尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(14)

  目次)          山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 

【本文関連情報



(標題はブログにリンクします)


 尾瀬紀行(27)燧ケ岳 「熊沢田代」   ,



 
 熊沢田代から燧ケ岳を望む



急斜面の森林帯を抜けると信じられないような光景が広がっていた。
眼前には大雪原が広がっており、会津駒ヶ岳の稜線もきれいで遠方は平ケ岳、越後駒、荒沢岳などの会越国境の名峰が雪原を前景にして連なる。 


ここは「熊沢田代」で、本来なら池塘に長い木道が敷かれていて、ベンチからは水生植物の群落・キンコウカ、ワタスゲ、トキソウなどが咲き乱れるところである。 
その構図は尾瀬屈指のビューポイントで、燧ケ岳を目の前に「尾瀬で一番美しい道」とも言われるところである。


見通すと、今は真っ白い雪の原っぱが広がるのみで、ただ、木道部分がややせり上がり、道筋、ふみ跡もしっかり確認できる。


本来、階段状の木道が付してあるが、今は雪面の緩い斜面をゆっくり下ってゆくと、間もなく平坦な中央部の休憩地に達した。 
誰が払ったのか休憩スペースの木道広場のベンチ部分だけが露出していて、お陰で快適に休憩を取ることができた。


気が付くとこの地は南北の傾斜地の中央にあたり、つまり、湿原の底の部分に相当する。 
絵や写真でみても判るとおり、この部分の休憩地の両側には池塘が存在しているはずであるが、今は雪の閉ざされていて現物を見ることはできない。 
ただ、その面影が何となく判るような気もする。


因みに、シーズンともなると熊沢田代は緑の草原、秋には草紅葉が広がり、その中央に湿原の中を木道がうねりながら伸びている。 
そして、木道を挟んで佇んでいる二つの池塘との景観美が見事にマッチして、更に、で南に燧ケ岳、北側には会津駒のたおやかな峰との景観バランスが見事に絵になっているのである。 

人によっては尾瀬界隈では、一番の景観地はこの地であるともいう。
7月ともなるとワタスゲの花群落、8月上旬はキンコウカの花群落が乱舞する。

尚、田代とは普通、田や苗代のことであるが、尾瀬やその周辺では湿原のことを「田代」と呼ぶ場合が多い。 

尾瀬ヶ原も大きく分けて、西側より上田代、中田代、下田代に区分されているようである。



大休止の最中、6人程の中年女性と思しきグループがやってくる。 
かなりの軽装でワイワイガヤガヤ賑やかそうである。

重装備でたった一人の小生を見て、さも珍しそうに・・、
「大変そうね、どちらから・・?」
「あの天辺から降りてきたの・・?」
「一人で大変ね・・!」
「これからどちらへ・・?」
「今度、私たちも頂上へ行ってみたいわね」

などど各人が興味本位で聞いてくる。
”どちらから・・、” もないもんである。  道は一本のみで、登りか下りだけなのである。 

やや閉口しながら、適当に答えていたが、よく見ると小奇麗で、品の良さそうなご婦人方であり、趣味の会のグループで時折、関東郊外等ににハイキング程度の山歩きを楽しんでいるらしい。

今回は桧枝岐まで旅行に来たらしいが、天気も良さそうなので宿の主人の案内、紹介で御池まで送ってもらい、ここ熊沢田代まで観光ハイクに来たとのこと。


貴婦人達・・? に囲まれて悪い気はしないが、多勢でやや圧倒されそうでもある。 
そそくさと支度をして熊沢田代を後にした。


次回は、「広沢田代




【本文関連情報





 尾瀬紀行(28)燧ケ岳 「広沢田代」  ,



 広々としたその名も「広沢田代」、正面の山稜は大杉岳




次第に透明度が増してきた天空は見通しも良く、燧ヶ岳の迫上がりも湿原全体も全て見通すことができる。
だが、地表は何せ全ては雪ノ下である。 
次回こそ本当の湿原を見に再びやってくることを心に決めた。

 
この木道が下りついたところは熊沢田代の最低鞍部であり、その後は下山ながら再び、僅かではあるが上っていく形になっている。 
階段状の雪面を一歩一歩進む。 
アイゼンは既に熊沢田代で脱いでいる。 

長時間の登行で身体はすっかり疲れているようであり、緩い上りであるがかなりハードに感じる。 
左脚がピクピクしはじまっていて、関節痛の危険信号を発しているようだ。

なだらかなピークを過ぎると再び樹林帯の急峻な下りとなる。 
ここへきて再びアイゼンを着用しようか思案したが、ママヨこのまま下ることにする。


シラビソやコメツガ、ダケカンバの潅木帯の中にアズマシャクナゲが密生している。 

見下ろすと、林の合間から大きな池塘が幾つもある広沢田代がぽっかりと森の台地に広がっているのが見える。 

左の下方には既に登山道の左側からは裏燧の小沢平方面や奥まで長い御池田代や上田代も良く確認出来、下田代も姿を現している。

併せて、平ヶ岳の向こうには、越後駒ヶ岳や中ノ岳が見えているが、その右に大きくギザギザな峰を見せているのは荒沢岳だろう、所謂、越後三山である。


樹林帯の急坂を抜けると正面に再び白の原野が広がった。 広沢田代(標高1,756m)である。

広沢田代は熊沢田代よりは規模は小さいが、大小の池塘が数多く、高層湿原の植物が豊富なことでも知られる。 
今は無論、雪の下であるが、よくよく見ると水ッ気を含んだ黒ずんだ部分が染み出ていてそれらしい姿を見せている。

こちらも中央部に休憩エリアがあるらしく、案内標柱が広沢田代を示している。 
通過するのは勿体無い気もするので、取り敢えず小休止をする。

すぐ眼前は大杉岳であろう、そこからなだらかに派生してい会津駒に達している。 
明日、体調が良ければ会津駒を往復する予定であるが、左足がチョット、ビビリつつあるので明日の状態によってであろう。 


次回は、「尾瀬の湿原




【本文関連情報






  目次)            山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 
【旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
東北紀行2010
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

古都鎌倉紀行
「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」