魚屋道 本文へジャンプ


 最初に「マニアのための・・・」と書いておきながら「何故、魚屋道があるの?」と、思われた方もおられると思いますが、正式な魚屋道の入口が分からなかったんです。

【「芦屋の山」高谷 昌良 山と渓谷社】から引用
『古くから有馬通いの商用路として利用されていた魚屋道はこれである、とはっきり認められるのはすくなくとも蛙岩のすこし先、鉄塔のあるあたりから上であって、それより下りについてはどれが本道であったかを明らかにする史料は残されていない。』
また、同じ本には
『状況に応じて都合のよい道を下ったのではないかという推測もなくはない。』
と、書いて有りますが、当時の私は【「六甲山」赤松 滋 岳洋社】に「宮川の東の尾根」と書いて有ったのでそれを信じていました。
 
【1986年10月12日】
10:30 阪神 深江駅
10:50 宮川
 森北町の住宅地の北のはしに「魚屋道」と書いて有る。何カ所か踏み跡を少し山に入ったが、どれもすぐに踏み跡は消えてしまう。
 森北町からの魚屋道は住宅が出来て無くなったのかも知れない。歩き回ったが入口が分からない。上から下りようと思う。
 保久良神社から金鳥山→風吹岩
 魚屋道を下りたが途中、「薬大」「甲南台」へ下りる分岐に標識があったが、その後の分岐に標識が無くなった。直進すると高座川の支流に出てそこを下ると茶店の下へ出てきた。
 
【1987年2月15日】
芦屋地獄谷を登った帰りに再び魚屋道を下ってみた。
蛙岩のところに会下山と深江方面への分岐があったので深江方面へ下りていくと、前回ウロウロした宮川の上流へ出て沢沿いに下った。
このあたりは地図にない道がそこらじゅうにあるのでこの道が正解なのかどうか分からない。
本には宮川の東の尾根道となっているのだが・・・。
 
【1991年10月20日】
会下山遺跡から左を注意しながら登る。
もう少しで蛙岩というところに「魚屋道」と書かれた板切れがあり、下る道がある。

倒木で所々道がふさがれている。尾根道で右寄りになる。
直径30cmほどの木に古い赤テープがある。少し広いところに出る。
そのあとちょっと分かり難くなったが、まっすぐの尾根より少し右に薮に隠れた道があった。
右に直径10cmほどの木に古い赤テープの印があり、そこは少し広くなっている。
まっすぐには道がないのでそっちに行ってみる。右の谷へ下りる道があるようだ。
下りてみたが道は無くなった。戻る途中、赤テープから10mほどのところに山腹に道があるようだ。少し行くと古い石の境界線印のようなものがあったが道は無くなった。
あきらめて引き返す。
さっきの30cmの木の広いところまで戻ると下から誰か登ってくる。絶対人に出会わないだろうと思っていたので驚いた(*_*)。しかも何か叫びながら登ってくる。
逃げようかと思った(^^;。しかしその人は猪の密猟を見つける人だった。
腕に「鳥獣・・・」と書いた腕章を巻いている。
その人に道を尋ねると「まっすぐ行く。手で笹をかき分けると道がある。左の方へ行く。囲いがありその左を進む。」とか色々教えてくれた。
でも、もう一度下りてみたが分からなかった。
引き返し宮川を下り、森北町の北の端まで行ってみる。
少し登りかけたが、薄暗くなってきたのでやめる。
また薮の少ない1月頃に登ってみようと思う。

 

【1992年2月16日】
前回、宮川を下っていると東に登る踏み跡があったのでそこから登ってみる。
エアリアマップにはこの道が載っている。
山崩れ防止用か猪避けかの柵が多い。道が東寄りになり行き止まり。
西の方に戻るとわりとはっきりした道があった。
何回か平らな少し広いところに出る。そういう所では道が分かり難くなる。
だいたい尾根の中央か少し西よりの道。テープの印は全然無いが、人の入った気配はある。
猪の水浴び場のような所が所々にある。
尾根の少し西よりの道を登っていると、草で道が分かり難くなったので尾根の中央へ登り、少し進むと去年の10月に歩いた所に出た。
背丈ほどの笹をかき分け進むと3本赤テープを巻き付けた木に出た。
 
【1996年11月17日】
会下山から蛙岩まで行ったときに上の入口を見たが「魚屋道」と書かれた板切れはなかった。
入口は枯れ木が積まれふさいであった。
間違えて下りる人がいるだろうからふさいで置いた方がいいと思う。