日本チリー協会講演会

 

本日の講演の進め方

 

本日の講演は次の内容で進めてみます。

1.1983年の調査旅行(サン・ラファエル氷河とソレール氷河)

2.1990年ウプサラ氷河調査旅

  行

最新のスライドとかを交えてお話したいと考えています。やはり最初の旅行というのは非常に印象に残りますね。

時間があれば、これは学術的なんであまり詳しく話しても興味を惹かない可能性があると思いますが、紙芝居的に話してみます。

3.北パタゴニア氷原の1945年以降の変動

4 南パタゴニア氷原の1945年以降の変動.

 

1983年の調査旅行

 

これが1983年の最初のものです。

この調査はGRPPという名前で世界に我々の研究として通用しています。

 19831112日〰1984125日まで、10週間という今では一寸考えられないような長期間に亘って調査しました。

これがサン・ラファエル氷河とソーレル氷河。いずれも氷原です。

サン・ラファエル氷河のある場所からピークを越えたところにソーレル氷河があるという位置関係です。

 サン・ラファエル氷河はパタゴニア有数の氷河で面積760 KM2の広がりを持ち、氷河は海から立ち上がり標高1,500メートルにまで上っています。

 学術調査を開始するのにチリ大使館にスペイン語で申請を出したが、当時はピノチェット政権の最盛期でなかなか厳しくて、許可書をもらうのが大変でした。

半年間位何度もチリ大使館に足を運び、メンバー、研究目的、調査地域、スケジュールなどきめ細かく申請書を作り上げ許可を得ました。

 この時は記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんが、新聞記者とテレビも同行してきて、「大氷河2000キロー地球最後の秘境パタゴニア」の記録はモスクワの

グランプリを獲得しました。

 新聞にも大々的に次のように報道されました

 −最後の極地に科学のメス

 −異常気象を探る

 −パタゴニアの氷河に調査隊

 −四大学、北大、筑波大、名古屋大、広島大合同調査隊

 −氷河と気象どう関係するか

 −南極と違う温暖型氷河

 −青と白の幻想―サン・ラファエル氷河の素晴らしいカラー写真が掲載されている

 −華麗と酷薄の対照

 

 これは1984年協力を得たガウチョの写真と2年前の彼との再会時の食事風景です。

お互いに変わったなと話しながら町のレストランでチリ・ワインを傾けています。

氷床30メートルのボーリングは世界初めての試みですが、大変です。

2年間で190メートルも氷河が後退(黒部ダムと相当量が消滅)しています。

 

(パタゴニアまで)

これはサンチャゴ到着直前の写真です。南米最高峰のアコンカグア(6,965M)の秀麗が目立ちます。

私は1997年に登りに行ったんですが、いろいろな事情があって、5,900メートルで敗退しました。

これはご存じの、プエルト・モンの近くにあり、別名チリ富士と日本人が呼ぶオソルノ山です。

私に言わせるとこの表現はチリの人には失礼だなと思いますね。チリには同等の山はいくらでもあります。

プエルト・モンからパタゴニアへ向かう間には尖がった山は少ないですが、大体が雪をかぶった山です。

 

(パタゴニアの玄関口―コジャイケ)

チリ・パタゴニアの玄関口はコジャイケです。当時はプロペラ機が飛んでおり、小さな飛行場でした。

またこの当時パタゴニアでは毎年1機の割で飛行機が墜落していましたが、今写真に写っているこの飛行機も墜落したようです。

飛行場の目の前にこの大きな岩が構えており、広い滑走路が取れないため、ジェット機時代になった現在では車で1時間ばかりの場所に飛行場を移しています。

丁度私達が行ったころJICAで鮭の養殖を行っていました。これがその基地で大変お世話になりました。

北大の水産の人が来たりチリの水産の人が北大に来たりしていました。

これが町の全景です。今はずい分変わっています。20年経っていますから、ものすごく発展しています。

これは私が空撮するのに使用した飛行機です。飛行機をチャーターして空から氷河を撮影します。

これがパイロット。これは隊長。これは朝日新聞の記者。この人は今北見工大の先生をしています。

これが遠望です。これが大体1,200メートルの山。この場所から車で1時間走るとアルゼンチン領です。

 

(サン・ラファエル氷河)

車でここまで行き、ボートで湖を行くとこれがサン・ラファエル氷河です。ここから再びボートで戻って、私はこちらとこちらに行って、

隊が2つに分かれて2つの氷河を調査しました。いわゆる東西の気象を調べたのです。

これが一寸有名なパタゴニアの動物です。グアナコ、コンドル、これはピューマです。

10年位前フィールドで出会いました。学生を二人連れて歩いている時に100メートル位前方にいるのに、偶然出くわし、一瞬ギョッとしました。

人間を襲わないということになっていますが、実際パイネで2人位観光客が食われています。

ですが私が持っている武器はピッケルだけで、幸いにして向こうが風上だったので、気がついたのかつかなかったのか。

それと離れていたんですが、やはり緊張しました。

 

(サン・ラファエル湖の船上)

これが船の上です。これが私の24年前ですが、学生とチリ人と一緒にこんな船で行きましたが、行く途中、氷山ですね。

天気が悪いから幻想的と言えばいえますが、やっぱりヒヤッとして何となく。

これさっきの新聞に出ていますが、サン・ラファエル氷河です。これが観測の本体が乗った小さな船。

この所は水温が5℃位で、初めこの位なら魚はいないのではと言っていましたが、水産の人が刺し網をかけると一晩で80匹位30cm位のが獲れ、

刺身や何やらでたらふく味わいました。

天気がいい時はいいのですが、こういうグルーミーな時は何とも寒いし、陰惨な気分になります。非常に極端です。

この畔に1940年代に観光開発をするということでホテルが建ちました。完成しないでずっと時間が経って私達はここを使ったのですが、

15年位前に誰かが火の不始末で全焼したそうです。燃えてからは私は行っていません。

ここには今こうして飛行機が飛んで来ており、観光客が来ます。結構人気があります。

これが氷河の前面です。高さ50メートルから70メートル位。ビルの高さで20階位が崩れてくる。非常に壮観です。

これ気に入っているのですが、これは氷河でこれは森林です。ここに生えている木は直径数百ミリ。驚きましたね。

氷河から100メートル離れたらこんな大木が一杯あります。地面には40cm位の厚みの苔が生えています。

歩くとスポンジのように弾むのです。何故かというとこの辺りは雨量が4000ミリ位なんです。温かいので植生があるのです。

だから氷河は寒いというイメージとは大分違います。

こういう光景もあります。最初これを見てビックリしました。湖の中に木が沈んでいます。文献を読んだら19世紀の地震でどうも沈んだらしい。

この木なんか年代測ったらおもしろいと思うんですが、当時はあんまりそんなことは考えませんでした。

これナルカという2030メートルの高さの木です。

これも1940年代当時にはここまで氷河だったんです。ですからものすごい勢いで氷河が溶けたというか

これは我々のテントですが、こんな風に泊って調査をしました。

この頃から大きな観光船が来ています。プエルト・モンから、今でもです。そしてボートを出して遊んでいます。

 

(プエルト・モンへの戻り)

これは帰りですけれど、天気が良かったので、ビショ濡れになった機材や衣類を乾かしながら、進んでいたのですが、オマケがありました。

こうしてノンビリしていたら船が座礁したのです。私は丁度疲れてて船底で寝ていたんですが、座礁したところが丁度頭の後の方に当たり、

寝てて“ガン”として何事かと思って飛び上がったら座礁したとのことで、10時間位ジターとしていて満潮になって、やっと浮きました。

この下にホヤが一杯あるんです。何とかして採ろうとしたんですが、取れなかった、

途中に本当にこんな綺麗な滝があります。

こういう所に一人でおばあさんが住んでいました。こうして見ると綺麗な景色ですが、生活そのものは非常に厳しいものです。

 

(プエルト・アイセン)

これはプエルト・アイセンです。ここは昔は大きな港でこの地域の首都であったんですが、今ではコジャイケが取って代わっています。

今はサン・ラファエル氷河への観光船の基地へと変わってきています。

これがコジャイケですが、1983年にはこういう馬車が走っている光景は珍しくなかったものです。当時チリは貧しくてかなりな都会に行ってもそうでした。

 

(オベヘロー羊飼い)

ちょっと最近の今年3月の写真です。オベヘロ、羊飼いですがこれはパタゴニアの象徴です。

パタゴニアは羊で開拓したのですが、プンタレナスに行ってもこれと同じようなモニュメントがあります。羊あってのパタゴニア。こういう馬車とか公園とか、ひとつ驚くのはパタゴニアの馬車はすごく大きく、機械化が進んでいるのです。昔蒸気機関がありましたが

これが中心街です。これも2年前に大改装して、非常に綺麗になりました。

これ今またパタゴニア、チリを騒がせているのはダムなんです。これ至る所に書いてあって、飛行場通りから町中まで、こういう落書きまである。

これ驚いたのはサンチャゴのアルテサニア・サンタルシアの所で、“パタゴニアのダム反対”と書いてあったのです。

聞いてみたら1つでなく、5つも造るというので、私はパタゴニアは自然を資源として観光で生きるのがいいのではないかと思っており、

ダムを造ると自然が壊れるから自殺行為であると言っているのですが、どうなるか判りません。

 

(ロベルト・レオン)

これが25年前に最初に飛んだパイロットです。毎年飛んでいるのでパイロットと客以上の関係となり今では友達関係です。

この町に行くと「ホテルに泊まらず自分の家に来い」と誘われて泊まるのですが、こういう関係もうれしいものと思っています。

この日は彼の奥さんの友達を家に招いての会食をしていました。

 

El Salton

これは有名な観光スポットで冬は凍るんですが、最近は凍らなくなったと言っております。

ホテルに行くとこれが凍った写真があるのですが、私が7月・8月に行った時は凍っていませんでした。

 

Caballero

途中にこんな綺麗な岩がありましたが、丁度帽子をかぶった紳士の横顔に見えるんです。

 

Cerro Castillo

 氷河に浸食された地形が目の前にあります。ここから見ると、Cerro Castillo(2,675M)という有名な山があります。

この時は生憎見えなかったが綺麗な時はこんなものです。さぞかし岩登りかと思ったが、岩がもろくて夏には登れない。

冬凍っている時に登るんだそうです。こんな山がチリには沢山あります。日本に1つでもあれば、すごいことでしょうが

 

Bahia Ibanez

 フェリーで行くためにこのちっちゃな町に、これがLago General Carrelaチリで最も大きな湖、アルゼンチンまで繋がっていますが。

ここにwindy townと書いてありますが、風は本当にすごいですね。

 パタゴニアの一つの特徴は人が住んでいる処には必ずポプラがあります。人家がなくなってても、ポプラがあればそこは昔は人が住んでいた場所です。

 

Chile Chico

こんな風にしてフェリーで行くのです。われわれも道路がなかったのでボートで行きました。

行く先々に立ち寄って行くのですが、ここから数キロでアルゼンチンです。私はまだ行ったことがありませんが。

 ところでさっき言った我々のパイロットの経営する会社の飛行機が1985年に乗客45人を乗せて岩に激突したのですが、

そのパイロットも事故の起こる2週間前には、私と一緒に飛んだんですが、日本に帰って来たら、

「あのパイロット岩にぶつかったぞ」と言われました。そんな世界です。

 上陸したら今度はこんな風な馬車です。今はほとんど自動車ですが。道の広さを見て下さい

(幅30メートルもの直線の未舗装の道の端を1両の馬車が走っている写真)。車はほとんど通っていません。何もありません。マイニング・タウンです。

 

(General Carrera)

 私は地形をやっていますから、こんなのが気になります。昔この所まで湖であった。この位まで湖があったのはいつ頃までだったかという研究もしています。

 これ北氷原とは違う方向ですが、やはり2,5002,600メートルの山脈です。

 

Puerto Cristal

 ここもマイニング・タウンです。船でしか行けない場所です。船が来ると町中の人が寄ってきます。我々日本人が行くと一際物珍しそうに来るのです。

ここでは木造船を造っています。日本ではあまり見られない光景です。

 

(Pto Guadal)

ここにはホテルがないので、普通の家、大きな家を借りて、息子さん達が部屋を空け渡してくれました。

 

Pto Bertrand

最近ここは別荘地として非常に栄えています。我々が行った頃はまだそんな状態ではありませんでした。

56年前に私の京大の2年後輩がチリ大使であった時、ここに1週間来たんですが、「日本の大使が来る」というので大騒ぎをしていました。

この湖では1メートルを越える魚が沢山います。

 

(ソーレル氷河)

 ここから湖をボートで進んで上陸し、馬に乗り換え30km (馬は時速5kmですから約6時間の道のり)を辿りソーレル氷河に向かいました。

ボートは湖が穏やかな時には40分位、波があれば1時間半とか2時間かかります。 

実を言うと、この湖(氷河湖)が1989年に氷河湖決壊を起こしたんです。

その時出た水の量は東京ドーム180杯、それがおそらく23時間位で流れ出したんですから、この部屋の半分位の大きさの岩が約5km下流に流された。

30km下流に2家族が住んでいるのですが、話を聞いたところ、軒下まで水が来て、鍋がプカプカ浮かんで、それを取るのに困ったというのです。

被害の話が全然出ないんです。せいぜい牛が1頭死んだ程度ですから被害は全然問題にならないのです。

 東京でこの規模の洪水、例えば小河内ダムが壊れたらどうなるか、

小河内ダムが爆撃で破壊されて一瞬にして洪水が発生したらどうなるか想像して下さい、規模的に言うとそんなものなんですよ。

 ここからチリで最長の川が始まります。

 

(ボートでの移動)

 これはカチカチ山の船ではないけれど、浸水してくるのと水を掻き出すのとではどちらが早いかという競争をするような状態で行きました。我々が乗る前に船は乾燥していましたが、乗ったらすぐに船底に50センチ位水が溜まりました。2時間ほどつけておくとそのうちふやけてくるから何とかなるだろうと言いながら、水を掻き出しながら進んで行きました。いつ沈むかという状態で3往復やりました。1往復で2時間かかりました。

 

(馬での移動)

 着いたところはこんな処です。馬に乗って1つが20~25kg。合計75kgぐらい、3つの荷物を馬の背に乗せます。河を馬で越えて谷沿いに行きます。

我々は馬に乗るのが殆ど初めてでしたので、結構怖かったです。またこんな河原をこういうふうにトボトボと行きます。

我々は歩いたり馬に乗ったり、河を渡るのは馬に乗って渡るしか出来ません。

水温は4℃か5℃。通常の水の高さは馬の腹のあたり。増水していると馬は泳ぎだします。私も行きましたが馬が泳ぐと水はかなりの高さまで来ます。

水温は4℃位。冷たいです。落ちたら大変です。一緒に来たテレビ会社の人が一人馬から落ちたんですが、幸い下の中州で引っかかって命拾いをしました。

 

(ベース・キャンプ)

 これがベース・キャンプです。ここで宿泊用並びに食事用のテントを張りました。ベース・キャンプから綺麗な山(Co Hyades 3087メートル)が見えました。

谷の奥に1家族(7名)だけ住んでいました。(Gomez Family.

ガウチョは平気で河を渡ります。氷河の直下ですから水温は0.2℃。普通の人なら5分間浸かっていたら心臓が止まります。

これが我々のテントです。カサ・デ・ポブレと呼んだ食事用のテント。ここで40日位キャンプをしながら毎日調査を行いました。

これで風の強さが想像できますが、こんな風にして石を積んでテントが飛ばされないようにしましたが、風でズタズタに破れてしまいました。

あとは雨が降ったら中でビショ濡れになり、惨めな思いをしました。10日くらいそういう辛い思いをしました。

これはなかなか見られないフェーンです。向こうから風が押し寄せて来て、雲がドンドン来て、風がゴーッという音とともに

これが7人の仲間です。最後に帰る日に記念写真を撮りました。

 

(帰路)

往きは何往復も出来ましたが、帰りは一気に下るというので、町から馬を15頭かき集めて用意しました。

しかし帰る日に大雨が降り川が増水して、渡れなくて大変でした。これまで私は4回行っていますが、そのうち3回は雨で予定通りに帰れていません。

馬が来る日に雨が降ったらダメです。馬は向こう岸に見えるんですが、さすがのガウチョも渡れません。

私たちが帰った日には馬が泳いで渡ったんです。かなり怖いと言うか、勿論馬から落ちたら大変なことになります。

こういう所で調査し終わった後、英語でレポートをまとめました。英語でないと世界に発信できませんから。

また同行した記者は「パタゴニア自然紀行―氷河調査隊同行記」松井覺進を発刊しました。

 


パタゴニアの自然3
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