「愛の神がおられる」

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
(新約聖書ヨハネによる福音書3章16節)

人はだれもが、愛なしには生きられません。愛し、愛される喜びこそが、人の命を生かします。それならば、ほんとうの愛とはなんでしょうか。あるいは、ほんとうの愛をどこに見出すことができるのでしょうか。
私は、ほんとうの愛を聖書から見出すことができました。
   聖書には、ただおひとりの、生きておられる、まことの神さまがおられると書いてあります。この神さまは愛の神さまです。そして父なる神さまです。父親が子供を愛するように、神さまはわたしたち人間を愛してくださっています。父親がわが子をその両腕に抱くようにして、神さまはその腕の中に永遠に、安全にわたしたちを抱き、わたしたちを守り、支えてくださるのです。そして、わたしはあなたを愛しているよ、と途切れることなくわたしたちに語りかけていてくださるのです。

この父なる神さまの愛がいかに深く、大きなものであるのかを語り示しているのが、初めに紹介した新約聖書ヨハネによる福音書3章16節のみ言葉です。神はわたしたちを愛して、たった独りの愛するみ子キリストを十字架につけることをさえなさったというのです。わたしたちが滅びにいたらぬように、独り子の命をも犠牲となさったというのです。
   父なる神は、愛するひとり子を犠牲にするほどにわたしたちを愛してくださったのです。

  愛する独り子を死なせる、ということは、父自身も死ぬほどに心の痛むことでしょう。私にも三人の子供があります。
   彼らを愛しているつもりです。もし、彼らの命を救うために自分の命を犠牲にすることが必要となったなら、あるいは子どもたちのために自分の命を投げ出すかもしれません。しかし、この子供たちの命を犠牲として差し出せと言われたなら、それだけはできません。それは人間の愛の限界でしょう。けれども父なる神さまは、人間の親のできないことをなさったのです。そこに神の愛があるのです。神さまの愛は、人間の愛をはるかにこえる愛です。人間の愛よりもはるかに深く、強く、広い愛なのです。

私は自分のために命を捨てるほどに自分を愛してくださるお方がおられるということを、聖書をとおして知りました。
   そのとき私はびっくりしました。しかし同時に、とてもうれしかったのです。自分のために命を捨てられたお方があるということを知らされたとき、私は単純素朴にそのことを喜ぶほかはありませんでした。その愛に感謝して生きるほかはありませんでした。

あなたという存在を、命をかけてまで愛しておられるお方がおられます。ぜひそのことを知っていただきたいのです。どうぞ教会にいらしてください。お待ちしています。