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Yahoo!ジオシティーズ

ごんたくれ

バックツウザヒューチャー、

勝つまで喧嘩した中一時代!

小学校から中学校に入ると頭を丸刈りにしなくてはならない

そして学ランを着なくてはならなくなり普段着ともおさらばである

鼻をたれていた小学生が次の日から中学生になるのである

そして家の近所の友達がバラバラになる(私立の中学など!)

知らない町の奴らがクラスメートとなる!

中学一年生になった私に待っていたのは首切りの家の息子

そして道場主の息子と言う肩書きを持った子供!

知らない街の奴らが私に喧嘩を売ってくるようになる

この時点で(中一!)私は空手二段を取得していたので別に

負ける相手は居なかった!

でも毎日毎日休み時間のたびに喧嘩ばかりしていたので楽しい昼休みも無く

毎日が面白くない!

そこで考えたのが私の学校で番長と言われている先輩に喧嘩を売り

自分の名前と腕を売る事を思いつく

その翌日、三年生である番長の教室へ出向き喧嘩を売ったのだが

番長と言われている先輩は身長も178センチも有り

私とは11センチも身長が違い手も足もあまり届かないのである

思った通り乾杯である!

でもここで引き下がる事は出来ない

次の日も次の日も毎日喧嘩を申し込み

そのたびにぼこぼこにされていたのだが一週間も続くと

番長である先輩も嫌になってしまったのか(どうにでもしてくれ!)と

降参、私のパンチや蹴りも当たっていたのは当然で先輩も

かなりな傷を負っていた

私はお言葉通りに今まで殴られた数の倍にして返した

この時から私のニックネームは“倍返しのOOO”と言われた

思った通りその事が皆に知れ渡り

誰一人、喧嘩を売ってくるものは居なくなった

6月15日気ままに更新

次回6月25日更新予定!

 

 

 

 

 

 

60歳で年金満額!

或る日、人に勧められた事も有り社会保険事務所へと出向き

自分の年金状態を聞く事にした

年金手帳などもって行かず免許証だけの確認なのであるが

私のデーターは即刻出てきた

データーによると私の場合17歳から年金の支払いが有り

60歳で満額支給と言われた

私のホームページの中の“ふたつのドグタク”を読んで居る人ならば

判ると思うが私は17歳から日本を出て居るのであり

始めはLST(武器運搬輸送船!)に乗船!

その際は船員として登録しては居たのだが少ししてキャプテン(船長!)

からの推薦も有り急きょキャプテンとの養子縁組を行ない

アメリカ国籍を所得、特殊部隊であるグリーンベレーの訓練地へと移動

一年間の訓練を経て戦場へと送り込まれたのであるが

その際、アメリカ政府は私の年金を20年間一括して支払ったらしいのだ

私は今59歳、60歳まで後8ヶ月60歳で満額満期らしいのだ

年金の事など今まで考えた事は無い

大体、60歳過ぎまで生きられると思っても居なかった

死線をくぐり死ぬ目には四度、生きて居るのが不思議なくらいなのだ

そんな男が60歳まで生き年金を貰おうと思って居るのである

私が所属していた部隊の戦友たちは全て死去して居る

戦場で死んで行った者、帰国後癌やノイローゼで自殺した者と色々だが

(私も帰国後、除隊したのだが様々な病気に悩まされ入院も2〜3度

経験したのだが悪くなった経緯が判らない!)

(まさか枯葉剤とは(ダイオキシン!)言えない!)

それを何とかクリァーして今に至って居るのだが死んでいった

戦友のためにも行き続けなければならないと思って居る

戦友たちが私に言って居るように思えるのだ“無駄死にはしないでくれ”と

何時まで生きられるか判らないが有意義な人生を送りたいと思って居る

死んでいった戦友の為にも!

5月24日気ままに更新

次回6月5日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

バックツウザ、ヒューチャー、

肝ためし!

私の家(実家!)では私が元服(15歳!)になるまで赤穂浪士討ち入りの日

つまり12月14日の夜、長男で有る私と父親は深夜12時になると

懐中電灯を持ち山中を歩き(4時くらいまで!)山の反対側まで歩き

帰ってくる(反対側は四国八十八番の中の51番札所、石手寺!)

この事を一年の締めくくりとして家業としている

それは何を意味しているのかは判らない?

そしてそれは私の父親も父親にさされて居たという

この肝ためしは私で六代目らしい(元禄15年からだとそうも古い話ではない)

遠い昔(元禄!)赤穂浪士の武士(もののふ!)堀部安兵衛の首を落とす為

私の祖先は海を渡り江戸上屋敷まで出向いたと言う(今で言う出張!)

でも今の様に新幹線や飛行機は無く大変だったと思う

武士の鏡、武士の誉れと絶賛されたがお上は切腹を言い渡した

各赤穂浪士は各藩上屋敷に身柄を預けられ尾沙汰を待っていたと言うのだが

最期の際も武士の鏡として忠候として大切にしてくれたと言う

私の家、(剣術指南役、そして首きり介錯人!)

先祖に堀部安兵衛、切腹の沙汰が下り旅を急いだと言う

(その事が家系の文献に残っている!)

今の世の中ならば飛行機で一時間列車ならば5〜6時間車なら6〜7時間

歩いて江戸(東京!)まで行ったのだが船を使った事も記されている

この赤穂浪士討ち入りが成功して赤穂浪士全員が切腹をして他界した

その年から始まったと記されている

でも我が家はそれだけでは終わらなかった

それは

2.26事件!

私の叔父さんは中尉として参加していたのだ

本当は私の父親は次男だったのだが叔父さんが逆賊として刑を言い渡された

死刑(銃殺刑!)を言い渡され刑を執行!

この事により私の父親は家督を継ぎ長男となったのだ

墓を建てる事も許されなかったのだが昭和35年逆賊の汚名は晴れ

墓を建てる事が許され今は墓に眠っている

5月12日気ままに更新

次回5月22日更新予定!

 

 

 

 

 

 

再会!

25年ぶりに金比羅山で偶然再会した男!

小中高を通しての元悪友、そして幼なじみ、私は妻とともに

この金比羅山を訪れたのだが

この幼なじみとは偶然の再会だった、昔とは違いお互い年を取っているのだが彼の姿には昔の面影は無かった!

妻が( 同級生?本当に?)と言うほど彼は年を取って見えたし

顔色も悪かった

彼は20代の頃、博打に手を出し友人たちや知人に借金をして

行き詰まり故郷を捨てた

それから25年の歳月が過ぎてしまったのだが、彼の行方は判らなかった

そんな彼と25年ぶりに再会したのだ、それも故郷から遠く離れた地で!

彼は練り物( てんぷらや竹輪!)の路上販売をしていたのだ

短時間の再会だったが

少しの時間話をして別れた、それから暫く日が過ぎたのだが

彼から電話が掛かってきた

掛かってきたのは高校生時代の悪がき仲間!

彼は知っていたのだ、行方不明と成った彼のことを

この男と連絡を取り合っていたのだ

( 私は彼と別れる際に名刺を渡していたのだ!)

その事は誰にも話していなかった、私にでもである口の堅い男だ!

私も故郷を出ているので後の連絡も無くいたのだが

何と彼は私と同じ大阪に居たのだ

話を聞いて吃驚したが、同じ大阪でも中々にめぐりあう事は出来ない物である

その後何ヶ月か過ぎた或る日、同窓会の通知が来た!

葉書は中学生の同窓会だったのだが

彼とは中学生の三年生の時同じクラスだったのだ

同じクラスメートの友人に電話を入れると彼の葬式を先月したと言うのだ!

高校時代の悪仲間たちが集まり、霊柩車が出棺時には高校の校歌を皆で歌ったらしく参加できなかったのが残念だった!

彼は肝硬変で入院していたらしく様態が急変して死に至ったらしい

私と最後に会った金比羅山!

これはひょっとして神のめぐり合わせか?

私は大阪から金比羅山へ行き、彼は香川から金比羅山へ

彼の命があるうちに神は合わせて

くれたと思うまだ43歳と若い彼だが永遠に私の前から姿を消してしまった

今度帰郷したならば彼の墓に参ろうと思っている。

4月26日気ままに更新

次回5月6日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックッウザヒューチャー

カミキリ虫とうなぎの子供!

カミキリムシはぶちの白い点々があるしまだらカミキリだろうか?

名前は良く判らないのだが農協に持っていくと一匹50円を貰える

(頭だけでもいい!)

カミキリムシはみかん農家にとっては害虫なのだ

みかんの木が枯れてしまうらしいのだ

みかんは愛媛県松山市の特産品全国的にもブランド品なのである

和歌山県産とは全然違う

小さなみかんのダンボール箱でも一箱5000円はするのである

今の季節何処の家庭でもみかんの箱が置いてあるのだが

兎に角、正月はコタツの中でみかんを食べるのが常識だった

スーパーなどでは別格のみかんなのであるが松山ではまだ他に

名島のみかんと言うのが有る

この中島のみかんは最高である!

これは春から秋の事だが遊びながら小使い銭を稼いでいた

夏になると今度は川である!

四国八十八番札所の内の五十一番所に石手寺が有るのだが

奥道後へ向かう道筋に石手川がある

そこには一番滝がある水が落ちている横手の岩場に水が少しだけ流れている

その場所でうなぎの子供を捕まえる!

道具は割り箸の先に針を糸で結び(うなぎ針!)

それで岩の割れ目に潜んで居るうなぎの子供をきっかけてかき出し

すばやくクーラーならぬ入れ物に入れるのだ

(うなぎは決して頭を突いてはいけない、死んでしまうのだ

頭意外なら大丈夫だが慣れないと中々難しい!)

慣れないと中々引っ掛けられないのだ

私は私の父親も釣りを良くするのでヒントを聞いた所

うなぎ針は普通の針より長い、割り箸にくくりつけるには良いが

モドリが付いて居るのでヤスリでモドリを削る事にした

すると岩の割れ目の隙間に居るうなぎの子供が面白いように取れるのだ

取ったうなぎの子供をうなぎの養殖業者に売りに行く

一匹150円だがそれでも数有れば小使い銭としては最高だった

海から遠くはなれた地で川をさかのぼるうなぎは何処へ行こうとしていたのか

3月29日気ままに更新

次回4月11日更新予定!

 

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー!

たった一度の集団サボり!

サボリを思い付いたのは、友達からの言葉、何か学校へ行くのが嫌になった!

と私に電話してきた事から始まった

それが友人たちに伝わって総員15名にまで広がってしまった

それでは何処で落ち合うのか(目立たない場所である!)

場所は直ぐ決定!

それは私と友人四人とで作った秘密の場所!

(山にトタンやベニヤ板、畳などを運び込み秘密の隠れ場所を

作っていたのだ!)

(雨風も平気、電気は無いがキャンプ用ランタンが有り水もしっかり

用意していた、一度ハンゴーで飯も炊いた事有り!)

でも15人もゾロゾロと集まっていたのではばれてしまう

そこで2〜3人づつがバラバラに少しずつ集まる事を指示した

全員が集まったのは九時半頃だった

小屋の広さは畳八帖の広さが有りコタツも有る

皆ごろ寝したり漫画などを読んで時間をつぶしていたのだが

この頃、学校では集団サボりが発覚!

そりゃあ〜そうだろう私を始め悪がき仲間全員が登校していないのである

一番に親に電話したのは私の家だったらしい

(電話はこの頃、普通の家庭にも普及していたのだが15名全員が

集まれる家など私の家のほかには無いのだ!)

幸い私が住んで居るのは母屋とは離れ蔵の二階を改造して住んでいて

ガラガラと階段を上げてしまえば誰も二階には上がれないのだ!

夕方家へ帰ると親父が待っていて

このとき初めて思いっきり殴られてしまったが何故か親父は笑っていて

私を殴った後は何も言わなくて

学校の先生や友人の親達には“私の息子が一番悪いのです”と

話していたのを聞いた時は自分の親に感心し尊敬した

親父は私の友達や友人は私以上に大切にしてくれた。

3月16日気ままに更新

次回3月28日更新予定!

 

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー

夏休み、10センチ身長が伸びた!

中学三年生の夏休みの事なのだが、この夏休みは兎に角泳いだ!

水泳部に入っていた事も有るのだが(県大会二位!)

瀬戸内の島から島へと友人二人で泳いだ

瀬戸内は潮流の流れも速い所も多く泳いで居るとかなり流されるのだが

毎日のように海へ行って泳いだ!

この頃瀬戸内ではシャチが入り込み海上自衛隊や保安庁の舟が出て

シャチを港外へ追っ払った事も有り

その前は海流が少しずれたのか急に第二次大戦の機雷が浮かび上がってきて

海上自衛隊が爆破したのだがそんな事も有った

そして有るときは全日空YS11が海上に墜落!

海上保安庁や海上自衛隊は浮き桟橋を設置して遺体回収を行ったのだが

浮き桟橋に揚げられたバラバラの遺体の穴から蛸やアナゴが

這い出したのをTVが中継放送!

魚屋ではほとんどの魚が売れなくなってしまった

こんな頃である!

このYS11に搭乗していたのは東京医師会帰りの医者50人と

東京からの新婚旅行者50組100人である

近所の町医者がいなくなり病院は閉鎖になった医院もあった

温泉旅館にも予約の新婚旅行のキャンセルが相次ぎ大変だったようだが

YS11が墜落した海上では大変だったなんて物ではなかった

一般から潜水夫を募集、

(アクアラング免許取得者なら誰でも良く日当は三倍だったと聞いて居る!)

昼はヘリ、海上保安庁と忙しく作業をしていたのだ

夜は夜で投光器などで海を照らし昼間のような明るさだったのを覚えて居る

そんな忙しい夏休みも終わり三学期も始まった頃!

気が付いた事が有った!

今まで目の高さが一緒だったクラスメートの目の高さが違うのだ

あれ?っと思い身長を測ってみると何と10センチも身長が伸びていたのだ

そう言えば寝て居ると背中の痛さに目が覚め事がたびたび有り

有るときはバキバキと音がするのを覚えて居る。

2月23日気ままに更新

次回3月7日更新予定!

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー!

たった一度の集団サボり!

サボリを思い付いたのは、友達からの言葉、何か学校へ行くのが嫌になった!

と私に電話してきた事から始まった

それが友人たちに伝わって総員15名にまで広がってしまった

それでは何処で落ち合うのか(目立たない場所である!)

場所は直ぐ決定!

それは私と友人四人とで作った秘密の場所!

(山にトタンやベニヤ板、畳などを運び込み秘密の隠れ場所を

作っていたのだ!)

(雨風も平気、電気は無いがキャンプ用ランタンが有り水もしっかり

用意していた、一度ハンゴーで飯も炊いた事有り!)

でも15人もゾロゾロと集まっていたのではばれてしまう

そこで2〜3人づつがバラバラに少しずつ集まる事を指示した

全員が集まったのは九時半頃だった

小屋の広さは畳八帖の広さが有りコタツも有る

皆ごろ寝したり漫画などを読んで時間をつぶしていたのだが

この頃、学校では集団サボりが発覚!

そりゃあ〜そうだろう私を始め悪がき仲間全員が登校していないのである

一番に親に電話したのは私の家だったらしい

(電話はこの頃、普通の家庭にも普及していたのだが15名全員が

集まれる家など私の家のほかには無いのだ!)

幸い私が住んで居るのは母屋とは離れ蔵の二階を改造して住んでいて

ガラガラと階段を上げてしまえば誰も二階には上がれないのだ!

夕方家へ帰ると親父が待っていて

このとき初めて思いっきり殴られてしまったが何故か親父は笑っていて

私を殴った後は何も言わなくて

学校の先生や友人の親達には“私の息子が一番悪いのです”と

話していたのを聞いた時は自分の親に感心し尊敬した

親父は私の友達や友人は私以上に大切にしてくれた。

2月11日気ままに更新

次回2月21日更新予定!

 

 

 

 

 

バックツウザヒューチャー、

銭形平次ごっこ!

がきの頃、銭形平次が流行り誰が(俳優!)銭形平次をしていたのか

TVなのか映画なのかも記憶の中には無いが銭形平次ごっこを

良くやっていたのを思い出す

(本物の一文銭を投げるのである!)

遊ぶ方法は墓石の上にマッチ箱などを置きそれを一文銭を投げ当てるのである

それも銭形平次が投げるような格好で投げるのだから慣れてないと

とんでもない方向へ一文銭は飛んで行き直ぐ行方不明になるのだが

でもそれは心配無用だった!

墓の近くの空き地を少し掘れば一文銭は幾らでも出てくるのだ

ではなぜ一文銭が何枚も、何十枚も何百枚も出てくるのか?

その答えは私の親類のおじさんが死んで初めて判った

私の幼い頃の郷里は土葬だった

棺桶の入る穴を二メートルほど掘り遺体を棺桶に入れ埋葬する

棺桶の中の死者には三途の川の渡し銭、六文が持たされる

棺桶を穴に入れると棺桶の上に土を盛り木の墓石ならぬ戒名判を刺す

そして何年かすると棺桶が腐り棺桶の上に盛られた土が棺桶の中に落ちる

そうするとやがて白骨化した遺体を掘り起こし骨を焼き

骨壷に入れ墓の納骨室に納めるのであり

昔からその事は引き継がれてきた事なのだが

(仏さんを掘り起こしたり焼いたりするのは墓守がしていたと言う!)

死者に持たせた六文銭は二メートルもの深さに有ったのだが

遺骨を掘り起こす際、土と共に地表に現われたと思う

それを私達は少し土を掘り一文銭を見つけ集めて

銭形平次ごっこをしていたのだ

その頃は良く一文銭の穴に紐を通し腰からぶら下げていたのを

良く覚えて居るのだが、親にしかられた記憶は無いし

罰当たりな事をしたと言う思いも無い

今現在は、葬式の際(納棺時!)紙で作った一文銭を入れるのだが

何かそれも味気ないと思う

後から聞いた話しなのだが、古い墓地には石やコンクリートで作られた

焼き場が有ったと言う(そこで一晩中薪で骨を焼いていたらしい!)

1月29日気ままに更新

次回2月11日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー

転校生!

中学二年になった春の頃!

転校生が私のクラスへ転校して来た

そいつは木ノ下大サーカスに両親が働いていて彼自身も

サーカスに出演していたのだ!

義務教育の事も有り中学校卒業するまではサーカスが公演する地で

学校へ通わなければならないらしく近くの公園でサーカスの公演が有り

私の学校の近くと言う事で一時転校して来たのだ

それもサーカス公演が終わると又転向して行くらしい

彼は始めはとっ付きにくく私に喧嘩を売ってきて殴り合いになったが

仲良くなるのに時間は掛からなかった

彼としても転校生しかもサーカスにいる事に反感を持っていて

やたら人に当たっていて本気で喧嘩をしてくれる人は居なかったという

(私自身、サーカスに居る人達は売られて来たり人さらいに

さらわれて来たと信じていた!)

2〜3日すると私たちの悪がき仲間とも話をするようになり

一度サーカスにも招待された事も有り

私も彼を我が家へ食事に呼んだりと親睦を図った

彼は日本中を廻る為住まいはトレーラーなのだそうで

我が家を訪れた際、その事を私に話してくれ

瀬戸内の刺身に喜び中学生では有るが酒を飲み夜遅くまで語り合った

私が話したサーカス感を話すと彼は笑っていた

(夜遊びしたり親の言う事を聞かない子供はサーカスの人さらいにさらわれ

毎日々々酢を飲まされ体を軟らかくされて芸が出来ないと鞭で打たれ死ぬまで

飼い殺しにされる!)

だから幼い頃など町外れにサーカスが来たら親の言う事をよく聞き

夜遊びなどしないのである(サーカスが居なくなるまで!)

その事を言うと彼は笑っていて両親ともサーカスで働いている事を聞き

私は何故かホ〜っとした事を覚えている

私は真剣にサーカスから彼を逃がしてやろうかと考えていたのである

彼は二ヵ月後サーカスが終わると又転校して行った

2〜3度手紙が来たのだが住所を持たない彼としては自分の住所を

書いて居ないので返事を書く事も無く今に至っているが

今の時代ならばPCやメールのやり取りが出来るのだがこの時代では無理!

今、京都伏見区の公園に木ノ下大サーカスが公演しているが

彼も私と同年代、もうサーカスには居ないかも知れない?

少年時代の思い出の一つだ!

1月15日気ままに更新

次回1月26日更新予定!

 

 

 

 

心臓が止まった!

30歳位の時だろうか?

急にめまいがして倒れた、原因は胃潰瘍による出血で貧血

(血液はほとんど無く顔は白くなり意識不明!)

前触れとしては二ヶ月前から便が真っ黒状態!

友人の奥さんは看護師をして要るので電話で聞くと

(宿便が出て居ると思う!)と言われ気にして居なかったのだが

時々原が居たいのを気にはしていたのだが

この頃週に一回のペースで磯釣りに行っていて冬の寒さで

腹が冷えたのかと思い暖かい缶コーヒーを良く飲んだ

今考えると倒れたのが磯で無くて良かったと思う

そんな事が続いた或る日の事!

庭の手入れをしていた私は草があまりにも伸びているので面倒くさくなり

草刈機を取り出しエンジンをかけ草刈機を使っていると

足元からヘナヘナと倒れ体に力が入らない事に気が付き

洗面所へ行き鏡を見ると唇は白くなっていたのが判ったがその後の記憶が無い

気が付くと病院のベッドの上だったが手には点滴の針が入っていた

意識が回復すると輸血の同意を聞かれたのだが私は輸血を断った

同意書にサインすると病室に運ばれ栄養剤などの点滴が始まった

その病院の治療は食事を完全にストップして胃を空っぽにして

潰瘍を治すという方法なのである

食事を摂らなくても便意は催してくるのであるがトイレに行く時は

ナースコールを押し看護婦を呼ばねばならない

味付け海苔を水で戻したような便を採取してルミノール反応をする

(ルミノール反応が出てこなくなるのに三ヶ月も掛かった!)

或る日の午後、(まだ食事は出ない頃!)急に胸が苦しくなり

ナースコールを押したナースは脈を取り次は酸素吸入機をセット!

私の横には心電図の機械を置き私の体にセット!

テキパキと二人のナースにより事が運ばれたのだが暫くすると

横に置いてある心電図の機械がピーと音を経て今まで波打っていた

電波が一直線になり私は意識を失った

後の事は知らないが後日看護婦に聞くと二回電気ショックを行い

息を吹き返したと言うのだが私は自分の心電図がピーと鳴り一直線に

なったのをはっきり見ているのだ!

三ヶ月間も点滴だけで生かし胃の中を空っぽにする療法はどうなのか?

その後、普通の体に戻った私は病院から逃げ出した

(勿論支払いは完了してTVや荷物も車で運んだ!)

理由!

潰瘍が直ると今度は心臓が悪いと言われたのだ

でも私の心臓は有る医者からはスポーツ心臓で人より大きく丈夫だと

言われているのだ現在でもバイアグラの処方箋を書こうかと言われているのだ

この病院の名は伏せるが愛媛県松山市道後に有り

盲腸などの手術は上手いがヤブである

緊急病院になっているが私としては二度と行く事は無いだろうが

この事が死ぬ目の五回目の経験である

1月3日気ままに更新

次回1月15日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックッウザフィーチャー小6年、

修学旅行日記!

小学六年生になると直ぐ修学旅行が有った五年生からの同じクラスでの

修学旅行だったのでクラスの皆は和気会いあいだったのを覚えている

行く先は来た九州方面、主に別府なのだがこの別府の地でも

先生を怒らす行動をしてしまったのを今でも思い出す

一度目は楽天地では遊具を壊してしまい(今思うと遊具の金属老朽化!)

高崎山ではサルのボスに手を出してしまってボスサルの仲間に囲まれてしまい

飼育員が飛んで来て一時大騒ぎになってしまった

この日から記念撮影は常に先生の横だった

とどめが別府の坊主地獄を見学に訪れた時の事

坊主地獄の中に石を投げ込みその時、しぶきが飛び散り大騒ぎになった

なぜそんな事をするのかと先生に言われたが

私としては坊主地獄の泥の中へ石を投げ込むとどうなるのか興味が有ったのだ

水のようにサラサラなのか又はクリームのようにトロトロなのか

知りたかったのだが疑問は晴れた!

トロトロだった

でも投げ込んだ石が少し大きかったのであり廻りに飛び散ってしまったのだ

そんな事で修学旅行は先生に起こられてばかりの思い出だったのだが

後で聞いた話しなのだが(親に電話で知らされた!)

高崎山と楽天地の遊技場事務所が学校に抗議して来たらしく

学校側は文面で謝罪したと聞いた

学校側はともかく、私としても忘れられない修学旅行になり

納得も行った

12月23日気ままに更新

次回1月3日更新予定!

 

 

 

 

バックツウザヒューチャー、

中二、女風呂覗き!

中学二年生の時の事である

私が生まれ育った街は日本でも有数と言われている最古の温泉地

道後温泉である!

この頃、今でもそうだが道後温泉ではその頃

一般住民と旅行者の入浴を分けていたのである

勿論、本館にも入れるのだが(別館と言うか椿温泉と新温泉!)

(新温泉は今の子規記念館が出来る前に有った!)

(私のガキの頃は道後温泉がプール代わり!)

或る日の夕方、友人と風呂へ行く約束をしていて温泉で

待ち合わせをしていた時の事(季節は夏!)

横の道を歩いていると女の更衣室が見えて背伸びをすると格子から

丸見えなのである!

中を見て見ると或る女と目が合ってしまった(同じクラスの女!)

(この女はクラスでもトップクラスの女で私とは月とスッポン!)

(親は先生をしている!)(小学校!)

翌日学校へ行くと事業が始まる前にローカに呼び出された

その時、この女が言ったセリフが良かった

(私の裸が見たいならいつでも見せてあげる!)

(今日の放課後、体育館の道具置き場に来て!)と言うのだ

私としても皆に女風呂を覗いたと言いふらされても困るので

この女に従った!

放課後、約束通り子の女は体育館の道具置き場に来ていた

(道具置き場は二階に上がるようになっていて梯子であがる!)

(ハッチを開けると六畳ほどの部屋が有る!)

女は密室に入ると服を脱ぎ始め裸になり私に“キスして”と言うのだ

私はキスをしながら女のおっぱいを揉んだ

顔はブスではなく美人の方だが私の好みではなくキス止まりだったが

この女には参った、別に子の女の裸が見たくて覗いた訳じゃあ無いのだが

この女には当分の間、悩まされた。

12月6日気ままに更新

次回12月23日更新予定!

 

 

 

バックツゥザヒューチャー、棺桶で一晩!

中学三年でバイクを手に入れた私なのだが

(高校進学約束で親父から買ってもらったホンダCL250CC!)

その頃、私たちバイク乗り仲間の迷信!

“棺桶に一晩寝ると早死にしない”と言う伝説が有った!

現にバイク事故でバイク仲間二人を亡くしていたのである

私は“棺桶で寝る”と言う事を実行したのだ

でも棺桶に寝るまでには大変な努力が要った

有る葬儀屋は親父に電話して“お宅の息子から棺桶に寝たいと言われた”と

親父に言ってきたのである“気違い扱いされた”

でもそんな事には自分自身へこたれなかった

親父に話し親父の知り合いの葬儀屋を紹介してもらったのである

早速、葬儀屋を訪れ葬儀屋の社長に内容を話したのだが

“ばかげた事を”と言いながら親父の事も有り承諾してくれた

そして葬儀屋の社長は“蓋はするけど釘は打たないよ”と言うのである

当たり前である!

その事を言うと葬儀屋の社長は棺桶の有る倉庫を後にした

友人が立ち会ったのだが棺桶の蓋をするのは友人に頼んだ

でも自分の中には恐怖心が有ってその恐怖を克服するのに

私の手には安物のウイスキーサントリーレッドを握っていた

グラス一杯(ギリギリ一杯!)のウイスキーを一息で飲むと残っていた

ウイスキーのビンを友人に渡すと棺桶の中に横になった

棺桶の中は明日入る人の為に既にクッションが置かれていて寝心地はいい

(棺桶の中を汚さないよう土足厳禁、靴は棺桶の外へ!)

棺桶の蓋をすると友人は帰ってしまい倉庫は真っ暗になり

棺桶の中は漆喰の闇の中に!

“このまま火葬場で焼かれたら”とか色々な事が浮かんでは消えるのだが

いつの間にかウイスキーの力も有り深い眠りに着いた

目が覚めたのは朝七時を少し回った頃、棺桶の蓋を開けた

葬儀屋の社長の声で目が覚めた

“どうだった?”“怖かっただろう?”と言うのだが

何の意識もなかった私にはどうって事はなかった

そのお陰なのだろうか、死ぬ目には何度となく遭遇しているのだが

命は助かっているのだ

11月27日気ままに更新

次回12月6日更新予定!

 

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー、

運動会のヒーロー!

今となっては(現在!)棒倒しや騎馬戦などは無くなってしまったが

私が小学生時代は棒倒しや騎馬戦は運動会をにぎわせていたのだ

騎馬戦のルールは三人で馬を造り相手の帽子を奪い合うのだが

帽子を奪われないようミシンで何重にも縫い取られないよう工夫する

低学年は参加しないのが決まりなのである

五年生〜六年生!

私も五年生になると騎馬戦のヒーローと言われていた

体の小さな私は一番からだの大きな友人の背中にいて

横の二人も体が大きく有利だった

小学生五年の時には唐拳法(空手!)二段を取得していた

同級生以下男の生徒はほとんどの奴が知っていて

私の馬が来ると逃げ回っていた

そんな時、私は後ろからラリアット一発!

常に私がと言うか私のチームが勝利していた

棒倒しの時も私は棒に群がっている奴らを後ろから回し蹴りするだけなのだ

私が来ると次々逃げていた

棒倒しされまいと棒を支えている奴らを(敵陣!)

後ろから回り“回し蹴り”をするのだからたまらない

次々と手を離し敵陣の棒は倒れ先に着いた布は取られてしまい

常に私の陣は勝利なのである

そんな棒倒しや騎馬戦も私が中学へ上がるとすぐに中止になった

寂しい限りなのだが、私にも弟がいて(五歳違い!)

私が六年生の時、小学一年生、“兄貴が悪かったから肩身が狭い”と言っていたが“兄気が悪かったからいじめや悪い奴らからは一目置かれていた”と

分けの判らない事を良く言っていた

私は表で弟は影でチョコチョコと悪さをしていた

兄弟でも違うものである

11月15日気ままに更新

次回11月27日更新予定!

 

 

 

 

 

体の傷!

私の体は傷だらけである(外傷!)

頭が4+3(意味は四針が三箇所と言う意味!)顔が1+4、腕が4+9

手が4+4、3+5、手が14+1、2+3、足が6+4、1+6、

それに腹部が3+3、合計126針縫っている

その内、自分で縫ったのが頬と額の二針!

その他、脊髄近くには手りゅう弾の破片が食い込んだ傷跡が有る

医者や内心検査や接骨院などに行き背中を見せると“何の傷?”と

よく聞かれるが私は“転んだときの傷”と嘘を言う

説明するのが面倒くさいのだ、それにまず信じて貰えないだろうし

信じてもらおうとは思っていないのである

医者や接骨医は傷を見ると判るのか

“転んで出来る傷では無いのだがなあ〜”と言う

“肉が盛り上がっていて見た事も無い傷だ!”と言う

もう一センチずれていると下半身不随になっただろう傷だと言う

頬の傷は自分で縫ったのだがこの時、麻酔など使わない!

書くのを忘れていたが左腕には銃弾による肉を削った跡が有る

暫く放って置いたのが悪かったのだろうウジがわいた!

(肉を削られたこと等にいちいちかまってられないのである!)

この時は参った、トーチランプで傷にわいた蛆虫を焼いて駆除したのだが

傷口が痛くてモルヒネの錠剤をかじっていた

(お陰で日本へ帰国後も二十年間に渡って麻酔は効かなかった!)

枯葉剤による身体の異変は年二回の肝臓病での入院!

身体の傷はいつかは直るが心の傷はいつまで引きずっていた!

ある事件、(留置場180日、過剰暴行、傷害?傷害致死?)を

境に故郷を捨てた(自分自身の事!)

再婚をして(結婚式も正式に挙げた!)

いつまで生きられるのか不明!

でも後二年生きられると私の家系では一番長命!

11月2日気ままに更新

次回11月15日更新予定!

 

 

 

栗を切り指を切る!

最近の事だが、郷里(愛媛県松山市!)へ里帰りした際、栗を買って帰った

(愛媛の中山の栗、凄い大粒!)

自宅でゆでた後、食べようと思い真ん中から二つに切る事にしたのだが

菜切り包丁で切れば良かったのだがぺテイナイフを使った!

(それも事前に研いでいたので凄く良く切れる!)

上から押さえて切る、その時ぺテイは栗の皮ですべり

指を切ってしまった(左手人差し指!)それも深い!

血は流れ止まらない

此処で思いついたのは常に車のコンソールボックスに常備している薬箱

その中にはワセリンが入っているのを思い出し妻に取って来てもらった

流れ出る傷口にワセリンを山盛りにする

ワセリンは高校時代ボクシングをしていた私にとって血止効果は判っていた

(傷口はすぐに塞がないとバイキンや細菌が入るのだ!)

人間の体は常に内部から修復する力が有るのだ

ワセリンを塗りこみ血が止まると少しずつワセリンを薄くする

内部からの修復が始まり傷が乾いてくると今度はアロンアルファーを使う

上からアロンアルファーを垂らして行き切った傷を寄せる

フーフーと口で息を吹きかけアロンアルファーを乾かす

(アロンアルファーは内科用の道具の一種である!)

歯の矯正などにはスーパーアロンアルファーが使われているのだ

これを知っていると緊急時には助かる

傷口はガチガチになり傷跡は塞がれた

後は傷バンドで傷口が開かないように一重の巻く(なるべく一重の方がいい)

傷で言えば四針と言った所だろうか?

4〜5日すると傷は完全に直っているが傷口が固いため風呂に入る際は

スーパーのポリ袋を小さく切って指を包みセロテープで水が入らないよう

指を包み込むのを勧める

終わればハサミでセロテープを切る(ボクサーがバンテージを切る要領!)

後は放っておけば自然に直る!

10月23日気ままに更新

次回11月2日更新予定!

 

 

 

 

 

鳥が救った命!

私は野鳥を三匹飼っていて、ウグイス、ヒガラ、エナガの三匹!

私たち夫婦は子供も居なく妻は元々小鳥が好きで子供の頃は文鳥等を飼っていたらしい

私は山の子供( 松山市!)なので子供の頃からメジロやエナガなどを

捕まえ飼っていたのだが、妻と結婚を気に始めはヒガラを飼った

このヒガラは良く慣れ妻のお気に入り!

何処へ行くにも連れて行ったのだが、このヒガラ病気になってしまい( 癌!)最後は妻の手の中で息を引き取るのだが、野生の鳥が人間の手の中で

息を引き取るなど私自身見た事が無い

そのヒガラにも名前が付いていてキョロとなずけた死なれてからは暫く

小鳥は飼うのを止めていたのだが、アイリン地区へ行く用事があり

その際売られていた小鳥を

見付け買い求めた、その小鳥はエナガ!

飼うには難しい鳥!

そして一匹ではかわいそうと思い死んだ鳥と同じヒガラを小鳥店で買い求めた

この時点で友人から貰ったうぐいす( 名前は歌右衛門!)これで三匹が揃う

この鳥たちは十五年の歳月生きているのだ

忘れもしない十二月三日北陸自動車道、この日は家族三人( 妻の母親!)と小鳥たち

行く先は能登半島輪島、この日福井県に差し掛かる前までは

雨が降っていたのだが

福井県に差し掛かると雨はやみ車は快調に走っていたのだが

車線を左側に変えた途端!

車はスピンしたゆっくり廻る車、ワイヤーフエンスに後部をぶつけその勢いで今度は全部をガードレールに衝突!そうして車は止まった!

何がどうなっているのか全く判らない!

ふと気が付くと後方にタイヤが落ちている、そしてトレーラーがその先に停止していた

タイヤが邪魔になると思いタイヤを転がせ横に移す

そして車の後部に鳥かごを置いているのを思い出し鳥かごを見ると

鳥( ヒガラ、エナガ!)の二匹が死んでいた

残ったウグイスの歌右衛門も体を濡らし震えていて直ぐに息を引き取った

何分かすると救急車が来て私と妻そして妻の母親は救急車に運ばれた!

私は後頭部に三針、脳内出血、妻の母親は骨折

二人は入院( 福井済生会病院!)妻はムチ打ちだが

妻は大阪から毎日病院に通う事になるのだが、鳥には可愛そうなのだが

全部死んでしまったでも、もし生きていればとんでもない事になっていたと

思う

世話も出来ないのである、そして鳥たちの篭もグシャグシャ!

( 日本の野鳥は誰か必ず世話をする人間が居なくては死んでしまう一日餌をやるのを忘れると死んでしまうのだ!)

私が運転していた車は新車!

降ろしてから一週間、この車を見てよく生きていたと人は言う

それくらい車は大破していたのだ、全損である!

車は保険で又新車が来たが大事な鳥たちは帰らなかった

私は五日間の入院後大阪へ帰ったが、妻の母親は一ヶ月入院していた

傷も全快した頃一匹連れて帰るのを忘れていた

鳥を迎えに行ったのである

( 妻は事故後、大破した車を置いている自動車修理工場へ行き

鳥たちの亡骸を大阪へ持ち帰り埋葬していた!)

でもどうしても一匹足りないウグイスの歌右衛門が居ないのだ思い出すと

私は私の手の中で死んでしまった歌右衛門を土の上に置いたのだ

私達は或る日、北陸自動車道福井インター近く事故現場まで行き

線香をたむけ

花束を奉げた( 迎えに来たよ、さあ帰ろうと!)鳥たちに誤り

魂だけ連れて帰った

二度と鳥たちを飼う事は無いだろうと思う

それが鳥たちに対する私の気持ちであり妻の気持ちだ!

今でも思い出すと涙が出て来る

鳥たちが生きている頃癒されたことは忘れない

春が近くなると泣き出すウグイス近所の人達も楽しみにしていた

「 今年は泣かないねえ〜と言われるのが悲しかった!」

10月12日気ままに更新

次回10月23日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックツゥザフューチャー

給食、鯨の竜田揚げ!

私の小学生時代は給食、その給食の中でも一番嫌いなメニューは

鯨の竜田揚げだった

小学三年生当時と四年生の時は校舎は他の校舎と離れていて

離れの三階建ての校舎と言った所だろうか

私の教室は二階だった!

そして私の席は窓の横だったのである

でもそれが幸いだった!

春の日差しがさすとぽかぽかとなり眠たくなって来たのだが

嫌いな給食の時間、特に鯨の竜田揚げ!

筋の多い鯨の竜田揚げは苦手でのどに通らない

でもこの時代、先生も一緒に給食を食べているのだ

(教壇の横が先生の席!)

体育、理科、音楽、美術以外は担任の先生と一緒

それも不細工な女とは思えないおばさん!

お世辞にも美人とはいえない(出っ歯と豚!)

私のこの時代、給食を残す事など許されない事なのである

残すと食べるまで給食が終わらない!

(昼休み時間も給食に挑戦しなければならない!)

だから噛んで噛んで飲み込むクラスメートもいた

脱脂粉乳のミルクは鼻を摘まんで飲み込む事は出来るが

私にとって鯨の竜田揚げはどうしても食べる事ができないのだ

では私はどうしたのか?

私は先生の目が離れたのを見逃さず窓の外へ捨てていたのだ

鯨の竜田揚げ五個を捨てるのに時間は掛からない

(一度に五個は捨てられないので一個ずつ確実に捨てる!)

旨くもない給食パンも同様!

でもその二年間、面白いことが起きた!

給食の時間になると窓の外は猫や犬が集まっていたのである

校舎の外は北が運動場、校舎の裏は中庭になっている

私は中庭の向こう(雑木林!)に投げていた積もりなのだが

中庭に落ちていたのだが証拠は綺麗に無くなっていた

嫌いな給食のときは常に外へポィ!

でもカレーやスープなどは無理!

でも考えると自分と同じ事をしていた奴もいたと思う

何故なら私のパンや給食ではあんなに犬や猫が集まるはずは無いと思う

そして今思うと夏休みや冬休みのとき猫や犬はどうしていたのだろう?

10月2日気ままに更新

次回10月12日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶?

私の場合、17歳から24歳までの日本が判らない!

私のホームページを読んでくれている人ならば判ると思う

帰国した頃初めて聞いた歌、そして17〜24歳のころに流行した歌は

全く判らなかった!

只、外国の曲ビートルズやローリングストーンズなどは全ての曲が判る

今リバイバルで流れてくる歌を懐かしそうに口ずさんでいるのを聞いても

ぴんと来ない!

この前、亡くなられた村下孝蔵の歌までは判るのだが

吉田拓郎の歌などは全くわからない

私の場合記憶力は良い方だと思う

戦記(ふたつのドグタク(認識票!)などだが

これは私が傷害事件を起こしてしまったことにより留置場に拘束させられ

何もすることも無くその時、当時を思い出し12冊のノートに書いた

雑念も無くすべての記憶をたどった

留置場180日の中に過剰暴行は私のことであり

この留置場に来た人(逮捕された人!)

一人ひとりになんで逮捕されたのか一部始終、聞き取り調査した事を書いた

結果は執行猶予だったのだが裁判(判決!)までの間

まとめたノートを原稿用紙にまとめた

400字詰原稿用紙278枚にまとまった

始めは集英社に出す事を勧められたのだが

集英社は(OOさんこんな言葉を知っていますか?)と言われた

それは(自衛隊、此処まで話せば殺される!)そういうのである

結審の場で検事から特殊部隊のことを言われ警察にバレ

その時点から秘密はなくなり

私は世間に公表した!

7年間の内、ふたつのドグタク(認識票!)に書いた事はほんの一部

でも記憶は頭の中にあるのだが

思い出し書くことは暇が無いのである

またぞろ留置場にでも入らなければ無利だろう

世の中には雑念が多いのである

後は入院でもすれば書けるのだが?

9月4日気ままに更新

次回9月13日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

骨密度!

過去何回と無く骨折してきた私なのだが

1、 中学時代に左手人差し指複雑骨折、指の皿にはステンレス版が入り

一ヶ月するとステンレス版が盛り上がり骨が復元されていて医師を驚かせた

2、右手人差し指が第一関節から切断

  このときは休日だったが近くの病院へ落ちた指を持っていって縫った

この病院の医者は第二次世界大戦当時軍医として南方に従事!

( この事は後で判った事!)

治療は荒く私の落ちた指を麻酔なしで縫った!

始めにシャーレーのようなものを左手で持たしセッセと縫った

一週間〜十日で破糸する予定だという

私は一週間後安全かみそりで糸を切り口で糸をくわえ抜いた

見事指は付いていた

その後足の親指を骨折!

完全に折れているのだが何の治療もしないのだ(ギブスも!)

ただ放っておいて四日もすれば普通に直った

この頃は骨の密度など考えても見なかったのだが

或る日、仕事の関係で健康診断を行った

この時初めて自分の骨の密度が以上に高かった事が判った

医師が機械が壊れているのではないかと再度計りなおしてみるが

結果は同じだった!

同じ年代の三倍以上あるのだ!

その後、現在に至るまで密度は変わっていない

産まれた時が650グラム未熟児で生まれた私が今の体になるとは

親も考えていなかっただろうが親に感謝している

瀬戸内で育って小魚を食べていた事もあるのだろうか?

私自身、肉より魚なのである!

一週間の内、三度は魚である!

8月23日気ままに更新

次回9月1日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックツウザヒューチャー、中2、出前!

私の中学生の頃、給食ではなく弁当だった事を思い出した

学校では学食も無く売店も無かった

今のようにローソンやファミリーマートなど無い時代なのである

学校では昼前になるとパン屋が玄関前に売りに来るのだが

いつも同じパン!

何か味気ないのである

私の場合、弁当を持っていく日々なのだが何故かこの日は

親が弁当を造り忘れてしまったのだ

親は私に朝家を出るとき弁当代をくれた

昼になればパンを買って食べろという事なのだろう

でもこの日は先公に職員室に呼ばれ説教されていて

昼飯を買う時間をのがしてしまった

学校から店屋まではかなり距離があるのである

この時思いついたのである!

時々家で出前を取っている店を

その店はちょっとした食堂で中華そばや丼ものもある

学校の外にある公衆電話で中華そばとカツ丼を注文!

15分くらいで届くと食堂の親父!

学校の正門で待つ事15分くらい

出前は届いた!

おかもちに入ったまま教室まで持ち込んで綺麗に食べた

おかもちは後で(放課後!)持って行く積もりと伝える

食べた後のおかもちと食器は教室の後ろへ置いていた

それを先生が見つけ当然私が職員室に呼び出された

( 生徒が出前を取るとは何事なんだ!)

と言うのだが昼飯時間まで説教していてパンを買う時間を逃がした

と私も反撃!

でも先公の見解は違った

中学生が出前を取りあまつさえカツ丼と中華そば!

値段が高いというのだ!

そんな事勝手だろう、どうせ親の付けなのだ

でもこの事は親に連絡されてしまった

私の親は笑っていただけだったが中学校始まって以来らしい

8月14日気ままに更新

次回8月23日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

指切断!

私の左手人差し指は第一関節から先が少し右に曲がっている

それは第一関節から先が切断してしまった事による事からなのである

指が落ちたのは親父との真剣による立会いの時!

日本刀でスパッと切れ落ちたのが良かったと思う

そして近くの医者

(この医者は戦時中、軍医として外地に行っていたと言うが

兎に角、治療が荒いので有名!)

落ちた指を持ち込み医者に見せると付くかもしれないと言い

私にシャーレーの様な物を持たせ麻酔もせず縫い始めた

( この日は休日で看護婦は休みだったせいもある!)

途中、縫い針を二本も折った!

始めに消毒液を掛けられた事もあり指の感覚は無かった

30分は掛かっただろうか?

一応手術は終わったのだが指が付く保証は無かった

一週間後に来てくれと言われその時、糸を抜くと言われ病院を後にした

右手が使えず友人は不自由だろうというのだが

私はもともと左利きだったのだ!

小学六年のときの不細工な女の先生が左利きを治せといわれ

右に変えた!

でも生まれて十二年間左でやってきて急に右に変えろと言われて

すぐできるものではないと思っていたのだがこれが何故かすぐ出来た

(今では両方使えるので便利!)

一週間後、病院へ行く事はなかった!

私は安全カミソリを購入して自分で糸を抜いた

42本の糸を抜くのに30分以上も時間が経過した

全ての糸を抜き終わると指(人差し指!)全体が痺れた

指を消毒薬で消毒!

指を少しずつ動かしてみると動くようになった

指は見事に付いていたのだが傷口を触ってみるとピリピリする

指の神経が切れているのだろうと思ったのだが

別に支障は無い!

でも指が少し右に曲がっているのが判った

指が無くなるよりはましだと思う。

8月2日気ままに更新

次回8月13日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックザ、ヒュチャー4、

高三、生まれて初めての下宿!

学校へは自転車で30分、市内電車や市外電車を乗り継いでも

一時間は掛からないのだが、この頃親父の嫁さん( 後妻!)とは

上手くいかず家に居るのが嫌になったのである。

そんなある日、友人が( クラスメート!)下宿している所の

部屋の空きが出来て毎日のように泊りがけで遊びに来ている

私に下宿屋のおばさんが“部屋借りたら?”と話があったのだ

洗濯や掃除は自分でしなければならないが、親から離れて暮らせる!

すぐさま親父に伝え承諾させた

朝夕の食事のほか昼の弁当も作ってくれ

学食ばかりの昼ごはんも楽しかった

イコール昼飯分はお金が浮く( 下宿代は親父払い!)

後、授業料をごまかしている為、遊ぶお金の不自由はしなかった

( 今考えると四十一年前の授業料4600円は大きかった!)

この頃、私には彼女がいて彼女の家からも近い

彼女とは中学は違う( 高校生になって知り合った!)

彼女は週末になると彼女の親に( 親友の家へ泊まりに行ってくる!)と言い

( 彼女の親友にも口裏を合わせてもらっている!)

週末は彼女とお泊りコース!

それが出来るのも下宿ならではだろうが、声は出せなかった

でもそれも始めだけでその内、下宿屋にばれてしまい

その後は公になり彼女も堂々と訪れ部屋の掃除や洗濯をしていた

一度、親父から聞かれた事はあったが( 彼女の事!)

家柄がわかるとその後は何も言わなくなった

この事は下宿屋の主人が親父にチクッタのはわかっていたが

私の親父に私の事を聞きビビッていた

下宿屋の親父が私に下宿を勧めた手前、何も言えなかったのだろう

私の親父も名前の通った男!

爺は戦後すぐ市議会議員をしていて議長をしている

知らないやつはいなかった

今考えると“神田川”!( 貴方はもう〜忘れたかしら赤い手ぬぐいマフラーにして!)と流れる歌の通りだった

下宿の三軒向こうには銭湯があったのだ。

7月22日気ままに更新

次回8月2日更新予定!

 

 

 

 

 

 

記録!

私は変な記録を持っている!

それは自動車メーカートヨタでの記録!何の記録かと言うと

購入してから全損の記録なのである

それは土曜日、新車を受け取る為トヨタ大阪福島店を訪れ

新車を持ち帰り、次の土曜日、北陸自動車道でスピンして全損!

新車は一週間の寿命だった

このとき私は脳内出血で福井済生会病院へ入院

後頭部四針、ホッチキスを入れられた

同乗していた妻の母親は腰部骨折で同病院に入院!

私は五日間の入院( 抜糸を待たず退院!)

妻の親は一ヶ月入院した

私が退院時、ディラーの社員二名がレンターカーを借り私を迎えに来てくれた

もともとこの社員からは今までに新車を5〜6台購入はしていたのだが

まさか妻と共に迎えに来てくれるとは思っても見なかった

でもその理由がすぐわかった

私が掛けている保険は最高級の保険なのだ

( 普通何年かすると保険の掛け金は安くなるのだが、私の場合妻が

毎月同じ金額を払う事により保険確約がプラスされ

たとえ前面ガラスに石が当たりひびが入っても保険が適応され

全額保険扱いされる!)

車は勿論、同じ車種の新車、入院費用は無料!

壊した高速道路のガードレール等保険払い

自損事故なのに150000万円の金額が振り込まれた

そしてプラス150000万円( これは妻の母親の分!)

そして忘れかけた頃( 約半年!)

示談金として150000万円が振り込まれたのだが

この時、たまには事故もいいなあ〜と妻に言うと

( 命があったからそんな事をいえるのよ!)と怒られた

おかしなのは事故などを起こした場合!

起こした地の警察署か機動隊へ行かねばならないのだ

私の場合、福井県の高速道路上なので福井県高速機動隊へ出頭!

事故の事情聴取、調書作成しなければならない

大阪からサンダーバードで二時間半、

JR福井駅からタクシーで20分( 北陸自動車道福井インター横!)

出頭の際、係官から( 弁当持参で来るように!)と言われた

着てみてその言葉に納得した!

周囲には何も無いのだ

そして二時間半にもわたる調書作成した。

7月12日気ままに更新

次回7月22日更新予定!

 

 

 

 

 

 バックトゥザ、ヒューチャーNO3、

糞!

なんとも味気ない臭い題名なのであるがこれには理由がある

最近思い出した事の一つなのだが

私が若い頃17〜18歳

アメリカに渡った事は私のホームページを読んでくれている

人たちにはわかっていると思う

英語も何もわからないままアメリカ本土の土を踏んだ訳なのだが

この時、一足先にLST( 武器輸送船!)に乗っていた事もあり

あまりあまり英語には困らなかったのだが

英語でも商用英語、日常英語と違い

軍隊用語は全く違うのである( 時々フランス語も入る!)

兵隊としての訓練をしていく中で同期の兵は常に同行動!

( 命がけである!)

寝るときも食事のときもいつも一緒なのである

始めのうちは自分のことだけを考え

訓練についてゆこうと努力する

みんなの足並みがそろう頃になると余裕が出てきて皆の事を

思い心配するようになる

( でもそれは訓練のときだけである!)

話はその頃の話なのだが、私に向かってこう言ったやつが居た!

それは( 日本人は糞と小便を一緒に出す事が出来るのか?)

と言う質問だった!

今まで糞をするとき小便も一緒に出るものだとばかり思っていた私!

( そんな事友人にも相談した事もないひょっとして俺だけかも判らない!)

外人と言うかアメリカ人は( 他の国の奴に聞いた事がない!)

糞は糞、小便は小便と別々にするのだ

大便のトイレを済ませると次は小便といった具合なのだ

本当に日本人はそうなのか実演して見せてくれと言うのだ

別に断る理由も無く!

戦友( 友!)が言っているのだ

私はみんなの見ている前で糞をした!

その事により、それからは皆と一段と打ち解け久しくなったような気がした。

6月27日気ままに更新

次回7月12日更新予定!

 

 

 

 

 

熱帯魚の握り寿司!

この出来事は、私の郷里へ里帰りしたときの出来事なのだが

この日は昔のワル仲間たちとの飲み会後、解散したあとの出来事!

少し腹に入れるかと言う事になりアルコールも多少入っていたのだが

友人が( ちょっと変わった寿司屋へ行こう!)と言い

私は友人の後から付いていったのだが

何が変っているかと言うと

寿司屋の親父が愛想が悪いのだ、そして相手を見て

値段を決めるらしいのだ

暖簾をくぐると( いらっしゃいませ!)とは言うのだが

なんだか寿司屋にしては元気が無い!

何にしましょう?( ビール!)と言うとグラスを二つ持って来た

( 何か握りましょうか?)との言葉に( 何でも握れるの?)と返した

すると寿司屋の親父は( 何でも握りますよ!)と答えたので

私はこれ!と私が指を指したのは熱帯魚の水槽!

親父は( 熱帯魚ですか?)と答えた

私は何でも握ると言ったじゃあ無いの?( 握ってくれ!)と

後に引かなかった

すると寿司屋の親父は店の奥から網を持って来て水槽の蛍光灯や

ガラスの蓋を外した、そして網を熱帯魚の水槽の中に入れ

熱帯魚を追い回し網の中に入れた

すぐまな板で捌いているのだが、ブツブツと独り言を言いながら

調理している!

三枚に下ろし皮をはぎ、中骨を切り普通の刺身の要領で

寿司ねたを作る

私の目の前に出て来たのは四貫の寿司!

シャリと身の間に大葉を挟んでいて見た目には美味しそうなのだが

親父は( 同じ魚だが熱帯魚を握ったのは初めてだよ!)と言う

四貫の寿司は葉友人と半分づつ、つまり二貫づつ食べたのだが

身は柔らかく、あまり美味しくは無かった!

この寿司屋でビール二本とその熱帯魚の寿司四貫で値段は15000円!

高い寿司代では有るが、困った親父の顔は見ものだった

その後、私たち悪友の中ではこの話が話題になったが

やはり偏屈の親父の為、客足は少しづつ遠退き少しづつだが

寂れていったと言う!

その後息子があとを継ぎ店は改装したらしいが、

あまりパッとしなかったようだ、そしていつの間にか

忘れ去られて行ったと言う。

6月17日気ままに更新

次回6月28日更新予定!

高三、生まれて初めての下宿!

学校へは自転車で30分、市内電車や市外電車を乗り継いでも

一時間は掛からないのだが、この頃親父の嫁さん( 後妻!)とは

上手くいかず家に居るのが嫌になったのである。

そんなある日、友人が( クラスメート!)下宿している所の

部屋の空きが出来て毎日のように泊りがけで遊びに来ている

私に下宿屋のおばさんが“部屋借りたら?”と話があったのだ

洗濯や掃除は自分でしなければならないが、親から離れて暮らせる!

すぐさま親父に伝え承諾させた

朝夕の食事のほか昼の弁当も作ってくれ

学食ばかりの昼ごはんも楽しかった

イコール昼飯分はお金が浮く( 下宿代は親父払い!)

後、授業料をごまかしている為、遊ぶお金の不自由はしなかった

( 今考えると四十一年前の授業料4600円は大きかった!)

この頃、私には彼女がいて彼女の家からも近い

彼女とは中学は違う( 高校生になって知り合った!)

彼女は週末になると彼女の親に( 親友の家へ泊まりに行ってくる!)と言い

( 彼女の親友にも口裏を合わせてもらっている!)

週末は彼女とお泊りコース!

それが出来るのも下宿ならではだろうが、声は出せなかった

でもそれも始めだけでその内、下宿屋にばれてしまい

その後は公になり彼女も堂々と訪れ部屋の掃除や洗濯をしていた

一度、親父から聞かれた事はあったが( 彼女の事!)

家柄がわかるとその後は何も言わなくなった

この事は下宿屋の主人が親父にチクッタのはわかっていたが

私の親父に私の事を聞きビビッていた

下宿屋の親父が私に下宿を勧めた手前、何も言えなかったのだろう

私の親父も名前の通った男!

爺は戦後すぐ市議会議員をしていて議長をしている

知らないやつはいなかった

今考えると“神田川”!( 貴方はもう〜忘れたかしら赤い手ぬぐいマフラーにして!)と流れる歌の通りだった

下宿の三軒向こうには銭湯があったのだ。

6月7日気ままに更新

次回6月17日更新予定!

 

 

 

 

 

 

バックッウザフューチャー2

言い出したら利かないガキ

これは自分の事であるのだが、欲しいものが有ると買ってくれるまで

その場を動かず言い出したら動かないのである

がきの頃、近くのデパートへ親に連れられて行くのだが

陳列ケースに欲しいものが有るとその場を動かないのだ

親は“なんか欲しいものがあるの?”と聞いてくる

あれが欲しいと指をさすのだが親は決まって駄目だと言う

でも親が買ってくれるまでその場を動かないのだ

一度こんな事が有った!

その日は母親の機嫌も悪かったのかデパートへ置いてきぼり!

デパートが閉店を向かえ陳列ケースの前に座っている私を見つけ

私から住所と電話番号を聞き出し家に電話した

( ここで凄いと思うのはこの時代!1954年代昭和30年!)

家に電話があったって事!

デパートは三越!

家からは市内電車で十五分ほどの距離!

母親は迎えに来てくれたのだが、凄く起こっていたのを覚えている

この事件は私が小学校三年生の事件だと覚えている

この他自転車、天体望遠鏡、バット、グローブ、キャッチャーマスク

空気銃、ローラースケート、カメラ

数え上げればきりが無い!

上記のものは小学生から中学までだが

高校に行く条件に250CCのバイクを買ってもらったのだが

今考えると自分にそんな事ができるとは思えない

それだけ家に金があったのかどうかは判らないが

親は大変だったと思う

5月24日気ままに更新

次回6月7日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バックツゥザヒューチャー

通知簿!

この辺で忘れていた過去の事を書き記しておこうと思う

それは私自身の通知簿!

小学生の頃の通知簿のことである

成績が悪く勉強もしなかったので通知表はいつもアヒルつまり2!

かろうじて体育は4なのであるが他はアヒル美術は3!

一学期は親に通知簿を見せ親の印鑑を押してもらわなければならず

見せなければならないが一学期が終わり通知簿を先生に返却する際

紛出してしまったと申し出れば50円を払えば又通知簿が出来るのだ

私の場合、一学期はそのまま親に見せるが二学期からは

自分で通知簿を作成する!

そうです、一学期の通知簿は机の中に仕舞っているのです

一学期はオール2でも二学期からは自分で書くのだから

通知簿はあがる

親は喜んでいる!

私の場合悪がきだったので親は参観日など死んでも嫌で

小学校1年から6年まで二回しか参観日には来なかった

弟や三つ上の姉さんの参観日には行っていたようだが私の参観日には

来なかった!

それぐらい悪がきで出来が悪かったのだ

出来が悪い事は“ごんたくれ”を読んでくれている人なら判ると思う

そんな調子で小学生のときはごまかしていたが

中学生になるとこれまた同じことをやっていたのだが

中間テスト、期末テストなど成績など親に見せた事がない

高校に入る時も推薦入学!

特待生と言うこともあり入試試験は行くことは行ったのだが

答案用紙に名前を書いただけだった

教科書も無く、ノートなどもっての他だった

授業もごまかし( 毎月親からは貰っていた!)

参考書を買うといってお金を貰い( 買ったら見せろ!)と言われていたが

友達の参考書を見せクリヤー!

兎に角、いかに親からお金をごまかすそのことばかり考えていた

そんな悪がきだった!

5月10日気ままに更新

次回5月24日更新予定!

 

 

 

 

 

小使い銭稼ぎ、雉!

私の小使い銭稼ぎには色々とあるのでは有る

物を盗んで売るわけには行かない、まさか強盗するわけにもいかない

私が生まれて育ったところは山といえば山なのだが

日本の古事記にも出てくるほどの温泉地でありそう大した山でもない

山にはみかん山がほとんどだが、原生林などはほとんど無い

どちらかと言うと悪がきだった私が小使い銭かせぎをしていたのが

春の雉の卵取り!

みかん山のみかんを収穫するとみかん山へは誰も行かなくなり

除草剤を撒いているみかんの木の根元には草は生えてないのだが

周りには草が枯れた状態で茂っている

そこには春になると雉が卵を産むのだ詰まり雉の巣になる

産んだ後の雉のメスは人間がそばを通っても逃げようとせず卵を温めている

卵の数は決まって七個、ふたつ取ると次の日には又七個になっている

それを二回に決めそーっと取る

それを町外れにある養鶏場で孵化させてもらうのである

鳥はすぐに大きくなり三ヶ月もすると成鳥になる、それは鶏も一緒!

雉を成鳥にして料理屋が使っている養鶏場に売るのである

これはかなりの金額になるのだが、育てている内に雉がなついてしまい

別れがつらくなるのも事実!

雉と言う鳥は何でも食べるつまり雑食である

トンボから蛇まで食べるのである

山の中腹などに良くあるサツマイモ畑など雉が足で土を掘り

サツマイモを食べた後を良く見る

山道を歩いていると道でばったり会った事も何度かあり

野生の雉の美しさに見とれていたものだ

雉は空を飛ぶのは苦手なのだが走るのは早い!

ハンターに狙われるのは犬を雉の居るところに走らせ

驚いた雉は真上に飛び上がる習性がありそこを狙われるのである

( 銃で撃つ場合、下から上は打ちやすいが上から下は中々に難しい!)

雉は他の鳥のように水平に飛ぶ事ができず

ほとんどが滑空上体で飛ぶのである

つまり山の上から下まで滑空するのである

それでも急降下は出来ず

ゆっくりと滑降する

狙いやすい鳥なのだ!

食はと言うとすき焼き風に食べるのだが

一番美味しいのは残りの汁をご飯に掛ける“ぶっかけ”

これを食べると癖になる

それを味わうと初めの肉などには箸は進まず

食べた後の“ぶっかけ”を楽しむようになる。

4月26日気ままに更新

次回5月10日更新予定!

 

 

 

 

 

 

高三、レンターカー全壊!

この時期、私たちの間では車の免許を取るのが流行っていた!

私は既に自動二輪免許は取得していたのだが

( 車と言っても軽四免許!)

父親に無理を言って免許を取得したのだ!

でも現在の様に料金も高くは無く簡単な物だったのを覚えている

その内悪友達も次々と免許を取得するのだが

さすがに車を買うまでには至らなかったのだが

でも私たち悪友の中にホテル( 観光旅館!)の息子!

( この息子は私が書き下ろしている“ごんたくれ”の

中にもよく出てくる奴!)

さすがに車を買うのは無理なのだが

或る日、レンターカーを借りてドライブに行こうと言う事になった

街のニホンレンターカーヘ行き車を借りることに成功!

四人乗りに対し男三人、女二人の合計五人の同乗となる

( 結構乗れるものである!)

車はエンジン音を響かせてスムーズな走り!

時期は秋口、( この頃車( 軽四!)等にはエアコンは付いていない!)

でも風がすごく心地いい!

行く先は渓谷へ行く予定!

今で言う紅葉狩り。

街中を抜け河川の土手沿いを走る!

一時間ほど走った頃だっただろうか?

車が土手の切れ目から落ちた!

高さは8〜10m有っただろうか?

私たち全員気を失っていて気が付いた時には車の前のライトが

前を向いていたのだ( 運転席側!)

でも全員、かすり傷程度!

車は大破。

昨日まではこの土手の道は続いていたのだが

10m程土手は削られていた。

土手に橋を渡し下に道を作ると言う事は後で判った事なのだが

私たちは少し歩いて公衆電話からレンタカー屋へ電話!

( 保険は入っている、車は乗り捨てOK!)

ただ車の乗り捨て場所だけは伝なければならない

車を回収した時は吃驚したと思う!

その後私たち悪友は二度とその系列のレンタカー屋では

二度と車を借りることは出来なかった。

( でも他の悪友の名前ではOKだった!)

4月16日気ままに更新

次回4月26日更新予定!

 

 

 

 

 

 

小使い銭稼ぎ、パート2!蛇、

梅雨が終わると山桃の木の近くに手作りの土管を土に埋める

瀬戸物の土管だが片一方を閉じる(ビニール袋を針金で留める!)

そしてもう片一方口の上に少し切り込みを入れる

ちょうど鰻の地獄漁と同じなのだが水の中と土の中の違いがある

入るには入れるが出られない仕掛けになっている

それを作ると土を少し掘り埋めるのだ

何を捕るのか?

蛇である

それも目指すはマムシなのである

山桃の木の近くにはマムシが集まると昔からの言い伝えがある

確かにマムシは居るのである

シマヘビなど色々な蛇も入っているがマムシは見れば判る

それじゃあそのマムシをどうするのか?

漢方屋へ売りに行くのである

繁華街商店街の中ほどに漢方屋はあり店の入り口にはガラスケースに

入っているマムシは蛇だまになって一つの固まりになっている

マムシは一匹3000円位で買ってくれるのだ

このとき一番危ないのはかまれる事、猛毒なのだ!

土管を掘り起こし蛇を出すのだが、季節は秋!

蛇は半冬眠状態、動きは悪い!

小さい木の枝が又になっているのを切って来てその枝で

クビを押さえ込み頭を掴んでビンに入れて持ってゆくのだ

他の蛇に用は無い!

面白かったのは少し大きめのビンに入れて家に置いていた事があり

物置に置いていたのを春まで忘れていたのだが

何と親の腹を食い破りミミズくらいの子供が生まれていた

えさも判らないので話してやった事がある

小さくてもマムシなのだが家庭で飼う事はできない

一度かまれた人を見た事があるがマムシだって何もしない人を

噛んだりはしない( 踏んだらしい!)

足の先からマムシの毒で足が黒く変色していた

足の根元をバンドで縛り救急車で運ばれていったのを覚えている

兎に角捕まえるときが一番危ないのだ

頭を抑え始めに牙を小枝で折ってしまうのだ

そうすれば噛まれても大丈夫なのだ

4月5日気ままに更新

次回4月15日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高二、高額アルバイト!

高1のときはアルバイトなど考えた事などないのだが

二年生になると卒業して行く先輩からバイトの引継ぎがあった

それは先輩が自分が気に入った後輩に対し自分なりの気持ちで

帽子とバイトを譲り受ける!

そのバイトには条件があってバイクの免許とバイクを持っているのが

条件と言う事なのだ

何をするのか?

それは山の山頂部にある高圧鉄塔の下の草刈なのである

草刈機を背中に背負い、水タンクとジョーゴ!

そして除草剤を持ち山道を登る!

バイクも普通のバイクでは無理!

( 私のバイクはホンダCL250CCなのだ車体が高い!)

現地に着くと先ずポラロイドで写真を撮る

( 現地状況!)

その後草刈機で草を刈る!

草を刈った後、除草剤を水で薄め刈った後に撒くのである

全ての作業が終わると小さな黒板に現場番号を記入して

証拠写真を撮る!

このバイトなのだが、毎日と言うわけには行かないが

月に4回、つまり日曜日の作業なのだがかなりの額になる

一回5000円、月四回で二万円になる!

この時代、月二万円と言えば大変な額なのだ

中卒の初任給が一万五千円くらいな時なのだ

高校の授業料でも高いほうなのだ( 私立高校月4600円!)

一日に一現場、早く出発すれば早く終わる!

そうすれば後の時間は遊べるのである

私の場合、特待生なので授業料は無料( 親は知らない!)

バイトのお金と授業料をごまかしているお金で高校生活は

お金に困る事はなかった

3月22日気ままに更新

次回4月5日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

鴨撃ち、親父をドボン!

この日は親父と一緒に、鴨撃ちに同行!

私の横には、我が家の愛犬ジャーニーがいた( ジャーニーはポインター犬

つまり猟犬、既に訓練は受けていて猟犬としての動きは凄かった!)

( このジャーニーは私がイギリスから買い求めて親父にプレゼントした

犬だった、まだジャーニーが小さな頃で、一度会っただけ、あれから

8〜9年の歳月が流れていたのだが、私の手を舐め匂いを嗅ぐと私を

思い出した様で、嬉しそうに尻尾を振っていたのを思い出す!)

鴨撃ちは朝が早い、そのため深夜のうちに猟場へ着くようにする

腹ごしらえをして撃つための準備をする( この時はまだ弾は装てんして

いない!)

少しだけ薄明るくなって来る頃、かもの寝床の池の隅に陣取る!

この時初めて弾を装てんする

私に渡された銃は、上下二連MG社製、親父が持っている銃は

レミントン社製、水平二連、弾は銃に入っている他十発貰い持っている

連発うちをしょうと思っている!

他の人たちも集まりだした、私たちを入れて八人くらい!

夜が明ける少し前、コーンという音を皮切りに鴨たちは一斉に飛び立つ!

ジーっとしていれば良いものを驚きの為なのか、危険だと思ったのか

一斉に飛び出す!

それを私たちが狙い撃ちする!

私は銃の許可書は持っては居ないが、撃ち慣れしている為、流し打ちをする

( 引き金を引きながら右から左へと流す、すると散弾の弾は広範囲に

広がるのだ!)( ほ〜お前何処でそんな撃ち方を覚えて来たんだ!)と

不思議がっているのだが、それに対しての答えは言っていない

私の場合、合計十二発の弾を撃ち尽すのにそう時間は掛からない

弾の行方を見届けていたのだ、十六羽の鴨が落ちている筈なのだ

空を見ると、鴨たちは遠くの空を飛んでいた

この時親父はジャーニーにGO!と言うのだ( ジャーニーは英語しか

判らない!)エ!っと私は思った、薄氷が張っている池の中に

入り泳いで落ちた鴨を取って来いと言うのだ!

私は( お前が取って来い!)と親父を池の中に突き落とした

親父は薄氷の張った池へドボン!

親父は( 二度とお前とは猟には行かん!)と言っていた

結局、この日撃ち落した鴨はボートで取り込み、親父は車の中で

着替えたのは言うまでも無いが、親父が言うのは獲物を取ってくるのが

ジャーニーの仕事、そして本能と言い切る!

親父はジャーニーを決して家の中へ入れたりはしない

キチンとジャーニーとの線を引いているのだ( これには頭が下がった!)

でもジャーニーの為には、防ヒラリア対策に金を使い

ジャーニーの食事にも気を使っていた、本来は優しい親父だったのだ

そんな親父が死去した後、ジャーニーは後を追うように死んで行った

ジャーニーの墓は、親父の墓の横に作り、あの世でも親父と一緒に

猟をしているんじゃあないだろうか?

私の夢の中に出てきた親父はジャーニーを船に乗せ、三途の川の船頭を

していたのだ、そしてそのジャーニーの横には私たち夫婦が

可愛がっていた鳥たちも一緒に居て、この夢を見る度、私は夢の中で

泣いているのだ。

3月7日気ままに更新

次回3月22日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

高二、人命救助!

この頃はよく母方の親類の家へ遊びに行っていたのだが

汽車で一時間半くらい( その地は蜂須賀家の城下町、水の都とまで

言われている

遠くは石鎚山からの水が流れ込み水の都と言われていた

家の横には小さな小川が流れ人々は野菜やスイカ、ビール等を冷やしていた

町を歩いてもきれいな水があちこちで流れていた

そんな街での事、

川の名前は知らないが、その川の横を歩いていた時の事!

川の水面にはサヨリが泳いでいた( 海が近いのが判る河口だろう!)

その時一人の男の子が上流から流されてきた

泳いでいるのではないことはすぐに判った季節は春!

そして男の子は服を着ている

サヨリが泳いでいると言う事は、この橋下は汽水域!

そしてその先は海だろう事は判る

流れは速い( 海に流れていると言う事は引き潮!)

私は河の土手伝いに走る!( 川に入る場所を探しているのだ!)

すると、石の階段を発見!

学生服を脱ぎ捨て川に飛び込み男の子を掴んだ!

水深はというと足を伸ばすと深さがあり足が付かない

男の子は必死に私にしがみついていて声も出せないで居る

この時点では川の流れが少し緩まったのを見て私は一度沈み

川の底を蹴ることを思いついた、男の子を掴んだまま斜めに

川の底を蹴る二度繰り交わすと岸は近くになっていた

男の子を離し岸へ押しやる、岸では漁師らしき年寄りが竹竿を

伸ばしていた男の子は竹竿を掴んだ!

それを見て私は岸へと泳いだ、岸へ上がると男の子は寒さに震え

口から水を吐いていた、近所の人だろうか?

何人かが寄ってきてバスタオルを私に渡してくれ

私はズボンを脱ぎパンツ一枚になりバスタオルで身体を拭き

学生服を着た、パンツ一枚になっていたので寒さを感じ

バスタオルを腰に巻いた、すると漁師だろうか初老の叔父さんが

家に来て温まれといってくれ、漁師の叔父さんの家へ行き暖を取った

流されていた男の子が、アレからどうしたのか、どうなったのかは

知る由も無かったが、水を吐き出していたことも有り

大丈夫だと思う

そして世話になった、漁師の家を出る時名前を聞かせてくれと

言われたのだが、名前を告げず漁師の家を後にした。

2月22日気ままに更新

次回3月8日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

ドスで刺され二週間!

この頃、他校とのトラブル( 喧嘩!)が相次いでいた頃の話

ボクシングで少し有名になり喧嘩などしても相手はいなかったのだが

やはり悪がきの考える事、たかが知れている

“あいつをやれば俺の方が箔が付く”これなのである!

ある日の雨の日、傘をさして下駄を履き友人宅へ向かう途中!

呼び止められ、振り向きざまに下腹部を刺された

( 恥骨の少し上!)

その瞬間、膝から崩れ落ちた。

不思議に痛みもなく力が抜けてストン!と

崩れるのだ( 意識外!)

前に倒れこまず暫くじ〜っとしていたのだが下腹が痛む!

傷口を見てみると白いものが出てきている、腸だ!

私は傷口から出ている腸を指で押し込みそのまま指で塞いだ

すると三本の指が第一関節まで傷口に入っていった。

“出血している、早く病院へ行かないと”

このとき馬鹿なのは公衆電話で119番すりゃあ良かったのだが

そうすると刺した相手は逮捕され大騒ぎとなるのである。

私は自宅へ帰り保険証を取りに行きその足で近くの病院へ

この間下駄は血でヌルヌルになり歩きにくいので

運動靴に履き替えていたのだが、運動靴は血でぐっしょりに

なったのを覚えている

病院の受付に保険証を出した途端、倒れこんだ!

記憶にあるのは此処までで、意識を取り戻したのは手術も終了して

病室に運ばれていた。

意識を取り戻しベッドの横を見ると刑事が二人立っていた

“誰に刺された?”

この事である。

私は悪まで“事故だ”転んだ弾みに何かでグさっと来た”

これで通した、被害届や刑事事件にならないよう

この事だけを必死に言った

この事が公になると言う事は、私の学校にも迷惑がかかり

私が所属しているボクシング部にも迷惑が掛かるので

学校やボクシング部へは盲腸と届け出た!

今も傷跡を見る度、あの日の事を思い出す。

傷は三針、でも刺された事より看護婦に言われた事!

(何で救急車呼ばなかったの?もう少し遅れていたら

出血多量で死んでいたよ!)

( それも傷口に指を突っ込んで!)といわれた事!

医者もあきれていたが、この医者は親父の友人で何かと面倒を見てくれた

そして親父はと言うと一度も見舞いに来なかった

退院時も後で親父が入院費も払う事を知っているのだろう

何の手続きや薬も無かったのである

古きよき時代なのだろうか?

何年か経って友人や知人にその事を言うと飽きれていた

でもその時、もう少し上を刺されていたら腸が裂け命は

危なかったと医者は言った。

2月8日気ままに更新

次回2月22日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

修学旅行編!

高校生の時の修学旅行は本当は行きたくなかった

そのお金で皆でワイワイ騒いでいた方がいいと思って居たのだが

親としては一生に一度のことだしと言いお金を出してくれたのだ

でも私としてはバスには酔う事は判っていたしクラスメートも半々で

参加しない

でも何とか行く事にはなったのだが、気が重かった

行き先は東京!

何で東京なのか良く判らなかったが、汽車に乗り東京へと向った

時間は九時間以上掛かるのだ、それを考えただけでもたまらない

長い時間汽車に乗り東京に着くとバスに乗り換えるそれを聞いただけでも

嫌になる

バスに乗ったのは良いが何処をどう行ったのか

何処へ行ったのか全然覚えていない

殆んどバスの中で寝ていたのだ、晩飯を食い終わると外へ遊びに行き

門限までには帰ってきて点呼が終わると部屋に帰り

私服に着替えて夜の街へその繰り返しで

昼間は寝ている( 朝飯もろくに食べていない!)

だから何処をどう行き何処を見学したのか全くと言って良いほど

覚えていない

ただよく酒を飲みに行ったのだけは覚えている

うっすら覚えているのが静岡の日本平くらいなもの生まれて初めて

富士山を見たのを記憶している

その他日光東照宮等覚えてない

ただ忘れられないのが東京駅で解散という事だった

お金も使い果たしどうする事も出来ない

誰一人東京駅解散の話は聞いていないし

理解していないのである、( 大体人の話を聞いていない!)

残されたのは何時ものワル仲間四人組!置き去りにされてしまった

自宅というか郷里まで帰るには、東京からだと時間もお金も凄く掛かる

どうしょうかと考えた末に

ホテルの息子が親に電話して郵便為替で送ってもらう事を

親から言われその方法があったのかと家に電話する

その夜は生まれて初めてキャバレーへ行った

そして気が付くと持ち金は又もや

底を着いていた、何度も家にお金を送ってくれとは言えない

私達はホテルの息子に頼む事になった

( この男には社会人の彼女が居るのだ、自分の親が経営しているホテルの

電話交換士!)

その事は誰もが知っていた、息子は向こう払いの電話をして

彼女に話しお金を送ってもらう事に成功!

今度は汽車の切符を先に買い遊ぶ事にしたのだが金を受け取る度に宿泊!

結局、自宅に帰ったのは三日後!

学校の授業は始まっていた。

1月25日気ままに更新

次回2月8日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

島で合宿、七+七+七!

何で合宿で七+七+七なのか意味が判らないと思う!

それは初めの予定を越えてしまった日数なのであるが

始めは一週間の予定だったものが

一週間伸びそして次の一週間と伸びてしまい三週間にもなってしまったのだ

一週間の予定で学校側には届けを出していたのだ

( 合宿の場合届けが居るのだ、学校側もある程度の予算も出る!)

ことの始まりは主将である

主将が島の売店でアルバイトをしている女学生に一目惚れしてしまい

もう一週間延長するぞ〜の一声で決まった事なのでは有るが

延長の事を学校側に伝えに行くのはマネージヤー

( 島の合宿と言っても港から島までは三十分、港から学校までは

十五分の距離!)

その結果、学校側はOK!予算も増額、資金も貰ってきたと言う

( 私たちの部は国体で準優勝、私と三年の先輩は個人最優秀賞を取っていて学校側も自慢物だったのだ断れる事は無いと先輩たちは言っていた!)

この合宿の可笑しい所は、同じ一年生の奴が農家の息子なのを良い事に

米を持って来いと言っていたのだが、その農家の息子は米一俵を

持って来たのだ、それも二人、何人分の米なのか判らなくなってしまう

その結果、余った米を同学校から合宿に来ている

クラブの奴に売り付ける事にした

売り付けるのは三年生、誰も文句等言えない!

半強制的とも言えるのだが、他のキャンプをしている人達は中々の好評だった、何たって安いのだ値段なんてあってない様なもなのだ

そりゃあそうだろう基は只なのだから

可愛い女の子にはもっと安くしていた

そして一年生は、練習が終わると海に潜り魚を取ったり

貝を取ったりと忙しい

この時私は一年生だったが私は免除だったのだが

私は好きで海に潜っていた

私は苦にならなかったのだが、他の奴らは大変だったと思う

私も幾らなんでも何時までも島に居続ける訳にもいかず主将に申し入れ

自宅に帰った

私にはガールフレンドが居たのだ、私達は男ばかりの学校

彼女は女ばかりの学校!

でも彼女バレー部に入っていた事がきっかけで二日後同じ島へ

合宿に来るというのだ

「 それだけこの島はキャンプ場としては有名なのだ!」

夜になれば彼女と二人きりになれる、私はそう思った

案の定次の日、彼女達バレー部の連中が入ってきた

前もって彼女とは待ち合わせ場所は

打ち合わせ済み、うるさい親も居ない門限もあってないようなものだ

( 彼女の家は金物屋を経営していたのだがとに角門限がうるさい

そりやあそうだろう今考えて見ると十七歳の娘が深夜まで遊んで良いと

親は言わないだろう!)

この夏は最高だった深夜から夜明けまで彼女と二人っきりで居られた

先輩に感謝したが

その先輩は上手く行かず苦い一夏の恋で終わったようだった。

1月12日気ままに更新

次回1月25日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

高2、不動産屋の息子!

ソフトボールのクラス別試合の日の事、広い運動場では四箇所で

ソフトボールをしている。

そのソフトボールの試合での出来事!

ボールはフライ!

つまり高く上っている、誰が見てもアウト!

平凡なフライなのだ、玉は見えている

その時、誰かが叫んだ!( お〜い00あぶないぞ〜)つと!

彼はその時まで頭の上に構えていたグローブと手を腰の後ろに隠した!

次の瞬間、ボールは彼の顔に直撃!

彼の顔に当たってしまい彼の鼻からは出血!

皆大笑いしたのだが、彼は頭を掻いていた

この男以前にも書いた男なのだが、そうです遠足の時の事です

湖に行ってボートに乗り水を出した男なのです

水を出せといったのだがボートの栓をはずし水を出した彼だ!

この彼、家は金持ち!

元々百姓だったらしいが、彼の家の近くを道路が通る事なり

そのついでに百姓を止め不動産を始めたらしいく土地は元々かなり有り

始めは建売りを始めたらしいのだが、それが当たり続いて借家を建て

百姓から一気にお金持ち!( これは彼の言葉!)

彼は毎日大きなベンツで送り向かいされていた

少しアメリカンな彼は、何時もお金を持っていて

お小使いを私にくれるのである。

こちらからくれと言った覚えはないのだが何故なのかわからない

とても高校へなどいける男ではないのだが、私の高校は私立!

お金で何とでも成るのだ。

彼はおとなしく真面目な男なのだが、黙っていると男前の方である

若い頃の勝新( 勝新太郎!)に似ているのだ

身体はがっちりしていなくて少しデブ!

運動神経は全く無し( 私たちのクラスは劣等性クラス、進学の為には

運動部に入るしか方法がないのだが?)

彼の場合は少し違っていた、高校に対して寄付金が物凄く

高校側も心得たもので黙って進級させていたのだ

そして一年から三年まで同じクラスなのだ?

その事を彼に聞いてみると一年生の時、他のクラスの生徒にいじめられて

いたのを私が助けそれから三年間同じクラスにしてもらったという

兎に角、お金しだいでどうにでもなる学校だ。

でも中には同じ高校を出て定時制の大学へ行って検事に成っている奴もいる

1月3日気ままに更新

次回1月12日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

高校編、死んだバイク野郎!

彼は十七歳の若さで死んでしまった

この頃、私たちの田舎では空港の離着陸は夜の20:00が

最終でその後はライトも消すので真っ暗になる

一直線の滑走路は、私たちバイク野郎の絶好の遊び場だった!

フルスピードが出せるのだ

毎晩、毎晩バイクを乗り入れてのレース、道路( 滑走路!)は良いし

最高の飛ばし場所

この日集まった仲間は7台!

私は高校生だが、働いている奴も居る、つまり社会人

この頃のバイクではヘルメットも被らなくて良い時代なのだ

免許証だって蛇腹になっていて、白バイに捕まるとスタンプを

押されるようになっているのだが!

「 お前、免許証にこれ以上スタンプ押す所ないじゃあないか!

もうええわ〜!」と

許してくれた事も二度三度ではない

罰金なんて無い時代! 古きよき時代なのだ、ガソリンも

今の様に高くは無い

500円も有れば何とかなるそんな時代!

この日も集まったバイク野郎は自分のバイクの自慢をするのが何時もの事

直線コースで最高で何キロ出るのか競うのだが

滑走路の端から走って防波堤の手前で

停める!「 手前つまり防波堤の手前には有刺鉄線の柵がある 」

一直線を走るのだからそんなに危険は無い!

私は三番目に走る事になり、この日の記録とまでは行かなかったが

180キロ位は軽く出ていた、

スピードに満足して元に戻る為バイクをゆっくりと滑走路の

端を走らせていると

次のバイクが走って来る、かなりのスピードで私の前を走り過ぎる!

その時バイクを走らせていた男が叫んだ

「 ブレーキが利かん!」え!

私は自分の耳を疑った、走るバイクに目をやるとバイクは闇の中を一直線!

バックランプが小さくなり視界から消えようとしたその瞬間

轟音と共にバイクは消えた

有刺鉄線を突き破り防波堤に激突!

その反動でバイクは防波堤の向こうの海へ落下

バイク野郎全員が自分のバイクを走らせ現場へ向う

海を見つめバイク野郎を探すが暗くて見えない

一人の奴が「 警察へ電話して来る!」と

バイクを走らせた、暫くするとパトカーが四台駆けつけてきた

警官たちは懐中電灯を付け海を捜すがとても無理とわかると

無線で海上保安庁に連絡

保安庁は近くに有るので直ぐに来た、三艘の船でライトをつけ捜した結果!

海に浮いている男の遺体を発見!

彼の遺体は一応病院へ搬送されたのだが既に死亡が確認された、

この後警察署で事情を聞かれたのだが、事故と判り帰された

彼の乗っていたバイクを後日引き上げる事になり私達も立ち会ったのだが

不思議な事にダンクの所が二つへこんでいた

丁度男の金玉の場所に当たる所なのだが

まさか? と皆は言っていた

この事件がきっかけで空港は夜間完全に閉め出し! 

立ち入り禁止になった他

再度、私たちは警察で事情聴取となり、こってり油を絞られた。

12月23日気ままに更新!

次回2009年1月3日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

陸軍中野学校出身!

剣道の先公の中に陸軍中野学校出身の先公がいた

( 陸軍中野学校と言えば日本のスパイ養成学校なのだが!)

私が高一のときは数学を教えていて( 三年生!)

私とは出会わなかったのだが、この先公の事は先輩からも聞いていた

私の学校では、週一時間だけ武道の授業があり

剣道か柔道のどちらかを選ばなくてはならないのだ!

私は柔道より剣道のほうが得意( 剣術指南役を取得している!)

でも私がボクシングをしている事から剣道は拒否された

剣道の癖が出て足がそろう事になり倒れやすいのだそうだ

( その意味としては良くわからないのだが!)

とにかく剣道は止め柔道を選んだのだが、陸軍中野学校を卒業した

剣道の先公と一度手合わせをしてみたかったのだ!

そのチャンスは二年生のとき訪れた。

この先公は私の父親の事を誰かに聞いたのかどうだか判らないが

ある日の昼休み私の教室を訪れてきた!

( 君が00君か?一度手合わせをして欲しい!)と言うのだ

次の授業は数学、聴いていても判らない、どうせ寝るだけである

そして数学の先公は担任なのである。

その尋ねて来た中野学校出身の先公は担任に話しをして承諾を

貰っていると言う!

自分自身興味も有り二つ返事で承諾した

でも私には剣道の防具はないと言う事も判っているらしく

先公のほうで用意するらしいのだ

静まり返った剣道場、居るのは先公と二人だけ

( この日この時間の武道の時間である剣道の授業はないらしい!)

防具を付け面をかぶり剣道場へ入るとそこには既に先公が正座していた

( 来たね!)と優しい言葉が返ってきた!

( それでは始めよう!)と向かい合い竹刀を構えた!

私は面の奥の先公を見たのだが先公の目は面の奥で光って見えた

次の瞬間!

先公の竹刀が私の頭の上をかすめた、風を切る音が凄い!

それは何とか交わしたが鋭い竹刀捌きでは有り

さすがに四段だけの事はあると思った。

結局、手合わせは三十分ほど続き、私の方が何本か取られたのは

言うまでも無かった。

汗びっしょりのなった私に先公は( シャワーを浴びると良いよ!)と

言ってくれ( さすがに首切りの剣だね!)と一言!

後日、父親に聞いたのだが、この先公は父親と交流があり

よく酒を一緒に飲んでいるらしく聞くと先公の流派は小野派一刀流とか

でもその事が判ると以後先公との会話も始まり

父親を訪ねてよく家にも遊びに来るようになり

父親とは弟子のような付き合いだった。

12月14日気ままに更新

次回12月23日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校編、クラスメート3、牛売り!

今から書く男は同級生、クラスメートなのだが家業が農家!

農家といっても米作りと酪農である

田んぼは二丁も有ると言うでも普通の家庭の人間に一丁、

二丁と言われてもピンと

来ないだろうが、一度二反の田んぼを見た事があるが凄く広い

( 一反で約百坪ある計算だ! 十反で一丁になる! )

彼の家は何代も続く農家なのだが、米を作り牛も何十頭も飼っている

彼の家で飼っている牛は乳牛では無く殆んどが肉牛なのである

兄弟は居なく彼一人だけなのだが、家の中はにぎやかなのだ

両親と祖父母、二組がいてその他使用人が四人居る

一度晩御飯を呼ばれた事があるが、賑やかなものである

この彼がお金に困ると( 小使い! )色々な事を始める

先ずは家の米を持ち出し米屋に売り野菜等は市場へ出さず

勝手に八百屋へ売るのだ

親たちはそんな事がわかっても又かと言った具合で怒りもしないのだ

でもこの男、親にこっぴどく怒られた事があった

その為、家出をして私の部屋に転がり込んできたのだ

何で親に怒られ家を飛び出したのか、理由を聞いて吃驚した

何と彼は、自分家で飼っている牛を勝手に売り飛ばしたのである

その牛を売り飛ばして得たお金はどうしたのかと言うと、

そのお金でバイクを買ったのだ

彼もバイクが欲しかったらしい

私の場合は高校へ行ってやるからバイクを買ってくれと頼み

親父がシブシブ買って

くれたのだが( ホンダCL250CCバイク! )

その当時でも三十五万円はしたと思う

彼も牛を売ったお金でバイクを買ったのだ、バイクを買っても

お金は残ったと言う

残ったお金は彼の逃亡資金!( 私の部屋で居候の為と小使いに変身! )

彼は私の部屋に三ヶ月は居候したのだが、

彼は一人息子!

親は心配して私の家にも電話してきたらしいが、私の場合、親とは別棟!

誰が止まりに来ようが、親には判らないのである

でも私の部屋の下には私のバイクと彼の買ったばかりのバイクが

置いていたのだが

そんな彼も三ヵ月後に自宅に帰ったのだが、親に許してもらい

私の事を話したのだろう! 彼の親が御礼に来たらしいが、

私の親は何の事だか

判らなかったらしいが、この事を親に話すには時間が掛かった

この事で彼とは、親友と言える仲になったのだが、

私の親はこの男が来るたびに

笑っていた、今度は何を売るのかねえ〜とは母親の言葉!

12月4日気ままに更新

次回12月14日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

高1、親友!

彼は寮生だった、同じ劣等性クラスなのだが入学初日から何か気が合い

話すようになった、彼は同じ愛媛県でも外れで高知県に近い

彼は陸上部に所属していたのだが私と仲良くなると同じボクシング部へ

入部した

運動神経は抜群!

スパニング( 練習試合!)する際も、負けそうに成るくらいなのだ

練習がない時は、私の家にも遊びに来て二人で色々と遊びまわっていた

彼が街頭募金をしていたミッション系の女学生に声を掛け

デートの約束をしたのだが、行けなくなり

私が代理でデートをしたこともある

そんな彼、夏休みが終わり登校した私に挨拶をしに来た?

何がどうなのか?

今更と思っていたのだが、その挨拶が彼が退学していく最後の挨拶だった

後日、彼の口から聞いた事に私は吃驚した。

彼は夏休みに入っても自宅に帰らなかったのだ!

寮生は夏休みになるとほとんどが帰郷する

( 運動部はお盆まで!)

彼は帰らなかったのだ、それでは何処にいたのか?

彼のいとこがいる家にいたのだ( つまりおばさんの家!)

そのおばさんの家へ行く途中、女子高の寮があるのだが

その事が彼を退学へと引き込んでしまった事件だった

学校開校以来前代身分の出来事、( それは両校共である!)

その事件とは、彼は夜道をおばさんの家へと歩いていたのだが

女子高の寮の前を通ると部屋の中には電機が点いていて

女子高生の姿が見えた彼は声を掛けた( 降りておいでよ!)と

すると女子高生は( 上っておいでよ!)との声、既に消灯は過ぎていて

寮の管理人である先生が回ってくる事はなく部屋は二人部屋なのだが

彼は壁をよじ登り彼女の部屋へ

二人で布団に潜り込んでセックスを楽しんだ!

それも毎晩である。

当然、女子寮である噂になり寮で管理をしている先生の耳にも入り

彼と彼女が布団に潜り込みセックスの最中、現場を押さえられた!

女子高にしてみても前代身分の出来事!

後で彼に聞いたのだが彼女は私の中学の先輩!

つまり寮に入るほど家は遠くなく、親が手に余り寮へ入れたらしく

その彼女の事は私も知っていた。

処分としては両者退学、彼女の方は退学後、芸者の道へ

彼は実家へ帰り土木業をしている父親を手伝いをしていた

高2の時、夏休みに入ると彼を訪ね一ヶ月程彼の家で過ごしたが

今はいい思い出である

その後私は日本を出て彼との交流は無くなったが、日本へ帰って来て

彼が父親のあとを継ぎ土木業をしている事が判り

嬉しく思っている。

11月25日気ままに更新

次回12月4日更新予定

 

 

 

 

 

 

 

 

高校編、クラスメート2、牛乳編!

この人間は苦労人!

先輩が三年間していたアルバイトを引き継いだのだが、

始めは嫌々だったとか

先輩の言う事は絶対聞かねば成らない

( これが体育会系の悲しい所である!)

それも牛乳配達!牛乳配達は一本二本なら何とも無いが五十、

百とも数になれば大変だ!

彼が配達しているのは百本弱!

朝は早く四時には家を出なくてはならない、それぐらいに出ないと

間に合わないのだ

彼は真面目に配達しているらしいのだが、彼の可笑しい所は自分が

配達しているエリアに

他のメーカーの牛乳があると全部盗み朝学校へ持ってくるのだ

月契約までする始末なのである

私たちの時代、牛乳はそんなに高くは無いのだが、

彼が契約しているのは一月つまり

週六本として( 登校日のみ!)月に大体二十四〜五本になる

月契約で千円!契約者は私を入れて十五人、つまり彼は毎日十五本に牛乳

( 他のメーカー、彼が配達しているのは森永なので私達が飲むのは

明治か雪印と言う事になるのだがそれをバッグに入れて

学校へ持ってくる

月にすれば良い金になる十五×千円で一万五千円になる

牛乳配達しても一万五千円は貰えない、

この時の学校の授業料は四千六百円!

学食でうどんが三十五円、中華そばが四十五円の時代なのであるが

( これはあくまで学食!)

月一万五千円は大きい!

彼はそれを見付からないように三年間遣り通した、

その事が立派なのかどうかは別にしてよく続いたなあ〜と思う!

そしてクラスメートは彼の事を牛乳屋と言う様になった

先公としては何故彼が牛乳屋と言うニックネームで呼ばれているのか

不思議がってはいたのだが最後までその事はわからなかった

私は一度彼に聞いた事があるが、牛乳を毎日同じところで取ると、

ばれるだろうと聞いた

事があるのだが、彼が言うには今日は此処、

明日は此処と考えているらしい

とに角一日、十五本しか盗まない、そして彼はついでにスポーツ新聞や

読売新聞を持って来てくれるのだ、

これは有り難かった、休み時間クラスメートが廻し読みしていた、

その頃はプロレス等が

流行っていた頃なので夜の番組はバッチリ!

中々の重宝者であった

そんな彼は高校を卒業後夜間大学を経て就職をしたのは新聞社の

記者になっていた

それも警察署付けの記者らしい、記者クラブと言うらしいが、

( 俺もやっと記者クラブと

いう名のクラブに入れたよ、高校時代は家が貧しくてクラブには

入れなかったのだけど!)

と言ったそう言えば彼も運動部に所属していない一人だった。

11月13日気ままに更新

次回11月22日更新予定!

 

 

 

 

 

 

高校編、合宿、打ち上げ事件!

夏の合宿も終わり全員ですき焼きパーティでもしようかと言う話で

始まった出来事!

集合場所は運動場の真ん中、集合時間は三時間後、

つまりは二十一時になる

時間も決まり解散!材料は各自持参、持ち込み何でも可!

でもこの時の調達は限られていた、夏の終わりではあるが田圃の中に

ある学校の運動場、何をどう調達いいのか判らずとに角解散して考える

私の場合、三時間もあれば自宅への往復は可能な為、

自転車を借り自宅へと急いだ

倉庫を捜すと酒とビールを発見!

酒二本とビール一ケースゲット!

早速自転車の荷台へくくりつけ学校へと急いだ

少し遅かったのか既にパーティは始まっていた、

私が持って来た酒とビールを見ると

「 オー気が利くなあ〜!」と喜んでくれ酒を開けビールを注いで

宴は始まった

皆の座っている中心にはブロックを横にしたその上にはすき焼き

もどきのようだが

美味しそうな臭いがしてくる、鶏肉、牛肉、野菜なんでも有る

この時には先輩も後輩も無く楽しい時間が流れ宴が終わったのは

夜明け近くになり解散したのだが

何もかもほったらかしにしてしまったのだ

それだけだったら用務員が片付けるだろうし何の事は無かったのだが!

二日後、学校も始まり退屈な時間が来たと思っていた、

始業式も終わり教室に入ると

校内放送が流れた、その内容とは始めはおかしく腹の底から

大笑いしていたのだが次の放送の後、吐き気と共に体が固まった

一つ目は、誰かトイレの汲み取りのマンホールを外し何処かに持ち去り、

その後に

新聞紙を敷いていた為、用務員が便所に落ちたと言う話だった

この時は腹の底から大笑いしたのだが、この後の話に体が固まった!

「 学校で飼っていた犬のジュンが殺されて足洗い場で解体されていた、」

と言うのだ、発見したのは昨日、と言う事は私達が食べたすき焼きの

肉はジュンと言う事になる

そう言えば、後輩の中に肉屋の息子が居て家業をたまに手伝っていると

聞いた事がある

彼は自分で在日だとも言っていた事が有る、彼ならやるだろうと思った

それは彼の口から聞こうと思っていたのだが、次の瞬間!

もしかしてすき焼きの鉄板鍋は?

そう思うと何か吐き気がしてくる

誰が調達したのか聞き出し本人に聞くと、歩いていたら鉄板があり

持ち上げひっくり返すと肉汁がこぼれないように縁があり

これは良いと持ってきたと言うのだ!

便所の蓋に間違いはなかった、その後近くの農家から鶏が二匹居なくなったと苦情の電話もあったと聞いた今だから言える話だが犬のジユンは

私も可愛がっていたのに餌もよくやっていたのに残念だった、

学校からの追求は無かったが

( 学校側も誰がやったか判っていたと思う!)

11月4日気ままに更新

次回11月13日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

高校編、クラスメート、調達屋その一!

二年生の時の事なのだが、何でも調達してくれる便利な奴がいた!

夏近くになると水泳パンツ( 競技用でも何でも可!)

他に当時流行っていたLP(レコード)等調達してくるのだ、

それも市価の半値!

十分の一の価格なのである、私などは辞書を買うから金をくれと言っても

通らない

教科書も無い持たない奴が辞書はおかしいと思うが

クラスメートたちはその手で親から金を貰い調達屋に頼み段取りして

もらっていた

シャツ等は色柄など注文に応じてくれる

「 私達は彼の言うままにお金を払うのだが彼のしている行動は

万引きだと思うでも誰にも手口や仲間は言わなかった!」

そしてそんな彼は私たちの仲間には入る事はしなかった

授業が終わるとサッと帰ってしまうそんな男なのである、

そしてこの男だけはスポーツ部には所属していない一人だった

( 五人中の中の一人!)

その頃、バック( 肩から背負うバック!)

誰もが欲しくてしょうがなかったのだが、中々手に入らなかったのを

覚えているのだが

この時も彼は段取りしてくれたのである、私の後も俺も俺もと

注文があったのだが

彼はその度、注文に応じていた段取りしているのだ、

何処から段取りするのか誰も知らない彼独自の流通ルートがあるのだろうと

クラスメートは頭をかしげる

この彼、三年間何とか卒業は出来たのだが、その後十年の月日が

流れていたのだが

同窓会の席で彼の職業を聞いて吃驚した

吃驚したのは私だけではなかったようだ、何と彼は警察官になっていたのだ

彼は警察学校を卒業すると地味な鑑識課へ転属を申し込み

鑑識官になったらしい

腕っ節も無く柔剣道等得意な物は無い彼が択んだのは正解だろう

仲間に言われるらしい、本当にあの高校出たのと?

でも彼は鑑識の仕事が気に入っているらしいそんな彼からは後に私が

留置場百八十日に

書いている「 実話、死体無き殺人事件!」で鑑識係官として

捜査したのが彼であり

ルミノール反応とか生活反応の話とかを良く聞いたものである

警察や司法に携わる人たちは捜査の事等は漏らしてはいけない

話してはいけない事になっているのだが、

この彼は酒が入ると口が軽い刑事などにならなくて正解だろうと思う

先輩の勧めで結婚もして子供も一人居る今は幸せだと言う彼!

でも彼は言っていた友達は少ないのだと!

妻もいて子供も居てそれだけで充分だろうと言う!

子供は好きで可愛がっていると言う、

この時彼が施設から学校に通っていたことを聞いた

学校から早く帰って新聞配達や倉庫等のアルバイト等をしていたらしく

そのことには驚いた中々の苦労人だったのだ。

10月26日気ままに更新

次回11月4日更新予定!

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高校編、50×50

50×50の意味は喧嘩の人数なのだが、普通科vs商業科の

喧嘩の人数なのだが

本当の数はこれ以上居たと思う

喧嘩の始まりはほんの些細な事なのであるが

此処まで大きくなってしまったのである

昼休み時間、食事が終わるとグランド( この時は硬式野球のグランド、

この高校は硬式の野球部グランドの他軟式野球部グランド、ラグビー場、

サッカーグランド、テニスコート

十二面、陸上グランド、五十メートルプール、そして柔道場、剣道場、

卓球場、ボクシング場とスポーツにかけては有名校!)

商業科の生徒が肩に当ったと文句を言い、普通化の生徒を殴ってしまった

この事が始まりとなって普通化の生徒の

同クラス五〜六人が商業科の生徒に殴りかかったのである、

それを見ていた商業科のクラスメートも加勢!

そうなるともう収拾が付かなくなり此処に五十対五十と書いたのは

大げさでも何でもなく実際にはもっと居たと思う

この騒動を聞きつけた先公達は自分の自家用車でこの騒動の中に

突っ込み停車させた

両科の生徒は興奮しているのだ、車は蹴られガラスは割られ車は

ボコボコになっている

車の中から先公が飛び出すと両科の生徒達は蜘蛛の子を散らすが如く

其の場から逃げた

運動場には五百〜六百人もの生徒が集まっている

何処の誰だか判らない

「この高校、普通科A〜O迄、つまり十五クラス、

クラス平均四十五人、それが一年〜三年までありつまり

四十五×十五×三、と言う事になる、これが普通科!商業科は、

普通科より少なく十クラスしかないが、その他工業科、

体育科まであるのだ!県下でも有名なマンモス高校!

日本でもそうは無い!」

話の続きはこれからである、喧嘩が収まると今度は先公達は

喧嘩の当事者を探し出した

こう言う事から逃げる事は私にとっては得意なのである

一番に身を隠した何故なら私はボクシング部の特待生なのである

喧嘩等したなら退学!

友人たちは教室には戻らずトイレや自分の所属するクラブの部室に

身を潜めた

でも中にはドン臭い奴等が居て小便をしているのだが、

小便が出ていない

先公が振り向かせると鼻血が出ていたり目にあざが付いていたりと

隠せない物があり

そいつらは補導の先公に連れて行かれた

でも人数が多く本当は謹慎処分なのだが、何事も無かった当事者

( 二人)一週間の謹慎処分、

後は問われなかったのだが私にも喧嘩に加算したのではないかという

先公たちの問い合わせはあったもののそれ以上の追求は無かった

私たちのボクシング部の部長はそれぐらいの事は揉み消すことの出来る

先生なのだ

その点は安心していた( やはり国体に連続出場しているのだから

発言権は或る!)

10月16日気ままに更新

次回10月26日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

高校編、劣等生クラスその一、

ボート事件!

劣等生と書いたのは本当に劣等生だからなのである

私自身、教科書なしノート無し勿論鞄はペッタン鞄の中は

弁当箱だけ弁当が無い日は中には何も入っていない状態

( 理由、私の場合は特待生で勉強をしなくても大丈夫!

テストの時も名前だけ書いていれば適当に点数はくれていたのだ!)

このクラス、「 四十五人中特待はまだ居ると思うのだが

その事については

口止めされている!」勉強嫌いな奴ばかりの集まりで運動さえしていれば

何とか何とかなるので四十五人中

四十人が色々な運動部に所属している

このクラスの奴らは勉強は出来ないが憎めない奴らばかり連帯感と

言うかチームワークは

最高だったので他のクラスでも一目置かれていたので喧嘩等売ってくる

奴等は居なく

楽しい高校生活を送っていた

その中でも忘れられない思い出といえば修学旅行と遠足だがいまでも

思い出すと笑える

事がある、同窓会をすると必ず出て来る話がある

その話とは、遠足の話である

この時の遠足は場所は忘れたが山の中の湖に行った時の事!

中のいい奴らと貸しボートに乗ろうと言う事になりお金を出し合い

ボートに乗ったのだが

ボートのこぎ手は私だった、湖の真ん中に差し掛かった時のことだった

ボートの底を見ると底には少し水が溜まっていた

ボートが進むとチャプンチャプンと足元に掛かるのだ、

それを見た後ろの奴がもう一人の奴にこう言った

「 玉井!( 仮名!)水を出せ!」

その言葉を聞いた玉井はそれを( 仮名!)何を勘違いしたのか

船底に栓をしていた木の栓を足で蹴り栓を外してしまったのだ、

底から水が噴水のように噴出しなん秒もしない内にボートは沈没!

岸まで泳ぐ羽目になってしまったのだが、この時は怒れなかった

呆れた方が勝っていた「 このボートは普段は陸に揚げて木の栓で水を

抜くようにしている!」

この頃は余りお金には不自由していなくて

( 授業料は四千六百円と高かったのだが特待生は授業料は、

免除だという事を親は知らないのだ、それを三年間貫いたのだ!)

遠足の時着て言った学ランは上下オーダーメイドだったのだ

その事よりクリーニングだいが高くついた。

10月7日気ままに更新

次回10月16日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

650gで生まれて!

産まれて来なければよかった、そう思った頃もあった

今は人生折り返し地点まで生き抜いた

死ぬ目には五度もあったのだが、今だ生きている!

私は生まれた時点で死ぬ目にあっている

体重が650g   !

ステーキなど1000gでも食べる人がいるのに?

生まれたとき両親は長男だが生きてはいけないだろうと

出生届を出さなかった。

一年後、この子は大丈夫だと思った親は役所に出生届を提出!

当然、かなりな罰金を取られたと後で聞いた!

これは私の将来にも関わってくるのだが、この頃は絶対手に入らない

粉ミルクを私は飲んでいたのだ、

学校給食では奪取粉乳のミルク、それでも学校など後の話なのだ

この時代、赤ちゃん用の粉ミルクなど日本には存在しない

父親の仕事の関係でアメリカ軍(進駐軍!)から手に入れていたのだ

保育器も何も無い時代、出産は自宅!

産婆さんによる出産( 私を取り上げた産婆さんは30年も経っているのに

私の事をよく覚えていたのだ!)

小さい頃は同じ男の子と遊べないのだ、

かくれんぼうをしても缶けりをしても体力的に無理!

したがって遊ぶのは何時も女の子!

ままごとをしたりお姫様ごっこなど等、この頃女の子と木の橋の上で

ままごとをしていて橋から転落、高さ5メートルの橋の上から

頭から転倒生死の間をさまよっていた。

そして小学校一年生になると親は嘆いていた

ランドセルの方が大きいぐらいだったという

席は常に前、並んでも一番前だった。

そんな頃ではないが、私の親は私が三歳になった頃から姉の学校の

夏、冬の休みに合わせ近くのお寺に預けた

この寺、その頃の住職は中国人(この寺には住職がいなかった!

寺は荒れ放題、幽霊寺として有名だった!)

預けられたのは夏休みと冬休みのみ預けられた(小学生五年まで!)

お寺の修行の中に拳法があった、今は廃れているのだが?

唐拳法、(殺人拳法、武器はカマ!)ヌンチャクやトンファー等ではなく

鎌なのである。

上段で受け止めても刃先は頭部に入り込む、恐るべし拳法!

私は二段を持っているが、今は流派も無く

私の流派は抹消されている。

小学六年生頃になると何故か身長も人並みに伸びある夏休み期間中

一月で七センチも伸びた事がある。

この頃は騎馬戦をしても喧嘩をしても向かう所敵無し!

勉強は駄目だが運動会の花形だった。

9月29日気ままに更新

次回10月9日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中3、爺(じじい)の金庫から百万円!

私の祖父( 母親の!)はこの歳では珍しく大学を出ている、

昔からの遊郭の息子で

当時は( 私が者心が付いた頃から市議会議員をしている!)

市議会議員の議長をしていた、遊郭は昭和35年の赤線廃止で爺の所は

市議としての傍目も有り

四畳半の部屋は賃貸にしていたが、他の遊郭は現役で営業をしていた

爺は市の顔役で就職の事や面倒ごとを良く頼まれていたり

色々と便宜を図っていたのを

私は知っている、その際業者や就職を頼みに来た人は必ずお金を持ってくる

そんな時爺は包みをポイっと自分の後ろへ投げる!

客が帰ると金庫に入れるのだが、私は見てしまったのだ

( 見てしまったのは金庫の番号

 右へ二つ、左へ一つ番号も二階から望遠鏡で見たのだ!

其れも天体望遠鏡、手元迄見えた!)時事以外ない或る日の午後誰も

居なくなったのを確認!

金庫を開けた、中には札束が山積みになっていた

( 始めは一万円ぐらいを取ろうかと思って居たのだが、)

いくら有るのか判らない!

一束を肌着の中に入れ、爺の家を出た( どうせ人から貰ったお金どうって事はない!)

( この時代百万円と言えばかなりの額である、今の3〜4倍の値打ちは

あると思う!

  千円有れば映画に行って晩めしが食える、そんな時代!

タバコのハイライトが70円中華そばが180円の時代なのだ!)

私はその金を持ち友達を誘った、思いっきりお金を使いたかったのだ、

友達も賛成してくれて直ぐにタクシーに乗り港へ行きフエリーに乗り

広島に渡った!

広島にはベンチャーズが来ていて其れを見て聞きたかったのだ、

三日間ベンチャーズを

見て聞いて楽しんだ( この当時は今見たくインターネットや電話で

予約しなくても

ライブチケットは買えるのだ!)

夜は旅館でドンちゃん騒ぎ、朝起きると町へ出掛けパチンコ屋へ入り

昼飯を食い終わると

ベンチャーズを聞きに出掛けた、夜はキャバレーやバーで飲んだりする

毎日だったのだが

私たちにも何具の納め時が来た、次の日の昼頃警官に職務質問された

別に学生服を着ている訳でもないのだがやはり坊主頭がまずかったと思う

未成年者が毎晩のみ歩いているとの、情報で警察が動いたのだが

交番に連れて行かれると

家出の捜索願が出ていてそのまま身柄を拘束されてしまった

私の親からは出ては居なかったのだが、友達の二人の親からは

出ていたらしくその日の内に親が迎えに来た!

私は爺の金庫の金の事を言われるのでは無いかとヒャヒャしていたのだが、

その件は

ばれては居なかったその後もばれる事はなかったのだがこの時警察による

事情聴取が

始まった時に係りの警官が友人の一人に生年月日を聞いたのだが、

友人は4月1日と

答えたすると警官は( ふざけるな!)と怒った!

それ以後その友人は口をつぐつたまま一言も喋らなかった、

この友人は本当に4月1日生まれだったのに!

今は爺も死んでこの世には居ないが、この事は私がもし

天国へいけるようならば爺に

謝りたいと思っているのだが、爺はひょっとして私と同じ地獄に

居るかもしれない。

9月15日気ままに更新

次回9月24日更新予定

 

 

 

 

 

 

 

 

中三、風呂覗き!

私が生まれた地は日本でも有名な日本最古の温泉地!

観光客用の風呂と地元の人たちが入る風呂がある、

別に観光客の風呂に入ってもいいのだが少し高めなので

自然と地元の人たちは入る風呂が決まってくる

私達が覗いているのは家族風呂!

この風呂は池の横にあるのだが池の横の有刺鉄線を池側からくぐると

難なく家族風呂の裏手に出るのだ!

風呂場では若い夫婦が入っていて洗い場でセックスをしているのだ、

中々迫力がある

全て丸見えなのである、方向としてはお尻の方から見える状態!

窓を少し開ければ見える

でも何時も窓は少し開いている浴槽が間際にあり湯気で熱いのか

常に空いている

人がしているセックスは見ていると面白い

好奇心旺盛な年頃だったのだろう今はそんな事は忘れているが

面白かったのを覚えている

温泉地だけにそんな穴場はいくつもある

そして忘れられないのが母親に決の穴まで見られた事

それは私が家に女友達を連れてきた時の事、以前にも書いたのだが

私の部屋は蔵の二階を

改造した部屋、だれにも邪魔は出来ない私だけの空間!

その日はガールフレンドを家に連れて来たのは二階に上るのは良いが

階段を上げるのを

忘れていた(階段は自動ではないが鎖を引くと上に上がり緩めると

したに下がる親に邪魔されないよう滑車で作っているのだが

昔からあったものではある!)

夏の日、彼女を連れて来たのを母親は見ていたのだろう?

母親としては彼女を連れて来たのはこの時始めて見たと思う

友人が来てもたまに階段の下にジュースや果物は以前にも置いていた事はあるのだが

この日は私が会談を上げ忘れ部屋のドアを閉め忘れてしまったのだ

母親が部屋に入って来た時は私は彼女の腹の上!

彼女とセックスの最中だったのだ

母親は私達を見るなり下を向いて持ってきたジュースと

果物の入ったお盆を黙って置いて

部屋を出たのだが、赤ん坊の時以来自分の母親に決の穴まで見られた

この日晩飯の時、母親はこう言った!

「 あんな不潔な事したらいかんよ!」と言うと

顔を赤くして黙っていた、それ以後その話は出てこないが、

どうやら親父は知っていた一度話した事がある

親父曰く「女とするのは良いが男として責任取る所はちゃんと

取らないとなあ〜!

失敗はするなよ!

家の長男としてしょうも無い女だけはするなよ、どうにもならなくなったら

俺に相談しろよ!」と言うのだが力強いのかどうか考えてしまう。

9月5匹ままに更新

次回9月15日更新予定!

 

 

 

 

 

 

中三、修学旅行事件!

中三の修学旅行は北九州、長崎方面だが九州までは夜船に乗り込み

朝起きると九州に着きバスに乗り換えての旅!

私は修学旅行へは行かない積もりだった。

第一バス酔い、船酔いが有るので嫌だったのだ!

でも親には一生に一度の中学生の修学旅行なので

行く様に勧められていた。

結局行く様になったのだが、一つだけ先生達から要求が出た!

それは必ず先生達の横にいないといけないと言う要求だった

つまり要注意人物と言う訳なのだ。

後になるが記念撮影では必ず担任の先生の横!

つまり隣に写っていた

長崎観光は色々と行ったのだがほとんど覚えていない!

バス内で悪友たちとバクチをしていたり寝ていたのだ

夕食も終わり自由時間になり夜の町に出かけた

この時、学生服を脱ぎ私服に着替え夜の街へと出掛け

一軒のバーへと入った。

ビールやカクテルを注文してドンちゃん騒ぎ!

(勘定はホテルの息子なので何の心配もしていない!)

この時、門限の事等誰も心配していなかったのだ

門限は十時!

バーを出たのは十一時過ぎ!

私たち悪友メンバー八人組は千鳥足!

思案橋まで歩いていた時、警官に呼び止められ職質!

先生たちから捜査願いと言うか補導願いが出ていたのだ!

交番まで連行され事情聴取!

先生たちが迎えに来て一緒に旅館へと帰ったのだが

先生たちは私たち八人を旅館のローカに一晩中座らせたのだ

別にそんなこと気にせず、私たちは酔いに任せて寝てしまっていた

朝起き食事を済ませると、私たち八人に一人の男の先生が付いた

皆バラバラのクラスなのだが、旅行が終わるまで

男の先生が昼も夜も私たちを見張っていたのだ!

それでも思い出に残る楽しい修学旅行だった。

修学旅行が終わり学校へ親が呼ばれた事は言うまでも無いが

私たちには何のお咎めも無かったし親にも何も言われなかった。

8月26日気ままに更新

次回9月5日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

中三、喧嘩エレジー!

 

毎日喧嘩ばかりしていた日々この話は中学生の頃、

隣の学校のワルグループとの喧嘩!

今考えると恐ろしくなるような物まで持ち出し喧嘩した事を

時々思い出す

事のきっかけは、仲間の一人がワルのグループに殴られた事に始まるのだが、相手の

奴らから何時何分頃どこそこの河原まで来いと人を介しての伝言があったのだ

早速喧嘩支度を始める!

( 普通の喧嘩ならば拳一つなのだが

このワルグループは当時流行っていた平ヤスリを加工して

ドスを作ったりしている事を知っていたのだ!)

それと相手は何人来るか判らないのだ、こちらは五人!

当然素手では無理、幸い私の家が武家屋敷であり蔵の中には手頃な武器もあり

皆で捜し廻った私たち五人が手にした武器は私が日本刀、

一人が薙刀、一人が槍、一人が種子島( 鉄砲!)

そしてもう一人が鎖鎌!

様々な武器を取り出し喧嘩場所へ向う!

「種子島は火薬( 黒色火薬!)は父親が散弾の弾を作る時に

使っているのを調達!」

弾丸はまん丸で何個か有りそれは以前に実射済み!

日本刀や薙刀等も少しは錆びているが物凄く切れる

( 太い木の枝などスパスパ切れる)

河原に着くと相手は十二人居た!

「 今日は生きて帰れないかも知れないなあ〜!」と

一人の仲間がポッリと言った!

「 一発、ぶっ放せ!」私がそう言うと火薬入れを取り出し受け皿と

銃身に火薬を入れる

弾丸を銃身から入れ込み押し込み棒で押し込み口火を装填した

間を入れず引き金を引くと轟音と共に発射された!

発射された弾丸は当りはしなかったものの相手を震えさせるだけの

効果はあった

「 でも可笑しかったのは種子島をぶっ放した友人は次の弾を即

装填していたのだ!」

喧嘩相手はチリジリになり逃げ出し私達は大将格の二人を捕まえ

ボコボコ!

日本刀で服を切り裂き、ズボンやパンツまで切り落とす

真っ裸になった相手は小便を漏らしていた!

今考えると自分達がした事は犯罪だが、その時代はそれで

通っていたのだが、それは

私達が知らないだけで、今考えると可笑しくもあり怖くも或る事だ

その後、隣の悪の仲間たちはおとなしくなったのか噂は

聞かなくなったのだが?

今度は私達の方がワルだと言われる様になってしまった

でも同級生やクラスメートには人気が有り皆それぞれに

ガールフレンドを持っていた

私たち仲間は悪さをしてもたいした悪さではなく今で言う

いじめている奴らを懲らしめる

そんな仲間達だった

8月18日気ままに更新

次回8月27日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中三、肥桶事件!

中学三年生の時の技術家庭の授業の中にカボチャの栽培と言う

厄介な授業が有った

女の子は家庭科と言う授業が有り料理を作り和裁、裁縫と有るが

男の方は製図や椅子を作ったりと退屈な授業であった

週の内一時間だけだったが、全く退屈な授業ではあった

その中でも最悪なのはカボチャの栽培なる授業!

種をまき水をやり、楽な様でも楽ではないのである

夏休み中でも交代で水をやらなければいけないのである

種を蒔いて暫らくすると芽が出て来る

そうすると土の上に藁を敷きツルを横ばいに育つ

ようにするのであるが、そうした後に人糞の肥料を撒くと言うのである

新しい校舎は水洗トイレなのだが、二年生の校舎のトイレは

まだ古い木造校舎の為当然

トイレもポッちゃんトイレ、そのトイレの裏手に回り糞を汲み上げる

糞を半分くらい入れた後、今度は水で薄めるのである

( そのままだと濃いらしい!)

( とに角臭い!)そしてその桶を天秤担ぎをして運動場を横切り

畑まで担いで行くのだ

百姓でもない私に担げと先生は言うのである

悪ガキの私が一番に指名されたのである

桶は大きく糞と水が混ざった桶は、とにかく重かった

天気もよく暑い一日、フラフラになった運動場を半分くらい横切った頃!

糞桶をひっくり返してしまった

服につかないように飛びのいたのは良かった!

糞を返したのは運動場の中ほどである、飛んでくる先生!

今度は鉄棒や走り幅跳びをしている砂場から一輪車で砂を運んでくる

そしてその砂を

糞をひっくり返した上に撒く、そして今度は砂が吸い込んだ糞ごと

叉一輪車に積み込み

畑に持ってゆく、其れを繰り返したのだがチャイムが鳴り

授業が終わり教室に帰ると

風に乗り糞の匂いが漂っている!

其れは私たちの教室だけではなく運動場に面した教室は最悪だった

臭いの元になっている場所は、サッカー部と野球部の中間の場所!

技術家庭の先生は2〜3日間土を掘り捨て土を足しを

繰り返していたのを覚えている

この先生のあだ名はタゴ!

そして糞桶をひっくり返したこの事は

何時までも語り継がれ四年後に入学した私の

弟の耳にも入り( お前の兄貴は悪だった!)と言われ自宅に帰ると

親に報告していた

(兄貴のおかげで友達が出来ないかもしれない!)と

愚痴を言っていたらしいが

私の親はその事を聞いても驚く事は無く、あいつらしいと

一言言っただけだった。

8月9日気ままに更新!

次回8月18日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中三、ロッカー閉じ込め事件!

この事件は夏の日の出来事、プールの時間( 水泳!)

この時間は二組が合同で行う!

女生徒には女の先生が付き、男には男の先生が付く女生徒と

同じプールだが別れて分かれて行う

( 普通の体育の時間も同じなのだが!)

プール(水泳!)の時間で違う所は着替える所、

( 二つに分かれている!)

着替え室には背の高いロッカーがあり鞄や着替え等を

入れるところなのだが友人の一人が

そのロッカーに入り女生徒の着替えを見たいので外から鍵を閉め

ロッカーの扉に故障中の

張り紙をしてくれと言うのである

ロッカーの中に入るには昼飯を食べ終わり早い昼休みにしかチャンスはない

打ち合わせ通り早く昼飯を済ませ女子着替え室に侵入!

早くしないと午後一番の授業の奴が入ってくる可能性がある

見付かれば大変な事になる

友人には前もって小便用の小さなバケツは持たせてある

何故なら放課後は水泳部の練習が始まるのだ、

日が暮れるまでは彼の所、つまりロッカーを開ける事はできない!

水泳部には女生徒も居るのだから( 私は友人に言ったのだ、

昼休み時間を利用して入るのはいいが、夕方まで出るチャンスは無いよ!)と

もし中に誰か入っているのが判れば大変な事になるのは目に見えている

絶対音は立てるなと、人が入っている気配は悟られるなと

何回も言っている

私はロッカーの中段を外して彼をロッカーに入れた

「 中段を外す事により中で座れるようになり長時間も楽なはずである!」

ロッカーのドアに故障中の紙を貼り鍵を閉めた!

午後からの授業があるので私はプールの女子着替え室を後にした

午後からの授業も終わり一度家に帰ったのだが友達が家に誘いに来たのだ

( プールの友人の事が気になってはいたのだが!)

この夜の誘いは他校の女の子とのデート

( 女の子は一人では来ないのでもう一人の相手を頼むと言うのだ、

その他一名と言う事!)

私も暇なので同行した、待っていた女の子は二人とも割りと

可愛かったのだ一人が可愛いと一人がブスと

相場は決まっているのだが、今回は良い方に外れた

連れの女の子と私は仲良くなり意気投合した四人は喫茶店に入り

夜遅くまでおしゃべりに

花が咲いた、

家に帰ったのは夜十二時を廻っていた、そしてこの夜女の子とデートした

友人も彼女を

送り届けて私の家に来たのだ、私の部屋は母屋とは離れた蔵の二階を

改造して作った部屋なので友人達は夜遅く来るし

私の家族に何の遠慮もしないで住む事を知っているので

二十四時間開放である

そんな事でロッカーの友人の事をすっかり忘れていたのだ

朝学校へ行くと教室には行かず先ずロッカー室へと向う!

ロッカーを開けると、友人はまだ寝ていて( 腹減った〜)と一言!

私が持ってきたアンパンと牛乳を差し出すと物も言わず食べていた

「 すまん!忘れていたよ!」と言うと

「 いいよ、無理言ったのは俺だし、」と言い小さな

手帳を取り出し見せてくれた!

書いてある内容に吃驚した!何年何組の誰それは毛深いとか

おっぱいがどれ位あるとか

書いているのだ、そしてそれからと言うもの同級生とか後輩

( 下級生!)とすれ違うと

あの子は胸が大きく色白だとか色々と教えてくれるのだ。

7月30日気ままに更新

次回8月9日更新予定!

 

 

 

 

 

 

 

中二、柿泥棒!

この季節、当然季節は秋!

田舎のことだから、家の庭や畑には柿ノ木が有り身を成している

うまそうな柿があちこちに有った

この日、三人が連れ立って学校からの帰り道、塀の向こうに

美味しそうな

柿を見つけ、私ともう一人が塀に登り

柿をもじっては下に居る友達に放り投げる

下に居る友達はそれをうまく受け袋に入れてゆく

暫らくすると( コラー!)と親父の叫び声!

あわてて塀から飛び降り逃げたのだが塀の上で私と一緒に

柿を取っていた

友達が飛び降りる際、下の友達の上に落ち骨折してしまった

でもこの時は逃げるのに一生懸命で足が痛くなったのは

家へ帰宅してからだという

そして何日かしてこれまた学校の帰り道!

これまた美味そうな柿が有ったのだ、友人は飛び上がり何とか

柿を一つゲット!

( 半分くれよ!)と言ってもくれないのだ!

そうする内、向こうから百姓の親父が歩いて来るのが見えた

慌てて持っていた柿を隠し( すでに柿を一口かぶりついていた!)

口を動かさず、百姓の親父が通り過ぎるのを待っていた

親父の姿が見えなくなって友人は口から柿を吐き出した

なんと渋柿だったのだ、渋柿を口の中に入れ渋いまま我慢していたのだ

( 罰が当たったんだと大笑いした!)

秋も終わり今度は干し柿、軒先に吊るした干し柿を

学校に行く道すがら一つづつ頂戴してゆく

藁で編んだ物は身から引っ張り外してゆく

洗濯竿に吊るしてある物に関しては、ハサミで切ってゆく

私は干し柿が大好物なのである

学校への道筋、私が歩く家の軒先には干し柿が無くなってしまった

この干し柿が終わる頃、愛媛の松山ではミカンが

山の道の横に出来ている、これも美味い!

とにかく田舎は果物も野菜も何でもありとにかく美味い

秋の終わりにブドウ畑( マスカット!)に盗みに入り袋いっぱい

入れ一応たらいに水を入れ、水洗いして食べたのだが、この時には

ブドウで酔っ払ってしまった。

7月21日気ままに更新

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、動物園事件!

私たちの街では県立動物圓があった、今は場所も変わり少し遠くなったが

私の幼い時は近くに有りお花見の季節はお弁当を持ち

お花見に言ったものである

その動物園の横の公園では春には湯祈祷さんと言って温泉町の

お湯が止まった時に

祈祷をしてお湯が出た事から毎年この祭りを行い賑わっていた

話は動物園の話!その動物園の中には夏になるとプールも解禁になる

子供プールと普通のプールそんなに深くは無い、

動物園の入場券を買うとプールにも入れるのである

( 子供ばかり大人等殆んど居ない子供プールで幼い子を泳がせ

付き添いだけである!)

プールの監視員は私の親父も良く知っている親父さん!

私を幼い頃から良く可愛がってくれた親父さん、

親父さんが監視員として任されている、

この親父さんの奥さんも息子さんも

動物園の中で売店を商売として商っている!)

私たちはプールで泳ぎ身体が冷えると海水パンツとぞうりを履き

身体の冷えを戻す為

動物達を見に行くのだが、動物の中でも綺麗な羽の鳥を見付ける!

其れはクジャクだった、手を叩くと羽を広げるクジャク!

そのクジャクの羽を引っ張って羽を抜こうという計画であった

一人が餌をやり尻尾の羽根がこっちの方に向いた時、

羽根を掴むと羽根は直ぐに抜ける

その羽根は凄く綺麗で部屋に飾っていると誰もが欲しがる

でもこの羽根何処かで見たような気がしていたのだが、

その時は思い出せなかった

友達にも頼まれ毎日のように羽根を抜いていくと長い羽根は

余りなくなってしまった

羽根が生えるまで羽根抜きは中止した

次の相手はチンパンジーと猿!猿の折の前にお菓子を置くと

猿は手を伸ばしお菓子を

取ろうとする、その手を竹で叩くと猿は私の顔を見ながら手を伸ばせてくる

そこを見逃さず竹でパシッと行く始めの内は私たちの手に乗るが

三度四度となると

猿は相手をしなくなる

チンパンジーはと言うと、口に水を含み置くから助走を付けて走ってくる

そして口の水を私たちに浴びせる!

これには驚いた

この頃動物園側もいたずらガキが居ると言う事で探し回っていたらしい

ちょうどチンパンジーに悪戯をしているとき見付かってしまい、

管理室に連れて行かれるのだが、動物園の人達は知っている人ばかり

私が何処の誰か誰の息子か誰の孫か全て判ってしまう、

そしてこの時判ったのだが、

おふくろの親父つまり私のおじいさん( 例の市会議員の議長をしている!)

が飼っていた、クジャクだったらしい!そう言えば爺の離れには、

デカイ鳥小屋が有ったのを思い出す

すずめ等は金網等素通り出来るほどの大きさで何を飼っているのか

不思議には思って居たのだが、動物園からは起こられなかったが、

家に帰るとこっぴどく怒られた

この時もお袋の得意なほうきたたきが出た。

7月10日気ままに更新

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、天体望遠鏡!

親に頼み込んで天体望遠鏡を買って貰ったのだが、

其れは星を見る為でもなくましてや

月を見る為でもない、そんなもの見てもしょうがない

何故、天体望遠鏡なのか?   

事の始まりは幼馴染の友達の家に遊びに行った時の事なのだが、

( 幼馴染の友立ちの家も女郎屋をしていた!)

友達の部屋は二階建ての家の上にプレハブで一つの部屋を建てているのだ、

通りの左右の女郎屋は全て二階建てなのだが、友達は始め自分一人で

天体望遠鏡で覗きを楽しんで居たらしいのだが、部屋に遊びに行った時、

天体望遠鏡を見付け

問いただすと、白状したのだ

( 何故なら天体観測するような男ではないのだ!)

その当時、エアコン等無い時代! 夏になると窓は開けっぱなし!

三階から二階は丸見えになる、夜になると友達の家に集まり

天体望遠鏡を覗くのだが

天体望遠鏡は一台しかなくつい取り合いに成ってしまう

やはり覗くには各自自分の望遠鏡が居ると話し合い、

親に買って貰うことに決めたのだ、親としてはまさかエッチしている

現場を覗く為などと思っていない星や月の観測をする為と思っている

( 皆が持っていて持っていないと仲間はずれに成る!)と言うと

買ってくれたのである

望遠鏡を覗くと女の上に男が乗っかって男は腰を振っているのが見える

女のおまんこにチンポコが入って出たり入ったりしているのが丸見え状態!

其れも鮮明に見えるのだ!

私たちは毎晩覗きのために集まったのだが、毎晩見られるわけでもないのだ

女に客が付かなければ無理なのと、角度的に診られるのは三軒位な物、

まともに見えるのは二軒なのである!

でも一晩に一回は見られるのだが、でも其れは冬は無理、

せいぜい秋口までだった

そのほかに天体望遠鏡の使い道は無かった、一度女風呂を覗きに行ったが

その場所は

山の中腹、雑木林の中から覗くのだが、天体望遠鏡を持ち運ぶのに難が有った

今のようにコンパクトではなくでかいのだ、雑木林に備え付けて見ると

若い女も居れば

ババアも居るなんか面白くなかった事を覚えている

一度季節が通り過ぎると天体望遠鏡は忘れてしまい何時しか弟が本当に

天体観測に使って

いたのだ、それはそれで無駄にはならなかった

現在のようにビデオでも有れば面白いだろうなあ〜と思うのは

私だけだろうか?

7月2日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、秘密藁小屋、火事!

秋の終わり田圃の稲刈りが終わると一度稲を干し今度は脱穀をする

脱穀が終わった稲というか藁になったものを

田圃の中に積み上げていく

それもきちんと積み重ねてゆく積み方に独特の物があると思う

「 昔は良く見る風景だが、今は藁に需要が無くなり脱穀の時に

藁も一緒に小さく砕いてしまうのでよほど遠くへ行かないと

そんな光景を見る事は出来なくなった

以前行った田舎のほうは屋根が藁葺きで秋に取った藁を集めていて

保存して

村人が共同で屋根を藁葺きで葺いていたのを見た事がある

でもその地区は県の保存地区、そんな所にしか藁葺きの屋根は無い!」

「その頃は田圃のいたるところで藁を積み上げている光景を

良く見た物である

その頃の藁は農家が飼っている牛の餌の中に入れたり今は無くなったが

藁葺き屋根の材料

( 補修用!)に取っていたりと用途は色々有るのだが、

今は藁葺きも無く有るとしたら

正月の注連縄ぐらいなものだろう!」

その藁を一束づつ抜いてゆくと中に三帖ほどの空間が出来る!

それを利用して風除けを作り床は畳を持ち込むと部屋になる入り口を

カモフラージュする

「 外からは見えないようにする、必ず道側には入り口を付けない

道の反対側に付けるのだ

そんな事は心がけていた!」

この小屋を何に使うのか利用するのか?

学校をサボり仲間たちと一緒に漫画本を読んだり昼寝をしたりと

一日過ごすのだが

これが意外と楽しいのである

或る日はハンゴーを持ち込み自炊をして飯を炊き皆で色々な物を

持ち込み食べるのだあるがキャンプと一緒で楽しかった、

この時の米は農家の奴が新米を洗って持ってくるのである、

この時のご飯は上手かったのを覚えている

この藁小屋が火事になり消防車が出動する騒ぎとなったのは、

一ヵ月後の事だった

原因はタバコの火の後始末!

物が藁だけに燃え上がるのに時間は掛からなかった

凄い勢いで燃え上がった

田圃から火が出て吃驚した百姓の人が119番通報!

消防車が三台も来たのを遠巻きに

見ていた我々はいち早く外に出ていて全員無事だったが持ち込んでいた

漫画等は駄目だった、何故火が出たのか不明!

 通りすがりの人がタバコの火を投げ捨てたのだろうと言う事で、

最後まで判らず仕舞だった。

6月22日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、バルサン事件!

この事件の事は良く覚えている

バルサンを五本!( 昔のバルサンはデカイ!)を先公たちの

トイレの中に設置したのだ

( 設置と書いたのは、大きなバルサンを焚くには水が居るのだ、

理科の科学室から

 バットを持ち出し掃除道具が入っているドアの中に

隠しておいたのである!)

正直、計画的に実行に移した、なぜならば私は社会化の先生に

毎日怒られ続けていたのだが、そんな私が実行すればどうにも

ならないからであり事は秘密に実行しなければならない、

そう思っていた、起こられなかった日をめがけて実行に移したのだ

職員室で社会科の先生の空いている時間は確認している

私もその時間に教室を抜け出し行動に移すため手帳

( 生徒手帳!)に印をつけている

その時に必要な物、バルサン5本、金槌、釘

( 釘?と不思議に思うだろうが、便所から

先生を閉じ込める計画なのだ、前の日に窓は釘で固定してある

ドア(入り口!)も

バルサンを焚いた後固定予定!)

そしてついに決行の日が来た、先公の癖は判っていた、

授業が空いた一時間の間トイレへ

行って糞をする事も!

授業を抜け出すのは簡単! 音楽の時間!

ワル仲間達は後ろの席に集まりガヤガヤやっているのだ、

真面目な奴らは前の席に陣取り

真面目にやっているのだ抜け出すのは簡単!

音楽の先生は女の先生( 余り若くは無い!)

私たちの事は気にしていないのだ

事業を抜け出しトイレの前で張り込み開始!

20分位張り込んでいると先公は案の定やって来た、

でもションベンなら外れなので

トイレのドアを少し開け覗いて見ると、大便用のドアに入ったのを確認!

早速作業に取り掛かる、トレイを取り出し水を入れバルサンを並べる!

マッチで火をつけると煙が真っ直ぐ舞い上がった、

トイレを出ようとした時、掃除用の

用具を入れてある棚に洗剤が置いてあるのを見て二本を両手で持ち

トイレの床の上に撒いた、二本とも満タンに入っていたのだが

全部撒きドアを閉めドアを釘付けにした

これでOK!

直ぐ音楽室へ戻った、悪友たちは私が何をして来たのかこの時は判らなかった

私が大便でも行ったのかと思っていたのだろうと思う

この事は直ぐ校内放送で流れた、

( 次の時間の休み時間、他の先生がトイレに入ろうとするとドアが

開かない! 直ぐ用務員を連れてきて釘を抜きドアを開けると

バルサンの煙で

中が見えない、そして便所の床には社会科の先公が滑って

転倒していたらしい

慌ててトイレから出る際に洗剤で滑って転倒!腰を打撲、

手を付いた時に手を捻挫した

らしくその足で病院へ行ったらしい

この放送が流れたとき悪友たちは全員私の顔を見てOKサイン!

( 現在のように親指を

立てるようなサインは当時は無かった!)

次に日、捻挫した腕を吊った痛々しい先生の社会科の時間、

私の顔を難解と無く見ていた

音楽の先生に聞いたのだろう事は判っていた、

何の確証も無いまま時は流れたのだが

遠足の時、この時は珍しく音楽の先生が一緒だったのだ昼飯の時、

私たちワル仲間の所に音楽の先生がやって来て私に

皮のむいたりんごを持って来た

( あの時以来嫌味な事が無くなったの、ありがとう!)と言う

先生は知っていたのだ

私が授業を抜け出したのを! そしてこの音楽の先生に対して

社会科の先公は今で言う

セクハラ行為をしていたのだ、だから容疑者は音楽の先生だと思って

いたらしいのだが

音楽の先生も私も授業中! この事は判らないまま時は流れた

私にとって良かった事はこんな悪がきの私の事を何かと面倒見てくれた

音楽の先生の事は

今も忘れない。

6月13日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、プール水抜き事件!

中学二年生の時の事、今でも覚えているのだが社会科の先生の事業中!

私はノートに漫画を書いていたのだが、

この先生に見付かってしまった

この先生は、私のテストの点数をクラス全員の前で公表してしまったのだ

私の点数は四十五点、最低点数ではない物の私は元々勉強が嫌いで

点数等何とも思って居なかった私は、

この事が有ってから私はテストは白紙で出す様になってしまうのだが

( つまりオール白紙!名前も書かない!)

( 高校にも行かない積りでいたから何とも思っていない!)

親も私の事は諦めていたのだ!

この先生、次の瞬間!口から出た言葉は

( 次の水泳の時間だが、お前は見学!)

そう言うのである( 何〜!)私は腹が立った、

とに角無性に腹が立った

この先生の授業も終わり休み時間!私はプールの着替え室横にある

ポンプ小屋に入り

バルブを思いっきり開ける( 排水である!)

足元にあるスノコ状になった排水溝から水が流れだす

( 何故この場所を知っていたかと言うと着替え室の横のドアを

開けるとバルブが有る排水室、その向こうにはプールサイドに入る

ドアが有るのだ、プールは縦二十五メートルそのプールサイドは

地面より高くなっている為空洞になっている、

授業をサボり灯りを持ち茣蓙や筵などを敷き漫画等を見て授業をさぼっていたのでプールの事は誰よりも知っていた!)

私はそのまま早退!同級生( 悪仲間!)の集まるお好み焼き屋の

二階で寝ていた

授業が終わり悪仲間がお好み焼き屋に集まる

プールはどうなったか友達に聞くとおかしかった!

休み時間は昼休みだったのを忘れていた私だったが、

昼休み午後からのプールの時間!

四十分間の時間が有る、プールの水は井戸から汲み上げているのだが

水が入るのは一日以上掛かるのだが

排水時はかなり早い時間で抜け午後からの水泳の時間にはかなり抜けてしまい泳ぐ事は出来なかったらしい!

何故バルブが開いていたのか判らなかったらしく誰かの悪戯だろうと

言う事で終わったらしいが、次の日登校して来た私に

( プールのバルブを開いた奴がいる!お前知らんか?)と言われたが、

そのバルブは何処にあるのですか?

( 体の調子が悪くなったので早退しましたので判りません!)

と知らないと答え

その後その件については、話題には出て来なかったのだが、

この事は私の悪仲間達は

知っている事で何時ばらされるだろうと思って居たのだが、

その頃の私は喧嘩をしても

右に出て来る奴も居なかったものだから、

誰一人としてバラス奴は居なかった

この事でも同窓会の話題に出て来るのだが、

その頃の私はワルと言っても人に迷惑を掛ける事はしなかった、

授業中は先生に怒られ授業については迷惑掛けたが

人気は有ってプレゼントやバレンタインのチョコレート等たくさん

貰った思い出がある。

6月3日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

中二、先公狙撃!

この先公は数学を受け持っていた、それも担任の先公!

授業中居眠りをしていた私を殴りローカに立たされたのである

この頃は生徒を殴る事等何とも思っていない時代なのである

私はそれだけで終わったと思って居たのだが、

その先公は親に告げ口をしたのである

私の親はそんな事を言われても元々勉強なんて出来ないし

起こられる事等なかったのだが

何かしら腹が立ってしょうがなかった

この頃私たちの間では空気銃やポンプ銃が流行っていて

私もポンプ銃を一丁持っていた

そもそも私の親は猟友会の会長をしていたライフル銃や散弾銃も

何丁か持っていて私も

たまの狩に同行したものだが使わなくなったポンプ銃を私は譲り受けていた

「 当時は火薬を使う銃に関してはうるさかったのだが、

ポンプ銃や空気銃のような殺傷能力が無い物に関しては余りうるさく

無かったのである!」

次の日の夜、先公を狙い撃ちしてやろうと思いポンプ銃を持ち出し

先公の住んでいる

下宿の裏山へと出掛けた先公の部屋はわかっている

先公の下宿の裏はみかん畑、そのみかん畑の下に横に並んである

二階建ての先公専門の下宿、部屋は右から二番目!

夜九時決行!鉛の包み弾を一箱、夜の闇に紛れて自転車で移動、

先公の下宿までは二十分

神社の階段を上り階段中腹くらいから竹やぶを入るとみかん畑に出る

有刺鉄線があるのだが、そんな物あってもなかっても同じ事!

みかん畑を少し降りると先公の下宿がある、下宿を見ると先公の

部屋にはまだ電気が

付いていない( 飯でも食っているのだろう!)部屋はわかっているので

狙いやすい場所を捜した、場所を見付けるとポンプ銃を思いっきり折り

玉を込めタバコに火をつけた

暫くタバコを吸っていると部屋の明かりがついた

部屋に狙いを付ける窓ガラスにカーテンは無く丸見えである、

撃ち放題に撃つガラス貫通

部屋の中からは外は見えないはずだ、

十数発撃ち込んだだろうか?

良く見ると先公の足が下から伸びていて部屋の蛍光灯から

下がっている紐を掴もうとしているのが判る!

その足をめがけて一発!弾は命中、足に食い込むほどの威力は無いが

かなり痛かったと思う、それを見て其の場は引揚げた

次の日の授業中先公は「 昨夜俺は狙撃された!俺も有名になったものだ!」と言うのだ

アホな先公であるでもその話をしながら私の方をチラッと見ていたのが

気になった

その先公それ以降は何故か余り起こらなくなっていた

私の事はばれなかったのか何の追求も無くいつしかこの話は忘れられたのだが

友人たちは私の仕業だと言う事は判っていたらしく

皆がそう思っていた事を後日聞いた、

この話は友人が集まると今でも話に出る。

5月23日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中一、エリーゼの為に!

学校の行きかえりにエリーゼの為に!のピアノ演奏が何時も流れてくるのだ

流れてくる先は、池の端の洋風の家から流れてくる

其れまでピアノなんて学校しか知らない私にとって憧れだった、

どんな人が弾いているのだろう?

或る日この曲、エリーゼの為に、を聞きながら歩いていると

ピアノの音色に引き込まれて

何時しか足は洋風の家の前まで来ていた

鉄の門扉を押すと扉は開き芝生の上に飛び石の様に石が置いてあり

石を踏みながら中庭の方へ歩いて入って行った、

すると大きなシェパードが現れ私のほうに向かって来たのだ

ヤバイと思ったのだが、その時は遅くシェパードは私の前に座った!

飛び掛って来るでもなく私をじ〜っと見ているのだ、

すると庭の奥から( エル!)と

女の人の声が聞こえてきた、すると犬が吠えて女の人の声がする方へ

走って行った

少しすると上品な女の人が私の方に歩いて来て( 何か?)と訪ねた!

私はピアノの音色に誘われてつい入って来てしまいましたすみません!

と言うと( 学生さんね?)と言い

( 奥へいらっしゃい!)と言ってくれた

庭の奥まで通されるとその先にはガーデニングのセットがあり

テーブルと椅子が置いて有った、椅子に座っていると、

この家の奥さんがコーヒーを持って来てくれおまけに

ケーキまで持って来てくれたのだ、そしてその後ろには

奥さんの娘さんが付いて来ていた

奥さんは娘さんに( 貴方のフアンの一人よ!)と言い私を

紹介してくれたのだ

( 始めまして!)と名前を言い学校名と何年生と言うと娘さんは

嬉しそうな顔をして

居たのを覚えているが、奥さんが

( エルは中々他人にはなつかないのにねえ〜!)

と言う

何故かそのエルは私の横にお座りをしているのだ

( 私の家にも犬を飼っているので

臭いがするのでしょう!)と私が言うとエルは私の手を舐めた!

学校の事や私の事を色々と話しているうち娘さんは自分の事を

ポッリと話し出した

娘さんの歳は19歳!名前は由貴!

大学生だと言う其れも有名な大学なのだ、心臓が悪くて大学を

休学しているのだそうで

今は家で静養していると言う

由貴さんは色が白くて髪は方までのストレート、中々の美人である

由貴さんが( 中でピアノ聴く?)と言うと奥さんは

( どうぞ!)と言ってくれた

庭から直ぐのリビングにピアノは置いてあり私はソフアーに座り

由貴さんの

ピアノ演奏を聴いていた( エリーゼの為に!)この曲の始めの方は

知っていたのだが、こんなに長い

曲だとは知らなかった、由貴さんの演奏は完璧だった

ブラームスの子守唄を始めメンデルスゾーンと弾いてくれ

私に誰の曲か説明してくれる

この日は2時間も由貴さんの家に居てピアノ演奏を聴いたのだが

帰り際に

( 何時でも来てね!)と奥さんに言われ、私は嬉しかった

この事は誰にも言わず私だけの秘密にしていたい、そう思った

毎日一時間は由貴さんの家を訪れ由貴さんのピアノ演奏を聞いていた

季節は春が終わり夏が終わり秋の中頃、由貴さんのピアノの音がしなくなった

お母さんに聞くと入院したと言う!

病院を聞き次の日、私は柄にも無く花束を持ち病院に見舞いに行った、

国立の大きな病院

由貴さんは私の顔を見ると嬉しそうな顔をして( やあ〜!)と手を振った

これが由貴さんと最後の日になる事になるのだが、

由貴さんとの話しの中で由貴さんは

( 私は弟が欲しかった、アナタの様な少し悪がきの、弟が居たら

楽しいだろうなあ〜!)と私に言って居たのを思い出す

由貴さんが死んだ日、私はこの日も見舞いに行ったのだが、

由貴さんは朝容態が悪化したらしく私が見舞いに行く

一時間前に息を引き取ったらしい

お母さんが私に( 顔を見てやって、アナタを弟だと言っていたのよ!

由貴の事を忘れないで!)と私に言い私は由貴さんの顔に掛かっている

白い布を取った

笑ってはくれない由貴さんの顔がそこにあり、赤い口紅が塗ってあった

顔の色は何時もより白く化粧をしているせいなのか頬が少し

ピンク色をしていて今にも

笑いそうな顔だった( 姉ちゃん!)私はつぶやいている自分が不思議だった

お母さんは( ありがとう!)と言い涙を流していた

次の日の葬式当日!式場は会館だったのだが彼女由貴さんの

ピアノの曲が流れていた

お母さんは私を見つけるとお母さんは私を親族の席に座ってくれと言い

私はお母さんの横に座り式を終わらせた!

由貴さんが死んでから由貴さんの家の前を通る度、

私の耳には由貴さんの弾いていた

( エリーゼの為に!)の曲が聞えてくる

そして涙が出て来そうになる、こうして由貴さんの事を書いていると

思い出し

涙が出て来る、青春の日の淡い思い淡い恋かも知れない!

5月14日気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

中一、実弾のペンダント!

この頃、実弾のペンダントが私たちの間では流行っていた!

ではその実弾のペンダント何処で売っているのかと言うと何処にも

売っては居ない( 今の時代ならば売っているのを見たことが有る!)

では何処から手に入れるのかと言うと?

自衛隊の練習場!

( 実弾を使っての訓練をしている練習場!)

その場所まで自転車で行く( 1時間は掛かる!)

立ち入り禁止の看板、策を乗り越え手にはふるいとスコップを持ち

射撃場まで行く!

射撃場は少し土が高くなっていて下には的が有るのですぐ判る

その的の後ろ近く横もだがスコップで土をふるいに入れ振ると

実弾が出てくる!

その実弾を持ち帰りペンダントを作るのだ

何も難しいことは無い!

はじめに用意しておくのはクリップ位な物!

( クリップを広げると大きくS型になる、それを真ん中から折ると

今度はU型になる、それでチェーンを通す金具が完成!)

次は実弾をピンセットでつまみ、ガスコンロで焙る!

すると、( 実弾の周りは真鍮だが中は鉛!)中が溶けてドロドロになる

その真ん中にピンセットを使い、クリップのUになった金具を深く入れ

水に入れるとジュ〜と、湯気が上がりすぐに固まりペンダントが出来上がる

実弾の中心には少し間の開いたクリップが見える!

それに鎖を通せばカッコいい実弾のペンダントが出来上がるのだ

私はライフルの実弾ペンダント( 長い!)45口径のペンダントと

色々持っていたのだが、或る日友達が( 俺にもくれよ!)と

言って来たのだが( 欲しけりゃ〜自分で取って来れば良いのに!)と

言い、それじゃあ〜場所を教えてくれというので、私は詳しく地図を

書いてやったのだが、友達はありがとうと感謝していたが

2〜3日後、その友達に会うと胸には実弾のペンダントが下がっていた

でもその実弾のペンダントを見てアレ?と思った!

実弾が私たちの実弾より小さいのだ( 何処で手に入れたの?)と

聞くと、彼の親父は警察官をしていたのだ( 彼の家は駐在所!)

親父の持っている拳銃を持ち出し自分の部屋に入り布団をかぶり

壁にめがけて撃ったのだと言うのだ、壁から弾を抜き作った

実弾のペンダント!

小さくて可愛かった、

そして次の日、彼を見ると顔がやけに腫れていた( どうしたの?)と

聞くとお父さん( 警察官!)にひどく殴られたらしいのだ

親父さんが銃の手入れ( 点検!)の際、実弾が一発無くなっているのを

発見!

薬きょうはあるが、弾が無くなっている!

その事で、彼を問い詰め白状させ、ひどく殴られたと言うのだが

彼の親父さんがどうなったのか?

実弾が一発、無くなっているのだ、どう対処したのかは判らないが

ただでは済まなかったと思う。

5月5日、気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野壺の上をほふく前進!

今でも田舎に行くと畑や田圃の横には肥溜めがある所があるが今では

余程田舎へ行かないと肥溜めはない!

私の生まれ育った土地は人口五十万ほどの地方都市、都市といっても田舎の事である

これは私が中学一年生の時の事、私の住んでいる町から自転車で一時間ほど走ると

空港に到着する、この頃飛行機の離着陸は十九時迄つまり夜の七時を過ぎると

街頭なども消え

暗闇の世界になる、ターミナルの方は電気が点いているのだが、

滑走路の方は真っ暗!

この飛行場の先は岸壁、つまりその先は海でもその反対側と左右は畑が広がっている

その畑にはスイカ、桃、ナシ、ブドウと夏の果物がなっている

その果物をこっそり盗みに行くのである

していることは犯罪なのだがそんな事思ってもいない、5〜6人の悪がき達は

自転車に乗り飛行場へと向う!

暗くなった飛行場の隅に自転車を止め全員フエンスの柵をくぐる、

後はほふく前進で進む!

( 時折パトロールの車が廻ってくるので立っていたら見つかってしまうのだ!)

桃畑を通りスイカ畑に差し掛かった時、友達の一人が( オイ、何だか地面が軟らかいよ?)

( 少しずつ下がっているよ〜!)そう言うと姿が見えなくなってしまった

辺りが急に鼻に付く糞の臭いが漂う!

その友達は、ほふく前進のまま肥溜めに沈んでしまったのだ

( 肥溜めの上は固まっていて

急には落ちない、そしてほふく前進している為急には落ちなかった!)

慌てて飛び出す友達だったが、臭いと来たら半端ではなかった

このままでは帰れない!臭いが凄いし全身糞まみれになってしまった友達

飛行場の先は海である事を思い出し海で全身を洗い着ていた服も洗うが

中々臭いが落ちない、服はビニール袋に入れパンツとランニング姿で自転車に乗り

家路へと帰るのだが臭いだけは消えなかった

この友達のニックネームは何時までも( 野壺とか肥溜め!)と言われていた

でも凄いのは、この野壺君!このネームや野壺に落ちた事で私たちと遊ばなくなり

その後、勉強の鬼になり高校は東大進学校ナンバーワンの高校へ進学!

見事東大へ入学した事を聞く、東大卒業後は野壺君、大蔵省へ就職!

あの時からウン( 運?)が付いたのか被ったのかエリートコースまっしぐら!

4月27日、気ままに更新!

 

 

 

 

 

 

 

中一、川せき止め事件!

何の為に川をせき止めしたのか?

そして川をせき止めしたなら何がどうなるのか何をしようとしているのか?

それは夏休みに入って間も無くした時の事、町の中を流れる川を堰き止め

魚を取ろうと

言う事になった、この川は上流で二股になっている

お百姓さんたちは川を堰き止めて片一方ずつ川の水を田圃に入れていると後で判った

二股になっている自分達の方に流れてくる川の水を堰き止ようと言い出したのは

同級生の百姓の息子!

それじゃあ〜水を堰き止めると、後はどうするのか?

川魚やうなぎ、藻屑かにを取るのである、川に水が無くなると魚は水溜りに集まり

それを網ですくうのだが、カニは小さな竹を切り節の下に小さな切込みを入れ

テグスに針をつけ

ミミズを餌にして穴( 石垣の穴!)に入れると居れば必ず食いついてくる

カニやナマズも同じである!

水が無い石垣の下からウナギが少し顔を出している所は、石垣の穴を土で囲う

そして

出口を狭くしてそこに、長い網を仕掛けて置く( 出口を塞ぐのだ!)

これで準備は完了!その穴へ道路に捨てられたタバコを拾ってきて水と混ぜ手で揉む

黄色い水になりそうなるとウナギは穴から出て来るのだ、

其れもニコチンにしびれて真っ直ぐになり飛び出してくる、

少ない時で二匹多い時は一つの穴に五〜六匹は入っている

子供心に楽しかったのだが、百姓が堰を止めた事に気が付くと直ぐに堰を入れ替える

其れまでが勝負なのだが、水路に水を入れる百姓も必死なのである

そりゃあそうだろう死活問題なのである!

この事も夏休み期間中定期的にやったが百姓といたちごっこだった

そして夏休みも終わり新学期が始まると決まって校長室に呼ばれるのが私であるのだが

家が少し遠いのと川の水を止める事なんか私には出来ないと思ったのか

直ぐにお解き放ち!

でも百姓は余程、頭に来たのか悪戯した奴を探し当てた!

私たちは水が無くなった川で魚を取っていただけ、別にアレコレ言われる事ではない

百姓の中で一番うるさい親父の息子( 同級生で同じ組で悪仲間!)が他の百姓の

人に

見られていたのだ、百姓の中でも中心人物らしく見付けた百姓の親父も

言われなかったのである、

後で聞いたのだがその事でも私が疑われていたと言うのだ!

一緒になって魚は取ったが川の堰までは私は触った事のないことで

それは百姓ならではの事、

でもこの親父は本当は優しい親父でこの親父の家に遊びに行った時の事

もう少ししたら田圃に水がいらなくなる、その時堰き止めたら堂々と魚を取れるよと

言ってくれ親父の息子( 悪仲間!)と日が沈むまで魚を取って遊んだ。

気ままに更新、4月14日!

 

 

 

 

 

 

 

六年生、電車脱線事件!

この頃、TVや映画で流行っていたのは忍者番組!

手裏剣をシュシュシュ!と投げるのを見てはカッコいいなあ〜と思っていた少年!

同級生達も思っている事は同じである、

友達同士話し合い手裏剣を作る事を考える、手裏剣には星型の手裏剣と十字手裏剣と

棒のような手裏剣の三種類有るのだが、作れるのは二種類!

どう作るか?今の時代ならどこかに売っているだろうし機械もあり簡単に作れるの

だろうが私の少年時代は自慢じゃあ無いが何も無い時代なのだ!

欲しい物があれば自分で作るのが常識なのだ、杉のみが出て来れば杉鉄砲を作り

釣り竿が欲しければ自分で作り、魚を突くヤス等も一度買えば先が丸くなると自分で

ヤスをヤスで研ぎ一度買うと何年間も使っていた物だ

でも手裏剣だけは、どうする事もできなかったこの頃である

仲間である友達達は考えた、友達の中に家の前を市内電車が走っていた事を思い付く

電車のレールの上に五寸釘を置いてペシャンコにする方法である

電車が通り過ぎるとその間に次の電車が来る前に五寸釘を縦に並べるのである

早速、釘を段取りする、大工さんに言えば釘は幾らでもくれる

釘を手にした友人達は電車が通り過ぎるのを見届けると次の電車が来る前に五寸釘を

並べる、並べ終わると全員身を隠す電車が通り過ぎた後、見事釘はペシャンコ

釘の頭の部分は飛ばしヤスリで削る、片一方は既にとがっている為ヤスリで調整!

二つを重ねて十字の形を作る見事十字手裏剣が完成!

何日間かは其れで遊んでいたのだが、投げているうちに手裏剣はなくなり

叉作らなければならなかった、

友達も其れに賛成!今度は何十本もの釘を置く、今度は人数も増え釘の量も半端ではない

友人達は釘をレールに並べていく、並べ終わると線路を離れ家の路地で電車が通り過ぎるのを待つ電車は小さな一両の電車!

その時の事である電車が通り過ぎようとしたその時、電車はレールから車輪が外れて

しまったのである、つまり脱線してしまったのである

ガリガリガリと音を立てながら脱線し停止した電車から運転手が降りてきてレールを

覗き込んでいる、そしてペシャンコの釘を掴み辺りを見渡している

友人達は振り返らず逃げ出したのは言うまでもないが、脱線した所は私達の校区で有った為、学校は判ったが、その中で一番初めに眼を付けられたのが私であったが

知らないと言い通した、今だから言えるが今だったら大変な事になるだろうが、その頃は

交通量もなく電車にしても直ぐに線路の上に乗り復活したのを覚えている

それからは暫く監視の目が有り見張っているので線路に近付くことは出来なかった。

気ままに更新、4月7日!

 

 

 

 

スズメバチの逆襲!

私たちの遊ぶ神社の横の松ノ木の根本にスズメバチが巣を作っていたのを発見したのだが

友人達とスズメバチを退治しょうと相談したのだ( 子供なりにスズメバチの恐ろしさは

 良く判っていた!)

この頃子供たちの間では2B弾が流行っていた( マッチ箱の横で擦れば発火!何秒か

 すると爆発する!)

その2B弾を束にしてスズメバチの巣の中に放り込んだのだ、パンパンパンと音を立て

爆発する2B弾、( 爆竹なんかよりは威力がある!)

その時スズメバチは一斉に巣から飛び立ち私たちに向って飛んできたのだが、

そんな事は始めから判っている事!事前に逃げる所は捜していた

私たちは小さな監視小屋を見付けていたのだ、私たちは全員、監視小屋の中に逃げ込んだ

手には全員、ハエタタキを持ち小屋に入って来ようとするスズメバチを叩き落す

私たちはこれで難を逃れたのだが、これだけでは済まなかったのである

興奮しているスズメバチは、暫く神社の周りを飛び回っていたのだ、私たちが逃げ込んだ

小屋の周りにも何百匹ものスズメバチが飛び回っていて中々小屋から出られない

窓ガラスにも何匹かのスズメバチが止まっていた

暫くすると神社の方から人の叫び声が聞こえた!

男と女の人の叫び声、そう言えばこの神社散歩する人や見学に来る人達がかなり居るのだ

まさか!スズメバチがそんな人まで襲うとは思っても居ない!

後で判った事だが被害者は15〜6人居たと言う

刺された人たちは、直ぐ警察に連絡、救急車も駆けつけた

でも警察ではどうしょうも無いと思ったのか、最後には自衛隊が出動!

( 私の地の近くには陸上自衛隊が有るのだ!)

自衛隊員は三人がかりで火炎放射器でスズメバチの巣を焼きだしたのである

それでもスズメバチは自衛隊員の手袋の隙間を狙い刺していた

何故この時期にスズメバチが襲って来たのかという事が大学の先生たちによって議論されたが、火炎放射器によって証拠の2B弾は燃え尽きてしまい証拠は無い

( 2B弾は紙に撒いてあるのだ!)

私たちは全員で口裏を合わせ、何もしていない何も見ていないと言う事にした

今なら言えるが、この時入院した人もいたらしい、恐るべしスズメバチなのだ

その後、巣を綺麗に取っ払い二度とスズメバチは巣を作らなかったのだが

あの時は本当に怖い思いをした。

気ままに更新、3月31日!

 

 

 

 

 

 

手作り銃!

この銃の威力は凄いの一言に尽きる、5〜6メートル離れて撃つと缶ジュースの缶を

貫通する、

火薬は、2B弾、弾はビー玉を使う( 普通サイズではなく小さいビー玉!)

この銃の製作工程はこうだ、2センチくらいの厚みのある板を用意して銃の台尻を作る

角を丸く削って銃床の形を整える、次に用意するのは細めの水道パイプ(勿論鉄製!)

その鉄パイプを長さに落とし、次に木を削って差込み木の栓をする

( この時、金槌で何度も叩いて入れ込む事が肝心、そうしないと木の栓は自分めがけて

 飛んで来る、)

それが終わると、余った木の栓をのこぎりで切り落とす!

そして今度は銃身を固定する為に針金で三ヶ所位、三重巻にして締め付ける

次に銃身が固定されると銃身の根本に大きめの釘を二本打ち付ける( 万が一パイプに

 差し込んだ木の栓が外れるのを用心しての事!)

最後にする事なのだがパイプの先にハンダを付けて照準を付けるのだが、これは何の

意味もないと思って居たのだがこの事は後で書こう!

この銃の製作については、大工の息子や農家の息子等も協力したではこの銃を何に使用

するのか?その答えは、射的の練習や4×4に分かれての撃ち合いの遊びをする為

なのだが、今考えると恐い放しなのだがその時代はそんなこと思っていない

撃ち合いの時私たちは赤土の山へ行くのだが、その前に皆でお金を出しあい2B弾と

ビー玉を買う、あらかじめ大工さんに頼み弾薬入れの箱は作っていたのだ

( このころの2B弾は安く、今でも花火として売ってはいるがそんなに高くは無い!)

この日4×4に分かれての撃ち合い!

その際一人の友人の頭に当ってしまう、誰が撃ったのか?

実は私なのである、( 銃身の先に照準に狙いを付け小高い丘の上に置いてある帽子に狙いを付けた、でも置いてあると思っていた帽子は被っていたのだ!)

( ビー玉を発射するには先に火を点けた2B弾を入れた後ビー玉を入れる、5〜6秒位

有るので狙いは付けられる!)

パーンと音がした途端、友達はひっくり返った!

見えたのは、空の帽子ではなくって被っていたのだ

友達は考えられない位のタンコブが出来ていた( 今考えると恐い話しだ!)

私たちはパソコンもゲームも無い時代、こんな事をして遊んでいたのだ

この話には続きがあって、この私たちの遊びを先生に告げ口をしたクラスメートが居て

私たちが作った銃は、先生たちに没収された

先生たちは友達やわたしの家々を廻り没収していったのだ、でも銃は一つではないのだ

予備に銃を作っていたし、代わりはいくらでも出来るのだ、でも少しの間止めた。

3月22日、気ままに更新!

 

 

 

 

 

五年生、雀の穴事件!

この頃、友達や同級生の間ですずめの子供(雛!)を捕り、手なずける事が流行っていた

其れもすずめのヒナが目が開いてからでは遅いのである

(ヒナは目が開いた時はじめて見たのを親と思うらしい?)

目が開く前に捕まえに捕まえ餌をやり育てて行くのである

或る日、私の教室の天井からすずめのヒナが鳴く声が聞こえる(教室は二階!)

声はまだ小さく、親すずめが餌の無視を運んで来る時だけ少しではあるが声が大きくなる

のが判る、生まれて間がないのだと思う?

同級生と二人、昼休みになると校舎の一番隅にある音楽室から机や椅子を組み立て

戸棚の天井板を外し屋根裏に入る(大工さんに聞いていた事を思い出す天井裏に上がるのは普通の家なら押入れの上の棚から天井板をずらすと屋根裏に上がれる!)

手には懐中電灯を持ち梁伝いに五つ向こうの教室に向う!

ギシギシと音を立てる天井板!校舎は古く天井板に足を下ろすと踏み抜きそうである

足を下ろすと抜けそうだから踏めない、そんな、時時間が掛かりすぎたのか昼休みの終わりの時間のチャイムがなってしまった

でも今更引き返す事はできない!そう思った私たちは前進する!

梁と柄の根本にすずめの巣を発見することが出来た、すずめの巣を懐中電灯の光を当て

ると五匹のヒナがいた、その中の二匹を捕まえ靴下を脱ぎ靴下の中へ入れ

靴下の口を結ぶ(この方法が一番いい方法!)

成功した!私たちはそう思った、その時油断したのか足を滑らせてしまった

梁から天井板までは落差があったのだが天井板がクッションになった為、怪我はなかったが天井板を突き破り教室のそして授業中の真ん中へ落ちてしまった

天井板がクッションになり直接落ちる事はなくクラスメートに怪我をさせる事はなかった

思い切り尻を撃ってしまったのだがそれよりも吃驚したのは女の先生だった

大声で叫んだ物だから隣の教室で授業中の先生も飛び出してきて大騒動!

わたしは尻が痛いと言っているのに、先生達は穴の開いた天井ばかり見ていたのだ

お決まりのコースでは有るが、耳を引っ張られ校長室へ連れて行かれたのは想像で

判ると思う!

この天井、何時までも穴が開いたままだったが夏休みの間に直っていた

この結末はどうなったのか?またもや親を呼ばれ親からはかなり怒られたが

すずめのヒナは無事!見事に育ち部屋から出すと気が向いた頃に帰ってくるようになった

この時、親に言われた事は、お前が学校へ行くより私が呼び出された方が多い

母親はそう言うのである、それじゃあ〜変わろうか!

と言ったときは箒で叩かれた、この時は本気で痛かった。

3月4日、気ままに更新!

 

 

 

 

 

五年生、雀の穴事件!

この頃、友達や同級生の間ですずめの子供(雛!)を捕り、手なずける事が流行っていた

其れもすずめのヒナが目が開いてからでは遅いのである

(ヒナは目が開いた時はじめて見たのを親と思うらしい?)

目が開く前に捕まえに捕まえ餌をやり育てて行くのである

或る日、私の教室の天井からすずめのヒナが鳴く声が聞こえる(教室は二階!)

声はまだ小さく、親すずめが餌の無視を運んで来る時だけ少しではあるが声が大きくなる

のが判る、生まれて間がないのだと思う?

同級生と二人、昼休みになると校舎の一番隅にある音楽室から机や椅子を組み立て

戸棚の天井板を外し屋根裏に入る(大工さんに聞いていた事を思い出す天井裏に上がるのは普通の家なら押入れの上の棚から天井板をずらすと屋根裏に上がれる!)

手には懐中電灯を持ち梁伝いに五つ向こうの教室に向う!

ギシギシと音を立てる天井板!校舎は古く天井板に足を下ろすと踏み抜きそうである

足を下ろすと抜けそうだから踏めない、そんな、時時間が掛かりすぎたのか昼休みの終わりの時間のチャイムがなってしまった

でも今更引き返す事はできない!そう思った私たちは前進する!

梁と柄の根本にすずめの巣を発見することが出来た、すずめの巣を懐中電灯の光を当て

ると五匹のヒナがいた、その中の二匹を捕まえ靴下を脱ぎ靴下の中へ入れ

靴下の口を結ぶ(この方法が一番いい方法!)

成功した!私たちはそう思った、その時油断したのか足を滑らせてしまった

梁から天井板までは落差があったのだが天井板がクッションになった為、怪我はなかったが天井板を突き破り教室のそして授業中の真ん中へ落ちてしまった

天井板がクッションになり直接落ちる事はなくクラスメートに怪我をさせる事はなかった

思い切り尻を撃ってしまったのだがそれよりも吃驚したのは女の先生だった

大声で叫んだ物だから隣の教室で授業中の先生も飛び出してきて大騒動!

わたしは尻が痛いと言っているのに、先生達は穴の開いた天井ばかり見ていたのだ

お決まりのコースでは有るが、耳を引っ張られ校長室へ連れて行かれたのは想像で

判ると思う!

この天井、何時までも穴が開いたままだったが夏休みの間に直っていた

この結末はどうなったのか?またもや親を呼ばれ親からはかなり怒られたが

すずめのヒナは無事!見事に育ち部屋から出すと気が向いた頃に帰ってくるようになった

この時、親に言われた事は、お前が学校へ行くより私が呼び出された方が多い

母親はそう言うのである、それじゃあ〜変わろうか!

と言ったときは箒で叩かれた、この時は本気で痛かった。

2月24日、気ままに更新!

 

 

 

 

小学四年生の乱!糞かぶり

この時期は春が終わりそうな、まだ肌寒い頃の出来事だった

先生にひどく怒られ、頭をげんこつで殴られた事がある

まあ〜悪い事をして殴られたのだが、その事に無償に腹が立った私はどうしたかと言うと

先生がトイレ(大!)に入るのを見届けると(この頃、木造作り校舎木造トイレ!

トイレは先生も生徒も共同!)便所の裏手に廻る

そこには汲み取り口の板があった、その板を外して植え込みに積んでいた

大きな石(頭ほどある石!)を汲み取り口に投げ込む!

ドッポ〜ンと音がしたかと思うと、うわ〜誰や〜!と叫ぶ声が聞こえる

ダッシュで逃げる!

後で聞いた話によると先生は糞まみれになっていたとか、この頃はまだ春先だったのだが

先生は足洗い場で水を被り、糞まみれになった服やズボンを洗っていた

服やズボンを洗い終わると先生はトレーナーに着替え真っ直ぐ私の教室に来た

何故判ったのだろう?と私は思ったのだが、そんな事をする少年はこの学校には居ない

ことを少年は気付いていない!

耳を引っ張られ例の如く校長室へ連れて行かれた少年!

呆れた顔で覗き込む校長、沈黙の中校長が机の上の受話器を持ち電話機の穴に毛だらけの

まるで毛ガニの様な指を突っ込みダイヤルを廻している(何故かこの頃家には電話があった!)番号が入った穴に指を入れ回すのを見ていると、自宅の番号であるのに築いた少年

でもこの時間に親父は居ないのに誰が出るのかな?少年はそう思っていた

出たのは母親だった(お宅の子供さんがね!、、、、、、っと始まり永遠と続く校長の話では

あるが校長は強くは言えない!(お袋のジジイ(親父!)つまり父親はこの地でも有名で戦後からず〜と市議会議員のドン!その頃には議長をしていた!)

でも直ぐに来てくださいと校長!

三十分ほどすると、母親は校長室に来たのだが、怒った顔は一切しなく呆れ顔!

糞を被った先生に謝りクリーニング代としてお金を包んだようだった

糞を被った先生は(こんなに貰っては!)と言いながら校長の顔を見ながらトレーナーの

ズボンのポケットにお金を入れていたのを覚えている

この先生、何時までもあだ名は糞被りと名付けられ私がこの小学校を卒業してからも

言われていたが、何故糞被りと言う、ニックネームが付いているのかは

分かっていないようだった

でも私の五つ下の弟がいたがその弟だけは私の同級生に聞き知っていたようだった

そしてその糞かぶりが自分の兄貴の仕業だと知ると、弟の同級生達には、尊敬されていた

気ままに更新、2月13日!

 

 

 

その名はコロ!

今でも思い出すと涙が出て来るコロの話し!

コロは私の唯一の友達であり親友であり家族であった

コロと出会ったのは、私がまだ四歳か五歳の頃! 近所の友達と床下に犬が子供を生んでいるのを見付け遊んでいた(私が住んでいた、いや生まれた家は直ぐ裏が山だった)

「山犬が家の床下に子犬を産んでいるのだ!」

子犬はまだ乳臭く親とはぐれた子犬だったのだ、近所の子供たちとその子犬と遊んで

いたのだが、友達たちは親が「ご飯よ〜!」とも迎えに来て帰ってしまった

残されたのはコロと私!

私はコロを離したくなかった、コロを抱き家へと帰った

でも考えると家では犬は飼ってくれないだろうと子供心にそう思った

私はコロをみかん箱に入れて軒先に隠した、(この頃犬が何を食べているのか何を食べさせればいいのか理解していない)

夕食も終わり一家団欒!

家族でテレビを見ていた時、キュ〜ンキュ〜ンとコロの泣き声!

両親が犬が泣いている何処にいるんだ? と探し回る

コロはすぐに見つかってしまった、私の仕業と直ぐに判ってしまったのだが父親は

「直ぐに山に返して来い!これは山犬だ、母犬も探しているだろう!」と言う

私は飼って欲しいと頼むのだが、それは出来ないと父親は言う

私が抱いていると子犬は静かにしているのだが、箱に戻すと又泣き出すのだ

お腹がすいているのだ、この頃私の弟が生まれたばかりだったので家には粉ミルクが

有ったのだ、それをぬるま湯で溶かして子犬にやると子犬は飲んでくれた

それを見ていた父親は私にこう言った「お前のご飯の半分は、この子犬にやるんだぞ!」

私は(はい!)と言い、この日からコロは家族の一員となった

何処に行くにもコロは一緒、学校に行くにもコロは一緒、帰りは校門まで迎えに来ていた

そんな或る日、コロが迎えに来ていない!

家に帰ると近所の人たちが「犬取りが捕まえて行った!」と言うのだ

私はその事を母親に言い、コロを助けてくれと哀願した

母親は直ぐ保健所に電話して場所を聞き何が居るのか何を持って行ったら良いのか聞き

出してくれた(何の事はない犬を飼う為の鑑札が無かったのだ)要するにお金だけの話

私の家は私から見てもお金に困っている家ではなく、母親は直ぐ行こうと私の手を引いた

「何故なら首輪をしていないコロは野犬とみなされ直ぐ処分されると人に聞いていたのだ

保健所までは遠い!

駅まで出て(路面電車!)それから二〇分は掛かる、

其れまでコロは生きているだろうか? 何とか急いだ

保健所に付くと、犬たちの泣き声が聞こえる!

小屋に入れられている犬たちを一匹ずつ見分ける、毒の竹輪の様な物が置いてあり

既に死んでいる犬も居た、でも食べないで居る犬もいる

コロ〜、コロ〜と叫ぶとコロの泣き声がした、その方向に行くとコロがいた

嬉しそうに尻尾を振っている!

直ぐに保健所の人が来て母親が買ってくれた首輪をコロに付け鑑札をつけた

母親は何度も保健所に人にすみません、すみませんと謝っていた

この後、電車で来たのはいいけど帰るには電車は犬は乗れないタクシーだって駄目!

結局、コロと母親と私は家まで歩いて帰ったのを今でも鮮明に覚えている

コロは山犬! 大きくなるとどんな犬だって一撃!その為野放しには出来なかった

散歩は私の役目、この頃父親は趣味で休みになると猟に出掛けていたその時はコロも

連れて行っていた

「父親が教えたのだろう、猟犬としての役目は果たしていたと父親は言う」

「コロもかなり賢く、父親と私そしてご飯をくれる母親に対しては服従していた」

それから十二〜三年も経っただろうか?

或る日のこと、コロがキュンキュンと泣いているのを見て父親がコロの鎖を外してやれと言う、私が庭に降りコロの鎖を外してやると、コロは私の顔をジ〜ッと見て

庭を出て山の方に歩いていった、

私はコロ〜コロ〜っと叫ぶとコロは一度私の方を振り返り私たちを見てその後

幾ら呼んでも振り返らなかった

ヨロヨロとした足取りで山へ向っていった( 山犬は死期が来ると山へ帰るんだ!)と

父親は言うのだがこの時は涙が止まらず泣いていた

これがコロとの別れだが、その後月日は流れた或る日の事!

父親の猟仲間が、「 これコロの首輪じゃあ無いか?」とコロの首輪を持ってきた

その人が言うには白骨化していて首輪だけが残っていたらしい

その人はコロの骨を土に埋葬してくれたと言う、この事は私より父親が感謝していた

翌日父親とコロが眠っている山に行き、コロの骨を掘り起こし袋に入れて持ち帰り

家に庭で火葬をしてやり小さな壺に骨を入れ私の家のお墓の横に埋めた

此処で可笑しかったのは、あれほど嫌っていた母親のババアがつまり祖母!

コロの為に小さな墓石を立てやった事!

これには吃驚したが、後で涙が出るほど嬉しかった、そして厳しかった父親の事も

優しさが見えてきた。

気ままに更新!2月6日、

 

 

 

 

 

 

 

 給食のパンが無い!

この頃、学校の給食パンは学校の隅の調理場で作っていた

給食も一緒でおばさん達5〜6人で作っていたのを覚えている

この調理場の横を通ると何とも言えない臭いがしたものであるが、好きな物の臭いは

良いが嫌いな物の臭いがする時は、早退して帰りたかった

カレーの時は臭いで判り煮物やその他の物も大体臭いで判った物だ

私たちの学校は山か海かと言われればどちらかと言うと山の方である、山と言っても

山奥ではなく近くには、道後温泉(日本では最古の温泉!)山もあり川もあり割と過ごし易い地である

子供たちの遊びも自然に囲まれているので何でも有り春先になると私達はつりに言った物である、釣りと言ってもこの頃は池専門!普通なら畑でミミズを掘るのだが、ミミズでは

鯉は中々釣れないのである、うどん粉や小麦粉を練って餌を作る

(今でこそ釣具屋に行けば餌は、その魚に応じて有るのだが私たちの頃にはそんな物はなく自分達が工夫して作るか自分達で調達するのが常である!)

私たち悪がき連中は或る所で鯉の餌を見つける事に成功するそれは給食のパンを作る工場

給食のパンを作る工程でパンを焼く前、形を整える為に端が落ちるのである

そこは落ちる場所は一緒の為、山盛りになっているのである

ねずみの餌になりかねないので作業後は後片付けをするのだが、パンを焼く前の軟らかい

パンの部分が落ちているのである、其れを集めて団子を作り魚を釣る餌にするのである

この餌には魚は良く喰らい付いた

このパンを製造している工場は給食を作っている所とは違い少し離れた場所にある

体育館を小さくしたような建物、何処からでも入れる

昼の給食が終わると次の日のパンの用意を終われば誰も居なくなる事を私達は知っていた

授業が終われば釣りに行く予定だ!放課後私たち悪がきは工場に侵入してパンの屑を捜す

捜している最中の事、友達が足を滑らしベルトコンベアーに当った拍子にベルトコンベアーを倒してしまった、その弾みもありベルトコンベアーを動かせているモーターも外れてしまい横倒しになってしまった、慌てたが後の祭り子供に動かせてもセット等できない

私達は諦め放って置いて釣りに出掛けたのだが、次の日の事!

校内放送で本日の給食のパンは無いと放送される、誰かがパン製造工場に侵入して機械を

壊されたというのだ、パンが無い分おかずとかフルーツが出るらしい喜んだのは私たちだけではなかった、まずい給食パンよりその方がマシである

工場の方は先生達も色々と調べたらしいのだが、盗まれた物もなく警察には通報せず

無事に終わったが、この工場には二度とは入れなかった入り口各所に鍵を掛け

以前より厳重になったのだ、私たちにとってこれは痛かった

魚釣りには、ミミズを使わなければならなくなったのだから!

 気ままに更新、1月30日

 

 

 

 

 

机の引き出しに蛇二匹!

夏休みも終わり秋に少し入った頃、理科の実験でカエルの解剖をする授業があった

でもカエルをどうするか?

この頃今と違い食用カエル等何処にも売っていないのである、それではどうするか?

クラス全員一致で私がカエルを調達することになった、何故私だろう?

私は勉強もしないし宿題等した事もないからだろう!

この時の担任は不細工な顔、デブ、出っ歯の先生!

私にとっては、サイテーの先生(前の先生は美人でスタイルがよく最高だったのだが結婚の為暫く休職!その代わりに不細工な先生が後任として来たのだ!)

授業も終わり友達と帰る途中、公園の池で大きな食用カエルのでかい奴を見つける

早速家に帰り竹の竿を取り出し手グスをつける針はひっかけ針!

針の先に大葉のような草を束ね針の先に付ける、其れをハスの上に座っているカエルの目の前にちょんちょんと上下させるとカエルは飛びついてくる

釣るのは簡単!吊り上げると竹のビクにカエルを入れる三匹ほど釣れたのでもういいだろうと思い帰ろうかと思ったその時、少し前を蛇が横切った、其れを見つけると蛇を捕まえ

カエルと同じビクに入れる帰りにも蛇を一匹捕まえ合計二匹!

同じビクに入れてもカエルが大きいので蛇が飲み込む事は無い!(蛇はシマヘビで毒は無い!)このまま明日は学校に持って行ってやろう!

そう思い朝まで庭の片隅に置いていた、朝学校へ行く時には忘れないように持っていた

教室に着くとクラスメートはカエルを覗き込むのだが、中に一緒に蛇を入れているのを

忘れていた、女の子はキャーキャー騒ぐので蛇を取り出した

でもへびを入れて置くところが無いのだ、ふと見ると先生の机がある

私達の机は上のふたを開ける机なのだが先生の机は、引き出し式の机ちょうどいい

そう思った私はへびを二匹専制の机の中に入れた

私にしてみれば仮にへびを置いていただけなのに忘れていたのだ、忘れていたと言う

よりも授業が始まり不細工な先生が教室へ入ってきた為皆席に着きへびの事を忘れていた

先生が出席を取り出す、次々と呼ばれる!あいうえお順に呼ばれるので私は五番!

十人位呼ばれた後、先生は何を思ったのか机の引き出しを開けた!(めがねを入れていたらしく其れを取ろうと引き出しを開けた!)

その瞬間!へびは先生に向かい飛びついた、この世の物とは思えない形相!

訳の判らない叫び!全く意味が判らない、この不細工な先生は腰を抜かしていた

へびの事が気になったのだが、へびは知らん顔してニョロニョロと逃げて行ったのを見て

安心した、でもその後が大変!両隣の教室から先生達が飛んで来た、どうしたのかと

先生達は詰め寄る、でもおかしかったのはクラスの全員は腹を抱えて笑っていたのだ

当然、誰の仕業かと言う事になった、当然私に容疑は掛かってしまう

でも俺の言い訳など、通る事はないと思い最後まで黙っていた

校長室に連れて行かれた私は、絶対誤らないと心に決めていた

やはり親に電話!

でも私の母親は電話の向こうで笑っているのであるその笑い声は私にも聞こえるほどだった!(母親はどうにでもしてください!)と言ったらしい

この不細工な先生は、私に参観日に親が来てない私を呼び出し(何故来ないのか?参観日の事は言ったのか?)と言うが、私はきちんと親に言ったのだが親はお前の参観日に行くのは嫌だ!と言っているのである

でも姐さんの参観日とか弟の参観日には行っていたらしいが私の、参観日に行っても何もいい事は言われないらしく私としても、家に帰ってからアレコレ言われるのがいやな物で

親にも参観日の通知も渡さないし叉言わなかった、その事は親も判っていたらしくあるm面親もホッとしていた、自慢じゃあ〜無いが親が参観日に来たときは一年生の時に一回、6年生の時に一回だけだったのだが、この先生とは一年間一緒だったのだが

遠足の時も、郊外写生の時も監視が付いていた

一年経ち先生が辞めるときホッとしたものだ、他のクラスメートに聞いても余り評判は

良くなかった、今でも同窓会や友人が会うと必ずこの話が出て来る。