6時前起床。8泊過ごした、ドレイクホテルともいよいよお別れだ。

窓の外を見ると地面が濡れている。

どうやら雨だったらしい。
しかし、今丁度、太陽が昇り始め快晴だ!

900 ヘブロン行きに利用したバス(アロサメツア-)を、再度、

同じ運転手、助手(社長?)で、チャ-タ- してもらっていた。

今日も、ホテルから重い荷物を運ぶことなく出発。

ラビン-ボ-ダ(アカバ・ボ-ダ)
へ約4時間の旅となる。

1020:チャ-タ- バスにてヘブロンへ出発

パレスチナ地方の古都ヘブロンは、青銅器時代から古い歴史を持つ街。「アブラハマンモスク(マフペラの洞窟)」という、キリスト教、

イスラム教、ユダヤ教の祖であるアブラハムやその家族の墓が、アブラハムと妻サラ、その息子のイサク、妻レベッカ、そして、イサクとレベッカの

子のヤコブと妻レア、ヤコブの子ヨセフが埋葬されて
いると言われている。また、3つの宗教の重要な聖地ともなっている。

1948年イスラエルが建国され大量の難民がヘブロン都市南部に移住。1967年の中東戦争でイスラエルがアラブ軍に勝利すると、

ヘブロンも占領下に
置かれ、次々と入植地が広げられていった。

旧市街地や分離壁方面には入れなかったが、旧市街地の屋上から物を落下や嫌がらせなど入植者とのトラブルが多いという。

ヘブロンは、ユダヤ人とパレスチナ人の対立を象徴する街となっており、モスクの建物には入口が2か所ある。

ムスリム側:モスクの入口にチェックポイントが、荷物コントロ-ルあり。入口でロ-ブを借りて入場。

イスラエル側:モスクの入口にチェックポイントで検問があり、パレスチ人には入場は許可されて居ない。中に入るとジナゴ-クもあり。

マクペラの洞窟への入口は、台座から繋がっているようで、現在は鍵がかけられ公開されて居ないようだ。

監視カメラ

分離壁の

11月 14(金)ダビデの街、ベツレヘムへイエス生誕の地と言われている聖地で現在はアラブの街)

ベツレヘムはヨルダン川西側のパレス自治区内にあり、エルサレムから10km。街に入るにはイスラエル側の検問を受ける必要がある。

915ホテル出発し21番のバスで向かう。往路は検問はなかったが、帰路24番のバスでは、イスラエル兵2人からバスの中で

パスポ-ト 提示を
求められた。同乗の現地のアラブの人たちはバスから降ろされ、厳しくチェックを受けていたようだ。


バスは小高い丘の上に螺旋状に登って行く。石ころゴロゴロの段々畑には、収穫がすんだばかり?か、黄檗色の葉っぱのブドウの畑が

広がり、
とても長閑な田園風景だ。下車後、上り坂を歩いていくと、高台に生誕教会がある。

イエス生誕の場所は「生誕教会」 の地下洞窟にあり、その小さな洞窟の中には銀の星の形が埋め込まれた祭壇がある。

因みに、クリスマスツリーの飾りに木の一番上には星を飾るが、これはキリスト生誕にちなみ【ベツレヘムの星】と呼ばれている。

生誕教会への入場は無料だが、中に入るといきなり、「ガイドは?」 と呼びかけられた。始め、100$と提示されたが、「お金がない?」

と言うと、
結果、50$に。その狭い祭壇には一人しか入いられず3時間待ち?になるらしい。どうやら、ガイドを頼むことにより横入りが

出来て、随分と早くに進んだ。
ガイド料は順番抜かしの代償?なのかも知れない。

生誕教会の傍の聖カテリ-ナ教会では、毎年1224日のクリスマスイブのミサが、バチカンから司祭も来てテレビ中継が行われている。

生誕教会見学後、ガイドさんから食事処、工芸品マ-ケットに案内したいとの申し出があった。(自分達の置かれた立場への理解を

求めるアピ-ル?をされたかったのかもしれない。)分離壁で囲まれているパレスチナ 自治区内へ向かって歩く。

940分 アレンビー橋 Public Bridge Security front of Border」着後、荷物コントロ-ルチェックを受ける。

1040分、入国審査全員無事終了。


次々に乗りこんでくるシャトルバス・
                現地の人?団体?

中東聖地・     遺跡巡り        &歴史学びの旅

食堂は、
  唯一落ち着ける場?

1310ヨルダンリバ-・ヤルデニット着:イエスが洗礼を受けたとされるガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出す地にあるヤルデニット、

イエスが浸った同じ水で洗礼を受ける人が絶えない。ここでは、今日のランチはサビママさん持参のパンにジャム購入し簡素なメニュ-で!

死海

嘆きの壁、黄金いろに輝く岩の塔

 78年前、トルコ、モロッコ、エジプト、チュニジアへのツア-旅行を楽しんだことがある。

中東にはカタ-ル航空の乗り継ぎを利用しド-ハ観光を1日したことがあり、その頃より中東方面の旅に興味を抱くようになった。

しかし、世界情勢はドンドン変わり、それらの国々へのツア-旅行のパンフレットも目にすることが少なくなって行ったようだ。

そんな中、LSC会員Kさんの、「中東旅行・旅の情報会」が開催され、また、LSC・HPの表紙を飾ったペトラ遺跡・エルハズネ・シ-ク」

の写真に
強烈な印象を受けていたこともあり、今回の、「中東・聖地を巡る旅」の企画が持ち上がると、即、参加を決めた。

 今回の旅は、始め、エジプト・カイロ経由でシナイ半島からエルサレムへ入るル-ト、更に往路にはエジプト観光も視野にいれた旅が検討

されたが、
エジプトは渡航注意情報区域の指定が外されず、結果、ヨルダン・アンマン往復ル-トを利用する事に決まった。

3月、1回目の中東旅行勉強会・打ち合わせ会を持ち、4月、各自航空券購入。以後3回の旅の内あわせ会・食事会を持ちながら、

未知の国、イスラエル・ヨルダンの中東の旅への期待に胸膨らませるに至った。

一方、エジプト・シナイ半島への旅も…と、一抹の望みも持っていたが、その後の情勢は益々厳しくなるばかり、エルサレムでは、

出発間際にもテロによる死傷事件が発生し、黄金のド-ムのある「神殿の丘」は封鎖されているという情報があった。

いよいよ旅立ちの日、出発を前にして家人・友人達からは、「本当に行くの?大丈夫?」 などの声も聞こえてきた。

果たして、(無事に旅が出来る?)との思いもあったが、リーダ-のKさん達2人はバンコク、成田から2名、イスタンブ-ルから1名、

そして、私達5名は関空から出発し、117日ドバイ全員集合。そして、10名での中東旅行の旅が始まった。

ペ-ジTOPへ

Jordan編へ




1320分 死海ビ-チ~マサダ国立公園到着。(昼食は、サビママのご主人手作りのサンドイッチ&リンゴ)

マサダ(要塞の意)は、紀元前100年に、標高400mの岩山のてっぺんに岩を削りとり要塞として造られた。その後、ヘロデ王が豪華な

宮殿を
補強増築したもので、巨大な水槽、食料庫、サウナ設備などが整っていたようで、こんな岩山に?砂漠の中に?と、つい思ってしまう。

また、マサダは紀元70年にローマ軍に追い詰められ、最後に残ったユダヤ人が籠城した地。2年余り立て篭もった後、7人の女子どもを残し

967
の党員が自決。そして、ユダヤ戦争は事実上終わり、その時からユダヤ人の2000年にも渡る離散の歴史が始まることになる。

“ユダヤ人は全滅を再び繰り返さない!”という決意から、「ノ-モア・マサダ」 のスロ-ガンが語り継がれて来た。その為、今も、マサダでは、

イスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、「マサダは二度と陥落させない!」 と締めくくられると言う。

山上の垂訓教会

ペテロ首位権の教会

ヴィア・ドロロ-終点・墓石


1関空~ドバイ~アンマンへ・・・2泊(1189

クイン、マリア空港着後、タクシー 3台に分乗し、11時アラブタワ―ホテルにチェックイン。(約40分、1台25JD3,750円)

アンマンでの2日間の滞在はエルサレムへの入国ル-トとして、また旅の終わりに立ちよる予定でホテル下見を兼ねた連泊だった。

1020分 ホテルチェックイン後、イスラエル・ヨルダン旅行を終えて、明日帰国予定というシンガポ-ル在住の日本人の若い

女性2人に出遭い、
早速、ランチしながらエルサレム情報を得ることが出来た。


世界一周旅行中のあすこさんと

アンマン城跡とロ-マ劇場

ペトラ

キングフセイン国境は(イスラエル名:アレンビー橋)は、ヨルダン側ではパレスチナ人往来の為の検問所であり、非公式の国境扱いと

されている。また、アンマンから40km、エルサレムからは30km、その間に緩衝地帯が5kmあり、距離としては近いが、イスラエルの

入国審査が厳しく利用者も多く混雑が予想され、出入国の手続きに半日は要すると言われている。

早朝630、パン・チ-ズ等の朝食をホテルで調達し、タクシ―3台に分乗しボ-ダー へ向かう。(125JD・一人1,125円)

2日間過ごした、車も人も往来の激しいアンマンを抜けると土漠や石ゴロゴロの地が続き、緑の景色は見られない。

しばらく走ると小さな集落、更に、小高い丘の上には集合住宅風の家々が、また、岩山の中にポツンとテント暮らしの人達の住まいなどが

時折見られ、
これらは、難民として隣国から逃れて来た人達の住まいなのだろうか?ふとそう思った。

ヨルダンは国土の8割が土漠に近い荒れ地が占めているという。窓辺の景色を眺めていると納得だ。

715[Public Relation Tourism]着後、荷物を押して5分間歩き、窓口オ-プンの8まで待合室で待機。

小さな紙切れを渡され、氏名・パスポ-トNoJapan と記入、出国税10D1,500円)支払い出国手続き完了。

845分:シャトルバスが出発すると直ぐにパスポ-ト返却あり。925、緩衝地帯の国境辺り?で、仮出国?半券部分返却あり。

バスは、土漠・デコボコした殺風景な石の山の傍に作られた道路を進む。隣のレ-ンでは、エルサレムに運ぶ荷物なのだろう?

食料品や飲料ボトルなどのを積んだトラック、幌を被せた大型トラック等が列を連ねトロトロと走っていた。

イスラエルへは、アラブ諸国を含めどの国の入国印があっても入国は拒否されない。逆に、イスラエル入国印があると、イエメン、シリア、

レバノン、
イラク等へは入国を認められないという。さしあたって、それらの国の旅は予定にないが複雑な事情が伺えた。

緩衝地帯の検問所辺りでは、トラック、バスが横づけに停められ、車体底部、タイヤ等も厳しくチェックしていたのが印象的だった。

カラフルな服装でのお祈り

分離壁で囲まれるパレスナ自治区内方面に向かい歩いていると、丁度、黒い覆面目だし帽の男の子達が、石を投げ挑発して

いる風で、ドキッとする場面に出くわした。道路に転がる石コロ、若い子達は道路を横切り逃げるように走り去る。その中を私達10名は

無言でキョロキョロすことなく、前進あるのみと歩き進んでいた。後、緊張感からか疲れ、サンドイッチ・コ-ラ-の美味しかった事!!

行きかう車・人も多いヘブロンの街


街~階段を上ると
    教会に続く

イエス・十字架の
       重みに倒れる



旅のはじめに 

モスクには入口が2か所

モスクの周りは
人通りもない静か過ぎる街

JORDAN ペトラ遺跡に続く

モスクから出た直後の光景

先ず、荷物コントロ-ルチェックに向かう



マグダラのマリア教会

要塞頂上から死海を臨む

緊張して歩いた道の直ぐ目の前には
        銃を構えた重装備の車があった!!

ここもパトロ-ル中

ヨルダンの首都アンマンは、ヨルダン川の沢沿いのダウンタウンを中心に7つの丘(現在は19の丘に跨る)に住宅街が並ぶ。

ダウンタウンを見下ろす石造りの城跡、アンマン城には古くから人が暮らし、青銅器時代にはすでに要塞化されていた歴史のある古い街である。

アンマンの人口は、イラク戦争前の時点で180万人、その後もドンドン増加傾向にある。

1948年~1967年の中東戦争で、イスラエルを追われたパレスチナ人が大量に流入し難民キャンプができたこと。また、1980年代には

レバノン内戦から避難民が、1990年から湾岸戦争・イラク戦争では大量のイラク人が避難して住むという経由もあり、パレスチナ人、

イラク避難民
の流入による影響が大。不安定な近隣国に比し、街は雑多な中にも活気あふれ治安面でも安定している感じを受けた。

オリ-ブの山~1km四方エルサレム旧市街の眺望

第一留

地下洞窟の銀の星・一目見ようと並ぶ人たち

イエスが生まれたとされる
               聖誕教会

夕食は世界一周中の女性と

出入国票

Jordan

シンガポ-ル在住の
    女性2人とランチ

Islael

11月16日(日)黄金の門~神殿の丘・岩ド-ムへ&ヘブロンへ

神殿の丘へはムスリム以外の人達はロッコ門ゲ-ト~入る。モロッコ門は私達がエルサレムに着いてから開くことなく閉鎖されていたが、

昨日、開門されることが分かった。

7
15分ホテル出発
8
20930生憎の雨の中で、神殿の丘で過ごす。 

途中で雨も降り始め、傘をさしゲートに並ぶ。この日は久々の開門なので随分と長い行列で待たされた。

監視?

3、エルサレム滞在の8日間

丘の上の建物が
 崩れ落ちそう!

街は何処でも
 工事中

聖カテリ-ナ教会
クリスマスイブ・ミサ

トラムに乗って


1230分、キャピタルホテルチェックイン

2、アンマン~キングフセイン国境~エルサレムへ(1110日)

入場は、嘆きの壁近くのモロッコ門~

お墓


死海ビ-チ入口


要塞頂上を歩く


バチカン

ビザンチン時代のモザイクが残る
パンの奇跡の教会

ガイドさん


入場は嘆きの壁」
    近くのモロッコ門~


バスチケット購入

荷物を積み込み


Public Bridge Security front of Border
        手前検問所

水槽・給水も
     自然の流れを利用

あちこちに警備の目が


検問所

聖墳墓教会

受胎告知教会内に展示されている

入国前の近辺の風景

キングフセインボ-ダ-


ドバイの高層ビル


ドバイの高層ビル

2014117日~1229(アンマン解散・26日)

8泊過ごした、キャピトルホテル


1117日(月)再び神殿の丘&トラムで、イスラム博物館・フォロ-コ-スト&新市街地散策

早朝、窓を見ると小降りの雨!昨日は、雨の中の神殿の丘の岩ド-ムだったので、金色に輝くドームを見たくて、再度、行って見ることにする。

620黄金の門」ゲ-ト到着すると未だ誰一人並んでいない。710分、一組のカップルが並び始め、

730ゲ-ト開く頃には可なりの列と
なっていた。私達Tさんと2人は、56人目と早い入場。、太陽も上り始めてクネクネと架けられた

狭い通路の橋を歩き出口辺りで、!!!両サイドにライフル銃を手にした若い男女の兵隊156人、団子状態で警備に当たっていた。

籠のような薄暗い通路出口を出た瞬間開放された気分になったものだ。そして、目の前には黄金色に輝き始めた丸い屋根の「岩のド-ム」!!

920からトラム(7シュケル)でイスラエル博物館、死海写本館フォロ-・コ-スト方面・新市街散策

イスラエル博物館は、エルサレム西部にあり、紀元1世紀のエルサレムを模型で再現している。

死海写本館…死海文書を保管 死海の辺りのクムラン洞窟で見つかったヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいる。

ホロ-コ-スト記念館・・・ユダヤ人大虐殺の犠牲者たちを追悼するイスラエルの国立記念館

ホロコ-スト記念館の傍、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ政権下で迫害を受けていたユダヤ人6,000人に亡命する為に

ビザを発給された、杉原 千畝 外交官の、ネ-ムプレ-ト記念植樹を見ることができた。

細川 ガラシャ夫人
  のタベレストリ
長谷川 ルカ作

やはり、国境越えは予想された通り半日がかりとなり、シャトルバス下車すると、ライフル銃を手にした監視の警備が目についた。

入国審査を終え、屋外でバスを待つ間にもライフル銃を手に見回りがあり、殺風景な辺りの景色にカメラを向けると別の係官が飛んできて

カメラチェック、削除を指示されたたメンバ-もいた。この間、半端でない緊張の連続で、メンバ-同士の会話さえも遠慮しがちになったものだ。

1047分 バス出発⇒1130分 エルサレム到着。

同じバスに日本からの若者3人、世界一周中の男女1名と、数週間旅行の男性1人がいた。勿論他の団体ツア-客は誰もいない。

イスラエル→エジプト→トルコ→ヨ-ロッパ→南米に、また、エジプト→トルコ→イスラエル→ロンドン→メキシコ→南米へ向かうという風に、

それぞれの旅スタイルを持ちながらも、お互いに危険地域の情報交換をしながらの旅の様子が伺えた。

ペ-ジ・Top

11月13日(木曜日)ナザレ・ティベリア・ガリラヤ湖畔の教会・ヨルダン川に流れるヤルデニット洗礼ポイント方面へ(サビママさんのバスツア-)

ナザレは、ガリラヤ高地の南部にあり、聖母マリアが大天使ガブリエルに受胎告知され、約30年間イエスが両親と暮らした地、

イエスとその家族
ゆかりの教会が多くあり、世界中のキリスト教徒が巡礼に訪れる街でもある。

ガリラヤ湖は海抜(ー213m)と、死海に次ぐ低い地にあり、水は淡水。イエスキリストの布教活動の大半はガリラヤ湖周辺でおこなわれた。

AM8:40出発・1030ナザレ着:エルサレムの街を抜けしばらく走ると、土漠の地~緑の多いミカン・ブドウ畑・野菜畑などがひろがる。
街角にパトカ-停めても安心!!
      ポリスさんは朝食調達中 

今日のバスの予約も、リ-ダ-のKさん、通訳係のTさんが850シュケル(約25,500円)交渉をまとめてくれていた。

950分、松林から砂漠地帯に入り、先日、通った死海方面との分岐部を走り、塩田、死海も見えてきた。そして、車は親切にも私達に

死海を
見せてあげようと止まってくれた? と思ったら、道を間違えたらしく、車をUターンして再び走り始めた。

1025検問厳しく車は渋滞気味。タイヤ周囲、バス底部までもミラ-棒を使い点検している。

1030 ボ-ダ-早めに到着?何処かで見かけた風景?それもそのはず、そこは、アンマンからイスラエルに入ったアレンビー橋だった!!

ボーダ-違いだったのだ。Kさんは先日の交渉時に、トラム、バスを利用するのと費用がほぼ同じで不思議に思われたらしい。

そこから、また、通訳のTさんが大活躍。始め、助手席の社長?とのやり取りでは埒が明かず、次に、前日、直接交渉した息子さんと

電話での
再交渉が始まった。かなりく激しい口調でのやり取りは圧巻だった。

結局、25000シュケル(約75,000円)と提示されるが、Tさんは、「23,000シュケルにデスカウント!」 強気で交渉。

「エルサレムに再び戻るか?」 「アカバのホテル予約している!NO!」 と応酬あり。エルサレムに再び戻るなんてとんでもない事なので、

結果、大幅値上げと成ったがとにかく交渉成立。

車は、再び運転手さん達も長い旅?になると予想したらしく、果物、食料品等大量に買い込み、砂漠をひたすら走ることとなった。

13時休憩、砂漠の中でトイレなし。アカバ ボ-ダ-近くでは、砂漠の中に野菜ハウス、ヤシが植えられた林があちこちで見られた。

230イツアク・ラビン ボ-ダ- 到着

イスラエルからの出国し荷物を引き歩いてヨルダン入国。荷物コントロ-ル通し、パスポ-ト提示と全てスム-スだった。

タクシー 3台に分乗し、1630ドレイクホテル到着

ヤフォ門~聖ステェバナ門まで城壁巡り&旧市街外周巡り

 11月11日(火)朝、ゆっくりの集合で、オリ-ブ山に向かい歩く。

エルサレムでの天候は朝方や日陰は涼しいが、日が昇ってくると日よけもなく暑い!!観光バスがぎっしり並び訪れる人も多かった。

オリ-ブ山(標高825m)にはイエスの足跡が数々残り、クリスチャンにとって神聖な場所であり、ユダヤ教徒にとっても聖地巡礼の目的地に

なっている。オリ-ブ山とダビデの町間にあるケデロンの谷には墓地群が拡がり、ユダヤ人の墓地も多い。最近たてられた新しいお墓も目に付いた。

エルサレム旧市街地の1km四方の中に3宗教の聖地がある。。オリ-ブ山から遠く新市街地に広がる街を、太陽の燦々と照らす中、

 飽くことなく眺めていると、
とても穏やかで、今も尚、厳戒シフトが敷かれているとは感じられないとても長閑な風景だった。

オリ-ブ山下山後、ライオン門よりヴィア・ドロロ-サ(イエスの歩いた悲しみの道)約1kmの道を、第1留(イエスが死刑の判決を受けた所)

から、10留~15留(聖墳墓教会の内部にある)ヴィア・ドロロ-サの終点まで歩く。

帰路の車窓から・ベツレハム街の風景


アル・アクサ寺院

後はエルサレム行きバス出発を待つばかり!警備・監視の目が何処からともなく感じられた。

往路:関西空港11/72340発⇒ドバイ着11/8545着・735発⇒アンマン・クインマリア空港着915

復路:アンマン・クインマリア空港11/26/11:15発⇒ドバイ1600着後2・ドバイ11/29・03:00発⇒関西空港1650

 米 118日ドバイ集合(関空5名・成田2名・イスタンブ-ル経由1名・バンコク経由2名 )

   1126日アンマン解散(関空直行1名・ドバイ泊(2泊・5名・32名)・ドバイ~バンコク~ハノイ泊・2名)

聖墳墓教会の地下へ

sea level -404m


ヨルダンリバ-の洗礼

大理石板に額つけ祈りを捧ぐ

出国・待機中

Welcome To Jorsan

ホロコ-スト記念館

地下のマフペラ洞窟に直径28cmの
           唯一通じる入口・台座


警備中

11月15日(土)エルサレム旧市街・城壁巡り・ダビデの神殿など散策

エルサレム滞在中、Mさんは毎朝早起きし聖墳墓教会にお参りされていた。十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗ったとされる、

畳ほどの
赤い大理石板に口づけし、ひれ伏し祈りをささげられたとのこと。Tさんと一緒に真似して、早起きし旧市街地の中を、

聖墳墓教会、嘆き
の壁等に幾度となく訪れた。

イラクで拉致され殺害された
 コウダさんが最後に泊った宿

外壁通路~の黄金の塔を眺む

緊張も解け?ランチを

バスチケット売り場

ビ-ル・キャロットジュ-ス等の荷物を運搬する大型トラック

ぎっしり詰まった墓石

ヴィア・ドロロ-サ
悲しみの道を歩く

マサダ(要塞)



早朝の嘆きの壁・黒正装の人たち

ダマスカス門
 人通りが多く一番にぎわっている


検問所


分離壁

ムスリム以外の人は中には入場出来ない

イスラエル出国

モスク~丘の上にある街を眺む



検問所

ヘブロンの街

- イスラエル編-

旅の行程

聖ヨセフ教会

聖墳墓教会

入国審査を終えて



4、エルサレム~ボ-ダ-通過しアカバ(ヨルダン)へ・18日(火)

杉原千畝記念碑

外周道路
6~7km?を歩く

野菜・果物、ブロコリーも大きい!

通行出来ない


登山路もあり

大粒の塩!

 1112日(水)死海・マサダ方面ツア-

840分、今日のツア-は、リ-ダのKさんがネットで見つけ交渉してくれたもの。 台湾出身の(ご主人はイスラエル人)のガイドさん、

 サビママさんは日本語も話され、テルアビブから、早朝、バスに乗ってこられたそうだ。

死海は、海面下420mにあり、世界で最も低地にある塩水湖。塩分濃度は通常の含有量より10倍も高く、また、塩分濃度が高いのは

ヨルダン川から流入する水の出口がなく、たまった水が太陽光線でどんどん蒸発して、水中の塩分が濃縮されてしまうからと言う。

1030死海エン・ゲディ・ビ-チ着。始め、入場無料のパブリックビーチに行く予定だったが、工事中の為、ミネラルビ-チ(15弗)に変更。

念願の浮遊体験は、塩分濃度が高いので、短時間しか浮遊することは出来ず少々残念!!

死刑判決を受け、十字架を担いで処刑の場
                 ゴルゴダの丘までの道

昼食後、早速ダマスカス門から旧市街地を散策。途中、バッグ類を荷物コントロ-ルに通し、ユダヤ民族の心の故郷といわれる、「嘆きの壁」に。

そして、旧市街地、オリ-ブ山や神殿の丘も
一望できる高台に上り、ムハンマドが昇天したといわれる、黄金色に輝く「岩やのド-ム」、

「嘆きの壁」で祈りをささげる人たちを、落日を
飽くことなく眺め、「ここは、エルサレム!」 と実感した。そして、キリスト教最大の聖地である、

「聖墳墓教会」に向かった。

路地裏のチャイ!
    美味!!


検問所

現在は学校

ー現地行程

アンマン(ヨルダン・11/89日)2

⇒エルサレム(イスラエル・11/1017日)7泊⇒8泊に変更

⇒アカバ(ヨルダン・11/1819日)2

⇒ぺトラ(ヨルダン・11/19日~23日)4


アンマン(ヨルダン・11/2425日)2

⇒アンマン現地解散 計18泊