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西国三十三ヵ所巡拝 [ 春の旅 ] 資料篇 4


花山法皇の 熊野御幸


   984年、花山天皇は、17歳で即位した。しかし、986年、花山天皇は、藤原氏の策動により在位2年を待たずに19歳の若さで出家させられて退位し、法皇となった。
 退位した天皇を上皇という。また、出家した上皇を法皇と呼び。

 皇位を追われた花山法皇は、追われるように京を発ち、わずかな供を連れて熊野に向かった。熊野詣の途中に詠んだ歌が、いくつか残っている。

 以下、その詠歌を掲げたい。



那智の大自然に癒された 花山天皇


近露に近い箸折峠に建つ 牛馬童子像

 皇位を追われた花山法皇は、わずかな供を連れて熊野に向かった。熊野古道の中辺路(なかへち)を旅して、この峠までやって来た時、ちょうど昼になった。ところが、箸がない。供の者が忘れてきたのだという。それで、茅を折って箸の代わりにした。
 この時、茅の茎から血のようなものがしたたり落ちた。不思議に思った法皇は、供の者に「これは血か、露か。」と尋ねた。

 それ以来、この峠を「箸折峠」(はしおりとうげ)と呼び、峠の下の里を「近露」(ちかつゆ; ち か つゆ)と呼ぶようになった。

 箸折峠に牛と馬にまたがった「牛馬童子像」がある。この像は、花山法皇(968〜1008)の姿を表したものだという。


熊野詣の途中に詠んだ 花山法皇の歌

 花山法皇が熊野詣の途中に詠んだ歌が、いくつか残っている

牛馬童子像

▼ 海士(あま)が塩焼きをしているのを見て、「この旅の途中で、息絶えて火葬の煙となって立ちのぼったとしたら、海人が海藻から塩をとるための火をたいていると見るだろうか。」と、なんとも寂しい歌を詠んでいる。 [ 『後拾遺和歌集』巻第九 羇旅 503 ]

 旅の空 よはの煙(けぶり)とのぼりなば あまの藻塩火(もしほび)たくかとや見ん 


▼ 西牟婁郡上富田(かみとんだ)町、岩田河(富田川)での詠歌。  [ 『続拾遺和歌集』二十 神祀 ]

 岩田河 渡る心の 深ければ 神もあはれと 思はざらめや 


▼ 那智での詠歌。 [ 『夫木抄』四 ]

 石走る 滝にまがいて 那智の山 高嶺を見れば 花の白雲 


[ 『詞花和歌集』巻第九 雑上 276 ]

 木(こ)のもとを すみかとすれば おのづから 花見る人に なりぬべきかな 


修行の中にも 風流

 傷心の深い渦の底に落ちていた花山法皇。よほど那智が気に入ったのだろう。法皇は、那智の滝の上流にある「二の滝」近くに庵を結んで一千日の修行をした。
 法皇は、陰陽師=安倍晴明(あべせいめい)に護られて修行に邁進していたが、時には、深山の紅葉の美しさを和歌に詠み、短冊を小枝に結んだり滝に流したりと、風流な遊びもしていたという。


花山法皇の那智幽楼

花山法皇の西国巡礼の旅

 この修行を終えた法皇は、西国三十三ヵ所観音霊場巡礼の旅に出た。各地で歌を詠んだ。これが、御詠歌の始まりと伝えられている。

▼ 第1番札所=青岸渡寺(せいがんとじ)の御詠歌

 補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬 



   



花山法皇と 陰陽師=安倍晴明


 花山法皇(968〜1008)は、陰陽師=安倍晴明(921〜1005)とも親交があったといわれていて、『古事談』や『大鏡』などに二人の登場する記述がある。


 安倍 晴明(あべの せいめい)は、平安時代の最も有名な陰陽師であり、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖である。

 当時、最先端の呪術・科学であった「天文道」や占いなどの陰陽道の技術に関して卓越した知識を持った専門家であり、平安貴族たちの信頼を受けた大陰陽師で、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。わが国の超能力者伝説においては、役行者小角と並ぶ超能力者といわれている。
 道摩法師(蘆屋道満)とはライバル関係にあった。また、平将門の子の平将国が安倍晴明ではないかという説もある。

 墓所は京都嵯峨にあり、渡月橋の近くにひっそりと眠っている。安倍晴明を祀る神社は、屋敷跡に建てられたという一条戻橋近くの晴明神社や、生誕地の大阪市阿倍野区に建てられたとされる安倍晴明神社など全国各地に存在する。大阪の阿倍野の地名は、安倍家が領地を持っていたことに由来する。




花山法皇の修行を邪魔した 那智の天狗

 花山法皇と安倍晴明は、二人とも、那智の山中に千日こもって修行をしたと伝えられ、二人とも、前世では吉野と熊野を結ぶ修験の山「大峰山」の行者だったと伝えられている。

 花山法皇が、那智山中で修行をしていると、天狗たちが現われて、いろいろと邪魔をした。法皇は、安倍晴明を呼び寄せて、天狗の妨害を防ぐよう命じた。晴明は、修行中の法皇を守護するために、都から那智に移り住んで、多くの天狗たちを岩屋に封じ込めて祈祷した。そのお蔭で法皇は、無事に一千日の修行を終えることができたという(「古事談」や「大鏡」)。

 那智での修行によって、法皇の験力は高まり、熊野権現の中堂で行われた験比べでは、相手の験者を圧倒するほどの験力の強さを示したと伝えられている。

 法皇も晴明も経ち去った後のこと、那智の行者が不法や懈怠の行いをした時、岩屋に封じ込められていた天狗たちが怒って騒ぎ出したそうだ。


花山天皇のひどい頭痛を治した 安部晴明

 花山法皇が、まだ天皇の位にあった時のこと。花山天皇は、特に雨季にはひどく頭痛に悩まされていた。どのような治療を試みても、効果はなかった。

 晴明が診ると、花山天皇の前世は尊い行者だったという。その前生の髑髏が、大峰山中の岩の狭間に落ちて挟まっているので、雨降りの日には岩が膨らんで間が詰まるので、特に雨季には頭痛に苦しむのだという。

 晴明は、その髑髏を岩の間から取り出して広い場所に置いたら直るといい、その髑髏のある場所もいい当てた。
 晴明のいう通りにすると、天皇の頭痛は消えたという。 (『古事談』 巻六、第六十四)


花山天皇の退位をいい当てた 安部晴明

 藤原兼家の謀略に乗せられて元慶寺へ向かう花山天皇一行が、土御門通りにある安倍晴明の家の前を通った。
 すると、邸内から安倍晴明の声がし、ぱんぱんと手を拍っている様子。聞いてみると、『天皇がご退位になることを示す天変があったが、もうすでに、ご退位が実現してしまったと見える。参内して奏上しよう。車の支度をせよ。』といっている。

 晴明が『とりあえず、式人一人、内裏へ参れ。』というと、目に見えない何者かが戸を開けて出てきたが、遠ざかる天皇の後ろ姿を見つけたらしく、『当の天皇が、ただ今、門前をご通過しておられます。』と晴明に報告したという(『大鏡』)。



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