日本チリー協会講演会

 

20081125

 

於  川崎汽船会議室



前置き

 

この間まで、筑波大学大学院生命環境科学研究科の教授をしていた安仁屋政武(まさむ)です。

本日の講演のテーマーは「パタゴニアの自然」というタイトルですが、私は氷河の研究を通じてのお話をしたいと思います。

 

 まず最初にこの写真は冬の写真です。パタゴニアに2004/200511月に行って空撮をしたんですが、冬にここを飛んで撮影したというのは世界で初めてのことで、非常に貴重な写真です。これで見る通り非常に美しく、綺麗で本当に人為が全くない、私に言わせると「神の存在を感じる」世界です。

 この山、セロ・アレーナーレスは標高3,365メートルあり、1958

年に神戸大とチリーとの合同登山隊が世界で初めての登頂をしました。

 皆様お判りとは思いますが、簡単にパタゴニア氷原をご説明しますが、これは南米の南端です。一寸見にくいんですが、氷原の形があります。南緯4630分から5130分の地域にあり、パタゴニアを大きく分けると、この写真で判るように黒いところは乾燥地域、赤いところは湿潤地域、そういったところに当然氷河が発達しているわけです。現在2つに分かれています。これが4千km2 13千平方km2です。世界でも有数の規模の大きさの氷河です。

 

日本とパタゴニアの学術的な関わり

 

 ここで日本とパタゴニアの学術的な関わりを簡単に説明します。1.1958年には神戸大学がチリとの合同でパタゴニア第二の高峰、北パタゴニア氷原にあるセロ・アレナーレス(3,365メートル)に初登頂しました。隊長の田中薫氏という地理学者が氷河湖洪水を調査しました。

2.1965年〰69年北大・広島大の合同調査隊が北パタゴニア氷原で氷河と植生の学術調査をしました。

3.1969年京大探検部が南パタゴニア氷原、HPS10で氷河気象の調査をしています。

4.同じ時期である1969年六甲学院隊が南パタゴニア氷原フィヨルド、エクスムースからウプサラ氷河への横断、途中リソパトロン山脈の無名峰(3,000メートル)を初登頂。ここにいられる前川さん(現在川崎汽船社長)も参加されていたのですが、この時隊長が書いた本によるとよく遭難しなかったなと思われる位の壮絶な横断だったですね。(注 阪上秀太郎著―パタゴニア氷床横断―南米大陸白い地図に挑む  芙蓉書房)

5.同じような時に、1968年〰69年東工大のワンゲルがウプサラ氷河(クリスティーナ牧場)付近で登山活動。ということで後でウプサラ氷河の話もする予定です。

6.1971年上智大学隊が南パタゴニア氷原フィヨルド、ファルコンからフィヨルド・エウロペオへの南北縦断をしました。

7.1972年〰73年小樽商科大が南パタゴニア氷原、グレイ氷河からセロ・ブランコ(1,910メートル)に初登頂。

8.1981年〰82年北大ワンゲル隊が北パタゴニア氷原、シュテフェン氷河を踏査。

9.1983年から現在まで我々通称GRPPGlaciological Resarch Project in Patagonia)と言っていますが、北大、筑波大を中心に今でも継続しています。これは主に学術調査であり、登山活動というのは特にやっておりません。 

 

この様に1965年からほぼ20年を置いて学術調査を再開したわけです。一寸紹介しますとこれが北パタゴニア氷原ですが、これが神戸大が登った山です。その次にこれが北大が行ったシュテフェン氷河です。この氷河は40年間でガラッと変わっています。これ見て下さい。一番初めには湖があったんです。それがこの水が抜けて今こういうふうに変っています。氷河もこの辺まであったんですけれど、ずいぶん後退しています。このようにして田中さんのやった学術調査をみますと、これが今の湖。これが水の抜けた後。今たとえばヒマラヤで氷河湖の決壊洪水というのが随分新聞で話題にしていますが、パタゴニアでは結構よく起こっているんです。ただ話題にならないのは余り人間が住んでいなくて、被害が起きないということで話題にならないだけで、氷河のところで決壊して下流が洪水というのは結構あります。

これが南氷原の衛星画像です。これが大体350km位です。これが1986年、これが2001年にとられた映像で、例えば前川さんが行かれたところはここからこういうふうに行かれたのですね。あと上智大とか、なぜか日本隊はこの辺りに集中しています。東工大はここに行っています。我々はこの氷河と、これとこれ3つです。これ一寸見慣れないでしょうが、赤いのが植生、青いのが氷河です。これで判りますようにパタゴニアというのは氷河のすぐ側に植生があります。


パタゴニアの自然2
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