君はそれを愛と呼ぶのか
 
 
  第一話 旅人二人 上 
 
 
 荒野を、夕焼けが覆っていた。
 陽ざしを遮るものと言えば、人の背以上もある大きな多肉植物くらいのものだ。
 何もない荒野。
 鞠状の草が、風に吹かれて転がって行く。
 その荒野を、進む影が一つあった。
 大きな白馬にまたがり、テンガロンハットをかぶっているのは、若い女だ。帽子の下からは、ブロンドの癖のない髪がまっすぐ背中まで垂れ、風に揺れていた。
 その格好は、まるで実用的とは思えない。背中に二ヶ所おおきくスリットの入った革のベストを着ている下は、ビキニのトップスのようなブラだけ。あとはスカーフくらいしか上半身には身に付けていない。
 履いているのも、太ももが全て見えるほど短く切られたジーンズだ。それに丈夫そうな革の靴。カウボーイスタイルに似つかわしく、腰のガンベルトには時代遅れの六連発の火薬銃が二丁、下がっていた。
 彼女の前に、鞍にはもう一人、腰かけていた。
 まだあどけない女の子だ。
 黒い髪を後ろで二つにしばり、赤いワンピースを着ている。黒目がちのアーモンド型の瞳が、行く手を見すえていた。
 およそ旅には似合わない二人であった。とくに、この荒れ果てたサンダール地方を旅するには。
 彼女たちなど、簡単に野盗の餌食になってしまうだろう。
 そんなとき、
「村よ!」                                  
 少女が指さして、細い声を上げた。
 女が鞍の後ろの荷物から地図を取りだして、広げて言った。
「センダスの村ね。日が落ちる前にたどり着けて良かった」
 見えてきたのは、小さな村であった。
 遠目にも分かるほど、寂れている。
 村はずれに立ち並んだ大きな風車は、かつては発電でもしていたのだろうが、いまはその役目を果たしていないのか、ただギイギイと苦しげな音を立てていた。
「宿屋に行って、荷物を置きましょう」
 だいたい全部で三十軒ほどの家の寄り集まりで出来ている村だ。
 いまにも荒野に飲み込まれてしまいそうな。
 宿屋の看板はすぐに目についた。ホログラムが、かすれながらも映し出されていた。
 前まで行って、少女を馬上に残して、女は建物の中に入っていった。
 町の規模に比しては、なかなか大きな建物である。
 カウンターで、呼び鈴を鳴らすと、驚いたような顔で丸っこい老婦人が奧から出てきた。「お客さんですか!?」
 老婦人は訊いた。ダイダバの格好にも、驚いている。
「はい」
 女は、微笑を浮かべながら答えた。
「それはそれは、珍しいことで。さあ、では、こちらにサインを」
 渡された宿帳は、宿に似つかわしくないことに、情報端末だった。この建物は、古びて見えるが、自家発電が生きているらしい。
 女は端末に、流麗な筆跡で名前を書いた。
「ダイダバさん……とお読みすればいいのですか?」
「そうです。ダイダバ・ダッタ。私の名前です」
 女は、自らの珍妙な名前にも愛想笑いすら浮かべる様子もなく、冷静に言った。
「そうですか。ダイダバさん、お一人で?」
「いいえ、あと、子どもが一人と馬が一頭」
 女は、目で後ろを示した。
「一泊ですか?」
「はい」
「お食事はご用意しますか?」
「お願いします」
 老婦人は、旧式のコンピューターの画面に目をこらしながら、キーボードを操作して、頷いた。
「わかりました……すみませんね、ちょっと掃除をしてからでないと、お部屋にはお招きできませんので。なにぶんお客さんが少ないもんで」
 老婦人がすまなそうに言った。
「いいえ、お気になさらず」
 女が無表情に答えた。
「荷物と馬だけ置かせてもらってもいいですか?」
「それでしたら、こちらでお預りしておきます」
「わかりました」
 女は、いちど宿を出た。鞍の上の少女に声をかける。
「チコリ、いちど宿の人に顔を見せておきましょう」
「はあい」
 チコリと呼ばれた少女は、鞍から跳び降りた。宿の中に入っていく。
 女は、鞍の後ろに付けてあった荷物を解くと、持って入った。少女と荷物を示して、
「これだけです」
「わかりました……あなた方、お二人だけで旅をなさってるの?」
「はい。そうですが?」
 女の返事には、どこか詮索を許さない冷たさがあった。
 老婦人は、すこしたじろいだが、にこやかさは崩さなかった。
「そう……じゃあ、荷物はお預かりしておきます。馬も繋いでおきますね、飼い葉も入れておきます。この村には何もないですけれど、よかったら夕食まで、ジスの店でくつろがれたらよろしいですわ。通りの終わりの店です」
 老婦人はカウンターから出てくると荷物を受け取りながら、そう言った。
「そうさせていただきます」
 女は、作ったような笑顔でそう答えると、少女と手をつないで、宿屋から出ていった。
「さて……」
 左右を見渡した女の目に、村の通りの隅っこで、何やらしているらしい三人ほどの子どもたちの姿が目に入った。
「チコリ、遊んでおいで?」
 女は、少女に言った。
「え、でも……」
 少女の目に、すこし不安の色が浮かんだ。
「大丈夫だから。わたしは、あのお店にいるわ」
 女は、子どもたちが遊んでいる場所からは、通りをまたいだところにある、一軒の酒場らしき建物を指さした。
「何かあったら、わたしが行ってあげるから、遊んどいで」
「……うん」
 少女は頷くと、おずおずと子どもたちのほうへ近づいていった。まだ陽は落ちきらない。遊ぶ時間はまだある。
 女は、その姿を見送って、それから”ジスの店”と書かれた酒場に入った。
 店内に、客の姿はなかった。
 濃くて甘い酒の香りがしていた。
 カウンターで一人、杯を傾けていた髭の老人が、目を剥いて彼女の方を見た。
「いらっしゃい」
 女は、カウンターに、老人のすぐ向かいに腰かけた。
「何にするかね?」
「強いのを」
 女は淡々と言った。
「……あいよ」
 老人も、淡々と答えた。
 小さなグラスに、褐色の液体が注がれて、女の前に出された。
 女は、一気に杯を干した。
 喉がコクリと動いた。
「ふーっ」
 女は、ため息をついた。
「もう一杯、お願いするわ」
 老人は、また同じ酒をグラスに注いだ。
 褪せた色ガラスから、ゆっくりと落ちて行く日が酒場の中に差し込んでいた。
 コンピューターグラフィックのボトルシップが、ゆったりと波を切っていた。
「そうじゃないよー、もっと……」
 駆けていく、元気な子どもたちの声が聞こえてきた。
 チコリの声もした。
「ふふ」
 女は笑みを漏らした。
 老人もだ。
「あの子たちの両親はどうしているの?」
 女は、老人に視線をあてると、その視線を揺るがさずに訊いた。
「みんな都会に出稼ぎじゃよ。そのあいだ、老人たちだけであの子たちをあずかっとる」
 老人は、ため息とともに言葉を吐きだした。
「もともとはこの近くの鉱山で、あのガビトロンに、この町の大人たちは働かされとったんじゃ。むりやりな」
 老人はあごを撫でながら話を続けた。
「それで、正義の味方……ほら、そこの写真にあるじゃろ。その名前さえ分からなかった女の子がやってきて、ガビトロンの使っていた獣人は倒され、鉱山も潰された」
 老人が指した先には、色あせた写真があった。
 そこには、幼い少女の姿があった。
「その時はみんな喜んだもんじゃが、結局そのあと野盗が襲ってきたり、その他にも色々あってな……。畑がやられてしまって……人もたくさん死んでな……」
 老人は、また大きくため息をついた。
「それで、けっきょくこの村だけでは、やっていけんようになってしまった。今となってはどっちが良かったのか、電気もほとんど使えなくなったしなあ……大昔の生活じゃよ」
「そう……」
 女は、また杯を干した。
「その正義の味方のこと、恨んでいる?」
 老人は面食らったようにして、顔の前で手を左右に振った。
「恨む? いや、そんなことはないよ。誰にもどうにもできん話だったんじゃ。それに、ガビトロンの武器のための金属を掘っているのだって、辛い仕事だったからなあ」
 老人はやれやれと腰を下ろし、自分でもまた酒を注いだ。
「けっきょく、この世界にいるものは誰も救われたりせんということなんじゃなあ。生きているのも地獄、死んでもまた地獄じゃよ」
 自分の言葉が気に入ったのか、老人は呻きながらも笑みさえ浮かべてグラスを傾けた。
「まこと、酔うことこそ人生じゃよ」
「そうかしらね」
 また一杯と示して、老人がグラスを満たした。
 女は、今度はゆっくりと杯を傾けていた。
 しばらく、時間が過ぎた。
「ごちそうさま」
 女は言った。
「おいくらかしら?」
「二百だな」
 飲んだ量に比べて、ずいぶん安かった。
「おいしかったです」
 女は言われた額を支払うと、酒場を出た。
 女の肌は、日焼けした跡もなく、また酒で赤らんだ様子もなく、ただ今は地平線の向こう側に落ちきろうとする太陽のせいで、紫や赤に、複雑な色に染まっていた。
「チコリ!」
 ホウキを馬にして遊んでいた女の子に、女は声をかけた。
「そろそろ宿に行くわよ」
「はーい!」
 少女は素直に答えると、一緒に遊んでいた子どもたちに何か言ったあと、こちらに駆けてきた。
「もう友だちになったの?」
「うん!」
 女の子の顔に、弾けるような笑みが浮かんだ。
「よかったわね」
「うん、楽しかったよ」
 女の子がニコニコと答えた。
 女の顔も笑みに変わり、二人は宿屋に入っていった。
「あ、どうも」
 エプロンをしてちょうど奧から出てきた老婦人が、笑顔で迎えてくれた。
「もう、お夕食の支度が出来てますよ」
「そうですか。その前に、手と顔を洗えますか?」
「はい、こちらへどうぞ」
 二人は、右手奥にある、洗濯場兼洗面所に案内された。横にある浄水装置は、年代物だがまだ働いているらしい。
 そこで、二人は手と顔を洗って、旅の汚れを落とした。
「じゃあ、さっそくいただきましょ、チコリ」
 そうして、二人はカウンターの左奧の扉から、食堂に入った。
 扉を開ける前から、食欲をそそる香りが伝わってきていた。
「すこし作りすぎてしまったくらいですから、お口に合ったら、存分にお代わりしてくださいな」
 メニューは、マメと根菜のスープ、見たこともない野菜のサラダ、茶色の穀物を炊いたものに、唐辛子が添えられていた。それから、オイルのボトルがあるが、どうもサラダにかけるものらしい。後は、この地方なら必ず出てくる、辛い漬物。
「いただきます!」
「いただきます」
 チコリの元気な声と、女の静かな声が揃った。
 ずいぶんお腹が空いていたのだろう。チコリは、穀物をほおばると、スープをはね散らかさんばかりの勢いで食べ始めた。
「チコリ、べつに逃げていくわけじゃないんだから、お行儀よくね」
 女がたしなめた。
 老婦人は、左手の台所への通路に控えながら、ニコニコとその様子を窺っていたが、
「それじゃあ、今日のメインディッシュを出しますね」
 そう言って、奧へと入っていった。
「今日のメインディッシュは、ラタータ風オムレツです」
 二人前とはとても思えない、大きなオムレツがテーブルに置かれた。
 チコリが、歓声を上げた。
「すごく豪華ですね。嬉しいです」
 女が、微笑を浮かべながら言った。
「いいえ。久しぶりのお客様ですから、はりきりましたよ」
 老婦人が笑う。
 女は、さっそくチコリにオムレツを取り分けてやった。
「チコリ、食べ過ぎたら大変なんだから、気をつけるのよ」
「はーい!」
 口にオムレツが入ったまま、チコリが答える。
 そのあとも、チコリの食欲はいっこうに衰えを見せず、結局オムレツは全部なくなってしまった。
「チコリ、大丈夫? お腹、痛くない?」
「うん、ぜんぜん大丈夫だよ。だって、久しぶりの村なんだもん。乾パンばっかりで、チコリいっつもお腹空いてたんだもん」
 チコリは、満足の吐息を漏らしながら言った。
「そっか。よかったね」
「うん!」
 二人は、カウンターの右手の廊下を進んで、渡された鍵と同じ番号の部屋に入った。
 急いで掃除をしたのだろう。部屋は、日に色あせていたものの、ホコリっぽいことはなく、布団もシーツも清潔だった。枕元には、ロウソクのランプがあった。
「ふうーっ!」
 チコリが、いきおいよくベッドに横になる。お腹をポンポンと叩く。
「ふふ」
 その様子を見て、女が優しい表情になった。
「じゃあ、今日はもう休みましょう。その前に、歯を磨いてこないとね」
「ええーっ、面倒くさいよう」
「ダメ。せっかく水がきちんと使えるんだから、ちゃんと磨いておかないと。虫歯になったら大変なんだからね」
「うう〜……」
 二人は、さっきの洗面所にはいると、持ってきた植物の茎を細かく裂いたもので歯を磨き始めた。
「チコリ……もう、眠い……」
「ほらほら、奧までしっかり磨いてね」
 どうにか歯磨きも終わって、部屋に戻ると、二人は下着姿になり、寝台に入った。
「それじゃあ、ダイダバ……お休み……なさい……」
「はい、お休み」
 女の声は、最後までは聞こえていなかっただろう。
 少女は、もう眠りに落ちていた。
 久方ぶりの、屋根の下での眠りだ。
 疲れが出るのも当然である……と言うより、休める時にきちんと休んでおけるのも、少女が旅慣れている証拠であった。
「ふーっ」
 少女が寝入ったのを見て、女は、すこしため息をついた。
 そして、ランプを吹き消すと、横になり、目を閉じた。
 闇の中で、ゆっくりとした時間が流れて行く。
 それから、どのくらいの時間が経っただろうか。
 闇の中で、女がスッと目を開いた。