私はあなたを消せなくて
 
 お昼休み。
 ここは、日本のとある高校の教室である。
 季節は初夏、風薫る季節だ。
 制服姿の男女が、思い思いに、昼食を取ったり、おしゃべりに興じたりしている。
 ところが、その片隅で……
「ふぅー」
 一人、窓際の席に座り、ほおづえを突いている、メガネをかけた少女がいた。
 視線はどこを見ているという事もなく、物思いに耽っている様子だ。
 その少女に、
「マリカっ」
 声がかけられた。
「えっ?」
 ぼうっとしていた少女は、少し間があってから、右を見た。
「ああ、アサミ」
 立っていたのは、お弁当を片手に持った友人の早川アサミだった。
 アサミは、空いていた隣の机をマリカの机に寄せると、そこに座る。
「お弁当、食べないの?」
「え? ううん、食べるよ」
 マリカは、のろのろとカバンからお弁当を取りだすと、包みを開け始めた。アサミは、とっくにフタを開け、お箸まで準備して待っている。
「いただきます」
 二人揃って挨拶をすると、食べ始める。
「そう言えばさ、この前ユウちゃんに会ったんだけど」
 アサミは話しかけるのだが、
「……」
 反応が無い。
 マリカは食べ物を口に運んでいるだけで、心ここにあらずの状態である。
「マリカ!」
 アサミは、ちょっと大きな声を出した。
「え、どうしたの?」
「もう、どうしたのじゃないよ。ぜんぜん人の話聞いてないんだから」
「あ、そうだった……? ごめん」
「まあ、マリカは昔からそうだけど……最近はとくに考え事してることが多いよね」
 アサミはニッと笑った。
「まっ、理由は分かってるけどさ」
「分かってるって……なに?」
 アサミは他の人に聞こえないように声を落として、
「隠さなくてもいいよ。新野《にいの》君のことでしょ?」
 色白のマリカの顔が、ゆっくりと赤くなる。教室の中を見渡して、当人のいないことを確認してから、
「なんで、そんなこと知っているの? ひょっとして、噂になってるの?」
「違うよー。だってマリカの話、近頃、その人のことばっかりじゃない」
 指摘されて、マリカは大きく目を見開いた。
「そう……?」
「そうだよ。自分で気付いてなかったの?」
「うん……」
「はあ」
 やれやれとアサミがため息をついた。
 新野君。フルネームは新野忠明《にいのただあき》。マリカのクラスメートであった。
「新野君が今日も図書室にいたー、とか。こんな本読んでたー、とか。ちょっと話ししたー、とか」
「私、そんなこと言ってたの?」
「言ってたよ。分かりやすいなあ、もう」
「なんだか恥ずかしい……」
 マリカは、ますます顔を赤らめた。
「いやー、でも、マリカもそういうことで悩むようになったか。よかったよかった。昔は、人類が滅んだらどんな生物が地球を支配するか、なんて悩んでたんだから。なんか安心するよ」
「む、昔の話よ」
「まあ、それはともかく。安心して、マリカ。私がいいこと考えたから」
「いいこと?」
 アサミはニッコリ笑うと、
「うん。今日の放課後とか、時間ある?」
「今日? とくに予定はないけど」
「じゃあ、授業終わってからこの教室で待ってて」
「うん、分かった」
 その後は、とりとめもない話になった。
 昼休みが終わる頃、アサミは自分の教室に戻ってゆき、新野君もマリカのいる教室に戻ってきた。
 細身で、優しい目をしていて、周りの男子とはどこか違う雰囲気の彼が、自分の席に着くのを、マリカは密かに目で追っていた。
(また図書室に行ってたのかな? 新野君は、お昼は、どこで誰と食べてるんだろう?)
 また授業が始まる。
 特に変わったこともなく、午後の時間は過ぎてゆき、放課後になった。
 マリカは、言われた通り自分の教室で待っていた。
「お待たせ、マリカ」
 やってきたアサミは、一人ではなかった。見たことのない男子が一緒である。
「この人は松田君。同じ学年。私とは、バスケット部つながりで友だちになったんだ」
「私は潮崎マリカです」
 マリカは立ち上がって名乗ると、深々と頭を下げた。
「あ、松田ユウスケです。どうもこんにちは」
 ちょっと気弱そうな顔立ちの男子は、マリカの丁寧な態度に恐縮しながら、自己紹介をした。
「それでアサミ。三人でどうするの?」
「まあまあ、すぐに分かるから。じゃあ、こんなところで話すのも何だし、お茶でも飲みに行こっか」
 三人は、学校の近くにあるドーナツショップに移動した。歩行中の会話で、アサミと松田はけっこう親しいことが分かった。男子と女子のバスケット部は、けっこう交流があるものらしい。
 店に入り、それぞれ飲み物を受け取って、席に着く。四人掛けの席で、マリカとアサミが隣同士に座った。
「それで本題に入るとさ、マリカが新野君のこと好きなんだよね」
「ちょ、ちょっと、アサミ!」
 いきなりとんでもないことを言い出したアサミに、マリカは慌てたが、
「大丈夫、松田君は言いふらしたりしないから。ねっ、松田君」
「は、はい、早川さんにはお世話になってるんで……」
 松田の態度からすると、アサミは彼の秘密……おそらく恋愛関係のものを握っているようだった。
「でさ、松田君は新野君と仲が良いんだ。いつもお昼一緒に食べてるんだよね?」
「あ、はい。そうです。何人かのグループで……」
「だから、新野君のことなら、松田君に訊けばいいんじゃないかと思って」
「そうなんだ……」
 マリカは納得した。突然のことで戸惑っていたが、これは良い機会かもしれない。
「じゃあ、質問してもいいですか?」
 マリカは尋ねた。
「はい。新野のことだったら、わりと分かると思います。でも……」
 松田は、困ったように言い淀んだ。
「でもって、何かまずいことでもあるの?」
「いや……潮崎さん、新野のこと好きなんですよね? それがちょっと……」
「どういうこと?」
 松田は、眉を寄せながら、
「いや、あいつ、あんまり女の子に興味がないって言うか、普段ぜんぜんそういう話しないんですよね。それで、一回不思議に思って訊いたことがあるんです。そしたら……」
「そうしたら?」
「ハッキリしたことは言わなかったんですけど、なんか遠距離恋愛してるみたいなことを言ってて……」
「えー!」
「遠距離恋愛……」
 マリカは、目の前が真っ暗になるような思いだった。
(新野君……彼女いるんだ……)
「けっこう真剣な感じだったんですよね。だから、新野に告白しても、上手くいかないんじゃないかな、と思って……」
 申し訳なさそうに松田は言った。
 マリカの想いは、いきなり最大の障害にぶつかってしまった。
(そうなんだ……)
 その後、何を話したのか、マリカはほとんど覚えていなかった。
 ともかく、その帰り道、
「残念だったね、マリカ……」
 自転車通学の松田と別れて、最寄りの駅に向かう途中で、アサミが声をかけてきた。
「うん……」
「でも、考えようによってはさ、告白して失敗するより良かったんじゃないかな」
「そうかもね」
 俯いたまま、マリカが答えた。
 もう日も暮れて、街灯が灯り始めていた。
「……」
 アサミは、掛ける言葉が見つからず、口をつぐんだ。カラスの鳴き声がやたらに大きく響いていた。
 その後は、二人の間には会話はなかった。別れ際に、
「何かあったら、電話してね」
 と、アサミは声をかけた。それ以外には何も言えなかった。
 それから何日間か、二人の会話に新野君の名前は出てこなかった。マリカはいつもよりも口数が多く、つとめて明るく振る舞っているのは明らかだった。
 しかし、ある日、二人が一緒に帰っている途中、
「アサミ、私、決めたんだ」
 マリカが、いつになくキッパリとした口調で言った。
「何を?」
「私、新野君に告白する」
「えっ!?」
 意外な言葉に、アサミは驚き、
「それは……新野君が、自分の方を向いてくれるかもしれないと思ってそうするの?」
 と尋ねた。
「ううん。そんな事じゃないよ。それに、付き合ってる人がいるのに、告白されたからって、その人を捨てて、私のことを好きになっちゃうような人なら、私は好きじゃないもの」
(うわー、マリカ……純粋だなー)
 アサミは思ったが、それならば、余計なんで告白するのか不思議である。
「じゃあ、どうしてなの?」
 マリカは悲しそうに微笑んで、
「自分のため……かな」
「自分の?」
「うん。気持ちがね、何だかとっても……そう、心の整理がつかないんだ。だから、告白して、はっきり断ってもらうの。そうすれば、少しは落ち着くかなと思って」
「そうか……」
「新野君にとっては、迷惑なのかもしれないけどね……」
 マリカは複雑な表情で言った。
 アサミは首を横に振り、
「そんな事ない。純粋な気持ちで好きって言われて、嫌だと思う人はいないよ」
「そうかな」
「そうだよ」
 アサミは力強く頷いた。
「ありがとう。なるべく早く言うつもりなんだ。明日か、あさってか」
「うん」
 マリカは、胸に手を当てて、
「変なんだけど、なんだかドキドキしちゃうな。失敗するって、分かってても……」
 小さな声で呟いた。
 それから、二日後の放課後のことである。
「新野君」
 突然、呼びかけられた少年は、読んでいた本から顔を上げて横を見た。
「やあ、潮崎さん」
 マリカを見て、顔がほころぶ。
「どうしたの?」
「あの……あの……」
 すぐには言葉が出てこない。緊張で息苦しくなるのをこらえながら、
「本を読んでいるところごめんなさい。その、新野君にお話しがあるんです。ちょっと、来てもらえますか?」
「うん、いいけど……」
 新野は、読んでいた本を返却棚に置くと、マリカの後を付いてきた。
(私……新野君と一緒に歩いてる……)
 それだけでも、夢の中の出来事のような気がするマリカだった。
 屋上に向かう。幸い、屋上に人気は無かった。まだ日も高く、良い天気だ。
「それで……話って言うのは」
 少年は、誰もいないところに連れてこられたので、不思議そうな顔をしていた。
 いよいよだ。
 もう逃げることは出来ない。
 日頃から赤くなりやすいマリカだが、今は耳まで真っ赤だ。心臓が破裂しそうになるというのが、単なる比喩でないことを感じていた。
「私、私は……」
 足元がぐらぐら揺れているような気がする。
「あの……」
 言葉が出てこない。
 このままではいけない。
 マリカは、ギュッと目をつぶり、手を震わせながら、
「あのっ、私、新野君のこと、好きなんですっ!」
 一気に言い切った。
「えっ……」
 新野君の驚きの声。
 そのまま、目を閉じたままでいた。
 そして、少ししてゆっくりと目を開けると、新野君はまだビックリした顔をしていた。
「僕のことを……?」
「はい。私と、付き合ってくれませんか……?」
 マリカは、潤んだ瞳で少年を見つめていた。
 二人の視線が交差する。
(新野君……)
 だが、少年は、辛そうに目を伏せると、
「ごめん。気持ちは嬉しいんだけど……」
 ゆっくりと、
「僕は、それに応えられないよ……」
 そんな言葉を口にした。
 予想した通りの返答だった。
「そうですか……」
 マリカは、一瞬、視線を落とした後で、すこし落ち着いた気持ちになって尋ねた。
「もしよかったらなんですけど……理由を訊いてもいいですか?」
「ああ。……潮崎さんになら、話してもいいかもしれないな」
 少年は、澄んだ瞳でマリカを見つめながら、
「僕には好きな人がいるんだ。だから、潮崎さんと付き合ったりすることは出来ない」
「その方は……どんな人なんですか?」
「小さな女の子だよ。十歳のね」
「エ?」
 マリカは固まった。
「と言っても、生きていれば、僕たちと同い年なんだけど」
「それって……?」
 少年は淡々と説明を続けた。
「十歳の時、僕には大好きな女の子がいたんだ。その子も、僕のことを好いてくれていた。僕はその頃、海沿いの町に住んでいた。それで、あるとき海に落ちて溺れそうになったんだ。その子は、僕を助けようとして飛び込んだ。結局、僕は助かって、その子は死んだ」
「そんな……」
 少年の顔に、どこか自嘲するような笑いが浮かんでいた。
「何だかね、おかしな話だと思うんだけどさ。僕はその子のことが忘れられないんだよ。だから僕は、一生、女の子とは付き合わないって決めたんだ。だから、潮崎さんの告白も断らせてもらう……こんな理由で、申し訳ないと思うんだけど……」
「申し訳ないなんてこと……ありません……」
 マリカは、静かに首を横に振った。
「そんなの変だよ!」
 次の日の昼休み。
 断られた理由を聞いて、アサミは怒った。
「その女の子のことはたしかに大事かもしれない。けど、その事にいつまでもこだわり続けて、絶対に彼女を作らないなんて、それは間違ってる!」
「そうかしら?」
「そうだよ。それは、むしろその子に失礼だよ。助けてもらった命なら、精一杯生きるべきじゃない! 女の子だって、そうしてほしいに決まってるよ!」
「うん……」
 今日は窓の外は雨だった。教室内も、ずいぶん蒸している。
 梅雨にはまだ早いのだが。