GO EASY GO!
 
 体育館の裏。
 彼女は一人のようだった。
「あの……」
 声をかけると、振り向いた。
「あっ、村上くん……」
 彼女の頬は、明らかに赤らんでいる。
「来てくれたんですね……」
 栗生沢はるか。
 高校入学の時から、ずっと好きだった片思いの相手。
 そんな彼女に呼びだされたのだ。
 この状況は、ひょっとして……
「話があるって、手紙には書いてあったけど……」
「はい……その……」
 言い辛そうに、視線を泳がせる彼女の、呼吸が上がっているのが分かった。
 しかし可愛いよなあ……。彼女は、長い黒髪をストレートにしていて、色白の、どこか上品さ を漂わせる清楚なタイプだ。
 思わず見とれている俺に、
「あっ、あのっ……」
 思い切った様子で言葉がかけられた。
「……あなたのこと、ずっと好きだったんです!」
 何だって!?
 まさかとは思ったが、やっぱり告白か!?
「私と……付き合ってもらえませんか?」
 本来なら、願ってもない状況だろう。
 普通の男なら、一も二もなく了承するはずだ。
 だが、俺は、冷や汗がにじみ出てくるのを感じながら、こう答えた。
「ちょっと、考えさせてくれないか?」
 彼女はあわてたように、
「あ……そうですよね。いきなりこんな事言われたら、ビックリしますよね」
「うん、ちょっと……必ず返事をするから、しばらく待っててほしいんだ」
 気分が悪くなるのを覚えながら、その場を立ち去る。
 校舎に入ると、便所に入って、鏡をしげしげと覗き込んだ。
「一体、どうなってるんだ……!?」
 鏡に映っていたのは、いつもの俺の姿だ。とりわけ不細工ではないが、ちょっと太り気味の、 冴えない男子高校生だ。
「俺が変わったわけじゃないよな……」
 こんな事を一人でつぶやいているのには理由がある。
 実は、今月に入って、七人もの女の子から告白されているのだ。
 しかも、可愛い子ばかり。
 客観的に見て、俺は異性の興味を引くタイプではない。それに、告白してきた女の子たちとも 、格別親しかったわけではない。
 なのに、この状況である。
「誰かにからかわれているのかな……!?」
 しかし、それにしては手が込みすぎていた。それに、栗生沢はるかと言い、他の女の子たちと 言い、真面目な子ばかりで、そんな悪質ないたずらに手を貸すとは思えなかった。
 とりあえず、自分の気持ちに整理をつけるために、女の子たちには、まだ誰にも、付き合うと いう返事はしていなかった。回答を保留していたのである。
 おかしなことは他にもある。
 今月の中頃、テストがあった。
 一昨日あたりから、その答案が返却され始めたのだが、その点数が異常に良いのである。
 取り立てて勉強が出来る訳でもないのに。
 だけど、あの時は妙に頭が冴えていて、問題が理解できた。ほかにも適当に書いた答えが正解 だったり、全く分からなくて解答できなかった問題は、先生のミスで無効になったり……結果、俺の テストの点数の平均は、いまのところ九十点台となっている。
 まだある。
 俺は、半分趣味のような形で、野球部に所属している。もちろん、下手なので公式戦などには 出られない。
 ところが、やはり今月に入ってから、バッティングが妙に好調なのである。
 うちのチームの主力ピッチャーが投げる球を、軽くホームランしてしまうくらいだ。
 足も速くなったし、守備もうまくなったし、球を投げるのも速くなった。
 監督からは、次の試合はレギュラーで出場する事を告げられた。ピッチャーをやってみないか と誘われてもいる。
 つまりは、何もかもが順調に進行し始めたのである。
「こんな事ってあるのか……?」
 喜ぶと言うよりも、あまりの環境の変化に、戸惑いを覚えていた。
 調子に乗ったそこらへんの男子高校生なら「これが俺の実力だったんだなあ!」などと言って 、この状況にも素直に順応していくかもしれない。
 だが、俺は冷静だった。何より、生まれて十七年間、短い年月とはいえ、それなりに苦労して きた経験から、人生がそう甘い物でないと知っている。
 初恋の女の子は、勉強が出来て、サッカーが得意で、イケメンの沢田君に取られ。
 狙っていた高校には、成績が悪くて入学できず。
 中学時代にやっていたバスケットでは、常に補欠で、応援係。
 そう、それが俺の人生、俺の実力だったはずなのだ。
 それなのに、なぜ急にこうも変わってしまったのか?
 数週間は悩んでいた。
 だが怖ろしい事に、人間は何にでも慣れてしまう。
 俺の冷静さも、少しずつ薄れていった。
 しばらくすると、自分の境遇を当然だと思うようになってしまった。
 なにせ、授業を適当に聞いているだけで、テストはほぼ満点。野球をすればエースで四番。恋 愛では栗生沢はるかと順調に付き合っている。
「これが俺の実力だったんだなあ!」
 結局、俺もただのそこらへんの男子高校生だったと言う事だ。
 今になってみれば、愚かなことだ。だが、どうしようもなかっただろうな、実際……。
 
「村上くんって、どうしてそんなにすごいの?」
 半年ほどしたある日、学校からの帰り道、はるかが俺に訊いた。
「勉強もスポーツも何でも出来るし、かっこいいし、感心しちゃうわ。私なんかと付き合っても らってるのが、もったいないくらい……」
「何言ってるんだ、そんなことないぜ」
 その頃には、俺の口調も変わっていた。
「はるかだって頭も良いし、きれいじゃないか」
「……そ、そうかしら?」
 照れて笑う。ふふ、可愛い奴だ。
「村上くんは、将来何になりたいの?」
「そうだな……」
 今の俺の頭脳なら、東大の入試問題など簡単に解けてしまう。進路も思いのままだ。
「医者や弁護士も良いけど……化学や物理学を勉強してみるのも悪くないかなと思ってるよ。人 類の役に立つような事がしたいんだ」
 はるかは、目を丸くして。
「うん……出来る! 村上くんなら、きっと出来るよ!」
「そうかな?」
「大学はどこを目指すの?」
「とりあえずは東大かな。ハーバードなんかでも将来的には勉強したいけどね」
 そんな事を話しながら歩いていると、ちょうど向こうからやってきた柄の悪い学生たちのうち の一人と、肩がぶつかってしまった。
「なんじゃコラ!」
「ケンカ売ってんのか!」
 六人に囲まれる俺とはるか。
「おい!」
 一人が俺の襟首を掴み上げる。しかし、俺は冷静に、
「ぶつかったのは謝る。すまない。だが、この手を放してもらえないかな?」
「なんだとコノヤロウ!」
 殴りかかってきた拳を、ピタリと受け止める。
「止めたまえ」
「なにカッコつけてんだ!」
 一斉に襲いかかってくる不良たち。
 しかし、俺の敵ではなかった。
 数秒後、彼らは倒れ伏していた。
「暴力は好まないが……降りかかる火の粉は払わねばならないからね」
「村上くん……素敵……」
「さあ、行こうか」
 俺とはるかは、肩を組んで歩いていった。
 
 そして、日は流れ、東大入試の前夜。
 俺は夢を見ていた。
 と言っても、奇妙な夢ではない。パジャマを着て、自分のベッドで寝ている。普通すぎて、逆 に奇妙と言えるかもしれないが。
「何だこりゃ、これでも夢か」
 だが、夢だという感覚だけは明瞭にある。そして、意識も奇妙にハッキリとしていた。
 起きあがって、ベッドに腰かける。
「なんか面白くない夢だな」
 そう思っていると、天井を突き抜けて、天使が舞い降りてきた。天井近くで、ふわふわと滞空 する。白い衣をまとっていて、十二歳くらいの少女の姿をしている。おかしな事に、腕時計のような 物をしていた。
「おっ、これは、少しは面白くなるかな」
 口に出して、立ち上がると、その天使を観察した。
「このキャラクターは……」
 彼女は、俺を見ながらそんな事を言いつつ、手首に付いた何かの機械を操作していた。
「やあ、天使さん」
 俺は呼びかけた。
「よく分からないんだけど、どういう事だい? キャラクターって何だ? まあ、夢の中でそん なこと気にしてもしょうがないかもしれないけど」
「ああー、そうか、今の状況はキャラクターにとっては夢っていう事になってるのね。プレイヤ ーが、今は遊んでないんだ」
 一人でうんうんと頷いている。
「おい、質問に答えてくれよ」
 俺にそう言われて、
「まあ、いまは暇だし、時間潰しをするのもいいか。ちょっと面白い物も見られるかもしれない し」
 何だか嫌な薄笑いを浮かべると、そう言って、床に降りてきた。
「それで、キャラクターってどういう事?」
 質問する俺。
 天使はすらすらと答えた。
「あなたは、ある一つの存在……プレイヤーが遊んでいるゲームの主人公なのよ。あなたが自分 で選んでいると思っている行動は、すべてその存在が決定している事をなぞっているに過ぎないわ。 ……と言っても、自由意思なんてのは初めから在って無いようなもんだし、架空か実在かなんてのも 、八識においては意味のない話だけどね」
 あはは、と俺はちょっと馬鹿にしたように笑って、
「なんかSFみたいだね。実は自分はゲームのキャラクターで、他の存在が自分をコントロール してるってのは。夢にしては、筋が通ってて、なかなか面白い話だな」
 すると彼女は、大真面目な顔で、
「まあ、よくある話よね。ところで、イージーモードの世界の居心地はどう?」
 それを聞いた瞬間、背中を冷や汗が流れた。
「なんだって?」
「あなたをコントロールしているプレイヤーは、イージーモードを選択したわ。ゲーム内時間で 言うと、半年くらい前かな」
「イージーモードって……」
「分かるわよね? ゲームの難易度を下げてあるって事。実感してると思うけどな」
 ベッドに座りこむ。顔がひきつるのが分かった。
「なかなか鋭い夢だな。俺の潜在意識が作りだしているとは思えない」
「アハハハッ!」
 天使は、楽しげに、どこか人を苛立たせるように笑うと、
「だから、これは夢じゃないの。私は、ゲームを管理している存在。異物が入ってきたりしない ように見回る役。七識的に言えばあなたより高次の存在ってわけ。つまり、これは事実なのよ」
 戸惑いつつも、
「事実って言われてもな。だいたい、七識って何だよ? どういう意味で、君は俺より上なんだ ?」
「そうねえ。つまり、あなたの住んでいる世界の法則を私は把握して、操ることができる。あな たより一段階上の世界の住人なの。七識ってのは、八識に到達する以前の、あくまで誤謬に過ぎない 、ある一つのルールの中で思考する様式のことかなあ」
 何の事だかさっぱり分からない。
「今も言ったけど、じゃあ八識ってのは?」
「八識ってのは、あっさり言っちゃえば究極的な知のことよ。無前提にして、同時にあらゆる前 提を持つ、理性や論理なんかを超越していると同時にそれを包含している物のこと。すでに思考の主 体すら存在しないわね」
 やっぱり分からない。
「まあ、そんなことはどうでもいい」
 俺は話を元に戻した。
「しかし、俺の世界がイージーモードだって? そんなの有り得ないだろ……」
「でも、あなただって気が付いたでしょ? イージーモードに移った時点で。何もかもが簡単に なって、何の努力をしなくても成功できるようになった」
 それはその通りだった。
 あの時は、違和感を感じていたはずだ。
 しかし、必死に抗弁する。
「だけど……それは実力であって……」
 嘲笑が返ってきた。
「そんなわけないでしょ。能力はそんなにすぐ変わるもんじゃないわ。それくらい、あなたにだ って分かるでしょ?」
「そんな……」
 頭をバリバリと掻きむしる。
「じゃあ、この半年で成し遂げてきた事は、全部イージーモードのおかげだっていうのか?」
「そうよ。イージーモードだから、あなたの行動はすべて上手くいってたの」
 そんな事を認めるわけにはいかない。無理に笑い声を上げる。
「あはは……いや、まったく面白い夢だなあ」
 そうだ、これは夢なんだ。
 自分に言い聞かせる。
 まともに反応する方が、どうかして……
「う……」
 だが、天使と目が合った。
 笑いが凍りつく。
「いいじゃない、それで」
 その視線は、ニンマリと笑いを浮かべていながら、貫くように鋭かった。
「あなたがただの夢だと思いたいなら、そう思えばいい。自分の世界を壊そうとする、都合の悪 い事からは目をそむければ? それが人生。その方が幸せだもの、ねえ?」
「ううっ……」
 その言葉は、俺の胸に突き刺さった。
 否応なしに悟らされた。
 自分は、ただ誰かの決めた設定の中で踊っていただけ。
 無力……。
「俺は……」
 身体の力が抜ける。
「……」
 言葉が見つからない。
 それを見て、愉快そうに、
「アハハハ! 落ち込んでる落ち込んでる。やっぱり、こういう反応こそ、真実を告げる時の醍 醐味よね」
 頭痛がする。朦朧としながら、つぶやく。
「じゃあ、俺のやってきた事なんて、何の意味も無いじゃないか……」
 すると、意外な言葉が投げかけられた。
「えー、そんな事もないんじゃないかな」
「え?」
 意外に思って、天使の方を見る。元気づけてくれるのかと思った。
「だって、プレイヤーはノーマルの難易度じゃ難しすぎて面白くないと思ったから、イージーモ ードを選択したわけでしょ。今はプレイヤーはたぶん楽しんでるんだろうし、それでいいんじゃない の」
 ぜんぜん違った。
「そんな理屈があるかよ!」
 頭にきて、立ちあがって叫ぶ。
「俺はれっきとした人間なんだ。そんな、どこの誰とも分からない奴に操られて、その上、世界 の難易度まで変えられて、そんな事で人生を送ってるって言えるか!」
「じゃあ、一つ質問いい?」
 向こうから質問されるとは思わなかったので、驚いた。
「……何だよ?」
「いったい、どこの誰が、自分は何者かに密かに操られてるんじゃないかという不安無しに、生 きていく事が出来るでしょーか?」
「え……?」
 それは、考えてみた事もない問いだった。
「例えば、あなたのプレイヤーだって、どこかにいる別のプレイヤーに操られてるだけって可能 性も否定できないわ。かく言う私だって、似たようなゲームの駒の一つかもしれない。ようは、そん なもんなのよ、生きるなんて事は」
 まったく冷静に、あっけらかんと言われた。
 そんな言葉で気持ちがおさまるはずもない。
「でも、イージーモードはひどすぎるだろ!」
「逆にハードモードで遊ぶ人もいるのよ。上手くいかない人生の方が面白いって」
「そういう問題か!」
 大声で抗議する。
「人間の生きがいってのは……そんな風に簡単に操作していいものじゃない!」
「あのねー、まあ、そう言いたくなる気持ちも分かるけど、プレイヤーから見れば君はあくまで キャラクターに過ぎないんだから、君の主観なんか知ったこっちゃないのよね」
「俺の人権はどこにあるんだ……」
「へー、この世界では、人権なんていう概念が設定に組み込まれてるのね。ずいぶん間抜けな話 ね」
「……」
 論理が通用しない。
 完全に打ちのめされて、頭を抱えこむ。
「じゃあ、あたしは帰るけど、安心して」
 ニヤッと笑った気配がして、
「この”夢”はいっさい記憶には残らないから。あなたはこれまで通り、成功と満足感に満ちあ ふれた人生を送っていくから。そうじゃないとゲームに支障出ちゃうしね」
「何だってっ、記憶に残らないッ!? ちょっと!」
「じゃあね。お幸せに」
 天使は、来た時と同じように、天井をすり抜けて飛び去った。
「そんな……」
 俺は、目覚めたら、またあの馬鹿げた暮らしを送っていくのか。
 難易度の下げられた、イージーな世界で、得意になって。
 はるかの気持ちだって、嘘だって言うのか。いや、そもそもはるか自体が、架空の存在なのか 。
「俺は、忘れないぞ。俺は……!」
 両手の爪をこめかみに突き立てながら、ブツブツと必死に呟き続ける。
「どうすれば、どうすればいいんだ!?」
 眠らなければいいのか?
 いや、違う。今そもそも夢の中にいるんだ。
 どうにかしてこの事を記憶に留めなければ……
 ああ、俺はなんて馬鹿だったんだろう。
「何とか、何とかしなくちゃ……!」
 思いだすのは、この半年間の浮かれた俺の姿ばかりだ。
「何か方法は……」
 しかし、俺の意識は薄れていき……
 
 目覚まし時計に起こされる必要もなく、晴れ晴れとした気持ちで自然に目が覚めた。
 心には自信が漲っている。そうだ、入試なんて、俺にとっては大した障害ではない。
 
 そうして俺は……いや、私は、順調に科学者としてエリートコースを歩み、世紀の大発見をし て、三十二歳でノーベル化学賞を受賞した。今では、天才科学者として、世界にその名が知れ渡って いる。
 いくつかの特許も取り、それなりの財産も築いた。
 はるかとは二十四歳で結婚し、今では二人の子どもにも恵まれている。
 現在、私は四十五歳だ。人生に何の不満もない。
 私はひょっとすると、幸運の星のもとに産まれたのかもしれないなあ。