鴇色館の主人《ときいろやかたのしゅじん》
 
 
「この子がいい」
 私の指さしたその娘は、漆黒の髪をしていた。
 額には、細いバンドをしている。
 額で左右に分かれた髪は、腰までまっすぐに降りていた。
 うつむいた面差しに、ただ奴隷だからと言うわけだけではない陰(かげ)があるのを、私は見逃さなかった。それは、知性と、神経質さとを感じさせる、言うなれば、ある種の吐き気を催しているのを堪えている顔だった。
 すこし頬がこけていたが、肌もきれいで、それにどこか気品があるのが気に入った。
 いくつぐらいだろう? 私よりは上だろうが、十五は超えていないようだった。
「ダメですよ、お嬢様(メトリール)っ!」
 市を仕切っている立場らしい、赤のかったピンク色の髪をした、額の真ん中に角のある小鬼の少女が、私に声をかけてきた。もちろん、雇われ奴隷だろうが。
「こっちの子は、まだ見(けん)に出してるだけなんだ。まだ値は付いてないんですよっ」
「見に出しているのだから、売る気はあるのだろう?」
 私は、身分の高さを示す抑揚のない、低い声で言った。
「アバクーに話がついている。並んでいる中から、どれでも好きなのを、と」
「あらっ、そうなんですか。失礼しました。お許しを、お嬢様(メトリール)」
 途端に愛想笑いを浮かべた。
 私はその子を屋敷に連れて帰ると、まずは風呂に入れてやることにした。
 もちろん、使用人用のだが、館には使用人用とはいえ三十人は入れる浴槽がある。
 私はその子を浴槽の真ん中に立たせると、宦官に命じて着ていた薄汚れた貫頭衣を脱がせた。バンドも外させた。
 下には何も着ていなかった。よほど飢えていたとみえる。満足に肉が付いていなかった。
 なぜだろうか? あそこの奴隷市で、食物を与えないなどという商品を傷めるようなことはしないと思うのだが。自分から食べなかったということか?
 それなら、もっと面白い。
 浴槽の左右にある竜の口からゆっくりと湯が注がれる。
 召使いたちが、適温のそれをその子にかけ、カラム油をまぶした上等の綿で汚れが拭い落とされていく。髪には、私が使っているのと同じ、白い石鹸を使うのを許した。
 その子は、くすぐったげな表情も、怯えた身震いもなく、その中に立っていた。
 そして、身体が拭かれた。
 さて、衣装を付ける段階になって、私は迷った。
 まだ側仕えにするか、鑑賞用にするのか、決めていなかったからだ。
 私は、まずその子と話がしたかった。
「お前(ヴェラ)」
 私は奴隷用の呼称でその子に呼びかけた。
 その子の表情は、市で見たのと全く同じで、汚れを落とした今は、その子が何かに感じているらしい嫌悪感が、一層際だっているようにさえ見えた。
「お前は私の奴隷になった。言葉は分かるか?」
 その子はゆっくりと頷いた。まるで頭のにぶい年寄り奴隷のするように。だが、その見開かれた目のどこか虚ろでいながら、それでいて鋭いこと! この子は馬鹿ではない。
「お前はどこから来たのか?」
 少女は、コクリと頷いたかと思うと、表情を固めたまま、ゆっくりと上を指さした。
「それはどういう意味か?」
 その子は、そう訊いた私をじっと見据えた。
「お前、お嬢様(メトリール)に!」
「よい。黙っておれ」
 奴隷がしらのジトナムがいきり立ったが、私にはその子が平凡な解答をしなかったのが嬉しくて仕様がなかった。
「お前、天から来たとでも言うのか?」
 その子は、相変わらず私を見つめるだけだった。
「お前!」
「ジットー!」
 私は叱りつけた。
 そうして、浴槽の縁をまたぐと、素裸で立ったままのその娘に近づいた。
 近寄ると、私より背が高かった。わずかに見上げるほどだが。
「お前は……」
 私は、そう言いながら相手の浅黒い頬に手を伸ばして、触れた。
 頬骨の固い感触がした。
 そのままゆっくりと手を下に滑らせてゆく。細くて硬質な首を、華奢すぎる鎖骨を、ゆっくりとわずかにしかふくらんでいない乳房の横を過ぎて、浮きでたあばらを撫ぜた。
「私はお前を、なぐさみに拷問にかけることだってできるのだよ」
 私は、まったく脅しの抑揚を込めないで、その子にそれを告げた。
 いいや、脅しを込めても同じだったろう。
 その子は、やっぱり私をじっと見ているだけだった。
「ふふ……」
 私は、触りたくてたまらなかったそのまっすぐな漆黒の髪に手を伸ばした。私の、ウェーブのかかった紫の髪とは全く違うその髪に。
 長いあいだ手入れなどできなかっただろうに、髪にはすっと指が通った。
「綺麗な髪をしているな」
 私は笑った。
 それで、心が決まった。
「ジットー、この子の身支度を調え、衣装部屋へ連れてゆけ。私の一番の衣装を着せてやるがいい。それと水を飲ませて、手水を使わせるのも忘れるな」
 直ちにそれは行われ、しばらく後、私の部屋に通されたその子は、すっかり私と同じシージファ風の身なりになっていた。
 しかし、その子の美しさ、独特さは、すこしも損なわれてはいなかった。
 髪を結っていないのもよかった。
「さあ、こっちへ来い」
 部屋のまんなかの水槽の中に灯された、燭台の炎の照りかえしに揺れながら、その子はゆっくりと私の横になっている寝台に近づいてきた。
「食べるか?」
 私は寝台の横に山を成している果物の中から、途方もなく遠くから運ばれてきた、殻の固い、それでいて中には汁気十分の赤い果肉を蓄えているものを取り上げて勧めた。
 その子は首を横に振った。
「そうか……もっとこっちに来い」
 その子は大人しくこちらに近づいてきた。
「ここに座れ」
 そう言って、私のもたれている脇息(きょうそく)のすぐ前を示すと、その子は大人しく腰をかけた。
「こちらを向け」
 その子は、半身をこちらに向けた形になった。
「お前でどう遊ぼうか、私にはまだ判断がつかないのだよ」
 私は左手で、その子の髪をかき分け、露わになっている背中をゆっくりと撫でた。
 しかし、そんな風にするのが正しいやり方であるとは、とても信じられなかった。
「分からないな……」
 その子の鳶色の瞳に、私の衣装に反射した、揺れる炎が映っている。   
 私は、本当に困惑していた。
 欲情などはしていなかった。 
 それでいて、どうしようもなくこの子に惹きつけられるのを感じていた。
 私は困りながら、その子の膝に頭をのせてみた。
 その子は上手にバランスを取ってくれたが、それで何かが解決したわけでもなく、そしてその子のその表情は、何かを諦めたような、それでいて芯に光を秘めたようなままだった。市で見たときから何も変わっていなかった。
「お前は宝石なのかもしれないな」
 そう口に出して、ようやく私は胸のつかえが取れたような気分になった。
 そうか、宝石なんだ!
「そう、人じゃないんだ」
 私は手を伸ばすと、その子の頬にまた手をかけた。
「けれど、お前は柔らかいな」
 もちろん、娘にしては固すぎ、肉が無さ過ぎだったけれど、石にしては柔らかすぎる。
 膝に頭をのせたまま、腕を伸ばして、背伸びをした。
「でもそんなことはいいさ。お前、私がお前の主人だ」
 私は自分が愚かなことを言っているのを知っていた、人が石の主人になれるだろうか?
 それはまったく逆だ。人は石に、支配され……。
 私は、とつぜん、産まれてから感じたことがないほどの眠気を、自分が覚えていることに気が付いた。
 そして次の瞬間、考えるあいまもなく、私は眠りに落ちていった。
「お前、ずっと私のものでいてくれるか?」
 その質問は間に合ったろうか? 答えは聞こえなかった。
 もう眠ってしまっていた。けれど、それでよかった。