクシク泣きながらも健気に仕事をしている親友の副官だった。

  「どうしたんだ?ロイエンタールは?」

  「……帰られました…」

  「………え?」

  流石に言葉を失う。手伝ってやる、と言っておきながらベルゲングリューンに押し付けるとは無責任にもほどがある。一応ロイエンタールの名誉の為

  に補足しておこう。終業時間ギリギリまで彼はかつて見たことがない神業並みの仕事をしたのだ。重要度の高いものから。

  そのヤる気の仕事っぷりにベルゲングリューンもキビキビ補佐した。正に上官と副官の姿だ。ベルゲングリューンは誇らしいとまで思った。

  が、チャイムが鳴ると同時にスイッチ切れ。あとはお前でも出来る、と止める間もなく帰ってしまい、木枯らし吹き荒れるベルゲングリューンが残さ

  れた。

  泣きながら説明しつつ書類も処理していくベルゲングリューンに憐憫の眼差しのミッターマイヤー。俺が定時で上がりたいと言ったばかりに、と思っ

  たがすぐに考え直した。未だかつて妻との時間を増やす為に親友が協力してくれた事はない。寧ろ邪魔された事がある。となると別の目的があるのだ。

  …ヤンだ。

  それしかない。

  …となると―――

  すでにロイエンタールに捕獲されている可能性がある。

  「………………」

  うわー、なんか何も考えたくなくなってきた。

  結局ミッターマイヤーはベルゲングリューンと仲良く残業。苦労が絶えない二人である。

 

 

  翌朝、ミッターマイヤーは登庁後一番に親友狩りに出た。

  「おいっロイエンタールッッ!!」

  バーン!と執務室のドアを開けて、またまた吃驚。

  「酒臭っ!!」

  屍のようなロイエンタールからは腐敗臭ではなくアルコール臭であった。

  『頼む……音を立てんでくれ…』

  動く屍はヨレた文字で懇願した。

  「お前、昨夜どんだけ呑んだんだ?」

  『半年分を一晩で』

  ミッターマイヤーの呆れた溜息さえも、今のロイエンタールにはキツいらしい。

  「まさかヤ――

  遮るようにロイエンタールは便箋をミッターマイヤーに向け、執務机の上を滑らした。投げる気力もないらしい。

  …俺にも筆談しろってか。

  我が儘具合に呆れて溜息も出ない。ガシガシ頭を掻き毟り、仕方なさそうに近くの椅子を執務机の傍に引き寄せ、ロイエンタールと向き合う形で座っ

  たミッターマイヤーはボールペンを手にした。

  『ヤンと呑んだのか?』

  『そうだ』

  『また無謀なことを。アイツの酒の強さは伝説級だぞ』

  『早く言え』

  『まさかお前がヤンと呑みにいくとは思わんかったからな。随分気に入ったんだな』

  他人に関心が薄く、警戒心の強い男にしては珍しいことでミッターマイヤーは面白そうにニマニマしている。

  少し逡巡するように色違いの双眼が彷徨い、そしてペンを滑らせた。

  『気に入った』

  その文面に、更に驚く。シュミレーションのお返しとかアイスコーヒーをぶっかけられた礼だとかいって、はぐらかすと思ったのだ。捻くれ属性故に。

  …相当気に入ったんだな。しかし――

  素直なロイエンタールとは不気味だ。そのロイエンタールはまだなにか書いていた。

  『酔い潰して、一発ヤってやろうと思ったほどだ』

  「はぁ?!なにをいってるんだっヤンは男だぞっ?!」

  思わず立ち上がったミッターマイヤーはビックリしすぎて声を荒げた。頭にガンガン響き、ロイエンタールは頭を抱えた。

  「あ、スマン」

  『スマンと思うなら、今日もヤンを定時上がりにしろ』

  懲りない男だ。

  『今日も呑む気か?』

  『定時に迎えに行くと伝えてくれ』

  誘いたくても酒焼けで声が出ない。アフター5のために今は安静のロイエンタール。なに気に自分の美声に自信がある。

  ミッターマイヤーはマジマジとロイエンタールを凝視した。なにやら本気モードのようだ。

  『ヤンのどこが気に入ったんだ?』

  非常に気になる。その質問に対し、ロイエンタールは楽し気に目を細めた。

  『アイツは面白い』

  …まぁ、確かに。

  ヤンは見ていて飽きない。というか、なんでもないところで躓いたりと危なっかしく、ついつい見てしまう。しかし、解せない。親友の性格からする

  と『面白い』ではなく『鈍臭い』が出てくる筈だ。

  ふいに、なにか思い出したのか、ロイエンタールは痛む咽頭の奥で笑った。

  『アイツは俺の事を猫といった』

  …猫。

  これまた可愛らしい単語が出てきて、不似合いにミッターマイヤーの口元が引き攣る。親友に『猫』とつけるとすれば、『ネコ』科の大型種で肉食の

  とびっきり獰猛なやつが浮かぶ。

  酒焼けした咽頭の渇きを潤すためロイエンタールは水差しから冷たい水を小振りなグラスに注いだ。ひんやりとした感覚が行き渡り、昨夜のことを思

  い出していた。

 

 

  ヤンは真っ直ぐと、不思議そうに見つめてきた。ヤンの態度があまりにも普通で、ロイエンタール は酔いの回った思考で少しからかってみたくなっ

  たのだ。

  「その眼のことですか?まぁ、そうですね。あまり見る事はないですけど」

  言葉を選ぶようにヤンは一旦区切った。

  「小さい頃、父に連れられて行った商談相手の家にもいましたよ。そのコは確か緑と琥珀でした。とても綺麗で、私は好きでしたけど、あまり懐いて

  もらえませんでした」

  思い出したのか、伏せた黒い瞳は少し寂しそうだった。

  「あと、別の家のコですが、貴方と同じく青と黒のコとも遊びました。すぐに仲良くなって、そのコは私が帰る時には泣いてくれましたよ」

  懐かしむヤンの話しにロイエンタールは少なくない衝撃を覚えた。

  金銀妖瞳が宇宙で自分一人ではないこと。

  考えてみれば、銀河は広く無尽蔵の人間が存在するのだ。その可能性もある。今まで考えもしなかった事にロイエンタールは少し笑った。笑いながら、

  どこか自分の躰が軽くなったような気がした。

  …もう酔ったのか、俺は。

  ふわふわして心地良い。

  「それに毛並みも良くって、小さかったし抱くと軽くて気持ちよかったです」

  「…………」

  なんか、聞き逃してはいけないこと言われた気がしたロイエンタールは笑うのを止めた。

  「でも、抜けた毛の処理にはまいったなぁ」

  ガムテープでパタパタしてもなかなか取れなかった、と続き、ロイエンタールはマジマジとヤンを見つめた。

  「…なんの話しをしている?」

  「え?猫ですけど?」

  それ以外なにがあるというのか、みたいに小首を傾げられ、ロイエンタールは呆気に取られた。

 

 

  思い出したロイエンタールは飲み込んだ水を吹き出しそうになった。なんとか持ち堪えたが、激しく噎せた。美丈夫だけに不気味だ。

  突然咳き込みながら笑う親友、なんぞと珍妙なものを目にしたミッターマイヤーは冷や汗が出た。

  …ヤンか。

  なんとも微妙だ。確かに、ロイエンタールが誰かに関心を持つ事はとてもいい事だ。しかし相手がヤン。しかも、どうやら本気っぽい。ここは親友と

  して応援すべきだろう。例えホモでも。ヤンでも。

  しかし、ヤンがロイエンタールに落ちるだろうか。

  …うーん。

  二人が『お付き合い』するビジョンが浮かばない。ここはちゃんとロイエンタールに教えておこう。

  『ヤンはノーマルだと思うが』

  『それがどうした』

  『ヤンの鈍感さは宇宙一だぞ』

  険しい山道で獣道だ、も付け加える。

  ロイエンタールは『それがどうした』を丸で囲んだ。

  「………………」

  もうなにも言うまい、とミッターマイヤーは黙り込んだ。でも、ちゃんと予防線を張っておこう。ヤケ酒に付き合わされるのは勘弁して欲しい。ミッ

  ターマイヤーは『定時に迎え』を丸で囲んだ。

  『伝えはするが、俺は知らんぞ』

  行くか行かないかはヤン次第だ。すると、ロイエンタールは口端に笑みを浮かべた。

  …あー、引き摺ってでも、か。

  酷く疲れたミッターマイヤーは自分の執務室に戻ることにした。これ以上ロイエンタールに付き合っていると仕事する気力がなくなる。

  そして伝言を伝えるためヤンを呼んだ。

  「失礼します」

  軽いノックのあとに、いつも通りのヤンが現れた。屍のロイエンタールが脳裏を過ったミッターマイヤーは思わず苦笑した。

  「昨日、ロイエンタールと呑んだんだってな」

  仕事の話しかと思っていたヤンは一瞬ぽけっとしたが、次には困ったように笑みを浮かべ、髪を掻き上げた。

  「あぁ、はい」

  「……………」

  …え?それだけ?

  普通なんか、もっとこう、コメントがあってもいいような気がするが。

  …これは―――

  脈ナシ、というヤツか?面倒事になりそうな予感にミッターマイヤーの気分は軽く沈んだ。

  「あの?」

  黙ったままのミッターマイヤーにヤンは小首を傾げた。

  「あっいや、その、ロイエンタールは楽しかったらしくてな、今日も呑みたいらしいぞ?!だから、ヤンは定時に上がっていいぞ!」

  なんか不自然だし、声も変に裏返っている。ヤンは不思議そうにミッターマイヤーを見つめた。

  「あの、半休を取ってますが?」

  「……………」

  そういえば、とシフト表を脳裏に思い浮かべてみると確かに半休を許可した。

  「そうだった。忘れていた…」

  こればっかりは仕様がない。ねちねち文句言ってきそうでミッターマイヤーの胃は重くなった。

  ヤンを下がらせたミッターマイヤーは受話器を取り、ロイエンタールの執務室の直通内線番号をプッシュしたが、二日酔いには電話の音は耳障りだろ

  うと最後の一桁で受話器を置いた。

  彼の気配りはここまでだった。

  …メールにしよう。

  面と向かって筆談でねちねち文句言われるのはイヤだ。

  ポチっとな、でヤンの半休を送信。仕事しながら返信が気になるが一向になく、そうこうしている間に昼休憩の時間になった。

  半休のヤンはこれで退庁だ。本屋に注文した書籍を取りにいって、あとは官舎でゴロゴロ予定。

  「お先」

  本当に晴れやかな笑顔に同僚達から冷たい視線を浴びるが、ヤンは寝癖ほども気にしていない。そこへ待ったが掛かる。

  「ヤンッちょっと来いっ!!」

  ミッターマイヤーだった。その剣幕に大部屋のみんなが驚く。ヤンも驚いていた。今日は特に失敗はしていない。

  戸惑いながらミッターマイヤーの執務室の入ると来客がいた。

  執務室の出入り口は2カ所ある。大部屋に繋がるドアと直接入室できるドアに別れている。中将クラスは一様にこの形式だ。大将から上のクラスにな

  ると執務室の前に副官の控え室があり、直接入室できない様になっている。

  ソファに座る面識のない人物にヤンは小首を傾げた。しかも、ものすっごく暗い。頭上の渦巻く暗雲は鉛のようだ。

  ヤンは困惑したように上官を見遣った。なにか自分と関係があるのだろうか。

  その視線にミッターマイヤーは乾いた笑いを小さく漏らした。ヤンは関係なさそうにしているが、大いに関係しているのだ。

  「ヤン、彼はロイエンタールの副官のベルゲングリューンだ」

  紹介されたベルゲングリューンは力なく会釈した。

  「はぁ…」

  「見ての通り、具合が悪い」

  嘘ではないところがベルゲングリューン的に悲しいところだ。

  「はぁ…」

  「そこで、ヤン。スマンが半休を取り消しにして、彼を補佐してくれ」

  半休メールからずっとロイエンタールの機嫌が悪く、ベルゲングリューンの胃にかなりの負担が出ていた。

  「………………………」

  ヤンは頭の中でミッターマイヤーの言葉を反芻した。

  一見するとボーとしているが、逆に得体の知れないものがありミッターマイヤーとベルゲングリューンは固唾を飲んだ。一拍の無反応がこんなに気不

  味いと相手に思わせるのはヤンだけだろう。

  発言する為に深く息を吸い込んだヤンに増々緊張が高まる二人。

  「あの、何故私なんですか?ロイエンタール閣下の部署には他の方もいらっしゃるでしょう?」

  尤もな質問である。低気圧ハリケーンの被害者はなにもベルゲングリューンだけではなかったのだ。低気圧に当てられ、体調不良者が続出。早退まで

  する輩がいたりした。

  荒れ荒んだ大部屋の様子が脳裏に過り、なんとなくベルゲングリューンとミッターマイヤーは目を合わせた。

  …苦労するな。

  …閣下こそ。

  そんな視線の会話。しかし互いの苦労を労うにはまだ早い。なんとか誤摩化し、ヤンを生け贄にしなくてはならないのだ。

  「あー、なんだ、その、タチの悪い風邪が流行っていてな、早退者や体調悪いヤツが多いんだ」

  「え?そうなんですか?」

  そんなタチの悪い風邪の噂は聞いたことがない。当たり前だが。

  不思議そうに真っ直ぐ向けられる黒い瞳に、なんかミッターマイヤーはもの凄い罪悪感を覚えた。子供に嘘をつく親の心境に近い。

  「きょ、局地的にな…」

  ズキズキ痛む胸を握り締め、視線を逸らすミッターマイヤー。

  なんかおかしいと思ったヤンだが、日を改めて半休扱いで一日休暇という餌で生け贄決定。

 

  荒涼とした大部屋にヤンは呆然とした。なんか干涸びたぺんぺん草が視える。

  帰りたい、ヤンはそう思った。

  「この書類に閣下のサインを貰ってきてくれ」

  生け贄成功で生気が戻ったベルゲングリューンはヤンに書類を押し付けた。ロイエンタールの執務室に向かうヤンの背中に内心で手を合わせつつ、餌

  をチラ付かせれば閣下の機嫌もよくなるだろうと考える。

  …これで今日中に帰れる。

  そんな些細なことでも嬉し泣き。普段の苦労が偲ばれます。

  しかし彼は知らなかった。後に更なる苦労を背負う事になるとは―――

  まぁ、その前に。

  入れ、と不機嫌が滲む掠れた声に従いヤンは入室した。

  「失礼します。閣下、この書類にサインをお願いします」

  現れたヤンに一瞬ロイエンタールは驚いた表情をしたが、次には狡猾な笑みを浮かべた。ここに来たという事は半休がなくなったのだ。礼とでもいっ

  て今晩も誘おうと決めたロイエンタールは書類を受け取り、軽く目を通してサインをしていく。

  「わざわざスマンな」

  素直に礼をいって、優しい上司面。

  「いえ。それにしても風邪とはみなさん大変ですね」

  はて?と思ったが、そういう言い訳になっているのかと理解したロイエンタールは黙って頷くだけに留める。

  最後の一枚にサインを終えると、束をヤンに向けた。

  「今日のれ―――

  いに食事でも、と言い終える前にヤンは簡単に敬礼をしてさくっと退室。早く帰りたいのだ。脳内は取り寄せた書籍で占めらている。

  「…………」

  パタンと閉じたドアに上昇しかけたロイエンタールの機嫌がまたも下降した。

  その不機嫌オーラはドアの隙間から大部屋に流れ込んできた。ベルゲングリューンは床を漂う冷たい不機嫌オーラを敏感に察知し、サイン貰ってきま

  した、のヤンにぎこちない礼を述べた。これはまたすぐにでも生け贄を差し出さなくてはならない状況であると察するが、まだロイエンタールに提出

  するほど仕上げていない。どうするか、と悩んでいると、ほかの部下が突然起立した。

  「ス、スマン!これをロイエンタール閣下に届けてくれっ!」

  「この処理の仕方を聞いてきてくれっ!」

  「おおお茶も!」

  これも・これもコールにベルゲングリューンは内心でホロリ涙を零した。一致団結の素晴らしい連携だ。閣下思いの部下達である。いや、単に不機嫌

  低気圧が嫌なだけなのだが。

  みるみる間にヤンの両腕には書類が積まれ、お前もそこでお茶して来い、と二人分の珈琲を乗せたお盆が乗せられた。

  「あ、あの…」

  運動中枢が平均以下のヤンには重いしバランスが悪い。グラグラ揺れている。非情に危ない。しかしヤンのドジッ子具合を知らないので、生け贄宜し

  く背中を押された。

  「ぅわっ?!」

  当然ヤンは躓いた。

  見事なドンガラ・ガッシャーン!で大部屋全員唖然。

  シーン、としてしまった部屋にバーンッ!と勢い良くドアが開いた。騒ぎを聞きつけたロイエンタールであった。そんなドジをするのはヤンしかいな

  いと確信してのことである。

  「大丈夫か?」

  予想に違わず、ベッチャリと床と一体化しているヤンの腕を引き上げてやる。

  「…す、すみません…」

  流石にちょっと恥ずかしいヤンだった。割れたカップに手を伸ばすが、ロイエンタールにそれとなく手を握られる。

  「片付けはいい。それより汚れたな。付いて来い」

  「え?でも…」

  有無を言わさず、ヤンの肩を抱いて半ば強引に連れて行く。

  「…………………」×全員

  そんな優しい閣下を見たことがないからビックリ唖然。多分ヤン以外なら、冷たい見下し視線に無言の早く片付けろの圧力が掛かるだろう。贔屓もこ

  こまであからさまだと文句も出ない。

  そのロイエンタールは大部屋から出る際、ベルゲングリューンを見遣った。そして、口端を吊り上げて、意味深に双眼を細めるのだ。

  「………」

  ベルゲングリューンは悟った。『お持ち帰り』で今日はこのまま早退する気だ、と。

 

  帰宅前にミッターマイヤーはロイエンタールの執務室に顔を出した。さぞかしロイエンタールの機嫌が良いだろうと思い、ちょっと揶揄かってやろう

  と思っての事だ。

  「よう!」

  開けてびっくり玉手箱、ではないが、またも昨日と同じ状況。

  書類の山の隙間からベルゲングリューンと目が合い、ミッターマイヤーは無言で書類の山を取った。

  黙々と残業する二人の雰囲気はブラックホール並みに暗く重い。

 

 

  翌日、ミッターマイヤーの登庁一番の仕事は嫌でも親友狩りであった。

  「ロイエンタール!」

  勢い良くドアを開けたミッターマイヤーを迎えたのは、ようこそ無気力の部屋へ、であった。部屋の主はゲンナリ、ゲッソリで執務机に懐いていた。

  「…ど、どうしたんだ?」

  まさか枯れるまでヤったのか、とミッターマイヤーの顔色は気色悪さに蒼白となった。

  「……………本」

  ボソッと呟かれ、ミッターマイヤーは耳ダンボで聞き返した。

  「は?なんだ?聞こえんぞ?」

  「本だ…」

  バイク屋がなんの関係があるのだろうか。それとも車か。ピアノってことはないだろう。

  「H◯NDA?まさか卿、株に手を出していたのか?!」

  「違うっ!!本だ、本!書籍ッ!!折角連れ込んだのに、アイツはずっと本を読んでやがったんだっ!!呼んでも、触っても、ウンともスンとも言わん!完

  徹だ!一睡もしてないッ!!」

  バーン!と両手で机を叩いて立ち上がったロイエンタールは一気に捲し立てた。

  「…………………」

  ゼィゼィと肩で息をする親友をミッターマイヤーは生温い眼で遠くに眺めた。仕事をサボって白昼堂々と屋敷に連れ込んだ事を注意すればいいのか、

  セクハラを咎めればいいのか、ヤンに付き合って完徹したのに呆れればいいのやら。

  ロイエンタールは獲物をみすみす逃したケモノの眼で乱暴に水差しからグラス一杯の水を注ぎ一気に煽った。カチ割る勢いで机に戻し、不穏な一言。

  「……今日こそは……」

  「おい待て。なんだ、今日こそは、とは?まさか、ベルゲングリューンに仕事を押し付けて3日連続定時上がりする気か?」

  「そうだ」

  詰問するミッターマイヤーの声にロイエンタールは平然と肯定した。今度はミッターマイヤーがキレる番だった。

  「いい加減にしろっ!この二日ベルゲングリューンはその日中に帰ってないんだぞ!!」

  全部コイツが原因である。

  「それにヤンにも仕事がある!そうそう定時で上げれるわけがなかろうっ!!」

  ヤンの情報分析力はとても優秀(処理能力は低い)で、そのヤンが不在とあってはミッターマイヤーの仕事が滞ってしまうのだ。

  「……判った。今日は俺とヤンが残業する」

  お前の残業にヤンは関係ないとツッ込みたい。勝手なヤツだと判っていたが、ここまで勝手だとお手上げである。

  ロイエンタールはざっと今日の業務内容を確認した。

  「ミッターマイヤー、21時だ」

  「なにがっ!?」

  疾風がつっけんどんになるのは仕方ない。

  「21時には終わらせるから、ヤンも21時まで残業だ」

  よく使うホテルまでの移動時間が30分。レストランのラストオーダーが21時30分。敢えてフルコースにして約2時間の食事時間にすれば、帰宅が面倒

  だろうとでも言って一泊計画。ホテルなら本はないし、酒は用意しても1本に抑えて、イン・ザ・ベッド。

  …完璧だ!!

  ロイエンタールは21時に上がる為、早速仕事に取り組んだ。

  しかし、である。当事者であるヤンの都合を考えない勝手な計画が上手くいくワケがなかった。

  その日のヤンは、興味深い本を完徹で読破できた満足感で妙にハイテンションだった。

  「では、失礼します」

  「……あ―――――……」

  提出された完璧な仕事にミッターマイヤーはヤンを引き止められなかった。ルンルンなヤンは18時ちょい過ぎに帰宅。おかげでミッターマイヤーも19

  時には帰宅できるという、有り難いが有り難くない状況に陥った。

  ミッターマイヤーは頭を抱えた。早く帰ってエヴァの手料理を食べたいが、きっと恐らく絶対ロイエンタールは家にまで押し掛けてくる。そしてヤケ

  酒に愚痴で絡んでくる。なんともイヤな未来予想図だ。

  「……そうだ…」

  呑みに誘おう。親睦会とか慰労会とでもいってほかの連中も連れて行けばヤンも断らないだろう。21時にお開きにすればいいのだ。

  ミッターマイヤーは慌ててヤンを追った。元帥府の玄関ホールでヤンを見付け、声を掛けようと口を開いたが、別方向からヤンを呼び止める声が先だっ

  た。

  「ヤン大佐」

  「ミュラー提督にビッテンフェルト提督」

  「帰宅ですか?」

  「はい」

  「俺らも帰るところだ」

  声を掛けそびれたミッターマイヤーは柱の影から3人のやり取りを見ていた。

  「ビッテンフェルト提督とも話していたんですが、一緒にどうですか?」

  ミュラーはクイッとグラスを煽る振りをした。

  「でも」

  そうだ!断れっ!とミッターマイヤーは電波を飛ばしたが大きな声に弾かれた。

  「そうだ!ミュラーんトコで呑もう!コイツのとこなら近いし、シュミレーションゲームもあるからなっ!」

  「え?!」

  ビッテンフェルトの提案にヤンは目を丸くした。関係ないがミッターマイヤーも。

  恐れ多いとヤンは慌てて首を振ったが、ガシッ!とビッテンフェルトに肩を抱き込まれた。

  「勝ち逃げは許さんぞ」

  なんか鬼気迫ってる。随分昔の事なのに根に持ってるなぁとヤンは呆れ、ミュラーも苦笑している。

  そんな場合ではないのは部外者のミッターマイヤーだけだった。なんとか割って入ろうとするが上手い言葉が見付けられず、その間に二人はヤンを挟

  んで元帥府を出て行ってしまった。

  しまった…とちょっと呆然としていると、なんともイヤな視線を感じて弾かれるように振り返った。

  「―――ッ!?」

  間が悪い事にロイエンタールがいて、あちゃ〜なミッターマイヤーだった。しかも、相当怒っている。かなりキてる。その少し後ろに控えているベル

  ゲングリューンは全てに諦め、覚悟を背負い俯いていた。

  …すまんっベルゲングリューン!!

  親友の怒りの不機嫌低気圧が全て彼に行くと思うと、つい謝ってしまう。

  「ミ〜ィ〜タ〜ァ〜マイヤ〜ァ〜」

  そう思っていたのに、俺かよ?!なミッターマイヤーは近付くオドロオドロしい地獄の低音に後退った。

  「落ち着け!ロイエンタール!チャンスはまだある!そうだ!ヤンの好きなものを教えてやる!紅茶だ!ヤンは紅茶が好きだ!ワインよりブランデー!

  年下より年配!」

  「……年配?」

  つまり、自分にはチャンスがない、ということか。

  コホンとわざとらしい咳払いをしたミッターマイヤーはちょいちょいと指で親友の耳を傾けさせた。

  「安心しろ、ロイエンタール。ヤンは筋金入りの年上好きだが、卿にもちゃんと勝機はある」

  「なんだ、それは?」

  「ヤンは面食いだ。しかも、押しに弱い!」

  「………押して押して、押しまくっているが?」

  一昨日、昨日を振り返ると堂々言い切ったミッターマイヤーの言葉が嘘臭く聞こえる。

  「態度ではなく、言葉で押せ!」

  「……気に入ったから一発ヤらせろ、か?」

  思春期の餓えたガキでもあるまいし、とロイエンタールは白けたように鼻を鳴らした。正にその通りなのに他人事の様な態度でミッターマイヤーのほ

  うが白けた。

  「お前な、廻り諄い事をするからややっこしくなるんだ。きちんと『好きだ』と告げればいいだけだろうが」

  ヤンは宇宙一鈍いが、誠意を持った言葉にはちゃんと考えた上で答える位の真面目さは持っている。まぁ、是か否かは判らないが。そして誠意を伝え

  るのが至難の業だが。

  「……………」

  「………なんだ、その顔は?」

  奇想天外と言わんばかりだ。

  「誰が誰を好きだって?」

  「はぁ?お前がヤンを好きなんだろうが」

  今更なにいってんだ、と今度はミッターマイヤーは渋い顔をした。すると、ロイエンタールは小馬鹿にしたように短く笑った。

  「好きだなんて言っていない。単に気に入ったから一発ヤってみたいだけだ」

  「…………………」

  ミッターマイヤーはポケッとロイエンタールを見上げた。世間一般ではそれを好きと言うのではないだろうか。

  …コイツ―――

  馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿で天然で唐変木だとは思わなかった。ある意味、ヤンよりヒドい。

  ミッターマイヤーとベルゲングリューンは目を合わせた。

  …帰るか。

  …はい。

  そして二人は示し合わせたかのように溜息を吐いた。

  この日の残業者はロイエンタール一人だった。

 

 

  翌日、ロイエンタールは不機嫌を携え、攻勢に出た。親友狩りだ。

  「おいっ!!」

  ノックもなくドアを開けると不在の肩透かしを喰らう。一人で残業から続く苛立ちは更に加速した。舌打ちし、今度はヤン狩り。

  ミッターマイヤーの執務室から何故かロイエンタールが現れ、大部屋は軽くパニック。

  「ヤンは?」

  突然声を掛けられた兵士は度肝を抜かれ、直立不動の裏声でミッターマイヤーのお供で出掛けたと話した。

  途端に渦巻くロイエンタールの不機嫌低気圧。ベルゲングリューンを筆頭にロイエンタールの部署の者は免疫あるがこの大部屋では馴染み無いものだ。

  足元を這う冷気に悪寒・目眩・血の気が引く、などなど。

  戻り次第連絡入れろ、と言い捨てロイエンタールは去っていた。

  不機嫌低気圧を体験した彼らは心底上司がミッターマイヤーで良かったと思った。

  ひょんな事で株が上がったミッターマイヤーは部下達がそんな緊張感を強いられている時、彼もまた言い様のない空気に神経を張り詰めていた。

  …なんなんだっこの状況はっ?!

  ヤンとミュラーであった。

  優しさの中に切なさを滲ませるミュラーの視線にヤンは戸惑いながらも好意的な茫洋とした笑みを浮かべている。

  蚊帳の外のミッターマイヤーは突然のシリアス場面に混乱した。

  …まさかっまさかっ?!

  勇者現わる、なのだろうか。

  なにが勇者かというと、ヤンの鈍感バリヤーは大気圏並みで大概のモノは『冗談』で焼却されてしまう。その鉄壁を突き抜けたとするならば、それは

  富士山3個分の愛であり、半径30キロ以上のクレーターがヤンのハートにズドン!!(ディスカバリ◯チャンネル、大好き)

  …マズイ!マズイぞ!ロイエンタール!!

  鳶に油揚げ、はミュラーに失礼ではあるが、そんな感じだ。しかし当の本人であるロイエンタールは自覚していないし、あまつさえカラダ目的と言い

  切っている。

  「………………」

  なんか、ヤンを思えばロイエンタールよりミュラーの方がいいような気がする。ホモだけど。

  …ああぁ〜だがなぁ〜。

  不誠実の漁色家というケダモノから折角のニンゲンになる機会でもある。ホモだけど。

  現実逃避で、ホモ率高いなぁ、なんて思ってしまうミッターマイヤー。背後で、バサッ!と物音が聞こえ、意識がトんでた彼は驚いて振り向いた。

  そこには書類を落した顔面蒼白のベルゲングリューンが佇んでいた。

  …今の見たか?

  …はい、バッチリ。

  目と目で通じ合う、ミッターマイヤーとベルゲングリューン。これはもう同じ苦労の星に生まれた者同士しか出来ない技だ。

  「ヤン、先きに戻っててくれ…」

  「はぁ」

  なんか顔色悪いけど大丈夫かな、と思いつつヤンは素直に従う事にした。

  夏に差し掛かる爽やかな中庭のベンチに沈痛な、ぱっと見、異色コンビ。

  重い口をミッターマイヤーは動かした。

  「…どう思う?」

  「…見たままのような…」

  間。

  「…あると思うか?」

  「…ないような…」

  言葉少なくても同じ苦労の星同士、ちゃんと判っている。それでは余りに説明不足なのでここで説明しよう。まずは先きの会話。あの二人、付き合っ

  ていると思うか?に対し、付き合っているようにしか見えません、である。次には、ロイエンタールにチャンスがあるかということだ。

  会話終了で、ピュ〜〜ッっと落ち葉舞う足元。寒すぎる。何故こんなサムい悩みを抱えなくてはならないのだろうか、自分の事ではないのに。

  段々とむしゃくしゃしてきたミッターマイヤーは立ち上がった。

  「とにかく、事実確認だっ!!」

  「えっ?!」

  確認する必要もなさそうなのに敢えて確認することに吃驚。

  「いいかベルゲングリューン!俺はヤンのことを多少なりとも知っている!アイツは押しに弱いがすぐにJaと返事するほど判断力がある男じゃない!」

  アンタそんなの幕僚にしたのか。

  「それに加え、ミュラーは最後の一押しが足りない男だ!!」

  馬鹿にしてんの?

  流石に言い過ぎたと思ったミッターマイヤーは、真面目で誠実だからだ、と付け加えた。

  よく分からない闘志に燃え、一路ミュラーの執務室を目指してズンズン進むミッターマイヤー。

  残されたベルゲングリューンは仕方なく仕事に戻った。

 

 

  ミュラーは出先から直帰予定の不在であったが、ビッテンフェルトを見付けたミッターマイヤーは廊下の隅に引っ張って行き、辺りを窺った。

  「な、なんだぁ?」

  わけが分からないビッテンフェルトに単刀直入のミッターマイヤー。

  「昨夜、ヤンとミュラーでなにがあった?!」

  声は小さいが、低く凄んでいる。

  何故一緒だったことを知っているのか、疑問に思わないのがビッテンフェルトの良い所だ。

  「知らん」

  そして簡潔な物言いも、ある意味良い所だ。

  詳しく説明しろと無言で睨み付けられ、ガシガシ頭を掻いてビッテンフェルトは続けた。

  「俺がトイレいってる間にヤンは帰ってた」

  「…………」

  簡潔すぎてアテにならない事を悟ったミッターマイヤーは一応の礼を残して、今度はヤン狩りに出た。

  大部屋のヤンを中庭まで連れて行く。執務室だとノックもなく入ってくる迷惑親友がいるからだ。

  「ヤン、ミュラーとなにがあった?」

  「………」

  なんでそんなコト訊くんだろう、と不思議そうな黒目。しかも両肩を掴まれ、至極真面目顔で。

  「あぁ、まぁ、ちょっと」

  「ちょっと?」

  困ったように指先で頬をポリポリするヤンに、ミッターマイヤーは先きを促すように繰り返した。

  「ええ、まぁ、ちょっと」

  「……………」

  ミッターマイヤーは目を細めてヤンを観察した。言い辛そうでもなく、かといって、なんでもないような軽さではない。非常に読み難い。ここでミュ

  ラーと付き合ってるのか、とズバリ訊いてもヤンが答えるとは思えない。コイツはそうゆうヤツなのだ。自分の事は都合がいい事も悪い事も、それと

  なく隠す。理由は説明するのが面倒くさいとか、そんなモンだ。それが単なるズボラをミステリアスに見せ、あらぬ妄想を相手に抱かせ、そのくせ大

  気圏並みの鈍感バリヤーで焼却するのだ。タチが悪い。

  …うわ〜もの凄い性悪なヤツに思えてきた。

  思えばヤンの立案する作戦は盲点を付いたとか斬新とか良い言葉も当て嵌まるが、人を喰ったとか、おちょくった、とも云えた。

  なんだかミュラーが可哀想になってきた。被害者はロイエンタールで丁度いいような気がする。脳裏には、毒を以って毒を制する、が浮かんできた。

  「あの、ミッターマイヤー提督?」

  最初は真面目に真剣な顔をしていたが、次には眉をキツく寄せた思案顔で、段々と苦虫を潰した渋い顔になり、なんか哀れむような顔で、最後はもう

  どうでもいい、という百面相を目にしたヤンはどうすればいいのか困った。

  ミッターマイヤーは、もうこれ以上ヤンのプライベートに関わるのは止めようと決意した。実直・熱血・部下思いの彼にしては珍しい事だが、本当に

  疲れていた。

  「ヘンなコトを訊いて、スマンな…」

  ヤンの肩を軽く叩き、仕事に戻る事にした。早く家に帰って、エヴァに逢いたい。

  「はぁ」

  よく判ってないヤンは頬をポリポリ指先で掻き、促されるままに歩き出した。

  しかし、苦労の星はどこまでも付き纏う。

  定時上がりは無理だったが、20時には帰宅の目処が着いたミッターマイヤーは愛しの妻に帰るコールをした。電話越しのエヴァは嬉しそうに夕飯の

  メニューを話し、彼の疲れた精神を癒してくれた。

  エヴァへの愛を深めたミッターマイヤーは帰宅途中の流れる景色に、見てはいけないものを見てしまった。

  「―――ッ?!」

  思わず子供の様に座席にへばりつき、後部ウィンドーから遠ざかる最悪の三竦みをじ――っと見てしまう。

  ロイエンタールとミュラーとヤン。

  これ以上ないほど最悪のメンバーだ。

  「…見間違いだ…絶対…見間違いだ…はは、相当疲れたんだな、俺は…」

  見えなくなった3人の人影に向かいブツブツ呟くミッターマイヤーは半ばノイローゼ気味。

  これが後に大惨事となるが、ミッターマイヤーにはこれっぽちの余裕もなかった。

 

 

  翌日のミッターマイヤーの顔色は朝から悪い。すこぶる、悪い。

  ヤンが登庁してこないのだ。遅刻だ。今まで、ギリギリ遅刻していなかったのに(間に合わないと迷うず休む)しかも、連絡もない。

  気が気じゃないミッターマイヤーはヤンの官舎に電話を入れたが、コール音ばかりが返ってくる。次にミッターマイヤーは仕事に乗じてミュラーに連

  絡を取った。今日はまだみえられていません、連絡もなく、こんなことは初めてです、と狼狽えた副官の声にミッターマイヤーも狼狽えた。

  同じ苦労の星のベルゲングリューンはこの時暢気だった。ロイエンタールが居ないからだ。

  上官留守で暢気とは如何なもんだろうと思うが、ロイエンタールと連絡取れないのは実は良くある事だ。ヤン・ウェンリーという新しい趣味を見付け

  た上官は最近ご無沙汰であったので、大方ご婦人のベッドに招待されているのだろうと思っている。緊急の書類もないし、立場ある中将閣下であると

  本人の自覚もあるので午前のうちには連絡が来る筈だ。もしくは午後にひょっこり現れる、とか。

  …平和だ。

  この数日間で一気に押し寄せた苦労に比べれば以前感じた苦労が苦労と感じなくなっていた。感覚麻痺とは恐ろしい。

  窓辺に佇み、朝の珈琲を堪能していたベルゲングリューンはこの数日間で窶れた頬に穏やかな笑みを浮かべている。光の帯びは彼を包み、昇天の図。

  そんな穏やかな珈琲タイムは電話のベルの音が終わりを告げた。

  ロイエンタールからだろうと思い、気持ちを引き締めたベルゲングリューンだが相手はミッターマイヤーだった。暗い声でロイエンタールは?と尋ね

  られ不在を告げると、受話器から暗黒雲のような溜息が聞こえてきた。嫌な予感がしたベルゲングリューンだが相手が相手なので勝手に切る事はでき

  ない。

  『…実はな…』

  聞きたくないベルゲングリューンは早速諦めスイッチを自らの手で押していた。

  『昨夜、ロイエンタールとミュラーとヤンが一緒にいるところを見た。ヤンも連絡取れないし、ミュラーも連絡が取れないそうだ』

  諦めスイッチ入ったベルゲングリューンはただ無言で項垂れた。居たらいたで苦労し、居なくても苦労。最早嘆きの涙は枯れていた。

  結局、連絡取れないのではどうしようもないので二人はモヤモヤを抱えながら仕事するしかなかった。

  そうしてモヤモヤがムカムカになり、イライラに移行するのに大した時間は掛からなかった。ミッターマイヤーは意外に短気なのだ。

  「〜〜〜〜ッッ!!もう我慢できんっ!!」

  トイレ?と思ったが、外出してくる、と言い捨てると疾風の名に恥じない素早さでミッターマイヤーは飛び出した。

  着いた先きはヤンの官舎だった。何故かと問われても、彼のヤマ勘が告げていたとしか説明できない。

  ミッターマイヤーは親の敵のようにドアを睨み付け、呼び鈴を押した。

  ピンポーン。

  念の為、もう一度。

  ピンポーン。

  寝てたら、これくらいでは起きないだろうと、今度は連打。

  ピンポン・ピンポン。

  なんか意地になってきたので、更に連打。ストレス溜まっているのだろう。

  ピンポ・ピンポ・ピンポ!

  聞き耳を立てると中から『はぁ〜い』と間抜けな声が微かに聞こえてきて、急かす様に尚も連打。

  ピンポ・ピンポ・ピンポ・ピンポ!

  流石に煩いのでヤンは慌ててドアを開けた。

  「はいはい!なんですか?!」

  昼近くでもパジャマなヤンは相手を確かめなかった。

  「あれ?ミッターマイヤー提督、どうしたんですか?」

  怒髪天な上官にちょっと驚き、ヤンは目を丸くした。暢気さにミッターマイヤー噴火。

  「どうしたもこうしたもない!!無断欠勤だぞっ!!」

  「は?あの、今日は休みを取ってますけど」

  この間の半休の振替で一日休暇。

 

  暫くお待ち下さい。ミッターマイヤー頭の整理中。

 

  「………………………そういえば………」

  そうだった。うっかりミッターマイヤー2度目のミス。

  道理で部下達がヤンの無断欠勤になにもいってこない筈だ。途端にぐった〜ぁと脱力。そんな上官を前にヤンは寝足りないと欠伸。

  「ご理解頂けたようなので、失礼します」

  昨夜遅かったから、眠いんですよね。

  何気なく続けられた言葉にミッターマイヤー復活。閉まりかけたドアからヤンの肩を掴んだ。

  「そうだ!昨夜ロイエンタールとミュラーと一緒に居ただろうっ?!」

  「……良く知ってますね」

  なんで?と黒目が問い掛けてくる。

  「帰宅途中で見掛けた」

  ああ、そうですか、とヤンは納得した。

  「それで、どうしたんだ?なにかあったのか?」

  …そんなこと、ロイエンタール提督に訊けばいいのに。

  面倒くさいとは思うが上司なのでヤンは答えた。

  「ロイエンタール閣下が付き合えというので、三人で呑みにいったんです」

  「………」

  言葉は同じでも意味が違う、と思ったミッターマイヤー。

  …しかし『付き合え』とはアイツもよくいったな。

  あの男が自分から交際を申し込むとは、いやはや成長と云うべきだろうかと微弱に感動。

  それも違う。ロイエンタールの言葉には最初の『一発』が抜けているだけだ。まだまだ甘いな、ミッターマイヤー。

  「それで、なんの話しをしたんだ?」

  メンバーがメンバーだけに想像するとサムい。

  「特には」

  「おい、男三人でだた黙々と酒を呑んだっていうのか?」

  なんか今日は一々細かいな、とヤンは内心で溜息を吐きながら話し始めた。

  「最初にミュラー提督が、付き合うならどんなタイプがいいか、とかなんか訊いてこられたので、お酒が強い方がいいですって答えました。そしたら

  何故かロイエンタール提督とミュラー提督が呑み比べを始めてしまって、最後には二人とも寝てしまいました」

  思い出したのか、ヤンはゲンナリ顔。『特に会話がない』というのも本当だったのだ。黙々と呑み比べをする二人に挟まれ、ヤン的には非常に退屈な

  場であった。

  ミュラーの『付き合うなら』は間違いなく交際の意味であるが、ヤンは『付き合うなら』に『呑みに』を勝手に付けていたと確信のッターマイヤーは

  頭痛がしてきた。ヤンもヤンだが、気付かない二人にも頭イタイ。

  ふと、酔い潰れた二人はどうなかったのか、気になるところだ。

  「………まさか、店に置いてきたのか?」

  そこまで酷いヤツとは思いたくなかった。

  「はい。私ではミュラー提督を運べませんし、ロイエンタール提督のお屋敷の場所憶えてなくて…」

  やはり酷いヤツだった。ヤン一人では無理だろうが店員の手を借りればミュラーを地上車に乗せられる筈だ。ロイエンタールに関しては自分に連絡す

  るなり出来た筈である。

  「いくらなんでも、それはヒドイだろう…」

  「お二人とも常連のようでしたし、店側もよく判っている様でしたから」

  二人揃って常連の飲み屋とはどこだろう?

  「どこで呑んだんだ?」

  「海鷲です」

  「……………」

  納得。

  高級士官御用達の海鷲。そこから出勤する士官は、たまにいる。ミッターマイヤー達が所属するローエングラム元帥府の中ではビッテンフェルトとミュ

  ラーの出勤率が高い。ミュラーの名誉の為に捕捉するが、彼の場合はビッテンフェルトの付き添いだ。

  「………それにしても、起こすなり介抱するなり、あるだろうが」

  「一応起こしたんですが…それにお店の人も、帰っていいよ、て…」

  やっぱりマズかっただろうか。ヤンはちょっぴり不安になった。降格処分で年金額が下がるかもしれない。

  店員の余計な一言にミッターマイヤーは悟った。ヤンはつまらなかったのだ。店員が可哀想に思うほど。

  …ロイエンタール…。

  社交界では器用に立ち回っているのに、なんて不器用な男だ。

  ミッターマイヤーは重い溜息をついて、ヤンの官舎から海鷲を通るルートで元帥府に向かった。

  「ん?」

  後少しで店の前と云う距離で、丁度店から出てきた軍服二人組。体格と髪色で問題児二人と判明。

  一応しっかりしている足取りで元帥府に向かっている。その背中に店員が恭しく礼をし二人を見送っていた。店員の脇を通り過ぎたミッターマイヤー

  は彼がこっそり塩を蒔いたのを見てしまった。

  「………………」

  相当迷惑だったのが窺え、ミッターマイヤーは額を押えた。暫く海鷲には呑みに行けない。

  「よう、乗ってくか?」

  問題児二人にぴったりと横付けし、スーッとウインドーを下げたミッターマイヤーの表情はスーッと冷め切っている。

  「「……………………」」

  若干顔色の悪い二人は立ち止まった。多分、乗ったら吐く。呼吸するのもしんどい状態では地上車の僅かな振動もそうだが、ミッターマイヤーの冷た

  い態度もツライのだ。

  二人から漂う酒臭さにミッターマイヤーは顔を顰めた。昨夜のものにしては新しい気がする。

  「…お前ら、まさか、朝から呑んだのか?」

  「「………………」」

  図星でバツが悪い二人はそれぞれ明後日の方向に視線を逸らした。

  彼らは朝きちんと目を覚ましたのだが、ヤンが居ないことに不機嫌になったロイエンタールが店員に迎え酒を要求。脅迫ともいう。ミュラーも巻き添

  えを喰らい、店員もロイエンタールの愚痴酒と絡み酒の餌食となった。これによりミュラーは連絡も出来なかったし、塩を蒔かれた原因である。

  「……呆れたものだな。一体なにを考えているんだ?」

  …一発。

  …お付き合い。

  「………………」

  二人の額に文字が浮かんで、ミッターマイヤーの頭痛は更に酷くなった。特に親友は顔一面だ。頭痛すぎて、キレた。

  …こんなヤツの為にっ!!

  今まで苦労したのかと思うと腑が煮えくり返る。今までの苦労を返せ、だ。一瞬でもヤンとの仲を応援してやろうと思ったのが間違いだったのだ。大

  方、自分に靡かない相手に対して意固地になっているだけなのだろう。ミッターマイヤーはそう結論付け、二人を置いて元帥府に戻った。

  完全に書類がなくなるまで帰れま10の問題児二人は、華の金曜日に元帥府に一泊。

 

 

  週が開けて、一気に週末。

  元帥府は非常に微妙な空気に満ちていた。なんと、あの双璧がケンカで、二人の関係が険悪なのだ。そのくせ一緒にいる場面が多い。今も。

  「ヤンはどうした?どこに居る?」

  帰れま10から一度もヤンの姿を見ていないロイエンタールはミッターマイヤーに張り付いていた。

  「ヤンには会わせん」

  「何故だ」

  「お前が仕事しないからだ」

  「仕事はしている」

  ベルゲングリューンが。

  徒競走のようなガツガツ鳴る靴音が恐ろしく、人混みの元帥府の入り口ホールにはモーゼの十戒の様に道ができていた。

  「とにかく、お前はヤン禁止だ!」

  びしっ!と人差し指を向けられ、その勢いにロイエンタールが僅かに怯んだ隙にエレベーターのドアは閉まった。

  「…ふん、甘く見るなよ、ミッターマイヤー」

  これまでミッターマイヤーの執務室に入り浸りであったが、ここでロイエンタールは作戦を変更した。細めた色違いの双眼が獰猛に光る。

  …まずは―――

  元帥府内にいるはずであるヤンを探すことから。ロイエンタールは実行に移った。今日を逃せば、また来週になってしまう。いい加減タマっていた。

  なにが?って性欲。すぐに一発にこぎつけると思っていたのでヌいてない。ご婦人からのお誘いは後を経たないが、何故か気分が乗らず、放っておい

  たツケが溜まりにタマった。

  ヤン捜索でロイエンタールは元帥府を徘徊。まったく仕事をしていない。そんなんだから禁止令が発令されるのだ。

  しかし、いくら探し回ってもヤンを見付けられなかった。イライラしてきたロイエンタールであったが、こっ恥ずかしい館内放送で呼び出しを喰らい

  一旦自分の執務室に戻る事にした。

  執務室で待ち受けているのは、当然書類である。

  ジロリと睨まれ、内心では冷や汗のベルゲングリューンであったが表面上冷静を保っていた。

  「こちらだけは、本日中にお願い致します」

  上官がアテにならない以上、ベルゲングリューンは頑張ったのだ。それでも権限的にロイエンタールが判断し、決裁しなければならないものが出てく

  る。それは仕方のない事だ。

  「ふん」

  つまらなそうに鼻を鳴らしたロイエンタールは書類に手を伸ばした。

  それを見届け、ベルゲングリューンは退室した。大部屋の自分のデスクに座り、溜息をついてから受話器を取った。連絡先はミッターマイヤーである。

  「…はい、閣下は執務室に戻られました。恐らく、一時間はかかるかと…はい、では」

  受話器を置いたミッターマイヤーは併設されている小部屋(別名物置)のドアを開けた。

  「ヤン、一時間休憩だ」

  「…ふぁ〜い」

  現在時刻16時。お腹空いたヤンは、ぐったり。朝からずっとこの小部屋に缶詰であった。見つからない筈である。

  ヤンの物置出勤は月曜からだ。昼休憩は決まった時間に取れないし、お茶も自由に飲めない。第一狭くて非常に疲れる。帰宅もロイエンタールの隙を

  ついて裏口からであった。官舎はアブない、とのことで元帥府近くの安宿を利用という徹底さ。そろそろ部屋の掃除をしなくてはならないと思ってい

  たヤンは現実逃避で2泊くらいならいいかな、と軽く考えていたがズルズル一週間になる。

  「…もういい加減やめたいんですけど」

  安宿と云えど、嵩めば宿代はバカにならない。だったら本買いたい。

  「アイツ次第だ」

  俺だって馬鹿馬鹿しいと思ってるんだ。

  一発にかける執念がこんなに凄まじいとは予想外。一時のことだと、今は耐えるしかない。

  溜息二つ。

  「…お昼、買ってきます」

  この時間だと食堂は閉まっており、売店しかない。

  「おい、忘れるな」

  ポン、と投げられた痴漢ブザー。発動すると高性能GPSがミッターマイヤーの携帯に詳細な位置をメールで教えてくれる優れもの。

  「………………」

  掌の小さな装置にヤンは疲れた視線を向けた。そこまでする必要があるのかと思うが、あるのだろう、と溜息をつき面倒くさそうにポケットに突っ込

  んだ。

 

  この時、女神は一人の男に優しく微笑んだ。

  とてとて、と若干猫背の覇気のない歩き方と癖のある黒髪が遠くで横切る。

  「――ッ!?」

  視力2.0を誇るミュラーは間違いなくヤンを認識した。副官と簡単な打ち合わせをしながら歩いていた彼は、慌ててヤンの後を追った。どっかの誰かと

  違うのは、すぐ戻る、とちゃんを言い残すところだ。

  「ヤン大佐っ!」

  背後から掛かる声にヤンは振り返った。

  「ミュラー提督…」

  「この間は、すみませんでした」

  少し乱れた呼吸でミュラーはまず謝罪した。海鷲でのことだ。

  「ああ、別に謝られる事ではありませんよ」

  にっこり笑顔には、次からは勘弁してくれ、と書いてあるが、ミュラーは変なところで素直なので言葉通りに受け、ほっと安堵の笑みを浮かべた。

  …よかった。怒ってない。

  うん、まぁ、怒ってないけど、呆れてるかもよ。

  「ヤン大佐、明日はなにか予定がありますか?」

  土曜の休日である。ミュラーはヤンをデートに誘うつもりだ。

  「あー、特にはありませんが…」

  休日は寝て曜日のヤンは予定を入れたくない。

  ちょっと微妙な態度であったが、ミュラーは意を決した。

  「実は、紅茶専門店の喫茶店を見付けて…一緒に…お茶でも…と…」

  意を決したわりには誘い文句はありきたりで吃りがち。しかも最後の方は殆ど声になってない。最後の一押しが足りない、と言われる由縁だろう。

  「へー、紅茶専門店ですか。珍しいですね」

  興味を引かれたヤンはふんわり笑顔を向けた。

  ちっちゃなお花が降り撒かれ、ミュラーは自分の掌が一気に汗ばんだのを感じた。可愛い。

  「どこですか?場所は」

  「あっ、ああ、あの、入り組んでいる場所なので、良かったら一緒に行きませんか?」

  「…………」

  判り辛い場所だと迷子になるかも、とヤンが思っているこの間がミュラーには堪らない。

  「あ、では細かい地図を」

  正面切って断られるくらいならば、と慌てるミュラー。だから最後の一押しが足りないと言われるのだ。

  そんなミュラーにヤンはおかしそうに眉尻を下げた。

  「私は方向音痴ですから地図を頂いても役に立たないと思います」

  「え…?」

  「ご一緒して頂けると嬉しいのですが」

  「っええ、ええっ!勿論、喜んで!!」

  本当に嬉しそうなミュラーの笑顔にヤンも笑みを浮かべた。

  待ち合わせ場所と時間を決め、ミュラーは副官の元に戻った。

  なんとなくミュラーの背中を見送った後、ヤンは昼食を買いに売店に足を向けた。

  時間が時間なので、残り物も少ない。野菜サンドと生クリームたっぷりの苺サンド。

  「…これしかないの?」

  「はい」

  義務的に答える販売員にヤンは溜息をついた。

 

  ミッターマイヤーは不思議だった。売店の紙袋から真っ黒なまん丸お握りが出て来たからだ。一瞬、マジック?と思った。何度か利用したことがある

  が、そんなの売ってなかった。

  「…どうしたんだ、それ?」

  「ほれふぃかふぁくふぇ」

  「……………」

  ミッターマイヤーは無言で水差しの水を差し出した。受け取ったヤンはお握りと一緒に飲み込んだ。

  「ありがとうございます。売店に行ったら野菜サンドと苺サンドしかなくって、コレくれたんです」

  …素直に野菜サンドと苺サンドを買えばいいだろう。

  喉元まで出掛かったが、予想がついたので飲み込んだ。変なとこで子供っぽい意固地さを持つヤンの事だ、嫌いなものを食べたくないが故にアレコレ

  いったのだろう。対応した店員にちょっと同情してしまう。

  残念、ちょっと違う。『それじゃ困るんだ』と縋るようなお願いをされ、グッとキた店員は小腹が空いた時ように持参した手作りのお握りをあげたの

  だ。ある意味、スマイル0円のランチメニュー。

  真っ黒な野球ボールのお握りを完食したヤンは満腹感に実に幸せそうな長い吐息をついた。

  「おいっ寝るな!」

  だらしなくソファに埋もれ、お眠り2秒前の部下を叱咤するが遅かった。

  「…すみません、ちょっとだけ…」

  健やかな寝息が静かに響き、ミッターマイヤーは額を押えた。どこの世界に上官の部屋で上官を目の前にして居眠りする軍人が居るのか。

  殴ってでも起こそうとミッターマイヤーは椅子から立ち上がった。ちょっと甘い顔をするとすぐにツケ上がるのだ。今後の為にも、ここは厳しくしな

  くてはならない。アメと鞭だ。

  「ヤンッ!!こらっ起きろッ!!」

  今正にミッターマイヤーの拳が振り下ろされようとした時、内線が鳴りだした。電話機とヤンを見比べ、ミッターマイヤーは受話器を取った。

  「はい…っ…なにっ!?それは何分前だ!?」

  ベルゲングリューンであった。彼が席を立った隙にロイエンタールが執務室から抜け出したというのだ。仕事が途中ならばトイレとか考えられるが、

  それは終わっていた。

  『申し訳ありません、いつ頃抜け出されたのかは判りません』

  トイレはベルゲングリューンが行っていた。一時間は掛かるだろうと思っていたので、ちょっとのんびりして、お茶も飲んだ。どっかでガス抜きしな

  いと、やってられないのだ。そして新たな書類を持って執務室のドアを開けたら、誰もいない世界が広がっていた。そよ風に吹かれる薄手のカーテン

  に血の気が引いた瞬間である。

  窓から脱走の帝国軍中将オスカー・フォン・ロイエンタール。

  何故に窓かと云うと、執務室のドアを自由にしたら大部屋のベルゲングリューンが監視できないので秘密の暗号でロックしたのだ。

  ミッターマイヤーは叩き付けるように受話器を置くとヤンを起こしに掛かった。

  「起きろヤンッ!大変だっ!」

  「…あと5分…いや4分30秒…4分15秒でいいから…」

  「なに暢気なこと言ってるっ!大変なコトになるぞっ!」

  「うー…じゃ、大変になったら起きますから…」

  「そんなこといってる場合かっ!!」

  コイツは本当に自分の貞操が掛かっているとわかっているのか。

  「ほらっ起きろっ!!」

  肩をガクガク揺さぶられ、眉間に皺を寄せたヤンであるが根性でモゾモゾとソファの上で躰を丸めた。そんなヤンの胸ぐらをミッターマイヤーは掴ん

  で引っ張り上げようとした。

  「いいかげ―――ッ?!」

  「ミッターマイヤーッ!!」

  んにしろっの途中でけたたましくドアが開いた。破壊音に近い。

  「…ロイエンタール……」

  やはり来たか。予想通りでガックリだ。しかも軍服のところどころには小枝や葉っぱが着いてる。逃走ルートまで知れた。

  そんな爆音に近い騒ぎでもヤンの意識を覚醒させたのは半分だけだった。寝ぼけて深く考えずに、のそり、と上半身を起こした。

  「―――――ッ?!」

  ソファの背でロイエンタールには親友の呆れ顔と肩くらいしか見えなかったが、そこからヤンが顔を出したので驚いた。体勢的にヤンの上にミッター

  マイヤーが伸し掛かっている、にしか見える。事実そうなのだが、穿った見方をする色違いの特殊フィルターは寝起きのボーとしたヤンの表情と乱れ

  た軍服の衿が情事を匂わせている様に見えた。

  途端に怒りと不快感が胸の奥から沸き上がり、ロイエンタールの全身を支配した。それは身からも溢れ、ドス黒く空気を変色させていく。

  「……おい、ロイエンタール?」

  そんな思考だと思いもしないミッターマイヤーは突然ロイエンタールの纏う雰囲気が変わったことに訝しんだ。どこからともなく重厚なクラシック音

  楽が流れてきた。

  「…なにをしてたんだ…ミッターマイヤー…」

  お父さん 魔王がいるよ 怖いよ〜

  重い威圧感のあるオペラを背にした地獄の低音が不気味なくらい静かに響いた。

  「??」×2

  ミッターマイヤーとヤンは訳が分からず顔を見合わせ、そしてもう一度魔王に視線を向けた。

  すっとぼけた二人の様子(勘違いは止まらない)に魔王は魔力(不機嫌低気圧)最大放出。旋風舞うティーグランド、ではないが突然観音開きの窓が

  開き、突風が書類を舞い上がらせた。

  「ええぇっ?!」

  「おいっ止めろっロイエンタールッ!!」

  とうとう不機嫌低気圧が超常現象を起こした!!と、てんてこ舞い。

  いや、いくらなんでも無理だから。この日は風が強く、留め金が緩んでいた為に起きたのだ。

  「……………」

  なんか勝手に慌てている二人の姿は逆にロイエンタールを冷静にさせた。ツカツカ踵を鳴らし、窓をしっかり閉めた。

  風が収まり、室内は静けさを取り戻してホッと息をつく二人であった。しかし全てが元通りというワケではない。書類は散乱しているし、冷静に見え

  ても魔王は魔王だ。ソファの上でしっかり躰を重ねている二人に怒りがぶり返しオーラというか妖気と云うか、静かな怒りはよけい不気味。

  「…さて、説明してもらおうか…」

  色違いの双眼が獰猛に見下ろしてくるが、臆するミッターマイヤーではなかった。魔王でも妖怪でも親友は親友だ。

  「なんの説明だ?ヤンのことなら、仕事しないでベルゲングリューンに押し付けるお前が悪いんだろうが」

  「そんなことではない」

  三度の飯より胃薬服用率が高くなった副官に対してなんて言い草だ。ミッターマイヤーの眉尻が吊り上がる。

  「お前の所為でベルゲングリューンがどれだけ苦労しているのか知っているのかっ?!」

  「そんなことは知らん!!それよりもミッターマイヤー!お前は上官と云う立場を利用しヤンを手篭めにしていたんだなっ!!」

  「………」×2

  手篭めって、いつの時代の言葉だ。

  外見に似合わない古風な言語碌もそうだが、どっからそうなるのか不思議な二人は唖然とロイエンタールを見上げた。

  「ヤンッ!こんな卑怯なヤツの元にいることはないっ!俺のところに来いっ!」

  この時ロイエンタールは、一発ではなくこれからずっと、とヤンへの気持ちを漸くはっきりと自覚していた。捻くれ者とかイロイロ言われているが根

  は意外に真っ直ぐなところがちょびっとはあり、先程感じた不快感は嫉妬であると素直に認めたのだ。ついでに元が粘着質なので一度執着するとずっ

  と執着する。ミッターマイヤーがいい例だ。彼の場合は性欲が伴わない友情であるが、今回は+性欲付きであるので一度勘違いすると修正不可能なく

  らい凄まじく勘違いしていた。そのおかげで嫉妬を自覚し気持ちまで自覚したとは、長い付き合いのミッターマイヤーでさえも予想だにしないことで

  あった。

  「えっ?!ちょっと!!」

  勿論ヤンに理解できる筈もなく、いきなり腕を引っ張られて焦った。力任せでかなり痛いのもあるが、事実無根もいいとこなのでロイエンタールの思

  考についていけない。

  「貴様っ!俺がそんな男だと思っているのかっ?!」

  卑怯者扱いにミッターマイヤーは憤慨した。自慢じゃないが初恋限定の彼は妻一本であるし、童貞と共にこれからの愛も全て妻に捧げている。浮気な

  んてもってのほかだ。もういい加減ブチ切れた。

  「現に押し倒していたではないかッ!!」

  掴まれたミッターマイヤーの手を振り払い、カーン、とゴングが高らかと鳴り響く。

  慌てたのはヤンだ。目の前で繰り広げられるバトルはとてもじゃないが割って入れない。巻き添え喰らって痛いのはご免だ。我が身可愛や、ホーロレ

  イー。

  「ちょ、ちょっと、落ち着いてくださいっ!」

  手は出せないので口を挟むが聞いちゃいねぇ。マズイ、思ったヤンは急いで大部屋に助けを求めた。相手よりも多数を持って対するのが用兵の基本だ。

 

 

  大部屋のみなさんのご健闘で、なんとか事なきを得ていた。被害は数枚の重要書類に水差しとカップと壷と戸棚のガラスくらいで済み、機器類の破損

  はなし。

  機器類が無事でミッターマイヤーは胸を撫で下ろしていた。それらの破損は上層部に報告しなくてはならないのだ。この年になって喧嘩で厳重注意を

  受けるのもイヤだが、もっとイヤなのは事の発端を問われることだ。ヘタしたら自分までホモ認定されてしまう。

  黙々と眉間に深い皺を寄せながら片付けをしている部下達に、流石に悪いことをしたと反省するミッターマイヤーの顔は赤チン塗れになっている。ガ

  チバトルで救急箱も破壊し予備の赤チンしかなかったので自業自得なのだが、同じく赤チン塗れのムスッとした親友を見ると情けなくなってきた。

  …いや、鼻の下が伸びてる。

  見なきゃ良かった。ミッターマイヤーはヤンに応急処置(片付けさせるとよけい散らかすからと赤チンと絆創膏渡された)されてる親友から眼を逸ら

  した。しかしすぐ隣に座っているので、自然と会話は聞こえてくる。

  「唇の端も切れてますね」

  「舐めとけば治る」

  「そうもいきません。中は大丈夫ですか?」

  「…切れてるな」

  なんかイヤな予感がする会話だ。エヴァの持ってる少女漫画ではこのあと本当に舐めたりしてる。ミッターマイヤーは冷たい汗が背中を伝い、チラリ

  と横を見遣った。

  …まさかな。

  隣に自分もいるし、それに片付け中の部下もいる。そんなわけない、と心の中で乾いた笑いを漏らしながら親友を観察(監視)。

  「中に塗るわけにはいきませんから、暫く我慢するしかないですね」

  不器用な手付きでヤンは赤チンを染み込ませた綿を傷に塗布しようとピンセットをロイエンタールの口端に向けた時である。

  「こうすればいい」

  「やめろ――ッ!!」

  色違いの双眼が細まり異様な光を発した瞬間、ミッターマイヤーは己の予感が正しかったことを悟った。

  「え?」

  突然の大声にビックリしたヤンは斜め右のミッターマイヤーに顔を逸らした。そしたらグイッ!と頭を引き寄せられたので、再び正面のロイエンター

  ルに顔を向ける。

  「――――――

  ダークブラウンの髪が超至近距離でヤンは目が点となった。ちょっとカサ付いたものが口にあたってるのはなんだろう。わけが判らず、瞬きを2・3

  回繰り返してると、なんかヌルッとしたものが入り込んできて、その生温い感触に咄嗟にきつく眼を瞑る。

  「ん――ッ!?」

  おかしい。息ができないし、声もくぐもって聞こえる。チューされてることに現実逃避のヤン。

  その間にもロイエンタールの舌はヤンの口腔を舐め回している。舌先で上顎の奥の凹凸を擽るとヤンの眉は顰められ、泣き出しそうな顔がイイ感じに

  ロイエンタールを昂揚させた。舌に舌を絡ませるとピクンとヤンの薄い肩が跳ね、初々しくも敏感な反応はロイエンタールを愉しませた。

  重ねた唇の角度を変え、そのほんの僅かな隙間に酸素が入り込む。ロイエンタールの呼吸に釣られ、無意識にヤンも酸欠を補った。

  耳慣れない水音が意識を圧迫していき、ヤンは漸くキスされていることに気付いた。両手に持ってた赤チンの瓶とピンセットを落したヤンは残る僅か

  な意識でロイエンタールの白シャツに手を掛けるが突き飛ばすことはできずに掴んだくらいだ。これでは抵抗にはならない。

 

  この特農シーンは衆人環視の中で行われているのを忘れてはならない。

 

  「……………………」×複数

  ディープなキスは周りの視線を浴びても気後れすることなく激しくなっていくから凄い神経だ。舌の動きまで判るし、ロイエンタールは余裕で眼で笑っ

  ている。流石漁色、デキる男は恰好いい。参考になると喰い入るようにガン視する者までいる。

  まったく余裕がないのはヤンだ。苦しいし、なんか躰中に圧迫感を感じる。部屋が狭くなったような気がするのは気のせいか。それはガン視でじりじ

  り、躙り寄ってくるヤツらがいるからだ。

  意識的に眼を閉じることもできなくなり、薄らと黒い瞳が現れた。息苦しさに濡れて艶を増したそれは確実にロイエンタールの下肢に誤摩化しようの

  ない熱を燻らせた。更に奥まで侵入を果たす為、ロイエンタールはヤンの頤を大きな掌で掴み、口を大きく開かせる。互いの口腔を満たす唾液が溢れ、

  ヤンの口元とロイエンタールの指を濡らした。

  「…っ…ぅ……ふぁ…っ…ゃ…ぁ…」

  痺れた舌が紡ぐ音は、蕩けた細い喘ぎ。

  ゾクリ、背筋が震える。いままで数多くの女の喘ぎ声を耳にしたが、これほどストレートに下肢に響くのは初めてだった。血が滾り、駆け足で全身に

  広がっていく。荒くなる呼吸は我武者らに貪った。

  「んッ…ぅ…ふっ…ぁ…」

  挨拶程度のキスしか経験のないヤンが対抗できる筈はなく、いい様に翻弄された。意識混濁の気絶寸前。感じて、というより、酸欠。見た目色っぽい

  のに、色気ゼロ。

  とうとうヤンの手は白シャツから滑り落ちた。支えをなくした躰が後ろに傾いていくのを感じ、ロイエンタールは癖のある黒髪から掌を背中に移動さ

  せた。同時に顎を掴んでいた片手をヤンの腰に回して抱きながらゆっくり躰を前倒しにしていく。

  その流れるように無駄のない動作にハッとしたのは双璧の片割れ・ミッターマイヤーだった。

  …まさかッ!?

  押し倒す気か。この衆人環視の中でヤる気なのだろうか。いやいや、ないない、と思ったら本当に押し倒したぁああ!!

  『ヒィィ〜〜〜〜ッ!!』

  声にならない、ムンクな叫びの疾風。

  その悲愴な叫びが聞こえたのか、ヤンはパチリと眼を開けた。視界全開で、下半分にドアップのロイエンタールに上半分には大部屋の皆さんが野次馬

  根性丸出しで興奮気味にガン視で覗き込んでいる。

  衝撃映像にヒクリ、とヤンの咽頭が痙攣した。

  「っぴぎゃ〜〜〜ッッ!!」

  正に奇声。

  「がっ!?」

  そして偶然キマった顎へのアッパーカットでブラック・アウトの金銀妖瞳。

 

 

  見事な軌道を描いたヤンの拳に一同唖然とする中、底冷えする声が波紋の様に広がった。

  「…見てないで退かしてもらえませんかねぇ…」

  うわっめっさ怒ってる!!

  「はいっすみません!!」

  思わず敬語になってしまう。

  数人掛かりで気絶の中将閣下をソファに移すと、ゆらりと蝋燭の火が揺れる様にヤンが立ち上がった。

  「帰ります…」

  けど、文句ないですよねぇ…?

  静かすぎる脅迫にミッターマイヤーは壊れたオモチャのように頭を縦に振った。

  ヤンはミッターマイヤーを見ずにドアに向かった。超高速で帰りたい気持ちがあるが身体がついて来ない。疲れて疲れて、疲れているのだ。

  その、ゆらぁり〜ゆらぁり〜、陽炎のように揺れる背中を戦々恐々と見送るみなさん。パタン…と閉じたドアにやっと緊張が解けて、ハ――ァと長い

  息を吐く。何人かは腰が抜けた様にへたり込んでいる。温和だ暢気だ、なんだといってもニンゲン怒らせると怖い。特にヤンはめったに感情を表すこ

  とがないので、そのギャップの激しさは凄まじかった。

  「…怒らせない様にしよう…」

  誰ともなしに漏れた呟きに全員頷いた。それから怒らせた張本人に視線が集中し、行く末が哀れになったきた。

  …これに懲りてヤンにちょっかい出さなくなれば――

  いやいや、もう考えてはいけない。ここはもう現実の仕事に没頭しよう。片付け途中であるが、ゾロゾロ大部屋に移動。

  ミッターマイヤーも移動しようとしたが、そこは苦労の星の元に生まれた者。ガッチリ掴まれた。気のせいだ、と思いたいが足が重くて動かせない。

  「ミッターマイヤー…ヤンはどこだ…?」

  気がついたロイエンタールは懲りてなくてトホホの疾風。ここはきちんと、ちゃんと、理解できる様に説明して諦めさせよう。でなければ、これから

  先も振り回される。

  …たかが一発の為に…!!

  理不尽にもほどがある。

  ミッターマイヤーは顎を摩りながら身体を起こしたロイエンタールの両肩に両手を置いた。ズッシリと重い掌は息の根止める気迫を感じる。

  「よく聞け!ロイエンタールッ!!」

  「俺はヤンを愛しているッ!!」

  逆にもの凄いカウンター喰らっちゃったミッターマイヤーは無表情で固まった。

  冗談かと思ったがロイエンタールは真剣そのものだ。愛に目覚めた不誠実の漁色家の真摯な双眼にミッターマイヤーは手放しで喜べず、項垂れた。

  「……お前、今更それはないだろう…」

  嘗てない怒りを見せたヤンだ。脈ナシどころか絶望的だ。どこをどう探したってミジンコほどの希望も見出せない。

  「いいか?お前はヤンを怒らせた。それは判るな?」

  「いいや、何で怒るんだ?」

  「…………。人前でキスしただろう?」

  「それが?」

  羞恥心まるでなし!ミッターマイヤーの中で親友の株が大暴落。

  「お前の基準で考えるな。ヤンにとっては恥ずかしいことだったんだぞ」

  「お前だって人前で奥方とキスしただろう」

  「俺はそんな恥ずかしい真似していないッ!!」

  「いーや、した」

  「いつしたというんだッ!!」

  真っ赤になって否定する初恋限定。論点がズレてることに気付け。

  「結婚式の日にしただろう」

  ロイエンタールは意外に常識を知らない。ていうか、友達がいないので結婚式に参列したのは後にも先きにもこの時だけで、いい年して結婚式の常識

  なるものを身につける機会がなかった。

  「神聖な誓いのキスと一緒にするなッ!!この色ボケナスッ!!」

  執務室からドカ!バキ!と聞こえるが完全シカトの大部屋のみなさん。

  大部屋が懸命な判断を下した後、傷を増やした二人は流石に疲れて床に座り込んだ。

  「…おい」

  ノド渇いた。

  「あーはいはい」

  ぞんざいな返事を返しつつもミッターマイヤーはインターホンを押してやった。普段ならすぐに返答がくるものなのだが、梨の礫。音は鳴っているの

  で故障はない。

  「…?」

  もう一度押すがウンともスンともいわない。

 

  皆様お帰りです。

 

  ガランとした大部屋にミッターマイヤーはちょっとショックだった。部下の教育はきちんとしている自負がある。なのに上司である自分に一言もなく

  帰宅。誰も残っていない。

  見捨てられた感に脱力しているミッターマイヤーの肩をポンと叩くロイエンタール。

  「呑み行くか」

  「お前の奢りだぞ」

  なんだかんだと二人は仲良しだ。

  あんだけ迷惑がられたにも拘らずナチュラルに海鷲に向かおうとするロイエンタールであったが、ミッターマイヤーは庶民的な居酒屋を選んだ。

  軍服は目立つので上着を脱いで、二人はカウンターに腰を落ち着かせた。仕事帰りの中流階級が多く、店はそれなりに落ち着いた雰囲気で賑わってい

  る。

  友愛を深める飲み会は、実に湿っぽかった。

  二人が二人、それぞれ愚痴った。愚痴るミッターマイヤーとは珍しいが、いろいろタマっているのだろう。まったく会話が噛み合っていない。そして

  二人とも気付いていない。いつの間にか、何故か隣のおっちゃんが聞き役になっている。

  「…アンタも苦労してんだね」

  管理職の苦労にしみじみのおっちゃん。がんばれ、と力強く肩を叩かれたミッターマイヤーは見ず知らずのおっちゃんの人情に触れた。

  「あーそりゃ、お前さんがいけねぇよ。そーゆー場合は人前じゃなく、こうムードのいい場所にしけこまねぇと」

  人情好きが呼び合う様にエロがエロを呼び、ロイエンタールは今更ながらに口説きの手ほどきを受けていた。金持ち・容姿端麗・出世頭の彼はなにも

  しなくても相手の方が寄ってくるので実際に口説いたことがなくおっちゃんの話しを神妙に聞いていた。

  「しかしだぁ、押してばかりでなく引くのも大事だ」

  「引く?」

  「そうさ、このタイミングがテクニックさ、お若いの」

  へべれけに酔っぱらった愛の伝道師は自慢げに若かりし頃の武勇伝を熱く語った。熱くなり過ぎて、あることないこと都合いいことだらけだったがロ

  イエンタールが知る由もない。

  閉店となり帰宅の途についた二人は、有意義な時間だっだ、と心地良い酔いに機嫌が良かった。

 

 

  さてさて、週が開けた元帥府。珍しいことに、どこも騒ぎは起こっていなかった。

  ロイエンタールはきちんと出勤し、ちゃんと仕事をしている。ミッターマイヤーも朝一番の仕事は親友狩りではなかった。

  これが正しく『日常』である筈なのに、良くないことが起きる前触れのような静けさに朝から胃痛を訴える者も。習慣とは恐ろしいものである。

  そんな部下達の心情が判らないわけではないが逆に業務が遅れがちになりベルゲングリューンは溜息を付いた。

  「おい、もっと集中しろ」

  ミスも多い。本当にどうしたらいいのだろうか。

  指摘された兵士は申し訳なさそうに頭を下げたが、どうにも調子が狂ってしまうと乾いた笑いを漏らした。

  「まぁ閣下のことだ、一段落したら動き出すだろう」

  ヤンの元へ。

  そしたらまたゴタゴタして不機嫌低気圧が吹き荒れるだろう。

  「ですよね!」

  何故かそこで明るく元気に返事され、複雑のベルゲングリューンであった。

  兵士はこれから起こるであろう不機嫌低気圧に対応すべく精力的に仕事をし始め、彼に釣られて大部屋には俄に活気が戻った。

  昼休憩の少し前に一区切りが付いたロイエンタールは珈琲を嗜んでいた。仕事中にこんな落ち着いた気分を味わうのは久しぶりのことで、脳裏に『男

  は余裕を持つべしっ!』とおっちゃんの言葉が過った。

  …確かに、余裕がなかったな。

  おかしそうに咽頭の奥で笑いながら、ロイエンタールはヤンとの運命ので出会い(珈琲ぶっかけられた)から続いた騒がしい日々を思い出していた。

  正直、一発に取り憑かれていた(今もだが)意地になっていたと言ってもいい(今もだが)。しかし、愛に目覚め、心構えもできれば長期戦も苦にな

  らない。このまま2・3日様子を見るつもりだ。これぞ『押してダメなら引いてみろ』作戦。

  そんな作戦を知らない大部屋は昼過ぎても普通に仕事する上官を気味悪がっていた。就業時間には具合が悪すぎてゲッソリしている者がチラホラ。不

  機嫌低気圧が恋しい。

  部下がそんな調子なので、ロイエンタールの仕事も思うよりも捗らなかった。

  「…ベルゲングリューン、どういう事だ?」

  「………申し訳ありません」

  まさか、ヤン関連の不機嫌低気圧がなかったからです、とは言えず、ベルゲングリューンは言葉少なく頭を下げた。

  「遅れた分、全員残れ」

  「はい…」

  「明日はこんなことのないようにしろ」

  「…はい」

  ベルゲングリューンはこの時ほど中間管理職の辛さを思い知ったことはなかった。

  一方、ミッターマイヤーの方は余計な邪魔が入らず、順調に仕事が進み、大部屋全員定時で上がることができた。

  「お先」

  久しぶりに大部屋で仕事したヤンはいの一番に帰宅。

  「…あいつ、やけに機嫌いいな」

  先週の金曜日がインパクトあり過ぎて、実は緊張していた。

  「ロイエンタール閣下が来なかったからじゃないのか?」

  「…………」×2

  このままなにごともありませんように、と神様にお祈りの二人。ヤンの両隣なので配属移動までの軍人生活が掛かっている。

  元帥府を出たヤンはミュラーに教えてもらった(デートとは思ってない)喫茶店に入った。

  店舗入り口には買い物が楽しめ、奥にはテーブルがある。ゆったりとしたテーブル間隔で隣のテーブルはさほど気にならないし、最奥に陣取れば買い

  物客の喧噪も団体様でなければ平気だ。淹れたての紅茶も美味しく、ヤンは気に入った。しかもブランデー入りの紅茶があるのだ!

  注文したティー・ロワイヤルの湯気を顎にあて、ヤンは香りを楽しんだ。茶葉に隠れ仄かなブランデーの甘い芳香が心地良い。機嫌が良い理由である。

  …これでゴロ寝できればいいんだけど。

  それは無理です。

  ヤンは一時の間、紅茶とともに本を堪能した。

  軽食はメニューにあるがディナーはないので、完全に日が暮れると途端に店内は静かになる。人気がないわけではなく、老舗特有の常連客はヤンのよ

  うに静かに紅茶を堪能したい客が多いのだ。

  邪魔にならないBGMがゆっくりとした時間に流れている。心地良い時間だが、やはり閉店には勝てない。ヤンはキリのいいところで本を閉じた。閉

  店時間よりも5分ほど過ぎていたが、よくあることなのだろう、店主は厭な顔をしなかった。見ると、漸く帰り支度を始める客も居た。

  喫茶店を出ると、流石に腹の虫が空腹を訴えだした。

  「…面倒くさくなってきたな」

  夕食がてら一杯飲んで帰るか、食べずに帰って寝るか。選択肢が極端なのはヤンだからだ。

  どうしようか…とボーと考えながら足はなんとなく安宿に向かっていた。

  「…ん?」

  鼻腔をくすぐるフィッシュ&チップスの脂ぎった香ばしい香りにヤンは立ち止まり、匂いの元を探った。スタンド発見。わーい、とヤンは内心ほくほ

  くで軽い足取りで近寄った。

  「おじさん、い――

  「毎度ー」

  オヤジは愛想の良い声で最後の一個をコインと引き換えに渡していた。――ヤン以外に。

  今日は売れ行きもよく、本当に最後の一個だったようで、上機嫌にさっさと片付けに入っていた。なので、ヤンが恨みがましい視線を送ったとしても

  仕方ない。食い物の恨みは恐ろしいのだ。

  スタンドの屋根が折り畳まれ、ヤンのジト目を感じた男はフィッシュ&チップスを片手に振り返り、唖然。

  「「…………」」

  ヤンも唖然。こちらは間抜けも良いところで口が開いている。

  2秒ほど見つめ合っただろうか、世にも希有な色違いの双眼を細め、男・オスカー・フォン・ロイエンタールは踵を返した。その所作は夜の闇の中で

  見蕩れるほど艶やかであった。持っているブツがスタンドのフィッシュ&チップスでも嫌味なほどカッコイイ。

  その邂逅を見ていたベルゲングリューンは地上車に乗り込んだロイエンタールをバックミラー越しに見遣った。

  「…閣下、よろしかったのですか?」

  ベルゲングリューン的には食事に誘うか一緒にフィッシュ&チップスを食べるとかすべき場面だ。

  ロイエンタールは深くシートに凭れ、鼻を鳴らした。何故か自信ありげでベルゲングリューンは不思議に思った。

  「ベルゲングリューン、押して駄目なら引いてみろ、だ」

  …いえ、引きすぎです。 

  あれでは単なる意地悪で嫌味でしかない。

  これぞ恋愛の駆け引き、とドーンッ!!と胸張って言い切られては内心でツッ込んでも言葉にできなかった。

  難解な上に極端な上官は小腹を満たす為にフィッシュ&チップスを上機嫌に口に運んでいる。溜息を吐き、ベルゲングリューンは黙々と地上車を走ら

  せた。

  走り去った地上車を見送り、ヤンはワナワナな身体を震わせていた。

  「…なんってヤなヤツなんだ…ッ!!」

  ベルゲングリューンの予想通り。

  顔見知り(そんなモンじゃないだろが)なんだから少し分けてくれても良いだろうに、とヤンはブチブチ文句言いながら足取り荒く安宿に向かった。

  怒りに空腹を忘れ、ベッドに潜り込むと今度は空腹を思い出した。

  「くそ〜っロイエンタール〜ッ!!」

  お腹空いた!とボスボス枕を叩くが、それは自業自得の八つ当たりだ。空腹だけなら安宿に着く前にどっかで食べればいいだけだ。

  そんな自分を棚上げで、意固地で子供っぽいヤンはロイエンタールを恨んだ。さすがにそれは可哀想だとツッ込む人はいないので部屋にはお腹の虫が

  グゥ〜グゥ〜恨みがましく鳴っている。

 

 

  食い物の恨みとは恐ろしく、ヤンは翌日も引き摺っていた。

  「あ」

  ヤンはこの時、ミッターマイヤーのお使いで事務管理部に書類を提出しに向かっていた。日差しが差し込む元帥府の長い廊下は気持ち良く、誰もいな

  い静かな空間になんとなくヤンは得した気分になっていた。書類に問題なければ大部屋に戻らず昼休憩を取っていいという上司の優しい気遣いも嬉し

  かった。

  実際は食い物の恨みを引き摺っているヤンがふとした時に一瞬ムスッとして、その落差に異様な疲れを覚えた両隣がミッターマイヤーに陳情したのだっ

  た。苦労の星に新しく生まれた二人組に大先輩であるミッターマイヤーは密かに同情した。しかし席替えは考えない。自分も諦めたからお前らも諦め

  ろ、である。彼らの方がまだマシなのは艦隊編成時に苦労の元であるヤンと配置換えの可能性が大いにある事だ。親友で双璧であるミッターマイヤー

  はなにがどうあってもロイエンタールと縁が切れないのが運の尽き。

  話しは逸れたが、そんな裏事情もありヤンの機嫌は上昇していた。これでお昼を食べて昼寝でもすれば食い物の恨みも忘れるだろう。

  しかし、そんなつまらない展開が許されるわけはなく、お約束で廊下の突き当たりから現れたロイエンタールとバッティング。勿論ミッターマイヤー

  同様運が尽きているベルゲングリューンも一緒だ。

  途端にブスくれた顔はプィッとそっぽを向き、回れ右するのは癪なヤンはすれ違い5メートル前から廊下の幅ギリギリ大きく回り込んだ。今時中学生

  日記でも使わない古い避け方だ。

  あからさまで幼稚なやり方にベルゲングリューンは頭痛がした。普通に考えればヤンの態度は上位者に対し大変礼を失している。規律が厳しく縦社会

  の軍隊であってその態度は厳重注意、へたをすれば厳罰ものだ。

  さすがにロイエンタールの眉間に深い縦皺が刻まれ口元も引き攣った。一波乱あると思ったベルゲングリューンだが予想は外れ、ロイエンタールはか

  なり我慢した深呼吸をしただけに留めた。先きを歩く上官の背中からオドロオドロしい空気が漏れているのが不気味で恐い。

  『押して駄目なら引いてみろ』作戦中のロイエンタールは、どんな理由(食い物の恨み)で自分に対しそんな態度を取るのか問い質したいのをかなり

  の忍耐を要し我慢していた。

  …いや、案外俺を意識している証拠か?

  寧ろそっちだ!と現実逃避。その、ちょっと寂しい背中を見送る男がいた。

  運のないミッターマイヤーは書類の不備に気付き、ついでの用件もあったのでヤンの後を追い廊下の曲がり角で現場を目撃していた。現実逃避に一杯

  一杯のロイエンタールは直進で彼の存在に気付かなかったが、ベルゲングリューンとは目が合った。無言で問い掛けると、昨日これこれこーゆー事が

  ありました、と細かな詳細をベルゲングリューンは無言で答えた。最早二人に言葉は要らない。

  事情を知ったミッターマイヤーは憐憫溢れる眼で親友の背中を見送り、ヤンを追い掛けた。

  事務管理部で受付の順番待ちしているヤンはソファに座っていた。チャキチャキ動く周りの中でやや猫背でボーとしてる姿は逆に目立った。

  「ヤン」

  「あれ?ミッターマイヤー提督、どうされたんですか?」

  「これ渡し忘れていた」

  ペラリと書類をヤンの目の前で吊るす。一瞬キョトンとしたヤンだったが、書類の文字を追うと持っている書類と関連しているのを理解した。

  「わざわざすみません」

  なにも中将閣下自ら持って来なくてもいいのに、と申し訳なさそうな笑みを浮かべ、ヤンは書類を受け取った。

  「まだ待つのか?」

  「え?あぁ、そうですね。あと4人います」

  隣に座ったミッターマイヤーが少し意外であったが、ヤンは手元の整理番号と呼び出し番号を見て答えた。二人は見るともなしに呼び出し番号のパネ

  ルを眺め、ポンッと軽快な音と共に番号が変わるのを見ていた。

  周りはそんな二人から少しずつ距離を取っている。正確に言えばミッターマイヤーだった。帝国軍の中でも役所気質の強いこの部署では相手が大将閣

  下自らであっても順番待ちは当たり前なのだ。大概は左官以下の下士官が多く、彼らからすれば中将閣下は雲の上の人で、緊張してしまう。

  ざわつく待合所の中で二人はポツンと孤立状態になった。無頓着で図太いヤンでさえもミッターマイヤーの存在がこの場にそぐわない事を察していた

  が、まっいいか、と軽く考えていた。

  「……なぁヤン」

  落ち着いたミッターマイヤーの声はどこか思案深気だった。ヤンは返事を返し、ミッターマイヤーの横顔を見つめて、次の言葉を待った。

  ミッターマイヤーもパネルからヤンに視線を移した。

  「ロイエンタールのこと、どう思う?」

  ヤンは暫くミッターマイヤーを見つめたが、やや間を置きゆっくり考えを纏める様に話し始めた。

  「そうですね、とても優秀な方だと思います。功に焦らず、目的を完遂し潔く身を引く事はなかなかできる事ではありません。状況判断は恐らくミッ

  ターマイヤー提督より客観的で理論的だと思います。判断した事に対し躊躇いはなく、急展開でも艦隊行動が素早いところを見ると部下にも目が行き

  届いており、統率能力は高い事が窺えます」

  普段真面目とは言い難いヤンからこんな理路整然とした貴重な話しを聞けるとは思っていなかった。見てないようで見ているヤンに驚きと、そして多

  少強引だったが部下にして正解だった事を改めて思うミッターマイヤーだった。しかし聞きたい事は軍人としてのロイエンタールの事ではない。

  「いや、ヤン、そうではなく、男としてロイエンタールの事をどう思う?」

  「魅力的だと思いますよ」

   ヤンは3キロ先から眺めるみたいな極めて客観的に述べたのだが、ミッターマイヤーはもしかして?!と目を輝かせた。

  「そうか!魅力的か!どんなところだ?」

  自分の事のように嬉々としている上官にヤンは少し引いた。

  「…容姿もそうですが多少我が儘で強引なところが女性には魅力なんだと思いますよ」

  「お前はどうなんだ?」

  肝心要なところで、ミッターマイヤーは真剣にヤンを覗き込んだ。

  ヤンは悩んだ。第一印象は、確かに悪くはなかった。機嫌は悪かったが、アイスな珈琲ぶっかけたのは自分であり、仕方ないと思っている。そのあと、

  気紛れに付き合わされシュミレーションしたが、まぁ許容できる範囲だ。強引に呑みに付き合わされもしたが、ロイエンタールは上位者という立場を

  振りかざすことなく、気さくに呑めた。金銀妖瞳を気にしている様で、なんとなく漁色の噂に関係している事を感じた。

  …意外にスレてなかったんだよね。

  もっと、男女問わずに人道的に最低だと思っていた。

  …本もたくさん読ませてくれたし。

  読書に夢中でヤンはセクハラには気付いていなかった。おかげでロイエンタールの株は急上昇し、よくある『良い人』になった。

  問題はここからだ。『付き合え』と誘っておいてミュラーと勝手に呑み比べされたときは非常に微妙だった。あういう飲み会ならば次回からは辞退し

  たい。和気あいあいと呑むのが酒をさらに美味しくするエッセンスだ。それでも、ヤンの中ではまだ辛うじて『良い人』のままだった。

  …今じゃ最悪だ。

  ミッターマイヤーに色々吹き込まれたが自分が性欲の対象にされているとは俄には信じられず、ミッターマイヤーほど貞操の危機はなかった。それが

  人前で強引にキスされ、ピシピシとひび割れを起こし、駄目押しは昨夜のフィッシュ&チップスでガラガラと崩れ落ちた。総てはロイエンタールの気

  紛れで、興味がなくなれば、あっさりばっさり切り捨てる、に発展していた。

  徐々に厳しくなるヤンのしかめっ面にミッターマイヤーはヤバイと感じた。

  「あ、あのな、ヤン」

  我に返ったヤンは、なんでしょう?とミッターマイヤーに意識を戻した。

  「アイツな、お前の事、本気なんだ」

  「………」

  ミッターマイヤーの真摯な双眼にヤンは瞬きをし、ふと困った様に顔を緩めた。ミッターマイヤーは一縷の望みを見た。ここぞとばかりに親友の長所

  を挙げようとしたが、ポンッと軽快な音に一瞬気を取られた。そして、ふと思う。

  …アイツの長所ってなんだ?

  すぐに頭に浮かんだのは、強引・自分勝手・人の話しを聞かない、等々と短所ばかりだ。口元が引き攣るのも仕方ない。

  ヤンは呼び出しパネルを見ながら、口を開いた。

  「まぁ、例えそうだとしても、もうロイエンタール閣下は私に興味はありませんよ。ミッターマイヤー提督が仰った通り一時の事だったんですよ」

  ヤンの口振りには自己完結している様子がありありとみえた。海鷲で朝から呑んだくれてやがった怒りに任せ、ボロクソにロイエンタールを虚仮おろ

  したミッターマイヤーの背中を冷たい汗が滝の様に流れた。

  …マズイ。

  これで二人の仲が纏まらなかったら、もしかしなくても自分の所為になるのではないか。全部、とは言わないが、なきにしもあらず。

  ポポンッと軽快な音が立て続けに鳴り、自分の番となったヤンは立ち上がった。受付カウンターに向かうやや猫背の背中を冷や汗の海であっぷあっぷ

  してるミッターマイヤーは見てるだけしかできなかった。

  一杯一杯のミッターマイヤーは己の力量不足を痛感し、協力者を求めた。

 

  その日のランチタイム。

  元帥府内の小さな会議室では、ある一部のものに取って重要な会議が行われようとしていた。

  「…………」×2

  幕の内弁当を前に二人の男は食べる前から胃凭れを起こしていた。

  「どうした?」

  気に入らなかったか?と上官であるミッターマイヤーに促されては、食べないわけにはいかない。レンチンされていない冷たい幕の内弁当は彼の奢り 

  なのだ。いただきます、とか細い声を揃えヤンの両隣の二人は手を合わせた。

  …なんで俺たちはここに居るんだ?

  ヤンの右隣の男が目で問い掛けると、知るか、とヤンの左隣の男はやけっぱちに弁当をかっ込んでいる。右は、こうなったら早く食べて退散しようと

  自棄食いを始めた。

  二人の食べっぷりに、愛妻弁当のミッターマイヤーはたまにはこうやって部下と食べるものいいものだと見当違いの事を思っている。

  会議室はこの3人だけではなかった。ベルゲングリューンは売店のサンドイッチ片手にホワイトボードになんか書いていた。

 

  『ロイヤン・ラブラブ大作戦』

 

  デカデカと書かれた作戦名に右と左はメシをノドに詰まらせ激しく噎せた。

  「おいおい、大丈夫か?」

  子供みたいに急いで食べるからだぞ。

  ミッターマイヤーは苦笑しながら用意していたお茶を二人に渡した。お茶を流し込みながら、正直二人はミッターマイヤーを恨んだ。このまま窒息で

  チアノーゼを起こしたかった。巻き込まれるくらいなら三途の川で水遊びした方がマシだ。

  二人がホワイトボードを凝視している事に気付いたミッターマイヤーは誇らし気な笑みを浮かべた。

  「分かり易くて、いいだろう」

  愛する妻の愛読書(少女漫画)から流用。

  「「…………」」

  本当に分かり易くて涙も出ない右と左。

  「あの〜」

  右は恐る恐る挙手した。議長のミッターマイヤーは発言を認める頷きをした。

  「つまり、あの二人がく、くっつく可能性があるという事ですか?」

  ロイエンタールを別にして、ヤンからそんなフラグはこれっぽっちも見付けられない。無謀としか言い様のない作戦だが、尊敬する上官が勝算のない

  戦いをするわけがない。それはなにか、と確認。

  ミッターマイヤーは神妙に頷いた。

  「いい質問だ。いいか?物事には裏と表がある。表を読むのは当然の事だが、その裏を読み取ってこそ…うんたらかんたら…」

  御託はいいからあるのかないのかはっきりして欲しい。焦れたのは左だ。

  「つまり?」

  「つまり」

  一拍の間に、右と左は固唾を飲んだ。

  「可能性がないから作戦を練る必要があるッ!!」

  ミッターマイヤーは作戦名しか書かれていないホワイトボードを力強く掌で叩いた。具体的な案はなに一つ浮かんでいない証拠だ。

  「………」×2

  この時二人は退役したいと心底思った。ヤンの口癖であるがその真理を正しく理解する事ができた。どこか遠く、宇宙の反対側から『運命には誰も逆

  らえません』と諭す声が聞こえる。最早二人には諦めるしか道がない。

  「このことはロイエンタール閣下はご存知なのですか?」

  左の憔悴した声にミッターマイヤーはベルゲングリューンを見遣った。

  「閣下には教えていない」

  それは何故?と無言の問い掛け。

  「閣下のご都合妄想は単に障害となるからだ!」

  そんな吐き捨てるみたいに言わなくても。大分スレてきちゃったよ、この人。

  なんかブツブツ呟いているベルゲングリューンから二人は眼を逸らした。ノイローゼだ。伝染性ではない筈なのに、なんか伝染しそうだ。

  「し、しかし、そうはいってもこの作戦の鍵を握るのはロイエンタール閣下でもありますし、本人の協力なしでは余計無謀なのでは?」

  左は諦めなかった。この場から逃げられないのなら、せめて負担は少なくしたい。ヤンがよく言っていた。単に怠け癖だと思っていたが、その真理を

  よーく理解した。右も同意見で、何度も頷いている。

  「それこそ無謀だ。アイツは強◯しておいて『俺のもの』と決め付ける大馬鹿野郎だ!」

  アンタそんなのと親友なのか。それって単なる犯罪予備軍じゃね。

  「俺は、できれば親友のアイツが犯罪者になるのを見たくない…」

  いつも闊達な上官の苦渋に満ちた声に、内心のツッ込みが聞こえたのかと右と左は狼狽えた。

  「じゃっじゃあ、いきなり二人きりはマズいので、人目のあるところで二人にするっていうのはどうですか?!」

  「いいな!それ!!人目があればロイエンタール閣下もヘタなことできないしっ!!」

  犯罪者前提である二人の提案をベルゲングリューンはホワイトボードに書き記した。副官としてそのナチュラルな対応はどうかと思うが、ミッターマ

  イヤーも気にせず、どうやって一目のある場所で二人にするのか、右と左に期待感溢れる輝く目でじーっと見つめた。

  「…………」×2

  それはそっちで考えて下さい。

  期待感溢れる眼差しが重い二人はミッターマイヤーから眼を逸らした。

  「「あ」」

  そういった時に限って、自分で自分の首を絞めるかの様に右が閃き、左も思い付いた。良いコンビだ。苦労の星は君達の頭上で光り輝いているぞ。

  「喫茶店…ミュラー提督に教えてもらった店」

  「仕事帰りに通ってるって」

  「紅茶専門店で…」

  「店の名前、なんだっけ?」

  咽頭まで出掛かっているのに思い出せない気持ち悪さで二人は苦虫を潰したような顔をした。

  「隣が古小道具屋だっけ?」

  「いや、民家の入り組んだ場所?」

  「入り口が樫の引き戸ってのが珍しいって」

  「そうそう!テーブルとか全部、樫を使ってるって!」

  「BGMはジャズ!」

  「ブランデー入りの紅茶が750円!!」(帝国マルクが分かりません)

  「閉店22時!ラストオーダー21時半!」

  一つ思い出すと引っこ抜いたイモズル式にポンポン出てくる。だが肝心の店の名前と場所はでない。責任とって二人はヤンから聞き出すことになった。

  一個も責任なんてないのに可哀想。

  「よし!ヤンの行きつけの店に『偶然』ロイエンタールが立ち寄る!いいシュチュエーションだ!」

  場所さえ分かればロイエンタールを誘導するのはミッターマイヤーの仕事だ。俄然ヤる気だ。エヴァの少女漫画ではこの展開からラブストーリーが始

  まる場合が多い。

  昼休憩は終わり、早速右と左は上手いことヤンから店の場所を聞き出した。グ◯グル地図で確認作業もした。ヤンの方向音痴は有名で信用がないから

  だ。万一間違っていたら、いらん責任を取らされてしまう。苦労の星と言う呪い星から少しでも遠ざかりたい二人の仕事は完璧だった。

  終業の報告と共にプリントアウトした地図を渡し、ヤンが今日も喫茶店に寄ることも報告した。その後、二人はさっさと帰宅したのは言うまでもない。

  仕事を終わらせたミッターマイヤーは期待に胸を膨らませ、プリントアウトした地図を片手にロイエンタールと一緒に退庁した。

  地上車を走らせるベルゲングリューンにミッターマイヤーは声を掛けた。

  「すまんが、一カ所寄ってくれないか?」

  ベルゲングリューンは直属の上官であるロイエンタールにバックミラー越しに視線を移した。副官としての礼儀だ。小芝居が細かい。

  断る理由のないロイエンタールは頷き、ミッターマイヤーはベルゲングリューンに地図を渡した。

  「奥方へのプレゼントか?」

  揶揄うロイエンタールにミッターマイヤーの機嫌は良い。

  「まぁな。最近エヴァは紅茶に凝っててな。専門店を見付けたんだ」

  ヤンの為にミュラーが、と裏事情は口が裂けても言えないミッターマイヤーの口端は若干引き攣っているが、ロイエンタールからは見えない反対側で

  ぶっちゃけアシュラ男爵のようで不気味だ。

  「…紅茶か」

  ヤンの紅茶好きを思い出したロイエンタールは興味深げに形の良い顎を撫でた。愛の伝道師は、相手の趣味に合わせたプレゼントは点数高い!と自信

  満々に言っていた。即座に『プレゼント作戦』を決めたロイエンタールは店ごと買い占める気でいる。常識的に考えて分かることであるので愛の伝道

  師は『限度』を教えていなかった。多ければ多いほど点数が加算されるとご都合解釈のロイエンタールの咽頭からは勝利を確信した低い笑いが漏れて

  いる。

  そんな間に地上車は店の前で停車した。

  「……………」×2

  紅茶専門店といえば小洒落た明るい雰囲気をイメージしていた二人は一瞬唖然とした。

  そこは魔女の家だった。ヘクセンハウスのような可愛らしいものではない。全体に蔦が絡み、夜の暗さに、より胡散臭さが増して一見廃屋のようだ。

  入り口の蔦は辛うじて除かれているが、黒塗りの木材では大したイメージアップの効果はない。上部にある色の濃いステンドグラスから漏れる室内の

  灯りがなければ、とてもじゃないが営業しているとは思えない。それとて、煌々としているわけではないので注意しなければ素通りしてしまう。

  「…よくこんな店を見付けたな」

  素直に感心しているロイエンタールに笑うしかないミッターマイヤー。

  …本当にな。

  例え昼間でもここが店と気付く者は少ないだろう。ミュラーの執念深さを感じつつ、ミッターマイヤーは引き戸をスライドさせた。

  外観とは違い、店内は落ち着いた雰囲気だった。ぐるりと見回し、茶葉の種類の多さに思わず感嘆が漏れる。流石のロイエンタールも物珍しいようだ。

  店員は控えめな声で二人を迎えた。

  喫茶スペースにロイエンタールを誘導する筈のミッターマイヤーはいかにも若い女性が書きそうな可愛いポップに魅入り、口実である妻への手土産を

  物色し始めた。

  ロイエンタールは『プレゼント作戦』を決行するため、店員に声を掛けた。希有な美しい金銀妖瞳と整った容姿の客に女性店員は薄ら頬染めで満面の

  笑みを浮かべた。

  「プレゼント用に全部包んでくれ」

  「…は?」

  真面目な顔で時代錯誤のバブリーなこと言われた店員の笑顔は固まった。全部、がなにを指しているのか理解できない。

  「おい…」

  聞きつけたミッターマイヤーがロイエンタールの腕を引いた。

  「なんだ?」

  「全部ってなんだ、全部って」

  「全部は全部だ」

  当たり前のこと聞くな、と言わんばかりの親友にミッターマイヤーは言葉に詰まった。この非常識な人間にどうやって常識を説けば良いのだろうか。

  というか、どの方向から説けば良いのかも分からない。

  二人の会話からして単なる冷やかしの冗談ではないようで店員は余計困った。

  …この人、顔は良いのに。

  残念なことに常識がない。貴族のボンボンでもこんな注文はしない。

  とにかくオーナーに相談しようと、少々お待ち下さい、と言いおき彼女は奥の喫茶スペースに行った。入れ替わりで、山のクマさんのような恰幅の良

  い中年男性が登場。身の丈2メートル近い、ツキノワグマだ。

  「………」×2

  そんなオーナーにビビる二人ではないが脱力はした。店の外観といい、この店はひどく疲れる。オーナーはにこりと愛嬌のある笑みでツキノワグマが

  森のクマさんなった。このギャップが若いお嬢さんに受けるらしい。デカイ図体を小さくして可愛いポップを作るところは特に面白いと評判だった。

  それはさておき、本題。

  「プレゼント用に全部と聞いてますが、パーティーなどで振る舞われるのでしょうか?」

  「いや、一人に贈る」

  経験豊富なのだろう、オーナーは驚きもしなかった。肝の据わり具合に内心ミッターマイヤーは感心した。

  「さそうでございますか。ですと、申し訳ございませんが、ご注文通りに用意することはできません」

  毅然とした対応にミッターマイヤーは拍手喝采したが、それで納得するロイエンタールではないのでオーナーを睨み付ける眼光は鋭くなる一方だ。

  「理由は?」

  「茶葉は乾燥しておりますが美味しく召し上がって頂けますよう賞味期限を設けております。お一人で当店の茶葉を期限内に飲まれるのは不可能です」

  オーナーは愛嬌のある笑顔を崩さず答えた。納得できる理由であるが、プレゼント攻撃でゴールまでの高得点を狙うロイエンタールは思案気に顎を撫

  でた。ちなみに彼は賞味期限と消費期限の違いを知らない。

  「分かった。良質の茶葉を見繕ってくれ。量は任せる」

  「承りました。お相手の方はどのような紅茶を好んでいらっしゃいますか?」

  快諾したオーナーの質問に答える代わりにロイエンタールはミッターマイヤーを見た。急に振られてもミッターマイヤーにはなんだか分からない。

  「?なんだ?」

  「ヤンはどんな紅茶を飲んでるんだ?」

  「知らん。紅茶など、みんな同じではないのか?」

  ミッターマイヤーの台詞にそれまで笑顔だったオーナーの頬が引き攣った。

  「とんでもない!紅茶は同じ葉でも産地・収穫期・乾燥の出来具合によってワインと同じ様に千差万別に味と香りに違いがあります!」

  言葉は丁寧だがオーナーの迫力ある顔には、紅茶を軽んじるヤツは許さん!とはっきり書いてある。これには少々引く二人に紅茶愛に溢れるオーナー

  は語った。

  「いいですか!どんなに希少価値のある茶葉でも飲み手の好みに合わなければ真の価値はなく、プレゼントの意味もありません!」

  「そうなのか…?」

  目から鱗の金銀妖瞳。良質ならばそれに越したことはないとは思うが、紅茶の認識はミッターマイヤーと大して変わらない。紅茶は紅茶、なのだ。

  突然始まったオーナー直々の講習会を右から左のミッターマイヤーは、ティーパックでなければいいんじゃないかと思ったが意外な事にロイエンター

  ルは真面目に聞いていた。彼が他人の講釈を素直に受けるとは珍しいことだ。これも愛の成せる技か。ミッターマイヤーはどちらかと云うと、そっち

  の方が興味深かった。

  物珍し気に眺めていたミッターマイヤーはふと小首を傾げた。

  本来の目的はなんであっただろうか。

  思い出したミッターマイヤーは奥の喫茶スペースを覗き、彼にしては人の悪い笑みを浮かべた。

  ターゲット確認。

  「ロイエンタール」

  見ろ、と顎で奥を指す。

  「……ヤン」

  知り合いであることを察したオーナーは、お席をご用意しましょうか?と尋ねた。

  「いや、いい」

  一も二もなく頷くと思ったがロイエンタールは辞退した。

  「いいのか?」

  ミッターマイヤー的には、ここは隣に座るべきだと思っている。そしてそれが目的であるので確認をした。すると、ロイエンタールは口端に笑みを浮

  かべた。

  「プレゼントはサプライズと決まっている」

  何故か気障っちい台詞に聞こえ、ミッターマイヤーはケツが痒くなった。

  …人間、変われば変わるものだな。

  この親友が貢ぎ物をする世の中が来るとは思ってもいなかった。愛の成せる技なのだが正直な感想は、気色悪い、だった。

  二人が親友なのは周知の事実で、揺るぎない事実であることをここに明記しておこう。

  ともあれ、オーナーの協力を得てギフトボックスは完成した。ブランデーを一本添えるよう助言もしてくれた。

  淡色の薄紙に包まれた可愛らしいギフトボックスを小脇に抱え、明日の決戦の勝利を確信したロイエンタールは満足げに店を後にした。

  明日の勤務終業後ヤンにプレゼントする予定だ。そして、そのまましけこめると思っている彼は相当な自信家である。

 

 

  しかし、事件は予定外の時間で起こるものだ。

 

  その日、登庁からロイエンタールの機嫌は誰が見ても良かった。

  事情を知っているベルゲングリューンを除く大部屋一同は軽いパニックに陥った。不機嫌が当たり前で、普通が珍しく、機嫌が良いとは何事か!?

  戦々恐々としている部下達をベルゲングリューンは生温い目で眺めた。彼らの気持ちも分からないではないのが、彼的に微妙なところだ。

  しかしベルゲングリューンはきっちり仕事をこなす男だ。既に定時上がりを予定しているロイエンタールの為には部下達の不安を取り除く必要があり、

  朝の朝礼で業務にまったく関係のない『プレゼント作戦』を告知。一気にテンションが上がり、上官の定時上がりの為に全員一丸となった。

  彼らの働きぶりにベルゲングリューンは上官想いの良い部下だとホクホクだったが、密かに進展するかしないかの賭けが行われ『しない』に全員が賭

  けたのは秘密だ。

  そんなこんなで仕事はスムーズに進み、ロイエンタールは昼休みに元帥府裏手の庭を散歩していた。普段はそんなことはしない。精神的な余裕が彼を

  いつもと違う行動に出させた。

  それが幸か不幸か、時の女神が美しくも意味深な笑みを浮かべていた。

  「……あれは…ヤン…」

  人気のない裏庭のベンチにちょこんと座った想い人を見付け、ロイエンタールは女神の祝福の笑みを見た。

  声をかけようと思ったロイエンタールは手ぶらだった事を思い出した。素っ気ない裏庭で色気には欠けるが、まぁ悪くない背景だ。ロイエンタールは

  ちょっと考えた。執務室に置いてあるギフトボックスを取りにいくか、プレゼントがあると告げて定時まで焦らすか。逡巡するロイエンタールの意識

  に、ヤンの声が割り込んだ。

  「…ちょっ、なに?なにす…っ!?」

  ヤンは一人ではなかった。

 

 

  「ぶッ!?」

  メール受信の音にミッターマイヤーは携帯を取り出し、それを開いた。朝から問題もなく安穏とした昼休みに愛妻弁当に舌鼓をしていた時だったが、

  メールの内容に突然飯粒ごと勢い良く吹き出した。

  それはヤンに持たせた痴漢ブザーから発せられた緊急メールだった。

  ミッターマイヤーは散らかした飯粒の片付けもせず、慌てて執務室を飛び出した。

  …なんて早まったマネをッ!!

  脳裏には無理矢理ヤンの服を引き裂くロイエンタール。彼らが親友であることは明記したが、敢えてもう一度明記しよう。こんなんでも彼らは親友で

  双璧だ。

  親友のため、部下のため、ミッターマイヤーは走った。階段を飛び降りる勢いで駆け下り、裏庭まで走った。

  現着するころには肩で息をしている。

  …年か?いや、訓練を怠っていたな、最近。

  年齢的なものは認めたくないミッターマイヤーはゼヒゼヒする呼吸で辺りを見回した。

  「…ヤ…ン…?」

  ベンチの脇で尻もち着いていた。ミッターマイヤーの位置からはヤンの背中しか見えなかった。移動すると同じく背中を向けているロイエンタールが

  佇んでいた。

  「……ロイエンタール…?」

  その背中には異様な殺意が漂い、空気をドス黒く浸蝕していた。ミッターマイヤーの声に反応したロイエンタールはゆっくり振り向いた。強張り、見

  開いた色違いの双眼には獰猛な光を宿しいる。頬には点々と赤い液体を付着させていた。

  …なんだ、その悪人面は!?

  人相の悪さはミッターマイヤーでさえも尻込みさせた。

  ロイエンタールは手に持っていたものを落とした。ドサッと質量のある音がたつ。見ると、人であった。完全に気絶している。顔の形状が変形してい

  るので、見覚えがあるのかさえも解らない。

  様子からして、相手をフルボッコしてもロイエンタールの怒りは収まっておらず事情を聴くのは躊躇われた。

  「…ヤン、なにがあった?」

  ミッターマイヤーは尻もち着いているヤンの腕を取った。

  「いや…その…よく分からないんですけど…」

  相当ショッキングだったらしく、ヤンは未だ呆然としていた。

  「…分からない、だと…?」

  苦々しい低い声はロイエンタールのものだった。ツカツカとヤンに歩み寄り、その胸倉を両手で捩じ上げた。拳は血が付着し、それだけでも充分コワ

  いのに畳み掛けるような形相で怒鳴った。

  「お前はこのストーカー野郎に強姦されかかったんだろうがッ!!」

  危機感のなさにロイエンタールの怒りは再燃していた。窮地を助けたヒーローは悪鬼も裸足で逃げだす極悪人面で助けたヤンの首を絞めている。

  「ちょっ苦しっ!!」

  「おい落ち着け!」

  「コイツはお前の行きつけの店まで付いていき、何日何時になにを注文したことまで把握し、鼻息荒く迫り、嫌がるお前に伸し掛かり、キスしようと

  しただろうがッ!!それが、分からないだとッ!?」

  「…そ……は…分かって…」

  諌めるミッターマイヤーの声は怒り心頭のロイエンタールには届かない。本当に苦しいヤンはギブギブッとロイエンタールの腕を叩き、なんとか声を

  絞り出した。

  「じゃなにが分からないって言うんだッ?!」

  尚もギリギリと締め上げられ、もう答える気力のないヤンの唇は戦慄き、虫の息だ。顔色も蒼白で、マジでヤバイとミッターマイヤーは強引に二人の

  間に割って入った。

  「おいっ殺す気かッ!!」

  両手首に掛かる圧迫と本気の低い怒声で我に返ったロイエンタールは漸くヤンの胸倉から手を離した。それでもまだ怒りは収まらず、怒気露な荒い呼

  吸を繰り返した。

  崩れるヤンの躰を支え、激しく噎せ返る背中をミッターマイヤーは摩った。心配げな視線はヤンとロイエンタールを交互に見遣った。ロイエンタール

  は悔しいというか苦しいと云うか、ミッターマイヤーは初めて見る親友の複雑な表情になんとも言えない胸の苦しみを覚えた。

  …ロイエンタール。

  苦悩、と云うのだろう。ロイエンタールにとってヤンは本当の意味で初恋であるのだと、改めて思う。恐らく、そんな初めての感情に彼自身、振り回

  されているのだろう。

  苦しげに咳き込むヤンの姿の耐え切れずロイエンタールは駆け出した。彼らしかぬ行動だ。

  「…………」

  ミッターマイヤーはその遠ざかる背中になんと言って引き止めればいいのか分からなかった。

  「……たし……は……」

  「ヤン?」

  漸く治まりつつある咳の中でポソリとなにか呟かれ、ミッターマイヤーの視線はヤンを映した。まだ苦しいのだろう、顰められた眉が痛ましい。

  「…閣下が…あんなに激怒される理由が分からなかった……から…」

  途切れ途切れの言葉は先程の答えなのだろう。本人は答えを聞く前に去ってしまい、ヤンの疑問に答える者はいない。

  …まったく―――

  何故こんなに二人して不器用なのだろうか。

  ミッターマイヤーは一度ロイエンタールが去った方向を見遣り、溜息を吐いた。それから側のベンチにヤンを座らせ、自分も腰を落とした。

  呼吸が落ち着いたヤンは視線を彷徨わせた。もうロイエンタールが居ないことに気付き、項垂れる様に髪を掻き上げた。

  どこか寂し気に見える仕草だった。

  「なぁヤン、本当にロイエンタールが怒った理由が分からないのか?」

  ヤンは答えなかった。『分からない』と答えるのは簡単だったが、そう簡単に答えるのも躊躇われた。その理由も分からず、口を噤むしかなかった。

  二人は暫く裏庭を眺めた。午後の日差しは柔らかく、温かい。時間が停滞しているようだ。

  いつもなら、こんな心地良い陽気にすぐに微睡むヤンであったが気持ちが落ち着かなかった。未解答のクイズにモヤモヤしていた。

  ミッターマイヤーは黙ったままの部下をチラリと見遣った。目の前の景色は同じでも、ヤンは別の景色を見ているようだ。思考に沈んだヤンの邪魔を

  しない様に、なるべく音を立てずに立ち去った。

 

 

 

 

 

  ロイエンタール大部屋勤務の下士官ABCはお遣いで元帥府を出ていた。任務は恙無くこなし、下っ端パシリの仲良し3人組はまだ年若く、上司のい

  ない場所でノビノビ羽を伸ばしていた。こんな気楽な時間がたまにあるから下っ端パシリはやめられない。

  彼らは、階級に見合う実力を持つ上官に当たり、運が良かったと思っている。

  上官であるロイエンタールは誰にでも厳しい代わりに自分にも厳しいところがあった。仕事のハードルは高いし、性格と私生活に問題あるし、配属し

  たての時は毎日がストレスだった。睨まれる度(正確に言うと、顔を見る度)にビビった。部下を褒めることは滅多にしないし(彼らは未だかつて褒

  められたことはない)高飛車だし我が儘だし神経が擦り減るが、それでも、オスカー・フォン・ロイエンタールという軍人を尊敬し、憧れている。

  そんな彼らの話題と云えば、ここ最近のロイエンタールがネタだ。ヤンと云う趣味を見付けてから、それまでギスギスしていた不機嫌低気圧に変化が

  生じていた。

  「…最近のロイエンタール閣下、いいよな」

  そこは頬を染めるところなのか、A。

  「いいな」

  お前もか、B。

  「なんか、人間になったよな」

  なんだと思ってたんだ、お前ら。

  「うまくいくといいよな、あの二人」

  うんうん、と頷くがお前ら『進展しない』に賭けてただろうが。まぁ大部屋全員こんな感じに茶化しながらも上手くいくよう見守っているのだ。見守

  るだけで、役に立とうなどと大それたことは微塵も思っていない辺り、微妙なロイエンタールの人気具合が窺えると云えよう。

  その後ものほほんとしたおしゃべりは続き、3人は近道で元帥府に隣接している公園を横切った。

  様式美を誇る元帥府の門が見えると衿を正し始める。そろそろ羽をきちんと折り込まなければならない。なに気なく視線が彷徨い、彼らは見てはいけ

  ないものを見てしまった。

  この世では有り得ないものを見てしまった彼らは逃げた。脱兎の如く逃げた。

  「べ、ベルゲングリューンくわぁ〜〜かぁぁああッ!!」×3

  突然ドアが壊れんばかりに開き、血相変えた年若い部下の情けない絶叫と涙にベルゲングリューンは吃驚した。

  「どうしたっ!?」

  「膝、膝抱えっ!抱えてたぁああ!!」

  「いいい池ポチャしてるんですっ!!」

  「おっおっおおちぃっおちこっで!!」

  同時に喋られ相殺。混乱状態のABCは身振り手振りも交えて必死に説明しようとしていた。公園方向を指しているような気がするがわけが分からな

  い。

  「落ち着かんかっ!!」

  迫力満点の一喝が大部屋を震撼した。流石ベルゲングリューン。伊達に問題ある上官の副官を務めるわけではない。

  大部屋は静まり返り、ベルゲングリューンは事態の収拾を試みようとした。

  「一体、な――

  「うぎゃ〜〜ッ!!」

  言葉途中で遮られた。今度はなんだ、と騒ぎの元を見る。窓辺で部下が腰を抜かしていた。彼の恐怖に震える指先は窓を指していた。尋常ではない様

  子にベルゲングリューンは眉を顰め、階下を覗いたが、これといって不審なものは見当たらなかった。

  「あわわっか閣下っ!あっあそこっ!!」

  原因不明の恐怖の正体を見付けた別の部下がベルゲングリューンに双眼鏡を差し出した。やはり顔面蒼白だった。

  「どこだ?」

  ベルゲングリューンの質問に、公園中央の池、と答えが返ってきた。

  未だ正体を知らない大部屋たちも各自双眼鏡を覗き込んだ。野鳥の会結成。

  「「「……………」」」

  そして見てしまった、見てはいけないもの。

  それは、幼気な傷心の少年のように膝を抱えて池に小石を投げるオスカー・フォン・ロイエンタール。明らかに落ち込んでいる。あの、上から目線の

  高圧人が!コレは有り得ない。だったら猪と義眼が肩を組み笑い合う方がまだ有り得る。

  「ぅわあっ敵艦接近!旗艦後方8時からヤン・ウェンリー!!」

  双眼鏡が一斉に動いた。てか、事情も知らず敵認定。当たっているところがコワいな。

  「なんてヤツだっあの閣下に止め刺す気か?!鬼め!!」

  「閣下〜〜〜ッ!逃げて下さいッ!!」

  「ダメだ、間に合わない!!」

  旗艦の危機に野鳥の会パニック。

  「待て!様子がおかしいッ!」

  流石はベルゲングリューン、冷静だ。野鳥の会は双眼鏡で二人をガン視した。敵艦は躊躇っているようで侵攻を中止し、一定の距離を置いている。一

  秒二秒が酷く長く感じ、ゴクッと緊張で喉が鳴る。そうしている間に旗艦が気付き、ロイエンタールは立ち上がった。正面から敵艦を見据える。

  「…なんの用だ?…さっきは、そのストーカーから助けて頂いて、ありがとうございます」

  読心術に長けた一人がアテレコ始め、耳ダンボ。

  「礼などいい、俺の気が済まなかっただけだ。…理由を聞いても、いいですか?」

  芸が細かく、口調と声色を変えているからムービーを見ている気がしてきた。3D?

  「どうせお前は理解しまい。仰って下さらないと分かりません…っ!」

  去ろうとするロイエンタールをヤンは追った。おお!急展開か?!思わず前のめりになる。アテレコも熱が入る。

  「やめろっ!俺を振り回して楽しいかっ!!そんなんじゃっ!?」

  振り払ったロイエンタールの勢いに押され、ヤンは足を滑らせた。池ポチャのする為に用意した小石と跳ねた水のせいだった。小物が伏線とは小癪な

  まねをする。

  今や伝説の『全員集合ズッコケ』でヤンは背中から池にダイブしようとしていた。

  「ヤンッ!!」

  助けようとしたロイエンタールであったが、足元が泥濘んでいたため自業自得の二次災害で二人してダイブ。このあとどうなるのだろうかと、野鳥の

  会は波紋を広げる池の水面を真剣に凝視。

  「「「…………」」」

  遅い。浮かんでこない。一体池の中でなにが起こっているのか?!悶々として、誰も助けにいかないところが味噌である。

  「…………あの、まずいんじゃ…」

  水面は静けさを取り戻しつつあり、さすがに心配になってきた。しかし誰も動かない。言った本人ですらも画面に喰らい付いている。

  やっと水面に人影が浮かび、更に前のめりになる野鳥の会。二人の姿に、おお…と静かなどよめきが起こった。なんと、ヤンの腕はロイエンタールの

  首に回り、ずぶ濡れで密着しているではないか!!一体、池の中でなにがあったんだ!?知りたい、回想シーンはないのか!?なんて不親切なんだ金返せ!!

  野次が出てもおかしくない展開であるが、クレーム対策でちゃんと謎解きはあるものだ。

  「今、なにをしたのか自分で分かっているのか?ええ、間違っても人工呼吸ではありませんよ」

  なに?!池の中のキスシーン、だと!!なんてドラマチック演出!カットするなんて、けしからん!!同じこと彼女にしたら絶対怒られるのにラブラブ展開

  かよ!てか、あんな長い間キスしてたのか?!

  「理由を、聞かせてもらおうか。言わなければ判りませんか?」

  額を擦り合せる二人の間で水面の煌めきが綺麗だ。映像クオリティー高いな。そんな背景に目元を紅く染め見上げるヤンにキュン。恥ずかしいのは分

  かるが、言ってあげなよ!言われたいんだよ、恥ずかしそうな上目遣いで、しどろもどろに!!

  「…多分…貴方と、その…同じなんだと思います…」

  くぅ!素直じゃないところが可愛いなチクショウ!

  「本当か?え、ええ…。なら、言ってくれ。……。ヤン…。……す、好き…だと、思います…」

  甘酸っぱい!なんて甘酸っぱいんだ!!恥ずかしながらも精一杯の告白に歓声が挙がった。

  しかしまだ終わっていない。

  「違うぞ、ヤン」

  ピタッと止まる歓声。なにが違うんだ?!

 

  「―――愛してる」

 

  やってくれた!流石ロイエンタール閣下!最後はキッチリ決めた!!

  そして煌めく水面の中で愛を紡ぐ二人の唇は重なり、二つの影が一つに……。

 

 

  キャスト

  オスカー・フォン・ロイエンタール

  ヤン・ウェンリー

 

  ウォルフガング・ミッターマイヤー

  ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン

 

  苦労の新人

  右=ミギー(所属事務所=寄☆生獣)

  左=レーフト(同上)

 

  大部屋の皆さん

  (ロイエンタール)円卓騎士団

  (ミッターマイヤー)人狼座

 

  友情出演

  ナイトハルト・ミュラー

 

  ストーカー=???(ヒント、お握り)正解者の方には特製『ラブ・スト』ストラップをプレゼント!(数に限りがあります。ご了承下さい)

 

  良かった!1800円出した甲斐があった!なんとストラップまで?!いや、要らないけど。

  今までのギャグが嘘のようなシリアス・パッヒーエンドに大部屋は感動に震え、意味があるのかないのか判らないエンディングロールの最後まで見続

  けていた。嗚咽を漏らす者までいるからビックリだ。

  そんな後ろ姿は誰が見ても異様だった。

  「………なにしてるんだ、お前ら」

  呆れ返った声に我に返る野鳥の会。

  「ミッターマイヤー閣下…」

  振り返ったベルゲングリューンは双眼鏡の痕が刺青のようにくっきり残っている。その中心の潤んだ円な瞳にミッターマイヤーは目頭を押えた。

  「…そうか…上手くいったんだな…」

  言葉を交わさず理解するとは流石は助演同士、格が違う!!はっ!後にいるのは苦労の新人ではないか!?右と左も、ベルゲングリューンが頷くだけで理

  解し(開放感で)肩を組み合い泣いている。やはり名前が載るヤツは違うものだ、と感心している十把一絡げの円卓騎士団。

  「ベルゲングリューン」

  「は」

  短いやり取りで察したベルゲングリューンは一旦ロイエンタールの執務室に入っていった。そしてギフトボックスとラッピングされたブランデーを右

  と左に渡した。

  「「………」」

  迎えにいけ、と。ああ、だよね『お持ち帰り』だもんね。仕事あるからアンタら抜けれないもんね。

  開放感に流した涙を返して欲しい。唯一の慰めは直帰許可を貰ったことだ。

  だが、そんなものはなんの慰めにもならないと、二人を迎えに行った右と左は思った。後部座席から漂う空気がこそばゆい。

  …絶対、手繋いでるよ。

  ロイエンタールとヤンはシート両端に座り、それぞれ窓の外を眺めているが互いに意識し合っているのは明らかだ。バックミラーからは見えないが、

  無造作に投げられた二人の手が重なっているのは想像に難くない。広くもない車内でムービーは止めて欲しい。息をするのも気を遣う。苦労の元はま

  ともな感性を持ったことかと真剣に考えてしまう二人だった。

  やがて苦行も終わりが来る。ロイエンタールの屋敷に到着した時はハーフマラソン並みに体力を消耗していた。直帰くらいではお駄賃にもならない。

  「着きました」

  ロイエンタールは頷くだけだったがヤンは照れた笑みを浮かべて二人に礼を述べた。ちょっと和んだが途端にもの凄い眼光で睨まれた。ロイエンター

  ルに。

  …勘弁して下さい…。×2

  ただでさえ威圧的なのに敵意と嫉妬心剥き出しで本当に泣ける。もしかして席替えするまでガン付けられるのだろうか。右と左はこの後の予定を決め

  た。元帥府にトンボ帰りで転属願い提出だ。もうこの際貴族のボンクラ提督でもいい。

  「ヤン、コイツらには気を付けろ」

  意味が分からないヤンはキョトンとしているが、意味が分かる右と左は心外も心外で憤慨していた。

  …狙わねぇよ!ホモじゃねぇし!

  …こちとらストレートだよッ!!

  しかし相手は上位者。本心を曝け出すわけにもいかず、予定変更で二人はヤケ酒しに行った。次の艦隊編成に伴う転属希望の締め切りが今日であるこ

  とをすっかり忘れている。

 

  まだ明るい空に薄ら浮かぶ星がニヤリと笑った。

 

 

  どこまでも苦労の星が付き纏う二人はさておき、執事に出迎えられたロイエンタールは暫く部屋に誰も近付くなと言い置き、ヤンの手を引いて部屋に

  向かった。

  プライベート・ルーム即ち寝室に連行されたヤンは大きなベッドに急に緊張してきた。

  …いや、まさか、そんな急には。

  コトに及ぶまいと思いつつも、親友で双璧の『あいつはケダモノで野獣で鬼畜で容赦ないから気を付けろ!!』と散々言われた記憶が蘇った。ミッター

  マイヤー、容赦ないのはどっちだ。

  「ヤン、早く服を脱げ」

  「えっ?!」

  余計なこと思い出しているとは知らないロイエンタールのタイミング悪い発言にヤンは竦み上がった。逆に、その過剰な反応にロイエンタールは内心

  で驚いた。

  「濡れたままでは風邪を引くだろうが。シャワーを浴びろ」

  あっちだ、と親指で指され、ヤンはバツが悪くなった。

  「上着はそこら辺の椅子にでも掛けておけ」

  「でも、濡れてますよ?」

  物に疎いヤンでさえも家具が一級品であることは判り、傷むのではないかと心配した。

  「構わん」

  有言実行のロイエンタールは年期ある上質な椅子の背に濡れた上着を無造作に投げた。逡巡したヤンはせめて被害が広がらないよう、その上に自分の

  上着を重ねた。そしてシャツの釦を外すが、濡れているせいでいつもより手際が悪い。

  ロイエンタールが釦を全部外し終わっても、ヤンはまだ小さなボタンと格闘している。口元に呆れ混じりの笑みを浮かべ、ロイエンタールはヤンの目

  の前に立った。

  「…?」

  ふいに感じた人の気配に顔を上げると予想以上に近いロイエンタールの精悍な顔があった。じっと見つめてくる色違いの双眼にヤンはゾクリ…背筋が

  震えるのを感じた。陸でもロイエンタールの金銀妖瞳は綺麗だが、陽の柔らかな煌めき射す揺らめく世界の双眼はまた違った色合いで、今までも『美』

  に感動したことは少なからずあったが、あんな風に胸を締め付ける切なさを伴ったことはなかった。無機な『美』ではなく、血肉の通った美しさは、

  必死になにかを求め、そしてロイエンタールが求めるものが自分であることに気付いたとき、余計苦しくなって、切なくて、縋る様に自分から手を伸

  ばしていた。――人、それを吊り橋効果といふ。

  「…ヤン…」

  低く、甘い音は切なさを滲ませ、どうしていいか判らないヤンは俯いた。心臓の鼓動が強く早い。痛いほどで、念じる様にシャツを握るが落ち着くこ

  とはなかった。緊張していると自覚すると余計緊張してしまい、逆上せたような浮遊感の中を漂った。

  俯いた顔を上げさせようと、ロイエンタールはもう一度そっとヤンの名前を詠んだ。脆く壊れてしまうかのように、大事に。聞こえなかったのか、ヤ

  ンはなんの反応も示さなかった。だから、どこか幼さを残す湾曲を描く顎先に手を伸ばした。

  触れる直前ロイエンタールは己の指を止めた。伸ばした指先を戻し、僅かに唇を噛んだ。

  …情けない。

  緊張するとは。

  まさか指先が震えるとは思わず、醜態を曝したと震える指先を握り締めた。

  「……」

  ヤンは目線だけでロイエンタールを見上げ、苦しげに眇められた色違いの双眼を見たとき、無意識に手を伸ばしていた。冷たい、と云われる頬は温か

  く、掌からじんわりと熱を広げていく。

  そっと、頬を包まれたロイエンタールは突然のヤンの行動に少なからず驚いたが、その感触を堪能した。もっとはっきり感じたくて、ヤンの手に自分

  の手を重ねた。そうしていると気持ちが落ち着いてきて、ゆっくり呼吸する度に肩の力が抜けていった。

  閉じていた双眼を開き、ロイエンタールはヤンの手首に整った薄い唇を落とした。流れるようなスマートな動きに、恥ずかしさを感じる前にヤンは魅

  入っていた。

  「…ヤン…」

  啄む音を微かに立て、唇を離したロイエンタールはぼんやりとした漆黒の瞳を見つめた。色違いの双眼の奥には熱が燻り低く沈んだ声がヤンを別の世

  界へと誘う。視界一杯に広がる青と黒を夢現つと見蕩れていた。蕩けた黒い瞳はどこまで底のない幽玄への導きの様でロイエンタールも引き込まれて

  いた。

  「…っ…ぅ…ん…」

  気付いたら、抗うことのできない深い口付け。

  免疫のないヤンには意識さえも蕩けるそれに膝が崩れた。ロイエンタールが腰に回した腕一本で支え、不意にヤンは現実に戻った。

  当たってる。硬いのが。この状況で考えられるのは勿論ナニしかない。

  「ちょっ!?」

  畳み掛ける様に素肌を這う掌から逃れようとヤンは必死に腕を突っ張った。

  「……なんだ?」

  途端に低く響く不機嫌ボイス。ヤる気が窺える。

  「あの、シャワーは?」

  ヤンはぎこちなく眼を逸らした。どうやら自分は色違いの双眼に弱いらしい。見てはいけない。流されてしまう。10回目のデートで、とは云わないが

  今すぐは余りにも展開が早い。

  蛇に睨まれた蛙のようにダラダラ冷たい汗を流しているヤンをムスッと見下ろし、なにか思い付いたロイエンタールの一文字に結ばれた薄い唇がニヤ

  リと意地悪そうに吊り上がった。

  「そうだな」

  あっさり解放され、ヤンは胸を撫で下ろした。先きに浴びろと云うお言葉に甘えてヤンはいそいそとシャワールームに向かった。

  湯船のないシャワールームは、それでも一般規格よりかは広く、窮屈さを感じなかった。

  勢い良く降り注ぐ温かいシャワーにヤンは全身の力を抜いた。程よく身体を温め、シャコシャコ髪を洗い始めた。

  室内を満たす温かな空気の流れを感じヤンは薄目で背後を顧みた。

  「ロ…ぁつっ!?」

  ロイエンタールの姿を認め、驚いたヤンは身を見開き、その拍子に泡が目に入ってしまった。

  「おい、擦るな」

  慌てて両目を擦るヤンに慌てたロイエンタールはその手首を掴んだ。

  強く目を閉じ、ヤンは痛痒さに小さく呻いた。なんとも子供じみた仕草にロイエンタールは苦笑した。しかし両手は塞がっているのでシャワーを当て

  てやることができない。

  「少し辛抱しろ」

  「…あ」

  シャワーとはまったく違う、肉厚の湿ったものが眦を這い、ヤンはビクッと肩を揺らした。ロイエンタールの舌だ。丁寧に、優しく舌先は痛くないよ

  う気を遣いながら、眼球に触れてくる。

  「…っ」

  奇妙な感触にヤンは身を捩って逃げようとした。

  「痛くしたか?」

  目が見えない所為か、ロイエンタールの声がいつもより優しく響いた。

  「…いえ、痛くはないんですが…」

  こそばゆいというか、ムズ痒いというか、恥ずかしいというか。

  「なら、大人しくしてろ」

  ペロペロと舐められ、ヤンは息を止めた。漸く舌が離れ、痛痒さがなくなりヤンは止めていた息を再開した。もう平気と言葉にする前に今度はもう片

  方を舐められ、ヤンはまた息を止めていた。湯当たりのようにクラクラする。シャワーの飛沫の音の方が大きい筈なのに、何故か耳の奥で大きく響く

  のはピチャリ…と舌のヌメッた音だった。意識が圧迫されヤンは細かな呼吸を繰り返していた。

  その息遣いはまるで情事の喘ぎのようでゾクゾクとロイエンタールの背筋を振るわせた。他人の眼球を舌で味わうのも初めてで、楽しくって執拗に舌

  を這わせた。

  どれくらいそうしていただろうか、ぐったりとヤンはロイエンタールに寄りかかっていた。ヤンの顎を掬い上げるその瞳を覗き込むと泣いた後のよう

  に少し目が赤く、しっとり濡れていた。その濡れた漆黒に自分が映っているのを見たとき、ロイエンタールは堪え切れない渇望を感じた。

  「ヤン…ッ」

  言い様のない焦燥感に狩られ、ロイエンタールは振り注ぐシャワーの中で深く口付けた。軍人としては標準以下の細身のヤンの躰はスッポリと腕の中

  に収まり、自分の為に誂えたかの様で、よりロイエンタールを昂らせた。

  「…ん…ぁ…っふ…っ…」

  絡まる舌に強く吸われ、痛みを伴う痺れにヤンは腕を上げたが、それは男の広く逞しい背中に縋るだけだった。

  それから、ヤンは良く覚えていない。激しい口付けはヤンの意識を攫ったのだ。なにか聞こえたが、曖昧な返事しか返せなかった。

  ロイエンタールは器用にヤンを支えながらソープを手に取り、身体を洗い始めた。啄むような口付けを交わし、ヤンの躰に掌を滑らせた。細いライン

  を辿り、泡がシャワーで流れるとそこに唇を落としていく。

  「…ぁ…いッ…!」

  強く吸われ、痺れる皮膚のままに躰を震わせるヤンが愛しく、ロイエンタールは幾つもの紅い花弁を創った。掌は下肢にも及び、半ば反応しているヤ

  ンにソープで滑る掌で包んだ。ゆっくり擦り上げると、そこは瞬く間に熱い芯を持った。素直な反応はロイエンタールを愉しませ、口元には満足気な

  笑みを浮かべている。そして、既に隆々と反り勃つ自身を擦り合せ、腰を蠢かしていく。

  ネチャネチャした音がシャワーの音に隠れ、密かに響く。ヤンにとって幸いだったのは、すでに快楽の渦に飲み込まれ、その恥ずかしい音を意識せず

  にいられたことだ。ロイエンタールにとって少し残念なのはヤンがキツく眼を瞑っていることだった。

  閉じた瞼に軽く唇を落とし、囁く。

  「…ヤン…気持ちいいか…?」

  「…んっ…ん…っ…ぁ…は…」

  答えになっていない答えだが、ピクピクと反応するヤンと漏れる喘ぎが答えていた。再度ソープを手にしたロイエンタールは丸みの少ないヤンの臀部

  全体を撫でた。両手でヤンの躰を支える様に包みながら、その奥へとそろりと指を伸ばしていく。谷間を広げ、滑る指先で蕾に触れた。ビクッと蕾が

  収縮したがヤンの顔には嫌悪をなく、下肢から広がる快楽に身を委ねていた。

  「…あ…っ」

  ゆっくり、内部に入り込む指にヤンは上擦った声を上げたが苦痛の色は感じられなかった。根元まで埋め込んだロイエンタールは指先を蠢かす。

  「…ぅ…ぅ…ッ…」

  「痛いか?」

  心配そうな声にヤンは緩く首を振った。ソープの滑りのおかげで痛みよりは違和感と不快感ほうが強い。2本に増えると圧迫感にヤンは唇を強く噛み

  締めた。3本になるとさすがに蕾が痛みを訴えた。それでも、時間を掛けたロイエンタールのおかげで我慢できないほどではなかった。

  ロイエンタールにしてみれば生殺しの時間である。内部の締め付けを一刻も早く味わいたいと訴える自身を、ヤンに擦り合わせることで騙し騙し我慢

  していた。相手が処女であろうが身分が高かろうが、こんなに大事に時間を掛けたことはなかった。ヤンの呼吸が幾分落ち着き、指から伝わる締め付

  けが僅かに緩む。だが、奥はまだ未開の地でここで強引に捩じ込めばどうなるかは明白である。ともすれば我慢の限界で自身を埋めたくなるが、ロイ

  エンタールは奥歯を噛み締めギリギリ我慢した。埋めた指を蠢かし、内部を広げていく。

  「…あ…っ…んん…っ」

  痛いのか、ヤンはギュッとしがみついてきた。慰める様にヤンの背中を撫で、苦しげに喘ぐ唇に口付けを何度も落とした。

  「…ロ…ッ…」

  「―――ッ!!」

  蕩けた漆黒の瞳が薄らと開いた瞼から覗いた時が限界だった。我武者らに狭い口腔を貪り、埋めた指で何度も衝き上げた。

  「んン―――ッ!!」

  豹変した驚きと恐怖でヤンは悲鳴を上げたが、それすら喰われる。本能に従い逃げようとしたが追い詰められた獰猛な色違いの双眼に射抜かれた。

  …ああ―――

  今までこんなに激しく人を求めたこともなければ、求められたこともなかった。

  歓びと少しの恐怖がヤンを陶酔させていく。躰の芯から痺れ、思考さえも溶けだす。蹂躙する舌に応え、互いに何度も角度を変え、濡れて黒みを増し

  た髪に指を絡めた。積極的に応えたのは舌だけでなく、内壁も収縮を繰り返しロイエンタールを求めた。

  蠢く内部に甘く強請る様に呼ばれ、指を引き抜いたロイエンタールはヤンの片脚を抱えて昂る陰茎で応えた。

  「―――ッ!!」

  指とは比べ物にならない太さと質量は体験したことのない激痛で、今まで上げたことのない断末の悲鳴を上げた。それは音ではなく、室内を満たす湿っ

  た空気を震わせた。末端の細胞まで縮こまり、背中は弧を描き反り返り、顎先は天井に向けられ、曝された細い首筋に幾筋ものシャワーの路を作った。

  「――くっ!」

  強張る躰に内部も陰茎を締め上げられた。埋めた先きが喰い千切られるほどの締め付けに食い縛る歯の隙間から呻きを漏らしたロイエンタールは、そ

  れでも奥へと進んだ。

  「あぅっああっ!!」

  力なく嫌々と痛みから逃れるが、感じるのはゆっくりと侵入してくる陰茎の形だった。痛くて痛くて、勝手に指先まで引き縛られる。髪を引っ張られ

  る痛みに更にロイエンタールの眉間に眉が寄った。

  ロイエンタールは萎えたヤンを掌に包み、性急に追い上げた。しかしヤンはこれ以上の刺激は快楽であろうと受け入れる余裕はなく蕾が搾まった。

  ミチッと嫌な音を感じ、ロイエンタールは力任せに捩じ込むのもアリかという考えを内心の舌打ちで打ち消した。そもそもシャワールームでコトに及

  ぶのが間違っていたことを渋々でも認めざる得ない。

  …少し惜しいがな。

  アンナことやコンナことがしたかった。

  彼の名誉の為に云っておこう。マニアックな変態プレイではない。彼は純粋にシャワーHをシテみたかっただけである。漁色で不誠実で数多の女性を

  泣かしてきて彼だがシャワーHは未経験であった。ヌいたらお終いの女の敵はシャワールームまで付き纏われるのを嫌っていたからだ。そして相手を

  慮ってヌかずに抜く、というのは初めてのことだった。これだけでヤンへの誠実さが判るが、それを理解するのは恐らく本人だけだろう。

  ともあれ、ロイエンタールはゆっくり焦らず半分ほど埋め込んだ陰茎を引き抜いた。荒い息でグッタリとしたヤンを支え、手早くシャワーを浴びたロ

  イエンタールはヤンを横抱きに抱き上げシャワールームを出た。

  「……ぁ…」

  濡れた躰のままベッドに俯せに横たえると、柔らかなスプリングと上質のシーツの感触にほぼ意識を飛ばしていたヤンの意識が戻った。ぼんやりと白

  いシーツを眺めるヤンの躰からは先程の強張りは抜けてきた。呼吸は緩やかになり、端から見てても弛緩しているのが見て取れる。目論み通りで整っ

  た薄い唇の端が吊り上がる。オスカー・フォン・ロイエンタールはどこまでいってもオスカー・フォン・ロイエンタールだ。

  彼を良く知る某W・M氏は『ケダモノで野獣で鬼畜で容赦ない』と語るが、行為中断に気を許したヤンは、そんなことなかったなぁと、仲が良いから

  遠慮がないんだと暢気なことをうつらうつら揺れる思考の中で思っていた。砂糖漬けのチョコレートのように甘い認識である。

  悪魔の足音はギシリ…とスプリングを軋ませた。

  「…ヤン…」

  耳元で響く低い音と背中に感じる重さと温かさをヤンは心地良いと思った。布団代わりなのは言うまでもない。デキたてほやほやの恋人を布団代わり

  にするとは、こっちも鬼で容赦ない。

  うっとりとした吐息にほくそ笑んだロイエンタールはヤンの腰を両手で掴み固定すると、アッと言う間に張り詰めた陰茎を埋め込んだ。

  「ぃ―――ッ!?」

  途端に襲い来る激痛にヤンは混乱した。行為中断と勝手に決め付けていたので、なにをされたか一瞬理解できなかった。

  「ヒッ…!?」

  更に腰を高く上げられ、枕に顔を埋めたヤンはくぐもった悲鳴を漏らした。

  弛緩していたと云ってもそこは本来男を受け入れる器ではないので、全長をキツく締め付けられたロイエンタールの額に汗が滲み、内部の熱さに陶然

  と乱れた呼吸を繰り返した。

  「…ヤン…全部入った…も…大丈夫だ…」

  …ってなにがッ!?

  乱れた呼吸の合間の蕩けた甘い囁きは、一杯一杯のヤンには甘く響かなかった。しかし悪態を吐く余裕はビタイチもないので、シーツを硬く握るしか

  できない。

  小刻みに震える背中に余裕のなさが窺え、ロイエンタールは縮こまったヤンを掌で包み、今度はゆっくり擦り上げた。

  「…ぁ…ぅ…ぅ…ん…」

  それは功を成し、緩やかに広がる快楽に苦痛から逃げる為ヤンの意識が集中した。苦痛と快楽の狭間で蠕動する内壁はロイエンタールに快楽を齎し、

  手の動きを徐々に早めさせた。

  苦しげな喘ぎの中にも熱を孕んだ吐息が混じり始め、ヤンは確かな熱と芯を持ち先端から雫を零す。ロイエンタールの掌に絡んで湿った音が室内に波

  紋の様に広がった。内部は陰茎に馴染み、緩急をつけ蠢きだすとロイエンタールも漸く腰を蠢かした。ゆっくり焦らず、傷付けないように気遣った。

  「…は…ぁっ…あ…つ…ぃ…」

  痛みと快楽は混沌と渦巻き、熱に浮かされたヤンは譫言を漏らして彷徨う手は冷たいシーツを手繰り寄せた。その片方の手にロイエンタールは手を重

  ね、強く握り締めた。

  「ああ、熱いな…お前の中は…」

  溶かされる。

  蕩けた甘く低い声の囁きにヤンの内壁はピクピクと反応を返した。素直な反応にロイエンタールの口元は緩む。愉悦と幸福の笑みは精悍な顔付きを惚

  れ惚れするほど綺麗に描いていた。残念なことにヤンが見ることはなかったが、それは後日のお楽しみだ。

  そして襞の一つ一つ、その奥までも暴こうとロイエンタールは陰茎で狭い内壁を探り出した。些細な動き一つにヤンは躰を震わせ、小さく喘いだ。過

  敏な反応は、苦痛と快楽の天秤が少しずつ快楽に傾きつつあることを教えた。

  「ン―――ッ!!」

  不意に、感じたことのない刺激がその一点から鋭い電流が駆ける速さで四肢に広がった。

  「―――ッ!?」

  身を強張らせたヤンの躰は内部に有る陰茎をギュッと締め付けた。それは先程のような拒絶とは異なり、内壁の細かな襞は吸い付きながら内部全体が

  クネり奥へと誘うようでロイエンタールは息を飲み、ギリギリのところで果てるのを堪えた。前立腺だ。否が応でも感じるポイント。ほんの一瞬掠め

  ただけでそこは凄まじい快楽を齎した。それは自分だけでなく、ヤンにも強い快楽を齎していた。掌のヤンはその瞬間大きく脈打ち、今も滾々と快楽

  の雫を溢れさせている。

  …ここを―――

  集中的に責めれば、どうなるのだろうか?

  想像してロイエンタールは欲望の熱い塊を嚥下した。そして実行に移す為ヤンの背中に覆い被さっていた上半身を起こした。

  「……ロ…エンター…ルか…っか…?」

  安堵を感じていた温もりが離れたことで急に不安になったヤンは、整理の付かない快楽に戸惑う頭を必死に動かしロイエンタールの姿を探した。

  濡れた漆黒の瞳は艶やかに快楽の篝火を灯していた。

  「………」

  ロイエンタールは言葉も出なかった。これほど綺麗な黒い宝珠が存在しているとは思いもしなかった。宇宙の、星々の煌めきを確かに美しいと感動し

  たことはある。だが、今目の前に在るのは無機な冷たさではなく、熱く生きた体温を持ち一瞬一瞬に揺らめいては精神に呼びかけてくる。

  ロイエンタールはその瞳に何度も口付けてはヤンの名前を何度も呟いた。

  「…ヤン…ヤン・ウェンリー…ヤン……」

  名前を呼ばれる度に、ヤンは胸の奥に言い様のない感覚がじわりと広がっていくのを感じた。嬉しいのか、泣きたいのか、よく解らない。ただ、もっ

  と呼んで欲しいと思っていることだけは確かだった。それを言葉に表せる余裕はなく、胸一杯に広がり溢れ返った感覚は瞳から零れ落ちた。シーツに

  奪われる前にロイエンタールは透明な雫をそっと吸い上げる。

  ヤンの顎先は自然に上がり、口付けを強請った。望むままにロイエンタールは与え、腰を蠢かすと呼応するようにヤンの腰も揺れた。くねる内部に誘

  われ、ロイエンタールの動きが次第に大きくなる。

  離れた唇は熱い呼吸を交えさせ、微かなスプリングの軋みは徐々に激しさを増していく。腰を捕らえられたヤンは迫りくる快楽に逆らえず、嬌声を上

  げ続けた。艶やかに響く声にロイエンタールは疼く本能のまま衝き上げ、一際甲高い声が空気を裂いた。

  「――くっ!!」

  伸び上がった反動で離れようとする腰を強く引き寄せ、果てたために引き締まった内部を奥まで抉り込んだロイエンタールはヤンに包まれ果てた。

  「…ぁ…あ……」

  熱い粘液に躰の奥が濡れた感覚は解放の余韻を更に心地良くさせた。熱い躰が芯からも温まったようだ。ロイエンタールも余韻の心地良さに躰の力を

  抜き、ヤンに覆い被さった。二人は陶然と乱れた呼吸を繰り返し熱い汗が空気さえ入り込まないほど重ねた躰をピッタリと合わせた。

  思考までピリピリと痺れたヤンは初めての官能にぼんやりと思った。

  …こんな――

  「気持ちいいものなのだな、セックスとは…」

  「…へっ?」

  自己処理感覚で数多の女性と関係してきたロイエンタールはめくるめく官能を初めて体験し、引いていく余韻を取り戻す様にヤンの躰を抱き締めた。

  思ってたコトがそのまんま形となり、頷きかけたヤンは我に返り吃驚した。経験豊富の漁色家の言葉とは思えず、聞き間違いかと思った。

  「あっちょっと…っ!」

  たった今達したソレが内部で膨れ上がるのを感じ、ヤンは肩越しにロイエンタールを睨んだ。といっても、ロイエンタールにしてみれば困っているだ

  けの微笑ましいものだ。

  「お前が動くからだ」

  自分が悪いのではない、としゃあしゃあと口元に意地の悪い笑みを浮かべたロイエンタールは愉しそうに咎める唇に軽い音を立てるキスをした。

 

  その後は済し崩しだ。場慣れしているロイエンタールに対し極端に経験値が低いヤンが抵抗できるわけがなく、某W・M氏の語りを一言一句間違いな

  く骨の髄まで知ることとなる。

 

 

 

 

 

 

  翌日、金銀妖瞳はすっきり爽やかに登庁。涼し気な目元の笑みに誰もがドン引いた。事情を知らない兵士達には天変地異の前触れで出勤ラッシュのさ

  なかに潮が引く。

  そんな金銀妖瞳を生温い目で見守るのは両陣営の大部屋全員。分かり易い態度に誰とも成しに呆れた溜息が漏れた。

  案の定、休んだヤンに苦笑したミッターマイヤーはご祝儀代わりに、一日くらいなら、と大目に見た。

  が。

  「おいっヤンはどうしたッ!?」

  三日も休みが続けば流石のミッターマイヤーもいい顔しなかった。当たり前だ。

  詰め寄る親友をシカトのロイエンタールは定時上がりの為にせっせと書類を処理しながら堂々と宣った。

  「ヤンは体調が悪くて臥せっている」

  …単にヤりすぎなんだろうがっ!!

  早く帰って看病せねば、と新婚生活満喫の親友にミッターマイヤーの口元が引き攣ったが、大人な彼はグッと堪えた。

  「明日は出勤させろよ」

  既にミッターマイヤーを始め大部屋全員、土曜日出勤が決まっていた。とにかく忙しい。猫の手でもノドから手が出るほど欲しいくらいだ。

  「ミッターマイヤー、体調の善し悪しは明日にならなければ分からん」

  子供なロイエンタールは、目に下に隈ができてる親友よりも自分の欲が優先で、今夜もヤる気のようだ。

  「少しは自重しろッッ!!」

  そんな一言では済まない者たちがいた。

  ヤンの仕事の喰わず嫌いは有名であったが、好き好んでいた仕事内容は誰もが七面倒で回避したいと思うもので、好都合とばかりにそんな仕事を押し

  付けていた。普段の仕事ぶりを苦い笑いで許してやっていた理由である。それが通常業務の他に、そんな七面倒な案件がいくつも舞い込んできて東奔

  西走を極めていた。

  一方、ロイエンタール陣営の大部屋はヤンの存在に感謝・感謝で拝むほどだった。上官の機嫌は気味悪いほど良いし、普段やらない細かな仕事も可能

  な限りこなしていた。自分でやった方が早く帰れるからだ。新婚よろしくの不謹慎な動機でかつてない勤勉さのおかげで最近残業が少ない。

  そんな両陣営の、残業で夜食買い出し班と帰宅組がばったり御対面。

  一触即発のビリビリとした険悪な空気は一瞬後には最高潮に達し、バチっ!!とラップ音。突如ヤン・ウェンリーを賭けた花一匁が始まった。子供の遊

  びではないので怒声に拳が飛び交うガチバトル。 

  乱闘現場に居合わせた運のない苦労の新星・右と左は目の前の乱闘を止める気にもならない。他人の振りして通り過ぎようとしたが元帥閣下が乱闘目

  撃。

  「ヤン・ウェンリーとは一体何者だ?」

  「……………」×2

  押し合いへし合いの両陣営からヤンの名前が連呼されれば興味を持つなという方が無理であるが、他に人がいるのに何故ピンポイントで自分達に訊い

  てくるのか。右と左は返答に困った。ヘタな興味は持って欲しくない。

 

 

 

  次の艦隊編成時に一波乱の予感。

 

 

 

☆ 終わり ☆    

 

 

 

 

 

 

 

長らくお付き合い下さり、ありがとうございましたm(__)m

えー、信じてもらえないと思いますが、今回のもちっ子的テーマは「ギャグでもカッコいい金銀妖瞳」です。ギャグってところが既にダメですね。だが後悔はしていない!!

 

世間一般では中編ですが、もちっ子には過去最大の長編です。小ネタ好きにはこれが限度だと身を以て知った、思い出深い作文となりました。

途中、ラブラブ甘々すぎて胃凭れ起こした記念すべき作文でもあります…。基本ギャグ脳です!!