尾瀬紀行
残雪の尾瀬・燧ケ岳登行(15)

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尾瀬登行ルート
大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水

(昭和48年(1973年)5月3日〜5日)
(標題はブログにリンクします)


 尾瀬紀行(29)燧ケ岳 「尾瀬の湿原」    、



熊沢田代、広沢田代など燧ケ岳の北側には段状に広大な湿原が出現している。

尾瀬はもちろん湿原で有名であり、来訪者の九割は尾瀬沼、尾瀬ヶ原の風光もさることながら、湿原に生殖する水芭蕉などの可憐な植物群を見に来るのである。 
これら尾瀬一帯の高地、山岳地の湿原を「高層湿原」といっている。



小生、「日本一周の旅」で、特に北海道の沿岸地には釧路湿原やサロベツ原野などの低地などに湿原が多く点在しているが、北海道には実に日本の湿原の80%が集中しているといわれる。 
一部はラムサール条約など水鳥の生息地、渡り鳥の飛来地としても有名である。


では一体「湿原」とは何か・・?、
どのような過程で出来上がるのか、チョット探ってみたい。



湿原とは、大まかには多湿・低温の土壌に発達した草原のことで、動植物の枯死体の分解がされずに炭化し、地表に泥炭が堆積してできる現象である。 
構成植物や生態系の条件などにより低層・中間・高層湿原などに区分している。 
地方によっては湿原のことを谷地(青森)とか田代(群馬)とも称しているようである。


地質学辞典などによると・・、
『 湿原とは泥炭が堆積した上に形成される草原状の原野で、泥炭地ともいう。 一般に寒冷な気候条件の下に発達し、この条件のもとでは、枯死した植物の腐敗・分会が妨げられるので、遺体は泥炭となって堆積し、その上に次々と草原が生育していく。
一般に低層湿原(low moor)・中間湿原・高層湿原(high moor)などが区別されるが、低層湿原ではヨシ・スゲ類など、高層湿原ではミズゴケ・ヌマガヤ・ホロムイスゲなどが特徴的。日本では北海道の低湿地や尾瀬ヶ原などが有名 』 と明記している。


湿原は地質の変化過程の現象を表しているとも言われる。
湿原は、主に浅い湖沼や潟などが次第に堆積物で埋まり陸地化したもので、平地にある浅い湖沼は周囲からの土壌の流入、それに水中や水辺の植物の生長とその植物の遺体などによって堆積し、次第に浅くなり、終いには陸地と化す。 
所謂、地質の変化過程の一端を示すものである。

このような湖沼→湿原→森林(陸地)と変化していくことを湿性遷移とも言い、長い年月の間に陸化していく途中の草原地域が湿原なのである。

特に寒冷地では、湖沼やあるいは排水の悪い平坦地に生えていた植物の遺骸があまり腐腐食しないで堆積し、栄養分の少ない植物遺体が長期にわたり積もり積もって土壌を形成する。 

そのような湿原ではや表面の水分の栄養分が乏しいか、栄養分があったとしても地表にあまり染み出ないなどの特徴から、大形の樹木などが生育せずヨシ、アシ、コケ類などがよく生育する。 
従って、希少な野生の動植物が多く生息しており、世界的に貴重な生態系を形成するところもある。

国内の湿原では北海道など高緯度の地域や本州では高地、山岳地に多い。


湿原は、常に植生の生育、枯死、堆積を繰り返しており、機構や立地条件によって低層から中層、高層湿原といった姿に変化し、最終的には陸地へと変化していくものと考えられる。 

では、高層とか低層と言われる「層」とは何を意味するか・・?。
元より高層湿原とは、尾瀬のように高い山の上にある湿原という意味ではなく、湿原の植物が枯死して泥炭化し、それが次第に堆積した結果「層」になり、これが何層にも高く積み上がった状態をさしている。
因みに、この泥炭層は1ミリの厚さとなるまでに1年かかるといわれている。

その形状や植生から以下の三種類に分類される。


高層湿原
分解されず堆積した泥炭が多量に蓄積されて、周囲よりも高くなったために地下水では涵養されず、雨水のみで維持されている貧栄養な湿原を指す。 代表例に尾瀬ヶ原やサロベツ湿原があげられる。 植生はミズゴケ類が主体で温暖な地域では、枯れた植生がすぐに分解されてしまうため高層湿原は発達しない。 まれに、冷たい湧き水などがある場合に、それに近いものが形成される。 氷河期の遺存種など、貴重な動植物が生息する場合が多い。

低層湿原  、
一般には湿原と言うと低層湿原を指す場合が多い。 有名な北海道・釧路湿原の80%は低層湿原どという。 表面が平坦で地形面と地下水面とがほぼ同じで、湿原の表面まで冠水しているものを言う。 又、地下水で涵養されているため、集水域での開発はその地下水位を変化させ、周囲を改造しただけでも湿原は変質や減少が進み、さらには消失してしまうことがある。
余計だが・・、言うべきでないことを言ってしまったあとを「低頭失言」という・・?。

中層湿原  、
低層湿原から高層湿原に移行するときの湿原。 地下水で涵養され植生が維持されている低層湿原と、雨水のみによって植生が維持されている高層湿原との中間の性質を持つ湿原。


次回、 「湿原の進化




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 尾瀬紀行(30)燧ケ岳 「湿原の進化」  ,



前回の続きになるが・・ 、
一般に湖沼の末期は、湖から沼へ、沼から湿原へ、更に湿原は草原へ、更には森林帯へと推移すべき運命を約束せれているといわれる。 

因みに、近辺の日光の戦場ヶ原は既に草原と化しているのが判る。



尾瀬は、我が国に残された唯一の大湿原、広域湿原であって、然もその間に、大小の河流、数百の池塘を随所に点在し、中に大小の浮島を浮べ、川の流に沿って帯状に小さな林を混在させている。
それは湿原の自然的発達の過程、つまり凡その年齢やその発達段階を詳細に観察することができるという。


尾瀬ケ原は尾瀬沼の約4倍程の面積である。 

尾瀬ヶ原も尾瀬沼と共に嘗っては、熔岩流で堰き止められて生じた一湖水であったが、其の後四囲の山々からの土砂、火山灰の流入、みづごげ、其の他湿原植物群の堆積等が相伴ひ、下底には次第に泥岩層を作りながら現在に至り、大湿原と化したものとされる。
しかし、土砂の流入や湿原の高層化が進みやがては草原となり、何れは森林帯と化す運命にもある。


尾瀬沼は海抜1665m、長径約2キロ米、短経約1キロ米、面積凡そ300町歩(1町歩=9900平方米)の大きさで、最深部は約8.5米に達している。 

本来この沼は北方に在る燧岳からの熔岩流による堰止湖で、周囲の大江川流域、沼尻等一帯は沖積湿原であるが、これらの沖積湿原の進出と沼尻川の土砂流入に依る湖面低下とによって、やがては尾瀬ケ原同様湿原と化すとされる。 
その後は、尾瀬ケ原と同様な運命を辿ることになるという。


又、燧ケ岳の北側に存在する「熊沢田代や広沢田代」は尾瀬ヶ原や沼と異なって周囲に山塊などは無く、土砂の流入も少ないが、既に乾性湿原で大部分は草原化しているのが判る。 
やがて森林と化すのも時間の問題であろう、ここも以前は底の浅い沼地であったことが想像される。


因みに山岳高所湿原は、小生一昨年訪れた尾瀬より南東方向の「鬼怒沼山」(山頂部に広がる鬼怒沼湿原)は、日本一高いところにある湿原との謳い文句であった。 
だが、調べれば判るが日本最高所ではない。 

鬼怒沼湿原よりも高所にある湿原が近くでは平ヶ岳や苗場山もあり、チョット離れて立山・五色ヶ原やアルプス・雲の平などもある。
すぐ東隣にはその名も田代山(標高1971m)があり、山頂部の田代湿原でも有名で、人気もある。

更に日本各地においては、日本最北端の湿原はメグマ沼湿原 (北海道・稚内)、日本最東端は小ユルリ島湿原 (北海道・根室)、日本最西端は古生沼湿原 (長崎県・雲仙)、日本最南端は小花之江河湿原 (鹿児島県・屋久島)などがあるそうである。


次回、「御池




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