捧げよ童貞、汝が至高に
 
 僕が童貞を失ったのは高一の夏休みだった。
 あの日はひどい雷雨で、僕は昼食を食べた後、家でテレビゲームをして遊んでいた。
 すると、家の電話が鳴った。その頃、僕は携帯を持っていなかった。
 出てみると、彼女からだった。この後、三時ごろ、遊びに来ないかという。生まれて初めて出来た彼女だったし、付き合い始めてまだ二ヶ月しか経っていないのだ。天気は悪かったが、当然、喜んで遊びに行くと答えた。
 彼女の自宅を訪ねればいいのかと訊いた。すると、少し間があった後で、彼女は、ちょっと今日は家は都合が悪いから、別の場所に来て欲しいと言った。僕は何も考えずに了解した。彼女は僕が行くべき場所の住所を伝えると、電話を切った。
 しばらくして、僕は早めに家を出た。そして目的地にたどり着いたのだが、そこに立っていたのは、二階建ての古びたアパートだった。こんな所で会うのだろうか。訝しく思いながらも、教えられた部屋番号の書かれたドアの前に行き、チャイムを鳴らした。
 間違いではなかった。ドアを開けて出てきたのは彼女だった。彼女は僕を部屋の中に招き入れながら、ここは自分の年上の従妹が大学に通うために借りているアパートなのだと説明した。
 建物は古かったが、部屋の中は清潔だった。そして、ちょっとおかしく思ったのは、部屋の真ん中に布団が敷いてあることだった。だが、その時の僕は、それほど気にも留めなかった。
 しばらくは他愛もない話をしていた。部屋には何冊か、洋画の画集が置かれていて、それを二人で眺めたりした。そんな風に過ごしていた時、とつぜん彼女が言った。
「シャワー浴びない?」
 僕はただ驚いた。
「なんで?」
 それで、単純に聞き返した。鈍感で無邪気な少年! 彼女は、そんな僕にこう言った。
「わたし、今日、下着つけてないんだ」
 ああ、あの時、彼女はどうしてあのように積極的で、果敢で、勇猛だったのだろうか。普段はあれほど内気で、大人しかった彼女が。僕は彼女を賞賛したい。たとえ好奇心に突き動かされていただけだったのだとしても、その勇気と行動力を褒め讃えたい。何故ならば、彼女は同い年だっただけではなく、後で分かったことだったが、僕と同じく、初めて、まぎれもなく処女だったのだから。
 彼女の言葉に、さすがの少年も、いま自分の身に何が起きているのか、そしてこれから何が起きようとしているのか、明確に悟った。初めて彼女が女に見えた。下着の中で、少年の
 
「おい!」
 ここまで読んだ所で、メガネを掛けた髪の油っぽい感じの少年が、隣に座っている、口元に不敵な微笑を浮かべた絶世の美少年に声をかけた。二人とも黒い学生服姿である。
「何だこりゃ!」
「何って、小説じゃないか」
 微笑を浮かべた超絶美少年は、その笑みをますます深くして答えた。と言うか、ぶっちゃけて言ってしまえば、この超絶美少年というのは僕のことなのである。なので、わざとらしい三人称は止めて、もっと率直に、一人称で書こう。
 僕が本当に不思議に思って、
「僕の小説に、何か問題があるのか?」
 そう尋ねると、文芸部部長のハギワラは、原稿を机に叩きつけながら大声で、
「あるに決まってるだろ! 俺たちが作るのは、次の学校祭で配布する同人誌なんだぞ! こんなエロ私小説載せられるか!」
「エロ私小説とは失礼だな。せめて最後まで読んでから判断を下してほしいね。ははあ、分かった」
 僕はニンマリと笑うと、ポンと肩に手を置き、
「ハギワラヨウイチ、君はまだ童貞なんだな? 高校三年の今になっても、裸になれず、そのケモノ臭い欲望の液体に濡れそぼった下着を、身に着けたままでいるわけだ。それは不快だろう。同情するよ」
 ハギワラは僕の原稿を引きちぎると叫んだ。
「そういう問題じゃない! こんなものはボツだ! 次のヤツを書いてこい!」
「じゃあ、どんなものなら掲載できるんだ?」
「とにかく私小説は止めろ。そうだな……夢のあるファンタジーがいいな。それに、もっと重大な事件を描け。キャラクターの一生が変わってしまうような、そんな劇的なシーンを物語の中で展開させるんだ」
「初めてのセックスがどのくらいその人の一生に影響を与えるか理解しないのか? 十二分に劇的じゃないか。……まあ、童貞にそんなことを言っても仕方ないか」
「うるせえ、殺すぞ!」
 と言うわけで、僕の作品は却下されてしまい、別の作品を書かなければならないことになった。そもそも、あれは私小説ではなくて、完全なフィクションなのだが、僕が童貞を失ったのは十三の時だし……。まあいい。バカと争えばバカを見る、これはゲーテの言葉である。だから、素直に新たな作品に取りかかることにした。
 僕の執筆は速い。三日ほどして、次の作品が出来上がった。
 しかし、賢明な僕は、いきなりハギワラの所に持っていくのは危険だと思った。あの思考能力の低い男では、作品を正当に評価できない可能性が高い。そこで、副部長であるナナミにまず読ませて、彼女を味方に付けてから、ハギワラに原稿を見せる作戦に出た。
 僕は文芸部の女子のほとんどと肉体関係にあるが、ナナミも例外ではない。ちょうどその日は彼女と会う約束をしていた。僕の自宅で夕食を共にする。そして、ベッドインする前、バスローブ姿でソファーでくつろいでいる時に、小説を手渡した。
 ナナミは三十分ほどで読み終わった。
「どう思う、ナナミ?」
「……このようなことを申し上げるのは畏れおおいのですが」
 ちなみに、僕とナナミは完全に主従関係にある。なので、彼女はこのような言葉遣いで喋るわけだ。
「素晴らしい作品なのですが、いささか難点が……」
「なに?」
 僕は眉をつり上げた。
「お前まで、そんなことを言うのか?」
「も、申し訳ありません」
 頭を下げるナナミ。僕に視線を戻して、
「人に心を閉ざして生きてきた旅の槍使い、片目のエルマールが、半人半獣の姿に変身できる種族の少女戦士リドォと巡り会う。かたくなな二人が、お互いの力を認め合い、次第に打ち解け合っていく所はいいと思います」
「ふむ?」
「アクションシーンも、躍動感に溢れています」
「そうだろう」
「ですが、二人が恋人になって、この辺りからだんだん問題が生じてきているのでは……」
「どの辺からだ?」
 
 もう就寝の時間だ。二人は、隣り合った寝室に向かう。
 このさびれた宿屋には、今日は二人しか泊まっていないので、廊下には人気はなかった。
「お休み、リドォ」
「……ああ」
 エルマールは、しなやかなリドォの身体を抱くと、そっと口付けした。体格差があるので、身をかがめるようにして。いつも通り、そうやって、触れるだけのキスのはずだった。それなのに、
「!?」
 リドォは豹人に変化する獣人らしい、薄くなめらかな舌先で、エルマールの唇を愛撫した。驚きと快感に、反射的に彼の口がゆるむと、するりと中に舌をすべり込ませる。
「!!」
 もう、耐えきれない。二人はしっかりと抱き合うと、舌を絡めて、不器用に、しかし夢中で快楽を貪った。
 しばらくして、ようやく身をもぎ離して、
「リドォ、どういうつもりだ。俺は誓ったんだぞ?」
 エルマールは珍しく感情を露わにし、困惑した表情で問いかけた。
「なのに、お前の方からこんな事をするなんて……」
「誓い……。そうだ、確かにお前は誓いを立ててくれた。私との肉体的な接触は、唇を合わせるだけのキスに止めると」
「ああ」
「獣人は、人間と一度でも交尾すると、その獣化能力を失う。私は、選ばれた精鋭、豹族の聖戦士だ。それが私の誇りであり、全てだ。獣人化できなくなったら、戦えなくなる。私は私でなくなってしまう」
「だったら、何故……」
 リドォは、首を横に振ると、
「言うな。もう何も言わないでくれ……」
 エルマールの胸に身を委ねた。彼はそっと抱きとめた。幾多の戦いをくぐり抜けてきた女戦士ではなく、ただ不器用で一途な、恋する少女がそこにいた。いつもの強ばった厳しい表情が消え失せて、リドォの顔だちの元々の可愛らしさが、はっきりと現れている。
「獣人の感覚は、獣化していなくても、お前が思っているより鋭敏なのだ。体臭を嗅げば、体調だって分かるし、その……」
 少し言い淀んで、
「おっ、お前が……ときおり自分を慰めていることだって、においで分かるのだ……」
「……リドォ、お前」
 リドォは身体を震わせて、真っ赤になってエルマールを見上げながら言った。
「それに、昨日の深夜、聞いてしまったんだぞ! お前が油断して、隣の部屋で、あんな大きな声を出すから! お前はっ、その、そういう事をしながら、私の名前を呼んでいただろう! そんなっ、そんな事だからっ、私はっ、私は、もうっ……!」
「リドォ」
 エルマールは、リドォの唇を奪った。リドォも素直に受け入れて、二人は深い口付けを交わした。
 唇を離す。リドォは笑みを浮かべて、
「私はもう、私ではなくなってしまったのだ……」
「……本当にいいのか」
「お前と出会った日、いや、もっとずっとずっと前から、決まっていたことなのだろう。ハリド戦役が終わって、傭兵の契約が解除されたときには、すでに自分の気持ちを抑えられなかった。お前と離れてしまうかと思うと……」
 エルマールは、その右目で、心を打ち明けるリドォをじっと見すえていた。
「お前の武技を吸収するために共に旅するなどと、そんなものは口実だ。ただ、お前と一緒にいたかった……」
「それは、俺も同じだ」
「ふふ」
 リドォの静かな笑顔には、覚悟が輝いていた。
「戦士とは何か……そんなつまらぬ理屈などいらん。私は肉欲に負けただけかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい、聖戦士の誇りも、何もかも、全てが。分かったのだ。はっきりと分かったのだよ。私は、ただ、お前を信じているのだ……」
「そうか」
 二人は、じっと見つめ合った。
 そして、エルマールは、いきなり、ひょいとリドォを胸の前に抱き上げた。
「が、ガウぅッ!?」
 リドォも驚いて声を上げたが、されるがままだ。そのまま、エルマールは寝室へと歩いていく。
「その……人間の習慣では、こういう風にするものなのか?」
「そうらしい。……小さい頃、死んだ兄が教えてくれた。何故か、それだけを覚えてる」
「そうなのか」
 寝室に入り、リドォをそっとベッドに寝かせて、とりあえずエルマールはベルトを外す。槍は枕元に立てかけてあった。
「……ところで、エルマール」
「ん?」
「なんだ、その……お前、経験はあるのだろう? お前は、私と会う前も、色々な場所を旅してきたんだろうしな」
「いや、俺は無い」
 エルマールはいつもながら無表情に言った。
「そうなのか……?」
「娼婦宿とか、俺はああいう所は好かん」
「しかし……お前は、よくいろんな女に声をかけられていたではないか」
「俺はお前以外を見たことはない。俺の目は一つしかないからな。それだけだ」
 珍しく、エルマールが冗談めいたことを言った。表情は崩していなかったが。
「……まったく」
 小声で呟いて、顔を赤らめるリドォだった。
「人間の傭兵たちは、戦の前と後には、必ず女を抱くものだと思っていたがな」
「……なら、そう言うお前はどうなんだ? 故郷にいた頃に、好きな相手でもいなかったのか。獣人同士なら、関係を結ぶのは自由だろう?」
「……わ、私は、男に興味を持ったことなどなかった」
「そうか。じゃあ、二人とも初めてだな」
 エルマールは言うと、上半身裸になり
 
「この後は、本格的にまずいです。いえ、その、とても感動しましたが、文芸部の発行する物には掲載不能かと思われます」
「うむ、そうか……ハギワラの言うとおりに書いたのだがな……」
 ファンタジーであり、しかもキャラクターの一生が変わってしまうような劇的な展開。注文通りのはずだが……。
「どうすればいいのだろうか?」
「そうですね……性交のシーンが入っていると、文句を言われるのではないでしょうか」
「……そうか、難しいな。他には? より健全な作品にするためにはどうすればよいか?」
「うーん……例えば、大人が子供に道徳を教えるような内容なら、理想的なのではないかと愚考いたしますが」
「そうか、セックスのシーン抜きで、大人が子供に道徳を教えるんだな。よし、分かった」
 その夜はナナミとたっぷり楽しんだが、ともかく次の日から、僕はまた新作に取り組んだ。ハギワラの指示は当てにならないと言うことが分かったので、ナナミが考えた条件を満たすように知恵を絞った。
 また三日で作品は完成した。
 次は、顧問のシオバラ先生に読んでもらうことにした。二十代後半の国語の女性教師である。顧問のお墨付きがあれば、うつけ者のハギワラが何と言おうと、問題ないだろう。ちなみに、シオバラ先生とも、僕は深い仲である。
「じゃあ、ゆっくり読ませてもらうわね」
 いつも逢い引きに使っている校内の小さな会議室で、隣に座ったシオバラ先生に、完成した作品を差し出す。先生は、丹念に最初から最後まで、何度も読み返しながら読んでくれた。
 そして、
「……良かったわ」
 読み終えた先生は、頷きながら言った。
「では?」
「でも……残念だわ。これは、とても文芸部からは発表できないわ」
「それは何故です?」
 僕はかなり落胆しながら訊いた。
「その……つまりね、ここの最後の部分だけど」
 
「お兄ちゃん、せっくす、しよう」
 そのアイリの言葉は、そしてその幼い媚態は、私を完璧に打ちのめした。
「何を……言ってるんだ」
 アイリの、あれほど愛おしかったオカッパ気味のショートカットも、華奢すぎて折れてしまいそうな脚も、まだ少しも余分な肉の付いていない肢体も、細くて高く澄んでいて響きのない幼女の声も、なんと醜悪におぞましく感じられることか!
「アイリ……君はまだ九歳なんだ! そんなことは、もっと大きくなってから考えることなんだよ!」
「でも、わたしたち、恋人どうしなんでしょう? キスだってしたじゃない」
「それは……」
「じゃあ、お兄ちゃんは、わたしのこと愛してないの?」
「いや……愛してるさ」
 嘘だ。今は恐怖さえ感じている。
「わたしも、お兄ちゃんのこと愛してるよ」
 その気持ちは、根本的な部分では嘘ではないのかもしれない。
 だが、この娘は……!
「いたくてもへいき。だから……ねっ?」
 アイリは、私のベッドの上に寝っ転がると、
「うふふ……」
 わざとらしい笑い声を立てながら、スカートをめくり上げて下着を見せた。
「せっくす……したいんでしょ?」
「違う、違うんだよ、アイリ。ああ、お前だけは……!」
 私は、もう倒れてしまいそうだった。手ひどい貧血を起こしたときのようだ。気分が悪い。膝を抱えるように、その場にうずくまる。
「お兄ちゃんってばあ」
 アイリの声は、遠くから聞こえるようだった。
 周囲の世界がぐるぐると回っている。
「お前をそうさせたのは、時代なのかな?」
 小さく呟く。
「童貞の私は……」
「えっ?」
 アイリは、私の言葉にわずかに注意を向けたが、
「ねえ、わたしの……」
 また、甘ったるい作り声で喋り始めた。
 もう耐えきれない。
 私は立ち上がると、自分の部屋を飛び出して走りだした。
 走った。
 走った。
 どこまでも走った。
 方角も、信号も、車も、何もかも無視して走り続けた。
 そして、
「ああ……?」
 私は、どこかの海岸にたどり着いていた。一体どれほど走ったというのだろう。
 そして、波打ち際では、水着姿の少女たちが、数人戯れていた。
 いや、幼い少女たちだけではない。無数の若い女性もいた。中年の女も、老婆も。いや、それだけでなくあらゆる年齢の男も、いや、人間だけではない、動物も、植物も、自然物、人工物、もはや海もその集合の中に在り、星々、ブラックホール、全ての銀河系、そして存在そのもの。ありとあらゆる存在する物全てが、そこに存在し、やはり互いに戯れ合っていたのだった。
 その姿は、醜く、同時に、美しかった。
「ああ……」
 私は、涙を流しながら、それらの姿に見入っていた。
 いつまでも、いつまでも涙は流れた。
 
「だからね、発表できない理由は……ごく幼い子供も性的欲望、もしくは、言葉を飾れば、性に対する好奇心かな、そういったベクトルの心の働きを持っていると言うことは、一種のタブーなのよ。人は心理学的な一種の論説としてはそれを理解するけれど、けっして自分の心で掴もうとはしない」
「でも、それは枝葉の部分です。僕は……そんなことを言いたいんじゃない」
「ええ。たぶん、何も言いたくないんでしょう?」
「……」
 シオバラ先生は、立ち上がると、黙ったままの僕を後ろからそっと抱きしめてくれた。まるで母のように。あいにく、僕の母は、そんなことをしてくれたことはなかったが。
「僕はもう行きます」
「ええ」
 シオバラ先生は、立ち去ろうとする僕に訊いた。
「また小説を書くの?」
 僕は振り返らずに答えた。
「機会があればね」
 そして僕は
 
 
 と、ここまで書いた所で、僕の処女小説……と言うか、むしろ童貞小説と言うべきだろう……は消えてしまった。突然パソコンが強制終了したのだ。理由は分からない。とにかく、そいつは未完のまま、誰の目にも触れず、終わった。完全に消滅した。僕は童貞のままというわけだ。実際、二十歳にもなって、肉体的にも、僕は童貞なわけだし。まったく、やれやれだ。ふむ、ところで、あれは本当なのかな、三十歳まで童貞でいると、魔法が使えるようになるって?