あーちゃん、お誕生日、おめでとう!!
早いですね。貴女が三人娘の末っ子として、産声あげてから、もう20数年・・**
貴女がお母さんの娘になってくれて有難う!!
貴女が産まれた時は嬉しかった。でもまさか、貴女の病気が稀少難病なんて
思いもよらなかった。
産まれて1ヶ月で両眼の手術、
でも経過はあまり良くなく、それでも貴女は頑張ったわ。
それからが又、つらい思いばかりでしたね。痙攣発作で度々、病院へ駆け込み、
小学入学までは、入退院の繰り返し、もちろん眼の手術も繰り返し。
地方では手術の限界で、上京して、度々の手術、完治するわけはないけど、
失明を少しだけでも遅らせる為に・・・・・*****
貴女が3歳になる前に痙攣重積、痙攣が止まったのは、3日後でした。
でも、貴女は意識もなく、何の反応もなく・・・・(脊髄の検査の時もビクともしなかった。
この検査は大変な激痛なのに・・・***)
でも貴女は生きたいと頑張りました。
ようやく意識が出たのは、1ヶ月後〜〜嬉しかった!! バンザーイ。(*^-^*)
☆☆
それから、頑張って養護学校へ入学しました。
小学5年の時、今度は?・・・****
貴女は眠っていると思ったけど、「あーちゃんは寝たの?」 お姉ちゃんが
「泣き方がおかしかったよ〜」と言ったので、、あわてて良く見ると、貴方の眼に涙??
それから、布団をめくり、観察しました。
貴女は意識が無くなって反応しませんでした。
その上、脱力まで〜〜やはり、普通では無い事に気が付き、夜中、慌てて70`近く
車を飛ばしました。
でも貴女の変化がDrには理解出来なかった。(初めての症状でした。)
主治医は主張中でした。
そのまま、、意識がないままの状態が・・・・やっと治療が始まったのは、5日後でした。
(もうダメかも・・・と心の中で覚悟しました)
でも今回も貴女は生きたい!と頑張りました。
お母さんは嬉しかった!! 又、バンザーイ!!。(*^-^*) ☆★
その後も何度も入院しました。
インフルエンザで肺炎を起こした時は、貴女はつらそうで、3日間は苦しみ、眠る事が
出来ませんでした。(貴女の苦しみをみるのはつらかったです)
この時、あまりにも症状が悪かったので、心配しました。
それから、貴女は無事に養護学校を卒業して、成人式も迎える事が出来ました。
ホント、早いですね。通園に通い初めて、もう数年になります。
今は支援制度が出来て、親としては助かっておりますが、
今度は、国と県の財政難で、支援制度、介護保険、医療費が、色々と変化します。
親は段々と歳をとります。
全介助を必要とする貴女のこれからが心配です。
言葉を話す事が出来なく、意志も通じない貴方たちの福祉は衰退する一方です。
親でさえ、理解出来ない事が多いのに、まして他人に任せる事になったら、
どうなるのでしょう??
親亡き後・・・・**** 考えるだけで、悲しくなります。
国の、県の、地方の、福祉の担当の方々へ。
この障害をかかえた子供(大人になっても子供)を抱えた親の悲しみ、苦しみ、将来の
心配、 これからどうなるのかな??
本当に障害を持って生まれる事は、誰も望みません。
でも障害と共に生まれた子供達の命を絶つ事は出来ません。
障害と共に、暮らしていかなければなりません。
確かに、財政難はわかります。でも生まれたからには、少しでも幸せに、
少しでも楽しかったと、思える事を。
貴女は生まれて、良かったね。と言える事が出来ますように。
言葉は発しなくても、生まれて楽しく、幸せでしたと生涯をおえられる世の中に
なって欲しいです。☆☆☆★★
「あーちゃん、お誕生日、おめでとう!!」
精一杯、生きましょうね。苦しみはもういいですから。
これからは楽しい事を求めて、至らないお母さんですが、宜しくお願い致します。
又、来年の誕生日がむかえられますように、日々、楽しみましょうね。(*^-^*)
(*^_^*)
〜〜 ☆★ ○。。○ ★☆☆*** ○。。○ 〜〜★☆




2008年~ 6月11日(木) あーちゃんは突然、お風呂後意識が朦朧となりました。
目がしっかりしていなくて・・・何が起こったのか母親としもも分からず・・・。
この日はお父さんとお風呂へ入りました(私が手が離せなかったから)
そしたら、お父さんが、「あーちゃん、様子がおかしいぞ・・・??居間に置いたが」というのです。
「えっ・・・どうしたの?風呂でのぼせたのかしら??・・わかった!様子を見に行きます」
あーちゃんを見た途端、私の身体が全身悪寒に襲われるような…震えが止まらない感じになりました。
目の前のあーちゃんはいつものあーちゃんではないのです!!
目の前のあーちゃんは確かに「異常な状態」ですが、何がどうしたのか検討もつきませんし。