第19段 お台場を造った幕臣と博徒の親分

 先日Jネットの例会の前に時間を作ってお台場へ行ってきました。浅草から水上バスに乗って海浜公園に着き、フジTVの展望台から黄昏の東京港と遙かにかすむ富士山を見る。
 お台場とは砲台場のことで、黒船来航にあわてた幕府が嘉永6年江川太郎左衛門坦庵に命じて突貫工事で造らせたもので、5つと半分造ったうちの2つの台場が残って史跡になっています。彼は韮山代官として善政を施し世直し大明神と仰がれた人。甲州の天野海蔵に工事をさせることにしましたが人足がたりない。幕府の財政は逼迫状態で金もなければ時間もなし。結局同郷の博徒の親分大場の久八に人足集めを頼むことになりました。久八は三島界隈を初め各地の無宿者をかき集めて無事工期に間に合わせ、坦庵の顔を立てたといいます。
 坦庵は自ら反射炉を造って大砲を鋳造した当代一流の技術者でしたが、所詮黒船艦隊の敵ではなく幕府の政策は攘夷から開国へと急展開して無用の長物と化し、坦庵自身も過労からまもなく世を去って文字通り骨折り損の草臥れ儲けに終わりました。
 一方の久八は子分三千余と号する東海の大親分で、郷土史家に言わせると清水次郎長をはるかにしのぐ大勢力であった由。義侠心に富みロシアのディアナ号が駿河湾で遭難した時も救助に奔走しました。因みに坦庵はここでも沈没したディアナ号の代船建造を戸田の船大工にやらせている。久八は維新後親分稼業から足を洗い芝増上寺で修行に励んで管長の覚えもめでたく、帰郷に際して「信礼院義誉智仁徳善居士」という大層な戒名を頂戴しました。その戒名を刻んだ墓が伊豆箱根鉄道大場駅に近い広渡寺にあります。農業に精を出し村人に慕われて晩年を送ったといいます。
 幕末に異彩を放った江川坦庵と大場の久八にフジTVの展望台からお台場の今を見せてやりたいものだと、餡パン食べつつ二人のことを想う私でありました。そういえば坦庵には日本で初めてパンを焼いたということから「パン祖」の称号も奉られているのであります。 (2004.2.20)