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堕天な彼女
第8回
待っていた。
床に寝ころび、ときどき素振りに使う木刀を両手で握りしめ、待っていた。
「あー」
時間が過ぎていくのが、こんなにも遅い。
まだ日も暮れていない。
夏の長い日……。
「ベリアル様……何してんだろ」
何してんだろ、というのは、正確ではない。
正確には、何で電話してこないんだろ。
海に行った日、次会う日の約束をするのを、忘れてしまったのがその原因であった。
だから、電話が来ないと次いつ会えるのか分からない。
もう、あれから5日が過ぎていた。
自分から電話したいところではある。
だが、ベリアル様の家は、男女交際に厳しいとも聞いている。
そういうわけにも行かないだろう。
「はーぁ」
昔ながらの黒電話をにらんでも、鳴る気配はない。
「どうしたの、タカシ。真っ昼間からゴロゴロして」
姉ちゃんが、かりんとうをポリポリと食べながら訊いてきた。
「いや……その……」
「リサちゃんから連絡無いの?」
「う……」
姉ちゃんは、嫌になるほど鋭い。
まあ、ずっと電話をにらんでれば、気がつくのも当たり前か。
「う、うん……まあ……」
おずおずと頷く。
「なるほどねえ」
姉ちゃんが麦茶をごくごくと飲みながら、
「だからって言って、ずっとそうやってるのは良くないわよ。気が腐っちゃうわよ」
「そうかなあ……」
「そう! ホラ、起きなさい!」
姉ちゃんが手をパンパンと叩く。
俺はしぶしぶ身を起こした。
「人はね、明るくしてないと、明るいことには出会えないのよ!」
「そんなもんかな」
「そうなの! だから、リサちゃんに会いたいなーと思うんだったら、リサちゃんに見られても恥ずかしくないような過ごし方を心がけなさい」
ベリアル様に見られても恥ずかしくない過ごし方。
俺はそれを聞いて、再びその場にくたーっと寝ころんだ。
「な、なに!? それは!?」
「いや、これがそれ。見られても恥ずかしくない……格好」
俺は言った。
何せベリアル様は言っていたものだ。
『タカシには、悠々たる眺めで人生を無意義に過ごすことを余は望むぞよ』と。
「どうしてそうなの?」
「本人がそう言ってたの。無意義に過ごせって」
そう言うと、姉ちゃんの目が点になった。
「む、無意義に? あら……そう……なかなか奥深いのね、リサちゃん……」
またポリポリとかりんとうを食べる。
「でも、確かにこうやっててもしょうがないよなあ」
ゲームでもやるか?
そう思って立ちあがったときだった。
トルルルルル
電話が鳴った。
俺は電話に飛びつく。
「ハイ、ナガシマですが」
「あ、ナガシマさんのお宅ですか?」
ちょっと冷たい感じのする、細い声。
間違いない。ベリアル様だ。
「ベ……」
ベリアル様、と呼びかけようとした声はしかし、
「あら、あなた弟さん?」
そんな言葉に、潰されていた。
弟?
何を言ってるんだ?
「ちょっと悪いんですが、お姉さんに替わっていただけませんか?」
まるで別人のような、ベリアル様の声。
「早くね」
しかも強引。
俺はその勢いに負けて、
「ね、ねえ」
姉ちゃんを呼んだ。
「んー、何? リサちゃんじゃないの?」
「姉ちゃんに替わってくれって……」
「え?」
姉ちゃんが驚いて電話の所にやってくる。
「ハイ、シホですが」
「あ、シホさん?」
ベリアル様の声は、すぐそばにいる俺にも聞こえた。
「はい」
「あの、先日はかき氷ごちそうになって、ありがとうございました」
「いえいえ、そんなご丁寧に」
「いつも仲良くしてくださって、ありがとうございます」
「はあ……」
ベリアル様は、明らかに変だ。だいたい、しゃべり方からして違った。
それに、姉ちゃんを相手にしての、この会話。
「あの……」
「はい」
「突然なんですが、明日、ちょっとお家にお邪魔してよろしいですか? 昼の2時頃」
「家ですか? それは構わないけど、リサちゃん、あなた……」
「すいません、それではよろしくお願いします」
電話は切れた。
姉ちゃんは電話を手にしたまま、俺と顔を見あわせた。
「なあ……」
俺から口を開いた。
「なんかその……変だったよな」
「うん……」
あごに手を当てて、考える姉ちゃん。
「まあ、明日家に来るんだって言うし、そのとき訊いてみたら良いんじゃない?」
「うん……」
そうだ、確かにベリアル様はそう言っていた。
明日はベリアル様に会えるのだ。
その時を待つことにしたが、さすがにこの晩は、なかなか眠れなかった。
あのベリアル様の、無機質とでも言うべき冷たさ。
俺のことを、弟さん、なんて呼んで。
一体、何があるというのだろうか。
「バレてしまったのじゃ」
次の日。
やってきたベリアル様は、姉ちゃんにいつも以上に丁寧に挨拶して、俺の部屋に入って二人きりになると、ペロリと舌を出してそう言った。
「バレた? バレたって言うと……」
「そちとのことが、我が義母にの」
「ええ?」
義母、といっているが、いまの人格はベリアル様であるいじょう、つまりは矢上リサの実の母親にこの関係がばれてしまったと言うことだろう。
「あ……じゃあ、昨日の電話は……」
「そう、母に聞かれておった。それで、あんな言葉遣いをしたのじゃ」
腕を組みながら、ベリアル様は言う。
「といっても、すべてバレたわけではない。まだ、あやしまれている程度か。まだ水着も見つかっておらんしの」
「はあ……」
「しかし、行動は制限されておった。この五日間、外に出られんかったのじゃ。電話も、出来なかった。心配かけたの。許せよ」
「いや、そんなことは」
無かった、といえばウソになるが、いまはそんなことを責めてもしかたがない。
それより問題なのは、これからのことだ。
「どうします、かね」
「そうじゃのう」
ベリアル様は、うーんと唸っていった。
「我が義母は、明治の生き残りのような女じゃ。未だに男女交際にはうるさいし、余のことも見合いで結婚させるつもりでおる」
「そんな人……今時いるんですね」
「ロクに社会と接していないからの。そんなこともありうるわけじゃ」
ベリアル様はやれやれと肩をすくめた。
「今日も、もう少しで使用人がついてくるところじゃった」
「使用人……というと、お手伝いさんみたいな……?」
「そうじゃの」
「そうなんだ……」
自分とは全く別世界の話を聞いて、頭がクラクラする。
使用人!?
矢上の家は、どのくらいの資産家なんだろうか。
「じゃあ、ベリアル様のお家は、大きいんですか?」
バカな質問をする俺。
「大きい。大きいぞよ。変な意味ではないが、この家が三十戸入っても余るぐらいの大きさがある」
「……」
ウチも平屋の一戸建てだから、それなりの広さはある。父さんと姉ちゃんと俺では、部屋が二つほど余っているくらいだ。その三十倍以上となると、武家屋敷か、洋館のような家しか考えられない。
「それで俺は……」
「ん?」
俺は、ベリアル様に尋ねた。
「俺はどうすればいいんでしょうか? いまの状況に対して……」
「うーん……」
ベリアル様は首をひねると、
「具体的に言えば、何もしなくて良いぞ」
と答えた。
「へ?」
意味が分からず、目が点になる俺。
「だってそうなのじゃ。たとえば、そちが義母と直談判をしに家に来たところで、あの女は一切の聞く耳をもたんじゃろう。自由恋愛などという言葉はあの女の辞書にはない」
「はあ……」
「だから、このまま隠し続ける。それ以外にはない。だから、そちに出来ることは、いままで通り我が家に電話をしないことと、何か連絡のあるときは姉上様にご協力をいただくことぐらいじゃの。話している相手が女なら、義母もそう疑わぬから」
何て事だ。
男女交際に厳しい、などというレベルでは、ベリアル様の家は、無かった。
まるで身分の違う二人が好き合ったようなものだ。
「でも、いやだな……」
俺は呟いた。
「何がじゃ?」
ベリアル様が聞きとがめる。
「だって、悪いことをしているわけでもないのに、そんなふうに隠しているなんて、何だかイヤです」
「まあ、そうじゃのう」
ベリアル様も頷く。
「しかし、しょうがないのじゃ。考え方の違う人間というのは、どこに行っても存在する。余は嘘がけっして悪徳とは思わぬぞ?」
「ハイ……」
ベリアル様は大人だ。こういうのを、大人って言うんだと思う。
あ、いや、大人じゃなくて、堕天使なのか。
神の権威に逆らった存在。だから、今さら親に逆らうことぐらい、何の問題も感じないんだろう。
自分と親とは違う存在。
その線引きが、しっかりと出来てるんだと思う。
「ところでタカシ」
「はい?」
物思いに耽っていた俺に、ベリアル様が質問してきた。
「余のことをいつごろ、もらってくれるつもりなのじゃ?」
「ぶっ!」
俺は思わず呻いていた。
「や、なぜそこで呻く!?」
「だ、だって……」
「タカシ!」
ベリアル様が、ビシッと指を俺に突きつけた。
「それとも余とのことは、ただの遊びに過ぎぬのか!?」
「いやいや、そんなことない、そんなことないですって」
狼狽する俺。
「いや、ただ、その……いきなり結婚なんて話題が出てくるとは、思ってなくて」
「何故じゃ? そちもあと1、2年で18になろう。余はもう今にして16を超えておる。そうなったら、いつでも嫁に行けるのは知っておろう!」
「やや、そりゃあそうですが」
ベリアル様、明治時代の生き残りって、人のこと言えないよ……。
「でも、ベリアル様、進学したり、就職したりするでしょ? 俺だって……」
「結婚していても、進学も就職も出来るぞ」
胸を張って言うベリアル様。
「でも……」
「タカシ!」
ベリアル様は、急に身を寄せてくると、俺の身体に手を回し、ギュッとしがみついた。
「べ、ベリアル様?」
驚いて反射的に身を離そうとするが、ベリアル様の力は思ったより強かった。
上品な、石鹸の香り。
ベリアル様の体温が、ワンピース越しに、伝わってくる。なめらかな、柔らかい、女の子の体の感触が、容赦なく俺の身体に押しつけられる。
「タカシは、余のことが嫌いなのか?」
「そんなこと……ないです……」
突然の抱擁。
それを脳がやっと認識し始め、どんどん心拍数が早くなってくる。
「余は……余はこの五日間、辛くて辛くてたまらなんだ。そちに会えないでいると、余は息が出来ぬようじゃった……」
「ベリアル様……」
俺も、細い彼女の身体を抱き返す。俺の身体に比べて、ベリアル様の身体はほんとうに華奢だ。抱きしめすぎると折れてしまいそうで、俺はそっと力を調整する。
「そちの言ったことは正しい……」
ベリアル様が、肩口のところで呟いた。
「え?」
「隠し続けるのはイヤじゃ。余もそう思う。隠し続けている間は、タカシといるときはいつもビクビクしていなければならない。それに……」
「それに?」
ベリアル様はすこし身体を離すと、そっと目をつむった。
え?
俺が迷ったのは、一瞬だった。
ベリアル様の身体。その華奢な身体が、不安に、震えていた。
拒絶されるのではないかと思って。
そんな様子を見て、放っておけるはずもなかった。
「ベリアル様……」
俺は、おずおずと、そっと唇を重ねた。
本当に、重ねただけ。
だが、それは大きな意味を持つことだった。
ベリアル様は、さっきよりいっそうしっかりと、身を委ねてきた。
「いつこの関係がむりやり断ちきられるかと思うと、不安になる……」
「そんなこと、させませんよ……」
「しっかり抱いておくれ、タカシ、人の子よ……」
俺は回した手に力を込めながら、ベリアル様の耳元でささやいた。
「俺はいまでも……無意味なんですか? ベリアル様にとって?」
ベリアル様は、息を詰めて、それからおずおずと口を開いた。
「わからぬ……それが、わからなくなった……」
「その方が、面白いんでしょ、ベリアル様……?」
それで、俺にとっては十分だった。
俺はもう一度、今度はしっかりと、ベリアル様に口づけした。
人に恋をして、もう一度堕ちた堕天使に。
おしまい
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