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川辺の子
川辺を吹く風は、昔と変わっていない、と思った。
自転車をこいでいるのは、少女を脱したばかりの年に見える女だ。
スタジアムジャンパーの前を開けて、黒いTシャツに、履き古したジーンズ。ボロボロのスニーカー。
「あーあっ!」
立ちこぎで、思いきり自転車をこぎながら、空を見上げて声を出す。
しばっていた髪もほどいた。
走り抜けていく。
植え込みのあいだを。
サッカー場では、どこかの学校のサッカー部らしい少年たちが、ボールを追っている。
テニスコートでは、制服を着たままの少女たちが、楽しげに縄跳びをしていた。
昔は無かったパークゴルフ場は、今は人気がなかった。
九月の空は、晴れすぎているほど晴れていない。趣よく雲が翻っている。
野球場では、小さな子どもと父親が、どうにか成立するキャッチボールを楽しんでいた。
そうしてしばらく行けば、いつもの場所に着く。
何もない川辺。何ということのない、それでいて、お気に入りの場所。
「あや?」
ところが、そこには先客がいた。
川面のすぐそば、前に自分が座っていたところには、男の子が座っていた。
制服姿の、体育座りで。
こういうときは、礼儀を守らねばならない。
それが川のルール、だと、女は勝手に考えていた。
「うーんと……」
自転車から降り、すこし考えて、お互いに邪魔にならないだろうと思える距離の所に腰を下ろす。
ふっと小さく息を吐く。
「ふふっ」
思わず笑いが漏れる。
「戻ってきたよ」
誰に言うともなく言う。
強いて言えば、川に。
川面も、変わっていないように見えた。
光の加減でうすい緑色に染まって、どちらに流れているのかすぐには分からないほどゆっくりと。
光の照りかえしが優しい。
川の中州の緑に目を向ける。
中州とはいえ、立派な木が何本も生えていて、緑が豊かなのだ。
(そう言えば、トビ太郎どうしたかな?)
あの中州に住んでいた、鳶のことだ。もちろん、名前は勝手に付けた。
今のところ、上空に影は見えなかった。
(元気でやってると……)
そんなことを考えていたときだった。
「う゛あああああああああああああああああっ!」
女性の思考は、少年の叫びで中断させられた。
女性は、思わず両手で耳を押さえて身体を傾けていた。
少年が、立ちあがって叫んでいた。
「あああああああああああああ……」
叫び終わった。
叫び終わって、肩を上下させている。
また息を思いきり吸いこんだ。
また叫び出す。
「う゛ああ……」
その肩に、後ろから、ポンと手が置かれた。
「え?」
少年が、ふり返る。
立っていたのは、女だった。
目が合って、ニッコリと少年に笑いかけた。
「どうしたの、少年」
「え……」
そのあまりに邪気のない笑顔に、少年は驚いて、硬直していた。
「ん?」
女が、にこやかに首をかしげる。
「え……と……」
少年は、口をパクパクさせていた。
「あー、お姉さんがきれいだから、ビックリして何も言えない?」
「ち、違うっ!」
少年がプイッと横を向いた。
中学に入ったくらいだろうか。
昔の自分と、同じくらいの年だと、女は思った。
「そっか」
女性は頷いた。
「ここ、座っていい?」
「……勝手にすれば」
少年は、そっぽを向いたまま腰を下ろした。
自然に体育座りになる。
女も座った。ここは舗装が、低い段の階段状になっているので、そこに腰かけるように。
「うーん」
女が、腕を伸ばして、足を蹴りだすように、背伸びをした。
そのまま、しばらく時間が流れた。
「あのさ」
女が口を開いた。
それから、しばらく間があった。
「何」
少年が、首を動かさず短く答えた。
「ここ、好き?」
今度の間は、もっと長かった。
「関係ないだろ」
それが、答えだった。
女は、少年のほうを見つめてから、川面に視線を移して、しゃべり始めた。
「お姉さんは、好きなんだ。ここが、とっても」
静かな口調だった。
「お姉さんね、昔はいっつもここに来てた。昔は、嫌なことばっかりだったの。友だちもいなかったし、学校でも、家でも無視されるし」
女は、また少年に視線を移した。
そして、また川面を見つめた。
「だから、この街にいい思い出って一つもないの。でも、この街に戻ってこようと思ったのは、ここがあったからなんだ」
女は笑った。
「なんか変な理由だよね。だけど、一人でアルバイトしながら暮らすようになって、それからいろいろあって引っ越そうかなって思って、それで、一番どこで暮らしたいかなあって考えたら、この場所の近くがいいなと思ったの」
「……何が」
少年が、小さく呟いた。
「え?」
「何がそんなに良いの? ここの?」
少年が、ふりむいて尋ねた。
「うーん……」
女は腕組みをしてから、
「川は、黙ってても話を聞いてくれるから、かな?」
首をかしげながら、そう言った。
少年が、眉をしかめた。
「……よく分かんねえ」
「言ってる私も、よく分かんない」
そう言って、また女は笑った。
「でも、好きってそんなものじゃないかな?」
少年は、その笑顔をぼうっと見ていてから、ポツリと言った。
「俺、帰る」
立ちあがると、ゆっくり川上のほうへ歩きだした。
「また、ここで会ったらよろしくね」
女が、声をかけて、その後ろ姿に手を振った。
少年は、振り向かずに立ち去っていった。
その姿が見えなくなるまで、女は見送っていた。
「ふふっ」
女は、小さく笑うと、また川面を眺めはじめた。
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