作法(点前)

茶道の稽古というとその多くが点前の反復練習となるほど、茶道では重要な要素。考えるよりもまず手を動かしてみて少しずつ学んでいくものです。



点前(てまえ)とは

点前とは、亭主が客に茶を差し上げるため、抹茶を点ててお出しする一連の行為をさします。

舞台芸術では重要な三要素に、舞台、媒体、装いがあります。茶道では、舞台が茶室、媒体は茶道具、そして装いが点前と化するのです。

点前の基本的な流れとしては、準備(入室)→道具を清める→茶を点てる(客数に応じて複数回繰り返す)→道具を清め片付ける→退出となります。




全ての作法には意味があります。その意味は様々ですが、総じて以下のような目的にまとめられます。


おもてなしの表れ

客にお茶を一服差し上げること、それはすべて客をもてなすための行為です。

本来ならば裏方で点てて茶を持って来ればよいものを、本当に美味しいうちに召し上がっていただくためにわざわざ準備の全貌まで見せて客にお出しする。それ自体が点前の意義です。 点前には清めると言う動作がなかなか多くの時間を占めているとも言えますが、これとて客に安全な茶を出していることを示すために行うと言われています。

点前が終わったら水屋(準備・片付ける場所)に持ち帰る道具も、客が鑑賞を所望した場合はきれいに清めて茶室に残して帰ります。

そのような客と客の意向を大切にしてはじめから終わりまで気を抜かず対応する。それこそがおもてなしの心です。


道具を丁寧に扱う

物を大切にするということ、それは古来から日本人が持っている長所であるといえます。点前においても道具を丁寧に扱うのは基本のこととして考えられています。
例えば茶碗を持ち上げたときは両手で持つ、同時にいくつも道具を持たない、大切なものは左手を添える、畳を擦らせながら道具を移動させないなど。

意味を知ってしまえば、どれも当たり前のことかもしれません。その当たり前のことがずっと受け継がれてきたからこそ、今私たちは大名物などと呼ばれるような物をはじめ昔の一品を目の当たりすることが出来るわけです。



無駄を削ぎ落とす

無駄を徹底的に省いたのが利休の詫び茶です。例えば茶室も、人をもてなすのに無駄な空間は必要ないと考え、究極には一畳半まで茶室を狭くしました。
作法も同じ事で、全ての所作に理由があります。意味のない行動は必要ないと省いた結果が、点前の全てです。

だからこそ、慣れれば慣れるほど一連の点前の行為は淀みのない流れるような美しさへと変わります。千家茶道では、点前に主張は必要ありません。客がうっかり見過ごしてしまい、気がついたら点前が終わっていたというそれくらいが理想とされます。経験を積んだ人の点前ほど、見ていて安心感があります。


季節感を出す

日本は四季の移ろいがあるとても美しい国です。そしてその変化を愛する感性も日本人にはDNAレベルで取り込まれているといえます。

茶道も、点前は小さく区切られた茶室の中で行われますが季節感はとても大切にします。季節の花を生けること、季節感のある道具を使うこと。様々です。
それは点前においても同様です。特に点前では「夏涼しく冬暖かに」と言われるように、季節感と同時に客への心がけも忘れません。冬は客のを傍へ釜を近づける、湯の冷めにくい茶碗を使うと言った細かなことにまで及びます。

花や道具をめでた客が「もうこんな時期ですか」とふと外の風に思いを寄せることが出来れば、それは亭主にとって非常に喜ばしいことです。



宗教的な意味合いを持つ

珠光以降、茶道はその思想のよりどころに禅の教えを取り入れています。欲を捨てる、自分を低くし謙遜と節度を持って人と対峙する、それらの考えは仏の教えからきています。

さらに茶道を作り上げたここ日本には太古より八百万の神がおわし、彼らへの畏敬の念は私たちの生活の一部となって脈々と受け継がれています。それは茶道にしても同じことです。結界の概念から茶室内を異世界だと考える趣向、また清めることは点前の流れによって生じるバランスの崩れすなわち穢れを取り除くことであるといった考えなど、古代からの日本の自然を愛し畏れる心が様々に具現化して点前には現れていると言われています。


格を重んじる

格差社会が嫌われる現代では受け入れられがたいことかもしれませんが、茶道では格というものをとても大切にします。利休が活躍した当時の世では当然のことかもしれません。

格を重んじるとはつまり、何が大切かを見極めるということ。道具では茶器が最も位の高い道具となります。持ち上げるときも一番高く持ち上げます。
同じ道具でも型が変わると格が変わり、点前も変わってきます。格を作り活用するということはすなわち、空間に変化をもたらすという大事な意味があります。


(時代に沿った行いとする)

表千家流は利休本筋の流派ということもあり、他流派に比べれば昔のスタイルを色濃く残している方ですが、何も作法は利休以降全く変わっていないということはありません。
茶道は精神性を説く道でもありますが、芸術の側面も持っています。常に新しいものが創造され構築されて、その時代にあうように変遷を遂げてきました。時が流れる限り、変わってはいけないのではなく、変わらないといけないのです。

例えば最近では戦後、椅子にかけて机の上で点前を行う「立礼(りゅうれい)」という方法が考案されました。テーブルと椅子の生活が一般化したからです。近年ではモダンアートのごとく、新素材を活用したアバンギャルドな茶会が多く試みられています。

温故知新という言葉があります。昔からの積み重ねである伝統を大切にして、よくよく租借してから初めて、いま足りないものや無駄なものが見えてきます。そうすることで新しい何かを取り入れられるはずです。はじめから我流でやるのではなく、まずは作法を丁寧に学んでみることが大切であると言えるでしょう。






点前とは、言ってしまえばマニュアル教育です。それもテキストに収めきれない膨大な量のマナーがあり、現代のファーストフード点よりもはるかに昔からありました。

こう言ってしまうと聞こえは悪いですが、マニュアルとはつまり標準化と言う意味です。誰もがバラバラのことをするのではなく、ノウハウが蓄積されてだんだんと一番効率の良い最適解に近づいたと言うことです。

そしてマニュアルは最小限のことしか教えてくれません。それよりも一歩踏み込んだ大切なもてなしの気持ちは自分で作っていかないといけないのです。一期一会その言葉通り、その時その時の状況に応じた対応が求められます。

だから茶道は、永らく多くの人を魅了してきて、そしてこれからも受け継がれていくのです。