ローマの信徒への手紙を読む(第5回)

5 感謝

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、
召されて使徒となったパウロから
(ローマ信徒への手紙1章:1節)

 まず初めに、イエス・キリストを通して、
あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。
あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
(ローマの信徒への手紙1章8節)

 1章8節から15節までのところで、パウロはふたつのことを記す。
ひとつは感謝、
今ひとつは願いである。

 まず、ローマ教会の信徒たちのことを彼は神に感謝する。
それは彼らの信仰が全世界に言い伝えられているか
らである。
すなわち、ローマの地にもイエス・キリストのよき知らせが宣べ伝えられ、
イエス・キリストを信じ
る人々が起こされているからである。

 ローマという都市は、言うまでもなく当時の世界の中心−政治、
経済、文化の中心であった。

世界の中心であ
ったということは、
栄誉と栄華とをほしいままにしていたということと同時に、
富や権力や人々の欲望の渦巻く

この世的な繁栄のるつぼであったということでもある。

 黙示録はローマをバビロンの都になぞらえる。

「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、
あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、
あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
すべての国の民は、
怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、
地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、
彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」(黙示録18:2b〜3)

そしてローマは、偶像の神々のるつぼでもあった。
偶像とは人間が造り出す、何でも人間の言うことを聞く神々
であるゆえに、
偶像は世俗的欲望や政治的かけひきと容易に結びつく。
何よりも、ローマ皇帝自身が偶像、礼拝の対象であった。

 ルカによる福音書2章1節は、皇帝アウグストの名を記す。
福音書はあきらかに、ふたりの王を対比している。
ひとりは皇帝、この世の王である。
もうひとりはベツレヘムの家畜小屋に生まれたもうた、
おむつにくるまれた乳飲み子である。
そして福音書は、どちらの王を王とするのかと問う。

 主イエスは今日も、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問いたもう。
そしてわたしたちが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えるとき、
この信仰の告白はつねにわたしたちの全存在をかけた告白であることを覚えさせられる。

 そのようなローマに、しかし主の教会が存在する。
たとえその数はわずかであっても、偶像にひざまずかず、
むなしきものに足元をすくわれず、
「十字架の言葉の愚かさ」(Tコリント1:18以下)に生き抜く人々がある。
この事実はパウロをして神に感謝せしめ、
彼をおおいに励まし、力づけずにはおかなかった。
彼は異邦人に福音を宣べ伝えるために召された者である。
異邦人世界の中心であるローマにも教会がたてられているということは、
世界のどのような場所にも教会がたてられ得るということの証明でなくて何であろうか。
御子イエス・キリストの福音が全世界に宣べ伝えられるとの
神の約束の確かさの証明でなくて何であろうか。

ローマにも教会がある。
このことは、まさしく福音の力、
イエス・キリストの復活の命の力の鮮やかな証しなのだ。

わたしたちの国にもキリストの教会がある。
わたしたちもイエス・キリストを信じる信仰に生きている。
試練はある。
困難もある。
けれども、わたしたちとわたしたちの教会の存在そのものが、
福音の命の力を証ししているのだ。

                       (2006.10.18 祈祷会)