ローマの信徒への手紙を読む(第95回)

95 陣痛(1)

 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、
服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、
神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、
わたしたちは知っています。

(ローマの信徒への手紙8章19〜22節)

 パウロは20節で、被造物は虚無に服していると言う。

 はじめに神が天地を造られたとき、すべての被造物は「極めて良かった」(創世記1:31)芸術作品が作者の力量をそのまま反映するように、被造物は造り主の栄光を照り輝かせていた。そして被造物をとおしてご自身の栄光をあらわすことこそが、神の創造の目的だったのである。
  しかし、その被造物が今虚無に服しているというのである。さらに、うめき苦しんでいる(22)とも言われるのである。 
 神の栄光をあらわすために、神のみ手によってきわめてよきものとして造られた被造物が、なぜ虚無に服しているのだろうか。なぜうめき苦しんでいるのだろうか。
 このことは神の言葉である聖書をとおしてしか知り得ないことであるが、それは人間が罪を犯したためである。被造物のうめきは人の罪に由来しているのである。

 人間はあらゆる被造物の中で特別の存在であった。神は人間を創造の冠として、ご自身のかたちに似せて造られたのである。
 神にかたどって造られるという特別の光栄にあずかった人間は、同時に特別に重い使命をも与えられた。それは神の代理者として、神のみこころに従って地にあるすべての被造物を統治するという使命である。「神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」」(創世記1:28)
 神が人間にいかに大きな光栄と、そして責任とをお与えになったかがわかる。これが創造の冠として、神にかたどって創造されたということの意味なのである。
 けれども人はアダムにあって罪を犯し、堕落した。最初の人は神から食べることを禁じられていた木の実に手を伸ばし、み言葉に背いた。こうして永遠の命の祝福に生きるべく創造されたはずの人間は「塵に返る」(創世記3:19)者となった。神への不従順の罪の罰として死を刈り取る者となったのである。

 ここで注目すべきは創世記3章17節以下である。「神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた/お前のゆえに、土は呪われるものとなった。/お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。/お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に」(17〜18)
 神はアダムに「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」と仰せになっている。「土」とはここでは地にあるすべてのものをさしている。つまり人間の罪の影響はたんに人間のみに、つまりアダムの子孫のみにとどまるものではなかった。人間の罪はすべての被造物にも影響することとなった。創造の冠としての人間が神に背いたその結果が、すべての造られたものたちにも及んだ。それもまた、人間が創造の冠であるという事実の重大さを裏書きしているのである。
 すなわち被造物が虚無に服しているのは、塵に返るべき、滅びるべき者と定められ、そして今日にいたるまでうめき苦しんでいるのは、人間の罪の結果なのである。
 罪におちた人間は、もはや神の代理として地を治める責任をまっとうに果たすことはできない。神のみこころに従って被造物を統治することができなくなってしまったからである。罪ある人間は神のみこころに背き、自分の思いのままに被造物を支配しようとする。そのようにして被造物を苦しめ、傷つける。人の罪の深刻さ、重大さを思わずにはおれないのである。                           (2008.10.1 祈祷会)