歌枕・歌ことば
―「桐壷巻」

                       (片桐洋一著 歌枕歌ことば辞典 増訂版による)


 ―更衣の死―
 
  「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを

 ※おくれ先立たじ→この時代に良く使われている歌ことば

 ※おくれさきだつ【後先立つ】      
 僧正遍昭の「末の露もとの雫や世の中のおくれさきだつためしなるらむ」(和漢朗詠集・下、新古今集・哀傷)によって有名になった歌語。木の末の方の露と根に近い所の露、いずれが先に落ちるか遅速はあるが、いずれも落ち散るものであることには変わりはない。このように人間、いずれは死ぬものであるという人の世の無常を示す語になっているのである。「春秋も限らぬ花におく露はおくれ先立つ恨みやはある」(新古今集・釈教・寂蓮)など数多く用いられている。

―野分の夕べ、靫負(ゆげひ)の命婦の弔問―

※闇のうつつ→引歌―「うば玉の闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり」―暗闇の中の逢瀬ははっきりと見た夢に比べてそれほどまさってはいなかった(『古今集』巻十三・恋三、読人しらず)による。「うば玉の」は枕ことば

※うばたまの・むばたまの     
 枕詞。「うめ」を「むめ」、「うま」を「むま」と書くように、「むばたま」とも表記する。上代では「ぬばたまの」が一般的であったが、「ぬ」が「ん」に近くなって「んばたま」「むばたま」「うばたま」と表記されたための変化であろう。中古・中世の和歌においては「ぬばたまの」はまったく例をみない。
 本来は「くろ(黒)」に続く枕詞であったらしいが、「たらちめはかかれとてしもむばたまのわが黒髪をなでずやありけむ」(後撰集・雑三・遍昭)のように「黒髪」に続く例、「むばたまの闇のうつつは定かなる夢にいくらもまさらざりけり」(古今集・恋三・読人不知)のように「闇」に続く例、さらには「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」(古今集・恋二・小町)「むばたまの今宵なあけそあけゆかば朝ゆく君を待つ苦しきに」(拾遺集・恋二・人麿)のように「夜」「宵(今宵)」などに続く例、「あひみてもかひなかりけりうば玉のはかなき夢に劣るうつつは」(新古今集・恋三・興風)のように、夜見るゆえに「夢」の枕詞になることもあるのである。

宮城野の露吹きむすぶ風の音に
    小萩がもとを思ひこそやれ

※宮城野(みやぎの)       
 陸奥の歌枕。陸前国、今の宮城県仙台市の東方一帯の野、当時国府のあったあたりの野をいう。『古今集』に見える二首の歌「宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て」(恋四・読人不知)「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」(東歌)が有名になり、現在本荒町という町名まである。事実、後代の歌にも「もとあらの小萩」「小萩」「露」「木の下露」などの語が多くよみ込まれた。「宮城野に妻呼ぶ鹿ぞさけぶなるもとあらの萩に露や寒けき」(後拾遺集・秋上・長能)はそれに「萩」の縁で「鹿」を加えたが、今度は「鹿」が独立して「この頃は宮城野にこそまじりつれ君を牡鹿の角もとむとて」(三奏本金葉集・秋・長能)とよまれたり、「宮城野の萩や牡鹿のつまならむ花咲きしより声の色なる」(千載集・秋上・基俊)のごとく「花」という語が用いられる頃には、「さまざまに心ぞとまる宮城野の花の色々虫の声々」(千載集・秋上・基俊)とよまれたりした。また平安時代後期になると「宮城野のもとあらの萩のしたはれて露もくもらぬ秋の夜の月」(重家集)「宮城野に風待ちわぶる萩の上の露を数へて宿る月影」(拾遺愚草)のように「露」と「月」を取り合わせる歌も多く作られるようになった。
 なお、宮中を「宮城野」と表現したり、子供を「小萩」にたとえたりして「宮城野の露吹き結ぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」(源氏物語・桐壷)「恋しくも思ほゆるかな宮城野の小萩がもとのたよりと思へば」(中務集)などとよまれることもあった。



※宮城野の露吹きむすぶ風の音に
    小萩がもとを思ひこそやれ
とあれど、え見たまひ果てず。「命長さの、いとつらう思うたまへ知らるるに、松の思はむことだに、はづかしう思うたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、自らはえなむ思うたまへ立つまじき。

※百敷(ももしき)         
 本来は「ももしきの」という形で「大宮」に掛かる枕詞であり、「……ももしきの 大宮所 やむ時もあらめ」(万葉集・巻六・赤人)「ももしきの大宮人のまかり出て遊ぶ今宵の月のさやけさ」(同・巻七) のように用いられていたが、「分るれどあひも惜しまぬももしきを見ざらむことや何か悲しき」(後撰集・離別・伊勢、大和物語・一段)―解釈…「別れたのだけれども、お互いに別れを惜しみ合わぬような宮中を今後見なくなることが、どうして悲しいだろうか、少しも悲しくない。宇多天皇が譲位して宮中を去る時、仕えていた伊勢がよんだ歌である。別れを惜しんでくれない、つまり引き止めてくれない宮中に未練はないと言っているのである」―のように「ももしき」すなわち「大宮(内裏)」の意で用いられた。そのほか、「内裏」からの連想で「御垣(みかき)」に及び、さらに「御垣が原」に転じて「ももしきや御垣が原の桜花春し絶えずはにほはざらめや」(新拾遺集・春下・経信)などとよまれることもまれにはあった