*** mook's Travel Room ***
初めてのインド旅行記

2010年1月2日から9日までの
旅行記です。
重くてそんまそ〜んm(_)m

はじめに…
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インドから帰国して1週間あまり。いまだマスクをはずせず胃腸も不調。これまで150以上の都市を旅して来た私ですが、やはりこれ程強烈な印象を残した場所は他になく・・・。

ことの始まりは、去年の秋。ヴェネツィア映画祭に合わせてタイ・イタリア・クロアチア9日間の旅を終え、高校時代からの友人Mちゃんと「次はどこに行こうかな」と話していた。彼女は私以上に世界中を旅していて、年に2回、お盆休みとお正月休みには必ず海外へ旅行をしている。彼女の次の候補地(3つくらいあったかな?)に"インド"があり、すぐさま「行こう!」と喰いついた。昨年まる1カ月のユーラシア旅行を敢行して以来、ずっと行きたかったクロアチアでさえ行ってみて物足りなさを感じてしまった私。ここは一つ強烈なところへ行ってみたいと・・・

インド。アジア・太平洋の国々は大学の時ほとんどまわってしまっていたのに、最後までなぜか縁のなかった偶然の(必然の?)"聖地"。私のまわりには旅行好きが多いので、その何人かから「人生観変わるよ」といろいろ話は聞いていた。同時に「よっぽど強靭な精神力がないと無理」「気力・体力尽き果てる」などと脅されまくってもいたので、ちょっと思い立って気軽に行くような勇気はなかったし、正直むちゃくちゃ身構えてた。けど、去年シベリア鉄道で居合わせたミッシェル(スコットランド人でめっちゃかわゆい)が、1ヶ月間たった一人でインドをあちこち旅したという話を聞き、「そろそろ行ってみようかな」と。とは言え、やはり一人で行く勇気は毛頭なく、Mちゃんの正月旅行に便乗しようということに。

"無事に(?)"帰国して、いろいろ言われて来た「人生観が変わる」の意味をやっと実感。今回の旅で実感した言葉を一つあげるなら「習うより慣れろ」。人間の適応能力、そして歳を重ねるごとにこり固まっていた価値観のもろいこともろいこと・・・
月並みですが、人の生死についてや日常の便利さ(フツーに電気が使えること、シャワーからお湯が出ることからトイレの形まで)って、今はどこの国に行ってもほぼ同じ物差しで見てしまいがちだけど、そうした価値観が全く通用しない世界があること、そしてそれは決して特殊なモノなんかではなく、この日本でもつい数十年前まではそっちの方が当たり前であったということ。う〜ん、つくづく日本の西欧化というか世界の画一化について、改めて実感させられたというか。そんなこと普段から常に考えていたことではあったけど、インドのたった1週間で「変わっていった」自分のカラダ、そして帰って来てさらに反応しまくった自分のカラダがそれを具体的に教えてくれた。だから「習うより慣れろ」。つまり頭で増やしただけの知識と自分のカラダで体得した何かには雲泥の差があるのだな〜と。

前置きはこのくらいにして、インドの濃い〜8日間は具体的に以下の通り。現地でケータイに打ち込んでいった日記形式なので、言葉のつたないところはありますが、何卒ご容赦を。

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Day 1: とにかく到着
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1月2日

二つセットした、予備の目覚ましだけが鳴ってギリギリ6時半に起床。メインの目覚ましは平日にしか鳴らないようセットしてあったので土曜日の今日には鳴らず、危なかった〜。なぜか指を怪我して血みどろ(?)のままにギリギリ出発〜。しょっぱなからターミナルは間違えるわで、ちょっぴり心配な出だしだけど、なんとか直行便のエアインディアに搭乗。

今回最初の写真。飛行機越しの夕焼け
入国恒例(?)飛行場のトイレ。ご存知手洗い式

デリーまでのフライトは9時間弱のはずが、かなり遅れて11時間近く。NYに行くのと、殆ど変わらない〜(^_^;)機内では映画の選択肢があまりなく、『(500)日のサマー』とハリウッド映画を2つ、タイトル思い出せないけどインド映画を2作鑑賞。
長い長〜い税関の列に並んで、やっと空港出口へ。この時点ですでに夜の9時近く(予定では7時前)、送迎の確認メールが来ていなかったので不安だったけど、なんとかお迎えを発見。デリーまでの40分、片言英語の兄ちゃんといろいろ話してみたのですが、独特の巻き舌発音でわっかりにくい英語だ〜(^^;)。

焚火で暖を取る
インドで最初のカレー
「THE HOST」店内

9時半にホテル到着。これまた場所が分かりにくい〜。もし、迎えが見つからなかったら空港バスを使おうと思ってたけど、これは絶対自力では見つからなかったでしょ〜(^_^;)。
お腹がすいたので、「EMBASSY」というレストランを探してコンノートプレイスをウロウロ。街の中心と聞いていたのに、お店が殆ど閉まっていて道がめちゃくちゃ暗い・・・てか真っ暗。暖を取る為にあちこちで焚かれている焚火も何だか怖い感じで・・・。結局「EMBASSY」は見つからず、「THE HOST」というレストランで、白いカレーを注文。カレーはまぁまぁだったけど、ナンがめちゃくちゃ美味しかった(*^o^*)

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Day 2: 「詐欺おじさん」と遭遇
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1月3日

エアコンの使い方が分からず、寒さで5時起き。ホテルの朝食をゆ〜っくり食べて、早めの9時にはチェックアウト。ホテルから駅まで、1キロ弱のはずなのに、思いっきり最初の道を間違えてニューデリー駅の反対側入口へ行ってしまう。コレが悲劇(喜劇?)の始まりだった…。
自分のチケットがウェイティングだったので、駅に着いたらとにかくインターナショナル・ツーリスト・オフィスに行かなきゃ…と2階を探すも、2階には何のオフィスもない(駅の反対だから当然だけど)。困り果てて、IDを下げた駅員らしいおじさんに聞くと、昨日の列車事故(霧による脱線事故で13人が死傷。コレは本当にあった話で、私も新聞を読んで知っていた)で電車が半日以上遅れているという。確かに自分の乗る電車の番号が掲示板にないし(今考えればその掲示版は出発掲示でなく、到着掲示だったのでなくて当たり前)、夜中の2時とか3時予定の電車の表示しか出ていない。「これは大変、でも今日中にアーグラーへ着かないと友達が心配する!」と焦っていると、6時間でアーグラーに着くバスの手配はコンノートプレイスのDTTDCで出来ると小太りのおじさんは言う。

この時点で気がつけばよかったのだが、ここまでの会話わずか1分強。あっと言う間にリクシャーに乗せられていた。車中で「ハメられた」ことに気づく。案の定連れていかれた先は、偽のDTTDC。リクシャー代も払わず 黙々と歩き出すも、駅から遠く離れて もう自分が何処を歩いているのかまるで分からない… とにかく いろんな人からやたらと話しかけられるし、偽のDTTDCから付いて来る怖そうな兄ちゃんはいるし…。「やばいな〜」と怖い話がぐるぐる頭をまわり始めると、幸運なことにメーター付の黒タクシーを発見。このおじちゃん英語がまるで分からないらしく、怒涛のように客引きをしてくる他のオートリクシャー達とは正反対になかなか私を車に乗せようとしない。それがある意味私には好都合で、何とかコンノート・プレイスから駅の出発口に誘導してまずは一件落着。土地勘が皆無って、ここインドでは致命的ですな。

ニューデリー駅出発口
(後日撮影)
車内で向かいだったミリアム
拾った(?)本販売中
売れてた!

今度はインターナショナル・ツーリスト・オフィスをすぐに見つけて、チケット(ただ紙に席番号を書いてくれただけだったけど)をGET〜。ほっ。超インド式のトイレで用を足してなんとか電車へ。いや〜、見事にやられました。よく電車間に合ったな〜。けど、話しかけてきた人の半分は正しい道を教えてくれてたんだよね。かばんが開いてるよ、と注意してくれた人もいたし… ほんっとインドは一筋縄ではいかない奥深さがあるっていうか…、って今だから言えるんだけど(^^;)。旅行前、インド映画通のTMさんにいろいろ忠告されていましたが、彼女が予言(?)した通り片言英語より相手のテンポよい英語に乗ってしまう方がコロっとひっかかってしまうようで、まぁしょっぱなからインドのいい思い出が出来たかと。

アーグラーまでの電車で一緒になったのは、オーストラリア人の親子とインド人の大学生3人。2人の男の子はコンピューター専攻で車中でもノートパソコンをパタパタ。女の子のミリアムは、ツアコンになるべく猛烈に試験勉強中。
あっという間にアーグラー到着。駅から15分ほどてくてく歩いてホテルへ。その15分の間に様々なものを目撃し、ん〜まさにインドに来たという感じ。昨日は暗くて何も見えなかったからな〜。もしも自分が20代前半でまだ日本以外の国を殆ど見た事がなかったら、すでにこの時点で人生観変わってたかも。

ホテルの中庭
偽トヨタ(マークが同じ!)
外で遊ぶ子どもたち
リクシャーは寒い…

さて、ホテルで先にチェックインしていたMちゃんと合流。思わず抱き合ってしまう。あ〜無事に会えただけで奇跡のよう。彼女は12月30日からすでにインド入りしており、飛行機が4時間、電車が3時間遅れたりして、私以上にこの4日間色々あったようです。
さっそく駅に戻り、プリペイド・リクシャーでタージマハル近くのシャンテイロッジへ。時間が早かったので暫く街をウロウロしてから、シャンテイの屋上へ。うお〜、霧でタージ霞みまくり…よく見える場所なんだけど超残念。陽が落ちたので、チキンマサラを食べて 周りをぶらぶら。観光地のど真ん中なのに街頭が殆ど付いてないので街が恐ろしく暗い上、すぐ停電になる。ん〜タイなんかとは、やっぱレベルが違うな〜。お土産屋で絵葉書を値切って再びリクシャーでホテルへ。書き残した年賀状を書いて10時半 就寝。

食堂の不思議看板
道を歩くラクダ
シャンティーからの霞タージ
本日の夕食

Day 3: 念願のタージマハル
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1月4日

やっぱり時差ボケが取れず、5時半には目が覚める。ゆっくりシャワーを浴びて、インドの数百あるテレビをザッピングし、ホテルの朝食。ここのホテルでは殆ど外国人を見かけず、国内の修学旅行や団体旅行客がいて何ともアットホームな感じ。結構気に入ったので、ここなら1週間くらい泊まれそう。

アグラ城の入口
劇場として使われていた所
イスラム色の濃い中庭
細かい装飾柱

さて、オートリクシャーに乗ってまずはアグラ城へ。一緒のMちゃんが着ていたピンクハウスの衣装が珍しいのか、インド人の若い子達が一緒に写真を撮って欲しいと群がって来る。時間にも余裕があるので、ノロノロ回って2時間くらい。もう大体回ったかと思いきや、まだ肝心の「捕らわれの搭」を見ていなかった。アグラ城 広すぎ。城からきれいに見えるはずのタージマハルが霧に霞んでよく見えないので、諦めてタージマハルへ歩いて向かう。

人もまばらな公園を抜けてタージマハルの西門へ。正面南門へ回って、いよいよ念願のタージマハル〜。さっきまでの霧もすっかり晴れて青空に白が映えてる!さっそく写真を撮りまくって本殿へ。アグラ城へ行くまでタージマハルは純インド建築(?)かと思っていたけど、ムガル帝国あたりからの被侵略も含めたイスラムの強大な影響を実感。いまさらながらインドにおける長いイスラムとの確執を垣間見た気がした。

インド中で見るシマリス
タージをつまんでマス
絵葉書ばりの全景写真
下から見上げるタージ

東門から出て、ひたすら郵便局を探すもそれらしき建物が見つからない。ポストの近くにやっと見つけたのは、ほったて小屋の郵便局。すごすぎる…だってこの辺り、観光客が沢山泊まっていて郵便局なんて他の地域よりずっと頻繁に使われているはずなのに・・・。
メイン通りで名物のオムライスをたいらげ、再びシャンテイロッジで昨日のリベンジ。昨日電車で一緒になったオーストラリア人の親子も山盛りの夕食(?)を食べていた。日暮れまで1時間くらいあるので、階下でブログに写真をあげようとするも うまくあがらず、屋上があまりに寒いのでMちゃんの気分が悪くなってしまい、早々に退散。結局、今日も霧で夕日に染まったタージマハルは拝めず仕舞。

コレが観光地ど真中の郵便局
名物のオムライス
車中で出されたカレー弁
同室だったスペイン人姉妹

ホテルからチャーターしたタクシーで、1時間をかけトゥンドゥラーの駅へ。予定より30分遅れて電車が到着し、無事ヴァナラシーへ出発。完全個室と思いきや、スペイン人姉妹と同室に。彼女達はすでに1カ月近くインドを旅行していてお腹を壊してしまったのだそうで、スーパーで買ったクスクスの缶詰を夕食に。往路のエアインディアでもらったワインをガブ飲みして、10時就寝。

Day 4: 聖なるガンジスへ
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1月5日

5時起床。5時半ヴァナラシー到着予定が結局遅れて6時半に駅へ。駅からプリペイド・リクシャーで、まずはホテルにチェックイン。朝のシャワーを浴びて、さっそくガンジス河へ。う〜ん、噂通り、人だか牛だか犬だか区別のつかない糞の谷間を縫って暫くウロウロ歩き回るも、一向にメインガートが見つからず、気がつくと 思いっきり反対側のめちゃくちゃ遠い処に…。

人力リクシャーのおじさんに値切って30ルピーと言ったものの、メインガートは遥か遠い彼方にあった。申し訳なく100ルピーでお釣りを50にしてもらう。その時、おじさんの出した手縫いの巾着が切なくて…。その洋服に大事そうにくくり付けた巾着が、彼の人生全てを物語っているよう。インドの根底にいまだ残る上下関係、文句一つも言えない彼の態度、地図に書かれたローマ字で何度も場所を聞いてしまったけれど、もしかすると彼はヒンディー語文字さえ読めなかったかもしれない…といった思いが突然ふつふつと湧いて来て涙さえ禁じ得ず、気がつくとメインガートから淀んだガンジスが見えて来た。

ホテル部屋の錠前
ホテルから見た中庭
何でもありのガンジス河
迷子途中で見つけた近代井戸

スターホテルでたらふくランチを食べて2人分が65ルピー(約130円)。安過ぎ・・・。黄金寺院までの長い長〜い露店街を抜けてセキュリティーチェックを受け、荷物を預け、さらに靴を脱がされて、や〜っと中へ。ヒンドゥー式の洗礼儀式(?)にもみくちゃにされ、10分ほどであっという間に退場。後で聞いたらヒンドゥー教徒でなくましてや外国人なんてついこの間までは入れなかったんだとか。両親の名前まで聞かれて本格的に洗礼してもらったのはラッキーだったかも。

安くて美味しかった定食
これまた謎の郵便局
旧市街の映画館
お気に入りの庭カフェ

暫く歩いて河沿いの火葬場へ。ガイド本に書いてあった通りお布施をせがむ男の子も現れ、長居は無用と再び露店街を抜けて旧市街へ。映画館で写真を撮った後中庭のあるおしゃれなカフェでレモンジンジャーティーとアイスパフェを。寒くなって来たので、別のカフェに移ってトマトスープと紅茶(5ルピー=10円)を注文。これもたっぷり香辛料だらけ。

荘厳なプージャー
右端はどう見てもキリスト
フジレストランの生演奏
左はラーメン・右はコフタ

7時近くメインガートに戻ると、プージャーの時間真っ最中。演奏するのも、踊っていたのも、みんな若いにーちゃん達。こういった伝統文化がちゃんと若い世代に受け継がれているのは喜ばしいことだなぁとしみじみ。それは夕飯を食べたフジホームでの生演奏でもつくづく実感。シタールのおじいさんに合わせて、若いにーちゃんが、まるでジャズセッションのように、太鼓を叩いていたのが印象的。
八百屋にボラれ(?オレンジ1コ40円)、オートリクシャーにボラれそうになりながら、ホテルへ到着。明日に備えて早めに就寝。

Day 5: 再びデリーへ
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1月6日

朝の沐浴を見るため、6時に起床。ホテルの部屋に暖房がなかったので、めちゃくちゃ寒い〜。7時に河へ出ると、うるさいおっちゃんと、口数の少ない男の子がいたので、男の子のボートに乗船。今日は河からメインガートへ向かう。各ガートは各マハラジャの歴史を背負っていると、13歳にしか見えない18歳の男の子が説明してくれる。40分かけてメインガートに到着。

若き船漕ぎの男の子
左の水塔はNGOが作ったもの
観光船にまでお土産売り!
ダウンを着てても寒いんですが

気温がめちゃくちゃ低いので数は少ないものの、頭のてっぺんまで河に浸かる人たち、洗濯をする人たち…観光客の乗るボートが行きかう中を抜けて約1時間半後、アッシーガートに戻る。漕いでくれた男の子は、一人で3人の兄弟と家族を養っているそうで、思わず値切った額から最初の数字を払ってしまう。頑張れよ〜。

ところで船漕ぎのに〜ちゃんに「"go by boat"って日本語なんていうの?」と聞かれ「船に乗る」って教えちゃったけど、後でよくよく考えるにインドの観光地で津波のように押し寄せて来る客引きに〜ちゃん達の日本語ってこういう具合に広まっているんだろうな〜。とにかく彼らの日本語は発音がウマい。日本語だけじゃなく、韓国語で言って来る「オディガヨ?(どこ行くの?)」とか「イェッポヨ〜(きれいだね〜)」とか、私の発音よりウマいんじゃない?というくらい。その割に彼ら独特の英語はホントに独特。一度ホテルの朝食で「トーチ(ド)?トーチ(ド)?」と何度も聞かれるので、「トーチド・エッグはいるか?」と聞かれてるのかと思ったら、出てきたのはトーストだった・・・。

ホテルをチェックアウトして、近くのオープンカフェへ。フェアトレードの手製土産を山ほど買って、オートリクシャーで空港へ。1時間20分の距離を1時間でかっとばしてくれたにーちゃんにチップをはずんで、30分前に空港到着。飛行機は案の定(?)遅れて離陸し、再びデリーへ。隣のおじいちゃんはヴァナラシー出身で米国に在住している物理の先生(名前忘れた)。

ぎゅうぎゅうの地下鉄
夜でも明るいメインバザール
本日の夕食

空港からYMCAにチェックインし、コンノートのシティバンクから地下マーケット経由で激混みの地下鉄に乗り、メインバザールへ。なんかタイのカオサン通りみたいな雰囲気だなぁ。シゲタトラベルでネットを借りて調べると、Mちゃんの復路便がインド国内で発生した霧の影響で今夜飛ばなくなったとの情報。
因縁のニューデリー駅経由でコンノートまで歩き、先日見つからなかった「EMBASSY」で豆カレーとチキンストロガノフの夕食。インドに着いてすぐは辛いカレーをペロリと平らげていた私も、さすがに"辛くない"料理が食べたくなって来た。再びコンノートを歩いてMちゃんもチェックインし、10時過ぎに就寝。

Day 6: やっと映画館へ…
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1月7日

まだ時差ボケがなおらず6時頃目が覚める。ホテルでの朝食の後、Mちゃんを送り出してリヴォリシネマへ。カメラと食べ物は禁止だそうで、一旦カメラを置きにYMCAへ。で、念願の『3idiots』をやっと鑑賞。インドへ来てから「おススメの映画は?」と聞くたびに全員から薦められた人気作品。途中インターミッションが入って3時間もあったけど、全く飽きさせないテンポの良さ。ストーリーは3人の大学同窓生が久しぶりに再会するところから始まり、喜怒哀楽の大学生活回想シーンから、かつての仲間をあちこち探しまわるという、至ってベタでオーソドックスな友情&恋愛モノなれど、お約束の歌あり踊りありで盛り沢山。セットも凝ってたし、海外ロケもあってかなり予算のある映画だった。

泊ってたYMCA
やっと観た『3 idiots』
すぐ近くの映画館でも新作が
コレが暖房なんです

そのままコンノートを真南に下ってインド門へ向け延々と歩く。ひとたび ポリスのゲート内に入ると、そこにはもう外国人しかいない。通りを隔てた反対側にはまともな家さえない人たちが生活しているというのに。帰りもホテルまで2キロ程度なので歩いて帰る。お腹は朝からおかしかったが、今度は熱まで出てきて寒気。Oさんに電話を入れた後、具合の悪さもピークに達したので、解熱剤を飲んでぐっすり昼寝。

1時間程寝て まだ迎えに来てもらうまでに時間があるので180もあるテレビチャンネルをザッピング。BBCでさえケーブルなしで見られるとはうらやましい。ニュースチャンネルだけで10以上あり映画のダンスシーンをひたすら流すPVチャンネル、宗教チャンネル、ヒンディー語でドラえもん、クレヨンしんちゃん、ハクション大魔王までが流れるアニメチャンネルなど等、見始めるとけっこうキリがない。

買物した外人マーケット
DVD屋にいた黒澤監督
夕食に入ったカフェ

そうこうしているうちにOさんが到着。ガイドブックに載ってないレジデンスエリアに行きたいという私のリクエストに応えてKHANマーケットという所へ。高級住宅街エリアにしては、思ったよりこじんまりしてるなぁ。輸入モノが並ぶ外国人御用達のお店をはしご。けっこう高い。映画館特等席料金(200ルピー)の2倍近い値段で缶詰めが売ってる〜。70ルピーのクロワッサン詰め合わせを買って、DVDなどを物色し、本屋が2階にある(デリーにしては)おしゃれなカフェへ。ハマスなど中東系のプラッターを頼むも、やはり辛くて3分の1も食べられず…。

夕飯にお付き合い頂いたOさんはなんとインド在住7年目。慣れるまでは、ガスをどうやって引くのかに始まり生活が落ち着くまで、すざましい苦労をされたそうで…どちらかと言えば華奢なタイプのOさん、初インドではやはり下痢などで大変だったそうで、人間何事も慣れればなせるものなんだなぁと改めて感心。ところで何でも安いと思っていたデリーですが、昨今のバブル事情により家賃は高騰しているのだとか。Oさん達は普通のインド人エリアに住んでいるのに家賃は月5万円。駐在などで来ている人たちは毎月数十万円も払っているのだとか!今秋には、旧英国領が集まる体育大会の開催に向け、空港からの鉄道や地下鉄の路線拡大に忙しいデリー。数年後にはまた違う姿になっているのでしょうか…オートリクシャーでホテルに戻ってすぐに爆睡。

Day 8&9: さよならインド…そして洗礼の始まり
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1月8日・9日

今日も6時頃目が覚めて、7時半にホテルで朝食。観ようと思っていた映画が午後からの上映なので、まずは地下鉄でチャンドニ・チョーク駅へ。北へ歩いてオールド・デリー駅付近をぶらぶらし、やっと東西南北が分かったところでラール・キラーへ。中には入らず外だけを観た後、チャンドニ・チョークのメインストリートをモスクまで歩き、ジャマー・マスジットから南へ下る。ここで完璧に道に迷い&お腹の下りで緊急事態となった所で超ラッキーに映画館を発見。しかもあとちょうど30分で観たい映画が始まるので、コレはもぉ天の助け! そして待望の『Pyaar Impossible』を鑑賞。確かに映画館は昨日に比べて超ボロいけど、特等バルコニー席で昨日より100ルピー以上も安いなんてっ!

地下鉄の駅が博物館に
女性専用の席表示
チャンドニーのマックには劇場も
モスク前の市場

こちらもオーソドックスなラブストーリーで(そう言えばコレも大学時代の思い出が現代に繋がっていくというストーリー)、カリフォルニアに始まり、シンガポールでストーリーが進んでいくという歌あり踊りありの約3時間。インターミッションではこれまた香辛料たっぷりのポテトチップスを。ストーリーの成り行きは最後まで分かってるんだけど、見せ方がほんと上手いよね〜。もちろんベタではあるけれど、エンターティンメントの何たるかを知ってるインド映画。私なんかヒンディー語全く分からないのに(台詞のかなりの部分には英語が混じってたんだけど)、2作品合計6時間も楽しめちゃうんだもん。…にしても、今回私が観たのは両作品ともストーリーの半分以上がエリート大学を舞台にしており、どちらもコメディとは言えインドの人達はこういうのをさらっと観られるようになったんだな〜(日本のように誰もが大学に行けるわけじゃないのに)と、ちょっとびっくり。私の中でインド映画というのは、身分は良かれ悪かれ、肉体で這い上がっていくヒーロー像のイメージがあったので。

今日映画を観た劇場
再びモスク前
インド最後の夕食
最後のカレー

映画館を出て再び道に迷ってしまったので、人力リクシャーでチュワニ・バザールへ。そこから地下鉄で再びメインバザールへ戻り、tadkaでパコーラとジンジャーレモンティーを飲んだ後、ホテルで荷物をピックアップしてやっとやっと空港へ。空港までの車には、自動車ショー帰りのインド人二人が同乗。そこでやっと流暢な英語で昨今のデリー事情を聞くことが出来た。まずは、デリーの寒さについて。ガイド本には1月の最低気温の平均は5度と書かれていたけれど、最高は17度だし、まぁ暖かいかなと思っていたらめちゃくちゃ寒い(デリーよりずっと南のヴァラナシーもめちゃくちゃ寒かった。ムンバイは同時期でも30度以上なのに)。ただし、これも最近の温暖化で暖かい日も長くなったとか。それと、デリーに着くなり気が付く空気の汚れ(土埃とスモッグと)も、一時期に比べればまだマシなのだそう。…にしても、暑い時期にはさぞかしツラいんだろうな〜。

空港へ着き、会社などへ最後のお土産を漁りつつ時間を潰していると、やはり30分遅れて23時頃東京へ出発〜。機内映画は、他に選択肢がなかったので『17アゲイン』を鑑賞。最後のインド機内食も、残念ながら吐き気で殆ど食べる気にはなれず、後はひたすら爆睡〜(^_^;) 成田に着くなり空港内のクリニックで薬をもらい、結局家にたどり着いたのはお昼過ぎ。そしてコレが、1週間以上にも渡る下痢と発熱=「インドの洗礼」の始まりだった…

おわりに…
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正直、インドのことは何も知らなかった。 デリー、ムンバイ、コルカタくらいの名前は知っていたけど ヴァラナシーなんて聞いたことなかったし、アーグラーなんて「アゴラ」だと思ってた。 インド映画専門のTMさんに秋頃メールした時には、ほんっとに何も知らない恥ずかしい輩であったことが 今なら分かる。とにかく「デリーは首都で、ムンバイは映画、コルカタと言えばマザーテレサで、タージマハルは どこにあるの?」くらいの知識しかなかったから。行く直前になって一度は観ていた『ガンジー』と『スラムドッグ・ミリオネア』を再鑑賞(言うまでもなく、どちらもイギリス映画)。それでも『ガンジー』で散々語られたイスラムとヒンドゥーの葛藤についてはさっぱり頭に入ってこなかった。
まるで中東に来たかのような錯覚に陥るアグラ城や直後に観たタージマハル、イスラム侵略の爪痕も残るヴァラナシーのガート、ロシアやアメリカ以上の厳重なセキュリティーに守られた黄金寺院をまわってみた今、その重さを実感とともに理解することが出来る。

インドに魅せられた人々は世界中に溢れていて、「インドをみるのに3カ月、インドを知るのに3年」という言葉がある通り、たかだか1週間で3つの都市しかまわってない私なんか、"インドどっぷり派"から言わせればまだ何も見ていないと言われてしまいそうだけど、少なくとも私は"インドの空気"を吸った。それだけで、吸ったことのない人とは確実に"違う"のだ。

そして、お約束の下痢・発熱の洗礼を強烈に受けた帰国後も、「つぎはインドの何処に行こうかな」「つぎは何時行こうかな」とふと考えてしまう自分がいる。これもインドにハマった多くの知人達が言っていたのと同じ体験にほかならない。熱にうなされながら夢の中でインドのに〜ちゃん達が、かの地で100回も200回も聞いて来たのと同じように聞いてくる「First time in India?」夢の中で私はすでに「No, Second time」と答えていた。

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