尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(1)

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 尾瀬紀行(1) 「プロローグ」 


大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水
(昭和48年(1973年)5月3日〜5日)

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 尾瀬原と至仏山




尾瀬の水芭蕉



夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空


(「夏の思い出」)






 秋の尾瀬沼と燧ケ岳



以前、この地を訪れた時は丁度、水芭蕉の真っ盛りで、所謂、季節的には「尾瀬」の真盛りであった。
その為、人出が余りにも多く、その人波に些か(いささか)辟易し、圧倒され、山屋(自称)としては多少なりとも気後れがしたもんであった。

しかし、好天に恵まれて、あの日本の代表的な自然の大景観である尾瀬沼や尾瀬ヶ原、そして燧ケ岳や至仏山の華麗なる山様を、確り(しっかり)と目に焼き付けて来たのである。 
そして、次の機会には、あの秀麗な山の頂に立つことを、心に決めたものであった。



三平峠を越えて暫くすると、絵になるような景観が眼前に現れた。 
そこは、未だ完全な白銀の世界であった。

尾瀬沼は、白氷を湖面に浮かべて、ただ沈黙している。 
正面には、あの気丈な名峰・燧ヶ岳(ひうちがたけ)が天を指して悠然としている。


下界では青葉、若葉の淡緑の季節のはずなのに、ここの1600mの標高をほこるこの地は、未だ冬季雪山の世界であった。 

だが、さすがに5月の降り注ぐ陽光はサンサンとして白銀の表面を照らしつけ、周囲はホンノリと陽炎が揺れていた。
それはもう、この地の名品・水芭蕉が脈々とその息吹きを感じさせ、雪解けと同時に、その開花を期待させるに充分であった。
この静寂が白の世界と相まって尾瀬の愁美な世界を一層際立たせ、創造しているのである。

だが、さすがにこの時期に「尾瀬」に入ってくる人達は未だ少なかった。 

次回、「出発




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 尾瀬紀行(2) 「出発」


上越線・上野発23時20分の夜行で「沼田」に向かった。 
群馬県の沼田駅は、尾瀬へ向かう国鉄(今はJR)の基地駅である。


ところで、国鉄分割民営化が政治改革の一環として実施されたのは1987年4月1日(昭和62年)のことであった。 
日本国有鉄道(国鉄)をJRとして6つの地域別の旅客鉄道会社に分割し民営化するものであった。

これより以降、新宿や上野の深夜発の夜行列車は大幅に削減されてしまったようである。
無論、山屋に言わせれば新宿発の夜行列車は八ヶ岳や北アルプス方面、上野発は東北方面は勿論、上信越の山々などはおしなべて利用したもんであった。 


当時、中部山岳や上信越の山に取り付くに、便利な存在は「夜行列車」だった。
東京の主要駅である新宿や上野駅では各地方へ向かう夜行便は、駅構内広場や使用してないホームにおいて、列車指定された案内板の前に整列させられ、発車時間30分くらい前になってやっと駅員の案内で、該当する列車に並んだ順番に乗車するのが通例であった。 

夜行列車は早朝に登山口の駅に到着でき、うまくいけば2000〜3000m級の山頂にその日の午後には立てるからだ。 
しかし、そういった夜行列車は国鉄民営化や新幹線の普及、それにスピードアップされて、本来の行楽や山岳夜行といったものは廃止になってしまったようだ。
今回小生が利用した上野発23時20分という列車も、御多分にもれず廃止されたようである。


以前は、新宿発・午前零時前後に出る普通列車は、八ヶ岳や南アルプスに入山するにはもってこいの夜行列車であった。 
甲府には2:30ぐらいに到着し、一息入れてから北岳方面行の始発バスに乗れる。 

叉、八ヶ岳方面へは小淵沢で乗り換えれば清里に5時台に着き、茅野でも始発のバスで赤岳や北八ヶ岳方面に入山できるのである。

他にも、「急行アルプス」という夜行列車などもあったようで、大糸線へ乗り入れており、白馬山方面や後立山連峰、立山アルペンルートに入るには便利な列車だった。




列車は空いており、登山客もほとんどいないようなので、昼間の勤務の疲れでたちまちぐっすりと眠ってしまうのかな・・と思ったが、なかなか寝付かれず、ウトロ・ウトロしているうちに沼田のホームに滑り込んだようである。

翌未明のホームへ降り立った人(登山者)は、数えるほどであった。
事前に調べて確認はしておいたが、真夜中の中途半端な時間なのに尾瀬行きのバスはチャンと待機してくれていた。 
お陰で我らは余り待たずにバス中の人となるころができた。 


ところで、時間と言うのは一時も惜しむことの出来ない大事で貴重なものである。  
特に我々勤め人にとっては・・!、 

従って、夜行列車や夜行バスあるいは早朝バスを利用するのは致し方ないことで、若さに任せて、無理を承知で出かけるようになるのである。
そして、車中においては、ガタガタ揺られる列車やバスの中でも睡眠らしい睡眠は殆ど摂らず、所謂、半ば徹夜登山になってしまうのである。


深夜の列車といい、バスといい全員が楽に着席出来るほどの余裕があった。
乗客は車体が揺れ動くのを揺りかごに見たたて、身体を左右に動かしながら、眠りについているようである。

その点、小生は駄目なのである。
これから未知の世界、自然の展開を期待してしまうとあれこれ想像し、何となく胸が高鳴り、興奮してしまうのである。 何時でもそうなのである。
 


上越沼田駅を出た乗り合いバスは、未だ明けぬ真っ暗な闇夜の「沼田街道」をひた走る。
吹割の滝」で有名な老神温泉や多数のスキー場のある片品村、戸倉の部落をひた走って、尾瀬の登山口である「大清水」へ着いた頃、東の空が、ヨウヨウに白気始まったようである。

次回、「大清水




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